どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

鼻の崎の名づけ話・・長崎

2024年10月09日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 腹をすかし、おまけに雨にあった旅人が歩いているうちに、道の地蔵さんの手元にみつけたのがにぎりめし。お地蔵さんに感謝して、口いっぱいほおばって食べると、お地蔵さんのかぶっていた傘をかぶり、そこで雨宿り。腹が太っていつのまにかうとうとしていた。

 「おるがけち(しり)ほれ、おるがけちほれ」という声で、ひょいと目が覚めると、もう雨は小降りになっていた。また同じ声がしたので、あたりをみまわすと、どうも地蔵さんの下から聞こえてくる。そこで地蔵さんをひっくり返してほってみたら、うちでのこづちがでてきた。旅人は、それをなでまわしたり、たたいてみたりしていた。おもしろくなって、「出れつん」といって鼻をたたいてみると、そのひょうしに鼻が、「ビュー、ビュー」とながくなってとびでた。旅人は、あらこんなに長くなって困ったなと途方にくれていた。これをひっこめるにはどうしたものかと考えていて、ひょいと思いついたように「入れちん」といってみると、そのひょうしに、「ヒュルヒュル、ヒュルーッ」と音を立てて引っ込んだ。旅人が慌てて鼻の先をなでてみると、またもとの鼻。

 うちでのこづちで、よか着物と銭をだし。宿屋にとまった旅人が、鼻がどこまでのびるかあそんでいると、鼻はのびるわにびるわ。もう日が暮れかかったので、あわてだした旅人は、「入れちん、入れちん」といって、取り込みはじめた。はじめは調子よく引っ込んでいたが、三会町と松尾町の境のところで、火事があった。あわてて、「入れちん、出れちん、入れちん、出れちん」と言っているうちに、鼻の先が赤く焦がれてしまった。それで三会町と松尾町の境を「鼻の埼」と名づけたという。

 

 うちでのこづちで、鼻をのばすというと、長者の娘の鼻をのばして、婿におさまるとか、天までのぼるというのがほとんど。伝説にからめたものは少ない。


トシ来い ヨシ来い・・長崎

2024年10月06日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 狭いようで広い日本。一度は行ってみたい五島の再話。

 むかし、夫に死なれ再婚した女の人には、ヨシという子がいて、再婚した相手にはトシという子どもがいました。女の人は、ふたりをわけへだてなくかわいがっていたので、まわりの人たちは感心していました。

 ある春の日、重箱にご馳走をつめ、ふたりの子を連れて、七つ瀬に遊びにいきました。ちょうど大潮で、ずっと沖まで潮がひいていましたが、キャッという声の方を見ると、子どもより大きなタコ。
 おっかさんは、わきにあった丸太ん棒をひっつかむと、死にものぐらいでかけだしました。滅多打ちにしたタコの足は七本しかありませんでした。

 めずらしい大タコだったので、おっかさんは持ち帰ろうとしましたが、おなごの力ではどうにもなりません。そこで足を七つに切って運ぶことにしました。なんべんもいったりきたりしているうち、だんだん潮がみちて、遊んでいた子どもの姿が見えなくなりました。おっかさんがびっくりしてみまわすと、はるか遠い瀬の上で、腰のところまでつかって、波にのまれないように抱き合っている姿が見えました。

 「トシヨイ。ヨシよい。」 おっかさんは白い脚絆の片方がやぶれ、はずれましたが、そんなことにかまっていられません。おっかさんは、波をざぶざぶわけていき、背がたたないところは泳いで、こことおもわれるところをさがしましたが、二人は見つかりません。つかれはてたおっかさんは、岸にはいあがると、気を失ってしまいました。
 気を失ったおっかさんは、探しに来た人にねんごろに手当てされ、気を取り戻りしましたが、それからは毎日浜に出て、「トシ来い。ヨシ来い。戻ってこい。」と、沖の方を見て泣くのでした。

 そのうち、子どもの命日がきて、二、三人の子どもが遊んでいるのをみていたおっかさんは、急に去年のことを思い出したのか、「トシ来い。ヨシ来い。」「トシ来い。ヨシ来い。」とか細い声でよびながら、着物を着たまま海の中へはいっていきました。かわいそうに、おっかさんは、二度と浜にもどってきませんでした。

 それからまもなくして、七つ瀬にあった島では、「トシコン。ヨシコン。」という声がしたという。


横手五郎・・長崎

2024年10月03日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 「あんたがたどこサ 肥後サ 肥後どこサ 熊本サ」と、手まり歌ではじまりますが、最後はちょっと せつない。

 横手五郎は諫早の生まれで、おっかさんの手ひとつで育てられた。生まれつきの力持ち。おっかさんが仕事のとき石のひきうすに帯でしばりつけても、ちのみごの五郎は、この重たいひきうすをひきずった。

 おっかさんとふたり暮らしの五郎は、多良岳から薪をとってきては町へ売りにいって、暮らしをたてていた。ある日、五郎が枯れ枝をたくさんとって帰ってきたところ、おっかさんは留守。となりの人に、枯れ枝にさわらないように頼んで、また出かけた。おっかさんが帰ってきて、枯れ枝に手をかけようとしたので、となりの人はさわらんようにおしとどめたが、おっかさんは、「よか。よか。」と、ナタでたばねた縄を一気にたたき切った。ところが、五郎の怪力で固く締め付けられていた縄がいっときにぱっと四方に飛び散り、おっかさんはこれにはねられて死んでしまった。親孝行の五郎は、嘆き苦しみ、毎日墓参りし、一年間は家を離れなかった。

 そのころ、加藤清正公が城をきずきはじめられた。城造りの仕事をすれば、悲しみもまぎれるかもしれないと、五郎は人夫になって働きはじめた。どんな大きな石でも軽々運ぶので、あっちこっちの大事な仕事に重宝がられていた。ところが、五郎に城の秘密のところまでやらせたので、外の者にしられては安心ならんということで、城の工事があらかた終わったころ、深井戸を掘らせ、その底で働いていた五郎を、上から大石を落として殺してしまおうとした。ところが五郎はびくともせず、下かから大石をうけとめてしまった。それでも、城の外にはでられないだろうとあきらめ、いっそのこと城の柱石になってやろうと考え、砂をたくさん落とすように叫び、生き埋めになって五郎の姿は見えなくなった。

 熊本城の横手掘に名を残した長田村の五郎の話。


ひまんじょくれ・・長崎

2024年09月29日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 親と早く死に別れ、仲良く暮らしていた二人の兄弟。次郎が庄屋で働くことになった。

 庄屋は条件を出した。「次郎、おまえがひまをもらうとき、もうそう竹の数を数えてもらう。そのとき四のすうじを口にしたら、おまえは、ただぼうこう。もしも、おれが、四の字を口にしたら、ほうこうちんは倍返しする」。

 約束の三年がたって、次郎がもうそう竹の数を数えることになった。もうそう竹は、四百四十四本。次郎は三年前の約束を忘れていて、「四百四十四本あったばない。」といってしまった。銭をたいそうもらって、家に帰れると思っていた次郎は、ひどく悔しがって、楽しみにまっていた太郎に、一部始終を話した。太郎もひどく悔しがって、倍返しのほうこうちんをもらおうと、庄屋のところへいった。

 三年たって、太郎がやぶからもどってくると、「三百本、百本、三十本、十本、三本、一本」と、早口で言った。庄屋は、「なんだって・・」と聞き返した。太郎が何度も早口で、「三百本、百本、三十本、十本、三本、一本」というと、庄屋は、「それは、四百四十四本じゃなかか。」といってしまう。

 太郎は次郎のぶんまで、ほうこうちんをもらって、勇み足で家にもどった。

 

 昔話では、兄弟が出てくると、しっかり者は弟のほう。この話では兄が存在感を示しています。


おらびぐら・・宮崎

2024年09月23日 | 昔話(九州・沖縄)

      宮崎のむかし話/宮崎民話研究会編/日本標準/1975年

 

 むかしむかし、ずっと山おくに炭焼きの小屋があった。ある夏のはじめの夜、おやじさんは、おかみさんや子どもたちを里の家に帰し、ひとり ぐっすりねむっていた。

 すると夜中ごろ

 「ヨイ」と呼ぶ声がした。おやじさんは、はっと目を覚まし、ついうっかりして

 「オイ」と返事をしたが、耳をすましても何も聞こえない。

 だれじゃろうと考えていると、またつづいて

 「ヨイ」とよぶ声。またもや

 「オイ」と返事をしてしまった。するとまた、こだまのようなやみの声がしした。

 「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」

 おやじさんは、はっと気がついた。

 「しまった。山んばの声くらべにひっかったか?。やりまけたら食い殺されるぞ。こら大変だ」

 「どうしようどうしよう」 いまごろ気がついても もうおそい。そのあいだも

 「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」。 よび声がだんだん早くなる。

 おやじさんは、のどがかわき、のどがからからになった。もうだめかと思ったその時に、ひょいと、よい考えがひらめいた。

 旅の坊さんが、一夜の宿のお礼においていった琵琶だった。それを柱からおろすなり、ぎゅんと弦を張って、ピンとならした。

 「ヨイ」「ビン」「ヨイ」「ビン」「ヨイ」「ビン」

 おやじさんは、もう夢中で かきならした。何時間やったかおぼえていられない。

 と、ふっとやみの声がきえた。

 薄気味悪い静かさの中に、谷川のせせらぎが聞こえてきた。

 おやじさんは、にぎりこぶしで顔のあせをふき、琵琶をふし拝んで、ていねいに柱にかけた。

 夜、山ん中では、わけのわからないよび声には、用心がたいせつじゃということじゃ。

 

 タイトルがどこからきているかわからずじまい。声くらべする山んば!。日本の昔話には かかせない”山んば”は、まだまだありそう。


あの木はなんの木か・・宮崎

2024年09月20日 | 昔話(九州・沖縄)

      宮崎のむかし話/宮崎民話研究会編/日本標準/1975年

 どちらが頑固か、我慢比べの話。

 ばったり道であった日高笹衛と横山久之助のふたり。こんもりと木々に囲まれたお宮には、大きなエノキがあった。その下には小さなムクノキ。

 森の木のあて比べがはじまった。

 笹ぼんは、「あれはムクノキじゃ」というと、久之助どんは、すかさず、「あれはエノキというもんじゃ」。

 大勢の見物人が、ふたりをけしかける。ふたりの言い争いは、日が西にかたむいてもおわらない。見物人も、ひとりへり、ふたりかえって、とうとう、頑固なふたりだけになった。

 あたりが暗くなっても、まだふたりはがんばっていた。しかし、だんだんつかれて腹もへってくる。ついに笹ぼんが「エノキじゃ。」というと、久之助も、「ムクノキじゃ。」と、よわよわしくいいだした。とたんにふたりはおかしくなって、わらいだした。「いやあ、おまえには根負けよ。」「いや、おれこそ負けたわい。」。

 

 ふたりが見ているのが、上か下の違い。どちらも正しいのだから、引くに引けない。


みそマメつき・・佐賀

2024年04月26日 | 昔話(九州・沖縄)

     佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年

 

 むかし、兄妹が、二番がくさん(二番目のおかあさん)に、マメをにていた大釜につきおとされ、かわいそうに死んでしまいました。ふたりは、裏薮にうめられましたが、そこから一本の青竹が芽を出してのびました。

 ひとりの虚無僧が兄妹のうちの前で尺八を吹いていたが、はたと音が出ない。裏の竹藪を見ると、そこに一本のいい青竹があった。その青竹をゆずってもらい、尺八を作ってみたら、前よりもいい音が出た。

 この虚無僧が京のはたごのまえで尺八を吹くと、京の町へ商いに来ていた兄妹のとうちゃんが聞くと、「おとっちゃん、京のすずりも何になろう。おとっちゃん、京のかがみも何になろう。まま母おそろし、チンチロリン。」とすすり泣きする、我が子の声が聞こえてきた。京のみやげに、兄はすずり、妹は かがみをほしがっていました。

 とうちゃんはいそいで家に帰ったが、わが子の姿がみあたらない。二番がくさんがいうには、はやり病にかかって死んだという。四、五日たって、裏の竹藪にいってみると、根元から一尺ばかりのこっていた竹の中から、「おとっちゃん、京のすずりも何になろう。おとっちゃん、京のかがみも何になろう。まま母おそろし、チンチロリン。」と、京で聞いた虚無僧の尺八の音色と おなじ、わが子のすすり泣く声が聞こえてきた。

 

 昔話には、悪役?のまま母がよくでてきますが、”二番がくさん”とよぶのは、はじめて。

 継母があれば継父もありますが、こちらのほうはほとんど見たことがありません。同じように後妻があるなら後夫もありそうですが、こちらもみたことがありません。


又ぜえさんと閻魔さま・・福岡

2024年01月04日 | 昔話(九州・沖縄)

       子どもに贈る昔ばなし19/小澤俊夫・監修/小澤昔ばなし研究所/2023年

 

 又ぜえさんという、とんちのある人が寿命にはかてず、閻魔さまのところへいきました。

 閻魔さまから「お前は生きているあいだ、何をしてきたのか」と聞かれ、「百姓でございましたが、魚をとることが大好きでした。一番うまいのは、鯰のかばやきでした。」と、又ぜえさんは答えました。こんなにうまいものはないというので、閻魔さまも鯰をとろうとします。

 漁には、とくさ着をきていくようにいわれ、閻魔さまは、又ぜえと着物を取り換え、三途の川へ。とれるのなんの、鯰はいくらでも取れ、かば焼きにして食べたら、うまかったので、極楽へやってよいぞと、おもった閻魔さま。

 ところが、いざ着物を着換えるだんになって、又ぜえさんは、「わしは閻魔大王ぞ。うそばかりいうやつは地獄いきだ」と、閻魔さまを地獄におくってしまいます。

 さあ、それからは、筑前の者はみんな極楽。あんまり極楽行が多いので、蓮の葉のざぶとんがたりなくなり、後から来た人は、蓮の葉に似ている、かいもの葉にすわることになりました。一方、地獄にはだれもこなくなったので、大きな釜がいらなくなって、古物屋に売ってしまいました。そして、その空き地を耕して、そばを植え、そば粥もちが食べられるようになり、今では、地獄がいいという話。


う五郎さんのにぎりめし・・福岡

2024年01月03日 | 昔話(九州・沖縄)

      子どもに贈る昔ばなし19/小澤俊夫・監修/小澤昔ばなし研究所/2023年

 

 秋になって、猫の手もかりたいぐらい村じゅうが忙しくなりましたが、う五郎さんは、仕事もせずぶらぶら。早く手伝いをたのまないと手が足りなくなるよといわれても平気。

 村の人の稲刈りがほとんど終わったある日の夕方、う五郎さんは、となりの人へ、「うちは明日稲刈りをするからな」といいました。となりの人は、そのとなりの人へ、この話はあっというまに村じゅうに広がりました。翌日、おおぜいの人がう五郎さんの家に、集まりました。とにかく、おおぜいの人で稲刈りはどんどんはかどりました。おおぜいの人が集まってきたのは、う五郎さんは、稲刈りの手伝いをしてくれたら、おいいしいご馳走を出すと公言していたのです。

 昼頃になって、う五郎さんの家からおいいしいにおいがしてきました。そのころ、稲刈りはほとんど終わっていましたが、う五郎さんは、「昼飯にしてもいいのだが、昼飯を食べて、また稲刈りというのもたいへんだろう。ちょっとおそくなるけど、昼飯前にぜんぶがんばってくれないか」といいました。みんなも、それはそうだと思い、一息に刈り上げてしまいます。

 手伝いの人が、いよいよご馳走が出るとわくわくしていると、う五郎さんは、「家が狭いので、一列に並んで、順番に入ってくれ」と、言います。だされたものは、いりこのしょゆ味のにぎりめしとたくあんだけ。ご馳走と聞いて、朝めしや前のばんめしをぬいた者もいて、昼めしもぬいていたので、だまされたと思いながら食べてみると、そのうまいことうまいこと。さらに順番を待っている人から、はやくはやくとせかされ、外に出たときは、<うまかった>という気持ちだけでした。入り口と出口がちがうので、ごちそうの中身がわからず、う五郎さんに騙されたことにはらをたてましたが、「ひもじいときにまずいものはない、だろう」という、う五郎さんの言葉にまちがいはありませんでした。

 

 う五郎さん、つぎの年、「二匹目のどじょう」を ねらったのか、別の方法を考えたのか?。


きっねの恩返し・・鹿児島

2023年11月19日 | 昔話(九州・沖縄)

        鹿児島のむかし話/鹿児島のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 「きつね」ではなく「きっね」。発言の違いでしょうか。

 五郎作どんが、崖にしがみついている親子のきっねを助けると、あくる日、馬小屋の前におかれていたのが、ぴかぴかの真鍮ででできた「くら」。

 恩返しで「くら」というのも あまり例がないのでは?

 五郎作どんの馬はたいへんりこうな馬。五郎作どんは、いつもいっしょ。山道をくだっていると、馬が急に動かなくなりました。急がないと暗くなるので、たづなを 引っ張るが馬が歩こうとせんし、首をたてにふって、前足をつっぱったまま。

 五郎作どんが、「何かの知らせかもしれん」と思い直し、あたりをよくよく注意してみたが、マムシもおらん。どうにもならんと、たばこをいっぷくしようとしたとき、馬が左手に見える崖のほうを見て「ヒヒーン」「ヒヒーン」と、もう、ふとか声でなく。

 五郎作どんが、「こーらなんかあっど」と、崖に近づくと、親子のきっねが、目の上の前の崖にしがみついて、いまにも谷川に落ちそう。五郎作どんが、なんとか助けると、きっねはうれしそうに、しっぽをふりながらやぶの中へ。

 

 きっねの恩返し、五郎作どんではなく、馬への恩返しでした。


かねつけどうこう・・佐賀

2023年10月28日 | 昔話(九州・沖縄)

      佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年

 

 むかし佐賀・武雄市のさびしい村に小さな寺があって、おしょうさんと「どうこう」という名前のこぞうさんがすんでいた。

 ある冬の寒い日、おしょうさんはいろりのそばでこっくりこっくりしはじめた。こぞうさんからとこについて休むようにいわれ、立とうとすると、玄関の戸の開く音ががした。はいってきたのは大男で、「あり金ばぜんぶだせ! 声を出したら、これだぞ!」とどなって、おしょうさんのむねんところに、刃物をつきつけた。どうこうさんはブルブル震えていたが、おしょうさんは、こんくらいのことでたまがるような人じゃなかった。

 おしょうさんは、にこにこわらって、「こんな山の中の寺に銭なんかあるもんかい。あんた、見たとこ若そうだから、親も兄弟もあるだろう。はよう心ばいれかえて、まじか人間にならんば。」と、やさしくいうてきかせたが、泥棒は、「やかましか、説教など聞きとうなか。ぐずぐずいうと、たたっ殺すぞ。」と、もっている刃物をふりあげた。

 それまでやさしい口調で話していたおしょうさんの顔が、みるみるうちにまっかになって、びっくりするような太い声で、「そがんわからいなら仏罰うけろ! どうこう、ぼやぼやすんな。はよう鐘つき堂の鐘ばついて、村じゅうの人ば、集めんなさい。泥棒ばひっつかまえて、ひどいめにあわしゅうで。」とさけぶと、鐘などつかわんでも、村じゅうに聞こえわたった。

 おしょうさんが、仁王さんのような目ん玉で、泥棒をにらみつけると、泥棒は、おかしなことにフクロウになってしまい、山のほうへにげていった。おしょうさんが、「あわれなやつたい。かわいそうに。」と、ぽかんと外をみていた。

 今では、静まりかえった山の中から、「かねつけどうこう。かねつけどうこう。」と鳴く、声がきこえるが、ありゃ、フクロウになった泥棒が、悲しんどっとたいね。

 

 フクロウを「かねつけどうこう」と呼ぶ地域が、ほかにあるのでしょうか。?


そば食い平太‥佐賀

2023年10月21日 | 昔話(九州・沖縄)

        佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年

 

 村の若者が、そばずきな平太に、ほんとうにどのくらい食うかもちかけると、平太は大きなどんぶりで25はいは食えるという。若者は、いくらそば食い平太でも、25はいは無理だろうと、かけをすることに。

 かけの約束してから、平太は困ったことになったと思うた。なんとか25はいのそばが食える方法はないかと考え悩んだ。あしたがそば食いのかけの日の前に、腹へらしたいと薪をとりに山へ出かけた。

 山道を歩いているとき、おおきなヘビが、おおきなネズミを呑み込もうとしたところにでくわした。ヘビは、一ぴきのネズミをペロッとのんでしまうと、また二ひきめもぺろり。ヘビは平太の前で、十ぴきのネズミをつぎつぎにのみこんでしまった。しばらくしてから、ヘビは重たい腹をひずづって、草むらへ行くと、そこにあった草をぺろぺろ食べはじめた。平太がずっとみていると、いままで丸太棒のように太かったヘビの腹は、その草をたべたとたん、すうっとちいさくなっていった。これだと思った平太は、そば25はい食うたら、草を食おうと、その草をもってかえっていった。

 平太は草をもっているので、安心してそばを食い終わった。ところが、つぎの日の朝、日が高くなっても平太はなかなか起きてこない。みんなで平太の部屋にいってみると、平太の姿はどこにも見えず、ふとんの中に、そばだけが山もりになっていて、みんなはびっくり。

 ヘビが食うた草は、ネズミのからだをとかす力があって、平太のからだをみんなとかしてしまい、そばだけがのこったという話。

 (そいから先は、ばっきゃあ)


とったんおるかん・・佐賀

2023年10月18日 | 昔話(九州・沖縄)

        佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年

 

 むかし、たいそうなかのよいじいさんとばあさんがおって、ふたりとも、「先に死んだら床の間においてくれ」と、こんなことばかり話していた。ばあさんがほうがなくなって、じいさまは泣く泣くお葬式をすませ、なきがらを棺桶におさめ、床の間においた。

 ある日のこと、ふしぎなことに棺桶のなかから、「とったん、とったん おるかん。」と、よぶこえがきこえてきた。じいさんは、びっくりして、「おる、おる、ここにおったい。」と喜んで答えた。そしたらまた、しばらくして、「とったん、とったん おるかん。」というので、じいさんはまた「おる、おる、ここにおるたい。」と、答えていたが、一日中、おるかん、おるかんとよぶので仕事にもでられず、たいそう困ってしまった。

 最初のうちは、ばあさんの声をきいてよろこんでいたじいさんも、ほとほと弱ってきた。じいさんの返事がすこしでもおそかったりすると、ばあさんはおこったような声で、「とったん おるかん。」と、さけぶようになってきたので、だんだんおそろしゅうなってきた。ばあさんには悪いが、なんとかしてこの家からぬけだそうとかんがえていたところに、一晩だけ泊めてほしいという、おへんろさんが、やってきた。「うちには病人がいるがそれでもよければ、おとおまんなさい」といって、泊めることにした。しばらくして、ちょっとでかけるが、病人が 隣の部屋から、<とったん、とったん おるかん。>とよんだときは、<おる、おる>と答えてやってくんさいと、たのんで大急ぎで家をでた。おじいさんは、そのまま若者宿にかけこんで、あずき飯を食べさせてもらい、布団にもぐりこんだ。

 一方、、じいさんの家では、おへんろさんがたったひとり留守番していたが、となりの部屋から「とったん、おるかん。」という、声がしたので、おへんろさんはおじいさんのことばを思い出して、あわてて「おります。おります」と、答えると、返事のしかたがかわっているのがわかったのか、また「とったん おるかん。」といいながら、声がだんだん近づいてくる。気味が悪くなったおへんろさんは、すっかり気味が悪くなって、自分の持ち物を全部まとめて、こっそり家を抜け出してしまった。

 じいさんを呼ぶ声は、返事がないので、棺桶にはいったまま、ごろごろころがり、おへんろさんの後を追いかけていった。しかし、若者宿の前までくると、棺桶はピタッととまり、「とったん おるかん。」と、呼んだ。若者が、「とったんは、きておらん。」というと、棺桶は、若者たちのねているところを、ひとりひとりにおいをかいでかいてまわった。しかし、どんなに においをかいでも、みなあずき飯のにおいばかりで、ちがったにおいの者はおらんかったんで、棺桶のおばあさんは、「ここにゃ、じいさんはおらんばい。」と、うらめしそうにいいながら外へころがりでてしもうたて。

 じいさんは、「こいでよかった。」と、よろこんだて。

 こいまで。


へそまがりの子ガエル・・福岡

2023年10月13日 | 昔話(九州・沖縄)

        福岡のむかし話/福岡県民話研究会編/日本標準/1983年

 

 親の遺言の話。

 子ガエルは、かあさんガエルのいうことを聞かず、いつも反対のことばかりしていました。

 留守番を頼まれると外へ遊びに行きます。かあさんガエルが重い病気になって、冷たい水でからだをひやしたら、どんなに気持ちがいいだろうと、子ガエルに冷たい水でからだをふいてくれるよう頼むと、外で虫を取ろうと遊んでいた子ガエルが かあさんガエルのまくらもとにもってきたのは、なまぬるい水。

 かあさんガエルの病気がだんだん重くなり、「ぼうや。おねがいだから、おかあさんが死んだら川にうめて頂戴ね。」というと、大きな息をひとつして死んでしまいました。いつも反対していた子ガエルは、せめて、おかあさんが死ぬときにいいつけたことだけは、望みどおりにしようと、川底に穴を掘ると、おかあさんの亡骸を埋めました。子ガエルは、やっとおかあさんの思い通りにできてほっとして、うれしくさえありました。

 ところが梅雨になって川の水が増えると心配なことが持ち上がりました。川底に埋めたおかあさんの亡骸が、今にも流されるのではないか。いやもしかしたら、もう流れてしまっているのかもしれません。

 子ガエルは、雨が降るたびに、おかあさんのことが心配になりました。子ガエルは、濁って勢いよく流れる川の水を見つめているうちに、はっと気がつきました。おかあさんは、本当は、山にうめてほしかったのではないかしら。ぼくが、いつも反対のことばかりするので、こんどもそのつもりで、「川にうめて」といったのにちがいない。そこまで考えた子ガエルは、取り返しをつかないことをしてしまったと、声をあげて泣きました。それ以来、へそまがりの子ガエルは、雨がふるたびに、おかあさんの亡骸がながされるのではないかと心配して、ゲコ、ゲコ、ゲコ グェッ グェッとなくようになりました。

 

 「孝行したいときに親はなし」。思い当たることもありますね。


がわっぱとお竹どん・・熊本

2023年07月28日 | 昔話(九州・沖縄)

       熊本のむかし話/熊本県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1973年

 

 熊本では、かっぱのことを がわっぱといった。 

 ある夏の日の昼下がり、川の中にある大石の上で、がわっぱが 五六匹並んで、甲をほしていた。

 かっぱは、魚を釣りにきた男に、魚のいる場所を教え、男が釣った魚を、全部横取りしてしまった。男は、つぎからつぎへとつれる魚にきをよくしていたが、びくをみて、一匹も入っていないのを見て、がわっぱに、思い知らせようと、横目で、びくをのほうを見ていた。そして、水の中からすうっと黒い手がのびてくると、その手をおさえ、がわっぱの頭をたたいて、さらの中の水を落としてしまった。

 男は、「もうけっして悪さはせんから許してはいよ。」という、かっぱを、馬小屋の柱にしばりつけ、自分は、フナの料理で一杯飲みながら、夕涼みをしていたが、いつのまにかねむってしまった。

 この家のお竹どんが、馬に水やりにいったら、がわっぱが泣いて仕方がない。「ああ、やかましか。」と、お竹どんが、馬の飲み水をがわっぱの頭にあびせた。すると、がわっぱは、泣くのをやめ、笑い出した。がわっぱは、さらに水がたまると、何十倍もの力が出て、縄を引きちぎって、お竹どんに、お辞儀をしながら逃げていってしまった。それからは、お竹どんがいるあいだは、がわっぱのいたずらがなかったそうな。

 

 「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したもので、その呼び名や形状は各地方によって異なる存在といいます。