どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

かしこいダヌイシマン・・キルギスの昔話、かしこいお百姓の娘・・グリム

2015年04月29日 | 昔話(外国)
・かしこいダヌイシマン(めんどりがやいたパン 中央アジア・シベリアのむかしばなし集/小檜山 奮達男・訳 宮澤ナツ・画/新読書社/2006年初版)

 貧しい娘が、王さまがお妃をむかえようとしてだした三つのなぞをとき、結婚します。
 お妃になったダヌイシマンはすぐれた知恵で王さまを助けますが、王さまは自分のほかには誰にも知恵をさずけないように約束させます。

 ところが、一人の役人が取り返しのつかない事件を起こし、しばり首にされそうになって、お妃に相談します。 お妃は王さまとの約束をやぶって、役人に知恵をつける。王さまは役人がこんな気の利いたことを思いつくはずがないと役人を問い詰め、役人は、お妃から教えていただいたと白状してしまう。

 王さまは、約束をやぶったお妃を国から追い出すことにするが、お前が大事にしているものだけはおもいどおりにしていいいという。するとダヌイシマンは、最後の食事にしきりにワインをすすめ、眠りこんだ王さまを自分の町に連れて行きます。

 そしてあなたがお前が大事にしているものを思い通りにしていいと言われたので王さまを連れてきたという。王さまは自分間違いに気づきそれからは仲良く暮らす。

 ここでは王さまとしたが、汗(はん)と訳され、前段部分はもう少し複雑な構成をとっている。


・かしこいお百姓の娘(グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵/岩波少年文庫/2007年)

 グリムの「かしこいお百姓の娘」も同じような構成だが、なぞのだしかたにちがいがある。
 王さまが娘を城によぶところで「服を着てもいけないし、はだかでもいけない。馬に乗ってもいけないし、車にのってもいけないし、道を歩いてもいけないが、道をはずれてもいけない。」

 グリムは、やや複雑すぎてイメージしにくい。

 「かしこいダヌイシマン」では、「東と西の間は、どれほどはなれているのか」「天上と地上の間はどれほどはなれているのか」「まこととうその間は、どれほどはなれているのか」というもの。
  
 前段で、王さまが、自分のためだけ知恵を生かしてというのは、男の身勝手でしょう。
       

きつねのゆうしょくかい

2015年04月28日 | 安房直子


       きつねのゆうしょくかい/安房 直子・文 菊池 恭子・絵/講談社/1996年初版 1969年初出


 あたらしいコーヒーセットを買ってもらったきつねのおんなのこが、お父さんに、どうしても夕食会を開きたい、人間をまねきたいというお願いをします。

 子どものいうことは何でも聞いてあげるやさしい父さんきつねは、人間に化けて、声をかけますが、声をかけられた人はびっくりして、相手にしてくれません。

 夕暮れ、青白い蛍光灯をつけた「でんきや」という店にひかれて、店にはいるとそこのご主人は、いつかコーヒーセットを売ってくれた男。
 男はすきなときにすきな店を開くという。

 きつねのお父さんはチャイムをかいますが、店のご主人はチャイムを取り付けるために、キツネの家にむかいます。

 店の主人が、お客の一号になりますが、チャイムの効果なのか、子どもを連れた女の人、おしろいを真っ白につけた女の子もやってきます。

 やがて夕食会も佳境ですが・・・・。

ところで、この日の夕食会のメニューは、にわとりのまるやき、キノコサラダ、落ち葉で焼いたおいも、クルミ入りのおもち、お茶と焼きリンゴ、おさけまでついています。


 藤田浩子さんが、語りは騙りといっていますが、化かされる楽しさを味わえる、なんとも微笑ましくかわいらしい話です。

 ところがなぜか、お母さんがでてきません。何も書かれていませんが、多分、遠くに外出していたのでしょう。


ぼくのねこみなかった?

2015年04月27日 | 絵本(外国)
ぼくのねこみなかった?  

   ぼくのねこみなかった?/作・絵:エリック・カール 訳:おおつき みずえ/偕成社/1991年初版

 

 ぼくのねこみなかった?といろいろな人に聞いていきますが、会う人がカウボーイやインデアンだったり、砂漠のテントに住む人、どこかの国の王さまとお妃だったりとでてくる人物が楽しい。

 ネコ科の動物、ライオン、ヒョウ、トラ、チーター、ジャガー、ピューマ、ジャガーに、じゅんじゅんに、これはぼくのネコではないと探していきます。

 シンプルですが、深みのあるエリック・カールさんの絵にいやされます。    


めんどりがやいたパン・・中国新疆ウイグル自治区サラルのむかしばなし 

2015年04月26日 | 昔話(アジア)

      めんどりがやいたパン/中央アジア・シベリアのむかしばなし集/小檜山 奮達男 訳 宮澤ナツ・画/新読書社/2006年初版


 中国新疆ウイグル自治区に住むというサラル族の昔話。
    
 出だしは異なるが、日本の「絵姿女房」に似ている。しかしサラル版は日本のものより複雑な構成である。

 ヘビを助けた男が、ヘビの御殿に招待され、ヘビの父親から銀貨がどっさりはいった袋と少しだが金貨が入った袋をのどちらか選んだ方をあげるというのを、助けたヘビの助言で、めんどりをもらう。
 このめんどりの作るパンはかおりがよく、なんともおいしいパン。

 ある日、若者が部屋をのぞいてみると、めんどりが羽根をぬぎ、きれいな娘姿でパンを焼いたり、お茶をわかしたりするところをみてしまう。

 若者は、羽根をやいてしまい、娘がめんどりにもどらないようにして、若者と娘は結婚する。

 ある日、この家に、狩人がやってきたとき、パンをだすが、そのおいしさにびっくりした狩人は、このパンの残りを皇帝にさしあげる。すると皇帝はパンをつくった娘を自分のものにしようと画策する。

 皇帝は若者の嫁を手に入れようと、馬の競争や山をくずして平らにする競争をするが、うまくいかない。しかしそれでも皇帝は強引に嫁を御殿につれていってしまう。しかしそれから嫁は一度も笑顔をみせなくなる。
 しかし、一週間後、鳥の羽根とけものの毛でつくったマントを着たものもらいが(じつは若者が変装したもの)やってくると、嫁は大笑い。

 これを見た皇帝が、嫁を笑わせようと、同じ格好をして御殿にやってくるが、嫁は門番にいいつけて、皇帝のものもらいを締め出してしまい、かわりに若者が皇帝になる。

 タイトルからはちょっとイメージできない話。
 権力者のおろかさを笑い飛ばすことは、昔話でしかできなかったことだ。             


三人の盗賊の物語・・・チベット、盗賊にもいろいろ

2015年04月25日 | 昔話(アジア)

        三人の盗賊の物語/チベットの民話/W・F・オコナー・編 金子民雄・訳/白水社/1999年新装復刊


 ピラミッドの盗掘は相当早くからあったようであるが、盗むという行為は、相当古くから存在したようだ。

 昔話に出てくる泥棒(盗賊)は憎めない存在。

 「三人の盗賊の物語」にでてくる盗賊もユニークだ。
 一人目は、メンドリの卵を、メンドリにきずかれずに、盗み出すことができる男。
 二人目は、道を歩いている人の靴の底を切り取ることができる男。
 三人目は、食事中に他人の皿のごちそうを存分に食べられる男。

 いずれも人の前で考えられないことをしでかしてしまうが、どうやったのか知りたいですね・・・・。
 
 靴の底を盗んでどうするのといいたいが、ストーリーの展開上、こうでなければ進行しないのが昔話でしょう。


ぼくのおべんとう、わたしのおべんとう

2015年04月22日 | 絵本(日本)
ぼくのおべんとう  

 

わたしのおべんとう  

    ぼくのおべんとう、わたしのおべんとう/作・絵:スギヤマカナヨ/アリス館/2003年初版

 

 2冊並べて読みたい絵本。

 そーっとあけるお弁当。
 ぼくのほうはのり弁。
 わたしのほうはサンドイッチ。
 ページをめくるたびに、お弁当の中身が少なくなります。
 
 ぼくのお弁当のごはんの底にウインナーがかくれていたり、グラタンは昨夜の残り物?
 わたしのお弁当には、お母さんと一緒につくったミートボール。
 お父さんが嫌いなブロッコリーもわたしは大好き。

 途中おかずを交換するところがあって、2冊並べると雰囲気がよくでます。
 
 お弁当をあけるときのドキドキ感、そして表紙がお弁当の楽しさをよく表しています。               


100かいだてのいえ

2015年04月21日 | 絵本(日本)
100かいだてのいえ  

    100かいだてのいえ/作:いわい としお/偕成社/2008年初版

 

 ページをめくるというより、上から下へおろすといった読み方になる絵本。

 星を見るのが好きなトチくんのところへ、「ぼくは100かいだてのいえのてっぺんにすんでいます。あそびにきてください」と書いた手紙がとどきます。

 トチくんはさっそくその家に。
 その家は森の中にきゅうにあらわれます。高いからどこからでもみえるはずなのですが・・・。
 とにかく中に入ってみると、10階まではネズミのおうち。
 11階から20階まではリス
 21階から30階まではカエル
 次はテントウムシ、ヘビ、ミツバツ、、キツツキ・・・・・。

 10階ごとにちがう動物がすんでいます。

 次の階にいくには、天井の穴?を通りますが、階段に特徴があって、ミツバチは、まるでミツバチの巣のような階段、カタツムリの階段はカタツムリの殻です。

 そして100階に住んでいたのは?

 カエルの部屋では、雨水を利用してプールやお風呂につかい、コウモリのトイレは天井にぶらさがっていたり、100階の部屋一つ一つが全部違っていますから、じっくりみていくといろいろな発見ができます。

 帰りはエレベーターですが、気がつくと100かいだてのいえは、星空にきえていくというラスト。次は、いつ現れるのでしょうか。


ジャッカルと虎・・チベット、百姓のおかみさんとトラ・・パキスタン

2015年04月20日 | 昔話(アジア)

 恐ろしいトラが、勘違いする話。

ジャッカルと虎(チベットの民話/W・F・オコナー 編 金子民雄 訳/白水社/1999年新装復刊)

 ジャッカルがトラの住む洞窟に入り込み、留守だったのをいいことに、そこにあったたくさんの鹿の肉を5匹のこどもに食べさせる。
 やがてトラがかえってくると、ジャッカルの父親は「トラはすぐにもどってくるだろうよ。そしたらまもなく暖かいトラの肉をみんなして食べられるだろう」と大声で叫ぶ。これに驚いたトラは尻尾をまいて逃げ出す。

 トラは途中で狒々にあい、「ジャッカルを食うのはおまえさんのほうで、ジャッカルがおまえを食うんじゃないていうことを知らなかったのか」といわれ、自分のしっぽと狒々のしっぽを結んでまた、ジャッカルのところにいく。

 ここでジャッカルは、狒々にむかって「おれたちはみんな、半分飢え死にかかっているんだ。どうして1頭しか連れて来ないんだ。少なくとも2,3頭は連れてきてもらいかったんだぞ。」
 これに驚いたトラが逃げ出すが、尻尾をつないでいたため、狒々が密林の棘の多い場所に引きづられてしまう。


百姓のおかみさんとトラ(子どもに語るアジアの昔話2/松岡享子 訳/こぐま社/1997年初版)

 パキスタン版では、ジャッカルではなく、お百姓の夫婦がトラをだまします。
 この主役はおかみさんのほうで、臆病なお百姓にかわって、トラを知恵で撃退します。
 トラが尻尾をつなぐのはジャッカル。

 本当のことをいったのが、尻尾を結んだことが災いとなってしまう。
 怖い存在のトラが道化役というのは、裏返していえば、やっぱり本当は怖かったということでしょうか。

 地図のうえでは、チベットとパキスタンは近い。


くつがあったらなにをする?

2015年04月19日 | 絵本(外国)
くつがあったらなにをする?  

   くつがあったらなにをする?/作:ビアトリス・シェンク・ドゥ・レニエ 絵:モーリス・センダック 訳:いしづ ちひろ/福音館書店/1989第3刷

 

 縦長の絵本を見たばかりなので、今回は横長の絵本を。
 横長だとヘビがでてきても面白そうですが・・・・。

 くつがあったらどうするの?
 いすがあったらどうするの?
 ぼうしがあったらどうするの?
 コップがあったらどうするの?
 ほうきがあったらどうするの?
 ベッドがあったらどうするの?

 こんな疑問をなげかけ、自由な空想が展開します。

 靴は履き、椅子は座り、帽子はかぶるというのは大人の常識。
 子どもの発想は自由そのもの。

 常識にとらわれず、自由に想像をふくらませる手助けになってくれそうです。              


山を平らにするおじいさん

2015年04月15日 | 昔話(アジア)

       三分間で語れるお話/マーガレット・リード・マクドナルド 佐藤涼子・訳/星雲社/2005年初版


 中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山をほかへ動かそうと、土を運びはじめます。
 人々はその愚かさを嘲笑しますが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向にひるみません。

 どんなに困難なことでも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができるというたとえで、中国「列子」にあるという愚公移山。

 目先のことにとらわれがちになるが、「半日村」にもでてくるこのモチーフは考えさせてくれる。


かっぱ

2015年04月14日 | 昔話(日本)

     松谷みよ子のむかしむかし6/おばけ・かっぱ・鬼・てんぐの話/講談社/1973年初版


 伝説とあって、このなかに「肥後のがわっぱ」という話がある。

 このなかででてくるかっぱの生態。

 ・かっぱは夏中川に住み、秋になると山へのぼっていくという。かっぱが山に入るとやまわろという。

 ・かっぱのとおる道筋はきまっておって、山の尾根づたいにいく。そのとおりに小屋などをたててしまうと、かっぱに小屋をおしたおされてしまう。昼寝をしてもいかんという。

 ・かっぱは相撲がすき。

 ・かっぱから手紙をたくされて届けにいくが、その手紙には、そちらで食べてくれとあり、漁師がそれにきがついて、この者に宝物をやってくれと書き直すと、漁師の船に、かっぱが魚を投げ込んでくれる。

 ・馬鍬をばけものと勘違いしたかっぱから、それを退治してくれといわれ、馬鍬をひろうと、喜んだかっぱが、力持ちにしてくれる。


 頭にお皿があって、どことなく憎めないかっぱ。
 川や沼にすんでいるとおもっていたら、河神が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)になると言われる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャンボになるという。

 また、江戸時代にはカッパに関する専門書も発行されているという。
 
 想像上のものですが、市民権を得ている面白い存在。


グラタンおばあさんとまほうのアヒル

2015年04月13日 | 安房直子


     グラタンおばあさんとまほうのアヒル/作:安房 直子 絵:いせひでこ/小峰書店/2009年新装版 1985年初出


 ふっと心が落ち着くような、いせさんの1ページごとのイラストが安房さんの世界とうまく融合していて、贅沢なコラボです。      

 いつも出だしで話の世界に引き込んでくれる安房さんですが、ここではグラタンが大好きなおばあさんが日替わりで作るグラタンがでてきて、とてもおいしそうです。
 日曜日はエビのグラタン、月曜日はしいたけのグラタン、次の日はかにのグラタン、それからたまごのグラタン、じゃがいものグラタン、マカロニグラタン、とりのグラタン・・と。
 グラタンを焼くお皿にはエプロンをつけたアヒルの絵。

 ある日、おばあさんが風邪をひいて困っていると、アヒルがポケットからほうれんそうをとりだし、グラタンをつくるように話します。それからはたびたびアヒルに頼んでグラタンをつくりますが、いつも材料を頼み、風邪が治っても買い物に行かないおばあさんのためにならないとアヒルは、家出することに。

 やかんの絵になっていったのは若いおくさんのところ。

 バス停でおかあさんを待ち続けている男の子をなぐさめてあげようとシャツのなかに。

 最後は大きな風船でおばあさんのところにもどり、グラタン皿のなかにはいることになりますが・・・。

 おばあさんが住んでいるのが、小さなレンガの家。大きな家ではイメージがわきません。整理整頓がゆきとどいて、こざっぱりした感じがでるのは、やはり小さな家でしょうか。

 まほうのアヒルは、一人暮らしのおばあさんを心配したのか、それとも自分をむかえてくれるはおばあさんだけと考えたのか、どちらだったかでしょうか。        


いろいろ1ねん

2015年04月12日 | 絵本(外国)
いろいろ1ねん  

   いろいろ1ねん/作・絵:レオ・レオニ 訳:谷川 俊太/あすなろ書房/2000年初版

 

 絵本は形もいろいろ。縦長の絵本ですが、内容にピッタリで、ネズミのウイリーとウイニーと木の1年間のふれあいがやさしい。

 3月になると木はむずむず。春が近いことを感じます。

 やがて4月には蕾でいっぱい。そして5月には花が咲きます。

 10月には葉が散って、やがて冬。

 クリスマスにウイリーとウイニーがプレゼントしたのは”こやし”。

 子どもたちは、こやしといわれてすぐにイメージできないかもしりませんが、やっぱりこやしというのがピッタリな気がします。

 四季の移り変わりがさらりと描かれています。               


山の上の火(エチオピア)に類似する昔話

2015年04月10日 | 昔話(外国)

山の上の火(エチオピア)(山の上の火/クーランダー、レスロー・文 渡辺茂男・訳/岩波書店/1963年初版)

 あるお金持ちが気まぐれで、冷たい風の吹く山の高い峰で、裸のまま、飲まず食わず一晩過ごすことができたら、土地、家、家畜をやろうとアルハという男にもちかけます。

 アルハが賢い老人のところに相談に行くと、老人は山からみえるところで、火をたくから、一晩中火から目を離さないようにしなさいという。

 アルハは老人の言うとおり、金持ちの召使いがみつめるなかで、骨の髄まで凍らせるような寒さの中、遠くの方のたき火をじっとみつめ一晩をすごします。

 しかし金持ちはいざ土地をあげるとなると惜しくなり、アルハを救ったのはたき火で、条件を守らなかったから賭けは自分の勝ちと宣言する。納得のいかないアルハが、裁判所に訴えるが、裁判官もアルハの負けを宣告。

 そこで老人は、アルハをハイルという男に紹介します。

 ハイルは、金持ちや裁判官を宴会に招待する。台所からのすてきな食べ物のにおいが流れてくるが、いくらまっても料理がでてこない。招待された客は、なんでこんな風に扱うかと切り出すが、ハイルは、「食べ物がにおうだろう」「遠くのほうにある火で暖まることができるものか? もし、山の上に立っている間、見つめていた火で、暖まれたとするなら、あなたがたは、台所から流れてくるにおいで満腹したはず。」とこたえます。
 金持ちも裁判官も自分の誤りにきがつき、土地、家、家畜はアルハのものになるという結末。

 完全な瞑想の境地に達すると痛さを感じないようなので、遠くの火を見つめ寒さに耐えるのも実際にありそうです。

ホジャどんのしっぺがえし(トルコの民話/ギュンセリ・オズギュル 再話・絵 ながたまちこ 訳/ほるぷ出版/1983年初版)

 トルコの昔話ではおなじみのホジャ。

 「山の上の火」と同じ話型なのですが、丁寧に描かれた絵がトルコの昔の村の雰囲気をよく表しています。
 文章だけではなかなか想像できませんが、さすがに、その国の人が描くとイメージがふくらみます。
 みんな帽子。家の中ではジュータンに座っています。

 トルコのある村に住んでいるとてもとんちのあるおじいさん。みんなから“ホジャ(先生)どん”と呼ばれていました。
 冬の寒い夜、長者どんのうちへごちそうに呼ばれ、若い衆が寒さを嘆いていました。
 そこで、ホジャどん「このくらいのさむさで なにをいうだね。わしゃ、せたけほどもつもった 大雪の日だって、となり村まであるいていったもんじゃ」と自慢します。
 これを聞いた長者どんは、「そんなに自慢するなら、つよいところをみせておくれ。一つ賭けをしよう。村はずれのひろばで、火なしで朝まで我慢できたら またたんとごちそうするわい。だけど我慢できなかったら、ホジャどん、あんたのおごりだよ」
 
 ホジャどんは、火の気無しでひろばの木の下で一晩すごすことになります。

 夜がふけていくと、ホジャどんは眠ってしまいます。見張りについていた若い衆が、朝までつきあうのはかなわんと、一計を案じます。
 眠っていたホジャどんをおこし、遠くの家にあるローソクの火でぬくまって、いびきをかいていたのでホジャどんの負けと宣言します。
 ホジャどんは、「どうして1キロも離れたローソクの火であたたまることができるんかね」と文句をいいますが、若い衆はあいてにせず、とうとうごちそうを振る舞うことになります。

 若い衆がホジャどんの家にいってごちそうをまっていましたが、なかなか出てきません・・・・。

 なにしろホジャどんローソクでスープが煮えるのをまっていたからです。

 会話の部分に味のある訳です。


アブヌワス(お日さまと世界をまわろう/多賀谷千恵子 訳/ぬぷん児童図書出版/1992年初版)
 サウジアラビアの昔話。

 アブヌワスという主人公の、いくつかのエピソードの中の一つ。
 こじきが、風下にすわって、商人の家のごちそうが料理されている間、においをかぐ。
 次の日、こじきが、「おかげでたっぷりごちそうになった気がしましたよ」と話すと、商人は、料理のにおいを盗んだという理由で王さまに訴える。
 王さまは、こじきに12枚の銀貨を支払うよう命じる。

 もとより銀貨などもたないこじきは、アブヌワスという男に相談する。アブヌワスは、こじきに銀貨を地面に投げるよういう。こじきが銀貨を投げるとチリンチリンと音がする。

 アブヌワスは、「この音を聞いたか」と商人にたずね「もしも、人が、においをかぐことで食べ物を台無しにするなら、お金の音を聞くことで支払いを受け取ることもできるだろうよ」

 においをかいだことをわざわざ言うのは、何もくれようとしない金持ちの商人への皮肉でしょうか。



アブヌワスのかしこいはからい(大人と子どものための世界のむかし話13/タンザニアのむかし話/宮本正興:編訳/偕成社/1991年)

 アブヌワスが主人公というのはサウジアラビアにかぎらないようです。

 あるお金持ちが気まぐれで、氷の張った池のなかに、一晩中つかっていることができたら、おまえに一万ディナールをくれてやろうと貧乏人の子どもにいいました。

 貧乏人の子どもはお金がもらえるならと氷の張った池に、一晩つかることにしました。

 母親は子どもの覚悟を知ると、池のほとりで夜通し火を焚いて、明るくしてやります。

 子どもは氷の張った池に一晩つかり、お金持ちのところへ行って、一万ディナールをくれるようにいいますが、お金持ちは、母親が火をたいていたのは、からだをあたためるためだと とりあいません。

 子どもがアブヌワスに相談すると、一万ディナールのうち、三千ディナールくれるならと要求します。そしてまず王さまに相談するようにいいます。ところが王さまは子どもの言い分は認めません。

 そこで、アブヌワスは市場であらゆるごちそうの材料を買い込んできました。そして王さまをふくむ たくさんの人々をごちそうにまねきます。

 ところが夕方までたっても、料理どころかコーヒーのいっぱいもでてきません。まちきれなくてみんなが台所をのぞくと、火はぼうぼうもえていますが、肉や野菜が入った鍋は火の上にのっかっていませんでした。

 王さまは、これではいつまでまっても料理ができないと、はらをたててどなりました。

 アブヌワスは、「母親があかりをてらすためにかざしてくれた火で、子どものからだがあたたまったというならば、料理だって火の上にのっていなくても、とっくに煮えていたはずではありませんか」といいます。

 王さまはアブヌワスのいうとおりだと思い、子どもの権利を認め、金持ちに一万ディナールをわたすように命令します。そのあとアブヌワスは、いそいで料理をこしらえ、みんなは結構なごちそうにありつきました。

 このアブヌワスはちゃっかりした男で、ひそかに分け前を要求してから仕事にかかっています。


男が娘に結婚を申し込む(カンボジアの民話世界/高橋宏明 編訳/めこん/2003年初版)

 題名通り男が結婚を申し込むが、結婚したいなら3晩の間、紐でしばられたままじっと水に浸かっていなさいと娘の両親から注文をつけられます。
 二晩たったとき、男は遠くの山で火が燃えているのを見つけ、水に浸かったままで寒くなった男は、ふざけて火にあたるふりをする。
 
 ところがそれをみた娘の両親は火にあたったことを理由に結婚をことわります。不満をもった男は裁判官に不平を申し立てますが、娘の両親から賄賂をもらった裁判官は約束を守らなかったから娘と結婚できない、裁判報酬として食べ物をもってくるように命じます。

 男が泣きながら歩いているとうさぎの裁判官にであいます。

 うさぎの裁判官は、男に食べ物を用意するとき、塩を入れないように知恵をつけます。

 さて料理を裁判官のところにもっていったとき、そのそばに塩をおいておきます。裁判官がどうして塩をいれないかたずねると、うさぎの裁判官は答えます。

 「山の頂上で火事がおき、この男が火にあったまったというなら、そばにおいてある塩がどうして料理を塩味にしないことがあるだろうか」

 「山の上の火」では、料理のにおいがでてくるが、カンボジア版では、料理にかかせない塩がでてくる。
 さらに、男に知恵をつけるのが、ウサギの裁判官というのがカンボジア版らしい。 

 しかし、古い歴史をもつ国に同じような話があるのは興味深い。
 落語にも同じようなのがあったかも。      


ポケットからなにがでる?

2015年04月08日 | 絵本(日本)
ポケットから なにがでる?  

    ポケットからなにがでる?/和田 誠/福音館書店/2007年初版

 

 動物のポケットから次から次へとでてくるもの。
 ドラえもんのポケットとちがってでてくるものは、みじか。

 「やぎのこうべいさん」のポケットからは、お手紙が・・・
 くろやぎさんが食べないといいけれどとポストにいれます。
 「ぶたのはむおくん」のポケットからは、笛が。
 その笛で、お星さまがメロデイをかなでます。
 「ふくろうはかせ」のポケットからは、顕微鏡が・・・。
 雪の結晶を確認します。

 数えてみると24匹の動物が・・・。

 ドレスアップした動物たちのポケットから何がでてくるか興味深々。

 「たこにいちゃん」のポケットからは筆がでてきて、「ことりのパピくん」のポケットからは、歯ブラシがでてきて、カバの歯磨きです。