かさとながぐつ/二宮由紀子・文 市居みか・絵/瑞雲社/2019年
梅雨にはまだ早いのですが、雨の日を楽しみます。
かさとながぐつ/二宮由紀子・文 市居みか・絵/瑞雲社/2019年
梅雨にはまだ早いのですが、雨の日を楽しみます。
い ろ い ろ か え る/きくち ちき/偕成社/2021年
食べるのが すきな緑色のかえる。跳ねるのがすきな黄色のかえる。おどるのがすきな桃色のかえる。泳ぐのすきな青色のかえる。歌うのがすきな橙色のかえる。
色もちがい、すきななことも違う兄弟。夕陽をあびて歌ったら、みんなも一緒に大合唱。黒と銀色の とうさんかえると、かあさんかえるがやってきて、やがて 夜。星はいろいろ輝き、みんな丸くなっていっしょにおやすみです。
花とおどったり、夕陽をあびて歌ったりと かえるたちも 色も躍動しています。全部塗りつぶすのではなく、白抜きが効果的。場面場面の かえるたちの構図も楽しい。
客席300ほどの劇場で開催された紙芝居公演を見ました。
通常の10倍というおおきさの紙芝居、生の音楽の演奏がついたもの。
演目は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」「セロひきのゴーシュ」「やまなし」と、あまんきみこの「こがねの舟」で、2時間ほどでした。
電車の関係で、開場直前に劇場につきましたが、おどろいたのは観客の多さ。この公演は、午前、午後の2回で二日間。紙芝居というと地味な感じがして、音楽の演奏がついているとはいっても満席だったことに驚きました。
紙芝居で原作がある場合は、ほとんどが紙芝居用に脚本化されるので、どんなふうに演じられるか興味のあるところ。時間の関係でたいていは短くなっていますが、それが原作者の意図を十分に反映しているかは、それぞれの判断。
よく知られている作品では、それぞれのイメージがあり、そのイメージと音楽があっているのかも さまざま。「セロひきのゴーシュ」は、内容からして楽しめましたが、「注文の多い料理店」の音楽は、ちょっと うるさい感じでした。
おさるの こうすけ/武田美穂/童心社/2017年
まおちゃんは、おともだちと祭りに行くことになってややゆうつ。どこへでもついてくる「おさるこうすけ」ってよぶ弟こうすけが ついてこないか悩みの種
まおちゃんが、おかあさんに おこずかいをねだっていたら テーブルの下から 声がした。お母さんと お祭りにいけばいいのにというと、「わるいけど、おねえちゃん・・」と、お母さん。悪い予感があたって、弟と祭りにいったが、うろうろ ちょろちょろ ちっとも楽しくない。
人ごみの中で、弟の手を離したらと とってもいけなくて、すてきなことを 思いついたまおちゃん。
手をはなしたとたん弟はどこかへ。
「あれ?こうちゃんは?」「・・いなくなっちゃった・・」
お祭りに一緒に行ったともだちも、弟を探す手伝いを・・。
いつもは うるさく感じる弟も、いざいなくなってみると・・・。誕生日に絵を描いてくれたり、雪の日熱を出したら雪だるまをつくってくれた、弟のいいとこを思い出すと、心配になって、泣き出す まおちゃん。
上の子が、下の子の面倒をみられるのは ほんの一時期。性格は姉弟でも微妙。
「おねえちゃんてば、まいごに なるんだもん、ぼく さがしちゃったよ。くろうしたよ」と、うそぶく? こうすけ。やっぱり末っ子のセリフです。
佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年
むかし、兄妹が、二番がくさん(二番目のおかあさん)に、マメをにていた大釜につきおとされ、かわいそうに死んでしまいました。ふたりは、裏薮にうめられましたが、そこから一本の青竹が芽を出してのびました。
ひとりの虚無僧が兄妹のうちの前で尺八を吹いていたが、はたと音が出ない。裏の竹藪を見ると、そこに一本のいい青竹があった。その青竹をゆずってもらい、尺八を作ってみたら、前よりもいい音が出た。
この虚無僧が京のはたごのまえで尺八を吹くと、京の町へ商いに来ていた兄妹のとうちゃんが聞くと、「おとっちゃん、京のすずりも何になろう。おとっちゃん、京のかがみも何になろう。まま母おそろし、チンチロリン。」とすすり泣きする、我が子の声が聞こえてきた。京のみやげに、兄はすずり、妹は かがみをほしがっていました。
とうちゃんはいそいで家に帰ったが、わが子の姿がみあたらない。二番がくさんがいうには、はやり病にかかって死んだという。四、五日たって、裏の竹藪にいってみると、根元から一尺ばかりのこっていた竹の中から、「おとっちゃん、京のすずりも何になろう。おとっちゃん、京のかがみも何になろう。まま母おそろし、チンチロリン。」と、京で聞いた虚無僧の尺八の音色と おなじ、わが子のすすり泣く声が聞こえてきた。
昔話には、悪役?のまま母がよくでてきますが、”二番がくさん”とよぶのは、はじめて。
継母があれば継父もありますが、こちらのほうはほとんど見たことがありません。同じように後妻があるなら後夫もありそうですが、こちらもみたことがありません。
へんてこ たまご/エミリー・グラヴエット・作 福本友美子・訳/フレーベル館/2016年
フラミンゴもにわとりもフクロウも、鳥たちはみんなたまごをあたためています。たまごがないのは カモくんだけ。でも、とっても大きな、水玉模様のきれいなたまごを見つけました。でもみんなは「へんてこたまご!」「かわいくない」「は、は!」と、みんな わるくちばっかり。
やがて、みんなのたまごにはヒビが入り、次々にかわいいヒナたちが生まれます。たまごがわれて ヒナがかえるところが 仕掛けになっていて、小さいヒナから だんだん 大きなヒナが・・。
それでもカモくんのたまごはかえりません。たまごに背をもたせかけながら、編み物をするカモくん。まって まって ピシッ パリッと おとがして うまれたのは びっくり・・・?
うまれたヒナが、「ママー」と おいかけるのは 裏表紙の見返し。
カモくんのたまごが 音をだしはじめると 鳥たちも興味津々ですが、見ている方も ワクワクドキドキ。
たんぽぽのたね とんだ/すずきゆりいか・文 ごんもりなつこ・絵/福音館書店/2024年(初出1993年)
たんぽぽの種の旅です。風に吹かれ、チューリップをこえて、石の上に落ち、またたかくのぼって、地面に落ちて・・・。
野草と、チョウ、テントウ虫と春を満喫できる絵本です。葉っぱの一つひとつ、花が丁寧に描かれ、写真とは一味違った感じです。地面に近い目線で 見た目以上の奥行です。
散歩しながら、道端にみられるたんぽぽで 命のつながりについて 会話が はずむかもしれません。
春と言えばフジの花が見ごろ。ブルーベリーも花いっぱい。
わらのうし/脚本・八百板洋子 絵・日柴喜洋子/童心社/2024年(12画面)
ウクライナの昔話。絵本も出版されています。
むかし、まずしいおばあさんが、おじいさんに「わらで牛を作り、タールを いっぱい ぬって」くれるようおじいさんにいいます。
いったんは、ばかばかしいというおじいさんでしたが・・・
翌朝、おばあさんは、藁の牛を連れて丘のうえの草原にいきました。おばあさんが、うとうとしていると、クマがやってきて 牛に襲いかかると、クマはタールをぬった 藁の牛に くっついてしまい うごけなくなりました。おばあさんと 牛が クマをひきずってきたので おじいさんは びっくり。いそいでクマを穴蔵に 放り込みました。
次の日、またおばあさんが草原に 連れていくと、今度はオオカミが牛にくっついてしまいます。三日目もおなじように、キツネが牛にくっついてしまいます。
クマ、オオカミ、キツネでいっぱいになった穴蔵のそばで、おじいさんがナイフを研ぎながら、クマの皮でマントを作ろうか、オオカミの毛皮では、りっぱな ぼうしができる、ばあさんの襟巻には キツネの毛皮がいちばんあたたかそうだなと、独り言をいうと、クマはハチミツを、オオカミは羊を、キツネは にわとりとがちょうを連れてくるから逃がしてくれいいます。
クマ、オオカミ、キツネは ちゃんと 約束を 守りました。
最後の画面は、全員が笑顔。
ジャータカものがたり はじめての ともだち/中川素子・再話 バーサンスレン・ボロルマー・絵/小学館/2019年
むかし、インドの王さまが アーナンドという ゾウを飼っていました。アーナンドが 活躍できるのは お城の儀式のときだけ。立派なおうちに住み、おいしい食事をあたえられ なに不自由なく くらしていましたが、ぜんぜん元気がありませんでした。
ある日、いっぴきのやせこけた 犬が迷い込んで、アーナンドの のこしたご馳走を ガツガツと 食べてしまいました。アーナンドははずかしそうにいいました。「ちょっとしか なくて ごめんね」
アーナンドから文句をいわれるとおもっていた犬は、ゾウが あやまるのを きいて、おもわず わらってしまいました。城の中だけでくらしていたアーナンドは、「町が全部 俺のいえさ」という、捨てられた犬に 町の様子を聞きました。
つぎの日、肉をあさっていて 店の人に たたかれ 傷だらけになった犬は、いつのまにかゾウのところへきてしまいました。傷だらけになった犬を見て 泣き出したアーナンド。「友だちが いたがっているのに、なかずにいられないよ」。一緒に暮らそうというアーナンドに、犬は ちいさくうなずきました。ゾウの提案で、ナンディンという名前をつけた犬は、いつもいっしょに 鼻でブランコ遊びをしたり、池で水のかけっこをするようになりました。その様子を見ていたゾウの世話係も、肉をもってきてくれるようになりました。
ある日、村の人が 番犬にするから ナンディンをくれと、お金をさすだすと、世話係はナンディンを わたしてしまいました。とりもどそうとしたアーナンドも、門にかぎを掛けられて、どうすることもできませんでした。それからアーナンドは 何も食べずに やせ衰えました。それを心配した王さまが、大臣に しらべさせました。
やがて、王さまは お触れを出したので、村びとは ナンディンを逃がしました。ナンディンは はしりにはしって・・・。
おしゃかさまの前世の話を547あつめたのがジャータカ物語。27番目の話を絵本にしたもの。
にひきが 遊んだり 再会するシーンの絵が、とても楽しそう。
衣食住に不自由しなくても 大切なものがあります。そのひとつが 友情でしょうか。
あぶくたった/構成・絵 さいとう しのぶ/ひさかたチャイルド/2009年
"わらべうたえほん"。ねずみさんかぞくが つくっているのはお汁粉。
”あぶくたった にえたった にえたかどうだか たべてみよ
むしゃ むしゃ むしゃ まだ にえない”
かあさん ねずみ こねずみ さんびき とうさん ねずみ じいちゃん ねずみ
ばあちゃん ねずみ
フレーズの繰り返しが ダンスとともに リズミカルに 展開。
親子で 兄弟で 友達同士で 歌いながら 楽しむ絵本
”あぶくたった にえたった にえたかどうだか たべてみよ
むしゃ むしゃ むしゃ もう にえた!”
お餅を入れて おかわり おかわり。
着物姿の かわいい ねずみかぞくです。
料理するとき 謡ったら 美味しそうに できそう。
橋の上で/湯本香樹実・文 酒井駒子・絵/河出書房新社/2022年
たった一度の出会いが、橋の上で川に飛び込むことを考えていた少年を思いとどらせました。
やがて、その橋をとおらなくなり、ふだんは忘れているようになりました。いつのまにか橋はかけかえられていましたが、昼間の音がからだのなかで いつまでもひびいて眠れない夜に、耳をふさいで、地底の水の音をきくことがありました。それは、学校帰りの日、何年も何十年も、脱いだことがないみたいに見えたセーターを着たおじさんの言葉でした。
おおきくなって、かぞえきれないたくさんの人たちとの出会いや新しい風景をみることができたのは、あの日、川にとびこんでいたら、なかったことでした。
”闇”を抱えた人に 自分だったらどんな言葉をかけられるか自問しました。(やはり無理!)
静かに心理を表現する絵本。ほとんどモノクロで 淡い感じの色調は ずっと心に残りました。
奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年
「山んば」は、日本の昔話にかかせないキャラクター。この山んばが、大入道のつれあいだったという話。
むかし旅人を苦しめる「一本たたら」がでる峠に、村人が播州(兵庫)のヒギリの地蔵さんをまつって、そのとなりに、こもり堂をつくって、付近の村の人が堂守にきていた。
ひとりの猟師が、この地蔵さんの近くの山の中にとまり、焚火をしていたとき、ブナの木のふたまたのところにどえらい大入道がすわっていた。大入道から「声くらべ」しようともちかけられ、一計を案じた猟師は、大入道をむこうをむかせ、鉄砲を、大入道の尻めがけて、鉄砲をぶっぱなした。大入道は鉄砲の音を猟師の声とききまちがえて、「いままで聞いたことのない、えらい大きな声や。きもちまでこたえた」と言って、逃げた。
あくる朝、大入道のつれあいの山んばがでてきて、「ゆうべのかたきをうつぞ」という。びっくりした猟師は、鉄砲を何発もうったが、うってもうってもあたらない。山んばは、逃げ出した猟師をおいかけたが、きゅうに追うのをぴたりとやめて、「かたきをうとうとやってきたが、地蔵が邪魔して、どうしても、かたきをうつことができん。鉄砲の玉だけかえしてやる。」というと、どこかに消えてしまった。そしたら、昨夜大入道がすわっていた、ブナのふたまたの間から、鉄砲の玉がとびだしてきたそうや。
地蔵が邪魔したというのは、こもり堂で守をしていた人が、山んばの足あとにびっくりして「地蔵さん、お助け。」と、おがんだやろかな。
「一本たたら」は化け物でしょうか?。また、ヒギリの地蔵さんがでてきますが、なにか伝説がありそうです。説明のようなものはありませんでした。
そらのほんやさん/くまくら 珠美/理論社/2023年
作者の紹介に、猫絵作家/画家/漫画家とあり、「そらのきっさてん」「そらのゆうびんやさん」も発行されているのでシリーズものです。
宇宙のどこかにある<そらのほんや>は、ふたりの猫が店主の喫茶店&本屋さん。いろんな楽器の音が聞けたり、おいしいにおいつきの本など こだわりのお店。
一匹の犬(オサム)がさがしていたのは、作家と一緒だったころ、作家がちっとも遊んでくれなくて、はらをたて、やぶって庭に埋めた本の半分。片方は、作家の引き出しにしまいこまれていました。でかけていった作家が帰ってこなくて、ひとりぼっちになったオサムが、埋めた場所がわからなくなった半分を探していたのです。この本屋さんには、半分にちぎれた本がありました。あわせるとぴったりでした。
ホシガラスが探していたのは、人形のクマのピーナッツブローチ。ピーナッツと勘違いしてもちかえったのでした。ブローチをなくしたクマは、とても悲しそうに見え、何とかみつけて かえしたいが 隠した場所がわからなくなったというのでした。かわりのものをプレゼントしたらと、ブローチコレクションの本の中から クマに にあいそうなものをみつけ、ホシガラスは、店をとびだします。
三人目は、絵本を探しに来た猫。引っ越しで人間に置き去りにされた猫に、絵本を読んでくれる子があらわれました。同じ屋根の下で暮らした子が、猫が空にきたので、大好きだった本も読めないでいたため、読み聞かせをする絵本を探していたのです。店主がすすめたのは、その子の夢の中に すこしだけ はいりこめる絵本。
三人はいずれも下界からのお客さま。
店主曰く、「本は<かこ>にも <みらい>にも いくことができる、すてきなものですから」
店主たちの背中には羽根。<かこ>と<みらい>をつなぐ、キューピットですね。
しっぺいたろう/脚本・津田真一 絵・田島征三/童心社/2018年(12画面)
人身御供の娘を助ける 旅の坊さんと、しっぺいたろうという犬の話。
「しっぺいたろうは おるまいの しっぺいたろうにゃ みつかんな」という話声で、しっぺいたろうを探すにいくと、それは犬で、娘が運ばれる危機一髪のとき、犬を連れ帰ったお坊さんと犬が、ヒヒを退治。
田島さんが描く、坊さんよりおおきい犬の存在感が抜群。
絵本も出版されています。全国各地に残され、地元にもあるという感想が寄せられていました。
タイトルがかわっていますが、化け物は、ヒヒではなく土ぐも。
お坊さんは はじめからサンという犬を連れていています。お坊さんがもっている杖に、太い糸が、なんすじも、なんすじも ぐるぐる まきついてきます。そしてサンもまた、土ぐもの毒で殺されてしまいます。村の人は、土ぐもとたたかったサンのために、「犬づか」をたてて、手厚くほおむってやります。
わたしを 描く/曹文軒・作 スージー・リー・絵 申明浩:広松由希子・訳/あかね書房/2024年
八歳のウロが、自画像を描くキャンバスをさがして、お父さんと画材屋をみてまわりますが、なかなか気にいるキャンバスがありません。やっといきついた店で雨露にさらしてつくられた雨露麻のキャンバスを買うことにしました。このキャンバスは、高名な画家が発注していましたが、一昨日突然亡くなって店頭にならべられていたものでした。
はじめ、キャンバスがもったいないというウロは、父さんにはげまされ、二週間かけて、やっと自画像を描き上げました。その夜、父さんはウロの先生や自分の友だちに電話をかけ、ウロの自画像をみてほしいと、つたえました。
ところがつぎの朝、キャンバスの自画像は、絵の具が流れてドロドロの色になっていたのです。せっかく描きあげたのに、このままではほかに人に見せられません。
ウロは、なんども自画像を描いていきますが、夜が明けると、キャンバスは、またドロドロの色になっていました。新しいキャンバスを買おうというという父さんに、このキャンバスではなければだめと、ウロは、ひたすら描きつづけました。
ある日、学校から帰るとキャンバスが見当たりません。お母さんが、ゴミ置き場にすてたといいました。お母さんはウロが日に日にやつれていくのを見て、心配していたのです。
ウロは、キャンバスをさがしだし、二日後 八人目のウロを描きはじめました。描き終えると、きれいな花柄の布を選び、キャンバスにかけました。それから何日も、絵を見ようとしませんでした。
数日後、キャンバスを見ると・・・。
画家にとっては、どんなキャンパスでもいいということにならないようです。また、画家の自画像はたんに似せるということでなく、内面まで映す出すものなのでしょう。
冒頭、父が果たせなかった絵描きになる夢をウロにたくし、ちいさいころから絵を教え、有名な絵描きをたちを家に招いて絵を習わせるところからはじまります。自画像をすすめたのも父親。ウロにとって絵を描く意味がでてこないので、なにかチグハグな感じがしました。