どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

きつねとぶどう

2022年05月31日 | 絵本(昔話・外国)

     きつねとぶどう/しもかわら ゆみ/あかね書房/2022年

 

 はらぺこの きつねが つやつやした すてきな ぶどうを みつけました。

 「うわぁ! おいしそう」「よぉぉぉーし せーのっ」、「それっ」「やぁ!」と、なんどもなんども ねらいますが 高いところにある ぶどうには とどきません。

 あきらめた きつねは、「あんなぶどう、きっと すっぱいに きまってる。ちっとも たべたくなんか ないや!」と、負け惜しみです。

 

 ねずみのイソップが ちいさなこどもたちに このお話を 聞かせるのですが このあと、「てに はいらないと きめてしまうのも はやすぎたかも しれないよ」と語ります。

 

 イソップ寓話のシンプルさと 優しい絵が ぴったり。

 自分の判断だけでなく、ほかの人の力を 借りるという選択があってもいいのかも。


かあさんは どこ?

2022年05月30日 | 絵本(社会)

     かあさんは どこ?/作・クロード・K・デュポア 訳・落合恵子/ブロンズ/新社2013年

 

 昼間と夕暮れがかさなるころ、突然の砲撃。すぐ近くに爆弾が落ちてきた。恐ろしい音がより大きくなって、もっと大きくなってどんどん こっちにきた。

 その子は家を目指して 帰る。かえらなきゃ! たどり着いた家は めちゃめちゃ。だれもいない。にげなくちゃ!

 とつぜん その子は、大きな手につかまれ、ひっぱれながら はしった。

 知らない人たちの なかに その子は ひとり。まわりは 傷ついた人が。

 かあさんはいない ともだちもいない。

 しらない女の人に だきよせられ

 兵隊に つれていかれ ほかの子と 水をくむ仕事をさせられた。その兵隊たちも ちりぢじりに 逃げていき・・・。

 おおぜいの避難民の 小さな子をだいた おばあさんに 手を引かれ 

 歩いて 歩いて・・・・

 さむさに ふるえる ながいよる 川をわたり 歩いて 歩いて・・

 

 絵本にしては、分厚いのですが、はじめからおしまいまで、スケッチ風の白黒タッチで、その子を描いていきます。それは、まるで「かあさんはどこ?」と さがしまわるその子の心の叫びです。

 最後に その子は、かあさんに あうことができるのですが・・・。

 

 二次大戦中の作者の一家の体験が背景となって生まれたとありました。作者の母親は、家の中で、兵隊から頭に銃をつきつけられ、いまにも引き金をひかれそうになったときの恐怖から生涯解放されることは、なかったといいます。

 ロシアのウクライナ侵攻から三か月。ウクライナにとっては自衛のための戦争ですが、ロシアは侵略国。ロシアは自国での被害はほとんどありませんが、ウクライナでは住宅、病院のほか学校まで爆撃され、子どもは学ぶことも遊ぶこともできなく、地下シェルターで暮らすことも。

 シリア、アフガニスタンをはじめ、あちこちで頻発する内戦で避難せざるをえない子どもも。

 落合さんがいわれるように、いまもなお、地球のどこかで、子ども時代をうばわれている子どもがいます。


バスてい よいしょ

2022年05月29日 | 絵本(日本)

    バスてい よいしょ/重松彌佐・作 西村繁男・絵/童心社/2017年

 

「バスていよいしょ」は、バス停を よいしょすること。つまり動かすこと。動かそうとしたのは、一年生のしんごくん。

なぜ?とおもっていると、いきなり江戸時代にスリップ。

声をかけるが、笑って通り過ぎるのは、かごや、編笠の浪人、お姫さま。

押しても引いても、びくともしないバス停。

大名行列のお殿さまに、お願いすると、家来たちが かつぎあげ、「よいしょ よいしょ!」の 大合唱。

夜になって、バス停でまっていたのは、杖をつかったおばあさんとしんごくん。しんごくんが バス停を動かそうとしたのは、おばあさんのためでした。

しんごくんが、足が不自由なおばあさんと、バスに乗っていった先は、花火大会でした。

バスのなかの賑やかなこと賑やかなこと。お殿さまはもちろん、お姫さま、飛脚、忍者と、オールキャスト。おまけにアイスクリームがあり、重箱にはおいしそうなものが。

 

優しいしんごくんのおかげで、みんな楽しい花火大会を楽しめました。

バス停までいかなければ、バスに乗れないというのではなく、必要な人のところへバスがきたら利用しやすいでしょうね。  


なぞなぞはじまるよ 3

2022年05月28日 | 絵本(日本)

    なぞなぞはじまるよ 3/文・おおなり修司 絵・高畠純/絵本館/2021年

 

”3”ということはシリーズもの。

なぞなぞは、むずかしぎると興味がそがれ、やさしすぎても物足りない。

この絵本は、ちいさい子には、ちょっと むずかしいかも。

 

「このまちのひとは とにかく おふろずき。このまちどこだ?」

「ちゅうもんするとき かならず ねだんを きいてしまう おすし、なあに?」

このあたりは、まあまあ

「いつも みじかにある たべもの、なあに」

「れいにはじまり れいにおわらなければならない くだもの、なあに?」

「ドレミファソラシドを ド ミファソラシドとうたってしまうひとに おすすめのやさい、なあに?」

 答えが 人、地名、動物だったりとさまざま。

 小学校高学年から、大人まで楽しめるものまで。32問もありますから、一度で全部答えを見つけようとすると、相当の時間が必要です。

 問いの絵にヒントがありますが、それにふれないで質問すると 難門になります。


こだぬきのおんがえし、うまかたとこだぬき

2022年05月27日 | 絵本(昔話・日本)

  てのひらむかしばなし こだぬきのおんがえし/長谷川摂子・文 菊池日出夫・絵/岩波書店/2009年


 いつもすかんぴんのびんぼうで、大家に借金ばかりしていた うまかたが こどもらにいじめられていた こだぬきを助けます。

 こだぬきは、ととさんたぬきから「たすけてもらったら その おんを かえさねばなんね。」といわれ、うまかたのところへ。

 「おんがえしなんぞ いらんいらん」といわれ、すごすごと山奥にかえりますが、「おまえのできることでいいから、かならずおんがえし してこい」と、ととさんたぬきにいわれ、もう一度うまかたのところへ。

 ちょうどそのとき、大家がやってきて、借金をかえせと うまかたをせめたてます。

 ひたいを床にこすりつけ なんとか今月の末までにかえすことになったうまかた。

 一部始終をみていた納戸のこだぬきは、小判に化けるから、それで「はらってこい」と、小判にばけます。

 ところが、この小判は大きすぎ。大きすぎるといわれ、またちゅうがえりすると、今度は中ぐらいの小判に。まだ大きいといわれ、もういちど宙返りすると、ちょうほどよい大きさに。

 小判で借りた金を全部まとめてかえしたうまかた。大家はもらった小判を、においをかいだり、はじっこをガチガチかんだり、棒でたたいたりして 本物と思いタンスの中にすまいこみます。

 次の日、大家がタンスをあけると小判はきえていました。小判にばけていたこだぬきは、うまかたのところかえると、山奥にもどります。

 ととさんたぬきは「おまえは にんげんより えらい」と、たいそうほめます。

 背中をたたかれたり、がっぷがっぷ かじられながら、じっと我慢するこだぬきの姿に、うまかたにかぎらず同情してしまいます。

  ととさんたぬきと、こだぬきの関係もあたたかく、後味がよい昔話になっています。

 (鈴木サツ全昔話集をもとに再話したとありました)

 

   うまかたとこだぬき/香山美子・文 野村たかあき・画/教育画劇/2003年

 

 馬方が、晩ごはんをたべて、ごろんとよこになっていると、だれかが 入り口の戸をたたきました。馬方が、「あしたにしてくれ」といっても とんとんたたく音はやまない。しょうがなく入口の戸をあけると、たぬきの親子が ならんでいました。

 おやだぬきが、息子を助けてくれたお礼を言い、「親方の手伝いを させてくだされ」と、こだぬきを おいていきます。こだぬきは、こどもらにいじめられているところを、馬方に助けられていたのです。

 それから、こだぬきは”たんた”といいましたが、めしたき、せんたく、そうじ、そして馬の世話も ちいさい手でよくやった。

 ある日、馬方のところへ、大家がやってきて、たまった家賃をはらうようにいうが、ない袖は振れない。しかし、大家は、払わないと 馬をもっていくという。馬がなければ仕事ができない。

 そのとき、押し入れにかくれていた”たんた”が、「ちょっと まって、おやかた」と さけんでしまいます。その声を、ともだちとかんちがいした大家は、よそをまわって またくるから、それまでに お金を そろえておくように、いいます。

 たんたは、小判に化けて窮地を救おうとします。ところがこれがなかなかうまくいきません。お鍋の蓋のようになったり、コメ粒ほどになったり。ようやく本物そっくりになった小判は 大家のところへ。

 「もうにどとかえってこないかも しれないぞ」と、心配する馬方のところへ、からだじゅう きずだらけの こだぬきが かえってきました。大家が本物か かんだり、別の小判でたたいたりしたのでした。

 馬方は、たんたの傷の手当てをし、おやだぬきに かえしました。それからは家賃をためないで、しっかりしっかり 働いたという。

 

 素朴な感じの版画が、昔話にぴったりです。家事をするこだぬきの可愛いこと可愛いこと。

 輸送手段としても利用された馬や牛ですが、昔話にでてくる馬方は西日本、牛方は東日本といいますが、必ずしもそうではないようです。


クレムとカニさん

2022年05月26日 | 絵本(外国)
    クレムとカニさん/フィオナ・ランバーズ・作 久保純子・訳/文化出版局/2019年
 
 
 クレオは 海辺が大好き。
 
 砂浜に打ち上げられた”たからものたち”だけでなく、人々がおいていってしまったものも たいせつにあつめています。
 ある日、オレンジ色のものが いっしゅん 顔をのぞかせました。岩の下にいったり、上にのぼったりしているのはカニさんでした。たからものでいっぱいになったバケツをもって、かえろうと思ったとき、カニさんは いなくなっていました。
 
 たからものは、おねえちゃんといっしょに、海にかえすもの、リサイクルするものにわけます。バケツには、カニさんもはいっていましたが、海に住む生き物だからと、海にかえします。
 
 家に帰るバスのなかで、だれかが 足をかんでいるようでした。よくみると、ズボンのすそに、カニさんが。家に帰ると、器にたっぷり水を入れて、カニさんのおうちをつくってあげました。それから あつめてきた”たからもの”で、学校で発表するための作品作りにとりかかりました。
 次の日、クレムとカニさんは、水族館にいって 海を守ることだったり、プラスチック問題だったり、どうやったら 海を救えるかを たくさん学びました。
 
 クレムは、作品の発表のとき、海辺でひろった プラスチックのゴミからできていることもはなし、「みんなで力をあわせれば 海も 海辺も救えるよ。小さなことの積み重ねで 世界をかえるのだから」と、一生懸命つたえました。そのとき、とつぜんカニさんが とびだして 床を あるきました。
 先生から、カニさんは、自然に返してあげたほうが しあわせなのではないかしらと言われて、海辺に カニさんをかえすにいくと、海辺では、クラスのおともだちが お掃除をしていました。
 
 クレムは「わたしは みんなをかえられたんだわ」「だれでも せかいをかえられる!」と、しあわせな気分でした。
 
 
 表紙と裏表紙の見返しの海辺の風景は、一変しています。
 
 「だれでも せかいをかえられる!」とメッセージは明確ですが、どんなことが問題になっているのかに触れた部分が少ないのが難点でしょうか。
 
 訳は元NHKアナウンサーの久保純子さんですが、昨年のMLBのホームラン競争でも、インタビューしてましたね。

いたずらがらす

2022年05月25日 | 絵本(日本)

    いたずらがらす/さとう わきこ/福音館書店/2022年(こどものとも793号)

 

 リンゴの実が赤くなり、動物たちがやってきて、「もう たべごろかな?」「いや まだじゃない?」と、がやがややっていると、からすの おやぶんがやってきて、「ひとくちたべれば ぜんぶの リンゴが おいしいかどうかわかるよ」。

 ばばばあちゃんは、一口ならといいますが、からすがいっぱいやってきました。

 あしたくるからカアーというからすを まちかまえるため ばばばあちゃんは、ひもに 台所用品を たくさん ぶらさげ まちかまえます。

 ところが、からすは、ガランガランと、音を鳴らしたり、踊ったりして あそびはじめました。

 「こりない やつらだね」と、おもちゃの弓で 驚かそうとした ばばばあちゃん ですが、からすは、「はずれ、はずれ、カアー」と、へいちゃら。

 そこで、ばばばあちゃんが 持ち出したのは いなずまじるしの 花火玉・・・。

 

 最後は、花火で落下したりんごでつくったケーキを、みんなでいただき 幸せそうです。

 

 ばばばあちゃんの 笑顔が とっても素敵ですよ。


かじ屋と妖精たち

2022年05月24日 | 昔話(ヨーロッパ)

      かじ屋と妖精たち/イギリスの昔話/脇朋子・編訳/岩波少年文庫/2020年

 

 ニールは、母親を早く失くし、アラスデア・マクイーチャンというかじ屋の父親と二人暮らし。

 父親は、息子が一人前になるまでは、よくよくきをつけるよう知り合いから忠告を受けていました。ニールが、いかにも妖精たちがさらっていきそうな若者だったのです。妖精たちは、気に入った人間を見つけると、自分たちの光の国へ連れていき、死ぬまで躍らせるのだと言われていました。

 アラスデアは、妖精たちの魔力を遠ざけるため、夜には必ず小屋の戸口にナナカマドの枝をかけるようにしていました。

 ある日、父親はどうしても一晩、留守にしなければならなくなり、夜には、かならず戸口にナナカマドの枝をかけておくようにニールにいい、出かけます。

 アラスデアがかえってくるとニールは、家の掃除はしていないし、家畜の世話もせず、ベッドに横になっていました。身体はやせこけていて弱弱しく、肌は黄色く、しわだらけ。何日かたっても息子の様子はそのままで、食欲だけは底なしになり、朝から晩まで食べ物を欲しがってばかりいた。

 困り果てているアラスデアのところへ、ある日、物知りで知恵があることで有名な名高い老人がたずねてきました。老人は、息子は取りかえ子といい、それを確かめるために、あるかぎりの卵の殻に水を入れ、取りかえ子のよく見えるところに並べるようにいいます。息子だとおもっていた何者かは、それを見ると「生まれてこのかた八百年、こんなへんてこりんなことには、ついぞおめにかかったことがないわい!」と、金切り声を張り上げました。

 アラスデアの話を聞いた老人は、「そいつが寝ているベッドのすぐ前で、火を燃やし、なんで火を燃やすのかと聞かれたら、すぐに、そいつをつかんで、火の真ん中かにほりこめば、そいつは屋根からとびだしていくじゃろう」と、いいます。

 アラスデアが、老人のいうことを実行すると、取りかえ子は、悲鳴をあげ、屋根から飛び出していきます。

 それから、アラスデアは息子を連れ戻すため、老人の言う通り、満月の夜に、草の生い茂った丘にでかけます。満月の夜だけ開く扉から、聖書と短剣、オンドリをかかえて、妖精が歌ったり踊ったりする場に、踏み込みます。

 剣を敷居のうえに突き刺すと、妖精は人間の手で鍛えられた鋼鉄にはさわれず、塚の扉は閉まりません。聖書は、魔法よけになり、オンドリのなきごえは妖精の楽しみの終わりを告げるラッパのようなものでした。

 親子が妖精の国をでたとき、妖精は息子が声を失う呪いをかけました。ニールは、かじ屋の仕事を、これまでと同じように手伝いをしましたが、妖精の呪いで、一言も口をきけなくなります。

 やがて、息子が救い出されてから、一年と一日がたったとき、アラスデアは、新しい諸刃の剣を作る仕事にかかっていました。父親が刃の形を整える仕事にかかろうとしたとき、ニールの頭に、妖精の国ですごした日々がよみがえりました。妖精のかじ屋が、まぶしく輝く剣をどんなふうに仕上げていたか、技と呪文との両方を駆使して、どんなふうに刃を鍛えていたか、思いだしたのでした。ニールが剣の仕上げを自分の力で鍛えると、「この剣は、持ち主を、けっして裏切らないよ」と、一年と一日ぶりに声をはっしました。この時を最後に、妖精の国ですごした記憶は、すべて消えてしまいます。その後、ニールは、氏族で一番のかじ屋となりました。

 

 父親と息子がでてくると、ほとんどが息子が主役になりますが、このように父親が活躍する昔話には めったに、お目にかかりません。こんな話もあるのだというのを再認識しました。


一で糸屋のおまきさん

2022年05月23日 | いろいろ

          愛蔵版おはなしのろうそく10/東京子ども図書館編/2010年

 

リズムが楽しい まりつき歌。

 一で糸屋のおまきさん

 二で煮染屋の数子さん

 三で魚屋の鯛子さん

 四でしるこ屋のあん子さん

 五で呉服屋の絹子さん

 六でろうそく屋のてる子さん

 七で質屋のお倉さん

 八で花屋の春子さん

 九で薬屋のきく子さん

 十でじゅず屋の球子さん

 煮染屋は、?となりますが、「八は、花子さん」もありでしょうか。また、十は豆腐屋がでてきてもおかしくありません。

 先日参加した、おはなし会で、いっかいペープサートで歌い?次に名前を歌ってもらうという趣向があり、童心にもどって楽しめました。おはなし会では、合間に手遊びが入ったりと、いろいろな工夫もあります。

 いまは、子どもが、歌いながらお手玉やまりつきで遊ぶ風景はみられませんが、どこかで生きているのもうれしいことです。


小さな赤いセーター

2022年05月22日 | 創作(外国)

      愛蔵版おはなしのろうそく4/東京子ども図書館編/2000年


 あしたは、ティモシーのパーテイ。おかあさんは、ティモシーが着ていけるように、小さな赤いセーターを あらいました。外は 風が歌っていて、よく乾きそうでした。

 ところが風が、ちょっといたずらをしたので、小さい赤いセーターは、ものほしづなからはずれてとんでいき、野原をこえて大きな茶色のカシの木にの枝に、ひっかって とまりました。

 小さな赤いセーターは、ティモシーのために どうしても家に帰ろうと、カシの木にお願いしますが、カシの木は、腕を動かせません。やってきた雌牛も黒と白のまだらの馬も、子羊も高いところには とどきません。

 そして次にリス。リスが小さな赤いセータを枝からはずすと、いたずらした風が、あっというまに もとの庭に連れて帰りました。

 

 風がつよめで暖かな秋ごろ、洗濯物がよく乾きそうな日に、ぴったりです。

 小さな赤いセーターが、雌牛や黒と白のまだらの馬、子羊に 繰り返しお願いするあたりでは どうなるのかと興味をいだかせます。リスは木に登れからと安心していると、ちょっと期待を裏切るかも。


あんぱるぬゆんた

2022年05月21日 | 絵本(日本)

    あんぱるぬゆんた/代田昇・文 宮良貴子・絵/銀河社/1976年

 

 「あんぱる」は、マングローブの茂る河口付近の地名で、重税に耐えかえて逃げる農民を、この地で待ち受けて捕らえたことから名づけられた地名といいます。そして「ゆんた」は「読み歌」。労働や行事のとき歌われたという「沖縄・八重山古謡」で、擬人化されたカニが ぞろぞろ。

 

 今日は、めだかがにの 生年祝。島中のカニたちが祝宴の料理や踊りを楽しみます。

 わっさわっさと材料を運び、ごちそうを つくるのは のこぎりがざみ。

 ごちそう もるのは そでがらっぽ。

 料理をすすめるのは みはりがにが。

 舞台を作るのは おきなわなじゃご。もずくがにが 大きな銅鑼を 打ちならす。

 笛の 伴奏は ぜんそくがに。三味線がくわわり 踊りだす カニの群れ。踊りは 夕日が落ちても 続きます。

 

 カニにこんなに種類がいたかと仰天。おかがに、はまがに、いとひきがに、たいわんがざみ、おきなわあなじゃご・・・。

 絵から、まるでカニたちの踊りや歌が聞こえてくるようです。


おじいちゃんとおばあちゃん

2022年05月20日 | 絵本(外国)

    おじいちゃんとおばあちゃん/E・H・ミナリック・文 モーリス・センダック・絵 まつおかきょうこ・訳/福音館書店/1986年

 

 「はじめてよむどうわ」シリーズの5です。

 こぐまんくまくんは、ある日、おじいちゃんとおばあちゃんを たずねました。きれいなものや面白いものが、たくさんあって、ケーキやクッキーなどもだしてくれるので、こぐまくんはおじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。こぐまくんは、おじいちゃんに おはなしをお願いします。まず、いっぷくしないというおじいさんのために、キセルをとってもどってみると、おじいちゃんは ぐうぐう 寝ています。そのかわり、おばあちゃんが、あずまやで、こまどりの お話をしてくれました。

 ここから、三つのお話が展開します。

 かあさんぐまが、まだちいさいころみつけたあかちゃんどりの話(おかあさんとこまどり)

 おじいちゃんは、こびとのコブリンの話。

 おとうさんおかあさんが、おむかえにくる話(くたびれてなんかいない)

 ここには、おじいちゃん、おばあちゃんとくまくんのゆったりとした時間が流れています。くまくんは、両親やおじいちゃん、おばあちゃんに、みもまもられながら、大事な時間を過ごしています。

 モーリス・センダックの淡い感じの色合いも落ち着いています。

 おじいちゃんは、「わしは、ぜったいに くたびれたりはせんぞ」と、無理して踊ったり、「コブリンのおはなし」は、じぶんがこわくなると じらしたりして 孫の気持ちに理解ある存在です。


 「こびとのゴブリン」は、ゴブリンが走るあとを、おいかけてくる音の話。走っても走ってもピタパタ ピタパタ ピタパタ と追いかけられますが・・・。短いので、この部分を小さい子に語ることができそうです。


おばけのジョージー

2022年05月19日 | 絵本(外国)

    おばけのジョージー/ロバート・ブライト 光吉夏弥・訳/福音館書店/1978年

 

 絵本は50年以上たっても読み継がれることは珍しくありません。この絵本は作者が1944年に、娘と息子のために書いたとありますから、70年以上も前の話。

 

 ニューイングランドの小さな村に、ホイッティカーさんの小さないえがあり、小さな屋根裏におばけのジョージーが住んでいました。

 ジョージーは、毎晩同じ時間に、階段を”みしり”といわせ、広間のドアを””ぎー”と いわせました。すると、ホイッティカーさん夫婦は寝る時間だとわかり、ねこのハーマンはねずみを探し回る時間だとわかり、ふくろうのオリバーは”ホーほー!”と鳴く時間だとわかりました。

 ところが、ホイッティカーさんが階段の緩んだ階段の板に、釘を打ち、ドアの ちょうちがいに、油をさすと、異変がおこりました。

 ホイッティカーさん夫妻、ねこのハーマン、オリバーは、時間がわからなくなってしまったのです。

 ホイッティカーさんの家は、おばけがすむには不具合で、ジョージは ほかの家をさがすことに。ところが、どこの家にいっても、もうおばけがいました。おばけがいない一軒の家がありましたが、この家は、おばけがすむには、怖すぎました!。

 そこで、ジョージーは おとなしい めうしの 小屋ですごすことにしますが・・・。

 

 おばけが怖がる家がでてくるのは、ご愛敬。そしてあまり隙のない家は、おばけが住むには適さないという、ユーモアたっぷり。

 住みにくくなった家を家出!でしたジョージーですが、想像できるような結末もすっきりです。ホイッティカーのみなさん、ジョージがいなくなった期間は、どうしていたのか気になります。

 日本の昔話には貧乏神がでてきますが、ニューイングランドでは、おばけ?でしょうか。


ポチャッ ポチョッ イソップ カエルのくにに つたわるおはなし

2022年05月18日 | 絵本(昔話・外国)

    ポチャッ ポチョッ イソップ/アーサー・ビナード・再話 スズキコージ・絵/玉川大学出版部/2022年

 

 湧き水の沼地に平和にくらしていたカエルの国に「へいわボケもんだいを かんがえる かい」が立ち上がりました。

 天の神に、つよリーダーがほしいとお願いすると、「どうしても ほしいのなら」と、「丸太大王」が 落ちてきました。

 驚いたカエルたちは、はじめにげまわりますが、丸太大王は、じっとしているだけ。そのうち、若いカエルたちが、勇気を出してそばまで泳ぎました。触っても、背中に乗っても 王さまはじっとするだけ。

 あきたらないカエルたちが集まり、天の神に、もういちど「つよいリーダーがほしい」と、頼むと おくられてきたのは「コウノトリ大王」。

 「なあんて りっぱな おうさま!」と、カエルたちは感心しますが、待っていたのは とんでもないできごと。コウノトリがカエルたちをつかまえては、ゴクッ、パクッと のみこみはじめたのです。みんな びくびく かくれて くらすことに なりました。

 

 当たり前だと思っていた平和や自由が、いつのまにか失われていく恐ろしさ。危険がいっぱいなのに、気がつかないことがおおいのかも。

 よわよわしくみえたリーダーが、プロパガンダを展開して、いつのまにか 独裁者の道を 歩みだすことも。


ターシャのかずのほん 

2022年05月17日 | 絵本(外国)

    ターシャのかずのほん 1はいち/ターシャ・デューダー ないとうりえこ・訳/メディアファクトリー/2011年

 

 「子どもといっしょに、なにを数えるのかが、たいせつ」と、身近なもので数えていきます。

 3は つばめ、6は こども、9は さくらんぼ、13は ケーキのろうそく、17は ほしたひょうたん、そして最後の20は かりのむれ。

 カラーと白黒のページが交互に続きますが、カラーの絵が丁寧に描かれています。

 子どものほか、でてくるのは、ひよこ、ツバメ、リンゴ、花などナチュラリストらしいものばかり。

 作者は晩年、アメリカバーモント州の森に囲まれた荒れ地に、広大で美しいナチュラルガーデンをつくりあげたと、ありました。