世界の民話館1 こびとの本/ルース・マニング=サンダーズ/西本鶏介/TBSブリタニカ/1980年
ノルウエーの再話。
フレディが不思議なバイオリンを手に入れたのは、年寄りのこびとに、なけなしのお金をあげたことがきっかけでした。
このお金はけちんぼの長官のところで三年間一生懸命働いてもらったもの。長官はたったの3ペニーでフレディをお払い箱にしました。
お金をもったのが生まれてはじめてだったフレディが家に帰る途中にであったのは、年寄りのこびと。こびとの服がぼろぼろで、一ペニーをあげます。やがて二人目のこびと。
前のこびとより、やせていて服もぼろぼろ。ここでも一ペニーをあげます。さらに三人目のこびとは、前の二人よりももっとやせ衰え、まるで針金のよう。頭をかかえながらも、最後の一ペニーをあげると、そのこびとはダイアモンドのボタンをつけた緑色のビロードのコートを着た、太っちょのこびとになります。
こびとから三つのねがいをかなえてあげるといわれたフレディは、弾いている間じゅう、だれもが踊り続けられないではいられないようなバイオリン、どんな遠くても、ねらったものは必ず撃ち落とせるような小さくてすごい鉄砲、最後は、フレディが人に、なにかをたのんだとき、「いいえ」といえないようにしてほしいとたのみます。
これだけのものがでてくると、どんな展開がまっているか興味津々になります。
フレディが何かお願いしたとき、いやとはいえませんから、宿屋はタダでとめてくれ、仕立て屋からは立派な服を手に入れます。これもタダです。おまけに馬車屋からは、馬車も。
馬車を走らせていると、反対の方角からやってきたのは、かって働いていた長官。どうして立派になったのかときかれ、給料としてもらった3ペニーのおかげとこたえたフレディ。
ここで鉄砲をつかって百ポンドを手に入れますが、長官はフレディをつかまえ、死刑にするよう画策します。
絞首台にあがったフレディが、フレディ最後にバイオリンをひかせてくれと頼むと、首つり役人はバイオリンをフレディにわたします。なにしろフレディに頼まれると、誰もいやとはいえません。
もちろんフレディがバイオリンをひくと、人びとは踊りだし、踊りつかれて地面にたおれてしまいます。
そのまま、フレディはバイオリンをひきながら外にでていきます・・・。
願い事は、たいてい三つ。それがうまくつながっていきます。
フレディのお願いには、誰もイヤとはいえないので、長官に向かって死刑は考え直せというだけでよさそうですが・・・・。
お金よりも大事なものがあるということでしょうか。
語ると楽しそうですが30分は超えそうです。
巨人の本 世界の民話館5/ルース・マニング=サンダーズ 西本鶏介・訳/TBSブリタニカ/1980年
サンダーズはイギリスの小説家・詩人で各国の昔話を再話されています。
この話はデンマークの昔話です。
題名のなかに主要なものがでてきます。ハンスは主人公。ワインを飲んだものが重い刀を軽々と持つことができます。
お百姓の夫婦と息子ハンスがローマに向かって巡礼の旅にでかける途中、ハンスが三人の大男をからかって、大男に捕まってしまい、大男が王さまの娘をさらう手伝いをさせられます。
大男は城中のものをみんな眠らせることができるが、どういうわけか黒い小さい犬は眠らせることができません。犬がほえれば、みんな目を覚ますので、ハンスにその犬を撃ち殺してくれれば、命を助けるといいます。
城のなかに入ったハンスの目の前の壁には大きな刀がかけてあり、その下には、角製のワイン入れがあって、「このワインを飲む者こそ刀の持ち主、大胆にして勇気ある者、しっかりと刀をにぎるがよい。されば、娘の愛が、ほほえまん」という言葉がかいてありました。
夜中でみんなぐっすり眠りこけているなか、ハンスが最後の部屋で見たのは、美しい王女。ハンスは金の糸で刺繍したハンカチをふたつに引きさいて、片方をとり、金のうわばきの片方もポケットに入れます。
大男から門をあけるようせかされたハンスは、小さい門をあけ、大男が門をくぐりぬけようとしたところを、頭を切りおとしてしまいます。
やがて、両親と巡礼の旅をつづけたハンスたちです。
城では、三人の大男をころした英雄をさがさせますが、行方はしれませんでした。
王女はうわばきもハンカチも半分もっていったのは、自分を思い出すためにちがいないと、自分の見聞きしたことを王女に話すことを条件に、三日間ごちそうを食べることができるとおふれをだします。
そこに、くたくたになったハンス一行がやってきて・・・。
もちろん最後はハッピーエンドなのですが、ハンスと王女を結びつけたのは大男。
この話でも大男は、王さまにひどいめにあわせられたしかえしに、王女をさらおうとしますが、ハンスにころされ、前半ではハンスにからかわれたりと道化役です。
昔話では必ずといっていいほど、主人公を援助するおばあさんなどがでてきますが、そうでない場合は引き立て役でしょうか。
ものいうなべ/メリー・C・ハッチ・文 渡辺茂男・訳/岩波書店/1964年
昔話で日本と外国で違う一つが、兵士がでてくる話。日本で戦うのは武士、駆り出された農民ですが、外国には傭兵制度がありました。
傭兵の歴史は非常に古く、身分や職業が分化し始めた頃にはすでに戦争に従事して日々の糧を得る人々がいたようです。
古代ギリシア、ローマ、東ローマ帝国、イタリア都市国家が雇う例もあったといいます。
外国の話では、兵士は故郷にかえるところから始まります。日本では土地と結びついていますが、傭兵だったら故郷にかえるというのも不思議ではありません。
「はいのう」は、イメージが湧きませんが、皮や布で作った背中に負う方形のかばんで、軍人などが用いるとあります。1964年の出版で、いまはわかりにくいので、タイトルとして損?をしているようです。袋といってもイメージが違うようですが、ここでは袋とします。
戦争に勝ったのはいいが、国庫がからっぽになって、兵士がもらったものは、三枚の銅貨。
三人のおばあさんからめぐんでくれといわれて、一枚づつ銅貨をあげると、三人目のおばあさんが、とつぜん若い綺麗な娘にかわり、三つのねがいをかなえてあげるといわれた兵士。
よくがない兵士がお願いしたのは、丈夫で長生きできることと、入れと言えばなんでも袋に入り、でろといえば、なんでも袋からでてくるというもの。
宿屋では、袋の中から金貨をとりだし、入るとだれも生きてでてこられない部屋にとまった兵士。
ほんのすこしまつと、部屋に出てきたのは三匹のトロル。いずれもみにくく、目玉は火のように赤くて、手の指はかぎつめです。
兵士が「袋にはいっちまえ」というと、三匹のトロルはあっというまに袋のなかに、ごそごそもぐりこみます。
トロルは部屋のかまどにある宝物を守っていたのでした。
兵士は、宿屋の主人に、三人の力の強い男をつれてきてくれとたのみ、その男たちに、袋を鍛冶屋のところに運び込ませ、金づちで力いっぱいたたかせます。
さらに宿屋の主人に、部屋のかまどをたたきこわすようにいうと、その部屋からは、大きな壺にいっぱいの金貨がでてきます。
ここだけではおわらなくて、兵士は宿屋に長く泊まっているうちに、宿屋の可愛いむすめと一緒になります。
袋の中で金づちにたたかれたトロルでしたが、海岸で袋の中身をあけると、やまのような真っ黒いほこりとなっていました。
なけなしのお金を気前よくめぐんでやると、そのあとにはちゃんといいことが待っています。
子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱美:編訳/こぐま社/2001年
ものいうなべ/メリー・C・ハッチ・文 渡辺茂男・訳/岩波書店/1964年
日本の昔話は、各地に同じような話が存在します。
外国でも事情は同じだと思うのですが、それぞれの国の代表的な本が翻訳されているだけで、このあたりについて詳しく知ることはできません。
「ものいうなべ」は再話というのですが、おなじような話の「銅のなべ」と比較してみると・・・。
「銅のなべ」は、川を渡るのを助けた子が、男からもらったのは、三本の脚と柄は鉄、それ以外は銅でできているなべ。
この鍋が、母親と二人っきりで貧しい暮らしをしている息子を助けてくれます。
「おいらの出番だ、でかけるぞ!」という銅のなべが、地主のところからもってくるのは、おかゆ、銀貨。
「ものいうなべ」は、貧乏な百姓が牝牛を売りにいって、交換したのが三本足の鉄鍋。
このなべが「わたしは、はねてく、とんでいく」「山こえ、谷こえ、金持ちさんへ」と金持ちからもってくるのは、プリン、麦、そして金貨。
おわりは、どちらも鍋に翻弄されることになります。
早い話、鍋がいろいろなものを盗んでくる?のですが、貧しいというだけで、盗む行為が免罪されているように思うのは、考えすぎで、鍋の掛け声を楽しみながら聞く話でしょうか。
青い胸のコマドリ/魔術師のたいこ/レーナ・ラウラヤイネン・著 荒巻和子・訳/春風社/2006年初版
ノルウエイ、フィンランド、スエーデンにまたがる地域にすむという先住民サーメ人のあいだで語り伝えられてきたといいます。
闇の精カーモスが支配するところに、青い胸のコマドリが迷い込んで、卵を六個うみます。
コマドリは卵を寒さから守ろうと自分の羽をむしり取って、卵をつつみ、光の精ツオブガに卵が凍ってしまわないように頼みます。
光の精は、カーモスに卵をおおっているマントをわきによせてくれるよう頼みますが、カーモスは聞き入れません。
そこで光の精はマントをめがけて熱い息を吹き付けます。するとカーモスのマントは青い煙を上げてくすぶり、みるみるうちに燃え始め、東の空が金色や赤にそまってかがやきます。これが朝焼けのはじまりです。
カーモスが逃げ出したあとラップランドは山も平地も花でおおわれ、コマドリたちの歌声が響きます。
しかし秋がやってくるとカーモスが再びやってきて、光の精とのたたかいがはじまります。カーモスが追い払われるとラップランドには白夜の夏がきて、小鳥たちがかえってきます。
光の精とカーモスの戦いは毎年繰り返されます。
朝焼けだけでなく、夕焼け、白夜のようすが幻想的な物語です。
大人と子どものための世界のむかし話12フィンランド ノルウエーのむかし話/坂井玲子・山内清子・訳/偕成社/1990年初版
ハリーポッターシリーズにでてくる守護霊。
ハリーは牡鹿、ウイズリーは犬のテリア、ハーマイオニーはカワウソ、そしてダンブルドアは不死鳥と、これだけでもワクワクしたことがあります。
この守護霊がでてくるのがフィンランドの「王さまとふしぎなけらい」です。
これまで守護霊がでてくる昔話にであっていないのが不思議なくらいです。
王さまと若者がでてくるのですが、この若者が守護霊というのは、最後のほうであきらかになります。
贅沢をし、遊んでばかりいた王さまが、全てをうしない、国を逃げ出しますが、道端に放り投げられていた死人を、最後の3マルクをだして、丁寧に葬ってやったところからはじまります。
ぼろをまとった若者があらわれ、この若者に助けられ、一文無しですが、宿も食事もなんとかとることが
できます。
どこの家でも、王さまに宿をかしてほしいと若者が頼むと、その家はこころよく泊めてくれるだけではなく、お礼まで。
若者は、古い帽子(姿をかくしてくれます)、さびた剣、ふるいてさげ袋を手に入れます。
後半は、野獣に求婚されている王女を救い、結婚することになります。
さびた剣は、野獣の首を一瞬の間に打ち落とします。
王さまとうつくしいお妃の子どもが床をはいまわるほど大きくなったとき、若者は王さまにいとまごいします。
王さまはながいあいだつかえてくれたお礼をするために、望みのものをいうよう若者にいいます。
すると、若者は王子の首をいただきたいと答えます。
王さまは王子の首をはねるのですが、若者が姿を消すと、すぐに王子の首がもとどおりにつながります。
おわりで王子の首をはねる場面がでてきて、びっくりです。
説明がなく、いま一つ疑問が残ります。
7ひきのウマ/オクスフォード世界の民話と伝説9 北欧編/山室 静・訳/講談社/1978年改訂版
ガラス山のおひめさま/アスビョルセン・編/佐藤俊彦・訳/岩波少年文庫/1958年初版
ノルウエー「7ひきのウマ」に、三人兄弟がでてきて、「ちっとも働かないで、ただ炉端に寝転がって、灰の中をかきまわしているだけ」という末っ子がでてくる。
末っ子の表現で、どこかまぬけで、ぼんやりしているとかの表現があって、どうにもなじみにくい感じをしていた。
灰をいじる少年というのも親しみを感じなかった。
ところが、「ガラス山のおひめさま」にも、三人兄弟がでてきて、末っ子はアシュラッドと訳され、注に(灰をいじる少年)とあった。
訳者のあとがきで、おなじみのトロルとアシュラッドは、どちらもノルウエー民話の主人公として紹介されている。
日本語におきかえると違和感が出る場合があるが、灰をいじる少年というより、アシュラッドとしたほうがしっくりしそうだ。
三つめのかくればしょ/かぎのない箱 ボウマン、ビアンコ・文 瀬田貞二・訳/岩波書店/1963年初版
話すとなると30分くらいかかりそうな話。
こんな長い話が、口承で伝えられてきたのか疑問がのこります。グリムも違う話を組み合わせているので、これもそうした一つかもしれません。
前半は、何をしているかわからない若者が旅にでるところからはじまります。
いくがいくとお城で不思議なおとしよりにあいます。
おとしよりがお城の部屋の鍵をくれます。
その数24。どの部屋に入ってもいいが、24番目の部屋に入るとたいへんなことになるといいます。
豪華絢爛な部屋の描写が続きますが、このあたりは昔話にしては長すぎるところ。
大変なことが起きるといわれていたが、絶対に開けてはならんといわれた訳ではないと、自分を納得させて、24番目の部屋をあけると、目が海のように青く、髪がおどる日の光のようにこがねにかがやき、笑顔が南の風のようにあたたかいおとめがいます。
このあたりも描写がながい。
乙女と結婚することになりますが、いつのまにか乙女が姿を消します。
しかし、ふしぎなおじいさんが魔法の呪文もとなえると乙女が姿をあらわし、若者とかくれんぼをすることになります。
若者がおじいさんのおまじないのことばで、1回目はウサギのむねのなかに、2回目は黒クマのむねのなかにかくれますが、いずれも乙女に見つけられてしまいます。3度目は乙女のむねのなかに。
後半は、他の話にもみられるパターン。
描写がながく、小説を読んでいる感覚。大分手がはいっているようです。
塩とパン/お日さまと世界をまわろう/多賀谷千恵子・訳/ぬぷん児童図書出版/1992年初版
王さまと三人の娘。
王さまが三人の娘に、どのくらい自分を愛しているかたずねると、上の二人は「神さまのように敬っております」「自分の命のように大切に思っております」と答えるが、末娘は「塩とパンのように思っています」との答え。
王さまは、可愛がっていた末娘が自分のことをそのくらいしか思ってくれていなかったのかと、烈火のように怒り、娘を森におきざりにする。
ところが、別の国の王子が森の中で娘をみそめ、結婚することに。
結婚式に招待されたお客のなかに、末娘の父と二人の姉も同席する。
宴の席には、あらゆる種類の料理が並べられるが、そのどれにも塩気がなくパンもありません。
なにか足りないと問う父親に、末娘は、塩とパンの二つこそが何より貴重なものとこたえ、これを聞いた父親が、末娘の誠意を知ることに。
他の国にもこの話型があり、シェークスピアの「リア王」の出だしにもなっているプロット。
シェークスピア劇にでてくる多彩な人物やセリフの面白さはいうまでもありませんが、筋立てという点では、昔話によくあるものも多いようです。
とんまなハンス/ラング世界童話集4 きいろの童話集/西村醇子・監修/東京創元社/2008年初版
やりこめられないおひめさま/世界のむかしばなし/瀬田貞二・訳/のら書店/2000年初版
「とんまなハンス」「やりこめられないおひめさま」というと別の物語であるように思うが、同じ話型で、お姫さまのところにでかけた三人の兄弟の物語。
上の二人はしっかりものであるが、末の子はぱっとしない存在。
しかしお姫さまのところにでかける途中で、この末っ子が、カラスの死がい、木ぐつ、泥んこをひろい、これを使ってお姫さまをやりこめ、無事に結婚するという結末。
ラングの訳には、出典の記載なしとあるが、のら書店版にはノルウエーの話として紹介されている。
のら書店版は、兄弟の描写がほとんどないのに比べ、ラング版では、ラテン語の辞書をすっかり暗記している兄、都や町の法律を研究し、国の祭りごとに立派な意見をもち、おまけに手先も器用な兄という描写がある。
さらに、兄弟とお姫さまのやりとりの席に瓦版の編集局長と三人の記者が同席していて、このやりとりを瓦版にのっていた話として結んでいる。
リズムを感じさせるのは、のら書店版のほうで、末っ子が途中でひろったものについて、上の兄達とのやり取りが面白い。
ソリア・モリア城/世界むかし話15 北欧 ソリア・モリア城/瀬田貞二 訳/ほるぷ出版/1979年初版
ソリア・モリアの城/ラング世界童話全集9 みずいろの童話集/編訳 川端康成・野上彰/偕成社/1978年初版
たまたま読んでいたなかに、おなじ話があった。ところが同じ話なのにうける印象がまったく別。
ラングのほうがよみやすくなっていた。ラングが手を入れていたのははっきりしているが、これほど違う印象があるのも珍しい。
ただ、なかには首をかしげるような表現もあって、訳が複数ある話では、比較しながら自分のものとする必要をあらためて感じた。
(ラング版の出だし)
むかしむかし、ハルボアというむすこのいる夫婦がありました。ハルボアは、小さな子どものときから、仕事をするのがきらいで、灰のなかにすわって、灰をなでまわしていました。
(世界むかし話版の出だし)
むかしある夫婦に、ハルホールというむすこがいました。ごく小さいときから、その子はなにもしたがらず、ろばたにすわって灰をかきならしているだけでした。
この話の中に、鬼(ラング版)がでてくるが、(世界むかし話版)では、トロルというおなじみの表現になっている。この鬼が人間のにおいをかぎつけるところでは
(ラング版)「くんくん、キリスト教の信者のにおいがするぞ。」
(世界むかし話版)「ふんふん、ふんふん! なにやら人間の血のにおいがするぞ!」
「キリスト教の信者」のにおいというのは余分か。
無敵のミッコ/世界むかし話15 北欧 ソリア・モリア城/瀬田 貞二・訳/ほるぷ出版/1979年初版
タイトルがいま一つぱっとしないが、「長靴をはいたねこ」とおなじ話型の北欧の昔話で、長靴よりは、大分長くなっています。こうしたおなじような話型のものに出会う機会がなかったが、やはり同じような話型のものがあるということ。
親が亡くなって、こどもだけが残されるでだし。
父親が、けものをつかまえるワナを森にしかけてあるが、自分が死んだら、そのわなにかかったけものを家につれかえるように言い残す。
わなにかかっていたのはキツネ。「長靴をはいたねこ」のネコの役割。
キツネは王さまから、立派な衣装を手に入れ、ミッコがこれを着ていくと、姫君は、すっかりミッコにひかれる。
やがて結婚した二人が住む場所をみつけために、キツネはリュウがすむという豪華なお城にでかける。
途中で出会った、きこり、馬番、羊飼いをおどろかして、自分たちは「無敵のミッコの者です」といわせることに成功したキツネは、うまくリュウも退治することに。
キツネが去っていく最後がにくい。
このリュウがとぐろまきとされているが、なかなかイメージがわいてこない。また、キツネが、人々が小金をかくしておく、いなかの穴場や割れ目から、金貨や銀貨をさがすだすところがあるが、昔の人はこんなところに金貨などをかくしていたというのもわかりにくい。
ノルウエーの昔話/大塚勇三訳/福音館書店/2003年初版
「三びきのやぎのがらがらどん」は、山にふとろうと登っていくやぎが、途中トロルを撃退し、山でふとるという話ですが、最後はふとるのをやめないでいるならまだそこにいるという結末。
「青い山の三人のお姫さま」では、主人公とお姫さまの結婚式で、みんなが酔いつぶれていなかったら、まだまだ座り込んでお祝いし続けている。
「隣の母さんの娘に結婚をもうしこみたかった若者」も、若者とお姫さまの結婚式で、この結婚式がまだまだ続いているかもしれず、急いでいけばうまく間に合って花婿と乾杯し、花嫁さんとダンスを踊れるかもしれない。
「海の底の臼」では、臼が、今も塩を挽きだし続けている。
「体に心臓がない大男」でも、結婚式のお祝いの宴会が長く続いたが、それが終えていないとするとまだまだ続いている。
「草むらのお人形」では、もし死んでいなかったらいまでもまだ生きているよ。
いずれも現在進行形で終っていますが、余韻が続き、話の世界にひたることができそうです。
北欧の昔話のトロルは、こわい存在として登場しますが、どこか憎めない損な役割ばかり。頭がいくつもあったり、心臓がどこか別のところにあったり、おばあさんだったりと、これがトロルといえないところが面白い。話のなかでどのように恐ろしいのか具体的な描写はほとんどないまま、主人公の知恵で死ぬだけでなく、宝物を奪われたりします。
・トロルとうでくらべをした少年(子どもに語る北欧の昔話/こぐま社/2005年)
・体が大きく気味の悪いすがた。おかみさんがいます(トロルは男か?)
・主人公のラッセにだまされ自分のおなかを切り開いて死んでしまいます。
・宝物ももっていかれます
・リヌスとシグニ(子どもに語る北欧の昔話/こぐま社/2005年)
・大きなトロル女が2人
・命のたまごをわられ二人とも死んでしまいます
・金や宝物ももっていかれます
・屋敷こびと(子どもに語る北欧の昔話/こぐま社/2005年)
・身勝手な召使い頭をこらしめるちいさなちいさなトロル
・森でトロルに出あった男の子たち(ノルウエーの昔話/福音館書店/2003年)
・頭がアカマツの木のてっぺんに届くおおきさ
・三人で目玉をひとつもっているだけで、その目玉を額に開いている穴に順繰りにはめてあるく。
・おかみさんも三人でひとり
・金、銀を桶いっぱいにもっていかれてしまいます
・体に心臓のない大男(ノルウエーの昔話/福音館書店/2003年)
・心臓が、体とは別のところにもっている大男
・心臓の卵をつぶされて死んでしまいます
・ふたりの娘(ノルウエーの昔話/福音館書店/2003年)
・トロルのばあさんと娘(トロルには娘もいるのか!)
・このお話ではめずらしく死なない
・青い山の三人のお姫さま(ノルウエーの昔話/福音館書店/2003年)
・頭が三つと六つ、九つあるトロル
・頭を切られて死んでしまいます
話が魅力的であるかどうかは脇役の存在がかかせません。
「屋根がチーズでできた家」(スウェエーデン)(子どもに語る北欧の昔話/こぐま社/2005年初版)は、子どもを食べるトロル女が脇役であるが、このトロルの側からすると、主人公の兄さんに散々だまされたうえに、最後にはかまどに押し込められて焼け死に、さらに宝物ももっていかれる損な役どころ。
「三びきのやぎのがらがらどん」(ノルウエーの昔話/絵本/マーシャ・ブラウン絵 瀬田貞二訳/福音館書店/1965年初版)では、めだまがさらのようで鼻はひかきぼうのようにつきでた気味の悪い大きなトロルが登場します。
トロルは、やぎを食べようと思って、反対におおきいやぎのがらがらどんにばらばらにされてしまいます。ここではやぎを食べようとするのでやむをえない結末でしょうか?
(”がらがらどん”は岩波少年文庫版では”ブルーセ”と訳されています。)
二つの本では、どこか少しぬけたところのある感じがあって憎めないトロルがいて、はじめて話の魅力が伝わってくるようです。
お話には、鬼や天狗、魔法使い、妖精といった脇役が登場しますが、トロルは北欧の話に限られています
北欧の物語を読んでみると、さまざまなトロルが描かれているので、日本語に訳さないほうが雰囲気がつたわってくる言葉です。
親から子、孫と親しまれている「三びきのやぎのがらがらどん」の作者、マーシャ・ブラウンが2015年4月28日(96歳)に亡くなりました。
ずーっと愛される本を残していくことは、作者冥利につきるのかもしれません。