どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

オノモロンボンガ

2022年04月30日 | 絵本(昔話・外国)

    オノモロンボンガ/アルベナ・イヴァノヴィッチ=レア・再話 ニコラ・トレーヴ・絵 さくまゆみこ・訳/光村教育図書/2021年

 「ずっとずっと むかし、まだこのせかいが わかかったころ」と、はじまります。

 ある年、雨が全く降らず、大地がからからにかわいて川のも水がまったくなくなって動物たちはこまっていました。

 ある晩、カメが不思議な夢を見ました。夢の中に大きなうつくしい木がでてきて、これまでみたこともない おいしそうな実が いろいろとなっていました。ものしりのおばあさんに夢のことを話すと、まほうの木は 家の前の道をどこまでもあるいていったところにあり、実をもらいたかったら木の下で「オノモロンボンガ」といって、あいさつしなければならないと、おしえてくれました。

 カメが歩いていくと、つよいライオン、動物の中でいちばん かしこいというゾウ、足の速いガゼルが、自分にまかせてと まほうの木を目指しますが、ライオンは、アリづかに、ゾウは木にぶつかり、ガゼルは、ぬかるみに足を取られ、木の名前をわすれてしまいました。

 しかし、カメは、ゆっくりながら ちゃくちゃくと あゆみを すすめていき、まほうに木に たどりつきました。そして 噂を聞いて集まってきた動物といっしょに「オノモロンボンガ」、「オノモロンボンガ」、「オノモロンボンガ」と、くりかえすと、まほうの木が、バナナ、マンゴー、ナツメ、パイナップルなどをつけた枝を、ぐぐーっとしたまで おろしてくれました。

 そして、だれもがすきな実をたべることができ、このときにやってきた 動物たちがはこんだ種から、やがて いろいろな 果物が そだっていきました。

 アフリカ版「急がば回れ」でしょうか。

 「アフリカ南部のむかしばなし」とありますが、依然読んだ「ごちそうの木 タンザニアのむかしばなし」と、モチーフが同じで、再話のさい脚色したものでしょうか。作者はブルガリア生まれ。フランスで20年以上音楽教師をつとめ、現在はドイツ在住です。

 


       ごちそうの木 タンザニアのむかしばなし/作:ジョン・キラカ・作 さくま ゆみこ・訳/西村書店/2017年

 ティンガティンガ・アートというこれまでみたことのない独特の画風の絵本です。

 アフリカの昔話では「ん」からはじまる名前がよくでてきます。「ントゥングル・メンゲニェ」という木がでてきます。

 むかしむかし、日照りで食べ物がなくなった土地にたわわに実のなる木がありました。

 おなかがペコペコの動物たちは、かしこいカメに、どうやったら実が食べられるか、聞きに行くことにしました。
 小さなノウサギが名乗り出ると「大きな動物にまかせなさい」と、ゾウとスイギュウがでかけていきます。
 木の名前をおしえてもらったゾウが途中で転んでしまって、起き上がったときには、木の名前をわすれていました。
 小さなノウサギがまた名乗り出ると「大きな動物にまかせなさい」と、今度はキリンとサイ、シマウマがでかけていきます。
 ところがはらぺこのキリンが木の葉をたべているうちに、やはり名前をわすれてしまいます。

 次には、ライオンとヒョウがでかけますが、やはり同じでした。

 とうとうノウサギがでかけて「ントゥングル・メンゲニェ」という木の名前をわすれずに、かえってきます。みんなが、木の名前をいうと、実が雨のようにふってきます。

 それからは、動物たちはいつでも木の実が食べられるようになって・・・。

 大きくても何でもできるとはかぎらないし、小さくても大事な仲間だと動物たちはいいあいます。

 「ントゥングル・メンゲニェ」は、「びっくりするほどすばらしいもの」という意味だといいますが、いつでも恵みの実を落としてくれる木は、すばらしい木にちがいありません。


牡丹

2022年04月30日 | 日記

この時期、気がつくと、いつの間にか花が開花したり、木に実がついてきたり。

手入れもしていない牡丹も5年以上花が楽しめています。まだ芽がいくつも。

フジも、見ごろ。


竜王の玉(前編)(後編)

2022年04月28日 | 紙芝居(昔話)

   

    竜王の玉(前編)/脚本・松谷みよ子 画・藤田勝治/童心社/1998年(12画面)

    竜王の玉(後編)/脚本・松谷みよ子 画・藤田勝治/童心社/1998年(12画面)

<前編>

 どうじ丸という男の子が、いじめられているカメを助けると、次の日、連れていかれたのは竜宮城。カメは、おみやげに「竜王の玉」をもらうよういいました。

 どうじ丸は、うっとりとした三日間を過ごし、竜宮の玉を おみやげにもらい、家に帰りました。とうさんは、どうじ丸がいなくなったので 泣いて泣いて 目が見えんようになっていました。しかし、どうじ丸が竜宮の玉で 目をなでると 目はぱっちり あきました。

 二人暮らしだったどうじ丸と、とうさんが だきあって よろこんでいると、小鳥の声が聞こえてきました。どうじ丸が、竜宮の玉を耳にあててみると、天子さまが重い病気で、その原因は、どうまんというわるもののせいでした。

 これを聞いたどうじ丸は、京へでかけ、天子さまの病気を治そうとして、どうまんと術比べをすることに。

<後編>

 術比べのはじめは、紙を切り抜くこと。どうまんは 大蛇をつくり、どうじ丸は梅の枝を切り抜きました。大蛇が本物のように襲いかかかりますが、梅の枝にうぐいすがとんできて ホーホケキョとなくと、大蛇は、もとの紙に戻ってしまいます。

 どうまんが、箱のなかに、なにがはいっているかと問うと、どうじ丸は「ねずみが 六匹」と答えます。どうまんが、一匹だといいますが、ねずみが あかんぼうを うんでいたので 六匹はいっていました。

 つぎに、どうじ丸が竜王の玉を かざすと、海の水が部屋に押し寄せ、どうまんだけを 流してしまいます。

 どうじ丸が御殿の下から壺をほりだし、なかにはいっていた へびとがまがえる、なめくじが でていくと、みるみるうちに、天子さまのからだはよくなっていきます。

 どうじ丸は、天子さまにおつかえするように いわれますが、これを ことわって、とうさんのもとへ かえっていきます。

 

 前編、後編あわせて24画面というボリュームですが、次から次へと場面が展開していくので、時間を感じさせません。

 「浦島太郎」のでだし、「聞き耳ずきん」風ですが、富や名誉をもとめる結末でないのがさわやかです。竜宮城の滞在期間が三日で、家に戻っても昔のことでないというのが、つぎにつながっています。


あずき

2022年04月27日 | 絵本(日本)

     あずき/荒井 真紀/福音館書店/2018年(2014年初出)

 

 あんぱん、どらやき、おしるこ、あんみつ、さくらもちなど、あんこをつかったおいしいものが、ずらりと並びます。そして、おめでたい席にかかせない「お赤飯」、「お汁粉」も。

 あんこのもとは 小豆。種をまき、葉がのび、花が咲いて小豆ができるまでがリアルに描かれています。

 都市部では小豆の花を見ることはほとんどなく、食べているものが、見えにくくなっているのはないでしょうか。機会があれば子ども連れで畑を訪ねてみてはどうでしょうか。

 絵本にはありませんが、小豆の原産地は中国、朝鮮半島、日本で、現在日本で栽培されている品種は、二千年ほど前に、中国から日本に伝わったといいます。

 家庭菜園で小豆に何回か挑戦したのですが、できがさんざん。少しできたと思っても さやから豆を出すのが一苦労。苦労の割には少量しかできず、農家の方の努力に あらためて感謝です。


いろはに ほほほ ほっ

2022年04月26日 | 絵本(日本)

     いろはに ほほほ ほっ/かどのえいこ/アリエスブックス/2017年

 

"いろは"順に 言葉遊び。

角野さんのかわいい絵に ”ほっ”です。

自由自在な発想についていけたら、頭は柔軟な証し。

「とこやの とらねこ とことん しゃれて とさかを たてる」

「らっこの だっこ らっこのこ だっこっこう らっこっこう らっこのねんね」

 これは、早口言葉?

「きつつき つきを つく」

「しらない しるもんか おねしょなんか しらない」

「”ゑ”は むかしの えよ」

 たしかに 今の子はつかいませんね

 

声を出したい言葉の連続です。


フライングメジャー号 世界一周空の旅

2022年04月25日 | 絵本(日本)

    フライングメジャー号 世界一周空の旅/コヤマスカン/講談社/2021年

 

 山の高さや、建物の大きさ、遺跡のできた時代など、さまざまなものを測る装置がついた飛行船で、世界をめぐります。

 東京スカイツリーを出発し、万里の長城からはじまって、最後は富士山。

 タージ・マハル、セレンゲティ国立公園(タンザニア)、ギーザの三大ピラミッド、アテネのアクロポリス、ベネエチア、アルプス、エッフェル塔など。

 俯瞰した風景が丁寧に描かれ、大きさや歴史のあっと驚く豆知識がコンパクトにまとめられていて参考になります。

 これまで多くの世界遺産が指定され、いってみたいところも数多くありますが、ここに出てくるのはほんの一部。この絵本から、世界の様々な自然や歴史にふれるきっかけにもなりそうです。

 飛行船の乗組員を自然の風景に探す楽しみがあるというのですが、見つかりませんでした(笑)。


まっている。

2022年04月24日 | 絵本(日本)

     まっている。/村上康成/講談社/2020年

 

「まっている」 なにを?

男の子が、ウキを見つめて、魚がかかるのを待っている。

クモがていねいに巣をはって、トンボやバッタがかかるのを待っている。

花は、きれいな色と、とっておきの においで、ハチや蝶がとまってくれるのを、まっている。

サンショウウオは、しずかに アユがやってくるのを、まっている。

セミは、土の中で ずーっと、空を飛ぶ日を待っている。

オオミズナギドリは、なぎの海で、潮が 動き出すのを待っている。

シカの子も、茂みの中で おかあさんが もどてくるのを まっている。

あ! きた。「にげられちゃった」

待っている時間もそれぞれ。一瞬だったり、何年もだったり。

「まつ」のは、次の飛躍の準備。次には何が・・・。

 

はじめに、アカショウビンが キョロロロロロ キョロロロロロ とないて、まっているのは 何だったのかな。

 

ゆったりした時間が流れています。いつも追われるような生活の中で、かけがえのない時間を見つめなおします。


なきたろう

2022年04月23日 | 絵本(昔話・日本)

     なきたろう/作・松野正子 絵・赤羽末吉/復刊ドットコム/2017年

 

 なきたろうは「ふんぎゃあ」「ぐえんぐえん」「うわーん」「うわあああ~=~~!」と、いつも なみだを ぶっとばして ないていたが、てんぐとの「なきくらべ」で、負けた天狗の団扇で 山こえ、谷飛んで どっさーんと落ちたのは、山ん中。そこに ちびこい ちびこい 人たち。

 なきたろうに泣かれると、涙で村が流されてしまうと、ちびこい 人たちが船に乗ってにげだしました。なきたろうが見ていると、「ああーん」と、赤ん坊の泣き声。このまま泣いたら、船が沈んで みんな死んでしまう。

 はらに力を入れ、ぐううーうんと なくのを こらえた。とーー、ぐぐーんと たろうのせいが のび かりんかりんの からだが、ぐいっと ふとった。

 また泣きそうになるのをこらえと、ぐぐっと のびて、ぐいっと ふとる。なきそに なるのを こらえる たんびに ぐんぐん、ぐいぐい、 でっかくなって、とうとう おとなの ばいほどに なった。

 もう泣かないから 安心しろと いおうとすると もうだれもいない。

 村へ帰った なきたろうが ちびこい 人たちが 言っていた三本松の 根元を掘って でっかい石を ほりおこすと 石をのけた穴から、ごぼり ごぼりと 水があふれだし、村のため池に 流れだした。それからは、どんな日照りが続いても、村は水に困ることはなかった。

 

 なきたろうも泣かないようになりたいと思ってはいるのですが、そう思うだけでまた泣けてしまいます。
 そんな なきたろうが ちびこい 人を思い、生まれてはじめて 泣くことをガマンできました。困っているひとへの思いやりが たろうを 成長させてくれました。

 

 松野さんの語り口といい、ダイナミックな赤羽さんの絵が 素敵です。

 泣き虫の子に読んであげたら 自分の泣き虫は たいしたことないと思うのは まちがいありません。


もしものせかい

2022年04月22日 | ヨシタケ シンスケ

     もしものせかい/ヨシタケシンスケ/赤ちゃんとママ社/2020年

 

 「もしも あれが うまくいってたら」「もしも あちらを えらんでいたら」「もしも あのひとが そばにいたら」には思い当たることも多い。だが、過去のものとおもっていると、どちらかといえば現在に軸足をおいているようです。

 具体的なものはでてこないので抽象的な思考が必要です。

 「いつものせかいから もしものせかいに あるばしょが、いるばしょが かわるだけ」「きみのみらいに なるはずだったものが、そこには みんなある」「いつものせかい」と、「もしものせかい」。二つのせかいを 「ゆっくり、ゆっくり」「だいじに、だいじに」「おきく おおきく 」「たのしく たのしく、していこう」と結ぶのですが・・。

 現在はいくつもの選択肢から、一つを選ぶ連続。ただいくつもの選択肢がテーブルに乗っているかは疑問です。そして、その人がおかれた状況によっても「もしも」の世界もかわります。

 「もしも」の世界は、これまで切り捨ててきたものの集合体とおもっていたら、そうではないのでは?という問いかけに ぎょっと しました。


遠距離通学?

2022年04月21日 | 日記

 朝、午後と小学生の登下校にであうことが多い。

 集団登校で、始業時刻には 早い登校。ちょっと気になるのはその通学距離。ずいぶん遠いところから登校している。30分以上かかる距離もありそうで、新一年生には大変そう。

 さらに小学校の統廃合も拍車をかけそう。今年一校が閉校。すぐではないが、さらに小学校の統廃合、おなじく中学校も。人口減で、子どもの数が減少しているのでやむを得ないところもあるだろうが、少人数には少人数の良さがあり、選択肢が廃校だけというのもさびしい。

 中学生は、ほとんどが自転車通学。それだけ距離があるということ。この距離がさらにのびることに。

 行政が子育てしやすい環境を整備しても、どうにもならないというのなら統廃合も必要になるかなと思うが、そうしたことにはほとんど力がいれられていない。

 自分が小さいころには、近くに学校があった記憶がある。今の子は、小学生から大変。


ちょっと早いタマネギ?

2022年04月20日 | 日記

露地もののタマネギ。今年は、いつもより一か月弱早い。といっても大きさはバラバラ。

必要な時にすぐにとれるので便利。


火をぬすんだウサギ

2022年04月20日 | 絵本(昔話・外国)

   火をぬすんだウサギ/宇野和美・再話 パブロ・ピシック・絵/玉川大学出版部/2022年

 

 アルゼンチンの先住民ウィチーのおはなしとありました。

 

 むかしむかし、ジャガーが大切な火を独り占めしていました。

 としよりのサルが火をわけてくれるよう頼みにいきますが、ジャガーに、一喝されてあわてて逃げ帰りました。

 ちからずくで奪い取ろうとしても、盗もうとしても、ジャガーにはかないません。

 モグラのツコツコが、長い長いトンネルを掘って、火のそばにいきますが、あと少しのところで、音を聞きつけたジャガーに、顔を殴られてしまいます。

 つぎになのりでたのはウサギ。ウサギが、釣りが得意なサギに 魚を何匹かとってもらい、それをおみやげにジャガーのところへでかけます。「火であぶったら ほっぺたが おちるほど おいしくなる」といって、魚を火であぶりはじめます。うさぎはゆっくり じっくり やいていきます。そしてジャガーが うとうとしはじめると、そのすきに、赤くもえている火を 魚の尾に移し、火をつつみこむように 魚を たたんで あごのしたに はさみ、だっと かけだしました。

 その気配で、ねむりかけていたジャガーが、目をさますと、焚火の上で 魚がおいしそうにジュージューやけています。けれどもよくみると、かけていくウサギのあごのしたから 煙がでていました。騙されたとおもったジャガーがウサギを追いかけていくと、ふるえあがったウサギは、火のついた魚をぽーんと草むらに放り投げました。すると、かわいた草が燃えあがり、風にあおられ、火はもえひろがります。ジャガーが火を踏み消そうとしましたが、木から木に 燃えうつります。それをみた動物たちは、木の枝に火をうつして、もちかえります。

 

 むかしから、ほかの人をかえりみず、富や力を独り占めしようとした人のなんと多いこと。力を過信すると とんでもないことに!。


トスカのおくりもの

2022年04月19日 | 絵本(外国)

     トスカのおくりもの/マシュー・スタージス・文 アン・モーティマー・絵 おびかゆうこ・訳/講談社/2022年

 

 ねこのトスカは だれにもじゃまされない しずかな 場所をさがしていました。

 掃除機が音でうるさく外に出てみると、生け垣の上に 鳥の巣。ヒナのなきごえがうるさいので 池にいくと カエルの 水しぶきで ぬれそう。

 ロジャーといっしょに、小屋にいくと、そこは 静かです。

 やがて夜があけ、朝になると、物置小屋の戸が開き、トスカに、素敵な知らせが待っていました。

 

 ねこと花。リアルに描かれたねこは、ネコ好きには たまらないでしょう。内容は物足りないのですが、絵を楽しむ絵本でしょうか。


なんとなく

2022年04月18日 | 五味太郎

     なんとなく/五味太郎/絵本館/2011年

 

パン屋さんが なんとなく 自転車をつくった

インタビューのひとが なんとなく 道路をはいた

デパート帰りのひとが なんとなく 表彰台にあがった

恋人たちがなんとなく ボクシングをした

お巡りさん、強盗、買い物の人、文豪・・・

 

「なんでかしら?」と聞いても「なんとなく」

 

どうでもよさそうなことが続きますが 熟慮?すると意味深です。

「小太りの人が綱引きをする」のは、ダイエットのため?

「秘書が水着になる」のは、日ごろのストレスを 解消するため?

 

何かしら理由をつけようと思うと、それなりに解釈が自由ですが なんとなく 流していいことも多いか!

肩の力を抜いて 自然に!


奈良の早起き・・奈良

2022年04月17日 | 昔話(関西)

          奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 むかし、奈良のシカは神さまの使いやゆうて、えろう とうとい生き物。もしシカを殺しでもしたら「石子づめ」にされることになっていたという。「石子づめ」というのは、生きたまま土の中にうめられて、おまけに石をぎょうさんのせられるのやな。

 あるとき13になる男の子が、寺子屋で習字の稽古をしているとき、シカが習字の紙をムシャムシャ食べているのをみて、びっくりさせようと、文鎮を投げると、運悪くシカが倒れてしまい、生きたまま土の中にうめられてしもうた。こんなことがあるので奈良の人は、シカが死んでいるのを見たら、えらい怖がっていた。

 ある冬の寒い日、春日神社にいく参道のお店の前に、シカが死んでるやないか。びっくりしたお店の人は、これは大変と、シカをひっぱって隣の家の前に置いた。しばらくして、隣の人が起きだして店の戸を開けるとシカが死んでいたので、この人もえらいびっくりして、この人も隣の家の前にそのシカを置いた。その隣の人も、また隣の人もみんな同じようにした。

 それでいちばん遅くまでねている、ねぼうすけが目をさますと、その家のまえに死んだシカがいたので、役人がやってきて連れていかれたという。

 こんなことがあったので、むかしから奈良の人は、みんな早起きという。

 

 「死体」をたらいまわしにする話は外国にもありますが、結末はさまざま。