入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「夏」(20)

2021年06月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は鳥の声がしないと思っていたら、霧が晴れたら郭公の声が聞こえてきた。そしてまたすぐに鳴き止み、もうどこからも鳥の声がしない。昨夜の雷雨に鳥も放心でもしているのだろうか。
 一昨日、囲いを開放し、牛たちは自由に第4の放牧地へ出せるようにしてあるが、和牛を中心に10頭ばかりが移動しようとしない。そのうちの1頭が、咆哮した。確か、この和牛の群れは一度は囲いから出たはずだが、再び戻ってきてしまった牛たちだろう。
 臆病というのか、神経質な牛たちで、新しい環境に出ていくのが怖いようだ。牛本来の性格もあるが、集団でいるところを見れば、これまでの生育環境の影響が大きいという気がする。

 ようやく日が昇ってきた。いい天気になりそうだ。午前6時、気温10度、どうやらあの牛の鳴き声は仲間を呼ぶ声だったようで、先程まで見えていた和牛の姿が消え、ここからは1頭のホルスしか見えない。
 いや、囲いの奥の一番高い草地に1頭のホルス(No.20)とその親衛隊のような和牛(No.19)がいるが、このホルスは腹に子がいて、近いうちに里に下ろすことになっている。だから、囲いの中にいてくれた方が有難い。あの2頭の牛たちの分だけなら、あそこでも草はまだ充分にある。
 今のところ、一番懐いているのは和牛のNo.4だが、やはりこの牛も妊娠していて、中間検査で下牧が決まっている。和牛のNo.21は左後ろ足が少し不調のようだったが大分良くなったとか、同じ群れの中のNo.23
は異常なくらい警戒心が強いとか、入牧して半月もすると扱いやすい牛、扱いにくい牛の判断が付くようになる。

 古来稀なる歳を過ぎてなを、それでもこんな山の中で自然と動物を相手に一人暮らしを続けている。これは若いころに求めた生き方には違いないが、そう思えば思うほど、肉体を使い気も遣うこの仕事の、生産性のあまりの低さ、それに牧場ばかりか周囲の自然に関しても、これから先のことがどうしても気になってくる。
 いや、きょうもいい一日になるだろう。

 テイ沢の丸太橋、気遣ってくれるだけでも充分に有難く感じています。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(19)

2021年06月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                     Photo by Ume氏

 丸太橋を完成し、わずか1週間ほどで大雨に流された時も、泣くのを堪えた。しかし、この通信には泣けた。

丸太橋
おはようございます。
私たちがお邪魔する日まで待っていただければ橋のお手伝いします!
足手纏いになるだけかもしれませんが、応援はできるし、持っていろと言われれば丸太を抱きしめます。

 一度会って話しただけなのに、こんなことを言ってくれ、こうなれば何としてもあの丸太橋を直さなければならなくなった。ここでは多くの人たちが様々な方法で偏屈者を支え、助けてくれている。具体名を挙げたらどれほどの数になるのか、もちろんあなたも、あなたも、あなたもその中に入っています。
 
 昨日、走行距離3万2000と少々の軽トラが来た。この会社のこのくらいの中古の軽トラは、他の会社の新車と比べても決して遜色なく、どちらを選ぶかと訊かれたら迷わずこの中古車の方を選ぶ。それほど頼りになる車なのに、今では生産が中止になっている。
 何でも、生産するごとに赤字になるのだと同社の人は言っていたが、売る側が、車両価格を優位に決められる恵まれた立場にいたことに気付いていなかったのだろうか。他社の車より10万や20万円高くても充分に対抗できただろうに、農家の圧倒的な信頼と人気を裏切った経営者の判断には腹が立つ。市場の調査が充分にできていなかったのだろう。

 ともかく、10年くらいは乗った今までの軽トラにも愛着はあったが、今度のは比較にならないほど程度が良く、この車に丸太を積むのは少々気が引ける。とはいうものの、まずは2回くらいに分けて4本の丸太をヒルデエラ(大阿原)まで運ぶことにする。
 本当はそれから先が大変なのだが、前回のようにテイ沢の入り口までは1本づつ一輪車を使って運び、その後はやはり1本づつ担ぐしかないだろう。確か前回は上から2番目の橋の補修もあり、ヒルデエラの駐車場から現場まで6往復した。これが恐らく、テイ沢の丸太橋に関しては最後の仕事になると思う。

 五輪が開催され、それで感染者が増えれば、またもや飲食店での酒類の販売を禁ずるようなことになり、そうなれば一部の経営者が暴動を起こしはしないかと心配していた。そしたら、なんと五輪に限って、試合会場で酒類の販売が許可されそうだと聞く。破廉恥も極まれり、最早や血迷ったとしか思えない。しかも、組織委員長、知事、そして大臣もまるで他人事のように言うが、これを決める当事者意識は無いのか。
 不買運動を起こされる前に酒類のスポンサーは、五輪会場では自社製品の販売を自粛しますと、格好のいいところを見せなくては。しっかりしろ!
 kazuさん、通信ありがとう。また是非出掛けてください。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(18)

2021年06月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 うろこ雲、筋雲、青空と、きょうは雨だと思っていたのにそうではなかった。それに午前5時半、いつもなら目覚めは郭公のはずなのに、今朝はずっとウグイスの声がしていた。アイツは寝坊でもしたのか、そう呟いた途端、今ごろになって鳴きだした。いつもと変わらぬ牧の朝、日が昇り出した。牛たちはとっくに活動を始めている。

 昨日も1万2000歩ほど歩いた。距離にすると7㌔程だと携帯に付いている万歩計が教えてくれた。四国の八十八箇所を巡ると1千200㌔とか、日に30㌔から40㌔、その距離をひと月以上連日歩き続けなければない。鹿嶺高原まで往復しても25㌔だから、その過酷さが知れる。もうお遍路に出ようなどという気は失せてしまったが、それに比べたら7㌔など実に他愛のない話だ。
 7㌔で思い出したが、冬の間にしていた夜の散歩がやはり7㌔位だった。たまにその距離の一部を車で走ったりすると、たった2,3か月前のことでも昔の山行でも思い出すような懐かしさを覚える。
 冬が来て、山を下りたらまた同じことを繰り返すことになるのだろうが、あんなふうにボツボツトとひたすら歩き続けることや、その間に思い浮かぶ泡沫のようなあれこれが、日常の様々な出来事以上に印象に残っていて、あの散歩がなかったら5か月の巣ごもりなどは無かったような気さえする。
 
 大型トラックが2台やってきたと思ったら、どこで積んできたのか木材を満載して通り過ぎていった。あの人たちも早起きをして、長い一日の大半を車上でを過ごすのだろうが、それでもせいぜい2往復か3往復が精一杯だろう。戸台の崩落した山道が修復されれば、これほどの遠回りをせずに済むだろうに、それがいつになるのか分からない。北門は施錠されているから、その都度車から下りて鍵を開けたり閉めたりと、ご苦労なことだ。

 テイ沢の丸太橋、下から9番目、上からは1番目がこれまた修復を待っている。確認してはいないが、その旨の注意書きも誰かが出してくれたようだ。きょう、ようやく駄目にした軽トラの代わりが来ることになっているから、そうすればすでに用意してある丸太をヒルデエラ(大阿原)までは運ぶことができる。
 ただし、そのままにしておいた方がテイ沢は喜んでいるかも知れない。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(17)

2021年06月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は霧が深く、囲いの中の牛の姿がまだ見えない。日が昇ってきたからそのうちには晴れてきて、いつもののんびりと草を食む牛の様子が見えるだろう。鳥の声もする。さっきからよく聞こえてくるのは「トウキョウトッキョキョカキョク」のホトトギス、それにどこかの木の幹に穴を開けようとしているキツツキの立てる音、そしてその伴奏役のいい声で鳴く正体を教えない小鳥の声だ。それらがかわるがわる、時には一斉によく響き合って聞こえてくる。ああ、ウグイスもいる。
 見ている者の気持ちのせいだろうか、朝霧と夕暮れはどことなく違うような気がする。偶々そうだったのかも知れないが、昨日の夕霧は放牧地と林の境まで静かに降りてきてそこに留まっていた。今目にしている朝霧は満遍なく谷を埋め、窓を大きく開いたこの部屋の中にまで入ってくる。
 それぞれが、何かが終わる寂しさであったり、何かが始まる希望であったりと、まるで異なった感慨を味合わせてくれるようだ。(6月20日記)

 

 囲いの中の草が減ってきたので、きょうは牛たちを第4牧区へ出そうと思う。本当なら、入牧時に和牛だけは第1牧区へ追い上げておくべきだったが、馴化ができていないなどの理由でそうしなかった。生まれてから狭い牛舎の中だけで暮らしてきた牛たちにとって、あの追い上げ坂をいきなりは無理だろうとの判断による。
 牛の牧区移動の前に電牧だけでなく、通常の牧柵も点検修理のため見回らなければならない。牛たちの移動はその後になるから、早くても午後を回るだろう。明日から雨のようだから、とにかく少し無理をしても、いつでも牛たちを第4牧区に移せる体制だけは作っておかなければならない。
 
 この第4牧区にはいろいろな思い出がある。まるで青春を懐かしむように、それらのことを思い出す。いや、考えてみればあれは第2の青春のようなものかも知れないと、小入笠へと通ずる防火帯の急な坂を上りながら思ったりした。今まで気付かなかったが、ここにも御料林の石柱が残っている。
 時にはいろいろな人が手伝ってくれ、その中には音信の途絶えた人もいれば亡くなった人もいる。それでも、誰もが親しさと感謝を交えて思い出す。
 
 M田さん、久しぶりですね。元気でやってますか。他にも「いいね」を頂戴しましたが、中にはきっとあの人たちもいるだろう。多謝。
 本日はこの辺で。
 
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     ’21年「夏」(16)

2021年06月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝に、鳥の声を聞きながら日の登るのを待ちつつ茶を喫す、それとも更けてゆく夜の帳の中で無音の音を聞きながら強い酒を飲む、どちらがいいのかを一概には言えない。山の暮らしがいいのか、里の暮らしがいいのか、これも同じく甲乙を点けるのは難しく、とりあえず今は山に暮らし、早朝の山の気を感じながら一日を始めることに格別な不満や不便を感じていない。
 昨日、covid-19のワクチン接種を受けるため山から下りてきた。たった一夜を過ごせばまた山の生活に戻るだけだというのに、長い留守をするかのような錯覚に陥り、小屋の冷蔵庫の中の食料を気にしている自分を嗤った。
 ふる里を離れ都会で暮らしていた者が、たまさかの休みで田舎の実家に帰る時のような気持で山室川の流れる谷を下っていくと、あの悪路を春から秋までの7か月、毎日のように通っていた自分のことが他人のように感じられたものだった。それも15年にもなる。
 こういう年の取り方を選んだのは自分だ。それでも、気づかない何かの力が作用したような気がする。いや、そう思いたい。もうしばらくこうした暮らしが続けば、それで充分だと考えている。

 今から2時間ばかり前になる、ブスッではなくスーと第1回目のワクチン接種を受けてきた。配慮と統制の取れた会場は混雑もせず、受付、検温、問診、接種、待機などすべてが滞りなく整然と行われ、関係者の対応も丁寧で大変に良かった。
 周回遅れなどと、接種の遅れを諸外国との比較で識者からさんざん言われてきたこの国は、しかしいざとなればやはりかなりのことができるのだと、そんなことまで感じながらそぼ降る雨の中を上ってきた。

 接種を受けるに際して混雑を避けたかったから、街中を避けて久しぶりに天竜川の西岸に広がる段丘を走ってみた。雨にけぶる水田のずっと先の中央アルプス・西山は見えてなかったが、それでも南アルプスを背景にした東岸の盆地を含めて、伊那谷は本当に美しい所だとしみじみ感じた。「伊那谷」という名称は嫌いではない、好きだが、飯田線の列車から眺めた狭い範囲を指しているだけだということが、春日街道や大規農道を走ってみればよく分かる。

 雨が降っている。それでも鳥の声がする。クリンソウの花の季節もそろそろ終わる。小止みになったら昨日行った草刈りの片付けでもしようかと思いつつ、本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 

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