今年は雪の来るのが遅いぞと、そう思って昨日上に行ってみたら300㍍級の山々は当然ながら、経ヶ岳(2296)の山頂に近い日陰の部分にも雪が積もっていた。入笠山が南アの北端と言われたりすれば、経ヶ岳はさらに北方へ峰を連ねているのに中ア北端の山などと呼ぶ人もいるらしい。子供のころから見慣れた山で、その山頂が白い雪をまぶしでもしたかのように見え出すと、里の住人は本格的な冬が来ることを覚悟し、寒空に野沢菜漬けの用意などを始めたものだ。
その背後、実際にはかなり距離がある御嶽山は殆どが雲の中だったが、それでも山肌には細長い白い幾何学模様が見え、1回きりだったが何年か前に行ったことのあるスキー場「おんたけ2240」だろうと思った。
今年の冬の到来は少しもったいぶっているようでもやはり季節は確実に進んで、入笠にもそう遠くないうちに白い季節がやってくるだろう。途中の芝平から同行した山奥氏は、氏の隠れ家からは見ることのできない遥かな山並みの幾つかを改めて確認していた。(12月1日記)
里に暮らせば時間はふんだんにあるはずなのに滅多にない用事ができると、そっちが優先してしまう。昨日もそうだった。牧場にいたほうがこの独り言は出やすいようで、何しろ題名も「入笠牧場云々」なのに肝心のそこは遠くなり、今や炬燵に囚われの身、であればやはり呟きは途切れたり、か細くなるのかも仕方ないかも知れない。
昨日久しぶりに会った縄文大工の雨ちゃんは相変わらずの薄着で、変わらずの笑顔を浮かべ、それこそ文字通り鷹揚な縄文の世界に生きているようだった。今年も石斧を振るい、遥かな遠い昔の祖先の暮らしの一端を幸福な子供たちの前で再現し、大いに喜ばせていた。
市内の美篶(みすず)地区には美篶小学校敷地内に旧校舎を利用した資料館がある。そこが毎年主催する行事の一環に彼は協力しているのだが、一つの地区がこうした資料館を残し、様々な古い郷土の暮らしを子供たちに教え伝えていくというのは極めて貴重かつ珍しいと思う。資料館を覗いたら、まだ記憶に残る懐かしい暮らしが迫ってきた。囲炉裏、はた織り機、多種のノコギリ、氷の塊をつかむ鉄の鋏、藁で作った合羽・・・、もう名前も出てこない各種の農機具、生活具、生きていくための先人の知恵と努力が偲ばれた。
カーテンをまだ閉ざしたままだから外の様子は分からないが、きょうも柿の老木に椋鳥が来ているらしく、さっきからしきりとその声がする。そのせわし気な鳴き声を聞きながら、南北朝の動乱へ行ったらよいのか、祖先の忘れられた影に行くべきなのか、それとも諏訪大社が先なのか、朝風呂かと、遊子は四辻を前に行きあぐみ迷っている。
本日はこの辺で。
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