どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

空へいく、空を飛ぶ

2016年11月30日 | 昔話(外国)
 昔話では、空へいく、空を飛ぶのもさまざです。

 アラビアンナイト「空飛ぶじゅーたん」は、いきたいところにいくことできます。
 また「魔法の馬」(黒檀の馬と訳されているのもあり)は職人がつくったものですが、いきたいところにいけるというので、これももう一つの方法です。

 イギリス「ジャックと豆のつる」では、植えると翌日には天までとどいている豆のつるをよじ登って、天までいってお宝を頂戴するというもの。豆のつるをよじ登るのは大変そう。

 日本の昔話、大川悦生・文の「かみなりごろべえ」では、豆の木をのぼり かみなりさまのところに行く話。同じ「鼻ののびるうちわ」では、天狗のもっていた羽うちわで鼻をのばし、天の川までいきつきます。

 ロシア「石の王子」(世界むかし話6 ロシア 空飛ぶ船/田中 泰子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)では、空にまでのびているトナカイの角をのぼっていきます。

 天へいくのは縦への移動ですが、縦の移動に比較すると、横への移動の事例は数多く見ることができます。
 
 ロシアの昔話「7人のセミョーン」(子どもに語るロシアの昔話/伊東一郎 訳・再話 茨木啓子 再話/こぐま社/2007年初版)では、三×九=二七番目のそのまた向こうの30番目の国に住んでいた美しいエレーナ姫を王さまのところにつれてくるというシーンがあり、「火の鳥と王女ワシリーサ」では、はるか遠く離れた国のかなた、そこから太陽がのぼる、この世の果ての国に住む王女ワシリーサのもとへ若者が旅をするシーンも。

 日本の昔話には、このように遠くまでいくという例が少ないように思いますが・・・?。                             

 空を飛ぶのもさまざまで、インドの昔話(大人と子どものための世界のむかし話 インドのむかし話/坂田貞二 編訳/偕成社/1989年初版)には空を飛ぶベッドがでてきます。

 「王子とふたりの若者」や「かいば入れから生まれたおよめさん」にも「空飛ぶベッド」(こちらは実際には飛ばないが)がでてきます。

 ジュータンは何となく不安定なイメージですが、ベッドとなると安定感があります。

 アイスランドの「リヌシとシグニ」(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯浅朱美 編訳/こぐま社/2001年初版)でもベッドが空を飛びます。二人のトロル女から連れ去られた王子をシグニという娘が救うというお話。

 空を飛ぶといえば、魔法使いがのっている「ほうき」は、これまで読んだ昔話にはあまりでてこないと記憶していますが・・・・。

 ハリーポッターや魔女の宅急便キキ、魔法使いサリーなどでおなじみの空飛ぶほうきは、創作から生まれたものでしょうか。


 アンデルセンの「空とぶトランク」(アンデルセン童話集1/大畑末吉・訳/岩波少年文庫/1986年初版)
は、トランクが空を飛びます。

 親からうけついだ財産を浪費した男が、一人残った親切な友だちからもらったトランク、錠前をおすとどこまでもどこまでも飛んでいきます。

 城のてっぺんにいた、恋人のために不幸せな目に合うというお姫様と結婚することになるのですが、まっていた結末は?
  

貧乏神

2016年11月29日 | 昔話(日本)

 貧乏神は外国の昔話にはみられないキャラクターです。そのまま居座るものや、福をもたらしてくれるものと二通りがあります。

・貧乏神・・香川(子どもに語る日本の昔話②/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1995年初版)
 よめさんが片付けや掃除が大嫌いで、これにほれ込んだ赤毛のやせこけた小さい年よりの貧乏神。
 貧乏神からいわれて、よめさんを追い出してしまった男。

 貧乏神から酒を買ってこいと言われ、銭がないというと、貧乏神はふところから銭をだしたので、二人は酒をくみかわします。
 大歳の晩、殿さまの行列になぐりこめば、金持ちになると知恵をつけられた男は、殿さまの行列になぐりかかりますが、さきぶれの男が倒れます。先ぶれの男は銅貨でできていました。
 貧乏神は、殿さまをなぐるように、もう一度やってみろといいます。
 うまく成功すると、かごがこわれ、中から大判小判がザックザックとでてきます。

 この行列は、大歳と元旦の晩だけにとおる金神さまの行列でした。


・貧乏の神・・山形(新しい日本の語り9 渡部豊子の語り/日本民話の会/悠書館/2014年初版)
 貧乏な爺さまが、正月用の買い物のため、草履や織物用の糸を売りに町に出かけますが、さっぱりうれません。
 途中であったのは、炭を売りに来た爺さま。
 二人は、品物を取り替えて家にもどります。

 炭を持ち帰った爺さまと、ばさまは、せめて暖かくして年越しをしようと、囲炉裏にザーと炭をあけ、火をおこします。
 すると薄黒い子どもような、へんなものが2,3人でてきます。
 子どもは貧乏神で、こんなに火を焚かれては、暑くてこごの家にいられねえや。家うつりだといいます。

 この貧乏神、長く世話になったと、餅や銭をのこして、いなくなります。


・びんぼうがみ(わらしべ長者 日本民話選/木下順二・作 赤羽末吉・絵/岩波少年文庫/2000年初版)
 びんぼうがみが、めでたく、うちから出て行ったはなし。

 平作というお百姓がいたが、いくら働いても、くらしが楽にならない。
 あるとき、押入れをあけてみると、ちいさなやせたじいさまがねむっておった。
 おまえのうちが好きなもんで、やっかいになっているという、びんぼうがみ。

 かみさんと相談して、びんぼうがみにわからんように、そっとひっこしをすることに。
 相談していると、押し入れでがさがさ、ごそごそ音がするので、のぞいてみると、びんぼうがみが、わらぐつをつくっていました。
 びんぼうがみは、平作の引っ越し先に一緒にいこうと準備していたのです。

 このようすでは、どこへいっても同じだと、平作はもうひとふんばりすることにします。
 人が変わったように働き始めると、貧乏神のじいさまが、どんどんやせ細って、いつの間にかいなくなります。

 よめさんが食いのこしを捨てたり、掃除をしないのが貧乏の原因としてあげられているのですが、男の方にだって、それなりの原因があるのでは。


さあ、はこをあけますよ!

2016年11月27日 | 絵本(外国)


        さあ、はこをあけますよ!/ドロシー・クンハート・作 ふしみみさを・訳/岩波書店/2014年初版

   

 はこからなにがでてくるか、興味津々。
 ワクワクするタイトルです。

 「さあさ よってらっしゃい みてらっしゃい。このちいさな ちいさな ちいさなはこのなかには、びっくり どっきりぎょうてんするものがはいっているよ」
 サーカスのおじさんの口上がなんともいえない。

 でてきたのは、ちいさな ちいさな ちいさな ちいさな犬のピーウィー。絵の真ん中にちょこっと。

 人気者のピーウィーでしたが、ある日、どんどん どんどん どんどん大きくなります。

 ひとつも芸がないピーウィーは、サーカスからお別れといわれますが・・・。

 ところが、またもや ぐんぐん ぐんぐん大きくなって

 大きくてかわいらしいピーウィーは、またサーカスのにんきものに。

 どんどんおおきくなるさまと、ピーウィーのことが大好きなサーカスの人間や動物が、あっと驚くほど超個性的です。

 手書きの文字も味があります。


嫁さまときつね

2016年11月25日 | 昔話(日本)

    嫁さまときつね/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第二集/藤田浩子の語りを聞く会/1997年初版


 昔話で、きつねは、ほとんどが人をだます役割。しかしときには、救いの手を差し伸べてもくれます。

 姑にこきつかわれて、ゆっくりするひまもなく働き続けるよめさん。なかなか里帰りするもままなりません。

 よめさんが、裏山で涙を流しているのをみたきつねが、里の男にばけて、よめさんの母親が、危篤状態になったとしらせます。
 姑もさすがに、よめさんを里にやりますが、里にいってみると、母親は病気ではありませんでした。

 もしかして、きつねがと思った、よめさんが裏山に行ってみると、そこには確かにきつねがいました。
 
 それからよめさんは、自分の食い扶持を少し減らして、裏山に持っていくようになります。

 きつねは、人の心理を読むことができたのかも。

 きつねが騙すのは男であって、女はめったに騙されないという藤田さんの指摘がありました。そういえばそんな気もします。    


パパとママのつかいかた

2016年11月24日 | 絵本(外国)


            パパとママのつかいかた/ピーター・ベントリー・文 福本友美子・訳/BL出版/2016年初版

 

 気になるタイトル。

 親の心理をうまくくみ取ってパパとママとうまく付き合う方法かと思いきや、どこにでもある家族の風景でした。

 「はをみがきなさい」「ぐずぐずしないの」「さっさとかたづけて!」「てをあらいなさい」。
 ああしろこうしろとまったくうるさいパパとママ。

 でも子どもはパパとママのいいところもちゃんとみています。

 パパは、おうまさんをやってくれるし、ぐるぐるまわし、だっこしていいこいいこ。
 ママは、つめたいときは、あったかいヒーターがわり、まいばんおはなしをよんでくれます。

 誕生日やクリスマスには、プレゼントを忘れないパパとママ。

 子どもたちは、ママの洋服をタオルがわりに手をふいたり、顔に絵をかいたり、やり放題(作者悪乗りのかんもあります)のところもありますが、信頼関係があるからでしょう。


くつ屋のギター・・ポルトガル

2016年11月23日 | 昔話(ヨーロッパ)

      くつ屋のギター/子どもに贈る昔ばなし12 石のカヌー/小澤俊夫監修/小澤昔ばなし研究所/2010年初版

 ひょんなことから大金を手に入れたくつ屋。

 お金をどうしたらいいか、誰かがやってきて、お金を奪わないだろうか、魂も良心もない悪漢がやってきて、お金目当てに自分たちをころしはしないだろうかと毎日不安でいっぱい。

 このお金は、くつ屋がギターをひいて、家族でうたい、おかみさんはギターに合わせてお皿を洗ったり、掃除をしたり、せきれいのように気楽に歌って、子どもたちもおおはしゃぎをしているのをみた大金持ちの男が、くつ屋の様子がうらやましくなり、ギターと交換にやったものでした。

 くつ屋の家族は地獄にいるような思いから、お金を金持ちにかえしギターを手に入れ、もとのしあわせな生活をとりもどします。

 一方味気ない生活をおくっていた金持ちも、ギターを手に入れても一向に楽しくなかったのです。


 しあわせはお金では買えません。しかし現代ではお金はしあわせの出発点かも。


ちいさな きしゃ

2016年11月22日 | 五味太郎


    ちいさなきしゃ/五味太郎/岩崎書店/1982年初版、2016年改版

 小さな子が喜びそうな絵本です。

 おもちゃのきしゃが、寝ている男の子の体中を走ります。

 鉄橋は足指。
 トンネルはパジャマのなか。
 手から足、おなか、おでこと走り回ります。

 多分寝る前に、やってとなりそうです。
 でも、やってあげると眠らなくなるかもしれません。

 ところで、今朝の地震、3.11の余震といいます。
 3月の福岡地震、10月の鳥取地震と続いています。
 いつどこでも大規模な地震がおきてもおかしくありません。

 北海道に立て続けに台風が上陸したり、いつもより早く雪が積もったりと、なにか自然の怒りも感じられます。


こびとのくつ屋・・グリム、かじ屋としわくちゃこびと・・オランダ

2016年11月21日 | 昔話(外国)
 どちらもこびとがでてきます。  

 こびとのくつ屋(グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫/2007年)では、貧乏なくつ屋が最後にのこった革を準備しておくと、次の朝にはくつができあがっています。
 そのくつが高くうれたので、今度は二足分の革を用意すると、次の朝にはくつができあがっています。
 高く熟れたので、今度は四足分の革を用意しておくと、次の朝にはやはりくつができあがっています。

 不思議に思ったくつ屋の夫婦がかくれてみていると、はだかのこびと二人が、くつをつくっているのでした。
 こびとがはだかでいるので、奥さんがお礼にシャツとズボン、くつ屋は、ふたりのくつを用意しておくと・・・。

 グリム版では、なぜこびとがくつをつくってくれるのかわかりません。

 オランダの「かじ屋としわくちゃこびと」(世界の民話26 オランダ・ベルギー/小澤俊夫・編訳/ぎょうせい/1986年)は、くつ屋とかじ屋という違いはありますが、こびとがしらないうちに、仕事をしてくれるという点では、同じです。

 オランダ版では、お祭りでぼうしを岩の割れ目に挟めてしまったこびとのぼうしを拾い上げたお返しに、仕事をしてくれます。
 オランダ版でも、かじ屋が、お礼に、シャツ、ズボン、くつを用意しておきます。

 にかよった話ですが、オランダ版では、ダイヤモンドをあげるといわれて断ったり、
いいなずけのむすめと結婚するところもでてきます。

 グリム版は、やや小さい子向けで、オランダ版は、もうすこし上の子向けでしょうか。

 しかし、なぜ、しわくちゃこびとなのかもわかりませんでした。

ねずみくんのチョッキ

2016年11月20日 | 絵本(日本)


    ねずみくんのチョッキ/作・なかえよしを 絵・上野紀子/ポプラ社/1974年初版

 1974年の出版以来、ロングセラーという絵本。

 お母さんがあんでくれた赤いチョッキをきたねずみくん。

 「ちょっときせてよ」とアヒルがやってきます。

 次にはさるがやってきて「ちょっときせてよ」

 ペンギン、ライオン、うま、ぞうがつぎつぎにチョッキをきます。チョッキは伸縮性が抜群だったのでしょう。どんどんのびていきます。

 シンプルなストーリーで、モノクロのなかに、チョッキの赤が印象的です。

 はじめは、表紙にあるように、ねずみくんの絵が下に小さく小さくあり、つぎつぎにやってくる動物がだんだん大きく描かれています。

 最後にのびたチョッキが、ぞうの鼻でブランコになり、ねずみくんが楽しんでいるようすに、ほっとします。


猫と小僧様

2016年11月17日 | 昔話(日本)

     猫と小僧様/かたれやまんば第三集 藤田浩子の語り/藤田浩子の語りを聞く会・編/1998年


 お寺の小僧さん、仏の道を学ことより、絵がだいすきで、いつも猫の絵をかいていたので、寺を追い出され、泊ったのが古いお寺。

 ところがこのお寺、化け物がでるという。外で寝るよりは屋根の下のほうがよかんべと、この寺にとまることに。

 翌朝、村の人が心配してきてみると、そこらじゅうに猫の絵が。天井をみてみると大きなねずみが嚙み殺されていました。
 村の人は、猫がねずみを退治してくれたに違いないと話し合います。

 あまり長くない話で、別のタイトルで同じ話があります。

 藤田浩子さんにかかると、これがなんとも面白い話になります。

 小僧さんが猫の絵をかくところ。
   庭掃かせれば、竹ぼうき持ったまま、そこらの木っ端で絵をかく
   塀に寝そべって、しっぽ だらーんと下げたまんまの猫
   蝶とろうとして、じゃれている猫
 ほかでは、こんな描写はでてきません。

 いつもながら擬音語も効果的に使われています。

 天井で音がする場面
   カタン カタン カタン
 枕元の写経が音する場面
   サワサワサワサワー

 読むだけでイメージが湧いてきます。

 小僧さん、猫の成仏ねがい、仏の道を究めるため、せっせせっせとお経を読む最後もほっとします。


その後のでいだんぼう

2016年11月16日 | 昔話(日本)
          でいらんぼう/子どもに贈る昔ばなし10/再話・茅野昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫 /小澤俊昔ばなし研究所/2010年)


 地元小川町の巨人伝説「でいだんぼう」。

 でいだんぼうが、笠をかけた場所が笠山、蓑をぬいでおいた場所は蓑が山、ふくんだ水をふきつけた場所が大霧山などと、当地にかかわる伝説?がありますが、このでいだんぼう、最後は信州にむかっていくところで終わっています。

 この「でいだんぼう」が、信州では「でいらんぼう」としてあらわれているようです。

 でいらんぼうが、かまどの形をした岩の中に木をぽんぽん投げ入れると、地の底でドカーンと音がして、大きな山のてっぺんから、真っ赤な灯がふきだします。これが浅間山といいます。

 でいらんぼうが、腰に下げたつつみの砂でできた山は小浅間。

 伝説には連続性があるのでしょうか。

 「でいだんぼう」は小川町図書館のHPを参照してください。


いうことをきかない ウナギ カニ

2016年11月14日 | 昔話(外国)

 笑い話もさまざま。

いうことをきかないウナギ(イタリア)(ながすねぐふとはらがんりき/愛蔵版おはなしのろうそく/東京子ども図書館・編/2000年初版)

 ある漁師が、ウナギを売るため、運河をわたろうとして、船頭に料金をきくと「ひとりあたま五銭」というこたえ。
 漁師はかごのウナギの頭を見て、「あんりゃー、高くつくわ」。
 そこで漁師がとったのは、ウナギを川に放し、自分で泳いでわたってもらおうというもの。
 船頭は、向こう岸で、いつまでもウナギを待ち続けます。


ものぐさホアン(フィリッピン)(現代アジア文学選5 アジアの笑いばなし/松岡享子他訳/東京書籍/1987年初版)

 ものぐさホアンが、母親にたのまれたのは、市場で塩と生きたカニを買ってくること。
 市場の帰り、遊びにさそわれたホアンは、カニに帰り道を丁寧に説明し、自分で歩いてかえるようにいいます。
 カニ、ホアンはどうなったでしょうか?。

 少し長めの話を聞かれて、おぼえるのに躊躇するという方も多いのですが、楽しんで覚えられる短い話だったら、入りやすいかもしれません。   


たねのはなし

2016年11月12日 | 絵本(外国)


          たねのはなし/作:ダイアナ・アストン 絵:シルビア・ロング 訳:千葉 茂樹/ほるぷ出版/2008年初版


 命というと、動物がうかびますが、植物の命のありようを教えてもらいました。

 絵で描くほうが写真よりも特徴をあらわすことができるようで、一つ一つが丁寧に描かれていますが、なじみのない種もでてきます。

   たねはねむっている
   たねははずかしがりや
   ふくをきかざるたね
   はだかのたね
   たねはおおきさもいろいろ
   たねはたびびと
   たねはくふうする
   たねはいたれりつくせり
   おおむかしのたね
   たねはのどもかわくしおなかもすく
   たねはかしこい
   たねはねむっている
   めをさます

 興味を持ち始めた頃に、この絵本に出会ったら、まちがいなく植物が大好きになりそうです。

 「種ってすごい!」と思わせてくれる数々。

  ・一番大きいのは、オオヤシのたね 最大25kgにも
  ・一番ちいさいのはランの種、ひとつのさやに100万個の種が
  ・タンポポの種は、何百キロもはなれたところまでとんでいく
  ・千年もの間、地面でねむっている種も

 千年もねむっていて、土に植えると4週間後に発芽したというエピソードには、ロマンがあります。

 小さい家庭菜園を楽しんでいるのですが、頭で理解していても、保存していた種を土に植えると発芽するのは、いつみても新鮮です。

 ところで、野菜の種はほとんどが、今は、F1種になっていて、いつの間にか固定種を使う人は少なくなっているようです。
 それでも、固定種にこだわって、大根は三浦大根の種をいつも利用しています。(種をとるのは大変です)。

 ゴボウの種を取ったのですが、まあ、おおきくなること。時間も手間もかかるのですが、考えてみれば昔の人は、手間をかけてよくとっていたものです。

そうかと思うと、コスモス、シソ、タンポポは、種がこぼれ落ちて、毎年大賑わい。

 タンポポは根が深くて、ちょっとじゃまな存在です(ごめんなさい)。


小さなたね

2016年11月11日 | 絵本(自然)


   小さなたね/作:ボニー・クリステンセン 訳: 渋谷 弘子/さ・え・ら書房/2013年初版


 ふたりの子どもが、共同菜園に野菜や花の種をまき、水やりをしたり草取りをしたり。

 そして、できた野菜は、ゆでたり、やいたり、ことこと煮たり。とれた作物をみんなで囲んで、おいしく食べます。

 今の子どもは、小学校で、野菜を育てることもありそうですが、ごくごく一部。自分の食べているものがどのようにできているのかわかりにくくなっているようです。

 特に目新しいことはでてこないのですが、絵本で自分の食べているものがどのようにできるか学ぶ?のも寂しいところです。
 
 それにしても、小さなたねが、恵みをもたらしてくる不思議さに感謝です。


死神さんとアヒルさん

2016年11月10日 | 絵本(外国)


     死神さんとアヒルさん/作・絵 ヴォルフ・エァルブルッフ 訳・三浦美紀子/草土文化/2008年初版



 アヒルさんはしばらくまえから、だれかが自分にうしろにいるようなきがしていました。
 「だれ?どうして、わたしのあとをつけてくるの?」、アヒルがたずねるとそこにいたのは死神でした。
 「まさか、わたしをつれにきたの?」とたずねると、「私、あなたが生まれてからずっと、そばにいたのよ」という死神の答え。

 格子柄のコートをきたガイコツの死神。チューリップをもっています。裏表紙にもチューリップが一輪。

 ここにでてくる死神は、アヒルをつれにきたのではありませんでした。
 なにかあったとき忙しくなる存在です。

 生と死は隣りあわせであるのを意識させます。

 小学生の集団登校の列に、車がつっこんで、幼い命が失われています。
 突然の事故で、そして事件で失われる命。
 多分直前まで死ぬということを意識したわけではありません。

 死神とアヒルの静かなしずかなやりとり。
 
 雪がふる寒い日、アヒルは動かず、静かに横たわっていました。
 死神は、何枚かの羽を、そっとなでつけて、大きな川にはこんでいくと、ていねいに水面におき、ちょっとおします。死神は流れていくアヒルをだんだんみえなくなるまでずっとみています。
 すこし気持ちがしずみます。

 「でも、いのちとはこういうものなのです」

 最後は眠るように死んでいくアヒル。こんな穏やかな死は望むべくもなさそうです。