ジョン・クラッセンと長谷川善史訳のコラボ。これまで拝見したものです。
ちがうねん/ジョン・クラッセン・作 長谷川善史・訳/クレヨンハウス/2012年初版
頭にかわいいぼうしをのせた、ちいさなさかな。「この ぼうし ぼくのと ちがうねん。とってきてん。おっきな さかなから とってきてん ねてるまに」
「とってきてん」つまりは、盗んだのです。
「ねてるわ。 おきたとして、ぼうしのことなんか きがつけへんわ」と海藻のジャングルを目指して逃げているのです。
ところが、おおきなさかなはおきていて、「ぼくのことなんか あやしめへんわ。」どころか、にげているちいさなさかなを追いかけているのです。
いきさきがわからない? いやいや、信用していたカニがはさみで行った先をしめし、ちいさなさかの泡が目印。
いわしとクジラほどちがう二匹のさかな。
ちいさなさかなは「おっきな さかなには ちっさすぎる。ぼくに ぴったりやん このぼうし」と やっと、海藻の中に逃げ込みます。
ところが、最後のページでは、おおきなさかなが ちっちゃいちっちゃい ぼうしをかぶっていますから、海藻の中では何が起きていたのでしょうか?
長谷川さんの関西弁風の訳が絶妙で、いつの間にか、盗んだ側の小さなさかなを、応援していました。
大きなさかなは、泰然自若といった感じ。目がでていたり、とじているだけ。自分のものをとりもどしたのはいいが、なんで、こんな小さなぼうしが必要なの?と、突っ込みたくなりました。
海の中の静寂感は、長谷川さんの作風とは全く違う絵なのですが、訳されたわけも知りたいところです。
どこいったん/ジョン・クラッセン・作 長谷川善史・訳/クレヨンハウス/2011年初版
「ちがうねん」とおなじ作者と訳者。こちらが一年早く出版されています。
「ぼくの ぼうし どこいったん? さがしに いこ」
くまが、なくなってしまったお気に入りの帽子を探しにいきます。
いろんな動物たちに次々に聞いて回りますが、
「しらんなぁ」 「このへんでは みてへんわ」 「ぼうしってなんや?」
誰もくまの赤い帽子を知りません。
茫洋とした くまですが、長谷川さんの関西弁で「そうか おおきに」「ふーん・・さよか」とあると、いきいきした くまになりますから不思議です。
帽子のことを考えていると、あっ さっき!「ぼうしなんか しらんで」「ぼうしなんか とってへんで」「ぼくに きくのん やめてえな」と、いっていた、うさぎのことを思い出して、うさぎところに。
最後は、かわいい赤い三角帽子をかぶったくまが、「うさぎなんか しらんで」「うさぎなんか さわったことも ないで」「ぼくに きくのん やめてえな」と、うさぎと同じようなことをいって、とぼけています。
読者の自由な想像にまかせる、ちょっとミステリアスな結末が、なんともいえません。
そらから おちてきてん/ジョン・グラッセン・作 長谷川善史・訳/クレヨンハウス/2021年
「THE ROCK FROM THE SKY」が原題ですが、これが「そらから おちてきてん」となると、もう長谷川ワールド。
ちょっと分厚めの装丁、文章が一ページにあったり、絵の上にあったり。五つのパートにわかれていますが、でてくるのは、なぜか帽子をかぶっているちょっぴりガンコなカメ、おしゃべりなアルマジロ、無口なヘビ。そして宇宙人みたいな得体のしれない目の怪物、そして どこから現れたのか不明の大きな岩。原題のように空からきたのなら、巨大な隕石、またはどこかの火山が爆発して飛来したものか。
(いわ)
カメが見つけたのは、一輪の花が咲くお気に入りの場所。
はじめ いっしょにたっていたアルマジロが「なんか いやあな かんじがするねん」と、離れたところへ。遠すぎて声が届かず、もういちどカメのところへ。そこでも「あかん。さっきより ひどなっているで。あっち もどるわ。いっしょに きたら?」と、また離れ、こんどはカメが声がとどかずアルマジロのところへ。
カメがアルマジロのところへ行ったのは正解。なぜなら カメがいたお気に入りの場所には、大きな岩が音もなく・・。
(おちる)
岩のそばであおむけに転がっていたカメ。アルマジロが声をかけると、昼寝という。疲れていない、つかれていないといいながら、岩によりかかって昼寝するアルマジロ
(みらい)
岩の上で、目を閉じて みらいのことを想像するカメとアルマジロ。芽が出て木が生え森を想像していると 奇妙な目の怪物があらわれ、アルマジロは 未来へ行くことを あきらめ・・。
(しずむ)
暗闇の中で、ただただ 夕陽をみつめるアルマジロとヘビ。カメが 声が遠いと そばへ。
(まんいん)
「もう もどらんかも しれんで」「もう もどらんかも いうてねん。」と、なんどもひきとめてくれるのをまっているカメ。うしろに目の怪物があらわれ、怪物がいなくなったと思った場所に、大きな岩。
一回読み終え、再度、カメとアルマジロの大阪弁の会話をゆっくり味わいながら、ページをめくっていきたい。
シカクさん/マック・バーネット・文 ジョン・クラッセン・絵 長谷川善史・訳/クレヨンハウス/2018年
シカクさんはマンマルさんに、「わたしに そっくりなんも つくってほしいわ~。 あした みにくるし たのむわ。てんさいさん!」と、マンマルさんにそっくりな彫刻?を頼まれます。
シカクさん、天才とおもっていませんから「えらいこっちゃなあ・・」とぶつぶつ。
それでも、四角い岩を丸くしようと、なんどもなんども鑿をふるい悪戦苦闘しますが、しっぱいの連続。がんばってがんばりますが「あちゃちゃちゃちゃ!」とさけびます。岩はまるどころか ぐちゃぐちゃ。
しかし、マンマルさんがやってきて、きれいやし、おしゃれやしと 「まんまるやわー」と うっとり。
なぜかっていうと、砕かれた岩が、ちょうどまーるくおさまって、雨で池ができていたのでした。「シカクさん あんた やっぱり てんさい やわ!」に「うーん・・そやろか?」と、それほどでもない(とおもったかどうか?)というシカクさんでした。
派手さはありませんが、長谷川さんの大阪弁のリズムにおもわずひきこまれました。
シカクさん、毎日、ほら穴に行って、四角い岩をひとつえらび、外に運び出して山のてっぺんまで、おしあげています。