どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おやゆびこぞう

2024年10月31日 | グリム(絵本)

  おやゆびこぞう/スペンサー・オットー・絵/矢川澄子・訳/評論社/1981年

 

 おやゆびこぞうが、馬の耳にはいって、「馬をたくみに誘導する」、「見世物小屋に売って人儲けをたくらむ男から、お金を巻き上げる」、「ふたりの泥棒を手玉にとる」、「牛に飲み込まれる」、さらに「おおかみにのみこまれる」と、ちょっとやりすぎじゃないかという冒険の連続。

 おやゆびこぞうからみれば、まわりは巨人の連続。靴や帽子、牛などとおやゆびこぞうなどの対比がうまく描かれ、まさに絵本の世界。

 「まったく、世の中の中には苦労のたねがつきない」・・まさにそのとおり。

 

 グリムでは、こどもいない夫婦におやゆびこぞうがうまれるところからはじまりますが、ペロー版では、七人兄弟の末っ子として登場し、貧乏な夫婦から捨てられようとするところからはじまっています。


樹々の宝・・ケニア

2024年10月30日 | 昔話(アフリカ)

     世界名作おはなし玉手箱/齋藤チヨ/すずき出版/2000年

 

 木が満月の真夜中、川へ水を飲みに行くという昔話ならではの展開。

 この木の下には、たくさんの宝物がありふだんは木が宝物の番をしていて、見つかったら殺されてしまいます。

 宝物を手にいれようと森へ出かけたのは魔法使いのマコラ、そして親がなくなってマコラに預けられたムワンギ。

 マコラは、ムワンギを杖でびっしと打っていそがせます。とちゅうサルがおなかをすかせ食べるものをくれるよう頼みますが、マコラは、「腹がへったら、飢え死にしたらいいじゃないか」と、サルを蹴り上げました。しかし、ムワンギは立ち止まり、「おれの夕ご飯だけど、でもお前のほうが、もっとおなかがすいているだろう!」と、さげていた袋の中から、ゆでたとうもろこしを二本取り出してサルにあげました。

 目的地につくと、マコラは満月の夜までまつようにいいました。マコラは、「満月の真夜中、木たちはみんな根っこを引き抜いて、川へ水を飲みに行く、根っこを引き抜いたあとには、大きな穴ができる。その穴の中には、たくさんの宝物がしまってあるからそれをちょうだいするんだ。」といいました。

 木が川へいくと、マコラは、穴の中へおり、宝物を籠にいれ、ムワンギは、それを引っ張り上げます。なんども籠が吊り上げられては降ろされ、夜が明けようにとする前に、木たちが歩く音が、ズシン・・ズシン・・と聞こえてきました。

 穴にいたマコラが、ムワンギにつるをさげるようにいいましたが、つるが見つかりません。音がだんだん近づき「ぼくはきっと、死んでしまうんだ」と思ったとき、ムワンギの体は、何かにぐっと引っ張られて、うしろの大きな岩の下に転がりました。それは、森の道で出会った、おなかをすかせていたサルでした。サルは、穴のつるはとってしまったと、ささやきました。

 大きな木たちが、マコラの入っている穴に根を下ろしたとき、ムワンギはマコラの最後の悲鳴を聞きました。
 太陽が昇ると、ムワンギは、岩のそばにあった宝石や金を袋にいれ、森を出て、いままでに行ったことのないところへ旅に出ました。


たたかいでも鳴る太鼓・・兵庫

2024年10月29日 | 昔話(関西)

     兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟編/日本標準/1978年

 

 タイトルからすると”親捨て”の話を連想しましたが、同じシチュエーションがでてきますが、組み立てがことなります。

 息子が畑で働いていると、通りかかった殿さまが、「朝からなん鍬打った?」と、むちゃぶり。息子が、「殿さまの馬はここまでくるのに何足あるきましたか?」と、返事。なんで怒ったかのか殿さまは、「三日の間に、灰で縄をなってまいれ」と命令し、できなかったら命はないという。

 父親は病気でねており、息子は、なんとかあやまって、家に帰ったが飯もろくろくのどを通らんようになった。どこか体でも悪いと聞かれても、息子は首を振るばかり。「なにか心配事があったら、わしにはなしてみんかえ」といわれ、殿さまから言われたことを話すと、父親は、「かたくかたく藁をなって、塩水につけじゅうのうにのせかまどで焼け」という。そのとおりにする、みごとな灰の縄ができあがった。
 すると、こんどは、「たたかい(たたかなくても)でも鳴る太鼓を作ってこい」という。

 また父親の出番で、いらんようになったふるいに、丈夫な障子紙を貼り、カボチャの花にきているゴンゴロバチをあつめ、ふるいの穴へいれると、ゴンゴロバチがさわいで、ドンドンと、大きな音がでてきた。

 感心した殿さまが、「これはおまえの知恵ではあるまい。正直に申せ」というので、家で寝ている父親に聞いたことを話すと、息子はぎょうさんのほうびをもらって、帰ったという。


カイマンのクロ・・人とくらしたワニ

2024年10月28日 | 絵本(外国)

   カイマンのクロ/マリア・エウヘニア・マンリケ・文 ラモン・パリス・絵 とどろきしずか・訳/福音館書店/2022年

 

 ワニと人間がともに暮らせる? ベネズエラで実際にあった話といいます。

 ワニの仲間、カイマンの赤ちゃんを引き取った宝石店の若旦那ファオロ。
 ワニの赤ちゃんは、ワニの皮を目的にやってきた人の手から うんよく免れたでした。

 ファラオは、かただのいろがくろっぽかったカイマンのあかちゃんにクロとなずけました。はじめは掌の上にのるほどの大きさ。
 ファラオが、カイマンをつれてきたというわさがまたたくまに広がり、クロに触りたいという人々が、近くの村や町からも やってくるようになり、クロはいつもファラオのあとをついてまわるようになりました。
 カイマンは、庭にプールをつくりました。プールを掃除していると、ファラオはたまごに気はつきました。クロはメスでした。

 クロが2メートルほどになったころ、ファラオは、クロをうけいれてくれたアンヘラと結婚。クロは子どもたちの遊び相手になって、おだやかな しあわせな暮らしがつづいていきました。

 ところが、ある日、ファラオが病気で倒れると、クロはファラオのそばをはなれようとしませんでした。アンヘラの歌声も聞こえなくなりました。そしてファラオがなくなると、クロはがらくた部屋の奥に姿を消し、何か月ものあいだ、部屋からでてきません。

 しかし、クロは、その後もアンヘラと子どもたちに囲まれ、20年間も生き続けました。

 あとがきによると、ファラオもクロも心筋梗塞でなくなりました。うーん 奇妙な一致で、同じ原因なんですね。

 育ての親といいますが、ワニも同じです。
 ワニ=獰猛とイメージがありますが、再認識させられました。ただそれが幸せなことかは知る由もありません。

 

 べネズエラらの絵本ですが、まだまだ知らない外国の絵本も多そうです。


みち

2024年10月27日 | 絵本(日本)

    みち/三浦太郎/あすなろ書房/2022年

 

 ほとんど白地の背景の真ん中にオレンジ色の一本の線。二人の子があるいていきます。

 坂道、下り道、長い長い道、曲がりくねった道。

 寒い日もあれば暑い日も。

 子どもにはちょっとものたりないのかもしれません。

 ただ、道は人生そのもの。

 でこぼこもあれば、寄り道も、迷うことも。

 
 ”君の行く道は 果てしなく遠い
  だのになぜ 歯をくいしばり
  君は行くのか そんなにしてまで・・”
 
 歌を思い出しました。
 
 もし、道がとだえても そこを乗り越えれば、新しい道が・・

ちょっと早いハロウィーン?

2024年10月26日 | 日記

 ハロウィーン風格好の子どもがいて何かと思ったら、「百鬼夜行」なるイベント。いくつかの場所をまわってスタンプを集めているようでした。昨年につづいて実施とあったのですが、昨年は気がつきませんでした。

 ふだんとちがった格好。子どもも楽しそう。土曜日というので子どもも参加しやすかったようです。


背中にコブのある男(アランダス)・・アラビアンナイト、酔っ払いペドロ・・スペイン

2024年10月26日 | 昔話(外国)

 死体を次々に他人に押しつける昔話。

背中にコブのある男(こぐま社/子どもに語るアラビアンナイト/2011年初版)

 アラビアンナイトの一つで、悪役が登場しません。

 人を殺したと思い込んだ仕立て屋が、死んだと思った男を医者の家に、医者は料理人へ、料理人は商人とたらいまわししていきます。

 人を殺した罪で商人が死刑になりそうになりますが、かかわった者が正直に自分が殺したと次々に名乗り出ます。

 実は死んでいなかったという落ち。
 
 途中まではどうなるかと思わせながらはらはらどきどき。最後の落ちでほっとします。

 ところでこぐま社版では、「背中に・・・」で講談社版(青い鳥文庫 新編アラビアンナイト(下)/2002年初版)では「アランダス」とあります。
 講談社版では、背中がまがっていると表現されています どちらでも物語の進行上は特別に影響する事柄ではありません。コブがあるということに別の意味があるのか知りたいところ。


酔っ払いペドロ(スペイン民話集/三原幸久:編訳/岩波文庫/1989年)

 酔っぱらって帰ってきたペドロが、妻に一ペセタをくれというが、くれなかったので妻を殺してしまいます。(たいしたお金ではないようですが・・)
 ペドロは妻の死体を股木の上に寄り掛からせ、他人のキャベツを盗んでいるようにみせかけておきます。

 怒った畑の主人が、声をかけても返事がないので、死体を殴りつけます。ようすをうかがっていたペドロは、女房を殺したと大騒ぎし、大金をせしめます。

 次に、ペドロは妻の死体を、司祭の馬に乗せて走らせます。悪魔が司祭の馬にのって、やってきたと大騒ぎになり、司祭が悪魔祓いをするから教会に集まるよう知らせをだします。

 司祭は自分の馬がないので、村人から雌馬をかりて、教会にむかいます。ところが死体をのせた司祭の馬は雄馬で、教会の入り口に来ると雌馬に挑みかかり、そのまま教会の中へなだれ込んだので、集まった人々は、みんな逃げ出してしまいます。

 昔話では、もう少し繰り返しがつづくのが普通ですが、このスペインの話は、二回の繰り返しです。                                        


ファンと空飛ぶ三頭の馬・・フィリピン

2024年10月25日 | 昔話(東南アジア)

  フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年

 
 日本の昔話には、馬が出てきても空を飛ぶという発想はなさそうです。

 この話では、白、黒、赤い馬が空を飛びます。
 この馬が、お城の庭の木の葉を食べると、きまって王さまが病気になっていました。

 誰のせいかようすを見に行ったのは、三人の王子。
 上の二人は12時を過ぎると、眠気がおそってきて、誰が、木の葉が食いちぎったのかわかりません。

 末の王子ファンはナイフとレモンをもっていき、眠気におそわれると、ナイフで指を切り、その上にレモンをたらし、一晩中起きていることができたのです。
 13時には白馬、14時には黒馬、15時には赤馬がやってきて、木の葉を食いちぎろうとしますが、ファン王子は、そのたびに馬をみごとに乗りこなします。馬はへたばって、「ご用のあるときは、いつでもお呼びください。すぐにとんでまいります」といって、天空のかなたにとんでいきます。
 そして、王さまの病気は、すっかりとよくなります。

 それから何年かたち、「良い嫁をみつけて、わしを安心させてくれ」という王さまの言葉で、三人の王子は妃を探すたびにでます。
 上の二人が馬小屋の立派な馬で駆け出し、馬小屋に残されたのはやせた老馬だけ。それでも白馬、赤馬、黒馬のおかげで、ファン王子は兄たちにおいつきます。

 ある一軒家で宿を頼むと、おばあさんから、「婿を探しているという美しいお姫さまが、城の塔を馬で飛び越えた者のおよめになる」ということを聞きますが、これまで誰も成功したものはいないというのです。

 上の二人の王子が挑戦しますが無駄でした。ファン王子は、白、黒、赤の馬のおかげで城の塔を一気に飛び越えたのはいうまでもありません。

 三人の王子が出てくると、上の二人に残酷ともいえる結末がおおいのですが、どこか遠くの国にかくれてすんでいるうわさがきこえてきたというおわりかたです。


男の子でもできること:みんなの未来とねがい

2024年10月24日 | 絵本(外国)

   男の子でもできること/国際NGOプラン・インターナショナル・文 金原瑞人・訳/西村書店/2020年

 

 最初に赤ちゃんの写真とともにどこの国の子か説明があり、そのあとは十歳前後の子の写真が。そして 子どもが、いまおかれている状況がでてきます。

 「男の子は、生まれたときからいろんな夢が もてる、いろんなことを させてもらえる。その反面、戦って 勇敢になれといわれることも。」

 女の子は・・・。

 いきいきした子どもの顔をみると、こちらもうれしくなります。だが、この先を見ると 理不尽なことがいつなくなるかという思いも。

 タイトルの”でも”に ひっかりました。

 「ぼくは いいたいことが いえる」・・でしょうか?

 「いつか ぼくに 女の子が 生まれたら、その子も いいたいことが いえるといいな」・・”いいな”でいいのか?

 「ぼくは 男の子だけど、みんなの世界を つくりたい」・・”男の子だけど”は、よぶん?。

 

 男の子はめぐまれているのだからというトーンが強すぎて どうもすっきりしませんでした。


ぼくのたからもの

2024年10月23日 | 絵本(日本)

    ぼくのたからもの/鈴木 まもる/アリス館/2015年

 

 小学1年生のジュンくんが、ある日、2階の窓の近くにメジロが巣を作っているのを見つけました。

 メジロが、みどりのコケを 白い糸みたいなもので、ひっかけています。お父さんがクモの巣からとってきた糸だとおしえてくれました。

 ジュンくんが観察していると、一日一個の空色の卵を産んで、四つになったら卵をあたためだしました。

 お母さんが出産したころに、ヒナもうまれます。

 お母さんの子育てと、メジロの子育てが並行していきます。
 やがて、ヒナたちも、羽をバタバタさせて巣立ちの練習です。そしてある朝、巣がからっほになって、巣立ちです。

 赤ちゃんとメジロによせるジュンくんの思いやりとやさしさがつたわってきます。子どもたちが小鳥の成長をじっくり観察できる機会があったらいいですね。

 お父さんもクモの糸が、巣の材料になる、ヒナが飛べるようになるともう巣はつかわないと、教えてくれる頼もしいお父さんです。

 ヒナが巣だってつかわなくなった巣は、まちがいなくジュンくんの宝物でしょう。

 鈴木まもるさんは、画家・絵本作家で鳥の巣研究家でもあると紹介されています。

 ところでメジロが、我が家の柿の実をついばんでいるのを見ました。でも体の大きなヒヨドリやムクドリがやってきて、追い払われてしまいました。


ふしぎな大名行列・・宮城

2024年10月22日 | 昔話(北海道・東北)

      宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年

 

 むかし、きれい好きなおばあさんが、たった一人で暮らしていた。おばあさんは毎日、囲炉裏の灰をきれいにならし、”火消し壺”には、ちゃんと蓋をしていた。

 ところがある朝、火消し壺の蓋をとると、その中から、大名行列が、ぞろぞろでてきて、「タギョウ タギョウ」といいながら、囲炉裏のなかをぐりーっと、ひとまわりして、「かきならす 灰は浜辺の潮に似てて・・・」って、歌の半分、上の句だけよんで、ぺろぺろって、壺に はいっていった。

 それが毎朝続くので、おばあさんが物知りおじいさんに相談にいくと、おじいさんは、「あんたの家で、半分よんだ人があったかもしれないから、下の句をつけ」るようにいう。
 物知りおじいさんが、いろいろ工夫して下の句をつけた。

 つぎの朝、「タギョウ タギョウ」って、大名行列がでてきて、壺のところに来ると、「かきならす 浜は浜辺の潮に似て・・」というので、おばあさんは、おじいさんから教えられたとおり、「波かと聞けば 松風の音」と、それにつけた。

 すると、つぎの日から、大名行列は出なくなったんだと。

 

 「かきならす 浜は浜辺の潮に似て 波かと聞けば 松風の音」・・風情のある歌ですね。


きみも こねこなの?

2024年10月21日 | 絵本(外国)

  きみも こねこなの?/エズラ・ジャック・キーツ・作絵 当麻ゆか・訳/徳間書店/2017年

 

 4匹のこねこがあそんでいるところに、1匹のこいぬがやってきて、「きみも こねこなの?」といわれ、おもわず「えっと……そう!」と答えたこいぬ。
 それじゃあと、いっしょに ミルクを 「ペチャペチャ」。

 ところが こいぬはこいぬ。こねこが、「ニャーオー!」と鳴きますが、こいぬは 「ニャ・・ワンワン!」、椅子から落ちて、「キャン」。
 ねずみを みんなで おいかけますが、穴のところで、「ドン!」

 おかあさんがむかえにくると、「こんどは、みんなが こいぬになってね」と、わかれのあいさつをしたこいぬでした。

 

 背景は最小限で、大きくえがかれたこねこ、こいぬの表情がなんともいえません。


カラオの洞窟・・フィリピン

2024年10月20日 | 昔話(東南アジア)

   フイリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之・編訳 三谷靭彦・絵/小峰書店/1989年

 

 天地創造の昔話(神話に近いのかも!)。

 ずっとむかし三人の神さまがいました。いちばんえらい神さまが、バタラ神といって天空を支配していました。そして大地をキャプタン神が、海をマグアエン神がおさめていたのです。ある日、バタラ神が、キャプタン神に人間を創るように命じました。

 キャプタン神は山の中腹にかまどをつくりました。それから河岸から両手に一つかみづつの粘土をとってきて、人間の形にこねあげ、それをかまどにいれて焼きあげました。かまどからだしてみると、それは焼けすぎて黒くなっていました。この人たちが黒人の祖先になったのです。

 つぎに、キャプタン神は、最初のように男と女の姿をつくり、それをかまどに入れて焼きました。今度は焼けすぎないように、はやくかまどからだしたので、色が白っぽくなりました。この男と女の人が、白人の祖先になったのです。

 つぎに、キャプテンは、山のてっぺんから粘土をとってきて、男女の姿をつくりかまどにいれました。今度は、薪に生の木を使ったので、でてきた人間は黄色い色をしていました。この男女が黄色人種の祖先になったのです。

 キャプタンがバタラ神に相談し、畑と海の底からとってきた粘土ををまぜ、焼き上げると、男も女もちょうどよい具合に焼きあがっていました。褐色かがったちょうどよい色に。この人たちがフィリピン人の祖先になったのです。

 そしてこのカラオのかまどでつくられた人たちが世界中にひろまっていったのです。

 マグアエンは、人間と違う生き物をつくろうとして、雄と雌の二ひきの猿をつくってしまい、猿を追い払ったので、猿は木の上に住むようになったのです。

 それからマグアエンは粘土からいろいろの大きさや形の生き物をつくりあげました。それをかまどで焼いてとりだすと、海の中になげてやりました。海になげこまれたのは、魚やほかの生き物になりましたが、沼地に落ちた生き物は、森の動物になり、河岸に落ちたものは、ワニやカバや蛙のように陸でも海でも生活できる動物になりました。

 ふたりの神が使ったかまどは、カラオの洞窟とよばれています。

 

 生き物の誕生は、古来からの疑問であったでしょうから、世界各地におなじような話があってもおかしくありませんが、神話の領域でしょうか。


りょこうに いこう!

2024年10月19日 | 五味太郎

    りょこうに いこう!/五味太郎/偕成社/2024年

 

おうちは りょこうに いかないのさ ふつう

ところが ところが うちが りょこうです

りょこうに いってきまーす!

りょこうは なんといっても のりもの トラックで移動

そのあとは 船 

街に 砂漠に

りょこうは かえりが だいじ

すべりこみセーフで 旅行に行った 家族を おむかえです。

ページの片隅にある よく読めない マークは?

 

おうちは つぶやいています。 

「ぼく ホテルは いらないよ・・」

「どこまでも あるいて いきます! それが りょこうと いうものです」

誰かきたのか?の住民の疑問には「きたんじゃないよ いってきたんですよ・・」

 

Adios! さけんでいるサボテンは メキシコか?


ごんだら村・・宮城

2024年10月18日 | 昔話(北海道・東北)

      宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年

 

 村の若いもんが、おみつというむすめに朝に夕に「おみっちゃん、おみっちゃん」と声をかけるが、おみつはいっこうに耳を貸さなかった。いつのころからか、そんなおみつの顔色が悪くなり、口数も少なくなった。

 おみつの母親が、何か心配事があるのではと、となりのばあさまに相談をした。おみつが話したのは、「おらこのごろ、すきな人できた。」。ばあさまが名前を聞こうとしたが、ほかの村の人だという。村では、ほかの村のものというと、歓迎されなかった。

 ばあさまが、なにかふしぎなことなかったかときくと、その男は毎晩、家の人が寝静まると同じような時刻に来て、朝は夜の明けないうちに帰るという。つづけて、その男の体はとっても冷たいという。たまげたばあさまは、「今夜小豆をにて、その汁をとっておけ。その人きたたらば、その汁をあっためて、寒かったからあったくなるように足をあらってやれ。足さえ洗えば、男の正体がわかるから。」

 おみつが、ばあさまからいわれたように、男の足をあらってあげると、男はだんだん元気がなくなって、「おみっちゃん、おら、なんだか、とっても体がだるくなってきた。すまねえが、早く帰らせてもらうから」といって、その夜のうちに男はかえっていった。

 あくる朝、漁師が浜にいくと、おおきなタラが波打ち際で死んでいるのを見つけた。それを聞きつけた村の人は、タラのあまりのおおきさにすっかりきもをぬかれてしまった。

 いっぽう、となりのばあさまは、「ああ、やっぱり。タラであったか。」と独り言。

 だれがとってきたタラかわからないが、村の浜にきたから、みんなのものだ、と、大タラを切って売ることにした。なんと、切られたタラの肉は、馬車五台分。それで、じぶんたちの村を”五だんたら村”と呼ぶことにした。

 いっぽうおみつは、男の正体を知って、はらがいたくなり、タラの子を山のようにうんで、タラのあとをおうように死んでしまったと。

 おみつのいた”五だんたら村”は、いつのころからか、ごんだら村と呼ばれるようになったど。

 

 ちょっとかわいそうになる話です。