市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

フリマ中止を巡る未来塾と安中市・岡田市長のバトル・・・第8ラウンド(その2:未来塾会員らの陳述書)

2010-03-09 12:22:00 | 安中フリマ中止騒動
■続いて、未来塾のメンバーら2名の陳述書も、同時に提出されました。

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【甲第51号証】
陳 述 書
前橋地方裁判所 高崎支部 合議2係 御中
平成21年10月30日
      住所 ■■■■■■■■■■■■
      氏名 ■■■■■■■■■■■■
第1 自己紹介
 私は,平成元年から,「地域づくり団体未来塾」(以下,「未来塾」といいます。)の活動に参加し,当初から未来塾の■■■■を務めています。
 私は,今回問題となっている,フリーマーケットに関する安中市との意見交換会に,未来塾代表の松本立家及び■■■■の■■■とともに出席していました。
第2 フリーマーケットについて
 私にとってフリーマーケットは,世代を超えた交流の場でありました。回を重ねる毎に世代の違うボランティアの方々や出席者,そして来場者などに年に2回,会場でお会い出来る事がとても楽しみでした。それは私たちだけではなく,多くの皆さんの声としても聞いていました。ただ買い物をするというだけでなく,皆さんがいろいろな楽しみ方をもって会場に来られていました。同窓会をしているような光景も見られましたし,離れて暮らす親子がこの日だけ一緒に店を出すという話も聞いていました。そのような楽しみが得られるのも,このフリーマーケットの継続で培ってきた信用と信頼,そして地域の皆さんが一緒になって取り組むことで,楽しさを一層盛り上げ,楽しいお祭りへと創り上げてきたからこそです。
 私の家族も一家総出でボランティアとして参加していました。3人の子どもは幼い頃からお手伝いとして参加し,やがてジュニアボランティア会員として参加していました。同級生や普段の生活の中では会うことのない友だちと年2回,大人たちと一緒に自分の出来る仕事を精一杯取り組み,ボランティア活動を通して,人との関わり方や真のボランティアとは何かを実践の中から学んできました。今,開催が中止となり,小学校5年生の娘は,「また,みんなと会いたい,また一緒にフリマがやりたい」と言っています。
第3 フリーマーケットの会場使用申請
 私たち未来塾が行うフリーマーケットは,スポーツセンターイベント広場と米山公園を利用していました。
 スポーツセンターは,利用料については特段の規定はありません。使用する日にちや使用方法の調整にあたっては,同施設で開催される「体育館利用者調整会議」(各種スポーツ団体の代表と行政側とで利用日程を決定する会)に,文化イベント主催団体として参加し,行われました。平成1,9年3月開催の会議には,未来塾運営委員の■■■■,■■■■,■■■が出席しました。この会議で,各種スポーツ団体の皆さんや行政のご協力により,春の31回は6月3日,秋の32回は10月28日と決定していました。
 米山公園は,市に公園使用許可申請書を提出して許可を受ける必要があります。そしてこれまで,その許可の際に,市から使用料を免除されてきました。具体的には,未来塾のメンバーが申請書を特って行くと,安中市の職員から,記入・押印された下半分部分を切り取って渡されるのが通常でした。
 私は,平成19年8月,これまでと同様に,10月28日に開催予定の第32回フリーマーケットのため,公園使用許可申請書(甲23)を,安中市建設部都市整備課に持参しました。ところが,担当者は,「上から保留にしなさいと言われているので渡せない,保留したとしても結論がいつになるのかわからない」と私に言いました。そのため私は,仕方なく申請書を持ち帰らざるを得なかったのです。
 なお,岡田市長は,この訴訟で,第31回までは当会のメンバーで市議会議員でもある高橋が申請書を市役所に持参し,「今すぐ許可してくれ」と述べていた,などと主張していますが,全く事実に反しています。高橋議員が申請書を持って行ったことは一度もありません。
第4 意見交換会の内容
 意見交換会の内容は,松本代表が詳しく陳述書で記載している通りです。やりとりの詳細についても,ICレコーダーで録音したものの反訳がありますので,これをご覧いただければ,「談話」の内容がいかに事実に反し,また,被告らによって恣意的にまとめられたものであるか,お分かり頂けると思います。ICレコーダーの録音は,当時のやりとりそのままであって,一切改変は加えられていません。今回,訴訟に証拠として提出するため,ICレコーダーの録音をCDヘコピーする作業を,私が責任を持って行いましたが,その際にも録音データに改変は一切加えていません。
 意見交換会の内容については,私から,特に下記の点について述べます。
1 「目を見て話をしろ」と怒鳴った事実は一切ないこと
 松本代表も繰り返し述べていますが,会議の冒頭で,私たちが,「目を見て話をしろ」と怒鳴った事実は一切ありません。
 この意見交換会で,岡田市長は,松本代表と会話をしているのに,岡田市長から見て左に座っている松本代表の方を全く見ずに,右に座っている堀越総務部長・佐藤教育部長の方や,正面に座っている長澤建設部長の方を向いて,話を進めていました。私は,松本代表が真剣になって話をしているのにもかかわらず,全く代表の方を見ない岡田市長の態度が,とても気になっていました。
 そのため,意見交換会が始まって15分ほど経過したころ,松本代表が「市長さん,お話をしているのは私ですから,できれば私のほうに向いていただけると,お答えもしやすいんですが」とお願いしました。この松本代表の発言は,いつもどおりの普通の話し方であり,怒鳴ったり大きな声を出すといったものではありませんでした。これに対し,岡田市長は,「重箱の隅」などとの表現を使って答えたため,■■■が,岡田市長に対して,「でも,話をするときは人の目を見たほうがいいと思いますよ。」と諌めたのです。
 この際,私たち未来塾の者が大きな声を出したり,威圧的な態度で確認したことはありません。また,■■■が大きな声で「そうでしょう」と総務部長,教育部長,建設部長の順に3回指さしたということも全くありません。
 録音記録を確認していただければ明らかなことですが,重要なことですので,私からも改めて指摘します。
2 参加費の徴収と岡田市長の「露天商」との発言
 意見交換会では,募金活動に関する議論以外は,ほぼ全てフリーマーケットの出店者からの参加費の徴収に関する議論でした。
 岡田市長は「ボランティアならば無償でやるべきで,参加費を徴収すべきでないとの市民の指摘がある」との主張を繰り返し,話は全く平行線のままでした。
 意見交換会開始後約30分経ったころ,岡田市長は,「参加費を徴収しているのだから未来塾のフリーマーケットは露天商組合と同じではないかという指摘がある」などと発言しました。私たちは非常に驚き,私自身も,市長も何回かフリーマーケットに来て会場を見ていて,市長自身が露天商と感じたのかと質問しましたが,岡田市長は「そういうことを岡田が感じたかということではなく,市民の皆さんの声,指摘に対して行政が適切に答えるために伺っている」などと議論をはぐらかせ続けました。「意見交換会」とは名ばかりの会議と感じました。
 また,意見交換会開始後1時間10分ほど経った頃にも,再度この参加費の徴収に関する議論がありましたが,その中で,私は,安中市全戸にチラシを毎回出しているのに2000円の徴収を知らなかった人がいるのかと質問をしました。これに対して,その場で「知らなかった」と述べたのは岡田市長だけでした。長澤建設部長は知っていたと答えており,岡田市長の家族や長澤建設部長の家族がフリーマーケットに参加していることも,話し合いの中で触れられていました。
3 駐車場利用
 意見交換会の中では,スポーツセンターの駐車場利用の話も上がりました。
 岡田市長は,最初に,駐車場利用に関して私たちが「いっこうに決め事を守らない」などと,具体的な根拠も挙げずに非難しました。
 これに対して,私は,カラーコーンを置いたりに警備員やシルバー人材センターなどによって人員を配置したり,チラシなどで出店者に注意を促したりして,体育館(アリーナ)利用者の妨げとならないよう努力をし現場ではスムーズであったこと,そして,私だちと体育館との話し合いによって,午前10時以降はフリーマーケット利用者も駐車場への駐車が可能となっていたことを,説明しました。長憚建設部長仏「運動する人は朝一番で来るため,午前10時以降は空いていれば駐車場をフリーマーケットで使用しても良いことになっていた」という趣旨の発言をしていました。
 私は,第1回のフリーマーケットから,看板や指示標の責任者として取り組んできました。出席者の受付から,来場者の誘導,そして駐車禁止エリアの設置,駐車場への誘導等々,すべてスムーズに一日が行えるように工夫しました。
 しかしながら,その後岡田市長が作成した「談話」では,岡田市長の一方的な言い分が書かれているだけで,私からの上記の説明は一切触れられていません。
4 公園使用許可申請が不受理となったこと
 意見交換会開始後約1時間45分ころ,私は,先に述べた,平成19年8月に,私が公園使用許可申請書(甲23)を,安中市建設部都市整備課に持参したところ,許可が得られず持ち帰らざるを得なかった経過について説明しましたが,岡田市長はそれに対し何も答えませんでした。(私の説明に先だって,松本代表が「市長が(許可を出すのを)止めたんですか?」と聞きましたが,岡田市長は「そういうことにはお答えできません」と回答したのみです)
 ところが,その後になって,私たちが未来塾ニュースで「不受理」と表現したことを,被告らは,あたかも私たちが事実と異なる記載をし名誉毀損行為を行ったかのように主張し始めました。
 しかし,私が持って行った申請書が市に受理されなかったことは事実であって,先ほど述べたような過去の申請時のやりとりと今回の市の職員の発言内容からして,これを「不受理」と表現するほうがむしろ実態に合っているのは明らかです。
第5 おわりに
 私は,この意見交換会により,従来通りフリーマーケットが開催出来るものと信じ,話し合いの席に着きました。しかし,意見交換会とは名ばかりのもので,私たちが何を話してもその都度,岡田市長は議論をはぐらかせ,真剣に聞いたり話したりする様子は全くありませんでした。また,松本代表が真剣に話をしているにも関わらず松本代表の方を見ずに話を間くなど,端から見ていても何と失礼な態度だと思いましたが,未来塾のメンバーやボランティアの皆さん,そして開催を待ち望んでいる多くの皆さんの代表として,何としても公園の使用を許可して頂き,フリーマーケットを開催したいと願う一心で話し合いを続けました。しかし,願いや思いもむなしく,市側の意見や考えは一切伺えず,会場使用の許可も頂けないまま,やりきれない思いでこの日の意見交換会は終わりました。
 後日,意見交換会でのやりとりとは全くかけ離れたねつ造された内容の広報「談話」が,安中市全戸に配布されました。
 「おしらせ版」という公的な紙面に,「目を見て話をしろ(冒頭から怒鳴る)」などと,事実とは全く異なるねつ造された文章を掲載されたことで,私たちが被った精神的な苦痛及び失われた信頼ははかり知れません。
 これまで私たちの活動を理解し応援してくださった多くの皆さんも,ねつ造された文章が公的な紙面「談話」に掲載された事で,誤解し,未来塾という団体,そして松本代表をはじめとするメンバーに対して,失望や不安を抱いたと思います。
 私は「みんなと一緒に出来る事で,自分たちの住む街を少しでも良く,楽しく過ごせる街にしたい」という思いでこの活動に取り組んで来ましたが,今回の出来事で,長い間リーダーとして培ってきた私自身の社会的信用や信頼も大きく損なわれました。
 市民の人権を無視しそれに携わった多くの市民を陥れた事実を許さずにはいられません。
 一刻も早く真実を明らかにし,市民の皆さんの誤解を解くと共に,岡田市長のトップとしてあるまじき行為と行政の不公平な対応に対し強く責任を追及したいと思います。
 そして,長く続けてきたこの「フリーマーケットinあんなか」に,ボランティアとして参加し,学校や家庭では学べない多くの事を学び巣立っていった子ども達のためにも,この催しを復活させ,「みんなと一緒に出来る事で,自分たちの住む街を少しでも良く楽しく過ごせる街にしたい」を合い言葉に,地域づくりを続けていきたいと思っています。
以上

【甲第52号証】
陳 述 書
前橋地方裁判所 高崎支部 合議2係 御中
平成21年10月30日
      住所 ■■■■■■■■■■■■■
      氏名 ■■■■■■■■
         ■■■■■■■■
第1 自己紹介
 私は,平成17年から,「地域づくり団体未来塾」(以下,「未来塾」といいます。)の■■■■を務めています。
 私は,未来塾の代表である松本立家の■■であり,物心がついた頃から,家族とともに,「フリーマーケットinあんなか」(以下「フリーマーケット」といいます)をはじめとする未来塾の地域づくり活動に参加してきました。
 私は現在,■■■■■■■■■■に通学しながら,未来塾の■■■■を続けています。
 私は,今回問題となっている,フリーマーケットに関する安中市との意見交換会に,未来塾代表の松本立家及び■■■■の■■さんとともに出席していました。
第2 フリーマーケットについて
1 私は幼少の頃から,家族や同級生とボランティアスタッフとして,地域活性化を目的とした「フリーマーケットinあんなか」に取り組んできました。
 私は,フリーマーケットの当日だけではなく,それまでの準備などにかかわる中で,一つの事をみんなでやり遂げる素晴らしさ,積極的に自ら行動することの大切さを学びました。
 クラス委員や児童会役員など積極的に様々な事に挑戦し,中学生になってからは,自らボランティアスタッフとして参加すると同時に,小学生から中学生まで約70人のジュニアスタッフをまとめるリーダーを務めました。そのような積極的な幼少期を過ごせたのも,そして,今,私が法律家になる夢を持っているのも,「フリーマーケットinあんなか」においてのボランティアの経験があったからこそです。このように,私にとって,「フリーマーケットinあんなか」は単なるイベントではありません。今の私があるのは,この取り組みのお陰であると言っても過言ではないと思いますし,私の人格形成に大きな影響を与えた大切なものだったのです。
2 また,スタッフとして参加していた子どもたちにとっても,フリーマーケットは貴重な経験ができる場であり,自らが成長する大切な場であったのです。
 ボランティアスタッフとして参加した子どもたちは,普段ふれあう事のない様々な年齢の子どもだちと接し,一緒にスタッフ活動をすることで,縦の関係を築いたり,新しい友達を作ったりと,貴重な経験をしていました。また,自分の両親でなく,たくさんの大人と交流できるすばらしい機会でもありました。
 そして,みんなと協力して,一つの事をやり遂げる素晴らしさ,達成感を実感し,自分たちがこのフリーマーケットを作り上げることに誇りを持っていました。 このようなボランティアスタッフの経験を中学,高校受験に生かした子どもたちもいました。
 そして今,ひとりひとりが,色々な事に積極的に取り組み,頑張っていると聞いています。
第3 意見交換会の内容
 意見交換会の内容は,松本代表が詳しく陳述書で記載している通りです。やりとりの詳細についても,ICレコーダーで録音したものの反訴がありますので,これをご覧いただければ,「談話」の内容がいかに事実に反し,また,被告らによって恣意的にまとめられたものであるか,お分かり頂けると思います。ICレコーダーの録音は,当時のやりとりそのままであって,一切改変は加えられていません。
 意見交換会の内容については,私から,特に下記の点について述べます。
1 「目を見て話をしろ」と怒鳴った事実は一切ないこと
 松本代表も繰り返し述べていますが,会議の冒頭で,私たちが,「目を見て話をしろ」と怒鳴った事実は一切ありません。
 この意見交換会で,岡田市長は,松本代表と会話をしているのに,岡田市長から見て左に座っている松本代表の方を全く見ずに,右に座っている堀越総務部長・佐藤教育部長の方や,正面に座っている長澤建設部長の方を向いて,話を進めていました。私は,代表が岡田市長の質問に対し,真剣に答えているのにもかかわらず違う方向を見て,話をする岡田市長がとても気になっていました。
 そのため,意見交換会が始まって15分ほど経過したころ,松本代表が「市長さん,お話をしているのは私ですから,できれば私のほうに向いていただけると,お答えもしやすいんですが」とお願いしました。この松本代表の発言は,いつもどおりの普通の話し方であり,怒鳴ったり大きな声を出すといったものではありませんでした。
 これに対し,岡田市長は,「重箱の隅」などとの表現を使って答えたため,私は,私たちを話し合いに呼んだ責任者として岡田市長の非常識な態度に対して,岡田市長に,「でも,話をするときは人の目を見たほうがいいと思いますよ。」と申し上げました。
 私は,意見交換会の冒頭で自己紹介をした後,しばらくは発言せずに,岡田市長や市の職員,そして松本代表と■■さんが話しているのをずっと聞いていたのですが,岡田市長が私たちの方を向かずに話をしており,松本代表が「私のほうに向いていただけると,お答えもしやすいんですが」と穏やかにお願いしたにもかかわらず,岡田市長が「重箱の隅」などと述べたので,私はここで初めて,上記のとおり発言したのです。ですから,このときの事はよく覚えていますし,ICレコーダーにも全くその通りに録音されています。
 私たち未来塾の者が大きな声を出したり,威圧的な態度で確認したことはありません。また,被告らは,この訴訟になって,私がこの時に大きな声で「そうでしょう」と総務部長,教育部長,建設部長の順に3回指さした,などと主張していますが,私がそのようなことをした事実も全くありません。私も成人した社会の一員であり,会の代表の一人として責任をもってその場に参加していました。常識的に考えて,そんな失礼な事を行うはずがありません。
 録音記録を確認していただければ明らかなことですが,重要なことですので,私からも改めて指摘します。
2 岡田市長のいう「真のボランティア」について
 意見交換会開始後20数分が経過したころ,岡田市長は,出席者から参加費を集めることはボランティアではないという指摘が市民からある,などと述べました。
 そこで私は,平成19年5月21日付けで市の建設部長・教育部長名義で未来塾宛に来た「フリーマーケットの運営について」(甲22の1)にも「真のボランテア」と書かれていたことにも触れて,岡田市長に「真のボランティアという概念はどういうお考えですか?」と尋ねました。しかし,市長は,「こちらから伺っているところです」「伺っていることのみに答えて,それは後でにしていただきたい」などと議論をはぐらかせました。私は,意見交換会開始後約1時間10分が経った頃にも,再度,ボランティアは無償の奉仕という認識でいて,実際に自分たちは2000円の参加費を集めても自分たちの収入にはなっておらず,無償の奉仕であることを説明しましたが,岡田市長は議論をはぐらかせ続けるだけでした。
3 岡田市長が議論をはぐらかせ続けたこと
 私は,「意見交換会」という名の集まりなのに,岡田市長が「市民の指摘がある」と繰り返すだけで,市長又は市の意見を述べないことを非常におかしいと感じました。意見交換開始後約45分が経ったころ,私は,「意見交換会というのは,そちらがこちらに質問するばかりではなく,こちらが質問したことに答えていただかないとjと意見を述べましたが,岡田市長は「皆さんに強制される範囲ではございません」「(強制)してないんであれば,答えられません」などと突っ張り,私が「なぜ答えられないのですか」と聞けば,「市民の皆さんの指摘ですから」とはぐらかすなど,岡田市長は不誠実な態度をとり続けました。
 意見交換会の後半は,私も,意見交換会開催までの経過についてや,市民団体と地方公共団体との協働の必要性,未来塾のフリーマーケットの活動が無償のボランティアであること,市や市長に公正さが欠けていること等について,
 意見を申し上げました。その内容は録音記録の通りです。ところが,岡田市長は私に対して,「将来があるんですからねえ」などと威圧的な言葉を述べ,あたかも,私が行故に意見を述べれば,私の将来がなくなるか傷が付く,若者が行政に意見を言うな,と言わんばかりの岡田市長の態度に,非常に憤りを感じました。このような言葉を,話し合いの場で平然と発することが全く信じられません。
第4 意見交換会の録音
1 ICレコーダーでの録音
 私は,意見交換会の際,そこでのやりとりを録音していました。私たちが正確に記録を残そうとしたのは,松本代表が陳述書に詳しく書いている通り,意見交換会までの経緯から,私たちが岡田市長の態度に非常に不信感を抱かざるを得なかったからです。
 当時,ICレコーダーを持って録音を行ったのは私です。
 私が録音に用いたICレコーダーは,パナソニック製,RR-US470-Kという機種のものです。私はまず,このICレコーダーを,意見交換会開始前に,メッシュ製のペンケースに入れました。そして,そのペンケースを,ICレコーダーのマイク部分が上部にくるように縦にした状態にしました。その上で,A4サイズの書類が縦方向に入る大きさのナイロン製バッグの,上部の内ポケットに入れました。そして,そのバッグは,上部のジッパーを開放した状態にしていました。
 私は,市長室に入室して応接用のソファーに腰掛けた際,このICレコーダーの入っているバッグを,私の右側のソファーの上に置きました。私と■■さんの間の位置です。
 私は,ソファーの上にバッグを置き続けることが窮屈に感じられたので,意見交換会の途中で,このバッグを,ソファーの上から私の右足横の床上,つまり,私と■■さんの足の間に挟まれる位置に移しました。場所を移動しても,各出席者との距離も含め,録音の障害となるものはありませんでした。録音記録を聞いていただければわかるとおり,意見交換会でのやりとりのほとんど全てが,十分に録音できています。
2 岡田市長や市職員が記録を取っていなかったこと
 これに対して,岡田市長は,意見交換会の際,表紙が黒色の手帳を,ソファー机の上に置いたり,自身の膝の上に置いたりして,ほんの数回程度,単語程度の短いものをメモしていただけでした。それも,メモをとっていたのは,最初の募金活動についての話が終わるころまででした。
 また,市の職員が筆記を続けているといったこともありませんでした。
第5 おわりに
 今回,岡田市長の名誉毀損行為により,私たちは,とても大きな精神的苦痛を負いました。私自身も,「■■■■が市役所に怒鳴り込んできた」「市長を怒鳴った」等,全く謂われのない噂を立てられたりしました。
 今回自分の街を活性化していこうという私たちの活動が岡田市長に誤読・中傷されたことにより,将来的に同じような活動をしようとする人は萎縮するでしょう。つまり,岡田市長の今回の行動は,これからの若い芽を潰した事になるのです。
 私は,「自らが行っていることで自分の住む街が元気になっている」という誇りを持って活動してきました。その誇りを,今回,岡田市長によって傷つけられ,私は私の人格形成にとって大切なものを失いました。これは,私だけでなく,今まで長い間フリーマーケットのスタッフとして一緒に活動してきた子どもたちも同様です。
 今回の岡田市長の行動は,「市長」という権力を恚って市民活動を弾圧し,街の活性化を停止させるどいう,本当に酷い行為でした。絶対に許されることではありません。そして,真実が権力によって歪められ,子ども達の純粋な心が否定されるような事があってはならないのです。
 これからも,ここに住み続けるすべての人たちが,この安中に生活して良かったと思えるような街を作っていかなくてはなりません。
 なんとしても真実を明らかにし,一刻も早く正常な街に戻し,これからの安中の未来を支える若い世代の一員として活躍したいと思っています。
以上

【甲第53号証の1】
広報あんなか2004年7月号号ページ10
【甲第53号証の2】
広報あんなか2005年7月号ページ14
【甲第53号証の3】
広報あんなか2005年12月号ページ12
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【ひらく会情報部・第8ラウンド(その3)に続く】

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