入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (22)

2016年03月24日 | 牧場その日その時


  改めて書くまでもないがこのブログは、主に山がどうした、森がどうした、晴れた曇った、風が吹いたと、昨今の世の中のことなど知らぬ存ぜぬを通して、能天気なことを書いてきた。テロの拡散に荒れる世界、内外の政治、選良らの言動や振る舞いはもちろん、防大生の任官拒否などということはさらに場違いな話だから、この場ではしない。

 入笠に話を戻そう。これまで牧場及び周辺の自然を守っていくためには、これまでのように牧場経営一本槍では無理で、もう少し観光的な要素を取り入れるべきだと言い、そのためには是非とも、最低限のインフラ整備が必要だと訴えてきた。
  しかし、このごろそんな考えも変わってきた。入笠牧場の宿泊施設は当面このままこれでよいのかも知れないと、そう思うようになってきた。中級山岳としての魅力はいくらでもあるし、各地で流行りの天体観測も、これだけの自然の好条件を備えているところはそうはない。
 確かにもっと快適でハイカラな山小屋やキャンプ場が各地にたくさんあることは分かっている。だが、ならばなぜ、20年以上も毎年同じ顔触れがしかも幾組も、この時代遅れの山小屋やキャンプ場に来てくれるのかを、もう少し真剣に考えてみる必要がある。
 ここにはここの魅力がある。なによりもあまり俗化してない。彼ら彼女らは、そういうところが気に入って来てくれるのだろうから、いくら設備が改善されても現在の静穏や、素朴な雰囲気が犠牲になるようなら、余計なお世話だと思うだろう。入笠の山頂に登ってしまえば、またさっさと帰る観光客たちとは違うのだ。
 山が好きだったり、自然の中で気ままに過ごしたいと思う人たちは、もとから多少の不便は覚悟のうえで、自分たちの楽しみ方を知っていると思うし、そういう人たちにこそ来てほしい。そしてたまには、赤布も道標もない山道や、沢や渓を、泥に汚れ、水に濡れて冒険を楽しんでもらいたい。
 もちろん若い人ばかりではなく、夕映えの中で影絵のように黙って座ったたまま、いつまでも穂高や槍を眺めていたあの初老のご夫婦のような人たちにも、是非・・・。

 それは残念でした。ペットロス症候群に気を付けてください。明日の写真を見ていただければ分かりますが、雪はもう大したことありません。牧場の仕事は4月20日から始めます。お待ちしてます。
 
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       ’16年「春」 (21)

2016年03月23日 | 牧場その日その時


  座頭沢の日の当たらない山道には雪がまだ残っていたが、例年に比べたら大したことはなかった。この10年の間ほとんど毎年のように、初日から数日は、ど日陰の手前で車を捨て、そこから1時間以上をかけ管理棟まで雪の上を歩いて行ったものだ。決してそれがいやだったり、面倒だとは思わなかったが、しかし今年はどうやらそうしなくても済みそうだ。
 北門を過ぎていつもの癖で大沢山の西斜面を見ると、まだ枯草色の素っ気ない風景が見えているだけだった。右手遠くの第1牧区のある御所平は雪に蔽われていて、そこにも鹿の姿がないのに安堵した。もっとも、普段見慣れていた眺めに何かが欠けているような気がしないでもなかったが、慌ててそんな気持を否定した。貴婦人の丘の前で一応車を停めた。しかし、写真も撮らずすぐ通り過ぎた。
 大曲では、初の沢の雪解け水がさわやかな瀬音を立てて流れ、さらに雪解けが早まれば、それにつれて水量ももっと増えるに違いない。そのころになれば、まだ冬の眠りの中にあるらしいあたりのダケカンバの芽吹きも始まる。まだ春はやって来たばかりだ、気長にもう少し春の陽射しが暖かくなるのを待とうと言い聞かせ、そこを去った。
 
 雪解けが進んだ黄土色の草地の奥に、色彩のない雑木林を背負って建っている管理棟は、春の日の光が明るい分、いつもよりも古びて、ようやくひと冬を越した疲れた老人を見るようだった。日当たりのよい入口に椅子を出し、コーヒーを飲みながら半ば呆けて目にしている見慣れた風景は、そこで働くようになった10年という歳月の経過を少しも感じさせない。しかし、想像してみるだけでしかないが、おそらく古女房に対するそこそこの愛着のようなものと似た気持ちが、目の前の自然に対してあるとは言える。
 大沢山には車で行き、第1牧区へは管理棟裏の急な斜面を歩いて登った。ゆっくりゆっくり、一歩いっぽ歩いていると、妙な嬉しが湧いてくる。登行には当然苦しさもあるが、同時に喜びもそこに潜んでいる。山を登る、攀じるということは、それを感ずることであり、それの分かる人が山に行けばいい。登山と観光は、似て非なるものだと思う。
 そして登りつめた先に、この日も、豪華過ぎるほどの自然の接待が待っていてくれた。雲ひとつない真っ青い大きな空、いつもの白い長大な山並み、無風。どこかですでに小鳥の声も聞こえていた。(つづく)
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       ’16年「春」 (20)

2016年03月22日 | 牧場その日その時

     
  谷川は行く都度に新しい刺激を与えてくれた。谷川と上高地を比較してみても仕方ないことだが、どちらに行ってみたいかと聞かれたら、谷川と答えたい。今さら岩登りではないが、マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢の出会いを巡り湯檜曽川の畔で、まだそんなことができるかどうか分からないが、できたら昔のように火を燃やし、早瀬の音を聞きながら快適な一夜を過ごしてみたい。
 日中は一ノ倉の出会い辺りまで観光客で賑ぎわっても、それよりもずうっと奥にあるかつて幕営地にしたあの辺りなら、清冽な湯檜曽川の流れが、あるいは白毛門の上に顔を出すはにかみ屋の朧月が、現在(いま)も昔と変わらずに迎えてくれるような気がする。
 昨日、地元のテレビ局が上高地の自然と、それを守る人々の活動を伝えるというので見た。確かに上高地は美しい。幾つかの場所は、つい昨日のことのように思い出すこともできる。
 しかし、谷川の方がやはり苦労した分、記憶に残る度合いが強くて、深い。それにまた、上高地は整備され過ぎた観光地であって、山に登る者にとっては出発点であり、通過点だった。厳冬期の誰もいない上高地ならいざ知らず、現在のような人の行き交う雑踏の中にまで、あえて行かなくてもいいような気がしてる。
 まあ、しかしそうは言うものの、いずこも観光地化が進み、谷川とて時期によってはとっくにあのころから、その例に漏れてはいなかった。もし今行っても、落胆が待っているだけかもしれない。
 
 読者各位におかれては、そろそろ5月の山の計画を立てましたか。今日は好天に誘われてついまた、入笠まで行ってきました。明日は現在の入笠を、写真を添えてお伝えします。なお今日の写真は、昨年の4月30日に撮影しました。 
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       ’16年「春」 (19) 

2016年03月21日 | 牧場その日その時


 春の谷川にもよく通った。初めて一ノ倉に行ったら、雪でひょんぐりの滝は完全に埋まってしまっていたが次回もそのつもりで出かけたら、わずかの間に雪は激減していて、予想外の登下降を強いられた。
 最初は中央稜だったが、二度目からの記憶ははっきりとしない。多分、烏帽子の中央カンテあたりだったと思うが、大事にしていた山行記をなくして、今となってははっきりとしない。日本では数少ない岩の殿堂などと言われ、またひとつの山域での遭難事故は世界一だということも、2千メートルに満たない谷川岳という山の名を有名にしていた。
 この時から同行者はいつもNだった。彼はすでに谷川を知っていたが、登攀は初めてだったと思う。我々には先輩も指導してくれる人もいなかったから、二人の登攀能力がどれほどのものかは見当もつかなかった。とりあえず、壁の難易度が決められていた「近くていい山」、谷川岳の岩場を攀じて、そのころの自分たちの実力がどの程度かを試し、知りたいと思った。
 一ノ倉の谷は暗く陰気だと聞いていたが、初見参の時の天候は素晴らしく、写真でしか知らなかった衝立やコップ、正面の沢やルンゼと意外と広い谷を間にはさんで滝沢の下部、そしてその上部の不気味に光るスラブやドームが、腕試しの相手になってくれようと待っていた。まさにそう見えた。
 
 あのころは谷川のみならず、自然の美しさなどというものは付随的なものだと考えていた。しかし、今は違う。あの風景の中に知らず知らずのうちに沁み込んでいった強い思いが、時には陰惨な谷の記憶さえもいつの間にか彩(いろどり)を変え、深い陰影を刻み、きわめて個人的な心象となって現在は思い出される。圏谷はもちろんだが、そこまでたどる周囲のなんでもないブナの森、それを透かして見えていた上越の山々の遠い風景も、懐かしい。まして、今は無人となってしまった土合の駅舎への愛着は、どこの駅よりも強く、深い。(つづく) 

  











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       ’16年「春」 (18)

2016年03月20日 | 牧場その日その時


  昨夜、このブログにもたまに登場する、芝平の山中に隠棲を決めている山奥から、おかしな電話が入った。何でも9時少し前、彼の隠れ家の近くで銃声を聞いたというのだ。酔っ払いの幻聴だろうと嗤ったら、「アンタとオレを見間違えて撃ったんじゃないのか」だと。困った人だ。いくら夜目であっても、あのビア樽のような体躯と間違えるわけがない。
 山奥の趣味は、あんな辺鄙な山の中に暮らす身が海釣で、高価な釣竿を何本も所有し、その中には自作の”名竿”もあるらしい。竿作りも魚釣と負けないくらい面白いらしく、行けばいつも小屋の中を一杯にして、エポキシだか何だか怪しい臭いの中で、出来たばかりの竿の塗装に奮闘しながら悦に入ってる。
  そんな山奥だが、川魚はだめで、アレルギーが出ると言うから笑える。ともかく、隠れ家を抜け出し、時々いずこかの海に出掛けていくことだけは知っている。ただだ傷付けては悪いから、釣果のことは聞かないことにしている。一度だけ、たくさんのサザエを頂戴したが、はて、あれはどうやって手に入れたのか。昔はダイビングもやったらしいが、今ではもう沈まないだろうに・・・、クク。(敬称略)

 ついに、入笠の仕事が始まるまでに1カ月を残すだけとなった。「まだ1カ月もある」と思うかもしれないが、4カ月をすでに来た者には、今年も月日の過ぎてゆく早さをそう感ずるしかない。昨夜から今朝にかけての雨で、西山(中央アルプス)の雪が大分融けたようだ。入笠はどうだろうか。来週は2,3日江戸へ行く予定。

 Nさんも、ムラタさん(久しぶり!)も忙しそうですが、お元気で活躍されているようでなによりです。愚生は、何をやっても一人相撲か、などと滅入ることもありますが、まだもう少しは折れずに行きたいものです。













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