どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

西山寺の仁王・・静岡

2025年01月13日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 力自慢が、中国で力比べをしようとでかけるが、あまりに相手が悪く逃げ帰るというのは、各地方にあるが、ふたりででかけるのははじめて。

 西山寺の門前に、海の水を一口飲んでしまった仁王と、富士山をひとまたぎにしたという仁王がいた。ふたりの仁王は、じぶんより力の強い者はいるはずがないと、自慢して威張ってばかり。

 あまりうるさいので、村の人が、中国に、ドウモコウモという世の中で一番強い人がいるというと、ふたりの仁王は、海を越え、山を越え、あちこち聞いて ドウモコウモの家に。

 あまりの力持ちにおそれをなした仁王たちが寺に帰ると、ドウモコウモがおいかけてきた。おどろいた仁王たちは、あわてて観音さまに助けをもとめた。観音さまは、仁王たちをかわいそうに思い、寺の池のふちにあるサルスベリにのぼり、なるべく枝の先のほうにつかまるようにと教えました。

 ドウモコウモが、仁王たちをさがしていると、池の中で仁王たちが笑っています。ドウモコウモは、「こんどこそにがさないぞ」と、池の中の仁王たちめがけて、とびかかりました。そのとき、観音さまが、すかさず池にふたをしてしまいました。仁王のかげだったと築いたドウモコウモでしたが、やがて池の底に沈んでしまいました。

 あぶないところを救われた仁王たちは、それから力自慢をしていばることもなく、観音さまの門番をつとめるようになりました。


だいだらぼっち・・静岡

2025年01月06日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 巨人伝説は、地域の成り立ちと結びついているので、その土地のようすががわかっていないとあまり興味がないかもしれませんが・・。

 だいだらぼっちのすむ秋葉山が、富士山より低いというので、富士山より高い山を一晩で作ろうという話。近江(滋賀)から土運びしてのどが渇き、遠州灘に両足をつっこみ、水を飲もうと左手を海岸近くについて、身をかがめると、左手が砂浜にめりこみ、人間の左手のような湖ができたと。これが浜名湖という。にぎりめしをひとくちパクつくと、ガチッと小石が歯にあたり、その小石をはきだすと、それが浜名湖に落ちて、小さな島に。それが、つぶて島という。

 一晩中汗水かいても。おれんちの秋葉山が低いと、おこっただいだらぼっちが、こもをほうりなげると、こぼれた土が山に。それが館山寺の大草山という。まだ腹の虫がおさまらないだいだらぼっちが、ついでに、もう片方のこもを右足でけりあげ、こぼれた土を、「このやろう、このやろう。」とじだんだふんで悔しがった。あまりにふみ続けたものだから、広い広い原っぱに。それが三方原台地。

 このだいだらぼっちは、あぐらをかくと、四キロ四方が足の下にめりこみ、立つと、頭は雲の上につきでるほどの大男。


にょうらひめ・・静岡

2025年01月02日 | 昔話(中部)

     静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 山小屋を作り、一人で山仕事をしていたおじいさん。
 冬がくることをつげる北風がふきはじめたある日、いろりの焚き木のあたたかさで、ついうとうといねむりをしていました。どれくらいたったか、トントン、トントン、表の戸をたたく音で目をさましたおじいさんでしたが、こんな夜更けに客でもあるまいと、また横になりかけたとき、「ここを、おあけくださいまし。」という声。おじいさんがそっと戸をあけてみると、そこには美しいむすめが一人立っていました。

 「道にまよってこまっています。どうぞ火にあたらせてくださいませ。」むすめは、寒さにふるえてやっとこれだけいうと、その場にうずくまってしまいました。おじいさんは、気味悪さが走りかけましたが、むすめがあまりにも弱っているので、家の中にまねきいれ、炉端の席を進め、雑炊も食べさせてやりました。

 すると、むすめは、「お礼に、めずらしいものをおみせいたしとうございます」というと、ヒョウタンを取り出し、胸の前でひとふりしました。すると中から、マメつぶほどの雑兵やら大将やらが、ぞろぞろでてきました。そして、「今から、関ヶ原の戦いのようすをおみせいたしましょう。」と説明をはじめました。ならべられた兵隊たちは、東軍と西軍にわかれて、戦いをはじめました。
 おじいさんは、時のたつのも忘れて、いっしょうけんめい見入っていました。さて、石田三成がとらえられ、東軍の大勝利がわかると、むすめの説明もそこでおわりました。

 おじいさんが、むすめの正体をきくと、むすめは、「にょうらひめと申す者でございます。今夜のことは、だれにも話してはなりませんぞ。」というと、すっと立ち上がり、外へ出て行ってしまいました。

 にょうらひめとの約束なので、口をつぐんでいたおじいさんでしたが、ある日、おばあさんに にょうらひめのことを、すっかり話してしまいました。約束より、話してしまいたい思いに勝てなかったからです。にょうらひめのいかりにふれたのでしょうか、おじいさんは、それから床にふして起きあがれなかったといいます。

いまも、山小屋があったというところを「にょうらひめ」とも呼ぶという。

 

 にょうらひめは、関ヶ原の戦いで敗れた死者の亡霊だったのかもしれません。


美濃の桃太郎・・岐阜

2024年08月29日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 川へ洗濯にいったばっさまが見つけたのがドンブラコ ドンブラコとながれてくるモモ。ここまでは「桃太郎」のでだし。

 ばっさまがさっそくひとくち食べてみると、そのうまいことうまいこと。じっさまにもあげようと、残りの半分を懐にしまい込んで、きれいな谷水をすこし手にすくって飲んだ。これが騒動のはじまり。六十あまりのばっさまの姿が、十七、八のむすめにかわってしまった。

 シバを背負ってかえってきたじっさまが、いえにはいると、ひとりのわかいむすめが、ばっさまとそっくりの着物を着て、庭のかまどのところにいた。ばっさまが、「まあまあ、おじいさん。おそかったなも。さあさあ、どうぞ足を洗いなされや」と、せきたてるので、じっさまは、まるでキツネにつままれた。

 どうもふしぎでならんとおもったが、なにかわけがあるのじゃろうと、ひとまず家の中にはいった。「どこのどなたじゃ、あまり見かけないむすめさんじゃが」といわれれ、こんどは、ばっさまがへんにおもい、「おかしなこというな、アッハッハ アッハッハ・・」と、大声をあげてわらいだしてしまった。

 ばけものだろうと、つめよったじっさま。近所の衆が集まってきて、じっさまが若いむすめを取り押さえ、脇差をかまえて、ことばもあらあらしくののしっているのをみて。みんなあきれかえってしまった。村の衆がよく見てみると、この若いむすめは、顔かたちから身のこなしまでも、なんとばっさまにそっくり。そのうち、だれかが手かがみを持ってきた。「むすめさん、いっぺんじぶんの姿をみてみなんさい」といって、さしだした。ばっさまは、鏡を見て、びっくり仰天。さてさてどうしたことかと考えておったが、ふと思ついた。

 わけをはなし、もってかえったモモもじっさまにさしだした。とても信じられないと、モモを一口食べたじっさまは、みるみるうちに二十歳ほどのりっぱな若者にかわってしまった。村の衆は、目の前で、世にも珍しいありさまを見聞きして、なんだか若い二人が姿がありがたいと思った。やがて、ふたりのあいだに男の子が生まれた。モモから生まれたようなもんじゃて、桃太郎という名前をつけたという。

 

 語り手の方が、「若返りの水」と「桃太郎」の出だしをうまく組み合わせ、楽しんで語った様子が浮かんできます。


カミナリさんの手つだい・・岐阜

2024年08月26日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 カミナリさまのところでも人手不足のようで・・。

 田植えもすんでお伊勢参りにでかけた、キン、ゴン、サンという三人の男が、道にまよって宿をたのんだのは、ひとりでいたおくさんのところ。

 夕食に、お皿におかれた、まるいものを食べようとすると、かんでもかんでも食えない。何かと聞くと、泣く子のヘソを取ってきたものをにしめにしたものという。おくさんのだんなは、カミナリさま。三人は、えらいところに泊まったとふるえておったら、夜中になって、バリバリッという音がして、黒いふんどしで現れたのはカミナリさま。

 三人が、頭を下げてじっとしていると、カミナリさまが、「よく来てくれた。きたついでに、たのみたいことがある」という。「じつは、こちらはまだ田植えのさかりで、お百姓が雨をまっている。何とかして雨をふらせてやりたいが、どうにも人手不足で、思うようにふらせらねえ。手伝ってくれないか?」

 つぎの朝、カミナリさまは、「キンはいなずまを引け」「ゴンは、キンがいなずまを引いたら太鼓をたたけ」「サンは手桶に水を持っとって、水をまいてくれ」という。

 キンがいなずまをひくと、ぴかぴかっ。ゴンが、たいこをたたくと、ドンドンドンゴロドロッ。サンは水まき。すると下では、「それ! ようだちさまが雨をくださったで、この機をはずさんように田植えのしたくだ」と、大騒ぎ。

 キンが、こりゃおもしろいと、いなずまを引きながら、ひょいひょいひょい歩くうちに、雲を踏み外して、ドサーッと、落ちてしまった。その勢いで、火事が起こってしまった。「こりゃかなわん。くそかしょんべんをかけてやれ」と、大騒ぎ。

 昔から、カミナリさまの火事は、なにか不浄なものをかけると火が消えるという。

 

 お伊勢参りに出かけた三人の名前が、キン、ドン、サンなので、名前に引っ掛けたものがでてくるとおもったら、スルー。もっとも、カミナリさんのところへいくのが、三人というのも めったにありません。


カッパのわび状・・岐阜

2023年05月01日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 ある日、のどかな村の五作じいさんの綿畑が、何者かに ひどくあらされ、それが毎晩のように続いた。

 了福寺のおしょうさまが、このさわぎを聞き、綿畑を見張っていると、川面になにやらあやしいかげ。おしょうさまが、ふところにしのばせておいた荒縄をひっつかむと、とびかかった。不意をくらった黒い影は、あわてて逃げ出そうとしたが、腕っぷしの強いおしょうさまに、たちまちとらえられてしまった。

 お寺の柱にくくりつけ、ろうそくのあかりで、よくよく見てみれば、なんとこのふとどきもの、カッパだった。おしょうさんが、わけをきいてみると、カッパは ぽつりぽつりと話しはじめた。「この前、橋の上をよめさんの行列が通り、よめさんは、きれいな綿ぼうしをかぶっとった。満月の夜、よめいりするうちのむすめにも、あんな綿ぼうしをかぶせてやりたい」という。

 この話を聞いたおしょうさまは、庫裏の奥から包みをとりだしてきて、「これは、わしのばあさまがかぶった綿ぼうし。すこし古うなっているがつかうがよい」と、カッパにわたされた。

 すると、満月の夜、お寺に一通の手紙がなげこまれた。

 「おしょうさん わたぼうしをありがとう もうわるさはけっしてしません」ミミズのはったような字であったが、なんとこの手紙、カッパのわび状っだった。それからは綿畑があらされることもなくなったという。

 

 綿畑がないと成立しない話ですが、むすめのことを思いやるカッパの親の気持ちがよくわかります。  


いろりにすてられた木の実は化ける・・岐阜

2023年04月27日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 いまは囲炉裏がある家は古民家だけでしょうか。わかりやすいタイトルで、囲炉裏に捨てられた木の実が、化けて現れる話。

 炭焼きをしていた とっつぁまとかっつぁまが遠い町にでかけて一人で留守番していたむすめが、炉端のそばの瓶の中の木の実をたべ、種や皮を囲炉裏に投げ込んでいるうちに、目の前の灰の上にごみの小山ができた。

 親の帰りが遅く、むすめが囲炉裏のそばでねむって、ふと目をさますと あたりがザワザワ、ザワザワ騒々しくなって、囲炉裏の炉縁の上を 親指ほどのこびとがおおぜい列を作って動いていた。

 真っ赤な陣羽織を着たもの、笠をかぶったもの、鉄の棒をジャラジャラしたもの、裃をつてたものなど。恐ろしくなったむすめが、大きい火ばしをにぎって、行列を、灰の中に叩き落したり、ひっかきまわしたりした。すると、とつぜん、人間の腕が一本、灰に中からにゅっとあらわれ、むすめの足を握りしめたので、むすめはその場で気を失ってしまう。

 やがて親が帰ってきて、むすめのからだを揺り動かしたり、顔に水をふっかけしたりしているうちに、むすめは息をふきかえした。むすめが、さっき見たことをこわごわ話すと、とっつぁまとかっつぁまは、「囲炉裏に、木の実や、こわれた勝手道具をすてると、そいつが化けて出るということじゃが、やっぱり化けてでたのかな。」と、話をしながら囲炉裏の灰をかきおこすと、いつすてたんかわからん古い木の実の種がたくさんでてきて、それにまじって、真っ黒にこげた、めしのしゃもじも一本でてきたと。

 とっつぁまとかっつぁは「囲炉裏は火の神さまのおいでなさるところ、いつもきれいにしておこうな」「炭焼きにとっては、火の神さまほどありがたい神はない」と、むすめに語って聞かせ、囲炉裏のすみからすみまで、きれいにそうじをしたという。

 

 昔、囲炉裏は、家族のだんらんの中心で、昔話もこうした場所で語られてきました。


海ガメのお礼・・三重

2022年06月01日 | 昔話(中部)

     三重のむかし話/三重県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 若い漁師が、網にかかった海ガメを、「この海ガメはわしらに何も悪いことをしとらんやないか」とほかのものを説得し、海へもどすことに。

 しばられていた縄をほどいてもらった海ガメは、助けられたお礼を申し出ます。目が見えない若者の母親の目を治すという。

 背中に母親をのせ、みえなくなったカメをまっていると、月が浜を明るくてらすころ、母親をのせた海ガメが浜にあがってきます。そして、海ガメからおりた母親が、おおきく目をあけて 走ってきます。

 若者もほかの漁師もおおよろこびし、海亀に酒を飲ませて海へもどしてやります。

 

 竜宮がでてくるかと思っていると、ずいぶんシンプルで短い話です。

 この浜では、海ガメをみつけると、みんなが背中をなぜながら、酒をのませてから、海にもどすようになったという。


せんにんのミカン‥静岡

2022年02月03日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 静岡県沼津市が舞台。沼津というと漁業が浮かぶが、ミカンやお茶も名物。

 

 たくさんのミカンを作って暮らしていた木負(沼津)の彦兵衛のとろに、ミカンの実がならない木が一本あった。

 原因がわからず、木を切り倒そうとでかけた彦兵衛が、木の根元にねころんでいると、木の真ん中あたりの葉っぱの陰に、ミカンがひとつだけなっていているのを見つけた。

 たった一つでもミカンはミカンと、木を切らずに育てることに。すると山へ出かけるごとに、このミカンがどんどん大きくなって、とうとうひとかかえもある大きさになった。そろそろとってもいいころと、実を切りとろうとすると、実のなかから「まて、まて」という声。

 人の話し声が聞こえてくるのは、不思議だなあと思った彦兵衛が、ミカンに穴をあけ、のぞいてみると、やせたとしよりが二人、向かい合って碁を打っていた。

 夢でも見ているような心もちになって、中の様子をのぞいていたら、どうやらこの勝負は、こっちをむいているとしよりが負けているとみえ、しきりに頭をひねったり、うなったりしている。碁の好きな彦兵衛が勝ち目のあることを教えてやると、やがて負けていたとしよりは、もりかえしてきた。

 あいてが急に強くなったのでふしぎにおもったもうひとりのとしよりも、外に彦兵衛が立っていることに気がついて、お互いに顔を見合わせ大笑い。そして急に背中をむけていたとしよりが、碁石を彦兵衛めがけて投げつけた。身をふせた彦兵衛が、しばらくして顔をあげてみると、そこには二人のとしよりも、大きなミカンも消えてしまった。

 よくみるとミカンの種が、たくさんちらばっていて、彦兵衛がこの種をまくと、三年目には大きな実が、いっぱいになった。このミカンはこれまでのものより、たいへん甘かったので「木負のミカン」として有名になったという。

 

 木負ミカンはあまり聞きなれないですが、検索するとすぐに出てきました。


お国じまんのたいこ‥静岡

2022年01月30日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 同じ宿屋に泊まった駿河、相模、伊豆の三人がお国自慢。

 駿河の人は、日本一高い富士山に、腰を下ろし駿河湾の水で足を洗うような男がいるという。

 相模の男は、琵琶湖の水をたった三口で飲み干してしまう、とてつもないでっかい牛がいるという。

 伊豆の男は、天城山に、でっかいケヤキの木があって、そのどうまわりの太さは、大の男がひとまわりするには、どうしても三日三晩は かかるという。

 駿河の男が「そんなでっかいケヤキの木を いったいなににするんだな」と。伊豆の男にたずねると、「相模の国の大牛の皮を使って 太鼓をつくる。」という。

 そんな太鼓ができても、だれがたたくかと、駿河の男が伊豆の男にたずねると、「駿河の富士に腰掛けている男に たたかせるのさね。どんなもんだ、どんなもんかねえ・・。」

 

 オチがすっきりしている自慢話です。


宝の槌・・静岡

2022年01月26日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 ぼろぼろの着物を着たみすぼらしいとしよりが、泊めてくれるようお願いしたのは、欲の深いおじいさんのところ。

 ここであいてにされず、心の優しいおじいさんの家にいって泊めてもらったとしよりは、宝の槌をお礼に差しだします。

 「ほしい物の名前を三度呼んでから横に振ると、名を呼んだものがでてくる。しかし二つの物を一度に出そうとよくばると、たいへんな不幸なめにあう」という。

 ここまでは、よくあるパターン。

 心の優しいおじいさんが、「こんな、はずかしいもんだけえが、まあ一つあがんなさいや」と、ほかやけのイモをとりだします。食べ物が具体的にかたられているのはめずらしく、冬だったら雰囲気が出ます。欲の深いおじいさんも、囲炉裏のはしにすわって、おいしいおかずで夕ご飯を食べているところに、みすぼらしいとしよりが、たずねてきます。

 おじいさんは、すぐには宝の槌をつかいません。日照りでお米の収穫不足が二年、三年とつづいたとき、宝の槌を思い出し、米をだすと、こまっているひとにも米をわけて、よろこばれます。

 うらやましがったのが、となりのよくばりじいさん。宝の槌をかり、米と、それをおさめる蔵を同時に出そうとします。それが「米食らぇー、米食らぇー」と聞こえて、ネズミがやってきて、少ししかない米を全部たべてしまい、ひどい貧乏になってしまいます。

 

 よくばりじいさんのところで、汚い物などがでてくるより親しみやすいでしょうか。


竜宮・・岐阜

2022年01月22日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 竜宮伝説もさまざまですが、竜宮に滞在することなく、帰ってくる話。

 

 か助は、水泳ぎや魚とりにかけては村一番の若者。祭りの近いある日、村の者が か助に、灯明淵に投網をうってくれとたのみにきました。

 灯明淵は水深く人のよりつかないところで、魚たちのすみかにもってこいの場所。あるとき、一人の若者が、灯明淵より川上に船をこぎだし、水面をみていると、いままで見たこともないような美しい人の姿を水中に見つけました。「おまえはだれじゃ」と声をかけて水ん中に手を差しのべたとき、その美しい人の姿はにわかに消え、ヤナギの根元には、ひとえの着物がきちんとたたんであるのを見つけました。

 ここから羽衣伝説かと思いきや、着物を船にひきこんだ若者は、さっき水の中でみかけた美しい人のことを思うと、恐ろしゅうなって、着物をもとにもどします。

 この話は、だれとはなしにつたわっていました。

 気の重い か助でしたが、「神さまにそなえる大きいコイをあげてくれ」といわれ、灯明淵のいちばん深そうなところに船をこぎ、投網をなげ、ころあいをみはからって網をひくと、水の中にひきこまれるかとおもえるような、つよい力がつたわってきました。

 か助が、勇気を出して水の中にもぐり、ほらあなを潜り抜けると、かがやくような広場に出ました。そこには、まばゆいばかりの御殿がたっていました。

 赤ひげのじじが、でっかいドチやナマズ、コイやフナ、川ガニや川エビをしたがえてかまえ、そのまん中に、うわさに聞いた美しい人がたっていました。

 気の遠くなる思いの か助に、地上で聞きなれない響きの声がかかります。

 「かえりたくば、かえしてあげる。ふたたびくることなかれ」。はっとわれにかえったか助は、水面におしあげられ、岸辺におよぎつきました。

 それから、灯明淵には竜宮があるとうわさされ、ここで漁するものもいなくなったという。

 

 灯明淵は沼でしょうか?。竜宮は海だけのものではなさそうです。


ただぼっさん・・岐阜

2022年01月20日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 富士山をつくったという巨人伝説。

 美濃と近江の国境に、ただぼっさんという大きな男がおったそうな。背の高いことは星空にとどくようで、こしの太いことは、百艘の船の帆をまいても、まききれんほどじゃっだぞ。

 北のほうからふいてくる寒い風に、ただぼっさんが、「どっこからふいてくるだ」と聞くと、風は、ひろい海をわたってふいてくるとこたえた。

 南のほうからふいてくる風にも聞くと、「お日さまのま下の、あついあついすな原から、ひろい海をわたってふいてくるだよ」という。

 ただぼっさんが、海ってどこにあるだかと、みまわしても、どこにもみえない。おかのうえにあがってみても、それらしいもんは見えない。とうとう駿河の国まできて、はじめて海を見たが、いくら眺めても海のむこうは、かすんでいて見えなかった。

 ただぼっさんは、海のむこうをみたいと、近江の国から土を運んで山を作り、のぼってみたが、海はひろびろとして、そのむこうには なにもみえない。

 もっともっと高くしなきゃと、せっせと土をはこび山をつくり、やがてその山は、雲の上に頭をだすようになった。

 この山が、富士山で、土をとったあとは琵琶湖になり、もっこからこぼれおちた土が伊吹山になったんだと。

 ただぼっさんは、晴れた日に、富士山の上に顔をだすというが、これまでみたものは、だあれもないんだとさ。

 

 巨人の大きさの比喩もさまざま。ただぼっさんも、じつに壮大です。


念仏ばあさん・・岐阜

2022年01月17日 | 昔話(中部)

      岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 極楽にいくのは、たいへんな話。

 朝から晩まで「なんまいだあ、なんまいだあ」と念仏をとなえていたおばさん。

 ばあさんが亡くなって、赤鬼と青鬼に手を引かれ、えんまさまのところへいってお裁き台の上に。えんまさまは鏡を持っていて、その人が生きているうちにしたことが映って、それで地獄か極楽いきかを告げていた。

 ばあさんは、念仏をいつも唱えていたので、当然極楽いきかと思ったら、えんまさまは、「ほい、じごーく」と大声。

 不満の思いが鏡に映っていたが、赤鬼と青鬼が、念仏ばあさんが生きちょるうちにとなえた なんまいだ、なんまいだをあおぎだすと、あとからあとから風にあおられ、残ったのが二つ。

 ひとつは、大地震のときとなえた一枚、もうひとつは雷が鳴った時の一枚。

 えんまさまのお裁きは、「自分が助かりゃええと思ったんじゃろ。それで地獄や。」

 

 えんまさまがもっているのは帳面というのが多いのですが、鏡というのははじめてです。


富士の噴火・・山梨

2021年07月29日 | 昔話(中部)

      山梨のむかし話/山梨国語教育研究会/日本標準/1975年

 

 富士山ができるときの大噴火の様子です。

 地震と雷が一緒に来たような噴火で、みんなが大目をあけてびっくりした村が大目村。

 村中の者が、ああだこうだと賑やかに騒いだ村が賑岡村(大月市)。

 噴火の音を嵐の音とまちがえたのが大嵐村。

 うちのなかで耳をおさえて震えていたのが鳴沢村。

 いやなことは明日見ようと寝てしまったのが明見村(富士吉田市)。

 

 山梨県らしい地名の由来ですが、地元の方にとっては目新しくはないかもしれません。