定本小川未明童話集2/講談社/1976年
小川未明(1882年~1961年)の「童話」は はじめてです。きっかけは、この話を語りで聞いたことです。「童話」というとなかなか手が出ませんが、ずーっと余韻が残りました。
大きな国とそれよりはすこし小さい国が隣り合っていました。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵士が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人、小さな国の兵士は青年でした。
都から遠く、いたってさびしい山で、まれにしか旅する人影は見られませんでした。二つの国の間は何事もおこらず、平和でした。はじめ二人はろくろくものも言いませんでしたが、ほかに話しする相手もなく、いつしか仲良しになりました。国境のところには一株の野ばらが茂っていて、その花には朝早くから蜜蜂が飛んできて、羽音を立てていました。その羽音で申し合わせたよう目を覚まし話をするようになりました。そしてのどかな昼頃には、二人は向かい合って将棋を差していました。
冬が来て、春がくると、二つの国は、なにかの利益問題から戦争をはじめました。突然、二人は敵味方の間柄になってしまいました。青年は、北の方にいって戦いますといって去ってしまいました。青年のいなくなった日から、老人は茫然として日をおくっていました。野ばらには、蜜蜂が日が暮れるころまで群がっています。戦争はずっと遠くでしているので耳を澄ましても鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られませんでした。老人は青年の身の上を案じていました。ある日のこと、そこへ旅人が通りかかったので、戦争がどうなったかと老人はたずねました。旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争が終わったことを告げました。
老人は、そんなら青年も死んだのではないかと気にかけながら、石碑の礎に腰をかけてうつむいていると、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。
そこへおおぜいの人の来る気配がして、みると一列の軍隊で、馬にのって指揮しているのは、かの青年でした。青年は老人の前を通るときに黙礼して薔薇の花をかぎました。老人が何かものをいおうとすると目がさめました。それはまったくの夢でした。
それからひと月ばかりすると、野ばらは枯れてしまいました。その年の秋、老人は暇をもらって南の方へ帰りました。
短い作品なので、老人と青年が どんな生活をおくっていたのか、何を考えていたのかがでてきませんが、青年が去っていくとき、老人は、「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしなったのだ。私はこんなに老いぼれても少佐だ。私の首をもっていけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と青年にいいます。長い間兵士で、これまでも何回か戦争に従事したことがあったかもしれない老人は、この先短い自分の身の上より、青年の未来を案じていました。
野ばらは、二人の友情のあいだがらを象徴的に表していました。
戦争は絶対にごめんですが、国や民族、宗教などがからむと別の力が働いて、いやおうなしに巻き込まれるというのも・・。
のばら/原作・小川未明 脚本・堀尾青史 絵・桜井誠/童心社/2005年
紙芝居の初版は1964年。原作がどう脚色されているか気になっていました。
ふたりが会話をしはじめるあたりが自然です。会話をしはじめると、ふたりの背景が見えてきます。
年とった兵士は、百姓で、牧場と猟場が近くにあるので、遊びにくるよう若者に話しかけます。一方若者はピアニストで兵隊の務めが終わったら演奏会を開く夢をかたります。原作にない部分です。また年とった兵隊は、原作では少佐ですが、紙芝居の対象を考慮したのか、百姓になっています。
また、ふたりで将棋する場面では、原作では、”駒落ち”という表現がありますが、紙芝居ではそのあたりのところはでてきません。
原作では夢の中に死んだ若者がでてきますが、紙芝居では、ピアノの曲に、老人の思いを託しています。
野ばら/小川未明 ・文 あべ弘士・絵/金の星社/2024年
この十月の出版。絵はあべ弘士さんで、まったく予想がつきませんでした。
ウクライナとロシアの戦争はもうすぐ三年、イスラエルとハマスなどとのとの戦争も一年をこえました。この戦争で、数多くの人びとの命がうしなわれ、先行きがみえないなかで、この絵本を出版した編集者の思いがつたわってきました。
あべさんの絵らしく、鳥が舞っています。一株という野ばらが咲くさまは、二ページの大半を使っています。そして小さな国は、城壁で囲まれています。
丘の上の《人殺しの家》には《人殺し3人兄弟》が住んでいました。彼らは12通りの「殺しのメニュー」を用意していましたが、12年前にセールスマンがやってきたのが、唯一のお客でした。そのセールスマンも、しばらくメニューを眺めた後、ゆっくりとそれをテーブルの上において、さようならも言わず、出て行ってしまったのです。
兄弟は、メニューが少ないのではと、もっとすごい殺し方を9通りもの新しい殺し方を考案します。
巡回にやってきた巡査が兄弟に同情し、《人殺しの家》はアチラという看板をつくってあげますが、お客さんが来ませんでした。
看板に「あなたを、もの凄いやり方で殺す《人殺しの家》はアチラ」という説明をつけますが、やっぱりお客さんはやってきません。
次に戸別訪問することにしましたが、一人は夫婦喧嘩にでくわし、「人殺しーっ」「人殺しーっ」の叫び声に、誤解されてはたまらんと逃げ出してしまい、もうひとりは、お嬢さんがスリッパで走ってきた油虫を目の前でバシッと叩き殺すと、ドキリとする間もなく気絶してしまいます。
「寂しいなあ」「つらいなあ」「ふしあわせだなあ」と嘆いているところへやってきたのは、一人のお婆さん。
殺しのメニューをみることなく「ぜんぶやってみてもらいたいんだよ」と、にっこりわらったお婆さん。これがなかなかのお婆さん。
ワニのいる水槽に投げ込むと、お婆さんはワニの横腹にがっぷり食いつきます。
二本のダイナマイトを飲み込んでもらい、スイッチを押すと、ダイナマイトが耳から飛び出し、そのままぽトンと地面に落ちます。
五寸釘をいっぱい植えこんだベッドの上に、お婆さんを寝かせて、その上に大きな石をドスンドシンと乗せていくと、お婆さんは石の下で、気持ちよさそうに眠ります。
ギロチンの刃は折れ、首吊りロープも切れ、毒薬は美味しそうに飲んでしまいます。
殺しのメニューを全部やり終え、「お婆さん、ごめんなさい」「私たちには、才能がなかったんです」と謝る兄弟に「一生懸命やってくれたんだから、文句をいわないよ」と、帰っていくお婆さんを、抱え込んで歩きだすと、村の教会の前で、お婆さんは立ち止まって、いちど大きく息をつくと、そのまま崩れるように倒れてしまいます。
牧師が「お婆さんは今、神様に天国へ召されたのだよ」というのを聞いた兄弟は「俺たちの殺し方がまるっきりだめだってわけじゃないけど、なんていったって神様にあっちゃ、かなわないさ」と納得します。
最近、別役さん(1937.4.6-2020.3.3)のことをお聞きすることがないと思っていたら、昨年の三月に亡くなられていたんですね。この時期、新型コロナの報道一色で知りませんでした。