静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年
山小屋を作り、一人で山仕事をしていたおじいさん。
冬がくることをつげる北風がふきはじめたある日、いろりの焚き木のあたたかさで、ついうとうといねむりをしていました。どれくらいたったか、トントン、トントン、表の戸をたたく音で目をさましたおじいさんでしたが、こんな夜更けに客でもあるまいと、また横になりかけたとき、「ここを、おあけくださいまし。」という声。おじいさんがそっと戸をあけてみると、そこには美しいむすめが一人立っていました。
「道にまよってこまっています。どうぞ火にあたらせてくださいませ。」むすめは、寒さにふるえてやっとこれだけいうと、その場にうずくまってしまいました。おじいさんは、気味悪さが走りかけましたが、むすめがあまりにも弱っているので、家の中にまねきいれ、炉端の席を進め、雑炊も食べさせてやりました。
すると、むすめは、「お礼に、めずらしいものをおみせいたしとうございます」というと、ヒョウタンを取り出し、胸の前でひとふりしました。すると中から、マメつぶほどの雑兵やら大将やらが、ぞろぞろでてきました。そして、「今から、関ヶ原の戦いのようすをおみせいたしましょう。」と説明をはじめました。ならべられた兵隊たちは、東軍と西軍にわかれて、戦いをはじめました。
おじいさんは、時のたつのも忘れて、いっしょうけんめい見入っていました。さて、石田三成がとらえられ、東軍の大勝利がわかると、むすめの説明もそこでおわりました。
おじいさんが、むすめの正体をきくと、むすめは、「にょうらひめと申す者でございます。今夜のことは、だれにも話してはなりませんぞ。」というと、すっと立ち上がり、外へ出て行ってしまいました。
にょうらひめとの約束なので、口をつぐんでいたおじいさんでしたが、ある日、おばあさんに にょうらひめのことを、すっかり話してしまいました。約束より、話してしまいたい思いに勝てなかったからです。にょうらひめのいかりにふれたのでしょうか、おじいさんは、それから床にふして起きあがれなかったといいます。
いまも、山小屋があったというところを「にょうらひめ」とも呼ぶという。
にょうらひめは、関ヶ原の戦いで敗れた死者の亡霊だったのかもしれません。