<外国の人がとりあげた日本の昔話>
外国の人が、日本の昔話を取り上げるのは、どういう視点からか、興味があるところ。
・「三分間で語れるお話」(マーガレット・リード・マクドナルド 佐藤涼子・訳/星雲社/2005年初版)に、「長崎のネズミ」、「鈴の音」がありました。日本でよく知られているものではなく、はじめて目にするもの。
どちらもきりなし話ということでとりあげられてますが、そういえば、外国の昔話で、きりなし話というのは目にしたことがありません。
「長崎のネズミ」は、食べるものがなくなった長崎のネズミが、薩摩まで船で渡り、食べ物を手に入れようとすすんでいくが、途中であったのが、薩摩の船。
この船にのっていたのが、薩摩のネズミ。薩摩のネズミも食べるものがなくなって、食べ物を手に入れようと長崎にいくところ。
長崎にも薩摩にも食べるものがないことを知ったネズミが一匹、一匹海に身を投げ出します。
すっかり悲観したネズミが一匹一匹が海に飛び込むようすを、やめてといわれるまで続けるという話。
「三分間で語れるお話」には、「大阪のカエルと京都のカエル」と、こちらはおなじみの話も取り上げられています。
この話、NHKテレビで石井桃子作”かえるのえんそく”と題して放送されていました(2015.6.1)。テレビだけあって照明や効果、小道具がうまくそろえられていました。
・二ひきのかえる(ラング世界童話全集1 みどりいろの童話集/編訳 川端康成・野上彰/偕成社文庫/1977年初版)
ラングの世界童話全集1にも「大阪のカエルと京都のカエル」があります。
この話は、かえるにひっかけているので、”かえる”でないと面白さはでてきません。
・浦島太郎が「赤いカメ」と題して、再話されているのが(スーポーおじさんの 世界ふしぎ物語2 なだいなだ・訳 筑摩書房 1983年)。
「浦島太郎」というのは「緑の島の子ども」という意味だとはじまります。
出てくるカメは、赤いカメとされています。日本のもので、赤いカメと表現されているのは、なかったと思いますが・・。
乙姫から、開けてはならないという金の小箱をもらうのは、おなじですが、箱に意味があって、誘惑に負けなければ、岸で待っているカメが、ふたたび竜宮につれもどすことができること。
もういちど、乙姫にあうならば、何でもすると約束した浦島太郎でしたが、結局約束は守れず、おじいさんになったというのには説得力があります。
死の女神が太郎をむかえにきて、あの世につれていったという結末は、外国の方らしい終わり方です。
<日本の昔話の外国への紹介>
「図説日本の昔話」(石井正巳/河出書房新社/2003年初版)には、明治以降のものが多いが、昔話を描いた絵がたくさんのっていて興味深い。なかには室町時代の「鼠の草紙」の絵も。 もう一つ興味があるのは、日本のものがどう外国に翻訳されていったのかということ。
1885年には、英語版チリメン本に「舌切り雀」がダビッド・タムソンの訳で。
アメリカの宣教師でヘボン式ローマ字の発明者ヘボンが英訳にした「瘤取り爺」が1886年に発行されています。
また「文福茶釜」は1887年にジェイムス夫人が訳したものが発行されているという。
いずれもアメリカが中心であるが、それがどういうルートで世界にひろがっていったのかも興味があるところ。
鎖国をしていた江戸時代に唯一窓口となっていたオランダをつうじて外国で発行されたものはなかったのだろうか。