窓越しに冬の日射しを浴びながら、懐かしい夢を見ていた。30年近くも昔の遠い出来事で、夢そのものは他愛のない内容、ここで呟くほどのことではないが、そのころは玉川上水の紫橋の近くに一人で住んでいた。あんな夢を見たのは、ちょうどそのころ最後に行ったアラスカのことで調べてみたいことがあって、古い日記帳などを取り出して読んでいたせいだろう。
玉川上水と言えば、太宰と彼の愛人の入水自殺を思い出す人もいようが、朝な夕なその近くを歩いて最寄りの駅、三鷹駅から都心の職場へ通っていた。一人暮らしの気儘と無聊を喜んだり、嘆いたりしていたころのことで山にも行っていたはずだが、その割にはあまり書いていない。目が覚めて、これまでそんなことを考えたこともなかったが、一般の人と比べたら、塀の中にいたわけではないにしては一人で過ごした時間が多い方だったかも知れないと振り返った。もちろん、「小人閑居して不善を成す」しかなかったのだが。
それから30年近くが経とうとしている。当時の日記の内容と、この呟きに、どれほどの違いがあるのだろうか。昨日、人は100年経っても、1000年経ってもあまり賢くなれないと呟いたが、自らを省みてまずそう思い、そう言うべきだった。
あのころも今も、酒は量は減ったが飲み続けているし、美味い物を食べたくて料理にも精を出し、その味に一喜一憂している。高校のころ、音楽は10段階で最低の1を頂戴し、その教師に喧嘩を売っているのかとお尋ねし、まあ、音楽の成績が1でもゼロでも、そんな評価はこんなときの語り種にして笑うぐらいだが、ただ、その割にはよく聞いている。
夕暮れが訪れつつある。先程まで柿木に来ていた椋鳥もねぐらへと帰ったか。この田舎にもcovid-19がより現実的な脅威となりつつあり、決壊した堤防の水のように心配が広がっている。「若者の不注意で老人を殺すな」とキャンプ場のトイレに張り紙をしておいたが、自覚症状のない感染者がそれと知らず家族、同僚、その他に感染させていることは充分に考えられる。「なのにあなたは京都へ行くの、京都の町はそれほどいいの、このわたしの愛よりも」・・・。
赤羽さん、そうですか。分からないものですね。彼は「囲碁は麻雀よりも面白い」と言ってましたのに、またそういう日が来ることを念じていると、どうかお伝えください。
とりとめのないことを呟きつつ本日はこの辺で。明日は沈黙します。