入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’17年「早春」 (17)

2017年03月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                          Photo by Ume氏(再録)

 きょうの写真、少し季節を進め過ぎてしまったかも知れない。まだ芽吹いてから日の浅い、幼い緑の葉に、露の滴が光る。実生からようやくここまで成長するには柔らかな苔や、湿った土の中にあった養分が助け、支えてくれただろう。かつては、森を賑わせた葉や、木々が年月を経て朽ち、土中に還り、また次の代のために新しい役割を担う。再生ということか。転生ということか。
 こういう自然界の生々流転は殆ど、誰も知らないところで起きている。去年行った、笹平沢の流れのそばに生えていたクヌギの老木も、あの谷の中を強い風が吹けばもうあの根では維持できず、今度行ったら精根尽きた老人のような倒木の姿が迎えてくれるかも分からない。しかしそれで終わるわけではない。そんなことはしょっちゅう起きている。やがて辺りに落ちていた幸運なドングリがヒョッコリト芽を出し、そして辛抱強く長いながい年月をかけ、成長していくはずだ。森も谷もそうやって続いてきた。これからも、人がおかしなことをしなければ、続いていく。
 
 たまには、いじくり過ぎた観光地を避け、誰も行かないような森に少数で出掛けてみるといい。原生林の深い暗い森や、飛沫を上げて流れる渓には、感動や、驚きがあるはずだ。特にこれから迎える季節は、そういう自然が向こうから待っていてくれる。
 
 
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    ’17年「早春」 (16)

2017年03月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 焦点のボケた何とも締まらない写真だと言われるかも知れない。しかし、この景色を実際に目にすれば間違いなく感動する。咲き始めた山桜、背景には5月の青い空と、中央アルプスの残雪の峰々が連なる。目に染みる。
 牧場にはたくさんの山桜の木があるが、中でもこの桜は好きな木の1本で、毎年花の咲くのを楽しみにしている。また、左手に見えてる空木岳の山容の方が険しく、主峰の駒ヶ岳よりもこの山桜を引き立てて見せている。このころには、里ではとっくに桜の花は忘れられているだろうが、標高差1千メートル、約1か月の遅れで、花の季節が追いかけてくる。

 ここまで書いたら、北原のお師匠から電話が入った。6月のコナシの花の咲くころに入笠へ、10名ばかりを案内して来たいという。本家・御所平峠から高座岩へ行き、北原新道を下り、テイ沢を夫婦ガ淵辺りまで案内し、そこで引き返し、入笠の山腹を車で巻いてヒルデエラ(大阿原)までのコースだと言う。昼飯の話になったから、たまには小屋を利用したらどうかと言ってみた。「お茶か味噌汁ぐらいは用意するから」とも。そしたら師には時代遅れの山小屋は全く想定外だったらしく、それで話がトントンと進み、決まった。
 お師匠はいろいろと気遣いの人だ。これまで何度となく人を案内してきたけれど、「当牧場を〝有料利用″する話は一度もなかった」と、そう、何かの時に冗談めかして弟子が言ったらしい。どうもそのことが頭の中にあって、即決してくれたようだ。
 幾らの金額でもない。それでも、そういう些細なことにこだわって、小屋もキャンプ場も守られていくのだという気持がある。大げさに言うなら、信念だ。当然、山小屋をお師匠様ご一統に利用してもらえれば、張り合いにもなる。
 私生活では、缶ビール1本がいくらかも知らない。当然、花も樹木も、鳥も星の名も知らない。音楽についても、知らない。そうやって過ごしてしまった。それでいて、牧場のことになると「信念」などという言葉まで出てくる。「執念」とか「妄執」とかの方がふさわしいかも知れない。
 
 贅沢な時を常念岳の麓で過ごした。ウン十年経ってもますます元気で健啖なご婦人3名、少し押され気味の元腕白少年3名、愉快でありました。ET子さん、メールありがとう。
 
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    ’17年「早春」 (15)

2017年03月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                          Photo by Ume氏(再録)

 まだまだ先のように思っているけれども、すぐに写真のような季節が来る。昨日のような寒の戻りで気を揉ませてくれても、自然は過(あやま)たず、裏切ることはない。
 そういえば昨夕、アオバズクのボウボウと鳴く声を今年になって初めて耳にした。春になると決まってやって来て主に朝、かなり長い間を不気味な声で鳴く鳥だが、慣れるとその声にも愛嬌・面白さを感じ、好きなだけ鳴かせておけという気になる。今年はどうしたのかいつもの「大崎様」の祠がある大きな杉の梢からではなく、どこか別の方角の、違う木から聞こえてきた。しかし気に入らなかったのか、すぐに声がしなくなった。

 これから安曇野の常念岳の麓近くまで出かけ、今夜は向こうに泊まる。新緑にはまだ早いが、中房温泉から引いている湯につかり、しみじみしようと思う。また、もしも冬の名残りが体内のどこかに潜んでいるようなら、ついでにそれも流してしまおう。
 牧場に通うようになればもちろん、入笠一途、今だけの自由に過ぎない。
 
 それにしてもこの新緑を写した写真、山の澄んだ明るい声が聞こえてくるようだ。
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    ’17年「早春」 (14)

2017年03月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(再録)

 背景には、雪を付けた西山(中央アルプス)の峰々が見えてるこの山桜、一目でどこにあるか分かる。牧場内には20本、30本では終わらない数の山桜があるがあるが、見応えのある大木や、古木は大概その場所を把握していると思う。

 昨年の開山祭の後、当山小屋で、市長を始め市会議員や行政、そして組合長や農協など、関係者が多数集まり懇親会が開かれた。下から酒や焼肉のセットが運び込まれ、それなりに盛大だった。その席で、何か言えと機会を与えられたので、便所の改善と拡張、それと取水の方法をぜひ検討してほしいと訴えておいた。
 管理棟の台所にはガラス窓がないままだし、小屋にも手を加えてもらいたい箇所があったが、それは農協の守備範囲、言わなかった。基本的かつ最低のことをしておいてもらえば、時代遅れの山小屋とキャンプ場は、それでちゃんと維持していけると思ったからだ。
 そのせいで、などとは全く思わない。しかし、いくらか行政の側でも入笠牧場についての関心や、動きがあるらしい。あるらしいが、そういった話はこちらには聞こえてこない。かろうじて風から聞いた囁きのようなものである。
 野生化の進んだ管理人など相手にしたくないだろう、それも分かる。だが、なぜ便所や、取水について訴えたか、その理由が充分に伝わっているか否か、不安が残る。考えもしなかった場所で勝手に工事でも始められたら、それこそクマのように吠え、噛みつくかもしれない。
 冗談はともかく、牧場は広い。守ることも、維持することも簡単なことではない。これに、観光が絡む。入笠は伊那にとっても、相当な観光資源ではあるが、だからこそよくと現場を見て、知ってから、何事であれ始めてもらいたい。

 きょうの美しい桜の写真、関係する各位には、その場所くらいは言えるようになってほしいという意図も込めて紹介させていただいた。ついでにもう一つ、大変に畏れ多いお願いだが、今年は小屋の使用料、いくらかでも頂戴するわけにはいかないでせうか。クク。 
 
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    ’17年「早春」 (13)

2017年03月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(再録)

 ここ二日ばかり、入笠牧場の宿泊施設を含め、観光について揺れる思いを書いてみた。そしたら、どういうキャンプ場や山小屋を理想とし、目指したいのかをもっと明確に述べてみろと、電話でだが言ってきた読者がいた。しかしそれを始めたら、とても1千字前後でまとめたり、詳述することなどできないと分かった。
 
 現在のことは知らないが、夏になると奥多摩には驚くばかりの数のテント村が流域の河川敷に出現した。一方、四国よりも広い面積を持つアラスカのデナリ国立公園は、人の入れる区域を地図上で40くらいに分割し、それぞれの区域において入場者を一定数以上は入れず、区域内の森や川には道も橋も含めて、人工物というものは何もなかった。
 どちらも極端な例だ。一方を受け入れる人は、もう一方に抵抗を覚えるかも知れない。混雑はあっても安全安心であればよしとする人は、人気の全くない森の中で、ヒグマに怯えながら夜を明かす方を選ぼうとするだろうか。逆に、森の中でひとしきら他人を避け、できるだけ文明から離れて過ごしてみたい人には、ヒグマよりも、街の雑踏がソックリ移ってきたようなキャンプ場の方に、尻込みをするだろう。
 そこで入笠牧場の場合だが、できたらちょっぴりだけアラスカ寄りでいきたい。ツキノワグマだがクマもいるし、行動範囲を広げればアラスカで見たような森や川が、まだ残っている。
 
 現代のような、利便性がまず最優先する社会では、人々は山の中でも、その暮らし方をあまり変えようとしない。結果、一言でいうなら、便利で手軽になった。快適になった。この傾向は今後も変わらないだろう。と言うことは、自然を愛好する人が増え、観光事業はさらに膨らむ。ますます人は自然の中にはびこり、跋扈し、逆にクマや鹿、その他の野生動物は追い詰められていく。
 しかし、それに対する妙案などない。どこへ向かって進んでいくのか分からないわれわれの文明と変わらない。ただそれでも、今だけでなく、何代か先の未来の人々のことも配慮したような、そういう自然を考え、残していきたいという気持ちは、及ばずながらでも、まだ少しある。
 
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