グスコーブドリの伝記/脚本: 堀尾 青史 絵: 滝平 二郎/童心社
前編、後編とも16画面。
紙芝居なのでもう少し短いとおもったのですが、あにはからんやでした。
前編を見ていたら最後グスコーブドリが火山を爆発させる場面がなかったので、もういちどみてみると前編とありました。
もともと結構長い物語ですから、そんなにうまくはいきません。しかし脚本はよくできているように思いました。
「グスコーブドリの伝記」「走れメロス」で、紙芝居を利用して語ろうと思ったのは、甘い考えでした。
ちいさなきいろいかさ/シナリオ・もり ひさし イラスト・にしまき かやこ・イラスト/金の星社/1971年
梅雨の日、すてきな黄色い傘を見つけました。
なっちゃんの傘に、うさぎさん、りすくん、ダックスくん、ばくのばくさん、ばくのあかちゃんが はいっても 小さな傘が大きくなってぴったり。
キリンさんに会うと、傘は どんどん上にのびていきます。
やさしい なっちゃんに 傘がこたえてくれます。
あめがこぶりになると ばくさん、ばくさんのあかちゃんは 木であまやどり。
うさぎくん、りすさんは、大きなキノコ、ダックスくんは土管であまやどり。
雨が止むと、もとにもどった黄色い傘。
なっちゃん、「あのね あのね いいこと あったの」とおかあさんに・・・・。
落ち着いた色合い、子どもにも親しみやすい絵、雨の時期に読みたい絵本です。
当地では、それほどひどい雨ではありませんが、今日、九州地方に大雨。昨年も西日本豪雨がありました。被害がないようにいのります。
雪の色が白いのは グリムにはないドイツのむかし話/シャハト・ベルント・ 編 大古幸子・訳/三修社/2006年
マーテインという兵士が、父親の財産を受け取るように命令され、家に帰ってみるとベニッヒ硬貨が一枚あるだけ。
たった一枚の硬貨ではどうしようもないと兵舎に戻る途中、であったのはみすぼらしい浮浪者。
この浮浪者に硬貨をあげると、ねがいごとを三つきいてあげるという。
マーテインが何を考えたのか、身震いしたらウサギに、もういちど身震いすると人間にもどること、二つ目におなじように身震いしたらハトに変身し、また身震いしたら人間にもどること、第三に身震いするとカワカマス変身できるように願います。
こうした三つが、どう生かされるかが昔話の見どころ。
軍隊にもどったマーテインは、戦を仕掛けてきた敵と戦うため王さまと出発します。
この王さまはいつも戦いに勝利していました。というのも、王さまは魔法の指輪をもっていたからです。ところが、急いで出発したため、指輪をわすれてきました。
王さまはひどく困って、一日で指輪を持ってきた者に、美しさを讃えられている一人娘を妻に迎えさせると知らせます。しかし、元気のいい馬で、一日中休まずに走ったとしても七日七晩の旅をする必要がありました。
マ-テインは、ウサギ、カワカマス、ハトになって都へ。
兵士は、身震いしてお姫さまのまえにあらわれます。自分の花婿になるかもしれない兵士がとてもりりしいので、お姫さまは、よろこんで魔法の指輪をもってきました。
兵士は証拠を残し、王さまのところにかえります。
ところがウサギに変身したとき、一人の兵士から撃ち殺されてしまいます。指輪のおかげで、戦いに勝利した王さまが、娘を、兵士と結婚させようとすると、お姫さまは、きっぱりと断ります。
それでも一週間後、結婚式がおこなわれようとした日、浮浪者から助けられたマーテインが急いで城に向かい、お姫さまの前にあらわれます。
そして・・・・。
途中ウサギに変身したマーテインが殺されてしまいますが、その後生き返るのが昔話ですから、安心できます。
なぞの浮浪者が、特別な能力をあたえてくれたのは、気前よく硬貨を与えてくれたマーテインを試したのでしょうが、これこそ父親の本当の遺産だったのでしょう。
かえるの竹取ものがたり/俵 万智・文 斎藤 隆夫・絵/福音館書店/2014年
あまり驚くこともなさそうですが、文が俵万智さんという絵本。
竹取物語の登場人物を”かえる”にかえてありますが、顔だけで、髪や着ているもの、屋敷などは、普通?で、大型の宮廷絵巻をみているような華麗な絵の連続です。
竹の中にいた小さな女の子が、百日でおとなの娘になったという”かぐや姫”は、絵になかなかあらわれません。おわりのほうと、月に帰っていくところで、ようやくかぐや姫が。
あまりにも美しいというかぐや姫ですが、かえるの世界では美人の条件はなんだろうと思わず首をひねりました。
美人と言っても時代によって、美しさのとらえかたはちがってきますから、先入観なしにみられるように人間をかえるにおきかえたのでしょうか。
物語は、かぐや姫が、求婚する くらもちの皇子、おおともの大納言、いそのかみの中納言に無理難題を出して遠回しに、あきらめるよう仕向けますが、この三人のエピソードが中心。
由来もでてきます。
つばめの子安貝をとってくるようにいわれた いそのかみの中納言が、なんとか巣の中からひらたいものをとってきてみると、それは貝ではなく、ふるくてかたいつばめのうんち。このときから、がんばってもしかたのないことを「かいがない」というように。
二つ目は、富士山の由来。
みかどは、かぐや姫からとどいた手紙と不死のくすりを、「かぐや姫にあえないなら、くすりを飲んでも意味がない」と、月に一番近い山に捨ててしまいます。その山が「不死の山」とよばれ、いつしか「ふじさん」といわれるように。
ところで、竹取物語は作者不明で、さらに原本は現存しないという。
この物語に関連あるものとして、「万葉集」「今昔物語集」などの文献、昔話「天人女房」、「絵姿女房」、「鳥呑み爺」などがあげられるようなので、おなじみの昔話がいつごろ成立したかうかがい知れます。
ハンタイおばけ/トム・マックレイ・文 エレナ・オドリオゾーラ・絵 青山 南・訳/光村教育図書/2006年
”ハンタイおばけ”は、とってもユニーク。
天井からおばけがみているので、「おりておいで!」といっても、天井からおりてきません。
パパが、顔をのぞかせたので、「あそこ!」とゆびさすと、おばけは、いません。
学校で絵をかくことになって、ゾウを描き始めると、絵の具は画用紙ではなく、ネイトの頭に登っていきます。
そう、ネイトが言ったことと、反対のことをするハンタイおばけ。そこで、ケイトは、考えます。反対のことをいうと・・・。
「あれれ、どうしよう。ネイトは おもいました。このおはなし、おわらせたくないなあ」
「おわり」とネイトがいうと・・・。おわりになったでしょうか?
答えは前段に。「きょうは ハンタイおばけが いっしょで たのしかった。このまま ずっと いっしょに いてほしいな」といっちゃったんですね。あーあー消えてしまいました。
正体を見破られたので、今度は、別の子のところへいったのかな?
ハンタイおばけ、とても愛嬌がありました。
雪の色が白いのは グリムにはないドイツのむかし話/シャハト・ベルント・ 編 大古幸子・訳/三修社/2006年
司祭の家で仕事をたのまれたおばあさんが、台所で脂のたっぷりのった肉をみて「一度でいいから、あんなにみごとな肉が食べてみたいものだわ」とつぶやきます。
それを聞いた司祭の奥さんがいうには「お前のご亭主は、とことん勉強したとはいえませんね。ご亭主が、私の夫とおなじくらいたくさん勉強したら、お前さんもご亭主も脂ののったお肉をたべられたでしょうに」。
これをきいたおばあさんが、ちょっとばかり学校へ行って、何かを新しく習い覚えるように、おじいさんにいいます。
おばあさんにいわれて、おじいさんが学校にいくと、「学校に来る意味がない。家に帰りなさい。あんまり遅すぎるよ」と先生にいわれ、家に帰ります。
次の日、おじいさんは一時間早く学校へいきます。先生が「あんまり遅すぎるよ」といったのを、もっとはやく学校に来なさいといわれたと勘違いしたおじいさん。先生の真意は、勉強するには年をとりすぎているといったのです。
ところが、きたときと違う道をかえると、途中でお金がぎっしり入った袋を見つけます。
おばあさんから役所に届けるようにいわれ、でかけたおじいさん。お役人から「お前は、いったいいつその金をみつけたのだね」と、尋ねられ「学校から帰る時ですだ」と答えます。
すると、役人から「お金はお前が持っていてもかまわないよ。お前が学校に通っていたころは使えたけれど、今はもう通用しないんだ」といわれたので、お金をもちかえり、脂ののったみごとな肉をかうことができました。
昔ばなしには、学校がでてくるのはほとんどありませんから、比較的新しい時代のものでしょうか。
子どもにはわかりにくいかも。
お上によって、通用する貨幣が頻繁に改正され悩まされてきたのを皮肉っているのかもしれません。
グリム兄弟は物語の収集に自ら現地にでむくことがなく、古い文献や資料から選び出し、聞き取りもおもに上流階級の女性の女性たちからでしたが、この昔話は、編者が、北ドイツ地方の最も貧しい人たちに伝えられてきた話を収集したものとありました。
105にんのすてきなしごと/カーラ・カスキン・文 マーク・シーモント・絵 なかがわ ちひろ・訳/あすなろ書房/2012年
タイトルを見て早合点。105人のいろいろな仕事がでてくるのかと思ったら、違っていました。
表紙をよくみるとバイオリンケースですから、これは?
半分ほどすすむまでは、人人人。金曜日の夕暮れです。
シャワーをあびたり、着替えをしたりするのも、人それぞれです。
ドレスを着たり、蝶ネクタイをしたり、ちょっとよそゆきの雰囲気。
でかけるのもバス、電車、ハイヤーを利用したりとさまざま。
104人がついたのは音楽ホール。そして105人目は、指揮者。
そう、オーケストラの演奏開始です。
オーケストラ団員の演奏会へむかう前までの何気ない様子。単に仕度するのでなく、それぞれのルーティーンがあります。
演奏会の開始は午後8時30分、オーバーも着込んでいますから、外は真っ暗でしょうか。終演も10時はすぎそうで、暮らしの身近なところに音楽があるようです。
しりとりのだいすきなおうさま/中村 翔子・作 はた こうしろう・絵/鈴木出版/2001年
しりとりが大好きな王さまが「こんやは サンドイッチから たべるぞ」といったので、家来たちはおおいそぎで「サンドイッチ」をつくりました。
次は「ちくわ」。でも王さまがぺろりとたべてしまい、台所はおおいそがし。
「わかめ」、「めだまやき」「きのこ」と、次々に料理をつくって王さまのもとへ。ところが「アスパラ」のあと「ラーメン」をさしだしたので、”ん”で、しりとりがおわってしまいます。
最後は「プリン」でおわらないと、王さまはご機嫌斜め、暴れだします。
そこでに家来たちは、王さまをギャフンとさせる方法をひそかに相談します。
翌日の朝、家来たちが食卓にだしたのは?
表紙からしりとり。「おうさま」「まり」「りんご」「ゴリラ」「ラッパ」・・・とつづいて、おうさまのところにもどり、また続けることもできます。
一ページ目も「おうさま」からはじまり「まど」「ドア」「アルバム」「むしめがね」「ねこ」・・・とつづいていきますから、別の展開も工夫できそう。
読み聞かせでも、ひとつひとつ指さしながら一緒に楽しめるようです。
おじいさんとおばけ/脚本・堀尾青史 画・瀬名恵子/童心社/1987年
瀬名さんのおばけ、どこか楽しいおばけです。
家賃がタダという家、大家さんはゆうれいなんかでませんと保証しますが、タダがきにいって家を借りたおじいさん。
夜が深々とふけると、案の定「こ・・ん・・ば・・わ・・・・」とあらわれたのは、一つ目のこぞうさん。
ところが、おじいさん、あわてず騒がず、肩をたたかせます。いくらたたいても、かいほうしてくれないおじいさん。あしたの晩も来いよといいますが・・・。
おじいさん、でてきたろくろっ首に繕いをさせ、三つ目の大入道に灯篭や大石を動かせたりと、おばけと過ごす夜を満喫しています。
「こがってくれないし、にげだしもしない、いすわられちゃ こっちが こまるんだよ」と、おばけの悲鳴。
ラスト「サイナラ、サイナラ、サイナラ」は、淀川さんのきめ台詞でしたね。
12画面です。
かっぱどっくり/文:萩坂 昇 絵:村上 豊/童心社/2000年
発行は2000年ですが、1982年に第一法規出版から刊行されたものを改訂復刊したとあります。
きゅうり畑を荒らして食べたくせに、「にがいのもある。こやしがたらん」と文句をいい、地蔵さんをひっくりかえし、やりたい放題のかっぱ。。
働き者で評判のごろべえさんが、川で馬の"あお"を洗っていたら、尻尾にかっぱがしがみついて川へ引きずり込もうとふんばっています。
ごろべえと村の衆が追いかけ、飼葉おけにかくれたかっぱをつかまえ、木にさかさづりに。
ところが、ごろべえさんは、ヒヨー ヒヨー ヒヨー と泣き続ける声に弱り果て、宝物をさしあげるというかっぱを許してやることに。
かっぱがお礼にともってきたのは、いくらついでもなくならないとっくり。
かっぱは、「とっくりの底を三つたたくと酒はでなくなる」とも教えてくれます。
いくらでもとっくりから酒が出てくるので、働き者のごろべえさんもすっかり変ってしまいます。あさっぱらから毎日酒浸り。田んぼには草ぼうぼう。おまけに馬のあおの世話もしないので、あおはすっかりやせっぽちに。
たくらみがうまくいったとよろこんだのはかっぱ。
そんなごろべえでしたが、井戸に水を飲みに出たついでに、馬小屋をのぞくと”あお”がいません。しょうがねえやつだとあちこちさがしているうちに、草むらで眠りこけてしまいます。
ひ、ひひーんといういななきで、ごろべえが目を覚ますと、田んぼには”あお”。
草ぼうぼうの田んぼしきりに首をふっている”あお”をみたごろべえは、とっくりの底を三つたたき、田んぼに飛び込みます。
獲り入れの秋、”あお”は、稲をいっぱい積んで帰っていきます。
”あお”のおかげで、酒をきっぱり断つごろべえですが、すこし唐突な感じがありました。しかし、酒浸りの日々を、こころのどこかに引っかかっていて、きっぱりと断ったのなら、拍手です。なかなかこうはいきません。
村上さんが描く、ごろべえさん、かっぱ、”あお”の絵は、なんともいい味です。
アブラ カダブラ カタクリコ/きたむら さとし/BL出版/2019年
ウサギのハティーのまほうの はじまり はじまり。
魔法の言葉は、アブラ カタブラ カタクリコ
なにがでてくるか興味深々。
すると ぼうしのなかから次々に出てきたのは ネコ、リス、タコ、トナカイ。
次はみんな目をじっとこらすと・・。
わあ!ゾウ。
まだまだ
でてきたのは?
なんともユーモラスな動物たちです。
「アブラカダブラ」は、世界中で広く用いられている手品ショー等での呪文。
れいによって、「ウィキペディア」のうけうりですが、6-7世紀の銀のお守り、アブラカダブラに類する文字が刻まれているといいます。さらに、オックスフォード英語辞典によると、アブラカダブラは2世紀のセレヌス・サンモニクス作品に最初の表記があるというので、古くからつかわれてきた呪文。
かずくらべ/西内久典・文 安野 光雅・絵/福音館書店/2019年(初出1969年)
手の指とかたつむりで、五からはじまり、それより大きい数、少ない数を対応させていきます。
五はいちじく、五輪のマーク、星座のカシオペアの星
五より少ないのは、イヌの足、三輪車の車。
五より大きいのは、ツバメや貨車、積木。
楽しいのは、インデイアンと砦を守る守備隊。
同じ個数でも、絵の描き方によって多そうに見えるものもあります。
かがくのとも50周年記念出版で、50年たっていますが、安野光雅さんの描く絵は、いまみても斬新です。
親子で楽しむこども論語塾/安岡定子・著/明治書店/2008年
以前、注目を浴びた本。
孔子いわく
「過ちて改めざる 是を 過ちと謂う」
あやまったことを認めることはなかなかできない。つい、いかに正しいか一生懸命になりがち。
失敗したらやり直せばいいというが、これができない。
「知らないことを知らない」
世にいかに知らないことが多いことか。きっかけはなんでもいいが、まずは興味をもつことか。
孔子いわく
「人の己を知らざるを 患えず。人を知らざるを患う。」
「憂う」ではなく「患う」です。自分をわかってくれなくとも、まわりの人を正しく知るというのも至難のわざです。
孔子いわく
「君子は 和して同ぜず、小人は同じて和せず。」
他人の意見にすぐ同調してしまい、自分の意見を持つのも難しい。
有名で解説がいっぱいあるのに論語を読んだこともない。
人間の機微をついている論語。少しづつ読む分には負担になりません。
力もちのハンス/オックスフォード世界の民話と伝説6 スイス編/植田敏郎・訳/講談社/1978年改訂版
昔話で力もちがでてくると極端ですが、この話ではやや控えめ。
お百姓に雇われたハンスが、あまりにも大食いなので、このままでは家にあるものをすっかり食べつくされと心配した百姓が、井戸に落としたおかみさんの指輪を探してくれと頼みます。
ハンスが井戸の中におりると、頭ぐらいの大石を井戸に落とします。するとハンスは砂利がおちてくると平然としています。それではと教会の鐘を井戸に投げますが、今度は「もってこいの頭巾だ」といわれてしまいます。
お百姓は、指輪をとってきたハンスに、旅に必要な金を品物をやります。
やっぱり旅に出ないと昔話は、はじまりません。
狩人と漁師と一緒に旅を続けることになったハンス。気味の悪い小さな小屋にとまることになりますが、食べるものがなく、狩人とハンスが森へ食べ物を探しに行き、猟師が小さな肉を調理することに。
漁師が調理していると、小さなおばあさんが姿をあらわし、肉をわけてくれるように頼みます。人のいい漁師がお鍋の上にかがみこむと、おばあさんは漁師の背中にとびのって、押し倒し、めちゃめちゃにひっかきます。漁師がおそろしさのあまり炉の下にもぐりこむと、おばあさんは姿をけしてしまいます。
翌日、ハンスと漁師が狩りに出かけていくと、一人でいる狩人のところに赤いスカートをはいたおばあさんがあらわれ、おなじようなことがおこります。
ひどい目にあった二人は、どっちも自分がひどい目にあったかは、一言もいいませんでした。
三日目は、ハンスが小屋にのこります。こんどもあらわれたおばあさんでしたが、ハンスはおばあさんをぐるりぐるりふりまわし、しばって炉の下にほおりこんでおきます。
このおばあさんは魔法使い。
「お前の秘密を打ち明けろ。それまでは、はなしてやらないぞ」とハンスがせまると、魔法使いは「山の中に立派なお城があって、リュウに見張りをされている一人のお姫さまがすんでいる。リュウを退治したものは、お城の宝ものを、ほうびにもらったうえに、お姫さまをおよめにもらえんだよ」と話します。
三人いると、それぞれの出番があるのがふつうですが、このあと狩人と漁師だけでなく、魔女にも出番はありません。
ハンスは、姫さまからわたされた大きな剣で、リュウの頭を切り落とします。
たたかいにつかれたハンスはブドウ酒とパンで元気になり、それから、さらに二度リュウとたたかい、いずれもたおします。
冒頭の母親、旅で道ずれになった二人のフエードインも早いのですが、いつのまにかフエードアウトしてしまいます。このあたりが話の長さを左右します。
ひとりで おとまりしたよるに/フィリパ・ピアス・文 ヘレン・クレイグ・絵 さくま ゆみこ・訳/徳間書店/2014年
「おばあちゃんのおうちに ひとりで おとまりにいきたいな あたしひとりで」。
心配するお母さんに「だいじょうぶに きまってるよ」とエイミーは、ひとりでおばあちゃんのうちにお泊りに行く事になりました。それも三泊です。
エイミーは、荷物と大事な「たからもの」を三つかばんにいれて入れて出発します。
おばあちゃんのうちでは、古いおもちゃの棚を片付けるお手伝い。公園でお昼とアイスクリームを食べ、ぶらんこやシーソーで遊んだり、おばあちゃんといっしょに大きなケーキをつくったりと、楽しい時間を過ごします。
でも、夜になると家族が恋しくなります。
エイミーの気持ちをかなえてくれるのは、三つのたからもの、小さなしましまのマット、小さな木の馬、小さな舟です。
三つのたからものは、大きくなってエイミーをのせると、家に飛んでいきます。窓からいつもの風景をみたエイミーは安心しておばあちゃんのところへもどります。
三日目の夜は、一波乱がありました。ゴロゴロ雷がなって、エイミーは、こころぼそくなりました。
明日は、お母さんが迎えにくるのですが、いますぐ おうちに かえりたくなったエイミー。
舟で、あらしの夜、うなる風や、ざあざあふる雨のなか、家にやってきますが、家は真っ暗で、お母さんも、イヌのボンゾも、弟のビルもいないようです。車もありません。お母さんたちは、エイミーをおいて、どこかへ いってしまったのです。
わあとなきだしたエイミーは、おばあさんのところへもどっても、おんおん泣いています・・。
それから?
「みえなくても、みんな ちゃんと そこに いるんだよね」と、結末もほほえましい。
大丈夫と、おばあちゃんのところへでかけたのはいいが、はじめて、家族のもとを離れ、一人で過ごす夜のこころぼそさ。
ゆれうごく気持ちと、それを乗り越えてちょっと成長していく小さな女の子エイミーです。
わかるわかるとうなずきました。