どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

すからかっぽの瀬戸が浜・・岡山

2022年08月31日 | 昔話(中国・四国)

      岡山のむかし話/岡山県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 朝早くから夜遅く働いても、満足に食うこともできない若者が、となりのじいさんに相談すると「すからかっぽの瀬戸が浜へ参ってみい」といわれます。若者が、ひまも金も着るもんもなけりゃ、弁当もねえというと、じいさんから、「金も、着物も貸してあげる、弁当も用意する」といわれ 若者は、「すからかっぽの瀬戸が浜」を目指します。

 この「すからかっぽの瀬戸が浜」の場所というのが、とにかく南へ南へいったさき。日が暮れたら「すからかっぽの瀬戸が浜」へ参るというと、どこでも泊めてくれるという。

 おじいさんがいうとおり大きな新しい家で、そのとおりいうと、大歓迎されるが、「すからかっぽの瀬戸が浜」へいったら、三年越し寝たきりで動くことができないむすめがどうすれば なおるか聞いてほしいと頼まれる。

 次に泊まったのが夜中に化け物が出るという家。おまけに、三人の息子がでていったきり戻ってこないという。

 こんどは大きな川で大きな大きな大蛇にであい、夜も昼もからだが はっかりはっかりほてり、しんどくてどうにもならないという。

 こわいもんじゃから「わかった」という返事をして旅をつづけた若者がようやくついたのが大きな砂浜。ここが、じいさんのいうとった「すからかっぽの瀬戸が浜」かと思うて、向こうの方を見たら、あまりおおきくはないが、きれいなきれいなお宮がみえる。かしわ手を打つと、ギーッと戸が開いて、きれいな着物を着た女の人がでてきた。

 まずはじめにとめてもらったむすめの病気のことを聞くと、庭石に仏様の石を使っているのが原因で、病気になっているという。

 夜中にお化けが出る家は、その家の下に、銀が千つぼ、金が千つぼあって、でたいでたいというので、それをだせばいい。

 大蛇は、くわえている金の玉を捨てれば、すぐなおる。

 自分のことを聞こうと思うて首をあげると、女の人はもういない。はるばる参っても、なんぼ たのんでもでてこないならしかたがないと、帰ることに。 

 大蛇は、金の玉をお礼にあげるから、もっていくようにいいます。

 お化けの出る家では、金銀の半分をもらい、むすめが病気の家では、病気が治ったむすめといっしょに、おじいさんにお礼にいき、そのあと夫婦に。

 「自分のことは、聞かんでも、人のためにすれば大家の若だんなになれたというむかしばなしじゃ。」と、結びます。

 

 木のまたアンティ(フィンランド)(子どもに語る北欧の昔話/こぐま社)、三本の金の毛のある悪魔(グリム童話集/岩波少年文庫)、三本の金の髪の毛(チェコ)(のら書店)などにみられるパターンで、冒頭に出てくる予言の部分を除けば、ほぼ おなじシチュエーションです。


ヘビと船長

2022年08月30日 | 絵本(昔話・外国)

    ヘビと船長/ふしみ みさを・文 ポール・コックス・絵/BL出版/2021年

 

 悪いことが重なって船を失った船長の楽しみは、朝早く散歩すること。

 船長は海辺に住むヘビに、毎日、やさしく声をかけていました。そんなある朝、とつぜんヘビが話しかけてきました。

 船大工に頑丈な船を作るよう頼み、そしてふだんの二倍のお金を払うということ。

 船長が、びっくりしながらも、言われたとおり頼むと、つぎに、12人のたくましい船乗りをやとい、ふだんの二倍のお金をはらうということ。

 ヘビは大きな木箱に入り、船長、12人の船乗りとともに港をでます。船乗りはどこへむかっているのか誰一人しりませんでした。

 船長は毎日、船底のヘビに会いにいきましたが、ある日、ヘビは、空と海がひとつになるような大嵐が来る。嵐の真夜中にやってくる巨大な黒い鳥を打ち落とさなくてはならないといいます。船長が船乗りに訪ねると、ひとりが名乗りをあげます。船長は、ヘビがくれた元気のでる薬を、船乗にわたし、その薬をのみこんだ船乗りは、黒い鳥を打ち落とします。

 それから数日すぎたころ、ヘビは、みえてきた港に船をつけ、足の速い船乗りに、丘の上の小さな家にいくようにいいます。その家には、ひどく年とった赤目のおばあさんがいて、火打ち金と、火打ち石と、火打ち箱をもっているので、それをぜんぶ とってきてほしいというのです。ただ、三ついっぺんではなく、一度にひとつづつと いいます。

 足が速い船乗りは、なんとか理由をつけて、おばあさんのところへいき、ひとつひとつもちだしますが、そのたびに とんでもない目にあいます。背中の皮をむしりとられたのです。ところがヘビの用意したぬり薬と飲み薬をのむと、なにごともなかったようにもとに、もどったのです。

 ヘビの注文は、さらに続きます。甲板から、おばあさんの道具で火をつけ、祝砲を12発打つこと。そして王さまの家来がきて、牢屋につながれたら、「船に珍しいものが積んであるから、それを王さまに見せるまで、罰をあたえないこと。」

 王さまが船にいくと、甲板には、七年前にいなくなった王子が立っていました。王子は、おばあさんのきまぐれでのろいをかけられ、ヘビにされてしまい、とおい国へ連れていかれたのでした。のろいをとくには、魔法の火打ち金と火打ち石と火打ち箱が必要だったのです。

 王さまは、船長にすばらしい船と金銀財宝、船乗りたちにはごちそうをふるまい、一生のんびり暮らせるだけのお金をあたえました。

 

 見開きだと4コマの絵、絵の下に文章が。

 足の速い船乗りが、おばあさんのところへでかけ、そのたびに背中の皮をむしりとられる場面が三度もでてきて、その場面が長く続くので、グロテスクに思う方もおりますが、すぐに治るというのが昔話。

 「フランス・バスクのむかしばなし」とありますが、バスク地方は古い歴史を持っており、興味深い。マゼランが航海中に死亡し、後を継いで史上はじめて世界一周を達成したファン・セバスティアン・エルカーノはバスク人という。このとき使用した船もバスク人がつくったもの。

 船乗りが12人で、黒い鳥のほか別のエピソードがあってもよさそうですが、活躍するのは二人。ひとりだけさんざんなめにあうのですが、ほかの船乗りの出番があってもよさそうです。


アフガニスタンのひみつの学校

2022年08月29日 | 絵本(社会)

    アフガニスタンのひみつの学校/作・ジャネット・ウィンター 訳・福本友美子/さ・え・ら書房/2022年

 

 20年前、タリバン政権下で、女子が学校へいくことが困難だった時代。そんななかでも、ひみつの学校がありました。

 父親が兵士につれていかれ、その父親をさがしにでかけた母親もかえってこなかったナスリーンは、おばあさんにつれられて、ひみつの学校へいくようになりました。

 はじめは、先生とも、ほかの女の子とも、なにもしゃべらず、自分の殻に閉じこもっていたナスリーンでしたが、やがてミーナという子に 心をひらき ・・・。

 

 当たり前のように学校にいくことができる日本からは考えられないのですが、難民になって、学校へいけない子どもも多く、世界では、これが当たり前ではないことに あらためて気づかされます。

 いったんは、力をうしなったタリバンですが、いままたアフガニスタンを支配するようになり、女子が学校に行くことも困難になっているようです。ロシアのウクライナ侵攻のかげにかくれていますが、いまの現状はどうなのでしょう。

 だれがひみつの学校を運営していたのかはさだかでありませんが、どんな状況にあっても、「窓をあけ、黒い雲のむこうに青い空をみる」ことができるように努力する々がいることが希望です。


魔法のことば

2022年08月28日 | 絵本(日本)

    魔法のことば/訳・金関寿夫 絵・柚木沙弥郎/福音館書店/2000年

 

 作者名が載っていなく訳者としてのっているだけなので、何?とおもったら「エスキモー」につたわる詩とありました。

 「魔法のことば」とあるので、呪文みたいなものがでてくるかと思ったら、ぜんぜんちがっていました。

 人と動物がともに この世にすんでいたとき

 なりたいとおもえば 人が 動物になれたし 動物が ひとにもなれた。

 そしてみんなが おなじことばを しゃべっていた。

 したいことを、ただ 口に出していえばよかった

 なぜ そんなことが できたのか だれにも説明できなかった

 世界はただ、そういうふうになっていたのだ。

 

 「ことば」が魔法で、「世界はただ、そういうふうになっていた」と有無を言わせません。

 絵は、岩窟にえがかれた壁画のよう。人と動物がいっしょだったり、左右対称風があったりと 絵を見ているだけで楽しい。 

 

 ところで、エスキモーというのは、植民地時代に外部の人間によって付けられた呼称で、それに反発して、カナダに住むエスキモーがイヌイットと自称しはじめたことを念頭におきたい。


うかいの うがい

2022年08月27日 | 絵本(日本)

    うかいの うがい/さくら せかい/ブロンズ新社/2018年

 
 「うがい」は「鵜飼い」からきているのは本当らしい。まあ一つの説というらしいが。
 
 ある日、竹の筏に乗ったハンさんと、イー、アル、サン、スー、ウーの五羽のウたちが、かわにやってきました。
 
 たんこぶができたり、こえだがささったり あごがはずれたり、水草が絡まったり、カニにさされたしたウを助けて、面倒をみていたハンさん。
 鵜飼いになって、魚をとろうと考えたハンさんでしたが、いくらおしえても ウたちは うまくとることができません。
 
 なんども なんども おしえて のどを痛めて がらがら うがいを はじめると ウたちも 面白がって ハンさんのまね。
 
  がらがら うーうー がらがら うーうー
  がらがら うーうー がらがら うーうー
 
 その音を聞きつけた 魚が 筏のまわりにやってきました。ウたちは ぱしゃぱしゃ とびこみ、ぴゅんぴゅん およいで ぱくっ ぱくっ と 魚をとることができました。ウたちは なんどもなんども 飛び込みます。
 
 それから、漁の前には みんなそろって うがい。
 
 ところが、ウーだけは ごっくん と うがいが 苦手。さかなを呑み込んでしまいます。
 
  がらがら うーうー がらがら うーうー
  がらがら うーうー がらがら うーうー
 
 たくさんの 魚が寄ってきて ウーがつかまえたのは なんと 巨大な 巨大な なまず
 
 あわてて、はきだそうとしますが・・・。
 

 山々を背景に、大河を進む筏、仙人をおもわせるハンさん、かわいらしいウたち と、いかにも中国を思わせますが、作者は日本の方。

 横線が何本も入っている光沢のある紙質も、いい感じです。

たのしすぎる科学の世界

2022年08月26日 | いろいろ

    たのしすぎる科学の世界/金子丈夫・監修/朝日新聞出版/2022年

 

 テレビのクイズ風の番組で、よくネタをさがしてくると思っていると、まだまだ おやっ!と思うことがいっぱい。

 子どもに 披露すると 見直されること 間違いありません。そんな内容が50。

・一億年後、ハワイは日本のすぐとなりにくる

 大陸が移動しているのは理解しているつもりでしたが、日本とハワイの間は、毎年約6cm縮まっていて、計算すると1億年後。

・北海道から沖縄にいくと体重が軽くなる

 もののおもさは地球の重力に引っ張られることで生まれ、体重30㎏の人が沖縄にいくと42gかるくなる。

・紙ひこうきと飛行機、同じ大きさなら どちらが重い?

 B5サイズのコピー用紙でつくった紙ひこうきは約3g。これを大型飛行機と同じ大きさに拡大すると、重さは1000トン。大型飛行機の重さは約400トンなので、紙ひこうきの方が2倍以上重い。

・人間とバナナの遺伝子は50%同じ

・人間をいちばん殺しているのは蚊

 

 ガリレオ、アインシュタインなど5人の科学者の人生がわかるマンガもあり、カロリー、デシベルなどの単位にもふれられています。


かっぱとすもうをとった幸助どん・・熊本

2022年08月25日 | 昔話(九州・沖縄)

      熊本のむかし話/熊本県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1973年

 

 正直で、信仰が厚く誰からも信頼され、おまけに村一番の力持ちの幸助どん。

 朝早く、馬を買いに田浦にへでかけた幸助どんが、とちゅう かっぱがでるという君が淵をとおると、どこからか自分の名前を呼ぶ声。暗闇に目を凝らすと、川の浅瀬に、赤ん坊ほどの怪物がずらりいた。

 うわさにきいたかっぱだなと思った幸助どん。弱みを見せると、つけこまれて淵の底に引きずりこまれてしまうと、「馬を買ってきた帰りに、相撲を取ってやろう」と約束します。

 幸助どんが、ねだんも手ごろでいい馬が手にはいったので、祝いの酒を飲むうち、思わず時を過ごしてしまい、君が淵のそばにきたときには、日もとっぷり暮れてしまった。かっぱとの相撲をとるのを忘れていた幸助どんが、かっぱから声をかけられ、相撲をはじめます。

 はじめるまえに、かっぱの頭のさらに、手をつけないこと、ひとりずつ相撲を取ることを約束して、人間とかっぱの力比べがはじまった。

 幸助どんは、つぎからつぎと かっぱを君が淵に投げ込みますが、新手があとからあとからやってくるので、「おまえたちもなかなか強い」と、かっぱの強さを認め、勝ち負けなしの引き分けを提案すると、かっぱも、幸助どんの強さを認め、みんな水の中に飛び込んでしまった。

 かっぱとの力比べで、からだじゅうが痛みだし、手をやってみると、べったりと血がついている。早く治療をしようと、ちかくの西宝寺へ急ぎ、わけを話すと、坊守さんが、お仏飯を仏壇からおろし、それを傷口にぬると、不思議に痛みが薄らぐことに。

 

 かっぱは とくべつ悪さをすることなく、力比べをしたいという存在。人間の強さを認めるいいところもありました。


ことりとねこのものがたり

2022年08月24日 | 絵本(日本)

    ことりとねこのものがたり/なかえよしを・作 上野紀子・絵/金の星社/2020年改訂新版(1982年初版)

 

  くろねこは ねこなのに 高いところがこわくて、木にのぼったり 屋根にのったりできませんでした。そのため ほかのねこからは 馬鹿にされ 仲間はずれに されていました。

 でも、そんなくろねこくんには、ひとりだけ ともだちがいました。それは 小鳥さんでした。

 くろねこくんは、毎日、小鳥さんのところへ行って まちのことなどを はなしてあげました。小鳥さんは 鳥かご暮らしだったのです。

 ある日、うまれてから いちども 鳥かごから だしてもらったことがないという小鳥のために、ねこくんは、鳥かごの入り口をあけました。うまれてはじめて 空を飛んだ 小鳥は 楽しくて楽しくてたまりません。

 「もう もどらなくていいよ」といわれた 小鳥ですが、かごのなかに もどりました。

 どうしてという問いに、「わたしが いなくなったら ねこくんが おこられるわ」と、答えた 小鳥ですが、次の日 床にたおれていました。寿命だっだのです。

 「こら! この のらねこめ! うちの小鳥を ころしたな」と、いえのひとは ねこくんが 小鳥さんをねらったとおもって おこりました。

 ねこくんは、小鳥の羽をくわえると 一目散に 逃げ出しました。そして そのまま まちでいちばん 大きな木の下へいきました。ほかのねこが、「のぼれるわけないよ。ぼくらだって のぼったことが ないんだから」と、みているなかで、ねこくんは とうとう てっぺんまで のぼってしまいます。

 そして、「小鳥さん ほら、ここがいちばん 空に ちかいんだよ」「こんどこそ かえってこなくても いいんだよ」と、くわえてきた羽を 離します。ゆうやけのあかりが 羽にあたり きらきらと 星のように かがやきました。

 

 小鳥を自由にしてやりたいという ねこくんと、ねこくんに心配をかけさせたくないという小鳥の思いが交錯します。

 ねこくんが 高い高い木に のぼるとき 自分にはできないと躊躇することは まったくありませんでした。それが小鳥さんのためでもあったからです。

 うまれてから いちども 鳥かごから出たことのない小鳥も、大空を舞うのが 実現して 本望だったのかも。


 舞台は、みどりいっぱいの どこか外国風の小さい町。


海の てがみの ゆうびんや

2022年08月23日 | 絵本(外国)

    海の てがみの ゆうびんや/文・ミシェル・クエヴァス 絵・エリン・E・ステッド 訳・岡野佳/化学同人/2022年

 

 海のそばの高台にひとりぼっちで暮らすゆうびんや。

 かたときも 目を離さず、波を見張り ガラスの瓶をみつけたら、栓をあけ なかに手紙が入っていたら かならず届けにいく。ちかくの村でも、長旅になるほど、とおくでも。枯葉のような古い手紙でも ふかい かなしみが にじんだ 手紙も。

 ある日、瓶の中からでてきたのは、あて名のない手紙。

「この手紙が まにあうか わかりませんが あすの ゆうがた 満ちしおどき、浜辺で パーティーを 開催します。 ぜひ、いらしてください」

 ゆうびんやはいっしょうけんめい届け先をさがしますが、はじめて手紙が届けられませんでした。

 その夜、ねるまえに 決心した。「あした、浜辺に いってみよう。いって、手紙を 書いた人に あやまろう。」

 ゆうびんやは、お気にいりの貝殻をもって 早い時間に 浜辺にいくと、浜辺には、海草とヒトデでかざりつけられ、貝殻のキャンドルが ゆらゆらゆれ パラソルもありました。

 昨日、手紙の届け先を訪ね歩いたケーキ屋、お菓子、カモメめに、船乗り それに大道芸人たちが あつまっていたのでした。みんな、こんな すてきな パーティーの 招待状を うけとってみたいと 思っていたのです。

 ささやかな パーティー。ゆうびんやの心は、ガラスの瓶 いっぱいに 満たされていました。

 

 原著は2016年と最近のものですが、淡いタッチ、海の青ならぬ緑が全ページに貫かれ、静寂とも孤独ともいえる風景がただよっています。

 海を漂うガラス瓶の手紙をみつけるのは、広大な砂浜から一粒の砂を探すようなもの。

 あてなのない手紙には、「明日の夕方 パーティーを開く」とだけあって、それがいつの 明日なのか わかる はずがありません。

 名まえも友だちもいないというゆうびんやですが、過去のすべてを捨て去るという経験があったのか?

 心まちにしていた手紙が 届かなかったのか?

 いつか 瓶に手紙を入れ 返事を待っていて かえってこない経験から おなじようなめを ほかの人に味合わせたくないと思っていたのか?。

 浜辺のパーティーは、心の隙間をうめる夢の時間だったのか?

 

 作者の思いとは別に、自由に想像がふくらみます。


なんにもせんにん

2022年08月22日 | 絵本(昔話・日本)


     なんにもせんにん/唯野 元弘・文 石川 えりこ・絵/鈴木出版/2017年


 山口県の昔話がもとになっています。

 むかし、ある村の仕事もせず遊んでばかりの若者。

 その日も、朝からぶらぶらしていると、道に小さい壷をみつけます。なかをみてみると、小さな小さな男が入っていました。か細い声に耳をすませてきくと、「わしゃあ、なんにもせんで、いつもあそんでるもんがすきなんじゃ。おまえさんちにつれてって、いっしょにくらしてくれんか?」と言っているようでした。

 小さい男と同居することになった若者ですが、日暮れまで遊んで家に帰ってみると、小さな男が大きくなっていました。
 若者が遊んで帰ると大きくなる男。どんどんおおきくなって家からはみだすほど。
 若者は寝るところがなくなり、土間で、次には家の外で寝る始末。

 そんなとき「稲刈りがいそがしくて手が足りんから、てつだってくれ」と村人から声がかかります。

 しぶしぶ働いて、若者が家に帰ると、男がちょっぴり朝より小さくなっています。若者が次の日も次の日も稲刈り手伝ってかえってみると、男は元の大きさに。

 男は若者が一向に遊ばなくなったので、「おねがいだ。わしを 壺に入れて、すててくれ。なんにもせんで、あそんでばかりいるもんに ひろってもらうから」と若者に頼みます。若者は男を壺に入れ、拾った場所におきにいきますが・・・。

 「なんにもせん」というのは、なんにもしないという意味だったんですね。題名を見たとき「せんにん」というのは仙人とおもっていました。

 でも、この壺また誰かに拾われたのか気になります。拾われないのは、みんな懸命に働いているということ。
 
 稲刈りをしている若者のしたに、だんだん小さくなる男が六つえがかれています。

 稲刈りの手間賃をもらった若者は、「働く喜び」まで得たのでしょう。

 村人はちゃんと若者のことを気にかけていたのでしょう。タイミングの良い声がけです。


やじゃあどん・・熊本

2022年08月21日 | 昔話(九州・沖縄)

         熊本のむかし話/熊本県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1973年

 

 ”やじゃあどん”は、熊本のトリックスターでしょうか。昔話には多かれ少なかれ 煙にまくような話がおおいのですが、話し手の方が楽しみながら話している光景がうかびます。

 その1

 やじゃあどんが、萱刈に出かけ、途中の谷川でカニをみつけ とろうとした瞬間、萱刈り鎌が自分の首にあたって、首がころっと切れて道にころがった。「だれじゃろか。だいじなもんば」と、拾い上げてみると、自分によく似ていた。自分の首に手をやってみると、自分の首がない。「わあ、こらあ、おれの首じゃった」と、あわてて自分の首を拾って両手でおし込み、山へ急ぐ。

 歩いているうちに自分の家が見えてきた。やじゃあどんはびっくりして頭をかこうとして気がついた。「ややっ こらしもた。首ば前後ろ、さかさまにつけてしもうた。どうりで歩きにくかった。あとずさりしてきたっかい。」と、首をひとひねり向けなおして、すたこらすたこら、山にむかって歩き出した。

 その2

 山でキツネとタヌキの話を聞いて、六時にキツネのところにでかけた やじゃあどん。キツネが馬にばけるのをまって、村長さんの家にいき、六両で売ることに。

 じつは六時半にキツネが馬にばけ、それをタヌキが やじゃどんにばけ、村長さんからお金をもらったら逃げもどり、そのお金を おのおの半分にわけることにしていた。

 その晩、村長が馬小屋に行ってみると、馬がいない。村長が、やじゃどんのところに、馬が来ていないかたずねると、やじゃどんは、タヌキにだまされたのではないかという。村長は、キツネもタヌキもさんざん棒でたたいた。

 その3

 やじゃあどんが、イノシシめがけて、一発撃つとイノシシがにげだした。イノシシをおいかけていくと、おっかけた玉がイノシシに命中。足をくくって担ごうと思って葛を探した。大きなつるがあったので、ひっぱってみると山芋のつる。山芋のつるでイノシシを担いで山をおりはじめると川にでる。

 川にうなぎをみつけ、足でうまくふみつけて、うなぎをつかまえて、川をわたりおえると、両方のポケットに ふながたくさんはいっていた。よっぽど運がついていると山道をおりていると、そこらじゅうにある いばらで くつのうらがわがすり切れた。山芋も、イノシシも、鉄砲もすりきれてしまい、しまいには、やじゃあどんの足も手もすり切えてしまう。

 やっと、自分に家について「はい。ただいま」というたときは、やじゃあどんのからだもすり切れてしまって、声だけが帰りつく。


動物たちは、お医者さん!

2022年08月20日 | 絵本(外国)

    動物たちは、お医者さん!/文・アンジー・トリウス&マーク・ドラン 絵・フリオ・アントニオ・ブラスコ 訳・古草秀子/河出書房新社/2017年

 

 動物たちの自分で自分を治す すごい力あれこれ。14種類の動物が取り上げられています。

・なじみのイヌでいうと、イヌの唾液には、細菌を殺す働きが。(ただし、人間が、イヌに傷をなめてもらうのは、有害な細菌をふくんでいる可能性があるのでだめ)

・ネコが草を食べているのは見たことがないが、草を食べることで、消化されない食べ物やたまった毛玉を吐き出すことができるという。

・サイが体にぬった泥は、天然の日焼け止めとして働いていて、有害な紫外線から皮膚をまもる。

・ヒグマはオシャの根と唾液を混ぜ合わせて毛皮にこすりつけ、虫よけや虫刺されの薬にする。

・アオカケスという鳥は、アリが分泌するギ酸を防虫シャンプーに利用するという。

 

 すごい力も裏返してみると、苦手なものがあるということ。ヒグマが虫に弱いというなどの発見も。


ひがたは たからばこ

2022年08月19日 | 絵本(日本)

    ひがたは たからばこ/写真・文 よしのゆうすけ/徳間書店/2022年

 

 撮影で、80か国ほどを訪れたという作者が、西表島のひがたの小さな生き物を通して、自然の営みを再認識させてくれます。

 

 おなじ場所が、海になったり、陸になったりする干潟。何もないようにみえて、よくよくみると小さな生き物が。

 シオマネキというカニが うごきだす。

 しこしたつと青いカニ。青い色をするのは子どものあいだだけというヤエヤマシオマネキ。

 陸で生活する魚ミナミトビハゼ

 エサを食べたあとに どろのだんごをつくるコメツキガ。

 シオマネキたちは、海の水がおしよせてくる時間がわかるように、すあなに どろをかかえて あっというまに かくれてしまう。

 この時期、海に出かける人も多いが、岩場などもよく見てみるとさまざまな生き物を見つけ出すこともできそう。

 食物連鎖にもふれられており、自然への興味を育んでくれそうです。


ちゃぼのバンタム

2022年08月18日 | 絵本(外国)

    ちゃぼのバンタム/作・ルイーズ・ファティオ 絵・ロジャ・デュボアザン 訳・乾侑美子/童話館出版/1995年

 

 デュモレさんの農場に、にわとりのむれのなかで、たった1羽、めだって からだのちいさなおんどりがいました。じつはデュモレのおくさんが、にわとりの巣箱に こっそり しのばせておいた ちゃぼ でした。

 かあさんどりの だいていた 卵の中で生まれた大きなおんどり。力が強くて とっても いばっていたので大将と よばれるようになりました。

 ときを つくり、めんどりを 世話するのも大将。

 バンタム(おかあさんが 立派な名前はいらないとつけた)は、めんどりのナネットがだいすきでしたが、そばにいこうとしても、大将から 追い払われてしまいます。

 バンタムがなんのやくにもたたないとおもいはじめたころ デュモさんも おなじことを かんがえ、町市場で 売ることにしました。

 ところが、つぎの朝、きつねがやってきて、動物たちは 大騒ぎ。大将もあわててにげだし、ものかげに かくれてしまいます。

 そんなとき、ナネットが、しっぽの羽を、きつねに くわえられたのをみたバンタムは、うまれてはじめて「コケコッコーオ!」と たからかに さけび するどいくちばしと つめで きつねに おそいかかります。

 とうとう森をめざして逃げ出したきつね。動物たちは、みんな大喜び。バンタムも愛の告白をすることができました。

 バンタムは、ひどく気まずい思いをしていた大将にむかって、なかよくしようといい、本当に大切なのは、からだのおおきいことでなく、勇気だと、よくわかったいた大将と、なかなおりの歌をうたいます。 

 

 原著は1963年発行。ご夫婦でつくられた絵本。

 「大切なことは体の大きさではなくて、勇気」というメッセージも明確。やっぱり愛の力はおおきい。

 いじめられていたバンタムが、大将と仲直りする場面。もしかして いじめをする子どもに なにかしら つたわったらいいですね。


チロヌップのにじ

2022年08月17日 | 絵本(日本)

    チロヌップのにじ/たかはし ひろゆき/金の星社/1983年初版

 

 1972年初版ですが、手に取ったのは1983年発行のもの。2022年に改訂版が発行されています。

 

 はじめのほうに虹が出てきて、最後のページにも虹。この虹ときつね以外は白黒です。

 北海のチロヌップという小さな島で、三人の漁師が、コンブ漁をしているとき、波にさらわれそうになった子ぎつねを助け、看病してやります。

 それから、三びきの子ぎつねが、するめをねだりに、番小屋にやってくるようになりました。漁師は赤、黄色、青のリボンを 三匹につけてあげ、それぞれアカコ、キスケ、アオタと名前をつけ 子ぎつねを見守ります。

 しかし、草花が、残り雪とともに 消えた ある朝、兵隊がやってきて、敵が攻めてくるから すぐ ひきあげるように いわれ、「かならず もどってくる」と言い残した漁師たちは島を離れます。そのとき島のドド山の上に、みごとな虹が、たちました。

 夏の近く、長かった戦争が終わり、島には10人ほどの人影が 浜に あがりました。

 3びきの 子ぎつねが、番小屋の人影に気がつき いっさんに とんでいきました。ひと晩がすぎ、二晩たったが 子ぎつねたちは 番小屋からもどりません。

 心配したとうさんぎつねが、暗くなるのを待って番小屋に近づくと、人の声がしました。子ぎつねのなきごえをきいたとうさんぎつねがいってみると、3びきの子ぎつねが、かわひもで かえでの木に つながれていました。とうさんぎつねが、アカコの かわひもに かじりつきていると人の足音。アカコだけを助けることができたとうさんぎつねが、もういちど 番小屋にいって 2ひきの 子ぎつねを助けようとすると、かわひもは 鎖にかわっていて、かみきれません。そして突然、ダーン ダーンと、恐ろしい音。

 2,3日後、かあさんぎつねが、小屋の後ろに回って、においをかぎまわっていると、とうさんぎつねと、子ぎつねのにおい。なんとか子ぎつねを くわえて 逃げますが、子ぎつねは ぴくりともうごきませんでした。

 それから、かあさんぎつねも、片足が鉄のわなにかかってしまいます。じぶんで自分の足をくいちぎったかあさんぎつねに、アカコは 傷口をなめたり、えさをはこんだり。

 やがて、一人だちを促したかあさんぎつねから、アカコは どへともなくさっていきます。

 北国の寒さと、ひもじさにたえて、ひっしに生きたおかあさんぎつねは、赤リボンをつけたアカコを見つけます。伴侶を見つけたアカコですが、きつね狩りの人影に狙われてしまいます。かあさんぎつねは、おそろしい においに気がつき、人影めがけて まっすぐらに かけおります。鉄砲の音とともに ドド山の 雪が すべりだし おおきななだれになって、深い崖を、海へとなだれこんでいきました。

 やがてアカコは、5ひきの 子ぎつねに めぐまれますが、最初にたすけられた漁師が、島に戻ってくることは、ありませんでした。

 

 一回救われ、しばらくしてやってきた人にも歓迎されると番小屋にちかづいたきつね。子ぎつねを必死に救おうとしたとうさんぎつねと子ぎつねは、命を落としてしまいます。

 片足を失ったかあさんぎつねの面倒を見た子ぎつね。その子ぎつねに自立を促すために追いやる母親の心情はどうだったのでしょう。

 戦争のかげが背景にあります。舞台は千島列島の島で、「人影」とあるのは、いまのロシア人でしょう。島にロシア人が住んで、近づけなくなったチロヌップの冲を、30年後三人の年おいた漁師がドド山の上の虹をながめながら「きつねが、おらたちを よんでるだ!」と叫ぶのは、まだ約束をあきらめていなかったようです。