どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

麦わらと炭と豆

2024年12月03日 | グリム

    ねえねえ、きょうのおはなしは・・/大塚勇三:再話・訳/福音館書店/2024年

 

 ある貧しいおばあさんが、豆を一皿煮ようと、かまどに火をおこす用意をし、火がはやく燃えだすようにと、麦わらを一つかみいれて、火をつけました。おばさんが豆を鍋にあけたとき、しらないうちに豆がひとつぶ、ぽんと床に落ちて、一本の麦わらのわきにころげていきました。まもなく、真っ赤におこった炭が一つ、かまどからポーンととびだして、これも、ふたりのわきにおちました。

 みんなが災難にあいそうだったことを話し合うと、いっしょに旅をして、よその国へいくことにしました。まもなく小さな川の岸にきてみると、そこには橋がかかっていませんでした。そこで麦わらが、こっちの岸から向こう岸へと、長々と寝ころび、炭と豆をわたそうとしました。炭ができたばかりの橋の上をちょこちょこかけだしました。けれど、まんなかまでいきついて、下の川がザアザアいっているのを聞くと、もう炭はとまってしまい、どうしてもさきに進むきになれません。ところが、そのため、藁のほうは、ぱっと燃え上がり、まっぷたつに切れて、川におっこちました。といっしょに、炭もつるっとすべり、水におっこちてジュッといい、命をなくくしてしまいました。
 豆のほうは、用心深く、こっちの岸にのこっていたのですが、このできごとがおかしくて、おもわず笑い出しました。ところが、笑いだしたらやめられず、あんまり笑いすぎたので、とうとう、パチンとはじけてしまいました。

 ところが、豆は運よく、旅まわりの情け深い仕立て屋が、さけている豆をぬいあわてくれたので、いのちだけは助かりました。けれど、仕立て屋が使った糸が黒い糸だったの、それから、どんな豆にも、黒いぬい目があるんですよ。

 

 小さな子の お話し会の定番です。


おひゃくしょうと悪魔

2024年11月27日 | グリム

    ねえねえ、きょうのおはなしは・・/大塚勇三:再話・訳/福音館書店/2024年

 

 昔話のパターンのひとつで、葉もの・茎もの野菜と根もの野菜のどちらを選ぶかの話。

 おひゃくしょうが、畑でであったのが悪魔。悪魔は、金や銀をどっさりもっているが地面からとれるものがほしいと、ひゃくしょうにもちかけます。金や銀をあげるかわりに、二年の間はたけでできるものの半分をくれという。

 おひゃくしょうが、できあがってけんかにならないように、地面の下のものをじぶんのものにするといいいます。この畑に植えていたのはカブでした。いよいよ取り入れになると、地面の上にあるのはしなびた葉っぱばかり。おひゃくしょうは、土の中からカブをほりだしました。

 そこで悪魔は、つぎに地面の下にあるものは、いっさい自分のものだといいだしました。おひゃくしょうは、こんどはコムギのたねをまいたので、取入れの時期には、地面の上にコムギができました。おひゃくしょうがコムギをかりとるとの、のこったのはきりかぶだけ。

 悪魔はむちゃくちゃにおこって、岩だらけの谷にとびこんでしまいました。

  おひゃくしょうの言い分。「どうだい、キツネみたいなやつは、こうやってだまかしてやるものさ」


竜とそのおばあさん

2024年11月19日 | グリム

    グリムのむかしばなしⅡ/ワンダ・ガアグ・編絵 松岡享子・訳/のら書店/2017年

 戦争がはじまりましたが、王さまが、少ない給料しか払ってくれないので、三人の若い兵士が軍隊から逃げ出しました。

 当初の目論見では軍隊がすぐ移動するのを見越していましたが、軍隊がいつまでたっても移動しないので、逃げ出すチャンスがきません

 飢えと渇きに苦しんでいたとき、竜が空からまいおり、ライ麦畑にかくれていた兵隊にわけをききました。兵士はこたえました。「王さまときたら、おれたちを戦に駆り立てるだけ駆り立てておいて、給料をほんのぽっちりしかくれないんでね。だけどいまは、ここで飢え死にしかけています。食べ物をとりにいこうとしたら、まちがいなくつかまって、この世とおさらばってことになるんでね。」

 この竜なんと親切で、ヒュッとひとうちすれば、空から金貨がふってくるという小さなむちをくれました。もちろんちゃんと条件がありました。七年間は、いい思いのし放題だが、七年たって、なぞがとけないなら、永久に竜の言いなりになるというものでした。選択の余地はなかったので、兵士は、竜の差し出した帳面に、ふるえながら名前を書きました。

 さてそれから、兵士たちは、あっちにいったり、こっちにきたり、りっぱな着物を買い、豪華な馬車で、かっこうにいいくらしををたのしみました。ところが約束のときが近づくにつれて、兵士の二人はおちこんで、びくびくするようになりました。でも三人目は平気でした。

 ここで、昔話ではおきまりの救い主があらわれます。おばあさんが、竜との約束を聞いて、「森へ行って、おおきながけをみつけるまで、あるきまわりなさい。家みたいな洞穴があるから、そこへはいっていくのさ。そうすりゃ、そこで助けは見つかるだろうよ。」

 洞穴を見つけると、そこにはまたおばあさん。ひどく年とったおばあさんで、竜のおばあさんでした。おばあさんは、孫のことをあまりこころよくおもっていませんでした。

 兵士たちは、地下にかくれ、おばあさんと竜の話に聞き耳をたてました。

 数日すると、七年があけ、竜があらわれました。竜は兵士たちとの約束した帳面を出し、なぞなぞをだしました。

 一問目は、「おれの領地で宴会をひらいてやろう。そのとき、あぶり肉にはなにがでると思う?」
 二問目は、「なにがスプーンになる?」
 三問目は、「ワイングラスは何か?」

 兵士たちは、おばあさんと竜の会話を聞いていましたので、なんなく、なぞなぞをクリアし、その後も、苦労知らずの陽気なくらしにもどりました。

 なぞなぞのこたえ。一問目は、北海の死んだ尾長ざるの肉
 二問目は、クジラのあばら骨
 三問目は、中がからになった古い馬のひづめ

 

 兵士たちをまちうけている怖さがつたわらず、なぞなぞを楽しむ昔話でしょうか。しかし、このなぞなぞも、子どもの興味をひくでしょうか?


三人兄弟・・グリム

2024年11月10日 | グリム

   グリムのむかしばなしⅡ/ワンダ・ガアグ・編絵 松岡享子・訳/のら書店/2017年

 「英訳のグリムを何冊も読むうちに、その文章が堅苦しく、想像力に欠けると感じ、自分でもっと読みやすい、生き生きした文章に翻訳・再話しよう」と決心した作者の再話」・・松岡さんのあとがき。

 

 ある男が、三人のむすこに、「世の中へ出て行って、めいめいひとつ、心にかなう職をえらんで、その技をしっかり身につける。一年たったら、ここでおちあって、いちばんうまく技を身につけたものが、この家をつぐ。そうやってきめていいかね?」
 むすこたちにもんくはありません。
 いちばん年上のむすこは、鍛冶屋、二番目のむすこは、床屋、三番目のむすこは、りっぱな剣のつかい手になるため、でかけました。

 一年後、すばらしい技を証明するいい手だてがみつかりません。そこへ野原の向こうから、一ぴきのうさぎが走ってきました。床屋は、うさぎが走ってくるあいだに、コップにせっけんをいれ、すばやくかきまわして泡をたてると、うさぎが全速力で目の前をはしりぬけようとした瞬間、そのあごに泡をぬり、ひげをそりあげました。でも、あごのさきには少しだけ毛をのこしてやりました。とんがったあごひげがあればかっこいいですからね。
 空中でぶーんという音がしました。ブヨでした。鍛冶屋は、ブヨがぶんぶんとびまわっているあいだに、手ばやく仕事して、ブヨの足の一本一本に、小さな金の蹄鉄をはめました。その蹄鉄は、それぞれ二十七本のこまかいくぎでとめてありました。なにもかも一瞬のできごとでした。

 父親は、弟と兄のどちらに家をつがせるか、わからなくなりました。こうしているまに、空には黒い雲が広がりぽつぽつとあめがふりだしました。するといちばん末のむすこが、身につけた技を披露します。末のむすこが、あまりにもみごとに、頭の上で剣をふりまわしたので、むすこの頭には、一滴の雨もおちませんでした。雨はだんだんはげしくなりましたが、むすこが目にもとまらぬはやさで、剣をふりまわしたので、一滴の雨もおちません。雨はいよいよはげしく、まるでたるいっぱいの水をぶちまけるいきおいでおちてきました。が、剣は縦横無尽にふりまわされ、まわりは何もかもずぶぬれでしたが、むすこは、屋根の下にでもいるように、少しもぬれていませんでした。

 三人兄弟のだれが家をついでもおかしくない技ばかりですが、うえの二人は、末のむすこが一番だとおもったのでした。末のむすこは、家を自分ひとりのものにしようとはせず、兄さんたちといっしょにわけあいました。

 

 三人兄弟というと、兄弟間の争いがおこるのが昔話のパターンですが、なんとも さっぱりした終わりかたです。

 日本で訳されたもののなかには、この話自体がのっていないものがありました。またブヨの場面は、ワンダ・ガアグ氏のアレンジでした。


赤ずきん

2020年07月31日 | グリム

 「赤ずきん」で楽しいのは、赤ずきんとおおかみのやりとりでしょうか。

 「おばあさんは、なんておおきな耳をしているんでしょう」
 「おまえの言うことがよく聞こえるようだよ」
 「なんて大きな目をしてるんでしょう」
 「おまえのことが、よく見えるようにだよ」
 「なんて大きな手をしてるんでしょう」
 「おまえを、よくつかめるようにだよ」
 「なんて大きな口をしてるんでしょう」
 「おまえを、一口に食えるようにだよ」

 リズムがあるやりとり。怖さが段々ます場面です。

 ところで、でだし、かわいい女の子が登場するのですが、やはり可愛くなければいけないのでしょうか。おおかみが食べるのに見た目は関係ないのですが、男の視点でしょうか。

 かわいい女の子は、おばあさんからつくってもらった赤いずきんが気にいって、ほかのものをかぶろうとしなくなったというのですが、ペロー以前の原型では少女は赤い頭巾をかぶっておらず、この部分はペローが加えたといいます。

 赤ずきんがでかけるのは三十分ほどの森の中に住んでいるおばあさんのところ。
 森の中に危険がありそうにもかかわらず、おかあさんは赤ずきんをわざわざ一人でおばあさんのところにやるのは、いろいろ体験をさせるためなのでしょうか?

 おばあさんが森の中に住んでいるのは、年老いた者を捨てる背景があるという解釈も読んだことがあります。

 赤ずきんがおばあさんのところにもっていくものをケーキとワインと訳しているのもあれば、お菓子とぶどう酒と訳しているものもあります。

 おおかみがおばあさんを飲み込んでから、ねまきとナイトキャップをかぶるところは、ねまきとずきんとしているものもあります。

 狩人と猟師とでは、どちらが聞いていてわかりやすいでしょうか。

 「赤ずきん」というと、最後、おおかみのおなかをハサミで切ると、おばあさん、赤ずきんがでてきますが、これはグリム兄弟がくわえたもので、原型では、赤ずきんが食べられるところでおわります。(世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1988年)

 ほるぷ出版版では、赤ずきんがおばあさんのところにもっていくのは、ケーキとバターの壺です。ワインやぶどう酒と訳されているのが多く、小さな子にお酒?を持たせたというのにひっかかっていましたが、ケーキとバターで、すっきりしました。さらにほるぷ出版のものでは、おばあさんが住んでいるのは、森ではなく、村で水車小屋のそばです。

 フローラ・アニー・スティールが編者になっているというイギリスの昔話(夜ふけに読みたい不思議なイギリスのおとぎ話/吉澤康子・和爾桃子:編・訳/平凡社/2019年)では、「赤ずきんちゃん」というタイトル。

 赤ずきんがおばあさんのお見舞いにもっていくのは、ケーキとバター。赤ずきんは自分の意思でお花を集めに行き、オオカミに食べられたところでおわります。オオカミとのやり取りには足もでてきます。

 「おばあさん、ずいぶん腕が長いのねえ!」
 「おまえをぎゆっと抱きしめられるようにさ」

 「おばあさん、ずいぶん足が大きいのね!」
 「早く走れるようにさ!」

 「おばあさん、ずいぶん目が大きいのねえ!」
 「よく見えるようにさ!」

 「おばあさん、ずいぶん歯が大きいのねえ!」
 「おまえを、ぱっくと食べられるようにさ!」

 訳がいろいろあると、どれを選択するか悩むところです。

 「赤ずきん」は、もともと北欧神話で、オオカミのフエンリルという冬の魔物が太陽を飲みこむので、北欧の冬はまっくらという。じつは赤ずきんの正体は太陽で、オオカミはフエンリルといいます。



    赤ずきん/バーナディット・ワッツ・絵 生野 幸吉・訳/岩波書店/1976年

 ワッツ絵では、赤ずきんが住んでいる家は、4階建て、おばあさんがすんでいる小屋は、鬱蒼とした森の中。赤ずきんが寄り道したのは、おばあさんに花をもっていくためですが、どうしても摘んでみたい花です。
 メガネをかけたオオカミがチャーミングに見えちゃうのはご愛敬です。
 石を詰められたオオカミのおなかには、ちゃんと縫ったあとがあって、倒れてしまうところは4枚の絵で表現されています。


キャベツろば

2020年05月21日 | グリム
      グリムの昔話3/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年
 
 
 「お爺さんとお婆さん」「美と醜」「いじわるとやさしさ」「貧乏と金持ち」「死と生」をはじめ、対称的な組み合わせが特徴な昔話。
 
 この話にはタイトルからイメージできるように、キャベツを食べるとロバになってしまいます。キャベツには二種類あって悪いキャベツと良いキャベツ。
 
 このキャベツを発見したのは若い狩人でした。
 
 あるとき狩人が、まずしいおばあさんに施しをこわれ、お金をやると、その見返りに素敵な約束をしてくれます。おばあさんの言うとおり小鳥を撃ち落としその心臓をまるごとのむと、毎朝起き上がると枕の下に金貨一枚がありました。それだけでなく、どこかの場所に行きたいと願いさえすれば、瞬きするうちにそこに行けるマントも手に入れます。
 
 毎日起きるたびに金貨が手にはいり、狩人は「このまま、うちにいたんじゃ、こんなに金貨あったって、いったい何の役に立つだろう?ひとつ、旅に出ていって、ひろい世の中をみてまわろう。」と考え両親に別れを告げ、物入れ袋と鉄砲をもって、世の中に出て行きました。
 
 ある日、うっそうとした森を通って立派なお城で、魔女のお婆さんと素晴らしく美しい乙女にであいます。
 魔女と魔女に脅された乙女は、狩人に飲み物をあげ、小鳥の心臓を吐き出させ、娘が心臓を飲み込んでしまいます。
 
 ところが狩人は、娘の美しい姿に目をとめ一緒に時を過ごすことだけで満足していました。

 年とった魔女は魔法のマントもとりあげようと、娘を狩人と宝石が出るザクロ山にやり、狩人が眠っている間に、一人荒れた山に置き去りにしてしまいます。
 
 狩人はたっぷり眠って目が覚めると、娘が自分をだまし、荒れた山に置き去りにしたことを知ります。しかし、この山にすむ三人の巨人の「山のてっぺんまで行ったら、雲たちがこいつをつかまえて、どこかに運んでいっちまうさ。」という会話を聞いて、巨人が行ってしまうとすぐに立ちあがって山のてっぺんへ登っていきました。そしてしばらくそこにいると、雲が狩人の方へふわふわ漂ってきて、狩人をつかまえて運び去り、長い間空を漂っていました。それから雲は低くなっていき、周りを塀に囲まれた大きなキャベツ畑におりました。それで狩人はキャベツや野菜の土にふんわりとおりたのです。

 とても腹ぺこの狩人が、「苦しいときには、葉っぱだって食べれるさ。特にうまいってことはないけど、まあ元気はつけてくれるだろうよ。」と思い、立派なキャベツの玉を一つ、さがしだして食べだしました。ところが2口、3口食べるとすぐ、とてもきみょうな気分になって、自分がまるっきり変わったような感じがしました。見ると足が四本生え、頭は太くなり、長い耳が二つのびだしていました。つまり、自分はロバに変わってしまっただとわかって狩人は、ぎょっとしました。それでも、ますますお腹がすいてきたので、しかもロバになっている今は汁気のある葉っぱが適していたので、とてもうまそうに食べ続けました。そのうち、しまいに種類がちがうキャベツのところに来たのですが、そのキャベツを少し飲み込むとまた変わるのを感じ、もとの人間の姿にもどったのでした。

 それから狩人は横になり、眠って疲れをとりました。次の朝目覚めると、悪いキャベツとよいキャベツの玉を袋に入れると、塀を乗り越え、恋しい娘の城を探しにでかけました。
 二、三日、あちこち歩いていくと、運よくあの城が見つかりました。そこで狩人は、自分の母親でもわからないように顔を赤黒くそめて城に行き、宿をお願いしました。狩人は「王さまの使いで、天下でもっともおいしいキャベツを探しにきました。運よくそのキャベツを見つけて一緒に持ち歩いていますが、日でりがはげしいので、おいしいキャベツがしなびてしまいそうで、これさき、これをもっていけるかどうか、わからないんですよ。」といいます。

 食い意地がはった魔女がおいしいキャベツのことを聞いて、すぐに味見させるよう頼み、葉っぱを2,3枚口に入れると、魔女はロバの姿になってしまいます。そして城の女中も娘も
ロバになってしまいます。

 狩人は、三頭のロバを粉屋に追い立てて行って、年とったロバ(それは魔女でしたが)には毎日三度なぐって、食べ物は一度だけあげ、若い方のロバ(これは女中でしたが)には、毎日一度ずつなぐって、食べ物は三度あげ、そして一番若いロバ(これは娘でしたが)には、一度もなぐらないで、食べ物は三度あげるように言いました。というのは娘をぶたせる気になれなかったのです。そのあと狩人は城にもどりました。すると、入り用なものは、のこらずそこにそろっていました。

 二,三日して、粉屋が来て、毎日三回ぶたれて一度しか食べていなかった年とったロバが死んだと報告しました。残りの二頭は確かに死んではいないし、毎日三回食事をやっていますが、とても悲しんでもうあまり長くはもちませんな、と粉屋は続けて話しました。これを聞くと狩人は、かわいそうになって、怒る気持ちもすっぱり捨ててしまい、粉屋に、もう一度ロバを返してくれ、と言いました。それでロバたちが来たとき良いキャベツを食べさせたので、二人はまた人間に戻りました。
 すると美しい娘は狩人の前に膝まづいて、「ああ、あなた、私がしたひどいことを許して。母がやらせたんです。私はそんなことをしたくなかったのに。だって私はあなたをとても愛しているのですから。あなたの魔法のマントは戸棚にかかっています。鳥の心臓の方は、私が吐き薬を飲みますわ。」と言いました。しかし狩人は違うことを考えていて、「それをとっておきなさい。同じことだよ。僕は君を本当の妻にするから。」と答えます。

青いランプ

2020年05月20日 | グリム

      グリムの昔話3/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 アランビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」とシュチエーションがにています。

 戦争が終わって、王さまから文無しで放り出された兵隊が、森の中でみつけた一軒の家。

 仕事をしてくれると泊めてやると言われ、庭をほりかえします。しかし、日が暮れるまでにしごとをかたづけられませんでした。

 この家にすんでいるのは魔女でしたが、馬車一台分の薪を割って、こまかくするなら、もう一晩泊めてあげるといわれ、一日かかって薪をつくります。

 さらに魔女は、水の枯れた古い井戸に落ちた青いランプを拾ってくるならもう一晩とめてやろうといいます。

 あくる日、兵隊は井戸のなかで青く光るランプを見つけ、井戸からひきあげてくれるよう合図します。先にランプを取り上げようとする魔女のたくらみにきがついた兵隊がランプをわたすことを断ると、魔女は、すさまじくおこりだし、兵隊を井戸の中におっことして、行ってしまいます。

 しょげかえった兵隊が、最後の楽しみにポケットに残ったパイプでタバコをふかしはじめると、ふいに小さな黒いこびとがひとり現れます。

 「お望みのことを、なんでもやらなきゃならないんでさ」というこびとに、井戸からつれだしてくれるようたのんだ兵隊は、青いランプと魔女が集めた宝物をもって地面の上にでます。

 次に兵隊が「あの魔女をしばりあげ、裁判所につれていけ」というと、こびとはいくらもたたないうちにもどってきて「すっかり、かたをつけました。あの魔女はもう、首つり台にぶらさがってますよ」といい、つぎのいいつけを聞こうとしますが、「いまのところは、なんにもない」という兵隊の言葉を聞くと、ふっと消えてしまいます。

 次に兵隊は、文無しでおいだし、ひもじい思いをさせた王さまに仕返しするために、こびとをよびだすと、王さまのお姫さまがベッドに入ったら寝ているまんま、宿屋につれてくるよういいます。女中にして働かせるというたくらみです。

 次の朝、お姫さまは、部屋の掃除や長靴をみがいたり、いやしい仕事をさんざんやらされたふしぎな夢をみたことを王さまに話します。

 王さまは、正夢だったことかもしれないと、ポケットにエンドウ豆をつめて穴をあけ、つれていかれたら豆がおっこちるようします。しかし目に見えない姿で話をきいていたこびとは、その晩眠っているお姫さまをかついで、こぼれおちた豆をひろいながら、兵隊の宿屋につれていきます。

 お姫さまは、またもやニワトリが鳴きたてるまで女中仕事をしなければなりませんでした。

 王さまは、こんどはベッドにはいるとき靴をぬがないでおいて、むこうから帰る前に、片方の靴をかくしてくるようお姫さまにいいます。

 次の朝、王さまは都じゅう、すみずみまで、おひめさまの靴をさがさせます。靴がみつけられた兵隊は逃げ出しますが青いランプもたくさんの金貨を置き忘れてしまいます。そして追いつかれて牢屋に放り込まれてしまいます。

 兵隊が鎖りにつながれて窓のそばに立っていると、昔の兵隊仲間がとおりかかります。ポケットにたった残っていた一枚の金貨で仲間に青いランプをもってきてもらった兵隊は、裁判所で死刑判決がでて外にひきだされたとき、一つだけ願いをかなえてくれるよう王さまに頼みました。

 兵隊がパイプをとりだし青いランプでタバコに火をつけると、こびとが現れ、王さまも裁判官も捕り手どもを叩きのめしてしまいます。

 王さまは命が助かりたいばかりに兵隊に国をやり、お姫さまも兵隊のおよめに!

 この兵隊、仕返しをしたいなら、お姫さまではなく、直接王さまにしたほうが早いと思うのですが・・。また、女中仕事がいやしいというのも、いまでは、ひっかかるところ。

 ふしぎなこびとは、青いランプでパイプタバコに火をつけると現れますが、ヨーロッパでパイプタバコがみられるのは1500年代以降。南アメリカの一部のインディオと、アメリカ本土全域でインディアンが行っている先住民族の文化がヨーロッパに伝えられ、そこから世界各地にひろまっているようです。


天国に行ったお百姓

2020年05月10日 | グリム

     グリムの昔話3/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 貧しくて信心深い百姓が天国の門の前にやってきました。おなじときに、それはそれは大金持ちの旦那も天国にはいろうとやってきました。

 聖者ペテロは、大金持ちの旦那を天国の中へいれますが、貧しい百姓には気がつきませんでした。

 旦那は天国で大歓迎を受けているとみえて、中からは音楽や、歌声が聞こえてきました。

 そのうち、やっとお百姓も天国の中に入ることができましたが、どこもかしこもひっそりと、しずまりかえっています。

 貧しいお百姓が「なんで、わたしがきたときには、あの旦那のときみたいに、歌をうたってくれないでしょう。」と、ペテロさまにたずねます。

 するとペテロさまがいいました。

 「おまえさんは、ほかのみんなとおなじように、ありとあらゆる天国の喜びをあじわうことができる。しかしなあ、おまえさんのような貧しいお百姓は、毎日毎日、この天国にやってくるのだが、ああいう金持ちの旦那なんかが、やってくるのは、百年のうちに一ぺんくらいしかないんでねえ」

 天国でも下界とおなじように、えこひいきがあるみたいという、お百姓の実感はあたっています。それでもお金持ちが天国に入れるのが36500分の一と考えれば、天国の有難みに感謝しなければいけないのかも。


のんき男

2020年03月26日 | グリム

     グリムの昔話2/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 グリムの大塚訳では、語られているものとタイトルが微妙にちがいます。

 「りこうなグレーテル」は「かしこいグレーテル」、「熊かぶり」は「熊の皮を着た男」がおなじみのタイトルです。

 この「のんき男」は、イメージしにくいタイトルです。

 御用済みになった兵隊が、四クロイツアーの小銭と軍隊パン一個をもらい歩きだします。

 とちゅう、天国の門の鍵を預かっているペテロが、こじきに姿を変え、のんき男にめぐみをこいます。ずいぶん気前のいい男は、パンのかたまりを四つにわけ、そのうちの一つとクロイツアー銅貨も一枚ペテロにあげます。

 ペテロはそのごも、こじきに姿をかえ、二度もめぐみをこいます。

 そしてペテロはこんどは、お払い箱になった兵隊の姿をして、さらにめぐみをこいますが、この時点では、のんき男もすっからかん。

 ここまでくると、めぐんでくれた見返りに、なにかを与えたり、不思議な力をあたえてくれたりするのが相場ですが、このあと二人は一緒に旅をつづけます。

 途中、ペテロは今にも死んでしまいそうな家の亭主を助けます。ご亭主のおかみさんがおれいをしようとすると、ペテロは断ります。のんき男は、どうしてもとさしだされた子羊を自分がつれていくことで肩に担いで歩きだします。

 肩に担いでいくのは大変、それにおなかもぺこぺこ。子ヒツジを料理しますが、料理の最中、ペテロは、料理ができるまで散歩するから、自分がかえってくるまで食べないようにいいのこします。子ヒツジがすっかり煮えてもペテロはなかなかかえってきません。のんき男は心臓をみつけると、味だめしに食べているうち、全部食べてしまいます。

 ようやくかえってきたペテロが心臓を食べたいというと、のんき男は、子ヒツジには心臓がないと言い張ります。心臓がないなら子ヒツジはいらないというペテロにかわって、のんき男は残りのぶんを背嚢に入れて旅を続けます。

 川をわたることになって、ペテロはなんなくわたりますが、のんき男が渡ろうとすると、水がどんどん増えて首まであがってきます。「助けてくれ!」というのんき男に、「子ヒツジの心臓を食ったって白状するかい?」というペテロに、のんき男が「食うもんか!」というと水はどんどん増えます。けれどもペテロはのんき男をおぼれ死なせようとせず、水をあさくして川を渡らせます。

 こんどは王さまのお姫さま亡くなったいう話を聞いて、ペテロは、死人の手足をばらばらに切り離し、それを鍋にほおりこみ、ぐつぐつ煮て肉と骨が離れると、白い骨を鍋からテーブルの上にのせ、自然のままの順序通りならべると「いとも尊き三位一体の御名において告げる。死者よ、立て!」ととなえます。するとお姫さまは立ち上がります。

 喜んだ王さまから、望むほうびをあげるといわれてもペテロは断ります。王さまはのんき男が、しきりにほしがっているのをみて、のんき男の背嚢に金貨をぎっしりつめこませてやります。

 ほうびをことわったはずのペテロでしたが、森の中に来ると、金貨を分けようといいだします。そして金貨を三つの山に分けます。二人きりなのに三つに分けるというのは合点がいきません。するとペテロさまは「一つはおれの分、一つはおまえの分、もう一つは子ヒツジの心臓を食べた男の分だ!」といいだします。誘導にひっかかったのんき男は、二つの金貨の山をさらい、「子ヒツジにだけ、心臓がないなんてあるはずがない」といいます。ペテロさまは、のんき男に嘘をついたのを認めさせると、ひとりで立ち去っていきます。

 さてこののんき男、お金のあつかいかたをさっぱりしらず、むだづかいしたり、やたらと人にやったりしましたから、しばらくすると、またまた無一文になりました。

 お姫さまが亡くなったある国にやってきたのんき男は、ペテロの真似をして死人を生き返らせようとしますが、うまくいきません。窮地に立ったのんき男のまえに、ふいにペテロさまが除隊兵姿であらわれ、急場をたすけますが、ちょっとでもお礼をねだったり、もらったりしないように言い残して再び姿を消します。それでもしたたかなのんき男は、遠まわしにいったり、うまく駆け引きしたりしたあげく、自分の背嚢に金貨をつめさせることに成功します。

 城の外にまっていたペテロは、のんき男がまちがった道はいらないように背嚢にふしぎな力を与えます。のんき男が背嚢に入れたと願ったものは、なんでもなかにはいってしまうというものでした。

 このあとも金をなくしてしまったのんき男でしたが、宿屋で「あのガチョウの丸焼き二つが、暖炉の戸棚からでて、この背嚢にはいりますように!」というと、たしかにガチョウの丸焼きは背嚢の中にありました。

 ある村で宿屋の亭主から泊めるのをことわられたのんき男は、生きて戻った人はいないという城に泊まることにします。

 ここにいた九匹の悪魔を背嚢にいれて一晩をすごしたのんき男は、鍛冶屋に背嚢を大きいハンマーでぶったたかせます。八ひきは死んでいましたが、一ひきだけは地獄へかえっていきます。

 やがて死期が近いのを悟ったのんき男は、ひろくて気持ちのいい道をとおって地獄へいきますが、地獄の門番は、九ひきめのあの悪魔でした。ひどい目にあった悪魔は、絶対にいれたくありませんでした。

 次に、せまくてでこぼこした道を歩いて天国にやってきたのんき男をまっていたのはペテロさまでした。

 天国に入るのをこばまれたのんき男は、「おまえのものみたいな背嚢のほうも、そっちにひきとってくれ。これっぽちも、おまえの世話にはならないや。」と大見えをきります。

 そして、ペテロさまが、背嚢を格子のあいまから天国の中に入れ、椅子のわきにひっかけると・・・。

 

 ”のんき男”といいますが、神さまといい勝負。のんきどころか したたかさも持ち合わせていました。


森の中の三人の小人

2020年03月22日 | グリム

  グリムの昔話2/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 出だしは、12月頃の定番の昔話「十二のつきのおくりもの」のシチュエーション。 

 「十二のつきのおくりもの」は、ままむすめが、冬の日にスミレをつんでくるようにいわれ、森のなかで、十二のつきの精にあい、三月の精に助けられスミレを手に入れます。

 次にはイチゴ、リンゴが欲しいといわれ、六月、九月の精に助けられ、おのおのを手に入れるという物語。

 この話では十二の月の精のかわりに、三人の小人がままむすめを助けます。冬のある日、継母からイチゴをとってくるようにいわれ、森の中で三人の小人に会い、イチゴを手に入れます。それだけでなく、日ごとに美しく、一言いうたびに口から金貨がこぼれ、さらに王さまの妃になるという贈り物まで。

 継母の娘は、日ごとにいやらしく、一言いうたびに口からヒキガエルがとびだし、不幸せな死に方をするという贈り物。

 二人の娘が森にでかけるとき、ままむすめは紙の服、もう一方は毛皮の暖かそうな服。

 ままむすめは、王さまの妃になりますが、継母と娘に川に放り込まれ、娘はお妃のベッドに入り込みます。母親は娘と王さまが会話しないように策略しますが、王さまが話しかけ、偽のお妃が返事するたびにヒキガエルがとびだすので、疑問をもちます。

 その晩、料理番のところへカモが一羽やってきます。カモはお妃の姿になって、生まれていた男の子に二晩お乳をのませます。三晩めにカモは、お妃の姿で王さまの前にあらわれます。

 「ほかのものをベッドからひきずりだし、水に放り込むような人間は、どうしてやったらよいものかな?」と王さまが聞くと、継母は「そんな悪党は、くぎをどっさりうちこんだ樽につめ、山の上からころがして、川にころがりこんでやるにかぎります。」とこたえます。

 すると継母と娘は自分の裁いた通りに!

 ほかの昔話にもあるシチェエーションが組み合わされていますが、出だしで親の再婚にいたる経緯が詳しいのが特徴でしょうか。


ジメリの山

2020年03月12日 | グリム

    グリムの昔話2/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 アラビアンナイト「アリババと四十人の盗賊」の前段部分のみの話です。

 一人は金持ち、一人は貧乏な兄弟がいて、穀物をあきなっていた貧乏な男が山のなかで、でくわしたのが荒っぽうそうな男12人。

 木の上にのぼってようすをみていると、男たちが「ゼムジの山よ、ゼムジの山よ、開け!」というと、山の真ん中が左右にわかれて、ぽっかり口が開き12人はそのなかへ。

 12人が背中に重たい荷物をかついででてきて「ゼムジの山よ、ゼムジの山よ、閉じよ!」というと、山の入り口はふさがってしまいます。

 貧乏な男が盗賊たちの真似をすると、同じように入り口が開き、なかには金や銀がぎっしりつまり、真珠や宝石などが山のようにつまれていました。男は金貨だけをもって家に帰ります。

 金持ちの男も山に出かけますが、入り口を閉じるまじないをわすれてしまい、盗賊たちにみつかって命を落としてしまいます。

 「開けゴマ!」というフレーズは、何十年たっても記憶にのこっています。

 グリムの昔話は、ドイツの昔話がもとになっていると思っていたら、アラビアンナイトのなかのものもあってびっくり。

 「アリババ」はアラビアンナイトの原本になく、1710年ごろ発行されたものにはじめてみられるといいます。グリムの昔話の初版は1812年といいますから、ほぼ100年前。

 前段部分だけでは物足りないと思うのは、アラビアンナイトのほうに親しんでいるからでしょうか。


りこうな、ちびの仕立屋

2020年03月10日 | グリム

         グリムの昔話2/大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 ひどく高慢ちきなお姫さま、三人の仕立屋、クマ、ヴァイオリンと昔話には欠かせない道具立て。

 お姫さまが「わたしの謎を解いたものとは結婚してあげる」とおふれをだします。

 三人兄弟の仕立屋も運をつかもうとお姫さまのもとへ。

 お姫さまは「わたしの頭には、二とおりの髪の毛があるの。それはどんな色?」といいます。

 上の二人はあてられません。

 末のちびの仕立屋は「銀の髪の毛を一本、金の髪の毛を一本」と、ぴったりあててしまいます。

 これではあまりにもあっけありません。お姫さまは、下の小屋で一晩過ごすようにいいます。ここにはクマがいて、これまで自分のてのひらの下にきた人間は、だれひとり生かしておいたことはなかったのです。

 仕立屋は、心配なんぞなさそうに、ポケットからクルミをいくつかとりだし、からをかみ割って、中の実を食べました。それをみたクマがクルミをほしいというと、ちびの仕立屋がポケットからとりだしたのは石。

 クマがいくらかんでも、割れません。もういちどやっても結果はおなじです。

 次に仕立屋が上着の下からとりだしたのがヴァイオリン。クマは音楽を聞くとじっとしていられなくて踊りだしました。

 クマもヴァイオリンを弾こうとしますが、仕立屋は爪を切らなければと、クマの前足を万力にのせるよういいます。万力で動かせないようにして仕立屋は眠ってしまいます。

 クマが痛かったのは、当然です。

 翌日、ぴんぴんしているちびの仕立屋をみたお姫さまは文句がいえません。

 結婚するため、二人は馬車で教会へ出かけますが、面白くないのは上のふたり。万力を緩め、クマを離してやるとクマは馬車を追いかけます。

 ここでちびの仕立屋は、馬車の窓から両足を万力のかたちにしてクマを追い払ってしまいます。

 お姫さまのところにでかけるのもほかの昔話では伏線があり、お姫さまのところにやってくる者も多いのですが、この話はきわめてシンプルです。

 筋立ても、どこかでみたことのある組み立てです。


ふたりの旅職人・・グリム

2018年07月28日 | グリム

     ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろⅠ/モーリス・センダック選 矢川澄子・訳/福音館書店/1986年


 グリムの昔話でもあまり話されてはいないが、とにかく訳が楽しい。

 「ふたりの旅職人」がでてきて、一人は善玉の仕立て屋、もう一人は悪玉の靴屋。

 でくわすのは「人の子となるとよくあるもんでね」とはじまります。

 つれだって町へ。仕立て屋は稼ぎがよくてぱっと使うタイプ。旅を続ける二人。

 やがて、道が二本にわかれていて、近道は二日、片方は七日かかるという。仕立て屋は二日分のパン、靴屋は七日分のパンを用意して森のなかを進んでいきますが、三日目になっても森の中からでられず、仕立て屋は五日目にはパンを一切れめぐんでくれないかと靴屋にたのみますが、その代償は高く右の目です。
 ひもじさがぶりかえして、もう一切れのパンの代償は、こんどは左の目です。

 なにせ、靴屋は神さまなんぞ胸のうちから追い出してしまっていて石の心臓の持ち主。

 一方、仕立て屋は極楽とんぼぶりを思い知らされる存在。

 靴屋は、両目が見えない仕立て屋を、なんと首つり台へ置き去りにします。しかし、そこにいた罪人がいうことには、草の露で目を洗うと、目玉が生え変わるということ。
 めでたく両目を取り戻した仕立て屋が、のどもとすぎれば何とやらで、うたや口笛交じりで、旅を続けます。

 途中栗毛の子馬をつかまえますが、もっとたくましくなるまで待ってといわれ、子馬をはなしてやります。次にこうのとりをつかまえ食べようとしますが、これもはなしてやり、さらに小鴨、ハチの巣もそっとしてやります。

  こうのとりとのやりとり。「うまいかどうかは知らねえが、腹ぺこでそんなことかまっちゃいられねえんだ。その首ちゃんぎって焼き鳥にさせてもらうよ」。
 小鴨をつかまえると、親鴨が「だれかがあんたをさらっていって殺そうとしかけたら、あんたのお母さんだってどんなになげくかしれやしない。そうでしょう?」。仕立て屋「よしよし、だまれったら。子どもは返すよ」。

 「お皿が三枚からっぽで、四枚目にはなにもなしときた。やれやれ、たいした冷や飯だわ」というのは仕立て屋のセリフ。


 やがて王さまのおかかえの裁縫師に召したてられた仕立て屋ですが、そこに現れたのは例の靴屋で、王さまへ、あることないこと告げ口しては窮地においやります。

 「へそまがりの王さまのたってのご命令だが、どうせ人間業ではできっこないときまっている以上、あしたまでぐずぐずするのも及ばない。今日のうちにあばよ、また都落ちだ」と、にげだした仕立て屋でしたが、ここで鴨、蜂、子馬、こうのとりの出番です。

 窮地にたつたびに、運の悪いことを嘆く仕立て屋ですが、昔話で、ここまで主人公の気持ちを表現するのは珍しい。

 男の子にめぐまれなかった王さまが、靴屋から、仕立て屋は、男の子を空からさずけてあげられるといっているというと、王さまは仕立て屋に「わしに息子をもたらしてくれたなら、一番上のむすめを嫁にとらせようぞ」といいわたします。

 「こりゃたしかにたいしたごほうびだわい。やってみたくもなるけど、わしにゃあまりに高根の花ってとこだ。のぼっていったところで、足元の枝が折れて、おっこちるのが関の山だよ」・・仕立て屋。

 あまりにも簡単にいくことが多い昔話のなかで、ややクッションのある展開が楽しい話です。


うかれぼうず・・グリム

2018年07月19日 | グリム

      ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろⅠ/モーリス・センダック選 矢川澄子・訳/福音館書店/1986年


 30分はこえ、あまり語られことは少ないグリムの昔話かもしれませんが、矢川訳のテンポのあるリズムが楽しめます。

 戦が終わり、お役御免になった「うかれぼうず」がもらったものといえば、ごくわずかなお金。
 わずかなお金も、物乞いにあげること三度。物乞いは聖ペトルスが姿をかえていました。

 聖ペトルスと旅をすることになったうかれぼうず。聖ペトルスは途中、臨終まじかの百姓の亭主の病気をなおし、お礼にと子羊一頭をさしだされますが、聖ペトルスはどうしてもうけとりません。もったいないとうかれぼうずは子羊を肩にせおって、また旅を続けます。

 おなかがぺこぺこになったうかれぼうずは、子羊を料理してくうことに。聖ペトルスは料理ができた頃を見はらってかえってくるからと散歩にでかけます。ところが散歩からかえってみると、一番食べたかった子羊の心臓は、うかれぼうずのおなかのなか。

 子羊には心臓なんかないといいはるうかれぼうず。子羊の心臓をくったと白状するかとせまる聖ペトルスとのやり取りが続きます。

 それからある国の王女を生き返らせた聖ペトルスは、ほうびをことわりますが、かわりにうかれぼうずは背嚢に金貨をたっぷり詰め込みます。欲がない聖ペトルスですから、金貨はいらないと今度はひとり旅です。

 別の国でまた王女がなくなったというのを聞いたうかれぼうずが、聖ペトルスのまねをして王女を生き返らせようとします。手足をばらばらにきりはなし、水に放り込んで火にかけます。肉がはなれると骸骨をとりだし、テーぶるの上にならべて、「いとも尊き父・御子・聖霊のみ名において、死せる女よ、立て」と、となえますが、もちろんうまくいきません。

 すると聖ペトルスが、お払い箱の兵隊といういでたちであらわれると、王女はすぐに生き返ります。
 ここでも何も受け取ってはならぬと聖ペトルスがいいますが、ここでもうかれぼうずは、金貨を手にいれます。

 ここで聖ペトルスは、うかれぼうずの背嚢に、望むものがなんでもおさまってしまう力をさずけて姿を消します。

 相棒のことばをためそうと、ガチョウに向かって、おいらの背嚢にとんでこいというとガチョウは背嚢のなかに。

 そして生きて帰った者がいないというお城で、九匹の鬼を背嚢にとびこませ、あげくにはてには鍛冶屋に大きな槌で背嚢をたたかせ、八匹はくたばりますが、一匹はなんとか逃げ出します。

 さいごは、楽に行けるという地獄にいきますが、鍛冶屋から逃げ出した鬼が門番になっていて、地獄にははいれずじまい。天国に行っても聖ペトルスからは拒絶されて・・・。


 子羊の心臓を食ったと白状するかとせまる聖ペトルスとうかれぼうずのやり取りも軽快です。

 うかれぼうずは、お礼や褒美はなにもいらないという聖ペトルスにむかって「ひゃ、このおたんちんめ」といいはなちます。

 ガチョウを気前よく職人にあげる場面は、なくてもいいところ。
 
 王女が生き返るところは、「ぴんしゃんして、そりゃきれいでね」

 鬼との格闘も真に迫っています。

 お城の王さまから、家来になってくれれば一生こまらないようにしてやるがと、もちかけられ「股旅暮らしが身についてまってね。旅を続けたいんでさ」・・・拘束を嫌い自由に生きる主人公の思いでしょうか。

 途中割愛されても、物語として十分に成り立ちます。ただ「うかれぼうず」がひっかかります。


白雪姫

2018年03月10日 | グリム

・白雪姫(子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村ひろし/こぐま社/1991年初版)

 おはなし会では、意外と聞く機会がありません。継母が白雪姫を殺そうとする点と、継母が最後に真っ赤に焼けた鉄の靴をはいて、死ぬまで踊り続けるという最後が残酷で取り上げにくいのかもしれません。
 もっとも恐ろしいと思われがちな結末も、白雪姫を3度も殺した(そうとした)継母がどうなったかにふれることが、話の結末にふさわしいともいえますが・・・。

 「ガチョウ番の娘」の「釘をうった樽におしこみ、ひきずりまわす」最後も残酷なところ。もちろん昔話では、実際に血を流す場面がリアルではないのですが・・・。

 疑問なのは、白雪姫の結婚式に継母がでるのですが、王子と白雪姫は、これをながめて何もしなかったのでしょうか。どこで踊っていたのかはでてこないので、多分みていなかったと理解する方がよさそうです。

白雪姫と七人のこびと(世界の民話館1 こびとの本/ルース・マニング=サンダーズ/西本鶏介/TBSブリタニカ/1980年)

 最後に、お妃が鏡から「白雪姫のほうがもっときれい」といわれ、怒った妃が、鏡に向かって笏を投げると、鏡が粉々に飛び散って、かけらがお妃の心臓につきささり、死んでしまうという無難?な結末です。再話の再話で結末に配慮した結果でしょうか。


 中世のヨーロッパの魔女裁判では、こうした靴をはかされていたようです。逮捕後は拷問にかけて「自白」がえられれば、有罪。処刑されたのです。

 また魔女や異端の審問を行う当局が、密告や告発を奨励するあまり、証言能力のなさそうな子どもの証言まで採用し、子どもが母親を魔女として告発することがめずらしいことではなかったといいます。無茶苦茶な時代といってしまえば、それでおわりですが、継母も犠牲者の一人であったのかもしれません。(メルヘンの深層 歴史が解く童話の謎/森 義信/講談社現代新書/1995年)


 ところで白雪姫が王子と結婚したのはいくつぐらいのときでしょうか。

 お妃が鏡に向かって「一番きれいなのはだれ?」と聞いて、鏡が「白雪姫」がきれいと答えるのは、白雪姫が七歳のとき。

 そのあと七人のこびとのところで暮らし、変装したお妃がやってくる場面が三回。ガラスのお棺に横たわる時間があります。
 この間の時間の経過を踏まえることも必要で、七歳というイメージがあるとほんとに若く結婚したということになりそうです。


 
    グリム童話 白雪姫/絵:バーナデット:文と絵 訳:佐々木 田鶴子・訳/西村書店/1986年

 原作に忠実ですが、「一番きれいなのはだれ?」と聞かれて、鏡が「白雪姫」がきれいと答えるのは、白雪姫が七歳のときなのですが、ワーナデッドは、年齢にはふれていません。

 こびとの大きさですが、白雪姫がこびとの家で暮らしますから、それほど小さいイメージはなかったのですが、そんなに小さな描き方ではありませんでした。

 こびとの家に時計があるのは昔話にはあわないのですが、お妃がやってきた時間を示すためでしょうか。

 ガラスの棺が山の上に置かれ、動物たちがやってくる場面。文章は動物たちとあるだけですが、うさぎやりす、はと?が描かれ、くどくどいわなくても一目瞭然なのは、絵本ならではでしょう。

 こびとの家のこまごました小物や、アヒルのいる小屋もイメージをふくらませてくれます。
 天井に干してあるドライフラワーには、ラベンダーもあると、どなたか指摘していました。


    白雪姫と七人の小人たち/作:グリム/絵:ナンシー・エコーム・バーカート・画 八木田 宜子・訳/冨山房/1996年

 他の絵本ではどうえがかれているのか?。 文と絵が別々のページで、絵は絵だけで楽しめるような構成で、幻想的です。

 鏡が「白雪姫」がきれいと答える最初は七歳のときとでてきます。

 ガラスの棺が山の上に置かれ、動物たちがやってくる場面では、まずきたのがフクロウ、それからカラス、ヤマバトと具体的ですが、絵にはでてきません。

 絵の描き方も絵本によってさまざま。なかほどに城、町の鳥観図、紋章がでてくるのは絵本ならではです。
 
 お妃が秘密のさびしい部屋にいきますが、壺や草木、きのこなどがあって、まるで魔女が好きそうな部屋です。

    白雪ひめと七人のこびと/スペン・オットー・絵 矢川澄子・訳/評論社/1979年

 こびとの家は、必要最小限に描かれています。

 ガラスの棺が山の上に置かれ、動物たちがやってくる場面では、ふくろう、からす、はととなっています。