
Photo by Ume氏
この森に積もる雪はさらにますます深くなっていく。先週上に行ったときは、この辺りでテンだかイタチだか、はたまたオコジョだか、小動物の足跡を辿ってみたりしたが、狩猟免許を取る際に一夜漬けで覚えたはずのこうした知識は呆気なく消えてしまって、ただ冬の森の風景と一緒にして見るしかなかった。
あの辺りはサルオガセが落葉松の枝に絡み、それに霧氷が付いて垂れ下がり、背後のモミの緑までが吹雪の時のようにぼやけて見えていた。時折突風が襲うと、そのレースのカーテンになったサルオガセが激しく揺れ、落葉松の枝から落ちてくる雪とともに辺りを一瞬の白い闇にする。
その後、顔に付着した細かい粉のような雪がたちまち融けて顔や髭を濡らしてくれる。それを素手で拭う。その時になって初めて、滅多には使わない手袋がないことに気が付き、濡れた眼鏡は仕方ないから外してポケットの中に入れた。
真っ白い雪原を汚すのはそこらに飛び散っている落葉松の枯れ枝である。枝だけならまだしも、冬の間には幾本もの大木が倒れて、この辺りの品さえも感ずる深い森の趣を損ね、荒廃させてしまった。何とかしたいと思う反面、しかしこれらのことは自然の仕業であり、結局はまた自然と時間に任せておくのがいいだろうという気持ちもあって揺れる。
上空から見れば、流れを挟んで明らかに落葉松とモミの木とが二分されているのが分かる。どのような理由があって、あのモミやシラビソの木は伐られずに残されたのだろうか。一帯は戦後のころに植林されたと聞いているが、だとしたらまだ伐採作業はノコギリだったのかも知れない。これだけの大木を伐る手間を厭い伐らずおいたのかも知れないが、もしかすれば意識的に残しておいてくれたのかも知れない。そう思いたくなるほど、この緑の色を絶やさない針葉樹の樹々は所を得ているし、そういう原生林はこの森ばかりではなく訪れる人のないままこの辺りの山域にはまだ残っている。
これから先の10年、20年、この森や林はどうなっていくのだろう。いままではまだその変化の速度は自然が耐えうるものだったかも知れないが、これからは余程違っていくような気がする。国土の7割を占める山地、森林をこのままにしておくとは考えていないが、行政のすることや過疎化していく山裾の暮らしなどと併せて考えると、将来は楽観できない、危ぶまれる。それにつけても、都会よりか、田舎で暮らす方がはるかに向いている人たちが、そのことに気付かないでいるのが惜しまれる。
そうそう「約束のネバーランド」が昨日公開されました。本日はこの辺で、明日は沈黙します。