どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おがわまちの民話と伝説

2013年01月31日 | 昔話(関東)



 小川町に住んで2年ほど。町の広報おがわ400号記念として刊行されたという「おがわまちの民話と伝説」。

 1976年に主に県立小川高校の郷土部が取材したというこの小冊子は25話が収録されている。高校生が中心になって収集したものであるが、多分このようなケースは全国でも珍しいものではないか。非売品であまり目にふれる機会はないと思うが、貴重な小冊子であるので紹介しておきたい。
 
 今では昔のことを語り継ぐ古老も少なくなって、民話や伝説を収集しようとしても困難になっており、37年以上まえに、こうした取り組みがされていたことに拍手したいと思う。


秩父札所の民話

2013年01月28日 | 昔話(関東)

      四季の彩り秩父路の民話/市川栄一文・池原昭治絵/さきたま出版会/1984年
      秩父の民話/市川栄一文・池原昭治絵/さきたま出版会/2007年


 本の奥付をみると、作者は秩父で生まれ、小学校の先生を続けられながら埼玉県全域にわたる民話の採集・再話を続けられている方とある。
 上記2冊のなかに札所の民話として

  一番四萬部寺   読んだ仏典 四万部
  三番常泉寺    子持ち石
  四番金昌寺    酒好きな名主様の失敗
  六番ト雲寺荻野堂 武甲山の山んば
  八番西善寺    ご詠歌に節をつけた村人
  九番明智寺    盲目の母
  十番大慈寺    風格のある老僧
  十一番常楽寺   即道坊が運んできた大石
  十二番野坂寺   絹商人と山賊
  十三番慈眼寺   賽銭箱に投げこんだ小判
  十四番今宮坊   観音様のお姿の雲
  十五番少林寺   疫病神の失敗
  十七番常林寺   殿様を誡めた家来
  十八番神門寺   昔は神社 今は寺
  十九番龍石寺   天に昇った竜
  二十番岩ノ上堂  観音様の渡し船
  二十二番永福寺童子堂 犬になった息子
  二十三番音楽寺  小鹿の道案内
  二十七番大渕寺月影堂 秩父にやって来た弘法様
  二十八番橋立堂  石になった悪竜
  二十九番長泉院  竜女を見た男
  三十番法雲寺   海を渡った観音様
  三十一番観音院  はね返った矢
  三十二番法性寺  笠をかぶった観音様
  三十三番菊水寺  八人峠
  三十四番水潜寺  百番巡礼を果たした法師

とほとんどの札所にかかる話が採集・再話されている。

 秩父札所は1234年頃から1488年の札所番付(札所三十二番寺蔵)が実在することから今日まで何百年かたっている。秩父札所は一番四萬部寺から三十四番水潜寺までが一回りすると約100㎞ほど。
 ところで観音霊場巡りは、仏教の(如来)釈迦如来、阿弥陀如来、(菩薩)文殊菩薩、地蔵菩薩、(明王)不動明王、愛染明王、(天部)毘沙門天、大黒天、弁財天など、たくさんの仏様のうち、その中でも、人気の高い観音様が祀られているお寺を巡礼し、信仰を深めたり、お願い事をしたりすることだという。

 観音霊場は三十三の寺院で構成されていることがほとんどであるが、三十三とは、観音経において観音様が人々の悩みや苦しみを救済する為に三十三の姿に身を変えることからきているという。西国三十三所観音、坂東三十三所観音に秩父三十四所観音を合わせたものが日本百観音。このほかにも各地方に数多くの観音霊場があり、関東では武蔵野三十三ケ所、鎌倉三十三ケ所など北海道から九州まで41か所の観音霊場があるという。単純に計算すると札所は1300カ所を超えることになり、さらに観音様が三十三の姿に身を変えるということは、さらにその数倍の伝説があっても不思議ではなさそう。

 「伝説」を辞書でひくと、「歴史上の人物や、具体的な事物・事件などに関する言い伝え」とあるが、何らかの脚色がおこなわれ、人々に語りつがれてきたものも多いのではないか。


埼玉の民話と伝説

2013年01月25日 | 昔話(関東)

 「埼玉の民話と伝説」は武蔵野銀行が1977年に発行したもので、50話が載っています。

 非売品なので手に入れることが難しいと思われますが、図書館で見つけ読んでみました。伝説が中心ですが、埼玉のお話という視点でみるとコンパクトにまとまった小冊子です。

 昔、藤原秀郷と平将門が最後に戦ったという秩父。将門には七人の影武者がいたとか、侍女の桔梗に心がわりされて、斬首されたなど平将門にまつわる話や歌人として名高い西行法師が寄居町にやってきたときに、西行法師にたずねられた子どもや百姓の娘が見事な歌でこたえたことから、まだまだ自分の修行が足りなかったことを恥じた話。

 さらに、浦和市の大門神社の境内にある愛宕神社の拝殿に彫刻されている龍、浦和市の国昌寺の龍、越谷の清蔵院の龍、入間郡の星宮神社の唐獅子、比企郡吉見の安楽寺の虎、大里郡妻沼の聖天社の猿などは左甚五郎作といわれていること(だれの作かわからないものに、左甚五郎作と伝えられたものもあるのではとの注釈あり)。

 また栗橋町にお墓があるという静御前の最後や与野市の弘法大師などの話、在原業平が志木市にやってきたなど歴史上の人物があらわれます。

 このなかには、秩父の武甲山と笹山に住む天狗が山の高さを競ったり、北本市の氷川神社の大杉、喜多院の鐘、坂戸の九頭竜神社など竜にまつわる話、さらに狭山市の河童、本庄市のカッパの壺、熊谷市のカッパの妙薬などカッパにまつわる話など伝説といいながら、多様な登場人物がでてきます。

 埼玉のお話の原型を知るうえでよくまとまった冊子です。


「雪白とばら紅」「一つ目、二つ目、三つ目」

2013年01月16日 | グリム

     雪白とばら紅/子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村ひろし/こぐま社/1991年初版
     一つ目、二つ目、三つ目/子どもに語るグリムの昔話5/佐々梨代子・野村ひろし/こぐま社/1992年初版


「雪白とばら紅」は二人の姉妹につけられた名前。昔話にはめずらしく仲のよい姉妹の一つ。

 雪白とばら紅という名前が二人のイメージをあらわしている。途中にこびとが道化の役で登場し、最後は、姉が王子と、妹は王子の弟と結婚するお話。

 二人が森の中をかけまわり、赤い野いちごをあつめたり、子うさぎや鹿とのふれあい、鳥たちが歌をうたってくれたりと、牧歌的な情景も。 
 白と赤のバラが効果的につかわれているのも印象にのこる。
 
「一つ目、二つ目、三つ目」は、長女は目が一つ。次女は目が二つ。三女は目が三つという意外性にとんだ三人姉妹。
 次女は目が二つで、つまらないやつらとおんなじではないかと上と下にいじめられる。
 毎日食べ物をならべてくれたやぎを、母に殺されてしまうが、殺されたやぎのはらわたを家の戸口の前の地面に植えると、そこから葉が銀で、金の実がなる木が生えてくる。ここにもすてきな騎士があらわれ、二つ目は、この騎士とめでたく結婚する。

 「こやぎ、めえーとないて、おぜんのしたく」というフレーズが何回か効果的につかわれている。

 ところで、下記の、こぐま社の二冊のなかから、結婚という話を抜き出すと半分ちかくをしめる。

 「あわれな粉やの若者とねこ」「かえるの王さま」「白雪ひめ」
 「三まい鳥の羽」「森のなかの三人のこびと」「かしこい百姓娘」「千枚皮」「鉄のハンス」

 女性は、結婚イコール幸せと読めるのには、少し(だいぶか?)抵抗があるところ。しかしグリムにかぎらず、昔話の多くの結末は幸せな結婚でおわる。
 夢がもてるのが子どもの特権ですが、夢が破れることもありうるというのがあってもよさそう。


白雪ひめ

2013年01月11日 | グリム

    子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村ひろし・訳/こぐま社/2000年第18刷

 ラジオでドイツに住む日本人の方が、ドイツでは今年、グリム童話の出版200年を記念して、イベントが長期間続くことと、百数十か国で翻訳され、聖書より読まれていることをレポートしていました。

 グリムの童話のなかでもよく知られている「白雪ひめ」、何となく知っているようであるが、こぐま社の本から物語の流れを整理すると

1 王さまのきさきに、はだは雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛は黒檀のようにまっ黒な白雪ひめが誕生する。
2 父親である王さまと、だれよりも美しくなければ我慢できない、あたらしいおきさきとの再婚
3 晴れたように美しくずっときれいになった白雪ひめ成長
4 ねたましやくやしさで昼も夜も心の休まることがなくなった継母のねたみ
5 継母のいいつけで、狩人に殺されかける白雪ひめ
6 白雪ひめが、七人のこびとの家に逃げ込み、歓迎される
7 すがたをかえた継母に、一度目は胸紐で、二度目は毒の櫛で、三度目は毒の入ったリンゴで三度にわたって殺される白雪ひめ
8 ガラスの棺におさめられた白雪ひめのところに王子が登場し、この棺を王子がもらいうけ、召し使いが担いでいくが、途中、低い木に足をとられ棺がゆれると、白雪ひめのかじった毒りんごのかけらがのどからとびだし、白雪ひめが生きかえる
9 白雪ひめと王子の結婚と継母の最後
  継母は、真っ赤にやけたくつをはいて、死んでたおれるまでおどりつづける。

 別の角度からの疑問。

1 王さまがなぜ高慢でうぬぼれが強いきさきと再婚したのか。物語の進行上はたしかに王さまは必要ではないが、それにしてもまったく見えない存在。

2 ひとそれぞれが違っていいという価値観からすると、ほかの昔話でもそうであるが、女性=美しくなければという図式があまりにも多い。

3 この話で、美しさを決めるのは鏡。美しいかどうかの判断を他者にゆだね、それに依存している。

4 白雪姫ひめは、三度も殺されるが、深い森にある小屋にやってくる人物を警戒しないのは、あまりにも学習能力が不足。

5 こびとが なぜ登場しなければならないのか。原文がどうなっているかはさだかでないが、白雪ひめが、こびとのベッドに入り込む場面では「長すぎたり、短すぎたりしました」とあって、この訳ではこびとのおおきさがきわめて不透明

 文章を読むともっと疑問がでそうだが、これを語りできくとスムーズにうけとめられるから不思議。


木下順二作の民話

2013年01月06日 | 昔話(日本)

 大分昔になるが、「蛙昇天」や「審判」などの芝居を見たことがありました。「オットーと呼ばれる日本人」「子午線の祀り」などの戯曲があたまにあり、木下順二と民話というのが結びつきませんでした。
 
 少しまとめて昔話を読み始めて、そのなかで岩波少年文庫の木下順二作「わらしべ長者 日本民話選」を読んでみた。
 作者のことばに、民話の文体を求めて手さぐりするというこころみとあるが、全体的にソフトな感じで、会話の部分がとてもなじみやすく、擬態語の使い方がここちよく響く。

 料理のしかたで、これまでの昔話とちがった深い味わいを感じさせてた作品に魅かれた。コーヒーでいうと、ブラックではなくカフェオレといった感じ。
 
 これまで木下作品の語りを聞く機会にめぐまれていないが、どこかで企画されていたら、ぜひ聞きにいってみたい。


ハチドリのひとしずく

2013年01月04日 | 創作(日本)

        ハチドリのひとしずく/辻 信一監修/光文社刊/2005年

 

 宮沢賢治の作品にでてくるハチドリ。そしてナスカの地上絵にでてくるハチドリ。
 もうひとつ感銘した「ハチドリのひとしずく」も忘れることができない。

    森が燃えていました
    森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
    でもクリキンディという名の
    ハチドリだけは いったりきたり
    口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
    火の上に落としていきます
    動物たちがそれを見て
    「そんなことをして いったい何になるんだ」
    といって笑います
    クリキンディはこう答えました

    「私は、私にできることをしているだけ」

 

 はじめからあきらめていてはなにもはじまりません。最初の一歩を踏み出すことでしょうか。                   


ジャータカ物語・・インド

2013年01月01日 | 昔話(アジア)

・ジャータカ物語/辻 直四郎 渡辺 照博宏・訳/岩波少年文庫


 昔話がインドのジャータカ物語をルーツとしているのではないかとの説もあるようなので、ジャータカ物語を読んでみました。

 ありがたいことに読んでみたいと思った本が日本で出版されているということ。それもだいぶ古く、岩波少年文庫で1956年に初版が出版されています。

 いまある形で編集されたのは5世紀のはじめごろといいますから、いまをさかのぼること1600年前ということになりますが、そのもとは2000年以上も前のことといいます。
 しかし、エジプトのツタンカーメンは3350年前の人物で、エジプト文明が5000年前に誕生したことからいえば、そんなに古いということではないかも知れません。

 岩波少年文庫には、ジャータカ物語547話のなかから30話がのっている。

 仏教の説話集というので道徳的な感じでいろいろな教えを含んでいるという解説がうなずける内容になっています。

 お話のはじまりは、「むかしむかし、ブラフマダッタ王がペナレスの都で国をおさめていたころのことです」とあるのが、文庫におさめられた30話のなかで27話。2話のはじまりはこれとことなるが、もう一話はブラフマダッタがジャナカとなっています。

 はじまりの次は、ボーディサッタが動物や王子、バラモンの僧に生まれ変わって登場します。

 ボーディサッタ(菩薩)は、「のちに仏陀になるはずの人」という意味でおしゃかさまの前の世のすがたということですが、ここでは動物と人間が近い存在。
 
 昔話のルーツというので、もう少し慣れ親しんでいる内容がでてくるかと思ったが、おもったほどではありませんでした。訳されているのが5%ほどなのかが影響しているのかもしれません。
 
 この本にある「幸運をつかんだゾウつかい」では、木の上のオンドリと下のオンドリがけんかをし、どっちがえらいかとののしりあいをはじめ、下のオンドリは、自分の肉を食べたものは、金貨千枚が手に入る。木の上のオンドリは、自分の肉をたべたものは、男なら将軍に、女ならばおきさきになる。坊さまなら王さまおきにいりの大僧正になれるとどなりあう。

 それを聞いたたきぎひろいのおとこが木の上のオンドリをしめ殺し、その肉をたべて王さまになろうとするが、その肉をゾウつかいが手に入れ、それを食べたことによって、王さまになるというお話。

 動物などの話を聞いた者が、その話のとおり行動するというのは他にもあるが、この話ではもうひとひねりし、親切なゾウつかいを登場させ、聞いた本人ではなく、親切で正直なものが幸運?をつかみとっている。             
                

 ところで、このジャータカ物語がルーツとなっているというフィリピンの話に「王さまと二人の母」というのがありました。
 国際結婚したフィリピンの方が幼児の頃聞いた話を、山形の言葉で語っているものです。


          
・王さまと二人の母(フィリピンの民話 山形のおかあさん 須藤オリーブさんの語り/野村敬子・編 三栗 沙緒子・絵/星の環会/2003年初版)

 話の内容は・・・

 賢い王さまのところに、男の子を連れた二人の女がやってきて、お互いに、この子は私の子だと主張しまし。
 王さまは子どもの腕を両方から引かせ、自分の方に子どもを引っ張った方が本当の母だということにしようと、二人に腕を引かせますが、実の母親は、子供の手が折れたり、骨が割れたりしたら大変と子どもの手を離してしまう。
 もちろん、王さまは本当の母親だったら子どもが痛がることはしないはずと裁定を下します。

 いかにも仏教の説話を思わせる内容で、ジャータカ物語がルーツになっているとうのが納得できる話です。
 大岡裁きやブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」にも同じ話がでてきますが、ルーツはジャータカ物語にありそうです。