どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

チェコの人形劇

2018年07月30日 | ちょっと遠出
 大使館にはいったのははじめて。


 チェコのアルファ劇場の人形劇がチェコ大使館で。

 「三銃士」ですが、チェコ語ではじまりどうなるかとみていました。さすがにダルタニアンだけはわかりました。

 下のスクリーンに日本語の字幕があったのですが、後方にすわっていたので、はじめは気がつかず、気がついてもフラットな客席なので最後までみえませんでした。

 しかし、場面展開のはやさ、人形のコミカルな動きでなんとかイメージがつたわりました。ちいさな子どもさんも多かったのですが、多分楽しさは伝わったのでは。

 舞台の前では二人が楽器を使って歌ったり、舞台を三つに分けて、役者のかたが顔を出したりと、日本の人形劇とはだいぶちがっていたようでした。



 大使館も色々イベントを開催しているんですね。いまさらながら気がつきました。

 これまで読んだチェコの昔話が人形劇になることも思い浮かべました。

くじらの だいすけ

2018年07月30日 | 絵本(日本)


    くじらのだいすけ/天野祐吉・作 梶山 俊夫・絵/福音館書店/1967年

 「むかしむかし」と、昔話風ですが、クジラが山にいたころとはじまり、海で暮らすようになったという由来話でもなさそうです。

 おおきなクジラが、歩くと山がゆれて、みんなに迷惑をかけるからと何十年もじっと、すわったきり。

 山のお祭りの日、はっくしょんと、おおきなくしゃみをすると、やぐらも提灯も、動物たちもすっとんでしまいます。
 「だいじなみんなのお祭りをだいなしにしてしまった」となげくクジラでしたが、カラスが「わざとしたんじゃない」となぐさめ、クジラがカラスと、どしんどしんと歩き出し、いったさきは海。

 クジラにふきとばされた動物たちが、おこっていないぞ!とよびかけても、クジラにはよく聞こえず、おこって追いかけてきたに違いないと、クジラのだいすけは、舟で逃げ出します。しかし、その舟が小さすぎて壊れてしまい、海の底へ。
 ところが海の中で、からだがかるくなり、すうーっとうかぶと、すいすい進み始めます。

 ひろい海で、だれにも迷惑をかけないからと泳ぎ始めたクジラに、みんなは、いつまでも元気にくらせよとよびかけます。

 みんなの気持ちはクジラにつたわったようですよ。

 動物たちにとって、クジラの背中はすべり台になったり、大きな体はかくれんぼするのに格好の場所だったので、山でも人気者でしたが、やっぱりクジラは海かな!

 「これからもなかよくしような」という優しい動物たち。

 でもでも、誰に気兼ねすることなく暮らせるのが一番のようです。

 動物たちがもつ提灯が印象にのこりました。


ふたりの旅職人・・グリム

2018年07月28日 | グリム

     ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろⅠ/モーリス・センダック選 矢川澄子・訳/福音館書店/1986年


 グリムの昔話でもあまり話されてはいないが、とにかく訳が楽しい。

 「ふたりの旅職人」がでてきて、一人は善玉の仕立て屋、もう一人は悪玉の靴屋。

 でくわすのは「人の子となるとよくあるもんでね」とはじまります。

 つれだって町へ。仕立て屋は稼ぎがよくてぱっと使うタイプ。旅を続ける二人。

 やがて、道が二本にわかれていて、近道は二日、片方は七日かかるという。仕立て屋は二日分のパン、靴屋は七日分のパンを用意して森のなかを進んでいきますが、三日目になっても森の中からでられず、仕立て屋は五日目にはパンを一切れめぐんでくれないかと靴屋にたのみますが、その代償は高く右の目です。
 ひもじさがぶりかえして、もう一切れのパンの代償は、こんどは左の目です。

 なにせ、靴屋は神さまなんぞ胸のうちから追い出してしまっていて石の心臓の持ち主。

 一方、仕立て屋は極楽とんぼぶりを思い知らされる存在。

 靴屋は、両目が見えない仕立て屋を、なんと首つり台へ置き去りにします。しかし、そこにいた罪人がいうことには、草の露で目を洗うと、目玉が生え変わるということ。
 めでたく両目を取り戻した仕立て屋が、のどもとすぎれば何とやらで、うたや口笛交じりで、旅を続けます。

 途中栗毛の子馬をつかまえますが、もっとたくましくなるまで待ってといわれ、子馬をはなしてやります。次にこうのとりをつかまえ食べようとしますが、これもはなしてやり、さらに小鴨、ハチの巣もそっとしてやります。

  こうのとりとのやりとり。「うまいかどうかは知らねえが、腹ぺこでそんなことかまっちゃいられねえんだ。その首ちゃんぎって焼き鳥にさせてもらうよ」。
 小鴨をつかまえると、親鴨が「だれかがあんたをさらっていって殺そうとしかけたら、あんたのお母さんだってどんなになげくかしれやしない。そうでしょう?」。仕立て屋「よしよし、だまれったら。子どもは返すよ」。

 「お皿が三枚からっぽで、四枚目にはなにもなしときた。やれやれ、たいした冷や飯だわ」というのは仕立て屋のセリフ。


 やがて王さまのおかかえの裁縫師に召したてられた仕立て屋ですが、そこに現れたのは例の靴屋で、王さまへ、あることないこと告げ口しては窮地においやります。

 「へそまがりの王さまのたってのご命令だが、どうせ人間業ではできっこないときまっている以上、あしたまでぐずぐずするのも及ばない。今日のうちにあばよ、また都落ちだ」と、にげだした仕立て屋でしたが、ここで鴨、蜂、子馬、こうのとりの出番です。

 窮地にたつたびに、運の悪いことを嘆く仕立て屋ですが、昔話で、ここまで主人公の気持ちを表現するのは珍しい。

 男の子にめぐまれなかった王さまが、靴屋から、仕立て屋は、男の子を空からさずけてあげられるといっているというと、王さまは仕立て屋に「わしに息子をもたらしてくれたなら、一番上のむすめを嫁にとらせようぞ」といいわたします。

 「こりゃたしかにたいしたごほうびだわい。やってみたくもなるけど、わしにゃあまりに高根の花ってとこだ。のぼっていったところで、足元の枝が折れて、おっこちるのが関の山だよ」・・仕立て屋。

 あまりにも簡単にいくことが多い昔話のなかで、ややクッションのある展開が楽しい話です。


オー・ツール王とガチョウ

2018年07月27日 | 昔話(ヨーロッパ)

       子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎・編/実業之日本社/1964年

 あまり聞きなれないエールの昔話とありました。アイルランド共和国のことで、「エール」というのはアイルランド語読みとありました。

 多くの外国の昔話が紹介されて、あらためて地図を確認すると、おもわぬ地理の勉強にもなります。

 若いころは狩りをするのがだいすきだったアイルランドのオー・ツール王も、歳をとって杖がなくては歩くのも困難になっていました。

 王さまは気分をかえるためガチョウを飼うことにしました。ガチョウはそこらを飛び回っても、王さまがよべば、すぐにもどってきました。王さまのあとを、よちよち歩いたり、湖の中を泳ぎ回って、よくふとったマスをくわえてきては、王さまにわたしたりもしました。
 ところが、このガチョウも歳を取ると翼も足も弱って、王さまはガチョウと遊ぶこともできなくなってしまいます。

 何の楽しみもなくなった王さまが、涙をながしていると、目の前に立派な若者がたっていました。

 若者は王さまの名前も、ガチョウのことも知っていました。若者は「古いものを新しくすること」が仕事だといいます。そしてガチョウをわかがえらせてあげましょうかと、王さまにもちかけます。

 よろこんだ王さまが、口笛をふくと、ガチョウがよちよちとでてきます。

 若者は、ガチョウをわかがえらせたら、なにをくださいますかと王さまに問います。

 「きみののぞむものをあげよう」と約束した王さまに、若者はガチョウが若返ってから、はじめてとびまわったとき、その下の土地を全部下さいといいます。そして、やせこけて骨をと皮ばかりになったガチョウをわかがえさせ、鳥の頭の上でおまじないのようなことをすると、ガチョウは空に舞い上がり、ツバメのようとびまわります。鳥はずっと遠くに飛んでもどってきます。

 若者は王さまに約束したことをおもいださせ、ガチョウがとんだ下の土地をくれるようにいいます。

 欲のない王さまは、ほんのちょっとだけの土地しか残らなくてもかまわないといいます。

 この若者は、じつは聖者ケビスで、王さまをためしにきたのでした。

 若者は、約束をまもったオー・ツール王をほめたたえ、王さまからもらった土地の半分を王さまにかえしてあげます。

 たかが?ガチョウのために土地を手放すという王さま。人生の終末には何が大事でしょうか?


いちばんつよいのはオレだ

2018年07月26日 | 絵本(外国)


   いちばんつよいのはオレだ/作・絵:マリオ・ラモ・作 原 光枝・訳/平凡社/2003年



 いじわるオオカミが、森で出会うみんなに「一番強いのは誰?」と尋ねます。
 そのたびに「あなたですよ」と答えられて、自信満々。

 オオカミは「おれがいちばん どうもうで、いちばん ざんこくだ! りっぱな いじわるオオカミとは おれのことだ。あいつらは みんな おれさまのまえでは しぬほど こわがっている。おれは 王さまだ!」と得意顔。

 ところが、ヒキガエルみたいな小さいやつをみつけ、「だれが いちばん つよいか 知ってるだろう?」と聞くと、ヒキガエルみたいなやつは「ぼくの ママさ!」と答えます。

 聞き間違いかな?と思ったオオカミの前には?

 ラストにはみどりいろの巨大なものが。おもわずあとずさりするオオカミ。

 巨大なものは なんだったのでしょう? 全体はえがかれていません。

 でてくるキャラクターに思わずニヤリ。

 赤ずきんちゃん、三びきのこぶたがでてきて、次は七人のこびと。オオカミといえば「七ひきのこやぎ」が出てきてもおかしくはないのですが、白雪姫にでてくるこびとです。

 いろいろ絵本に親しんでいる子どもには、楽しそうです。

 「井の中の蛙 大海を知らず」 日本には格好の格言がありますね。


かしこいお医者のやせぐすり・・タンガニーカ

2018年07月24日 | 昔話(アフリカ)

        子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎・編/実業之日本社/1964年


 歩くのもやっという女の人が、どうしてもやせたいと医者のところへ。

 医者は一度は高いお金をとって女の人を帰します。二度目にはもっとらしく、七日の命と宣告します。

 女の人は死ぬことばかり考え、なんにものどが通らず、夜も眠れません。
 医者からは七日の命といわれましたが、八日、九日すぎても死にません。

 女の人は、十五目に医者の所にいって、高い金ををとってだましたのねと文句をいいます。
 ところが医者は落ち着いて、女の人に「いまふとっていますか、やせていますか」と聞き返します。
 女の人は「死ぬのがおそろしくて、食べものも、のどがとおらなかったからやせましたとも!」と答えます。
 医者は「おそろしいと思う気持ちが、やせぐすりだったのですよ」


 思わず笑ってしまいました。この手の笑い話は、何度聞いても楽しいものと、一度聞いたらもういいと思うパターンの二つに分かれそうですが・・・。

 タンガニーカの昔話というので、どこかと思ったらタンザニアの昔話。
 タンザニアはタンガニーカとザンジバルが合併し成立した連邦国家ですが、タンガニーカはそのうちの大陸部をさすといいます。タンガニーカにはタンガニーカ湖やビクトリア湖があり、海岸部は平野、内陸部は高原、北東部及び南西部は高山地帯となっており、北東部にはキリマンジャロ山がそびえるとありました。


おれはワニだぜ

2018年07月22日 | 絵本(日本)


    おれは ワニだぜ/渡辺 有一:文・絵/文研出版/2013年


 くって ねて、また くって ねて、おれ、しあわせ・・・ だったはずのクロコダイル。
 突然、網にとらわれ、くろメガネの男に連れられて行ったのは 動物園

 輪やボールで芸をさせられ
 「めしのために こんなことばっかりして なさけねえ。ワニの はじさらしだ」

 移動の途中ではクロコダイルの皮で作ったバッグ、靴、財布、ベルトをみて
 「みんな クロコダイルの なかまたちだ。なんてことだ・・・。」

 「おやじがいっていたなあ ワニはワニらしく生きろって」

 鎖を断ち切って、水栓をこわしていくと街中みずだらけ
 「おれはやっぱりワニだ」

 水の中をゆうぜんとおよいで、海へ

 海の水はしょっぱくても自由は最高!

 最後は、「ヤッホー}ならぬ、{ワニっほう!」

 全文ワニのセリフです。「サメにあったらまっこうしょうぶだぜ」と、うそぶいています。

 おそろしいワニが、可愛く見えます。

 「クロコの きょうだいたちよ、みずに ながれて つちに かえれ」と、仲間のことも忘れていません。

 ワニの楽園は、どんなところかなあ。


「ネズミの嫁入り」に類似する昔話

2018年07月21日 | 昔話(日本・外国)

 絵本も30種類以上のものがあり、世界中にも分布しています。

 ねずみの夫婦がむすめに世界一のむこをさがすことになり、お日さまに頼むが、お日さまは、雲のほうがえらいといい、雲は風がつよいといい、風は蔵の壁が世界一えらいという。蔵はねずみがえらいといい、結局ねずみ同士が結婚することになるというおなじみの話。

・子どもに語る中国の昔話/松瀬七織訳 湯沢朱実再話/こぐま社/2009年初版

「ネズミ美人」(けものたちのないしょ話・中国民話選/君島久子訳編/岩波少年文庫/2001年初版)の中に、カザフ族の話が入っています。


・ウズベクの「ねずみ娘」(シルクロードの民話3 ウズベク/池田香代子訳 小澤俊夫編/ぎょうせい/1990年初版)も同じ話型。ストーリーはほぼ同様であるが、ねずみが女の子に変身したので、最後にねずみと結婚することになっても、ねずみの巣に入れず、母親が神様に頼んでねずみの巣穴に入れるようもとのねずみになるという結末が楽しい。

・「ミャンマー」では「ねずみの婚約者」(ビルマのむかしばなし/中村祐子ほか訳/新読書社/1999年初版)

 太陽、雲、風のつぎにくるのは山、そのあとに水牛がでてきます。

・ギリシャでは「ネズミのむすめご」(世界むかし話3 南欧 ネコのしっぽ/村 則子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)               

・古代インダス文明発祥の地パンジャブの「行者とねずみ」(世界の民話19 パンジャブ/小澤俊夫・編 関楠生・訳/ぎょうせい/999年新装版)もねずみの嫁入りの話であるが、でだしがカラスからのがれたねずみが、行者にたすけられ、いったん人間の子どもにかわり、女の子が大きくなると、行者がその子を見つけたときの様子を語って聞かせ、夫を探しなさいというもの。

猫はやっぱり猫(ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版)

 「ネズミの嫁入り」のベトナム版ですが、猫の名前です。

 一匹の猫を飼っている人が猫に天という名前をつけていました。
 ある日友人が天は雲にかくされてしまうのではといわれて、そうしたら雲と呼んだほうがいいかと思いますが、友人が今度は風は雲を追い払うといいだします。
 猫を風と呼ぼうとすると、城壁は風にびくともしない、城壁は、ネズミに穴をあけられてしまう、猫はネズミを捕まえることができるといわれて、猫の飼い主は結局、猫と呼ぶことになります。

 あちこちめぐって、もとのさやにおさまります。ほかのものがよく見えることがあるのですが、そうでなくあしもとをよくみてみなさいという話です。


石工の高のぞみ(ものぐさ成功記 タイの民話/森幹雄・編訳/筑摩書房/1980年初版)

 額に汗して働く石工。
 とある金持ちの家によばれ、身の不運をなげくと神様が金持ちにしてくれる。
 金持ちもお役人には平身低頭。

 なるなら役人がいいというと今度は役人に。あたりかまわずいばりちらしてまわる。
 ところがにぎにぎしく村を練り歩いていると、太陽の直射日光にやられてしまう。
 頭がズキズキした男は、今度は太陽に。
 ところが太陽は黒雲におおわれてしまう。
 黒雲は風にとばされて、今度は風に。
 しかし、岩は風にもゆるぎもしない。
 岩になった石工は、やがて数人の石工に切り出されてしまう。
 最後は石工にもどる。


          
月の上の鍛冶屋(五分間で話せるお話/マーガレット・リード・マクドナルド 佐藤涼子・訳/編書房/2009年初版)

 ラオスの話には鍛冶屋がでてくるものがある。
 鍛冶屋が石になり、彫刻家、太陽、月と姿をかえるが最後にはもとの鍛冶屋に。      
 神様も人間のきりのない願い事をよくかなえてくれるのも、落ち着くところを見通しているのでしょう。

 タイ、ラオスの昔話は、ねずみではないが、話型が同じもの。

 

・中川李枝子さん作の「ねずみのおむこさん」(よみたいききたいむかしばなし2のまき/中川李枝子 文 山脇由利子 絵/のら書店/2008年初版)も楽しいお話。

 

・ネズミのよめ(佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年)

 お日さまは、「暑すぎていっしょにいられないだろう」と言い、お月さまのところへいくのは、「静かで、いつもりっぱに光っている」というもの。ほかの話では、こうした理由がでてこない。


 「ねずみの嫁入り」をたどると古代インドの寓話集パンチャタントラ(1~6世紀)に同様の話があるといいます。
 「シンデレラ」の内容も9世紀の唐の文献にみえ、ヨーロッパの古い記録が17世紀ということからすると800年前に原型があったということになる。

 こうした内容は現時点存在する文献で確認されていうことだけで、記録に残されなかったことも考えるともっとさかのぼることができそう。古代エジプトは紀元前何千年もの歴史があることから、昔話の源があっても不思議な話ではない。

 昔話がどのような道を通って広まっていったかに思いをはせることも楽しい。宗教の広がりと同時に、また大陸や海を行き来した商人がもたらしたことも。そしてローマ帝国、モンゴル帝国、そして中国の歴代王朝などの超大国が伝播を可能にしたこともありそうである。 


ライオンとねずみ・・古代エジプト、イソップ

2018年07月21日 | 絵本(昔話・外国)


    ライオンとねずみ/リーセ・マニケ:文・絵 大塚 勇三・訳/岩波書店/1984年

 小さな小さなネズミが、人間につかまった大きな大きな強いライオンを助ける物語。「ライオンとねずみ」というので、すぐにイソップを思い出しました。

 イソップの話として1981年に岩崎書店から、「ライオンとねずみ」(絵:エド・ヤング 訳:田中とき子)、おなじ岩崎書店から(作:蜂飼 耳 絵:西村 敏雄)2009年に発行されていて、そのほかの出版社でもイソップの寓話とされていますが、ルーツはもっと古く三千年以上前の古代エジプトにあるといいます。
 これからいうとイソップの寓話というのも、それ以前のものが集大成されているのかも知れません。

 作者はエジプト学者で、原文が「デモティック」という書体でパピルスの巻物にかきつけられたものから再話したとありました。(象形文字の草書体というのが、本の見返しにありました)

 この再話では、人間が動物にとっていかに危険なものかがつよく打ち出されています。

 絵の人間がいかにも壁画風です。



    イソップのライオンとねずみ/バーナデット・ワッツ・再話絵 ささきたづこ・訳/講談社/2001年初版

 「イソップのライオンとねずみ」というタイトルで、バーナデット・ワッツが再話した絵本がありました。

 暑さを避けるため木陰で眠っているこどもライオンの前足をうっかり踏んでしまったねずみ。

 こどもライオンは唸り声をあげますが、ちっぽけなねずみをみて、どこへでもおいきよと唸るのをやめます。
 すると、ねずみは「わたしのたすけがいるときは、いつでもよんでください」といいますが、ライオンは「お前がぼくを助けるなんてできるとおもうかい」ととりあいません。

 やがて、こどもライオンは、このあたりでいちばん大きくなって、王さまとよばれるようになります。

 ある日、王さまライオンは、網でできた罠にかかってしまいます。
 キリンもぞうも、さるもシマウマも集まってきますが、どうすることもできません。

 そこにねずみがやってきて、網をかじり、ライオンが抜け出せる穴をあけます。

 大きくて強いと自負するライオンが、小さなねずみに助けられますが、体の大きさや外見の判断で決めつけないでといっているようです。

 欠点よりそれぞれの長所を見つけていくことでしょうか。

 本当に可愛いこどもライオンです。


近所にひっこしてきた子

2018年07月20日 | いろいろ

     ガラガラヘビの味 アメリカ子ども詩集/アーサービナード 木坂涼:編・訳/岩波少年文庫/2010年

 何年たっても話を、よくおぼえられない。覚えたと思っても人前で話すと、どこかとぶなどさんざん。
 短いものだと覚えられそうだが、これもなかなか。そして、短いものだと子どもにどう届けられるか自信がない。

 その点、大人向けでオチがあると短くても楽しめそうなものも。

 アメリカ子ども詩集に、思わずニヤリとするものが。

 (近所にひっこしてきた子)
 近所にひっこしてきた子は
 とってもタフで
 そのパンチ力ったらないんだ。

 からだはでっかいし めげないし
 らんぼうで 筋肉だらけ。
 ぼくは何度も 腕をひねられたし
 髪の毛だって ひっぱられた。

 近所にひっこししてきた あの子は
 ケンカっぱやいし
 ぼくの仲間もみんな
 やっつけられちやったんだ。
 ちょっとおびえちゃうよ
 (だって ぼくの二倍ぐらい あるんだぜ)
 足の指を 思いっきり踏んづけるし
 ボールも 横どりされちゃった。

 あの子は ほんもののワルなんだ。
 ○○○○○○

 どんな子かとおもっていると、最後の一行で、じつによくできていると思わせます。

 (走る人)
 ローラースケートが得意な少年。彼がいつか
 話してくれたーうんと速く滑走すれば
 自分のさびしさも追いつかないーと。

 チャンピオンを目指す理由として、これは
 最高ではないか。
 今宵、わたしはペダルをこいで、
 キング・ウイリアム通りを走る。
 自転車でも同じことができるか、考えている。
 自分のさびしさをおいてけぼりにするなんて、
 これぞ本当の勝利! さびしさのヤツは
 どこかの街角で息切れし、立ちつくすだろう。
 そのころ、こっちはツツジがいっぱいに咲く中を
 軽やかに飛ばす。桃色の花たちは、しぼんでも
 ぽろぽろ落ちても、さししさとは無縁だ。

 寂しさ、悲しみの際、思い出したい詩。

 詩だって語れるのを、教えてもらいました。


うかれぼうず・・グリム

2018年07月19日 | グリム

      ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろⅠ/モーリス・センダック選 矢川澄子・訳/福音館書店/1986年


 30分はこえ、あまり語られことは少ないグリムの昔話かもしれませんが、矢川訳のテンポのあるリズムが楽しめます。

 戦が終わり、お役御免になった「うかれぼうず」がもらったものといえば、ごくわずかなお金。
 わずかなお金も、物乞いにあげること三度。物乞いは聖ペトルスが姿をかえていました。

 聖ペトルスと旅をすることになったうかれぼうず。聖ペトルスは途中、臨終まじかの百姓の亭主の病気をなおし、お礼にと子羊一頭をさしだされますが、聖ペトルスはどうしてもうけとりません。もったいないとうかれぼうずは子羊を肩にせおって、また旅を続けます。

 おなかがぺこぺこになったうかれぼうずは、子羊を料理してくうことに。聖ペトルスは料理ができた頃を見はらってかえってくるからと散歩にでかけます。ところが散歩からかえってみると、一番食べたかった子羊の心臓は、うかれぼうずのおなかのなか。

 子羊には心臓なんかないといいはるうかれぼうず。子羊の心臓をくったと白状するかとせまる聖ペトルスとのやり取りが続きます。

 それからある国の王女を生き返らせた聖ペトルスは、ほうびをことわりますが、かわりにうかれぼうずは背嚢に金貨をたっぷり詰め込みます。欲がない聖ペトルスですから、金貨はいらないと今度はひとり旅です。

 別の国でまた王女がなくなったというのを聞いたうかれぼうずが、聖ペトルスのまねをして王女を生き返らせようとします。手足をばらばらにきりはなし、水に放り込んで火にかけます。肉がはなれると骸骨をとりだし、テーぶるの上にならべて、「いとも尊き父・御子・聖霊のみ名において、死せる女よ、立て」と、となえますが、もちろんうまくいきません。

 すると聖ペトルスが、お払い箱の兵隊といういでたちであらわれると、王女はすぐに生き返ります。
 ここでも何も受け取ってはならぬと聖ペトルスがいいますが、ここでもうかれぼうずは、金貨を手にいれます。

 ここで聖ペトルスは、うかれぼうずの背嚢に、望むものがなんでもおさまってしまう力をさずけて姿を消します。

 相棒のことばをためそうと、ガチョウに向かって、おいらの背嚢にとんでこいというとガチョウは背嚢のなかに。

 そして生きて帰った者がいないというお城で、九匹の鬼を背嚢にとびこませ、あげくにはてには鍛冶屋に大きな槌で背嚢をたたかせ、八匹はくたばりますが、一匹はなんとか逃げ出します。

 さいごは、楽に行けるという地獄にいきますが、鍛冶屋から逃げ出した鬼が門番になっていて、地獄にははいれずじまい。天国に行っても聖ペトルスからは拒絶されて・・・。


 子羊の心臓を食ったと白状するかとせまる聖ペトルスとうかれぼうずのやり取りも軽快です。

 うかれぼうずは、お礼や褒美はなにもいらないという聖ペトルスにむかって「ひゃ、このおたんちんめ」といいはなちます。

 ガチョウを気前よく職人にあげる場面は、なくてもいいところ。
 
 王女が生き返るところは、「ぴんしゃんして、そりゃきれいでね」

 鬼との格闘も真に迫っています。

 お城の王さまから、家来になってくれれば一生こまらないようにしてやるがと、もちかけられ「股旅暮らしが身についてまってね。旅を続けたいんでさ」・・・拘束を嫌い自由に生きる主人公の思いでしょうか。

 途中割愛されても、物語として十分に成り立ちます。ただ「うかれぼうず」がひっかかります。


トロルのこもりうた

2018年07月18日 | いろいろ
 悪役専門とおもっていたトロル。

 スエーデンでは、こもりうたにもなっているんですね!

 こんな歌です。

 (トロルの母さんの揺りかごの歌)
 トロルの母さんが11匹の小さなトロルを手がけて
 そしてかれらをしっかりと尻尾でつなぐ とき
 彼女はゆっくりと11匹の小さなトロルのために歌います
 彼らは彼女が知っている言葉にうっとりとします
 ホー アイ アイ アイ アイ プッツ

 トロルの母さんが11匹の小さなトロルと尻尾でつなぐ様子は、これまでのトロルのイメージがまったくかわります。


   香川節・訳(世界のこもりうたと 親子の人形 -子どもに元気をわたすひと- 浅井典子・著 エイデル研究所)

七羽のカラス・・グリム

2018年07月17日 | グリム(絵本)


    七羽のカラス/ブライアン・ワイルドスミス・絵 どばし たまよ・訳/らくだ出版/2000年

 お父さんの一言でカラスになってしまった七人の息子たち。

 その妹末っ子のアンナが、指輪と水に入った壺、小さな椅子をもって世界の果てに行きます。

 さらに太陽と月のところにいきますが、太陽はとてもあつくて、やけどをしないうちにそこをにげだし、月には冷たく意地悪されて、次にいったのは、星のもと。
 明けの明星から、兄さんたちのいるガラスの山の門をあける魔法の骨をもらってさらに旅を続けるアンナ。

 ガラスの山の門をあけようとすると、魔法の骨はどこかでなくしていました。しかし小指を差し込むと門はあきはじめます。
 ガラス山の中に入ると番人がいて、部屋に案内してくれます。カラスは留守でしたが、アンナはカラスの食事を一口づつ、カップの飲み物も一口ずつ飲み、最後のコップに指輪をおとしておきます。

 カラスの兄さんたちがコップの指輪をみつけ、妹がきたことがわかりました。アンナが姿をあらわすと、カラスの呪いはとけて、七羽とも人間の姿にもどり、家に帰ります。

 もとの話は、太陽は小さな子どもたちをむしゃむしゃ食べる存在。門をあけるときナイフで指を切り落として戸にさしこみますが、絵本ではドキッとする部分は割愛されています。そしてアンナは女の子、そしてガラスの山でむかえてくれるのは、番人ではなくこびと表現されています。

 なんといってもブライアン・ワイルドスミスの絵、とりわけ太陽、月、星、ガラスの山は魅力的です。しかし、兄弟の服が現代風なのは好みが別れそうです。

 初版では兄弟が三人ですが、二版以降では七人。七人のほうが物語の厚みが増し、絵本にしても絵になりやすいようです。


ヘンゼルとグレーテル

2018年07月16日 | グリム(絵本)

             
    ヘンゼルとグレーテル/飯田正美・絵 天沼春樹・訳/パロル舎/1997年

 グリムの昔話で、よくしられている「ヘンゼルとグレーテル」ですが、全部を通して読んだり聞いたりすることが意外と少ない感じです。
 語るとなると30分がこえることもあるのでしょうが、お話し会でも、ほとんど聞く機会がないのは残念です。

 各社からだされ、日本人のかたの絵本も数多くあります。

 パロル舎の、この絵本の表紙は、森のお菓子の家を魔女がながめ、フクロウがそれをながめています。

 夫婦がでてくると、夫の方はどちらかといえば、存在感がありませんが、「ヘンゼルとグレーテル」で、子どもを邪魔者扱いするのは、おかみさんのほうで、木こりの父親は、子どもを捨てるのに逡巡するという珍しく存在感がある役割です。
 二人が家に帰ると、理由にはふれることなく、母親はすでに死んでいた、と、さらっとしています。

 飯田さんが描く両親はリアルで、ヘンゼルとグレーテルは朴訥な感じがします。お菓子の家は本当に美味しそうです。
 魔女っていうのは、どうして鼻がながいのでしょう。そして、真珠や宝石は、何のためにもっていたのでしょう。

 はじめはお兄さんのヘンゼルが何かと妹をかばいますが、後半部では魔女をやりこめるのが妹で、かもの背にのって帰ろうとするとき、重いのでひとりづつ、わたしてもらいましょうというのも妹の方です。

 グリム童話はいろいろなかたが訳されていますが、矢川澄子訳(ヘンゼルとグレーテル/ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ/福音館書店/1986年初版)は、おばあちゃんがお話しを楽しんでいるかのような訳で、ほかの訳にはみられない味があるようです。

 でだしが「大きな森のとっつきに、ひとりのまずしいきこりが、おかみさんと二人のこどもといっしょにすんでいました」とあって、「森のそばに」となりそうなのが「とっつき」とあって、すぐに話にひきこまれます。

 こどもを森に捨ててこようと話し合っている夫婦の会話。木こりのセリフ。
「そいつはごめんだ。てめえの子を森ん中へおいてけぼりにするなんて、どうしてそんな気になれるかって。おそろしいけだものたちがたちまちよってきて、八つざきにされちまうぞ」
 べらんめえ調のセリフがなんともいいリズム。

 ヘンゼルとグレーテルがお菓子でできた家をたべているときに、おばあさんがいうセリフ。
 「おやまあ、いい子ちゃんたち、だれに案内してきてもらったの?おはいんなさいってば。はいってゆっくりなさいって。心配するこたないわよ」
 いい調子の感じがつづきます。

 グレーテルがたすかるところ。
 「たすかったわよ。おばあさん死んじゃったわ!」

 ラスト、かもに頼む場面。
 「かもさんには重すぎるでしょう、かわりばんこに運んでもらわなくちゃ」
 冒険の中で成長した妹を感じさせてくれるセリフです。
 (天沼訳では、「かもさんには重すぎわ。ひとりずつわたしてもらいましょう」とありますが、ニュアンスが微妙に違います)

 「ヘンゼルとグレーテル」は、もとは飢饉等で、子どもを捨てざるをえなかった時代を反映したものといいます。一見冷酷に見える母親が、そこまで追い詰められたという時代状況も考える必要がありそうです。


しらゆき べにばら

2018年07月15日 | グリム(絵本)


    しらゆきべにばら/絵:バーバラ・クーニー・絵 鈴木 晶・訳/ほるぷ出版/1995年

 第三版ではじめて収録されたというグリム童話。
 しらゆき、べにばらという姉妹は、お母さんとの三人暮らし。

 昔話では姉妹といっても、姉の方が意地悪という損な役割が多いのがですが、この姉妹はできすぎた姉妹。

 べにばらは、家をいつも、掃除したり、バラの花をいけたり。しらゆきは、銅のやかんをいつもぴかぴかにみがきます。べにばらは、原っぱを走り回り、花や蝶々を追いかけるのがすきでした。
 お母さんが読んでくれるお話に耳を傾けながら、姉妹は、糸つむぎもします。


 あるばん、三人の家に黒いクマがやってきます。さむさでこごえ、火のそばで、温まりたいというのです。
 はじめ驚いた姉妹でしたが、すぐにクマと仲良くなります。クマはいつも夜にやってきます。
 冬が過ぎ、春になるとクマはお別れをいいだしました。

 姉妹が森に薪を集めに行くと、真っ白な長い髭をはやしたこびとにあいます。髭が木の割れ目にはさまれていました。しらゆきはハサミで髭の先を切って、こびとを自由にしてやります。
 このこびと、魚に川にひきずりそうになっていたのを助けたのも、姉妹。大きな鳥にわしずかみされ、さらわれていくところも助けたのは姉妹でした。
 こびとは、どこから集めたのか、金貨、真珠、ルビーを袋にいれていました。
 こびとが宝石を地べたいっぱいに、ひろげて、うっとりしているのをみてしまった姉妹を、こびとは、まっかな顔でおこりだします。
 そこにあらわれたクマは、前足でこびとをなぐりたおしてしまいます。
 するとクマは王子にかわります。小人に魔法をかけられていたのでした。こびとの宝物は、王子から盗んだものでした。

 それから、しらゆきは王子と、べにばらは王子の弟と結婚することに。

 バーバラ・クーニーの絵に、ひかれた方も多いようです。

 大人の目線で読むと、じつはわからないことも。

 王子がクマにされた原因がよくわかりません。

 魔法をつかうこびとが、危険な目にあっているのは、なぜでしょうか。結構ドジなこびとです。そして助けてもらいながら悪態をつく、かわいげのないこびとです。

 姉妹の名は、庭に咲いた白バラと紅バラにちなんでいますが、名前だけで姉妹のやさしがつたわってきます。