どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

日記帳 冬ものがたり

2024年12月23日 | 創作(日本)

   日記帳/那須正幹・作/ものがたり十二か月 ふゆ物語/偕成社/2008年

 

 新年をむかえる時期になると、今年こそという気持ちになるが、結局は三日坊主になるというのもたびたび。今年こそ禁煙をとおもっていたら、いつの間にか 何十年! 一日も続かない。

 

 今度こそ、日記をつけようとして日記帳をもとめたヤスオ。「つけだしたらやめられなくような、そんなやつがあればいいんだけどね」というヤスオに、店のおやじさんが、自分も愛用しているという、布ばりの装丁がしてある緑色の当用日記をすすめてくれた。

 本屋のおやじさんがいう、「だまされたと思ってつかってごらん、一年間つづけずにはいられたくなるから」という日記帳を買って帰ったヤスオ。

 新しい年がはじまり、ヤスオはあたらしい日記帳をつかいはじめた。二週間がすぎたころ、うっかりわすれて布団に入った。しかし布団にもぐりこんだものの、すこしもねむれない。なにかの力がはたらいてヤスオをむりやりおこしているみたいだ。きょうはまだ日記をつけていないことを思い出したヤスオが、日記帳をつけたとたん、たちまちねむくなって、朝までぐっすり眠った。

 修学旅行の際、日記帳を持たずに旅行すると、二泊とも一睡もできなかった。どうやら日記帳になにかのしかけがあるにちがいなかった。おかげでその年、ヤスオは生まれてはじめて一年間日記をつけた。

 十二月もおしせまったころ、「去年買った日記帳ね。あれすごくよかった。ことしもあれください」と、ヤスオはふたたび本屋をたずねた。

 ここ、十年ばかりのあいだ日記帳をつけていたという本屋のおじさんは、「あの日記の紙には、とくべつな薬がしみこませてあって、ペンのインクと化合すると、そいつが人間のからだに作用するしかけになっていたんだ、一種の中毒作用でね。一日に一度はそいつを吸収しないとねむれなくなるってわけさ。」といいながら、ゆううつそうな顔でつづけた。

 「この夏、あの日記帳を製本している会社がつぶれてしまってね。もうあの日記帳は売ってないんだよ。いったい来年はどうしたらいいのかねえ。へたをすると、あんたもわたしも永久にねむれないことになっちまうぜ。」

 

 三日坊主を克服するのも大変です。


野ばら・・小川未明 紙芝居の脚色 絵本

2024年12月07日 | 創作(日本)

      定本小川未明童話集2/講談社/1976年

 小川未明(1882年~1961年)の「童話」は はじめてです。きっかけは、この話を語りで聞いたことです。「童話」というとなかなか手が出ませんが、ずーっと余韻が残りました。

 

 大きな国とそれよりはすこし小さい国が隣り合っていました。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵士が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人、小さな国の兵士は青年でした。

 都から遠く、いたってさびしい山で、まれにしか旅する人影は見られませんでした。二つの国の間は何事もおこらず、平和でした。はじめ二人はろくろくものも言いませんでしたが、ほかに話しする相手もなく、いつしか仲良しになりました。国境のところには一株の野ばらが茂っていて、その花には朝早くから蜜蜂が飛んできて、羽音を立てていました。その羽音で申し合わせたよう目を覚まし話をするようになりました。そしてのどかな昼頃には、二人は向かい合って将棋を差していました。

 冬が来て、春がくると、二つの国は、なにかの利益問題から戦争をはじめました。突然、二人は敵味方の間柄になってしまいました。青年は、北の方にいって戦いますといって去ってしまいました。青年のいなくなった日から、老人は茫然として日をおくっていました。野ばらには、蜜蜂が日が暮れるころまで群がっています。戦争はずっと遠くでしているので耳を澄ましても鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られませんでした。老人は青年の身の上を案じていました。ある日のこと、そこへ旅人が通りかかったので、戦争がどうなったかと老人はたずねました。旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争が終わったことを告げました。

 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと気にかけながら、石碑の礎に腰をかけてうつむいていると、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。

 そこへおおぜいの人の来る気配がして、みると一列の軍隊で、馬にのって指揮しているのは、かの青年でした。青年は老人の前を通るときに黙礼して薔薇の花をかぎました。老人が何かものをいおうとすると目がさめました。それはまったくの夢でした。
 

 それからひと月ばかりすると、野ばらは枯れてしまいました。その年の秋、老人は暇をもらって南の方へ帰りました。

 

 短い作品なので、老人と青年が どんな生活をおくっていたのか、何を考えていたのかがでてきませんが、青年が去っていくとき、老人は、「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしなったのだ。私はこんなに老いぼれても少佐だ。私の首をもっていけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と青年にいいます。長い間兵士で、これまでも何回か戦争に従事したことがあったかもしれない老人は、この先短い自分の身の上より、青年の未来を案じていました。

 野ばらは、二人の友情のあいだがらを象徴的に表していました。

 戦争は絶対にごめんですが、国や民族、宗教などがからむと別の力が働いて、いやおうなしに巻き込まれるというのも・・。

 

   のばら/原作・小川未明 脚本・堀尾青史 絵・桜井誠/童心社/2005年

 紙芝居の初版は1964年。原作がどう脚色されているか気になっていました。

 ふたりが会話をしはじめるあたりが自然です。会話をしはじめると、ふたりの背景が見えてきます。
 年とった兵士は、百姓で、牧場と猟場が近くにあるので、遊びにくるよう若者に話しかけます。一方若者はピアニストで兵隊の務めが終わったら演奏会を開く夢をかたります。原作にない部分です。また年とった兵隊は、原作では少佐ですが、紙芝居の対象を考慮したのか、百姓になっています。

 また、ふたりで将棋する場面では、原作では、”駒落ち”という表現がありますが、紙芝居ではそのあたりのところはでてきません。

 原作では夢の中に死んだ若者がでてきますが、紙芝居では、ピアノの曲に、老人の思いを託しています。

 

   野ばら/小川未明 ・文 あべ弘士・絵/金の星社/2024年

 この十月の出版。絵はあべ弘士さんで、まったく予想がつきませんでした。

 ウクライナとロシアの戦争はもうすぐ三年、イスラエルとハマスなどとのとの戦争も一年をこえました。この戦争で、数多くの人びとの命がうしなわれ、先行きがみえないなかで、この絵本を出版した編集者の思いがつたわってきました。

 あべさんの絵らしく、鳥が舞っています。一株という野ばらが咲くさまは、二ページの大半を使っています。そして小さな国は、城壁で囲まれています。


千年ぎつねの秋冬コレクション

2024年12月04日 | 創作(日本)

   千年ぎつねの秋冬コレクション/作・斉藤洋 絵・高畠純/佼成出版社/2001年

 「千年ぎつねの赤い山」「千年ぎつねのクリスマス」の2話。秋冬なので春夏バージョンがありそう。
 キツネは、人間をばかすかと思えば、千年ぎつねは ヒーローのような存在。山火事を消したかとおもえば、サンタクロースは、本当にいるんだと、夢をあたえてくれる存在。
 千年ぎつねは、二百年くらいいきている二百年ぎつねや、三百年くらいいきている三百年きつねより、けむりをださず、いろいろなものに ばけることができます。
 木の葉っぱをお金にかえても、すぐに ばれてしまうのは、二百年ぎつねや、三百年きつねの未熟なしわざ。千年ぎつねがやると、葉っぱを、お札にかえても、十年くらいたたないと、もとの葉っぱにもどりません。これが千年ぎつねの”十年ばかし”。

 千年ぎつねは、オートバイのハンドルを、まるい輪っかにはしませんし、バスをバックで走るなんてことはありません。

・千年ぎつねの赤い山

 山火事で村の人がおおさわぎ。ほうっておくと山の木が全部燃えてしまうほどのいきおい。千年ぎつねが、三百年ぎつねに、消防士にばけて、村人たちのてつだいをしろというなり、大きなワシにばけてどこかへいってしまいました。

 町に連絡をしましたが、消防車が一台もきません。村の子どもたちは、ひとまず小学校に避難し、大人たちは、村に火が燃えうつらないように、木を切り倒しています。

 その時、龍がもえている山の上までくると、さけび声をあげました。「キエーッ!」。たちまち黒い雲が東西南北からあつまり、ものすごい勢いで、雨がふりだしました。山火事は、あっというまにきえました。

 つぎの日、三百年ぎつねが、千年ぎつねにたずねると、湖にいって、水をのんできたという。

 三百年ギツネたちは、千年ぎつねから おしかりをうけました。なぜって、いまの消防士の格好がわからず、町火消し、つまり江戸時代の格好をしていたのです。

・千年ぎつねのクリスマス

 十二月のある日、千年ぎつねは、そろそろばけようと思っていましたが、二百年ぎつねや、三百年ぎつねが、千年ぎつねの 化け具合のようすをさぐっているので、なかなか機会がおとずれません。
 千年ぎつねが おじいさんの格好で、町の広場にやってくると、ふたりの男の子が、サンタクロースがいるか、いないかで話しているのがきこえました。頭にひらめいた千年ぎつねは、イヌにばけている三びきのきつねを、だれもいない公園にひっぱっていくと、トナカイとそりにばけさせました。もっとも、三びきのきつねは、ウマとウシとトラックにばけたので、やりなおしを させましたが・・。

 千年ぎつねはサンタクロースのすがたになり、そりにとびのりました。雪の上をすべりはじめると、それをみた男の子が、「やっぱりサンタクロースはいるんだ。」「あれは、おみせの せんでんだよ。にせもののサンタクロースさ。どこかのおじさんが、サンタクロースに ばけているんだ。」
 それを聞いて、千年ぎつねはむっとして、二頭のトナカイとそりといっしょに、ふわっとうかびあがり、地面からはなれました。二頭のトナカイがひくそりは、サンタクロースをのせて、「キャッホーッ!」と、空高くまいあがりました。

 それをみた町の人も、「わーっ。ほんもののサンタクロースだ!」「サンタクロースは、ほんとうにいたんだ!」と、おおさわぎ。

 これだけではおわりませんでした。

 石ころを おもちゃやぬいぐるみにかえて、子どもたちの まくらもとにおいていったのです。プレゼントが 石ころにもどるのは、子どもたちが、おおきくなってからです。なぜって、千年ぎつねは、”十年ばかし”をつかったからです。


手品師・・豊島与志男

2024年04月11日 | 創作(日本)

        赤い鳥代表作集2/小峰書店/1998年

 

 豊島与志雄(1890ー1955年)が1923年に「赤い鳥」に発表したもの。

 村や町をめぐりあるいて、広場に毛布をしき、そのうえで手品を使い いくらかのお金をもらってその日暮らしをしていたハムーチャという手品師。お金が入ると、その金で酒ばかり飲んでいたのでいつもひどく貧乏でした。

 ある日、ひとりの旅人から、「世界でただひとりきりという世にもふしぎな手品師」のことを聞きました。それは手品師というより、むしろ立派な坊さんで、善の火の神オルムーズドにつかえるマージでした。長い間の修業で、火の神オルムーズドから、どんなものでも煙にしてしまう術をさずかりました。このふしぎな術を見ようと思って、いくたりもの人がでかけましたが、ひとりとしてむこうにいきついた者はいないというのです。ハムーチャは自分がやっている手品は一生つまらなくおわるだけのものだ。それよりもいっそ、そのふしぎなマージをたずねていって、もし運よく向こうにいけて、どんなものでも煙にしてしまうという術を授かったら、それこそすてきだ。世間の者はどんなにびっくりすることだろう。命がけの決心をしてマージをたずねて北へ北へ。

 命がけでマージのところにたどり着いたハムーチャは七年間修業して、どんなものでも煙にする術をさずかりました。そのうえ、がんらいが手品師ですから、その煙をいろんなものの形にする工夫をしました。ハムーチャがいよいよ世の中へもどってゆくとき、マージはよくいいきかせました。「ものを煙にする術は、すべて生きているものや役に立つものを、けっして煙にしようとしてはいけない。もしよからぬ心をおこすと、おまえの術は、自分をほろこぼすことになる」

 さてマージのもとへ行きついた者はいませんでしたから、マージのうわさはうそだとしてきえてしまっていました。ある町のお祭りの日、ハムーチャは、まずふつうの手品を使ってみせました。それから不用なものを、この場で煙にしてみせるといい、見物人のひとりが古い帽子をさしだすと、もうやぶれて役に立たないことをたしかめると、両手を組み合わせ口になにかとなえました。と、その帽子はふーっと煙になり、その煙が大きな鳥の形になって、空高くとびさってしまいました。そのふしぎさに人びとはあっけにとられました。つぎに夢中になって喝采し、お金が雨のようになげられました。ハムーチャは得意になって、なおいろんなものを煙にして見せました。
 それからはハムーチャのうわさは四方にひろがり、いくさきざきで、その地方の人びとがまちかまえてました。大きな都ではハムーチャがくるとおおさわぎ。いろんな品物が積まれていて、それをみたハムーチャは、みんな一緒にして煙にしてしまいました。人々は喝采しましたが、一度ですんだので不満足に思いました。

 もっとなにかを煙にしてほしいと、革の財布を差し出した者がいましたが、ハムーチャは、もう役に立たない不用のものしか煙にしないとことわりました。するともうひとりが、ハムーチャの毛布の代わりに、新しい毛布をあげるから、それを煙にするよういいました。立派な毛布をもらえば、わたしの小さな毛布はいらないと、ハムーチャはじぶんの小さな毛布を煙にして見せました。それをみて、ある人が、立派な靴をもちだし、ハムーチャの破れ靴を煙にしてくださいと言います。その次は、帽子、服、シャツなどが煙になったので、ハムーチャは まるはだか。

 さらに金色の髪がふさふさで、海のように青い目をし、バラ色のほほをして、はだは大理石のようになめらかで真っ白の若い娘が、「あたしのからだをあなたにあげましょう。そうすれば、あなたの年とったしわだらけの体は不用になるでしょうから、それを煙にしてみせてください。」といいました。「なるほど。あなたの美しい体をもらえば、わたしのきたない体はもういらなくなるわけだ。」。それからハムーチャが口になにやらとなえると、かれのからだは、煙になってきえうせました。人々はわれを忘れて喝采しますが・・・。

 

 とちゅう、役に立つものを煙にして術が使えなくなると思っていると、不不用なのはハムーチャだったという思いがけないオチ。


どろぼう・・久米正雄

2024年04月01日 | 創作(日本)

        赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 

 おなじような外国の昔話がありましたが、結びが楽しい。

 ある村の貧乏な商人が、よその土地で財を成し、泥棒にあうことを恐れ、お金を宝石に変え、わざときたならしい着物を着て、宝石を入れた小箱をもって自分の村から三十里ほどはなれたある土地につきました。生まれ故郷で、ゆっくり一生をおくりたいと思ったのでした。

 この町で、立派な品物を売っている店で、少しの買い物をして、世間話をしていると、村へ帰る途中には、近頃泥棒が出るので、大事なものをもっていては大変ですよと言われました。思わず小箱に、着物の上から手を当てた商人は、むざむざこれを盗まれては大変と、とっさにかんがえ、小箱を預かってもらうように頼み込みました。間違いがあると困るからあずかれないと店の主人は断りました。村の若い者十人ばかりつきそいにやとってきますから、二、三日だからと頼み込むと、店の主人は、すぐにとりにきてくださるでしょうねと、ねんをおしました。

 商人は強い若者八、九人やとって町へひきかえし、あずけたれいの小箱をかえしてほしいというと、店の主人のこたえは、びっくりするものでした。「おまえはだれだい。あれとはなんだい。」とまったく取り合おうとしません。言い合いになると、近所の店からおおぜいがかけつけてきて、商人を店から往来へひきだして、ところきらわず、けったりなぐったりしてしまいました。この店はどろぼうの店で、近所の店も同類でした。

 商人を救ってくれたのは通りがかりの道楽者の若い人。医者もよび、きれいな部屋で介抱もしてくれました。

 それから何日かたって、商人がもう自由に足もきくようになると、道楽者の若主人が、れいのどろぼうの家の塀にかくれ、駕篭の中の女が手招きしたら、泥棒の家にはいって、「宝石を入れた箱をいただきにあがりました」というようにいいます。

 それから若主人は、貴婦人の格好をした女を駕篭にのせ、どろぼうの店で箱を取り出しました。そして、「あの駕篭に乗っているのは、私の身内の家内ですが、夫が不意に急用でひきかえしたものですから、女一人旅では途中が危険なので、どこかにあずけていこうというのです。この中には金銀、いろんな髪飾りなどがいっぱいはいっているのですが、こんなたくさんの金目のものをめったなところへ預けるにもいかず、ひどく困っているところです。ひとつあなたの家へ」というと、どろぼうは、それはこまると断ります。しかし心の中では、この前のようなケチな獲物と違って、すばらしい、こいつはしめたと思っていたのです。

 「とくべつにおあずかりしましょう」と、どろぼうがいうと、駕篭の中の女は商人を手招きしました。商人はすぐに「このあいだあずけた、宝石を入れた小箱をいただきにあがったんですが」といいます。どろぼうは、ここであずかったあずからないと言い争うと、肝心な若主人が、せっかくあずけようとしているものをひっこめるとたいへんだ。これは、こいつの少しばかりの宝石にはかえられないと思い、すぐにこのあいだうばいとった小箱を商人にかえしました。すると若主人は、往来をのぞいて、「おや、あすこに夫の人が帰ってきた。せっかくお願いしましたが、もう夫がきたからようござんす」ともってきた箱を駕篭の中におさめると、往来の真ん中で商人といっしょに踊りだしました。

 どろぼうは、うまくかつがれたといいながら、これも往来にとびだして、いっしょにおどりだしました。若主人が、「おやおや、おまえはなんでおどるのだい」と、どろぼうにいうと、どろぼうはいいかえしました。

 「おれはこれまで、相手を信用したようにみせかけて、それでうまくだます法を十三知っていた。もうそのほかにはいい法がないと思っていたが、いまお前から習って十四になった。だからゆかいでおどるのさ。」といい、またくるくるおどりだしました。


小さなみやげ話・・島崎藤村

2024年03月30日 | 創作(日本)

          赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1919年「赤い鳥」掲載。

 「太郎もおいで。次郎もおいで。お末もおいで」父さんが、遠い外国で聞いたきたみやげ話をしましょうと、三つのごく短い話。国語教科書でしかなじみがなかったが、島崎藤村が、こんな話を書いていたというのもあたらしい発見でした。

・うさぎとはりねずみ

 うさぎとはりねずみが競争しようということになりました。はりねずみは、メスとオスが、出発地点と到着地点にかくれて、うさぎが勝ったと思った瞬間、顔を出し、先についたといいました。もういちど、もういちどと、なんと七十四へんもやり直し。はりねずみは、力がつきたうさぎを、自分のたちの巣にはこんでいき、いいごちそうにありつきました。

・いちご

 伯母さんは、庭にいちごがつくっていましたが、娘に、いちごに さわらにようにいっていました。ところが我慢できなくなった娘が、いちごを摘んで、四つ五つばかり食べました。

 伯母さんから、いちごに さわっていないだろうねと聞かれた娘は、首をふってみせました。ところが、伯母さんから息をしてごらんといわれ、いちごの香氣で、いちごを食べたことがわかり、娘ははずかしい思いをしながら、じぶんの過失を白状しました。

・盲目のすずめ

 あるところの奥さんが、ロンドンのラスキン公園で、編み物をしたり、本を読んだりして、ときをおくるのを楽しみにしていました。この公園には小鳥もたくさんきていて、パンのきれだのおかしだのをもっていって、いつのまにか小鳥仲間のいいともだちになっていました。

 小鳥のなかに、毎日のようにやってくるすずめがいましたが、なげてやったパンを食べようとしませんでした。ときどきそのすずめがみじかくなくと、ちょうど巣にでもいるように他のすずめが、パンのきれを拾って食べさせてやりました。よくみるとそのすずめは盲目で、おかあさんらしいすずめや、他のすずめ仲間が巣にいるとおなじようについていて、その盲目のすずめをいたわっていたのだそうです。

 奥さんは深く心に感じて、よけいにその小さな鳥の群れをかわいがるようになったそうです。


魔術・・芥川龍之介

2024年03月24日 | 創作(日本)

          赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1920年「赤い鳥」掲載の作品。「杜子春」や「くもの糸」も「赤い鳥」掲載作品でした。

 男の人生の落とし穴といえば、ギャンブル、酒、薬、女?か。

 

 男が訪ねて行ったのが、ハッサン・カンからまなんだ魔術をつかうというマティラ・ミスラ君。いくつかのお魔術を見せてもらい、ミスラの家に泊まり込んで魔術を教えてもらうことになりました。教えてもらう前に「欲がのある人間には、使えない」と、念をおされていました。

 それからひと月ほどたって、男が銀座のクラブの一室で、五、六人の友人と雑談にふけっていました。友人の一人がすいさしの葉巻をだんろのなかにほうりこんで、近頃魔術を使うと評判の男に、みんなのまえで使って見せてくれないかともちかけます。

 「いいとも」男は両手のカフスをまくりあげて、だんろのなかで燃えさかっている石炭をむぞうさに手のひらへすくいあげました。そして、その手のひらの石炭の火を、しばらく一同の前につきつけてから、今度はそれをいきおいよく寄せ木細工の床へまきちらすと、無数の金貨になって、床の上にこぼれとびました。

 友人が、ほんとうの金貨かとたしかめてみますが、たしかに本物です。石炭の火がすぐに金貨になるなら、一週間もたたないうちに、たいした金満家になってしまうだろうとほめそやしました。そしてもったいないからと、金貨をもとの石炭にもどそうとする男に反対しました。男は、「ぼくの魔術というのは、いったん欲心をおこしたら、にどとつかえないから」といいますが、友人は、カルタで勝負して、男が勝ったら自由にして、友人が勝ったら金貨のままわたすようにいいました。

 なんども押し問答をして、金貨を元手にカルタを闘わせますが、なんどやっても男が勝ち続け、しまいにはすべての財産をかけるからと、最後の勝負をはじめます。男が勝ち誇ったように、ひきあてた札を、相手の目の前にだしてみせました。するとそのカルタの王様が、冠をかぶった頭をもたげて、ひょいと札の外へからだをだすと、にやりと気味の悪い微笑をうかべます。

 ふと気がついてあたりをみまわすと、そこはミスラの家。一か月たったと思ったのは、ほんの二、三分のできごとでした。つまり、男には魔術の秘宝をならう資格のない人間だったのです。

 

 人間にとって欲をコントロールするのは至難のわざ。わかってはいても・・・。


一郎次、二郎次、三郎次・・菊池寛

2024年03月20日 | 創作(日本)

        赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1919年「赤い鳥」掲載の作品。「赤い鳥」は、鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。1918年に発行され1936年廃刊。寄稿者には、芥川龍之介、谷崎潤一郎、泉鏡花、高浜虚子らの名前もみられる。

 

 両親に別れた三人の兄弟が、都を目指します。大きい銀杏の木のところから、道が三本に別れ、一郎次は右の道、二郎次は真ん中、三郎次は右の道を進むことになります。ここまでくれば昔話風の展開。

 右の道をすすんだ一郎次は左大臣藤原道世につかえ、盗賊や悪者をとらえる検非違使になります。

 真ん中の道をすすんだ二郎次は、殿様に仕えるつもりが泥棒になり、頭が殺された後は、仲間の大将になって、多能丸となのり、家を荒らしまわります。

 左の道を進んだ三郎次は、鬼と呼ばれた余命まもない加茂の長者にこわれ、一人娘のむこにおさまり、財産の半分を都中の貧乏人にわけ、仏の長者と言われるようになります。

 わかれるとき、「兄弟がめいめい都で出世すれば、かならずどこかであえるにちがいない。」と、語り合った三人兄弟。その再会は?

 

 加茂の長者から、金ばかりか娘の花子までさらわれたという訴えで、検非違使左衛門尉の家来が生け捕りにしたのは多能丸。

 一郎次の左衛門尉が、花子を受け取りにきた加茂の長者をよく見ると、それはまぎれもなく弟の三郎次で、二人が両方からだきつくようにしてオイオイ泣くと、盗賊の多能丸も泣いていました。それは一郎次には弟、三郎次には兄にあたる二郎次にちがいありませんでした。

 

 一郎次がどうして、藤原道世の家来になったのか、二郎次が盗賊になった経緯、三郎次が長者になった経緯が、だいぶ長いのですが、結末は、再会の場面でおわり、三人兄弟の驚きよろこび悲しみは、みなさん自分で考えてみてくださいと結んでいます。


お月さまになりたい

2023年03月25日 | 創作(日本)

    お月さまになりたい/三木卓・作 及川賢治・絵/偕成社/2022年

 

 ぼくは、学校のかえりに、へんな犬にであいました。じぶんがなりたいと思えば、なりたいものになれる犬でした。

 「真っ白い犬なら、かってやるんだけど」というと、白と茶のぶちから、真っ白へ。

 犬は、「とてもすばらしいところへ、いきませんか」と、ぼくに話しかけました。ぼくがいってみようかとおもったとき、犬は二日も食べていないからと、まずはほねつきの肉をおねだりです。

 それから、風見犬になって、風向きを確認すると、気球になって、ぼくといっしょに空の旅。海に出て、崖の上に着陸すると、「もっといいところに いきましょう」といいだしました。

 なんにでもなれるといったが、まだうまくなれないものがお月さまという犬は、ぼくに いっしょにいくよう誘います。いけないというぼくを残し、犬は白い海鳥になると、空をのぼっていきます。

 うまくいけば、月が二つになっていたはずですが、まってもまっても犬のお月さまはできません。しばらくたってから、ゆっくりと落ちてくるものが見え、だんだん大きくなると、それは落下傘でした。犬が、お月さまになりそこない、はずかしくて落下傘になってかえってきたのです。

 「ぼくは、お月さまよりも、犬のきみのほうが好きなんだ。はやく犬にもどってよ。」というと、「くしゅん」と、かわいいくしゃみをすると、真っ白い犬にかわりました。

 「さ、ぼくんちへかえろうよ。」と、ぼくは、つよくだきしめてやりました。

 

 犬とぼくのやりとりが とてもいい感じ。

 「一万円札、グレープフルーツになってよ」というと、犬は、ぼくの下心を見抜きます。

 お互いに焼きもちを焼いたり、ちょっと意地悪したり、頑固に主張をかえない相手をおもいやったり、なんだかんだと、相手のことを思う気持ちが優しい。

 自分のためだけに使う「魔法」です。

 1972年にあかね書房から刊行された「おつきさまになりたい」の文章に修正を加え、新たに絵を描き下ろしたものと ありました。


ちいさなたいこ

2022年05月16日 | 創作(日本)

    ちいさなたいこ/松岡享子・作 秋野不矩・絵/福音館書店/2011年(初出1974年)

 

 初出が1974年で、子どもころ読まれた方もおおいようです。昔話風ですが、松岡さんの創作のようです。

 心の優しい百姓のおじいさんとおばあさんがでてくるのですが、気持ちがほっとする優しい物語です。

 おじいさんとおばあさんが育てていたかぼちゃの中に、ひときわおおきなかぼちゃがありました。
 ある日、二人が寝ようとしていると、「ぴいひゃら どんどん」「ぴいしゃらら」と、楽しそうな祭りばやしが聞こえてきました。その祭りばやしが毎晩つづき、不思議に思ったふたりが、ある晩、床を抜け出し外へ出てみました。音はどうやら、みごとなかぼちゃの中から聞こえてきます。
 あくる日、そのかぼちゃを もいで 枕元においてみると、やはり、お囃子がきこえてきました。顔をそっとちかずけて見ると、そこには、太鼓を打つ男や笛を吹く男がいて、三十人余りが輪になって踊っていました。

 それからというもの、ふたりは、このお囃子を聞き、踊りを見るのが何よりの楽しみになりました。ところがある晩、いつもの時刻になっても、お囃子が聞こえません。中をのぞいてみると、太鼓打ちの男が腕組みをし、その傍らには破れた太鼓がありました。

 聞きなれた音を聞かないと、なかなか寝つかれなくなったふたりは、新しい太鼓をつくることにしました。細い竹、どんぐり、しぶを塗った薄い紙で、一日中かかって、やっと、ちいさい太鼓を作ると、おはしで、かぼちゃの穴からそっと、なかへ いれました。すると、太鼓打ちが 試し打ちし 調子がわかると、いつものお囃子の太鼓が はじまりました。

 つぎの晩、穴のふちに、なにか米粒のようなお団子がおいてありました。ふたりが そのちいさなお団子を じょうずにつまんで、口に入れると・・・。

 

 おじいさん、おばあさんが、小さな太鼓をつくる手の動きの絵が 素敵です。


まじょかもしれない?

2022年01月19日 | 創作(日本)

    まじょかもしれない?/服部千春・作 かとうようこ・絵/岩崎書店/2019年

 ナナちゃんは、おむかいのおうちの モモコさんが、いちばんすきでした。

 前歯が2本無いモモコさんは、「まじょのモモコさんなのさ」と言いましたが、ナナちゃんは、うそだとおもっていました。
 モモコさんは、「まじょは ずうとながいきで、まじょのおばあさんといえばといえば、歯抜けって きまってるもんさ」といいます。

 ナナちゃんが、まじょには、おとものクロネコがいるんだよ」といっても、「わたしはねぇ、もう三百歳なんだ。おとものねこは、みーんな、わしよりさきにしんでしまう。このまえのネコがしんだときは、そりゃあ もう かなしくて、かなしくて・・。だから、いまは、つぎのおともをどうしようかと なやんでいるところなんさ。」

 あるひ、乳歯が抜けてしまったナナちゃんが、「わたしも まじょになれる?」と聞くと、モモコさんはいいました。「ながーいながーいあいだ、たくさんのしゅぎょうを して、やっとまじょに なれた。ナナちゃんの歯は、そのうちおとなの葉がはえてくる。まじょの歯は、そういうもんさ」。
 まじょにはなれそうにない ナナちゃん。

 ところが、クロネコのかわりに、くろいイヌが モモコさんの あたらしい おともになりました。それには、こんなわけがありました。

 ある日、おくの家のサイトーさんが引っ越して、家がこわされた空き地には、くろいイヌが残っていました。きんじょの人が こえをかけても、いぬはおこって 歯をむきました。ところがモモコさんが、声をかけると、イヌはじっと モモコさんのかおを、みました。

 モモコさんは、イヌに 「サイトーさん」となづけ 家においてやることにしました。

 ナナちゃんは、モモコさんが やっぱり ほんとうの まじょみたいと、おもいました。なぜって、「犬のサイトーさんは、ほかのだれにもなつかなかったのに、モモコさんにだけは ちがったもの」。

 

 ナナちゃんは、素敵に年齢を重ねるおばあさんに とても ひかれていたのでしょう。ほんとうにまじょとおもっていたのかな?


星磨きウサギ

2021年07月31日 | 創作(日本)

    星磨きウサギ/那須田淳・作 吉田稔美・絵/理論社/2007年

 
 銀河系外惑星開拓団のボランティアとして地球にやってきたウサギ。
 現在だけでなく過去、未来をいききし、様々な人々の恋を成就させるために、一生に一度だけ星を磨きます。
 
 初仕事は、北天に浮かぶポラリスの星磨き。雨あがりの塵や埃がすっかり洗い流されたあとの澄み切った夜空で少しづつ輝きをましていきました。
 
 中世の背年からは大好物の初収穫のパラッチョ(にんじん)をもらい、星を磨くとアルタイルは輝くには輝いたのですが、すぐに元のようにくすんでしまいます。結婚も領主が決めるのでした。
 
 未来からの呼び出しでいったのは超高層ビルの最上階。氷河期で人が移住したあとを買い占めたメガネ男の不満は、この町に住むもう一人の若い娘のこと。家を売ってくれたらこの町のただひとりの住人になること。家を売らないならと結婚を考えプロポーズしたが、いい返事がもらえません。フォーマルハウトを磨くと、ゆらめく炎の夜空に輝きます。
 
 氷河期からもどって白髪のおばあさんに会います。
 初仕事で、恋をかなえた人でした。しかしその相手は戦地で捕虜となり、戻ってきた彼とはうまくいかなくなり、別の人と幸せな生活を送っていたのです。
 
 おばあさんの話を聞いたウサギは、こんどは自分のために星磨きをしようと、モップに水をたっぷり含ませて、軽やかに空を登っていきます。
 
 ウサギは星磨きになる前は、牛乳配達をしていましたが、保安官をしているガールフレンドとひょんなことで仲たがいしていたのです。しかし、自分のため星磨きの結末はしめされずにおわります。
 
 
 星磨きを呼ぶのは、誰かに背中を押してほしいのでしょうか。ウサギが願いをかなえてくれるのではなく、結局は自分次第です。
 
 誰かを好きになるなるためには、ほんとうはたいした理由なんてない、愛のカタチはいろいろ、など おもわずうなずきます。
 
 そして時代の中で自由な選択ができなかったこと、ひとりでは生きられないことも。

丘の上の人殺しの家

2021年01月27日 | 創作(日本)

    丘の上の人殺しの家/別役実・作 スズキ コージ・絵/復刊ドットコム/2014年

 

 図書館の児童書コーナーで見つけた本。「丘の上の人殺しの家」という恐ろし気なタイトルですが喜劇のようでもあり悲劇でもあるよう。絵本コーナーでないところがみそ。

 異色の組み合わせで初版は1981年、いつもはスズキさんの躍動する色の使い方に圧倒されていますが、珍しくモノクロです。

 

 丘の上の《人殺しの家》には《人殺し3人兄弟》が住んでいました。彼らは12通りの「殺しのメニュー」を用意していましたが、12年前にセールスマンがやってきたのが、唯一のお客でした。そのセールスマンも、しばらくメニューを眺めた後、ゆっくりとそれをテーブルの上において、さようならも言わず、出て行ってしまったのです。

 兄弟は、メニューが少ないのではと、もっとすごい殺し方を9通りもの新しい殺し方を考案します。

 巡回にやってきた巡査が兄弟に同情し、《人殺しの家》はアチラという看板をつくってあげますが、お客さんが来ませんでした。

 看板に「あなたを、もの凄いやり方で殺す《人殺しの家》はアチラ」という説明をつけますが、やっぱりお客さんはやってきません。

 次に戸別訪問することにしましたが、一人は夫婦喧嘩にでくわし、「人殺しーっ」「人殺しーっ」の叫び声に、誤解されてはたまらんと逃げ出してしまい、もうひとりは、お嬢さんがスリッパで走ってきた油虫を目の前でバシッと叩き殺すと、ドキリとする間もなく気絶してしまいます。

 「寂しいなあ」「つらいなあ」「ふしあわせだなあ」と嘆いているところへやってきたのは、一人のお婆さん。

 殺しのメニューをみることなく「ぜんぶやってみてもらいたいんだよ」と、にっこりわらったお婆さん。これがなかなかのお婆さん。

 ワニのいる水槽に投げ込むと、お婆さんはワニの横腹にがっぷり食いつきます。

 二本のダイナマイトを飲み込んでもらい、スイッチを押すと、ダイナマイトが耳から飛び出し、そのままぽトンと地面に落ちます。

 五寸釘をいっぱい植えこんだベッドの上に、お婆さんを寝かせて、その上に大きな石をドスンドシンと乗せていくと、お婆さんは石の下で、気持ちよさそうに眠ります。

 ギロチンの刃は折れ、首吊りロープも切れ、毒薬は美味しそうに飲んでしまいます。

 殺しのメニューを全部やり終え、「お婆さん、ごめんなさい」「私たちには、才能がなかったんです」と謝る兄弟に「一生懸命やってくれたんだから、文句をいわないよ」と、帰っていくお婆さんを、抱え込んで歩きだすと、村の教会の前で、お婆さんは立ち止まって、いちど大きく息をつくと、そのまま崩れるように倒れてしまいます。

 牧師が「お婆さんは今、神様に天国へ召されたのだよ」というのを聞いた兄弟は「俺たちの殺し方がまるっきりだめだってわけじゃないけど、なんていったって神様にあっちゃ、かなわないさ」と納得します。

 
 三人兄弟の名前は、ビーボデー、キーボデー、チーポデー、巡回にやってきた巡査はオントント、戸別訪問したのはマナマナミ奥さん、アマトミア、マニアお嬢さん、やってきたのはウミネマン家のハンネお婆さん、牧師の名前はウラマールという架空の国。
 
 この国では人殺しは合法です。「文明国」では戦争で人殺しが奨励されますから、他の国のことを、とやかく言える立場ではありません。
 
 気の弱い兄弟には何とも不釣り合いな仕事。まだ商売はつづけたのかな? 多分、ひとりも人殺ししなかったとしてギネス記録にのるのかも。

 

 最近、別役さん(1937.4.6-2020.3.3)のことをお聞きすることがないと思っていたら、昨年の三月に亡くなられていたんですね。この時期、新型コロナの報道一色で知りませんでした。


紙ひこうき、きみへ

2020年07月05日 | 創作(日本)

    紙ひこうき、きみへ/野中柊・作 木内達郎・絵 偕成社/2020年

 

 シマリスのキリリとミケリスのミークの出会いは、青い紙ひこうき。

 キリリのうけとった紙ひこうきには「こんにちわ。夕方には、そちらにつきます」と、ありました。

 だれからの手紙かさっぱりわからないけど、とにかくお客さんがきそう。

 次の日の夕方、「きみだね?」と、たずねてきたのはミークでした。

 それから二人は、ごちそうを食べ、ミークは、へんてこなダンスをはじめました。

 ミークは「行く先ざきで手に入るものが、いちばんだって思ってるんだ。いろんなもの見て聞いて、味わって。はじめてのものにふれて、びっくりしたり、感心したり。それこそが旅のたのしさだもの。」と、リュックッサクには、食べたらなくなっちゃうものばかり。

 ご飯を食べたり、夜には月や星を見上げたり、音楽に合わせておどったり。

 旅が好きなミークは、やがてふしぎなハサミをおいて、キリリのところから去っていきます。

 小さなハサミは空を切り取ることができました。

 ひとりのこされたキリリは、晴れわたった青空、かがやく銀色の空、雨降りの空、星ぼしがこぼれおちてきそうな空を切り取り、紙ひこうきにして飛ばしました。

 やがて紙ひこうきは、ミークに届き、再会をはたすことになるのですが・・・。

 

 紙ひこうきというクラシックなものが、遠くまで飛んで、ワクワクする出会いを演出してくれるという楽しさは、人工のメカニックなものではない ときめきがありました。


大根どのむかし

2020年01月17日 | 創作(日本)

      百曲がりのカッパ/世界のむかし話⑫ 百曲がりのカッパ/松谷みよ子・作 梶山俊夫・画/学校図書/1984年初版


 世代をこえて読まれている絵本の「おおきなかぶ」。
 おおきなかぶをみんなで引っこ抜くというシンプルな話ですが、絵の魅力もあって楽しまれているようです。

 「大根どのむかし」も大きな大きな大根の話。

 村中の大根が雨が降らず、育たない中で一本だけ残った大助の大根。村中でこやしをかけて、みずやりしていると、千年杉ほどの大きさに。
 村中で堀り上げ、そりにつけてひっぱりはじめると山かげでごろごろという雷が。

 すると大根が「いまのは大根おろしだべ。おらおろされるのはやだやだ」と泣き始めます。
 大根が口をきいたのにおどろいた村人が、大根を食べるのをやめて、村の入り口においておくと、その大根が雪を止め、夏には涼しいかげとなって、台風もこなくなります。

 ところが大根がいつもいつも腹すいたというので、そのたんびにこやしをあげなくてはならないのに閉口した村人が、大根を追い出してしまいます。

 大根が姿をけしたとたん、嵐はくる吹雪はくる日照りがくる夕涼みもできねえなんていやなことばかり続きます。

 最後のオチも笑えます。もとは山形の昔話のようですが、方言の魅力もあるようです。

 松谷さんの監修で、絵本にもなっていました。

   だいこんどのむかし/渡辺節子・作 二俣英五郎・絵/ほるぷ出版/1992年