みどりの小鳥 イタリア民話選/イタロ・カルヴィーノ・作 河島英昭・訳/岩波少年文庫/2013年初版
現代イタリアの代表的作家(1923-1985)イタロ・カルヴィーノの「みどりの小鳥」。
これと同じなのが「ものいう小鳥」というタイトルでこぐま社から出版されている子どもに語るイタリアの昔話(2003年初版)にあり、同じ話であるが細かな点では大分ちがいがある。
王さまと結婚した三人姉妹の末娘が生んだ三人兄妹の数奇な物語ではじまり、踊る水、黄金の木、ものいう小鳥をとりにいく旅が繰り返され、最後に小鳥によって真実が明かされるという物語。
三人姉妹の末娘が生んだ三人兄妹は、これをこころよく思わないものが、生まれた子どもを川に流してしまう。
こころよく思わないというのが、「ものいう小鳥」では、実は魔女の王さまの母親。
「みどりの小鳥」では、二人の姉。
川を流れてきた子どもたちをみつけ、ひろいあげた船頭が、三人兄妹の金の髪を切って、それを売って大金持ちになるという場面は、「ものいう小鳥」のなかには登場しない。
「みどりの小鳥」で面白いのは冒頭の、王さまが、三人姉妹の末娘と結婚することになったエピソード。
騒然とした世の中で、民衆が謀反をおこすのではないかと疑った王さまが、家々の話声に聞耳をたてる。ここで、三人姉妹がささやきあう声を聞きつけた王さまが末娘と結婚することになるのだが、このへんはさすが現代作家が書いたものと思わせるシーンだ。
「みどりの小鳥」には、このほかにもこぐま社版とはことなるところがあって、重層的な内容で読んでいて飽きさせないが、語るとなると少し複雑すぎるのかもしれない。
パパが宇宙をみせてくれた/ウルフ・スタルク・作 エヴァ・エリクソン・絵ひしき あきらこ・訳/BL出版/2000年初版
こんな父親になりたいと思わせる絵本。
歯科医の私は、ある日、いまから宇宙をみせにつれて行ってあげると、“ぼく”をさそって、野原へ。
“ぼく”は、カタツムリやアザミ。池にうつった自分の顔をみて、これが宇宙とかんちがい。
私は、星をゆびさし、星座の名前をいう。
星をめぐる話のどれだけが“ぼく”につたわったかな。
でも、野原で糞を踏んでしまってさんざん。
ブーツの底ばかりが気になったが・・・。
子どもは、何気ない体験が記憶に残っているんですね。
ひょっとすると、この父親にも、このような記憶があるのかも。
背中にこぶのある男/子どもに語るアラビアンナイト/こぐま社/2011年初版
こぶのあるタバニーノ/みどりの小鳥 イタリア民話選/イタロ・カルヴィーノ・作 河島英昭・訳/岩波少年文庫/2013年初版
以前、アラビアンナイトの「背中にこぶのある男」で感じたことだが、背中にこぶがあるかどうかが、物語の進行上特別に影響する事柄でないことに、何か別の意味があるか知りたかったが、「こぶのあるタバニーノ」でも、こぶのある貧しい靴直しがでてくる。
この男は王さまの難題を解決し、王さまの家臣になるが、もう一つあれ?と思うのは、この男が旅に出て一晩とめてくれと頼んださきで、でてきた女が、「ここは野蛮人の家です。見つけしだい旅人を食べてしまうのです。入れてはあげたいが、そうすればあなたは、わたしの夫に食べられてしまうでしょう」という場面。
ただ単に読むだけでは気にならないが、聞いたり、語ったりという視点からいうと、この野蛮人という訳が気になる。
「ジャックと豆の木」では、人食い鬼という訳があったが、これではだめなのか。野蛮人というのがひっかかるところ。
夢飛行/いとう けんぞう/ポプラ社/1993年初版
丘の上の一軒の家。
丘のふもとには家々が立ち並び、遠くには山々が。
この構図が最後まで一貫しています。
同じ構図ですが、朝、昼、夜、そして季節がめぐる色合いが幻想的で、心象風景が広がります。
印象的なのは、一面銀世界の冬の光景。家々のあかりがほっとさせてくれます。
月や星たちが歌う夜、
あの空までのぼってみよう。
子どもだったころ、あんなに自由に
飛びまわった空そらなのだから。
みあげれば夢の空。
今夜、ぼくは丘を飛びたつ。
昔の子どもの空への憧憬をにじませています。
書店で手に入れるのはむずかしいかもしれません。
はいチーズ/長谷川義史/絵本館/2013年初版
5歳のよしふみくん
近所に住んでいるふじいのよっちゃんがいつもたべている にくやのチーズが食べたくて食べたくてしかたありません
なんとかおかあちゃんにたのんで、食べてはみたものの
ま、まずい!
よしふみくん、おかあちゃんにみつからないように、そおっとすててしまいます
すると、おかあちゃんがいうことには
「あれもうたべたん。そんなにおいしかったん。ほなら、またあしたもこうたるわ」
これだけの内容ですが、軽快な関西弁で、空き地?で遊ぶこどもたちがでてきたりして、どこかなつかしい光景がひろがります。
主人公の名前が、よしふみくんとありますから、作者の原風景が感じられ、いつもの、長谷川さんの味が楽しめます。
食べたくて食べたくてようやく食べたものの、まずいという落差が笑いをさそいます。
赤鬼エティン/愛蔵版おはなしのろうそく8/東京子ども図書館/2007年初版
レッド・エティン/イギリス民話選 ジャックと豆のつる/木下順二・訳 瀬川康男・絵/岩波書店/1967年初版
何回か聞いたことがあるイギリスの「赤鬼エティン」。
これまで聞いていて気がつかなかったのですが、今回、あれと首をひねったのは最後の部分。
「王さまは、姫をすくいだした若者と姫を結婚させ、兄の方には、貴族のむすめをあたえました」とありました。
聞いていて、ものではあるまいし、“むすめをあたえました”という表現はないだろうということ。
聞いた話は、東京子ども図書館の「おはなしのろうそく」にあるもので、このテキストはお話を語る人には、欠かせないものですが、ときには首をかしげる表現もあってなやましいところもあります。
何十年も前に出版された本が、新装版にするとき、その時点で差別的な作品をカットしたという例もあります。
「赤鬼エティン」は、差別的というわけではありませんが、引っかかる表現です。
ラングの世界童話全集1 あおいろの童話集、東京創元社版(2008年初版)の「赤鬼エティン」では、「王さまは、王女をすくった若者を婿にむかえ、あとのふたりの若者も、貴族の娘と結婚させた」と、まあまあの表現になっています。
また、木下順二訳では、「レッド・エティン」という題名ですが、ここでも「貴族の娘と結婚させた」とあります。
それにしても結婚させられる側について何も語られていないので、女のかたはどう受け止めているのでしょうか。
みどりの小鳥 イタリア民話選/イタロ・カルヴィーノ・作 河島英昭・訳/岩波少年文庫/2013年初版
日本の一休さんや吉四六さんと似た人物が、イタリアの昔話にでてくるジュファー。
トルコのホジャなどがすぐに思い浮かびますが、イタリアの話のなかにも同様の人物が。
とんち話や、笑い話が、一人の人物を通して展開されるのが共通しています。
イタロ・カルヴィーノ作のイタリア民話選の中に、4篇がのっていました。
・ジュファーと石膏の彫像
なまけもので役立たずの息子ジュファーが、おしゃべりの人には、わたすんでないよと母親から念をおされ、布を売りに行きます。
あう人に高いといわれ、何も返事をしない、彫像に布をまきつけて、翌日お金をもらうにいきます。
もちろん、彫像なのでうんとも、すんともいわない。怒ったジュファーが、彫像を粉々にくだくと、その中から金貨のつまったなべが出てくるという話。
・ジュファーと月と泥棒と裁判官
ジュファーが月に向かって、出てこい、出てこいと言っていると、それを聞いた泥棒が、警察がきたと思って、盗んできた肉をおいたまま逃げ出します。
母親が、その肉を売ったのは、何と蠅。
蠅が代金を払ってくれないと裁判官に訴えると、蠅をみたら直ちに一匹殺していいという判決。ちょうど、そのとき裁判官の鼻に蠅がとまります。そこでジュファーが、がつんとたたきつぶすと、裁判官の鼻もたたいてしまう。
気軽に楽しめるのが、この手の話である。日本で紹介されている外国の話は、ごく一部にすぎないが、こんな人物はまだまだいそうだ。
雉女房/作・村山亜土 絵・柚木沙弥郎/文化学園 文化出版局/2012年初版
文がシナリオみたいと思ったら、もとは舞踏劇の台本というので納得しました。
登場人物は3人のみ。
ある日、一人暮らしの百姓の源太が蛇に襲われた雉を助けます。その後、源太の家におキジという娘が現れ、一緒になることに。
子どもも生まれ、秋祭りが近くなったころ、源太は町に買い物にでかけます。帰り道、近道しようと道に迷ってしまい、とある家に一晩泊めてほしいと頼みます。この家にはおゆうという女が。このおゆうは、源太に殺された蛇の化身。
遠くにある古い荒れ寺の釣鐘を、家にいたまま鳴らすことができたら、命を助けようという蛇の言葉に、これまでと観念した源太。
しかし、そのとき古寺の鐘の音が響いてきます。
源太とおキジが一緒になり、秋祭り近くに町に買い物にいくところでは、2年が経過しているのですが、そのことが判明するのは、蛇のセリフのところ。
セリフの行間は読む人にまかされるので、とっつきにくいところがありそうです。
買い物の往復に、3日もかかるというのが、お話の世界です。
絵は幻想的です。
やまからきたペンギン/佐々木マキ 作・絵/フレーベル館/2008年初版
ペンギンって山にいたっけ?と思いながら本を開きました。この題名は作者のシャレかな?
山に一人住んでいるペンギン。
毎日、魚を取って食べていたが、どうしてもかき氷を食べたいと町に。
やっと見つけたお店に入って8杯もおかわり。
お代わりしてからお金がないことにきがつきます。
でもこのおじさん、ペンギンさんからお金をもらうきはないよと笑っていいます。おじさんのエプロンに継ぎがあたっていますから、あまり裕福ではなさそう。
やがて、ペンギンさん、おじさんのところで働くことに。
アイスクリームを売ってお店にかえるとき、泥棒に捕まってしまいます。
山にかえるときおじさんからもらったのは、ペンギンの形をしたかき氷器。
これでいつもかき氷が食べられるように。
ペンギンが、泥棒を冷凍庫に閉じ込めてコチコチにする場面が楽しい。
かき氷は、やはり夏向き
輪郭がはっきりしていて見やすい絵です。
かもめは海とおもっていたら、近頃ローマでは、かもめがすみついて、生ごみをエサとして都市の環境にうまく適応している様子がテレビで放送されていました。
路上のねずみもねらっていたのにびっくりでした。
宇治拾遺ものがたり/川端義明/岩波少年文庫/1995年初版
小さいころの記憶に残っている話に、「こぶとりじいさん」があります。この話、今から900年前の宇治拾遺物語にありました。
学校の試験で必死になっておぼえたなかに、宇治拾遺物語がありますが、残念ながら内容は何も知りませんでした。
岩波少年文庫の現代語訳「宇治拾遺ものがたり」を読んでいたら、この中に「こぶとり」がありました。ほかにもあるのかなと思っていたが、「腰折れ雀」以外には、見当たりませんでした。
プロットからすると、もう少しこれまで読んだ中にあってもおかしくないが、まだ読み込みが足りないのかも。
「地獄にいったお地蔵さま」「鬼にあった修行者」「帰ってきた死人」など、タイトルからして、昔話にあってもおかしくなさそうなものがありました。
まわるおすし/長谷川義史/ブロンズ新社/2012年初版
お父さんの給料日は月一度の回転ずしの日。
野球の監督のようなお父さん。
店に入る前に“ファイト”とゲキが飛びます。
食べるときはお父さんのブロックサイン。
ひじに手をやると、ねらっていけのサイン。
お父さんが鼻に手をやったら、黒いお皿をとってもいいぞのサイン。
お父さんがガリをつまんだら、ちょっと休め。
お父さんがお茶をのむと、これでおしまいのサイン。
高いお皿をとるときは
「ここからクライマックスにもっていくぞ」
「クリエイテブしろよ」
「エンジョイしてるか」
「クリスタルでいけよ」
となんとも楽しいゲキが。
回転寿司をこんなに楽しい絵本にしてくれる長谷川さん。
お父さんの存在感がたしかで、父と子どもたちの絆が実感されます。
表紙をめくると魚のつく漢字がたくさんのっているのも、にくいところです。
ぼくのママはうんてんし/おおともやすお さく/福音館書店/2012年初版
保育園に行っている、のぞむくんと妹のあゆみちゃんのお父さんは看護師、お母さんは電車の運転士。
保育園のお友達、先生と兄妹が、お母さんの誕生日におくるサプライズは?
保育園のお友達は、「僕のお母さんも運転士だったらいいのに」「わたしもおおきくなったらうんてんしさんになる」。
少しほこらしげな、のぞむくん。
舞台は東京の中央線。
以前、よく中央線を利用していたので、親近感があるが、利用されたことのない人にとっては、駅名からいろいろ想像するのがむずかしい。
お父さんはお母さんの運転する電車の時間をよく覚えていて、今どの辺を走っているか教えてくれます。
電車がすきな子にとっては楽しめそうです。
居間に、電車をバックに、かっこよく敬礼するお母さんの写真がかざってあります。
ところで、女性運転士が何人いるか調べてみようと思いましたが、人数はわからずずまい。新幹線の女性運転士のことが少しのっていました。
賢い姫君/フィオリモンド姫の首かざり/メアリ・ド・モーガン・作 矢川澄子・訳/岩波少年文庫/1996年初版
イギリスのメアリ・ド・モーガンの作品の中の一編。矢川澄子訳というので、安心して読めました。
何でも知りたがる姫君。姫はいろいろな先生についてありとあらゆる学問を教わります。それでも満足できず、とある賢者のところで学ぶこと3年。
けもののことばがわかり、いつ風がおこるか、さらには憎む相手を石に変え、愛する友を人知れず富ませてやることもできるように。
しかし、なにかもの足らない姫は、賢者に問います。
「どうしたら楽しくなれるか」
賢者もこたえられず、答えをさがす姫君。最後に得た答えも、なるほどと思わせます。
人生とは何か?というテーマを、ソフトに考えさせてくれます。
お話のプロットが実に巧みな一編です。
パンダのシズカくん/ジョン・J・ミュース 作・絵 三木卓・訳/フレーベル館/2007年初版
作者はアメリカ生まれですが、日本で石の彫刻も学んだこともあるといいます。
外国の絵というと、少しとっつきにくいところもありますが、水墨画風の絵もでてきて、違和感を感じさせません。
カールは、お兄さんのマイケル、お姉さんのアデイと暮らしています。
唐傘をさしたパンダが、風にとばされてやってきます。
すぐにパンダのシズカくん(男ですね)と仲良しになった三人兄弟。
この三人がシズカくんのところにでかけて、お話を聞くことに。
アメリカの作家でありながら、三つのお話が仏教の説話風になっているのは訳者のあとがきで納得できます。
アデイには「おじさんとおつきさま」
マイケルには「農夫のしあわせ」
カールには「どろんこ道」
この三つの話は、独立して語っても面白そうだ。
表表紙には、梅の下で赤い唐傘をさしたパンダがデカパンツをはいて屋根の上バランスをとり、裏表紙では、梅をみながらポーズをとっているパンダが。
着物を着たパンダに妙な存在感があり、トトロ風なのがうれしい。