Photo by Ume氏
てっきり雪だと思って起きたら、雪催いの空ながらそうではなかった。普段は夜中でも、遠くに車の通過していく音を聞くものだが、昨夜は3時間も布団の中で眠れずに過ごしていたのに静かだった。その静けさは、雪がつくったものだとすっかり思い込んでいたから、除雪作業の連絡が来るかも知れないと気を揉んでいた。
上にいた間に、すっかり柿の木の実は椋鳥に食べ尽くされたのか、それとも落ちたのか、もうない。ああして、ただ寒風に古木の枝を揺らしている姿を目にすると・・・、あれこれと思う。この部分は「あれこれ」だけにしておこう。
上にいればそこが、前からずっと暮らしていた場所のように落ち着き、吹雪いていれば別だが、水汲みもそれほど苦にはならない。むしろ、零下10度であっても、水道管からどんどんと流れ出る水を見るのは単純に嬉しいし、あれだけの水量を地下に眠らせている山の保水力には感動、いや感謝の気持ちさえ覚える。
「山は眠る」とは言うけれど、樹々はもう雪に負けない固い蕾を用意して新しい春の芽吹きを待っているし、雪の森を歩けば狐やタヌキ、アナグマなどの足跡が残っていて、乏しい食物を得るための苦労が雪原に描かれている。自然はその活動を控えていても、決して眠っているわけではないことが分かる。
人もそうだったろう。暗い土間で縄をない、わずかな灯りで家事をして、暖房は囲炉裏の火と炭の炬燵で、手はアカギレやしもやけが絶えなかったはずだ。わずか50年くらいの間に人の生活は急変した。今でこそそれが当たり前だが、ラジオやテレビなどなかった時代は、長い冬の夜をどうやって過ごしたのだろう。上にいると、そういうことを想像したり、昨日のように思い出すこともある。
ついでに、そういうささやかな団欒の中にあった笑いとか、温もりとか「幸福度」の水準を、質を、推し量ってみたくなるけれど、幸福そのものが今と昔では違い過ぎて、そんなことは無理だろう。それに、大方のこの種の記憶がそうであるように、できたとしても評価はどうしても甘くなるに違いない。
雪が舞っている。もうすっかり青空は消えて灰色の空に変わってしまった。この独り言を終えても格別することはないから気楽だが、外は段々と本格的な雪降りになってきたようだ。昨日も里に下りてきたら雪はなかったので驚いたが、この降り方からすると、もしかすれば車で入笠へ上がることなどできなくなるかも分からない。
本日はこの辺で。なお、越年営業を希望される方はそっと、ご連絡ください。