どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

なぞなぞ

2025年01月31日 | いろいろ

    現代アジア児童文学選5/アジアの笑いばなし/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・監訳/東京書籍/1987年

 

 いろんな国の頭の体操なぞなぞ。答えは下にスクロールして・・。

 

1 水を飲んだら死んじまうもの、なあに?(韓国)

2 つかめない、もてない、でも体を生き返らせてくれるもの(インドネシア)

3 一本足の白い男(スリランカ)

4 おまえあっちいけ、わしゃこっちいく。結ぶ野原であいましょう(日本)

5 上は算数、下はブランコ、なあに?(日本)

6 しっているかい、そいつは、空を飛ぶんだぜ、つばさもないくせに、首に糸をひっかけただけでさ。(パキスタン)

7 ふたりの男がエビをとるため、水にとびこんだ。みずから出てきたとき、ひとりの髪の毛はぐしょぐしょだったが、もうひとりは そうじゃなかった。どうしてか?(パプア・ニューギニア)

8 一つの箱にあな七つ。なあに?(ビルマ)

 

 

 

 

 

 

 

1火 2水 3きのこ 4おび 5柱時計 6たこ 7ひとりは、はげだった 8頭、顔


指一本の意味するもの

2025年01月30日 | 創作(外国)

   現代アジア児童文学選5/アジアの笑いばなし/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・監訳/東京書籍/1987年

 

 国家試験を目前にひかえた三人の受験生が、結果をうらなってもらうため、ある占い師のt子へ行きました。

 すると、占い師は、なにもいわず、ただだまって指を一本立てて見せました。

 結果が発表されてみると、三人のうちひとりだけが合格しており、おかげで、この占い師の評判はぐんとあがりました。

 占い師の弟子が、どうしてそれがわかったか たずねると、占い師は、「成功の秘訣は、ものをいわぬことじゃ」と、いいました。そしてこうつけくわえました。

 

 指を一本立てると

 三人のうち一人だけが合格するという意味にとれる。

 ふたりが合格しているなら、ひとりがおちると意味にとれる

 三人そろってとおったとすると、三人そろっていちどに合格したという意味にもとれる

 

 なるほど、沈黙は金か。


助友・・広島

2025年01月29日 | 昔話(中国・四国)

      広島のむかし話/広島県小学校図書館協議会編/日本標準/1974年

 

 力持ち 助友の ほのぼのとした話。

 ・ある年、大雨が降り続き、川下で家が流れそうになったとき、助友が、がんじょうな戸板をもってきて、川の水をせきとめると、水を川上におしあげ、家が流れることを防いだ。

 ・助友の住んでいる村に、寺の釣り鐘をはこんできた一行が、その日、宿をとることになり、いろんな道具が盗まれないようにかたずけたが、さすがに釣り鐘は、盗まれないだろうと、広場に残した。この一行を驚かしてやろうと、助友は、釣り鐘を 広場のそばにあったさがり松の枝へ、その釣り鐘を かけておいた。
 朝になって、広場においた釣り鐘が見つからず、大騒ぎになると、助友がゆっくりやってきて、釣り鐘を松から降ろすと、すたすた帰っていった。

 ・助友のことを伝え聞いた、九州の力持ちが、力比べにやってきたが、助友が、道の真ん中でドスンドシンとしこを踏むと、ひざまで土の中へめりこんだので、九州の力持ちは、とてもかなわないと、逃げかえっていった。

 ・子どもから、「草取りをして、おじさんにまけたら、家の手伝いをする。おじさんが負けたら薪をいっぱいつくっておくれ。」といわれた助友が、草取りの競争をはじめますが、草取りには力の出しようがなく、約束にしたがって、薪を作ることになった。助友は、うら山へ行き、大きな枯れ木を一本引き抜くと、たちまち、いっぱい薪を作ってかえってきました。よろこんだのは子どもたちでした。

 

 とんでもない力持ちではなく、ほどほどの力持ちというのが、うれしい話。


サヤエンドウじいさん・・ポーランド

2025年01月28日 | 昔話(ヨーロッパ)

   世界の民話/サヤエンドウじいさん/内田莉莎子ほか作 むらかみ ひとみ・絵/日本標準/2007年

 

 ある、村に、イェジーじいさんという、おじいさんが、孫たちと いっしょに くらしていました。ただ、おじいさんは、こまったことに、ほらをふくくせがあって、いつも、でたらめばかりいっていました。口癖は、「わしは、こんな、貧乏暮らしをしているが、いつでも大金持ちになれんだ。サヤエンドウじいさんという 魔法使いがいてな、わしの、言いつけなら、なんでもきいてくれるからさ。」

 さてある日、イェジーじいさんは、畑の番をたのまれ、ちょっと番をしただけで、あげまんじゅうと、スイカと、上等のハムがもらえると いばりました。ところが、もらったのは、小さなキャベツが三つ。そのとき、イェジーおじいさんは、サヤエンドウじいさんにたのめば いいと思い出し、サヤエンドウじいさんをよぶと、なんと、エンドウの花が、ゆらっと ゆれて、こびとのおじいさんが、とびだしてきました。サヤエンドウじいさんは、もう二度とうそをつかないなら、しあわせをさがしにいこうと、旅にでました。

 サヤエンドウじいさんは、小麦でやいたもちをもっていました。旅をするうち、やいたもちは、だんだんへって、あとふたつきりになりました。「今夜は、がまんして、朝まで のこしておこう。」と、サヤエンドウじいさんは、そう言ってねましたが、イェジーじいさんは おなかが、すいてねむれず、とうとうやいたもちをひとつ、食べてしまいました。

 よくあさ、サヤエンドウじいさんは、「ふたつあった、もちのひとつを食べてしまっただろう」と聞きましたが、イェジーじいさんは、食べないと しらを切りました。

 旅を続けているうち、イェジーじいさんは、「わしは、火の中にだって とびこむことができる。火事のときには、いつも、火をくぐって 財産を助け出してやるんだ。あつくも、何ともない。火事だって けしてやるのさ。」と、でイェジーじいさんはまかせをいいました。そのとき、村で火事がおこり、火事を消してくれるようたのまれたイェジーじいさんでしたが、このとき、サヤエンドウじいさんは「たすけてやろう。だが、その前に、本当のことを言いなさい。もちをたべなかったとか、火事をけせるとか、うそをついただろう。」といいますが、イェジーじいさんは、「もちはたべていない、火事を消せるといったおぼえもない。」と、いいはります。それでも、サヤエンドウじいさんは、おおきなじょうろで、水を火にかけました。

 その後も、イェジーじいさんは、「一日中だって、水の中にもぐれる」といって、おぼれそうになったり、「おきさきさまの、はたおりむすめの病気をなおせる」といって、首を切られそうになったりします。そのたびに、サヤエンドウじいさんは、「もちを 食べたと、正直に いうかね」といいますが、イェジーじいさんは、ほらをふいていないと 言い続けます。それでも、サヤエンドウじいさんは、イェジーじいさんをたすけました。

 やがて、サヤエンドウじいさんは、金貨をあげて、「これからは うそをついているうちは、たすけてやらない。」と、ねんをおします。

 村の近くに来ると小山のような、あばれウシが 走ってきて、赤い上着をきた孫めがけて、ツノをふりたてて、おそいかかろうとしました。イェジーじいさんが、サヤエンドウじいさんを大声でよぶと、サヤエンドウじいさんは、「もちを食べたと、正直に言うか」とききます。

 孫が大事なイェジーじいさんが、もちを食べたことを白状すると、・・・。

 

 サヤエンドウじいさんは、うそをついているのがわかっていても、イェジーじいさんを助けてあげる ふところの広いかた。

 自分のことはともかく、孫が 大事というオチに納得。イェジーじいさんは、どこかの国のえらい方と重なりますが、このかたが、嘘を認めることがあるのでしょうか。


招待

2025年01月27日 | 創作(外国)

   現代アジア児童文学選5/アジアの笑いばなし/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・監訳/東京書籍/1987年

 イランの皮肉たっぷりのショート。

 貧しい暮らしをしている老人が、お金持ちから食事にまねかれました。けれども、いつものぼろを身にまとっていたので、だれからも客あつかいしてもらえず、宴会のご馳走も、残り物をすこし食べさせてもらえただけでした。

 一週間後、老人は、またおなじ家にまねかれました。老人はこんどは、手立てを尽くしてようやく借りた、すばらしくりっぱな衣装を身に着けてでかけていきました。

 老人が、その家につくと、うやうやしくでむかえられ、食事のときは、テーブルの上座につくようにすすめられました。

 さて、ごちそうがはこばれてくると、老人は、まずごはんをとって、それを、きている上着の片方のそでぐちからなかへいれました。それからもう片方のそでには、鳥の丸焼きをおしこみました。あっけにとられているほかの客にはかまわず、ふくらんだそでにむかって、こういいました。

 「どうぞ、おすきなだけめしあがってください。きょう、わたしが、こうして丁重なおもてなしをうけているのは、みな、あなたさまゆえのことなんでございますから。」

 

 創作ですから、誰が書いたものかが気になりますが、とくに著者名はふれられていませんでした。

 


りこうな蛇使い・・モロッコ

2025年01月26日 | 昔話(アフリカ)

    マディバ・マジック/ネルソン・マンデラ・編 和爾桃子・訳/平凡社/2023年

 

 あのネルソン・マンデラ!が選んだ子どもたちのためのアフリカ民話とあります。

 

 スルタンは、お抱えバイオリン弾きが、きれいな音楽を数日ぶっとうしで聴かせてくれると、それにも飽きて、すぐにバイオリン弾きの首をきってしまう王さま。

 ハープ弾きも、すぐ耳について、首をはねられてしまう。ほかにもおおぜいの人が、気晴らしに呼ばれるが、スルタンは、すぐに首をはねてしまえという。

 ところが蛇使いのセラムは、わざわざ宮殿に出かけ、蛇を笛であやつり、自分の両足や首に巻きつかせた。ここでもスルタンは、「もうその笛にも蛇たちにも飽きた。だから首をきらせるからな」という。セラムがあと一回だけ機会をくださいというと、スルタンは、「動物に乗りながら歩いてくれば、機会をあたえる。」という。

 つぎの日、セラムは、見たこともないちいさなロバにのって歩いてきた。

 つぎにスルタンは、首切り役人に引き渡されたくなければ、三つの質問に答えるようにいい、「天の星はいくつか?」たずねました。

 セラムのこたえ。「天の星は、このロバの体の毛からしっぽの毛を差っ引いただけでございます。なんでしたらごじぶんで数えてごらんなさい」

 つぎのサルタンの問い。「わしは、大地のどのへんにいる?」
 セラムの答え。「どまんなかです」

 つぎのサルタンの問い。「わしのあごへげは何本ある?」
 セラムの答え。「このロバのしっぽの毛とぴったり同じです。おひげを切ってくだされば、ロバのしっぽも切ってさしあげますよ」

 三つの質問に答え、セラムは黄金の袋をもらうと、ちいさなロバにのって、宮殿の門からでていきました。

 

 なぞなぞの答えが、いまひとつでしょうか。 この後、スルタンは首を切ることをやめたかどうか?


耳なし芳一・・山口

2025年01月25日 | 昔話(中国・四国)

     山口のむかし話/山口県小学校国語教育研究会国語部会/日本標準/1973年

 むかし、琵琶をひくことがじょうずな目の見えない芳一という若い坊さんがいました。得意にしたのは平家物語を語ることでした。

 ある夏の夕暮れ、あちこちにまねかれ、琵琶をひいてつかれきって寺にもどり、うたたねをはじめました。しばらくうとうとしていると、庭先のほうに、人の気配がしました。芳一が聞き耳をたてると、「琵琶をひくのが、上手と聞いて、高貴な方がぜひ聞きたいとおおせられるので、わたしについてきてほしい。」と、低い声。せっかくなのでうけることにした芳一は、武士らしき男に連れられて、屋敷の廊下伝いにいくと、そこは大広間のようでした。まわりには、たくさんの人がいるらしく、小声でささやきかわす話声が聞こえてきました。そこで芳一は、上品な女の人の要望で壇ノ浦の合戦を語りました。

 芳一の語りは、壇ノ浦の合戦をうかびあがせてみせるようでした。芳一は、一心に琵琶をかきならし、声もかすれんばかりに、熱情をこめて語り続けました。人々の間からは、かなしみをこらえきれずに、涙に声をつまらせて、はげしく泣く人まででてくるほどでした。

 語り終わると、年老いた女の人が、芳一の耳のそばに身を寄せてきて、ささやくように話しかけました。「また、あしたの晩も、きておくれ、けれどもこよいのことは、だれにもいう出ないぞ。七日七夜、人にいうてはならぬぞ。」

 芳一は、つぎの日も、むかえの武士にさそわれ、前の晩とまったく同じように、心をこめて、琵琶をかきならし、声をはりあげて語りました。しかし、夜がふけるまで語り続けるので、いくら若い男とはいえ、身はくたくたにつかれはててしまいました。

 三日目の朝、仲間の坊さんが、芳一のようすが、いつもとちがうことに気づきました。腫れぼったい目、青白い顔、病人のような芳一をみて、坊さんたちは、目をなはさいように注意しました。夕暮れ時になると、しとしと小雨がふるなか、琵琶をもってでかける芳一のあとをおいかけた坊さんは、驚くような光景を目にしました。芳一は平家一門のお墓の前に正座して、雨にずぶぬれになりながら、一心に琵琶をかきならし平家物語を語っているのでした。壇ノ浦のおわりの場面が近づくと、平家一門のお墓の上に、赤い火が浮かび、青い火がふうッとながれ、ゆれうごいていました。

 芳一が平家の亡霊に取りつかれていると思った坊さんは、急いで寺にかえり、見たことをおしょうさんに話しました。おしょうさんは、つぎの朝、芳一をまるはだかにし、筆にすみをたっぷりつけて、ありがたい経文を、頭に先から足の下まで、ぎっしりと書きつらねていきました。そして、だれがきても返事をしないようにいいます。

 さてその夜も芳一を連れ出そうとする使いの武士がやってきますが、芳一の姿は見えません。だが、暗闇のなかに、耳がうかんでいるのがみえ、二つの耳をちぎり取ってしまいました。やがて法事からかえってきたおしょうさんは、白い着物を、真っ赤な血でべっとりぬらした芳一を見て、耳だけに経文をかくのを忘れていたことに気づき、芳一の耳の傷口の手当てをしてやりました。

 それからも芳一は琵琶の名手として人々から愛され、いつのまにか「耳なし芳一」とよばれるようになりました。

 

 小泉八雲の怪談で広く知られるようになったこの話、山口にふさわしい昔話です。夏の夜に語ると雰囲気がでそうです。

 

   耳なし芳一/小泉八雲・原作 船木裕・文 さいとう よしみ・絵/小学館/2006年

 絵巻物をくりひろげていくように展開します。

 滅ぼされた平家の怨念が伝わってくるかのような絵。蝋燭の明かりも、暗闇にすいこまれそう。

 耳なし芳一は、戦いで死んだ者の怨念を語りつぐ、語り部か?

 

 自分のイメージするものをはるか超える絵の力に圧倒されました。


ザガズー

2025年01月24日 | 絵本(外国)

   ザガズー/クエンティン・ブレイク・作 谷川俊太郎・訳/好学社/2002年


 楽しく暮らすジョージとベラのところへ、ある日小包が届きます。中には ちっちゃな ピンクの いきものが。「ザガズー」と名札もついた赤ちゃんでした。
 はじめはしあわせな ひびを すごしていましたが、ある日、おおきなはげたかの 赤ん坊にかわって、おそろしいキイキイ声でなきます。
 そして、朝起きてみると、ザガズーは ちっちゃな ゾウになっていました。家具にぶち当たり、テーブルクロスを ひきぬき、鼻でつかめるものは、なんでも口にいれます。

 ザガズーは、それからも、イボイノシシに、怒りっぽいりゅうに、こうもりに・・・・

 

 子育ての経験を、動物にたとえた ユニークな絵本。子育てに苦闘している人にとっては思い当たること多そうです。

 それだけではありません。ザガズーが、若者になり、彼女ができて ふたりで ずっといきていたいと両親に いいにいったら ジョージとベラは、茶色のペリカンに かわっていました。

 たしかに、人は、年をとると、行動が不自由になり、ある場合には、認知症になるなど、若者には、動物のように見えるのかも。


 人生は、無事に成長できるとは かぎらないので、「じんせいって びっくりつづき」です。


ナマコと若者のかけくらべ・・広島

2025年01月23日 | 昔話(中国・四国)

     広島のむかし話/広島県小学校図書館協議会編/日本標準/1974年

 

 ”うさぎとかめ”のかけくらべなど、知恵で相手をやりこめる話も多いが、意外と日本にはすくなさそう。

 

 広島版は、なまけものの若者とナマコのかけくらべ。

 こうした話の定番では、複数が協力して、相手の鼻をあかしますが、おなじような展開。

 この話のオチが楽しい。ナマコは若者に、さとします。

 「おまえさんは、このようなナマコに負けてどうするのだ。ナマコだって、やろうと思えばなんでもできるのだ。まして、人間ではないか。おおまえさんも人間らしく、なんでもいいからいっしょうけんめい働くのだ。」

 なまけものだった若者は心をいれかえて、まじめに働き、やがて三人の子どもの父親になったという。

 

 ところで、ナマコの移動速度ですが、一日180cmとしているものや1200cmとしているものなど幅がありました(条件によってちがいがあるようですが)。


バラモンの若者とゆうれい・・インド

2025年01月22日 | 昔話(アジア)

  りこうな子ども/アジアの昔話/松岡享子:編訳/こぐまのどんどんぶんこ/2016年

 

 ゆうれいが 木の上に住んでいるというのは!

 

 年老いた母親から「はやくよめを もらうよう」いわれていた、ひとりの若者が、おもいきって町へ行くことにしました。というのは、この家には、小さな小屋が一つと、ネコの額ほどの畑があるきりで、結婚式を挙げるお金もなかったのです。

 母親は、お金より、息子が いっしょにいてくれるほうがいいと、話しましたが、息子は、よめをもらうためと、母親に別れを告げました。

 ふたりがすんでいる小屋のすぐわきのボダイジュの木に、ゆうれいがひとり、すみついていて、母親と息子の話を.聞いていました。ゆうれいは、「若者が出かけたら、若者にばけてみがわりになってやろう。そうすりゃ、あの小屋でぬくぬくとくらせるし、あいつの母親が料理したものが、くえるってわけだ。木の上でさむいおもいをしてくらすのは、もうあきあきした。ゆうれいでいるのも、もうたくさんって気分だ。」

 夜、ゆうれいが、若者にそっくりの姿で小屋の戸を叩くと母親が出てきて、不審がりますが、「貧乏でも、やっぱり、かあさんを一人にしておくことはできない」というので、母親は喜びました。こういうわけで、ゆうれいは、母親の息子として、小屋でくらすようになりました。

 さて、一年が過ぎて、バラモンの若者が村に帰ってきました。ところが小屋には、自分とそっくりの若者がいて、口論になりました。母親もバラモンの若者より、ゆうれいの若者が じぶんの息子だといいはり、息子を、うちから おいだしてしまいました。

 悩んだバラモンの息子は、王さまに訴えますが、ふたりがそっくりだったため王さまも判断できませんでした。

 助け舟を出したのは、とある原っぱであそんでいた子どもたちでした。子どもたちは、少し土の盛り上がったところにすわっている、かしこそうな顔をした少年のところにつれていきました。バラモンの若者は、自分がからかわれているのかと思い、不機嫌になりましたが、はなしても むだかもしれないが、すくなくとも悪いことにはなるまい。若者はそう考えて、これまでのことをのこらず話しました。

 土の上に座っている少年は、「おまえのもんだいを かいけつできる」が、それには、さばきの場に、王さまも大臣も、村びとも、一人残らず たちあわねばならんと、条件を付けました。
 バラモンの若者は、そうするよりほかに道はないだろうと、勇気をしぼって、王さまのところへ行くと、なんと、王さまは、でかけることを約束してくれました。王さまは、自分が解決できなかったことを、解決してみせるというから わざわざ でむいてきたといい、うまくいかなかったら おもい罰をうけるぞ ともうしわたしました。

 土の上にすわっていた少年は、首のところがほそいビンをだすと、こういいました。「このビンの中に入ることのできるものが、この女の息子であり、小屋の正当なもちぬしである。」

 バラモンの若者は、そのような奇妙なやりかたでことをきめるとは、と抗議しようとしました。ところがゆうれいの若者は、かちほこったように、ニヤリとわらって、たちまち 小さな虫ほどになって、ビンの中にとびこんでしまいました。少年は、ビンを海へ投げ捨てるようにめいじ、母親もダマされていたことを王さまに言いました。

 王さまは、そのような若さで、どうして、それほどの知恵を身につけたか尋ねました。少年は、「力は、すべて、ふしぎな土まんじゅうの中から でてくる」とこたえました。王さまが、そこをほらせると、土の中から世にも美しい玉座がでてきました。玉座は、たくさんの宝石でかざられた台座の上にのっていて、台座には三十二人の天女のぞうがささえていました。天女は、玉座のいわれを話すと、玉座を空中に持ち上げ、そのまま どこか遠くへ 運び去っていきました。

 

 ”バラモン”は、子どもにはわかりにくいので、ほかの表現か、つかわないようにしたほうがよさそう。


おらは うーたん

2025年01月21日 | 絵本(日本)

   おらは うーたん/たしろ ちさと/文研出版/2024年

 

 オランウータンのうーたん。お母さんが、買い物にいって ひとりでお留守番。

 うーたんは、おもちゃを全部出して あそび、へやは おもちゃだらけ。

 お風呂で水をじゃじゃだして 遊び

 台所から 食べられるものを全部だし ピクニック

 階段の手すりは すべり台

 でんきにぶらさがって ゆらーりゆらーり

 ベッドでは とらんぽりん まくら投げ

 洗濯もので遊び

 

 おかあさんがかえってきて・・

 肝っ玉かあさん ちょっとのことでは おどろきません

 なんと うーたんといっしょに 洗濯ほしのロープにぶら下がっています。

 

 小型の絵本。なんとも ふところの ふかい おかあさん。これだったらストレスは たまらないかな!


マウイのしごと・・ニュージーランド

2025年01月20日 | 昔話(オセアニア)

   世界の民話 サヤエンドウじいさん/内田莉莎子ほか作 むらかみ ひとみ・絵/日本標準/2007年

 

 マウイは六人兄弟のいちばん下にうまれましたが、たいへんみにくかったので、おかあさんは、マウイを海へ投げこんでしまいました。天の神さまたちがそれを見て、マウイを助け、空の上で、おおきくなるまで、だいじにそだてました。

 おおきくなって、うちへかえってきたマウイは、五人の兄さんたちに、魚をつきさす もりの作り方や、ウナギを取るわなのかけ方を おしえました。

 間もなく、マウイは大きな仕事に とりかかりました。まずはじめに、むかしの女の人の あごほねで つりばりを作って、海から、島をいくつも つりあげました。その中のひとつは、とても おおきく ニュージーランドという島がうまれました。

 そのころ、お日さまは、いまとちがって ものすごくはやく うごいていて、作物がよくできなかったので、ひとびとは こまっていました。マウイは、なわのまんなに、丸い輪を作ってお日さまをつかまえ、うごけないように してしまいました。それから、魔法の杖で お日さまを びしんびしんとたたいたので、お日さまは、ゆっくり うごくやくそくをしました。

 そのころの人たちは、なんでも、なまのままで食べていました。マウイは、地面のそこへおりていって、あくまどもをやっつけて、火の秘密を ならってきました。

 さてマウイは、こんどは、人間が いつまでも生きられる力を あたえてくれるよう月の女神のところへいきました。ところが月の女神は、マウイのたのみを聞いてくれるどころか、いきなりマウイをつかまえて、ぱっくり、ひとのみにしてしまいました。マウイは、人間が、いつまでも生きられるようにしてやろうとして、自分の命を、うしなったのです

 

 (マウイの話は、南太平洋に広く分布しているという)


ハシビロコウがいく

2025年01月19日 | 絵本(外国)

   ハシビロコウがいく/文・ヤウキェ・アクフェルト 絵・ピート・フロブラー 訳・ひろまつ ゆきこ/BL出版/2024年

 

 パックと魚をのみこんだハシビロコウ。また魚をもとめて、行方不明。

 ハシビロコウが、付近にないことを いいことに、ほかの鳥たちが、かげくちを言いたい放題。

 クラハシコウ:「ずんぐりむっくり でっかいくちばし」「あれは もう くちというより、くつだよね」

 ヒメヤマセミ:「あんな頭、みたことあるかい? 首が おれなきゃいいけどね! あれは、もはや鳥の頭じゃない。クジラの頭だ!」

 コサギ:「あの足よ! おおきいのなんの、とんでもない 大きさよ・・ あれはもう、ホッホッ、足というよりボートじゃないの!」

 サンシュウミワシ:「あのつばさだよ! まるで、きょうりゅうの はばたきじゃないか。みっともない。ひんがないっていったら、ありゃしない」

 

 かげぐちといいながら、ハシビロコウの特徴をうまく 表現しています。

 動かない鳥として有名なハシビロコウが、とんでもないことをしていました。

 

 聞きなれない鳥が出てきて、これは絵をみるしかありません。ちょっと とぼけた ハシビロコウが いい味を出しています。

 

 ハシビロコウは、身長?110-140cm、翼を広げた長さは、230-260cm、体重は5キロ前後。
 和名は「嘴の広いコウノトリ」、英名 は「靴のような嘴」、学名は「クジラ頭の王様」という。名は体を表しているよう。


あわれな あくま・・スウェーデン

2025年01月18日 | 昔話(北欧)

    こども世界の民話(下)/実業之日本社/1995年
    世界の民話 サヤエンドウじいさん/内田莉莎子ほか作 むらかみ ひとみ・絵/日本標準/2007年

 

 悪魔が人間の言うことを信用しなくなったのには、こんなことがあったようですよ!。

 

 ある村のお百姓が、雌牛を牧場につれていって「神さま。いつも、わしらをおまもりくださってありがとうございます。この雌牛に、草をたっぷり、たべさせてやってくださいまし。」といのりました。

 悪魔はそれを茂みの中から聞いていて、しゃくにさわりました。「人間ってやつは、何でも、うまくいくと、神さまにお礼をいう。ところがわるくいくと、きまって、おれのせいにするんだからな。ちくしょうめ、みていろ。」

 それからニ、三日たって、雌牛が沼に落ちてでられなくなると、お百姓は「ひどいことをしやがる。また、悪魔の奴のいたずらだな」と、おこりました。

 「やっぱり、俺の思っていたとおりだ。」悪魔は、お百姓が、雌牛をひっぱりだすために、手伝いの人をよびにいったあいだに、雌牛をひっぱりあげておきました。

 今度こそ、礼をいわれるだろうと思った悪魔でしたが、お百姓は「神さま。よく雌牛を、引っ張り上げてくださいました。お礼を申しあげます」と、おおよここびでいいます。

 

 短い話ですが、神さまも ときには残酷ですから、悪魔の悩みも もっとも。

 ”悪魔”ではなく、”あくま”という表現がよさそう。


ラブリー オールド ライオン

2025年01月17日 | 絵本(外国)

  ラブリー オールド ライオン/ジュリア・ジャーマン・作 スーザン・バーレイ・絵 こだま ともこ・訳/フレーベル館/2015年

 

 レニーのおじいさんの王さまライオンは、レニーの名前も思い出せなくなり、朝と夜の区別がつかなくなり、すごろくやサッカーの遊び方も忘れてしまったようでした。

 カバおじさんが、「王さまラインは すっかり 年をとって、からだのあちこちが くたびれてきたんだよ。あたまのなかも おんなじさ。だから、わすれんぼうに なったんだ」と、みんなに はなしてくれました。

 じゃあ、「たすけてあげなくちゃ」と、レニーは おじいちゃんがむかしあそんだビー玉をみんなに 見せました。王さまライオンは、ビー玉で遊んだこと、ワニぼうずを からかったこと、水遊びしたことを思い出しました。それから おじいちゃんの ともだちは しょっちゅう たずねてきてくれました。
 おじいちゃんは まえより げんきになりましたが、くたびれた あたまのなかを なおすことはできません。ますます わすれんぼうになって、どんどん いろんなことが わからなくなりました。

・・・・

 やがて、王さまになったレニーも、おじいちゃんの年に近づいてゆき、ちょっぴり わすれんぼうになりました。 

 

 子どもに認知症の話をするのは、むずかしそうですが、「忘れん坊になっても、いつだって そばに いてあげるよ」って、いってあげる存在になるよう 話したいもの。