どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おばりてえなあ・・長野

2024年11月21日 | 昔話(北信越)

      長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 村の衆が町へいって神明の大門とこへくると、暗闇の中から、「おばりてえなあ」て、気味が悪い声がして、みんなおっかながって、逃げかえった。

 ある日、喜作おっしゃんが、神明の大門とこへくると、やっぱり、「おばりてえなあ」て、気味が悪い声がした。喜作おっしゃんは、元気なもんだから「おばりたけりゃおばれ」というと、なんだかへんなものがおぶさったから、そのままおぶって歩いてきた。そしたら、家のほうに近づくにつれて重くなった。我慢して、うんとこ家までおぶってきて、家に着いたら、「ほれ、おりろ」と、せなかからどさんとおろすと、ガチャガチャとなって、小判がおちていた。

 隣の欲の深いおっしゃんが、この話きいて、神明の大門にくると、やはりと「おばりてえなあ」という声。よろこんで家まではこんでくると・・・。

 欲の深いおっしゃんが、せおってきたのは泥水で、からだじゅう泥だらけになっちまった。

 

 「おばりてえなあ」は、背中におんぶしたいということか?

 正直なものには、幸運が舞い込む話。


あんころもちこぞう・・長野

2024年11月11日 | 昔話(北信越)

      長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 むかし永平寺山のふもとにおかしなこぞうがおったと。ねんががらねんじゅう、まっぱだかで、ふんどしいっちょうだけ。しごとはちっともせずにぶらぶらしとった。

 あんころもちがすきで、はらがへりゃ、「おっかあ あんころもち」とせがんでいたと。おっかあも、かわいい子どものことだから、毎日作ってくれたと。そのおっかも、年とって死んでしまったが、それでもこぞうは、「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」と、村の中を歩いていたと。おっかあが死んでかわいそうにおもった村の衆は、はじめは、それくえ、それくえやと、くれとったが、そんなにやれんと、しぜんにやめてしまったと。

 それでも、「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」とまわりあるいて、永平寺山のてっぺんへのぼり、松の木の下で休んでいただ。そのうちうとうとしていると、夢の中におっかあがあらわれ、「おっかあ」と叫んだ。「おっ、わりゃか。まだわりゃ あんころもちくいてえっていってるだけえ。いいか、もう二個だけあんころもちをやるが、それきりだぞ。いまおっかあは天にいる。ふんどしを天に向かって投げろや、その中へえれてやるで。」というと、おっかあは消えた。

 夢見ていたかなと、こぞうが、ふんどしをはずし、くるっとまるめ、天に向かって力いっぺえなげただ。するとふんどしがたれさがってきて、木の枝に、ごそっとひっかった。中には重箱があった。いそいであけると、こってりあんこがついたもちがぎっしりつまっていた。

 ある日、三度の飯よりあんころもちが好きな殿さまが村の見回りにきた。「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」というこぞうの声を聞いた殿さまは、家来に命じてあんころもちを探させた。けれども、その日は、どこの家でも作っていなかった。それでも、殿さまは、あんころもちをもってまいれとけらいに命じた。これを知ったこぞうは、おっかさんが二回といったことを思い出し、「あんころもちをさしあげます。」というと、ふんどしいっちょうのこぞうをみて、殿さまも家来も、へんなもんがきた、「ぶれいもの、さちされ」とどなった。

 しかし、こぞうはへいきで、ふんどしを天に向かってほおった。殿さまも家来も、あんまりのことに、口をぽかんとあけて天をみあげていたと。そのうちするすると ふんどしが おちてきた。ふんどしの中から重箱がでてきて、殿さまがたべてみると、これまでたべたことのないうめえあんころもち。よろこんだ殿さまは、こぞうにたんまりほうびをつかわせた。

 こぞうは、そのほうびで、しあわせにくらしたと。これで、おしめえ。


すべて金・・福井

2024年04月07日 | 昔話(北信越)

        福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/197

 

 とても欲深い男が、神さまに、ともかく金が欲しいとお願いすると、神さまが「どのくらいほしいか」いうので、男は四六の蔵ほどという。神さまが、そんなものでいいかというので、男は国中、世界中と、お願いをエスカレート。
 神さまは、男のねがいをかなえることにします。
 すると、男がご飯を食べようとすると、箸が金になり、茶碗が金になり、着物を着ようとしたら、その着物が金になる。そんな調子で、手でさわるもの、からだにつけるものが、みんなほいほいと金になるものだから、男はどうしようもなくなって、神さまに謝るという話。

 

 ルーツといえるかはわからないが、ふれるものがすべて黄金にかわるというのはギリシャ神話の王ミダースの能力。

 グリムの「金のがちょう」は、三人兄弟の末っ子が、木の中から「金のがちょう」を手にれるころからはじまり、宿屋の上の娘ががちょうの羽を抜こうとすると、がちょうに手がくっついてはなれなくなり、二番目、三番目の娘たちも肩に手がくっつき、おまけに 引き離してやろうと思った牧師や寺男もくっついてしまう話。


浦島太郎・・福井

2024年04月06日 | 昔話(北信越)

      福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 この昔話には、話し手の方のお名前がのっていますが、いかにも自由自在に話されている「浦島太郎」です。

 浦島太郎という人が、おっかさんと大阪の住吉のお宮の祭りにでかけたときのこと。混雑でおっかさんとはぐれて海辺に来るとカメが子どもたちにいじめられているのに遭遇し、銭をもっていなかったので、着物とひきかえに、カメを助けました。

 カメは、いちど海の中へ入っていったが、すぐに大きなミノガメになってうきあがり、礼をしたいという。礼なんかいいという浦島太郎がいいますが、しばらくしてまたでてきて、もういちど礼をしたいという。三度同じことを繰り返し、四度目には、美しい女の人になってやってきた。カメは、「今助けてもらったお礼に、竜宮に連れて行ってあげますから、背中におぶさってください」という。それでとうとう女の人の背中にのると、いつのまにか寝てしまった。竜宮であったのは乙姫さん。乙姫は、百年に一ぺん、住吉にお参りにいくが、だいじゃの姿のままではお参りできないので、カメになってお参りしようとして子どもたちにつかまってしまったという。

 いろいろごちそうになり、六日目にかえろうとすると、乙姫さんは、「竜宮の一日は、しゃばの百年にあたるのや。今頃帰っても、だれもいないから、帰らんとき」ってとめたが、太郎は、まさかとおもって、「それでも、うら、かえる」といった。
 お土産にもらったのは、竜宮の玉を、すこしだけ削ったもの。玉を全部あげると竜宮が真っ暗になるからと、削ったものを箱に入れたが、箱を開けるとすぐ蒸発してしまうという。乙姫さんは、さらに、なんでもほしいものがあったら 手を三つたたくと、箱の穴から出てくるといいました。

 太郎は、急いで国へ帰りますが、だれも知らないといいます。お寺にいって帳面をしらべてみたら、八百年前に死んだことになっているという。村の人に、「おれは、八百年前にいなくなった浦島太郎や。」というが、みんなは、幽霊が出たと大騒ぎ。竜宮の話をしてもだれも信用しない。それではと、太郎は竜宮でもらった箱に手を三つたたき、お金や着物を出し、それをみんなにくれてやった。

 ところがこんどは、そのことが役人の耳に入りキリスタン・バテレンにちがいないと調べにきた。その役人に「おれはキリスタンでもバテレンでもないわ。竜宮にいってきたのや。おまえにも、着物や金をくれてやるわい。」と、手を三つたたき、着物や金をだすが、役人は「これこそ、キリスタン・バテレンや。箱の中をあらためい。」ちゅうて、無理やり箱をあけてしまった。すると、中から煙がたってでてきて、それからあとは、いくら手をたたいても、なにもでんようになったという。

 めったり、はいのくす。

 

 カメを助ける、竜宮で乙姫さんとあう、おみやげの箱からけむりがでてくるあたりは、ちゃんと「浦島太郎」を踏まえていますが、竜宮の一日は百年だとか、キリスタン・バテレンがでてくるなど、ちょっと思いがけない話となっています。


カラスの行水・・福井

2024年04月04日 | 昔話(北信越)

        福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

 「わてをよめさんにしておっけ」とやってきた女の人。ところが このよめさんたいへんなふろぎらい。なんべんいってもふろに入ろうとしない。

 それでもしぶしぶふろにはいったよめさんが ほんまにふろにはいっているか たしかめてやろうと、おっじゃんがふろ場をのぞいてみると、着物を脱いだよめさんが、ふろおけのふちにとまってて、おっじゃんをみると、あわててまどからカアーカアーと鳴いて、飛んでいったんやて。よめさんは、カラスやったんやて。

 ことわざも、昔話で意味を理解できると興味がわきそう。


ガンのこ石・・石川

2024年02月10日 | 昔話(北信越)

        石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 石川県珠洲市のお話。ガンはカニのこと。

 夕方になると、深い谷の上の村にたびたび不思議なことがおこった。人がとおると、7つか八ぐらいの男の子が出てきて、十歩ほど先を、右へ左へちょこちょこ歩いていく。走って追いつこうとすると、小走りで先へ行き、こっちがゆっくりと歩くと、向こうもゆっくり歩く。おかしなことと思うとると急に気味が悪くなって、からだがぞくぞく寒くなってくる。男の子がひょいと振り向くと、口のまわりをあわだらけにして目玉のとび出た化け物のよう。村のもんは、この話を本気にしなかったが、そのうち小さい子どもがさらわれたという話がつたわると、もう谷の上の村の者は、だれも通らないようになった。

 さわぎがおこっているとき、えらい坊さまがやってきて、この話を聞き念仏をとなえていのっているうちに、この化け物は、昔から能登のあちこちでいたずらをして追い出された甲羅にコケのはえている大きなガン(カニ)であることがわかってきた。このえらい坊さまは、村のもんをあつめて、このガンの話をした。

 このガンはもとは珠洲のでっかい寺にすみついて、旅の坊さまがたずねてくると、問答をしかけ、答えにつまると、大きな指で、ほっぺたをチョキンとつまみあげ、口中あわだらけにしてにたにた笑うので、どの坊さまもひと晩でにげたという。ある年、月庵というえらいぼさまがきて、「おまえはガンであろう。正体をあらわせい。」と大声で叫ぶと、さすがのガンも、すたこらと寺をにげだし、すがたをけしたという。

 話が終わると、この坊さまは、ガンのすんでいるふかい谷へひとりででかけ、このごろ悪さがすぎる、もうやめろと 言い聞かせた。そして「この谷から一歩もでないと、約束するならおまえに、村が日照りで困ったときに、雨をふらせるふしぎな力をさずけてやろう。」といいます。
 坊さまとかたい約束をしたガンは、谷の深い水の中にもぐったかと思うと二度とそのすがたをみせることもなくなり、いつのまにかでっかい石にかわってしまった。そして村の者は、この話を聞いて、日照りのときにこのガンのこ石におねがいしようと、この石を谷の中にうごかさずにおいておいた。

 さて、ある年のこと、かんかんの日照りで、谷の上の者は、あのガンにおねがいしようとします。一方、谷の下の村は川の下にあり、池もあるのでちょっとの日照りには、びくともしない。ガンのこ石をほったら、百日の雨つづきになる、下の村の者は、水浸しやと、ガンのこ石をほることに反対します。上の村は、どうしても水が欲しい。いいぶんがかちあって、両方の村は、血の雨をふらさんばかりの大騒ぎになった。

 そのあと、どうなったかはわからんが、きっと百日の雨つづきではなしに、あのガンが 坊さまからあたえられたふしぎな力で、ちょうどいい雨をふらして、両方の村のあらそいごとをおさめたのではないかということや。

 

 調べてみると、珠洲市には多くのお寺がありました。今回の地震の影響は どんな状態でしょうか。


長西ギツネ・・石川

2024年02月05日 | 昔話(北信越)

       石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 能登半島地震では、電気が復旧したようですが、水道はまだ先のようです。あまり報道されていませんが気になるのは子どもたちのこと。幼稚園・保育園、小中学校は、どんな形で再開されているのでしょうか。親がなくなった子どもはいないのでしょうか。
 これまでの日常生活にもどるのは、まだまだ時間が必要なのでしょう。

 ところで、石川県は、南加賀、北加賀、口能登、奥能登にわかれ、この話は、口能登 七尾市の昔話。

 二匹のキツネの話声を聞いたのは、馬売りの五平という大酒のみのじいさまが、家に戻れんほどになって、地蔵さまのところでねていたとき。いっぴきは長齢寺の縁の下にいる長さんギツネ、もういっぴきは、西光寺の縁の下に住む西さんギツネでした。

 どんな相談かというと、長さんギツネが馬に化け、西さんギツネが馬方の五平に化けて、馬市でひともうけをしようという相談。

 五平じいさんは、キツネどもをだましてやろうと、つぎの日の朝、キツネたちを待っていると、先にきたのは長さんギツネ。「おい、長さん、おそかったぞ。わしはもう五平にばけたぞ。おまん、はよ馬に化けや」というと、長さんギツネは、あわてて馬に化けてしもうた。五平が、落ちとった縄で、首のところへたづなをきちきちにしばりつけたので、長さんギツネは、苦しくてたまらない。長さんギツネは、緩めてくれというが、五平は、しばらくのしんぼうといい、馬市で長さんギツネを売って、その銭で、酒を買って楽しんだ。

 いっときは、楽しめたが、いつなんどき悪さをされるかわからんので、きっと、キツネはいつぞやの地蔵さまのところへくるだろうと見当をつけ、地蔵さまのところへいってみると、あんのじょう二匹のキツネが目光らせて まっていた。

 五平じいさま、よっしゃと、でっかい声出していった。「地蔵さまの話では、二匹のきつねが、きっとこの五平に、あだくそするちゅうこっちゃが、うっかりそんなことをしようなら、地蔵さんの罰があたって、足が折れて歩けんようになるちゅうことを知らんと、いまじぶん、どこかでこの五平をさがしておるこっちゃやら、気の毒なことですわいのう」

 キツネは、五平じいさまのまじめくさった話を聞いて、顔見合わせ、しっぽをまいて てんでに にげてってしもうたい。

 

 人をだますキツネがいれば、そのキツネをだます人間もいて、どっちが 悪い?。


ろうそく騒動・・富山

2024年01月14日 | 昔話(北信越)

  子どもに贈る昔ばなし18/小澤俊夫・監修/小澤昔ばなし研究所/2022年

 

 ろうそくをしらなかった村の人が、和尚さんから土産にもらったのは赤いろうそく。村の中の物知りが、「町でかまぼこを売っているだろう。あれは赤い色をしている。だからかまぼこだ。食べるものに違いない」というと、みんなは赤いろうそくをかまぼこだと思い込みました。

 そのかまぼこが、近所にも少しづつ分けられました。「和尚さんの土産かい。そりゃ、たべればきっと寿命も延びる」と、ほんの少しずつかじりました。すると、みんなおかしな顔をして、「かまぼこというのはこんなものかい。うまくないものだなあ」と言って、顔を見合わせました。

 ところが、町にきた薬屋がいったことを聞いたとなりの男が、「あれはろうそくというもので、頭の先から火が出るそうだ。腹の中で、火が燃えたら、腹の中はめちゃくちゃだ。たべたらいかん」といったので、赤いろうそくを食べた人はおおあわて。「腹の中で火が燃えたらそれこそどうなるかわからん。こりゃ、水を飲まんといかん」と、水をがぶがぶ飲みました。

 

 「なんにも知らないのに、知ったような 顔をしていうものではないよ」という話。

 こんなわかりやすい例ではないが、あやしい情報が数多く発信されているので、要注意です。


地蔵の恩返し・・石川

2023年08月29日 | 昔話(北信越)

        石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 類似の昔話がありますが、オチが楽しい。

 おじじが山へたきぎをとりにいったが、腰に下げた団子がじゃまになり、地蔵さまの前において、かれえだを集めた。

 日も頭の上にきとって、団子を食べようとすると、団子が一つもない。だまっている地蔵さまへ、下の谷にころがすというと、地蔵さまは、頭を下げていうたと。「じつは、おれが食べたくて食べてしもうた。がまんしてくれ。そのかわり、おじじに恩返しをするからの。」

 地蔵様に言われたとおり、おじじが重茂の宮の縁の下にまっていると、オニどもがやってきて、ジャラン、ジャランと、銭の音させて、かけごとをはじめた。ここでおじじは、ニワトリのまねをし、オニどもが残していった銭を袋いっぱい手にいれます。

 この話を聞いた、わるいおじじも重茂の宮にでかけ、じっとまっていると、オニどもが、かけごとをはじめたとい。おじじは、待ち遠しくて明け方には、まだ間があると思うたけど、コケコッコーと鳴こうとしたら、どんなわけかしらんけどノドがつかえて声が出ない。これはいかんと、うんとふんばったら、ブブッブーと、でっかい音をたてて、へが出た。オニどもは、すぐに気がついて、鼻をきかせ、おじじを見つけると、耳をチョンと、きられてしもうたとい。

 

 ニワトリの鳴き声をまねすると、オニがおかしいと気づく話が多いのですが、”へ”がでるとか、耳を切り取るのも珍しい。

 

 小学生が描く鬼の挿絵が楽しい。


人形のこごと・・石川

2023年08月26日 | 昔話(北信越)

        石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 昔の湯治客は、お米、味噌、おかずのお重をもって冬ごもりを兼ねて、湯治にやってきた。いろんな人が集まり、おおきな囲炉裏を囲んで、話に花が咲いたのが想像できる。

 この時期、加賀の山中の温泉には、淡路島から人形芝居がやってきては、また来年来るからと荷物を預けて帰っていた。

 ある晩、湯治客のひとりが、しまい湯のかえりに、庄屋の文蔵さんの蔵のうしろで、たしかに女の人の声が聞こえたような気がしたから、足をとめてじいっと耳を澄ましたが、何も聞こえなかった。そのつぎの夜も、湯治客がしまい湯の帰りに、文蔵さんの蔵の前をとおりかかると「ああ、つらいよ。はよ、かみゆうて」と若い女の声を聴いたような気がした。客の間に、そのうわさがあっという間に広がった。

 うわさを聞いた庄屋の文蔵さんが、蔵前の部屋にそっと忍び足で入ったとたん、若い女の人の声がしたんやと。女の人の声にまじって、しわがれたおじいさんの声、ブツブツつぶやいているギャワズ(カエル)の鳴き声も聞こえたように思ったんだと。文蔵さんが思いきって引き戸をがらりとあけたが、つぶやき声は消えんかったと。文蔵さんは、ありったけの戸をあけて、とうとう重い蔵の戸に手をかけた。「この蔵の中でなきゃ、うちのえんの下しかないぞ」と思いながら、蔵の戸をあけたとたん、奥のほうから、声がはっきり聞こえてきたんやと。「ああ、そうか。わかった、わかった。」と、手で膝をたたいた文蔵さん。人形使いの大夫が、淡路に帰るときに、人形の顔、肩、手、胴などを、ばらばらにして、つづらにいれて、蔵のおくにしまいこんで、その上に、重いかごをのせてあったんで、その声だったと気がついた文蔵さんは、大夫に手紙を書いて、来てもらうことに。

 文蔵さんは、湯治の客に恥ずかしいという人形に向かって、やさしい声をかけます。

 「囲炉裏のそばで、よう言って聞かせるから、はずかしいことは、なんにもない。来年の春まで、ねんねこさっせ。な、ねんねこさっせいなあ。」


金ひり小犬・・長野

2023年05月16日 | 昔話(北信越)

     長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 じいさまとばあさまがかっていた犬は、ご飯をやると小判をうむ不思議な犬。それで、たちまち長者さまに なったと。

 じいさまは、「そんなに、小判をうまんでもええぞ。うんと長生きしてくれや」と、犬を大事にし、困った人をみると、小判をめぐんでやっていた。ばあさまは、「村のもんに、そんなに小判をやることあねえ」と、おこってばかり。そして自分はきれいな着物を着て、うまいもんばかり食べ、山吹の花をながめて楽しんでいた。

 ばあさまは、どんどん欲深くなって、蔵いっぱいの小判をためてえなあって思うようになった。犬は、ご飯を食べさせれば食べさせた分だけ小判をうんでいた。五合のごはんをくれると、五合の小判をうんだんだと。

 「どうしてこんなことに早く気がつかなかったんだいなあ」とくやしがったばあさんは、六合、七合、八合と、くれていったもんで、小判は山のようにたまっていったと。

 一升やると一升の小判、二升やると二升の小判。

 それを知ったじいさまは、「そんねにむりをさせるもんでねえ。でえじにせにゃいけねえぞ」と、いいますが、ばあさんは、じいさまのいうことなんぞきかねえで、こっそり三升のご飯をくれると・・。

 

 結末が想像できる話。欲にきりはないといいますが・・・。ずーっと昔、お金が必要ない時代もありました。


みそすり地蔵・・石川

2023年04月10日 | 昔話(北信越)

          石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 家が貧しく総持寺という寺に小僧としていった十歳の男の子。了念という名前をつけられ、味噌すりの仕事をすることになりました。

 ところが、このお寺には何百人もの坊さんがいるので、味噌すりといっても大変な作業。毎日毎日、蔵の中に座っての味噌すり。おかげで着物も顔をもいつも味噌だらけで、口の悪い坊さんから「みそすりこぞう。小さなみそすりこぞう」と言って、わらわれていた。それでも了念は嫌な顔をせず働いていた。

 了念は言いつけられていた仕事のほかに、寺の境内の片隅にある古ぼけた地蔵さんのまわりを、掃除することに決めていた。

 ある日、了念の姿が見えくなって、どこからともなく別な小僧が現れ、味噌すりをするようになった。仕事がつらくなって、了念がかわりの小僧を置いていったと思った坊さんたちが、何を聞いても返事はしない。

 何日かたって、ひょっこり了念があらわれ、以前のように味噌すりをはじめた。誰に何を聞かれても黙って笑っていた了念でしたが、地蔵の顔が味噌だらけになっているのは、お前だろうと問い詰められ、隠しきれなくなってしまいました。

 了念は、「善行寺へおまいりできるように地蔵さんにお願していたところ、地蔵さんが、かわりに味噌をすってやるから、善行寺に行ってこい」というてくれ、善行寺にいってきたことを話します。

 この話を聞いた坊さんたちは、お地蔵さんへおまいりにとびだしました。顔にはやっぱり味噌をつけたまんま。それから「みそすり地蔵」とよばれたいう。

 

 地蔵が出てくる昔話は、仏教の影響ですから、外国にはないことが納得できます。


ぼうさんになった大どろぼう・新潟

2023年03月02日 | 昔話(北信越)

        新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 普通の人の三倍も早く走れる足を持ち、どんなに頑丈な錠でも、釘一本であける”耳しろ”という大どろぼう。盗んだ金や宝物をたまに出して、にこにこ楽しんでいた。盗みだけでなく、人に怪我をさせたり、命を奪くことまで。

 そんな”耳しろ”が、この地域で一番大きな小倉の寺で、和尚が説教する日に、説教を聞きにくる中に大金持ちもいるに違いないと、お寺の縁の下にもぐりこんで、みんなが帰るのをまっていた。

 ところが、和尚の説教の声が、ひとりでに耳に入ってくる。生まれて初めての説教だったので、いちのまにか耳を傾けて、じっと聞き入ってしまった。ありがたい説教を聞いているうちに、いつのまにか ぼろっ ぽろっと涙が流れてきた。説教がおわると、”耳しろ”は、和尚さんの前で手をつき、今日から心を入れ替えるから、お弟子にしてくれるよう 一生懸命頼みこみます。

 すっかり心を入れかえて、お寺の掃き掃除や拭き掃除はもちろんのこと、夜もろくに寝ないで、一心不乱になって修行した”耳しろ”。

 やがて、和尚さんのかわりに、あっちこっちへ、説教して歩くえらい坊さんになった”耳しろ”が、ある庄屋に 泊めてもらうことになった。その庄屋から、「どんな修行をしたか話をしてくれ」といわれ、うそをついては申し訳ないと、”耳しろ”という大どろぼうであったが、心を入れかえて、坊さんになったことを正直に話した。それを聞いた庄屋は顔色が変わるほどたまげてしまった。というのも、庄屋の親御さんが、越後の国を旅しているとき、この”耳しろ”に、金ばかりでなく、命までとられていたのです。そして、ふしぎなことに、この日がちょうど、親御さんの殺された日であった。

 庄屋さんは、殺された親の引き合わせにちげえねえと、寝ている”耳しろ”を 「親のかたき!」と、ひと思いに刺し殺そうとした。ところが、耳しろの口の中から、ちいさい仏さまが、「ポイッ、ポイッ、ポイッ、ポイッ」と、飛び出してきて、耳しろのまわりをすっかり囲んでしまった。たまげた庄屋は、腰を抜かし、かえって耳しろにあやまって、弟子にしてもらい、親をとむらうことに。

 

 人情もののようにも思える昔話。昔話によくある援助者はでてきません。

 『歎異抄』にある「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」が、浮かびました。


鳥のみじいさん・・新潟

2023年02月25日 | 昔話(北信越)

         新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 各地に分布している話。

 正直で、働き者のおじいさんが、畑仕事をしているとき、大あくびしたひょうしに、小鳥が口に入ってしまう。しばらくすると、脇の下へ羽が生えてきたと。びっくりして、じいさんがひっぱってみると

  あや ツウ ツウ

  こや ツウ ツウ

  ごよのさかずき たべもうせば

  ピピラピンの ピーン

 と、とってもよい音を出したと。

 おおいそぎで、うちに帰って、ばあさんの見ている前で、もう一度、ひっぱってみると またおなじ声。

 これを聞いたばあさんが、「あしたは、とのさまが、この道をおとうりになるすけに、きかせてやろうそ」というので、おじいさんは、道端の大きな木に上って、とのさまが くるのを まっていたと。

 さきばらいのさむらいが、「何者だ」と、どなると、おじさんは、「日本一の歌うたい」とこたえ、鳥の鳴き声を 披露する。

 おじいさんは、とのさまから、たくさんもらった小判を、神棚にあげたが、小判があまりにおもくて、神棚から、おちてしまったと。

 これをみた、となりの、よくばりばあさんが、じいさんへ、「おまえも、鳥をのんでこらっしゃい」と、いったと。

 よくばりおじいさんが、むりやり飲み込んだのは、真っ黒い鳥。脇の下に生えた、真っ黒い羽をひっぱると、「ガア、ガア」と、鳴いたと。

 よくばりおじいさんが、とのさまの行列で、羽をひっぱると 「ガアガア」ときたならしい大声。そして「うそつきじじい」と、鞭でうたれてしまったと。

 いちごさけもうした。

 

 褒美を神棚にあげる場面は、この話がはじめてです。

 

 今話題のchatGPTに、「日本の昔話 鳥のみじいさん」と入力すると こんな回答です。今後は別にして、流石にすぐに回答をもとめるのは 無理そうですよ。ただし、別の話とすると これはこれで面白い。

 

「鳥のみじいさん」という日本の昔話は、ある日、山の中でひとりの老人が鳥を捕まえようとしているのを見かけた男の子が、その老人に声をかけて助けを求めるという物語です。

男の子が老人に近づくと、老人は手にした籠を開け、その中には小さな鳥がたくさん入っていました。男の子は鳥を野に放してほしいと頼みますが、老人は鳥を売るために捕まえたと答えます。

しかし、男の子は老人の懐に入り込んで籠を取り上げ、鳥たちを放してしまいます。怒った老人は男の子を追いかけますが、男の子は山の中に逃げ込みます。

そこで、男の子は鳥たちから報いを受けることになります。鳥たちは、男の子を助けてくれたお礼に、羽音で老人を追い払い、男の子を案内してくれました。

そして、男の子は鳥たちの神様に会い、その神様からお宝を授かりました。そのお宝を持って帰った男の子は、家族を驚かせることになりました。

 

再生成という機能があり、その結果は・・・。

「鳥のみじいさん」という日本の昔話は、ある日森の中を旅していた男が、小さな鳥の巣を見つけます。その中には、一つだけ卵が残っており、男はその卵を手に取って持ち帰りました。

やがて卵からかわいらしい鳥が生まれましたが、その鳥は人間の言葉を話すことができるという不思議な能力を持っていました。男は、その鳥を「みじいさん」と名付け、大切に育てました。

ある日、みじいさんは「自由に空を飛びたい」と言い出しました。男は寂しさを感じつつも、みじいさんの望みを叶え、自由に空を飛ばしてあげました。

しかし、みじいさんは空を飛ぶうちに、狩りをしていた鷹に襲われてしまい、怪我をしてしまいました。男は心配してみじいさんを探し回り、ついに見つけ出しましたが、みじいさんは鷹の爪で傷ついた翼が治らず、飛べなくなってしまいました。

男は、みじいさんを助けるために、丹精込めて松の木を切り、それを鳥かごにしてみじいさんを入れました。みじいさんは、鳥かごの中で、自分が空を飛ぶことができなくなったことを悲しみ、人間の世界に帰りたいと願うようになりました。

男は、みじいさんの願いを叶えるため、松の木を切って小さな家を作り、みじいさんと一緒に暮らすことにしました。みじいさんは、人間の世界で幸せに暮らし、人間の言葉を話すことで、人々を楽しませることになりました。

この物語は、自由に生きることの重要さや、人と動物とのつながりの大切さを教えてくれます。また、みじいさんが人間と共に暮らすことで、互いに助け合い、幸せを見つけることができることを示唆しています。


クモにょうぼう・・福井 

2023年01月06日 | 昔話(北信越)

          福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

 「食わず女房」は、めしをくわないよめをほしいという男がでてくるが、なにか男の身勝手がでているようで、手が出ない。

 この「クモにょうぼう」のパターンは「食わず女房」そのものですが、どこからか女がやってきて、ひとりもののおっじゃんのところで一緒になる出だし。

 よめさんもらってから、米びつの米が、どんどんへるんで、あやしいとおもったおっじゃんが、あるひ、山仕事にでかけるふりをして、よめさんを見張っていると、よめさんは、かまいっぱいにごはんをたいて、おにぎりをつくり、頭についている大きい口をあけて、おにぎりを いれていたので、びっくり。

 おっじゃんが、「米もへるし、米買う金もないから、でていってくれ」とよめさんにいうと、よめさんは、おおきいつぼを買ってくるようにいう。つぼを買うてくると、「つぼにはいってみ」といわれ、おっじゃんが つぼにはいると、よめさんは、いきなりつぼをかついで、山へ。

 つぼがあまりにも重いので、よめさんが、一服すると、そのすきにおっじゃんは、つぼをはいでてマツの木の上に。そこでやめればいいが、おじさんは、おそろしいのをがまんして、よめさんのあとつけていきます。

 小屋には、クモの子がぎょうさんいて、よめさんは子どもに、おにぎりをやります。すると、ばあちゃんがでてきて「わたしにも、みやげくれ」というので、よめさんが、もってきた つぼのなかをのぞくと、おっじゃんはいない。

 ばあちゃんは、「あしたの夜、クモになって、天井からぶらさがって、おっじゃんを、糸でまいて、とってくるわ。」という。

 それを盗み聞いたおじゃんは、次の日の夜、いろりに、どんどん火をたいてまって、クモをつかまえて、いろりの火に 燃やしてしまう。

 

 昔話の主人公は、およそ危機管理ゼロの存在。でもそうしないと、面白さがでてきません。