おいの森とざる森、ぬすと森/原作・宮沢賢治 脚本・国松俊英 画・福田庄助/童心社/1996年(16画面)
岩手山のふもとに、おいの森、ざる森、くろさか森、ぬすと森の四つの森がありました。
ここにやってきた四人の男は、森に声をかけて許しをもらい、丸太の家をたて、クワを奮って野原を切り開いて畑を開墾しました。つぎの年にはソバやヒエがたくさんとれました。
土のかたく こおった 朝のこと。四人のこどもがいなくなりました。森に声をかけますが、知らないといいます。子どもを探すに行くと おいの森の真ん中で、火が燃えて、まわりでオオカミが歌いながら踊っているところに、子どもたちがいました。みんなが 子どもをつれて森をでようとすると、逃げていったオオカミが、おくのほうから叫びました。「わるく おもわないでけろ。クリだの キノコだの うーんと ごちそうしたぞお」。みんなは、うちにかえってから、アワもちをつくり、おれいに おいの森へ もっていきました。
つぎの年の秋、どこの家からも、ナタやクワがきれいに きえていました。おいの森にいきますが、オオカミから ほかを さがすようにいわれ、みんなは ざる森にでかけました。森のおくに、枝で編んだ おおきなざるが ふせてありました。なかには山男が あぐらをかいて すわっていました。おとなたちが、「山男、こんな いたずら やめてけろ。くれぐれもたのむぞ。」というと、山男は、「おらさも アワもち もってきてけろよ」といって、手で頭を隠して 森の奥へ はしっていきました。みんなは アワもちをつくると、おいの森とざる森へ もっていきました。
つぎの年は、納屋にしまっておいたアワが すっかりなくなっていました。おいの森、ざる森でもみつからないので、くろさか森の入り口で、「アワを かえしてけろ。アワを かえしてけろ。」というと、北のほうへ いってみろと いわれ、ぬすと森へいくと、大男が出てきて 「アワをぬすんだ証拠があるか」と おこりだします。「くろさか森が 証人だ。」と、みんながいうと、「あんなやつの いうことは、てんで あてにならん。ならん、ならん、ならんぞ、ならんぞ。ちくしょう」と、ぬすと森は どなります。みんな おそろしくなって にげだそうとすると、岩手山の おごそかな声。
岩手山は、「アワをぬすんだのは、ぬすと森にちがいない。おれはあけがた、たしかに それをみとどけた。アワは かえさせるが、ぬすと森は、じぶんで アワもちを こさえて みたかったのだよ。それで アワを ぬすんできたのだ。ハッハッハ」というと、すまして そらを むきました。
みんなが、家に帰ると アワは ちゃんと 納屋にもどっていました。そこでみんなは、わらいながら アワもちを こしらえ、四つの森へ もっていきました。それから四つの森はみんなと、ともだちに なりました。そして 冬のはじめになると、きっと アワもちを もらいました。
森と対話し、感謝も忘れない賢治さんならではの世界。限度をこえて木材を伐採し、住宅地にし、道路をつくり、土砂災害などの しっぺ返しをくらう世界とは対極です。