どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

緑の蝶

2020年04月30日 | 安房直子

        銀のくじゃく/作・安房直子 絵・高橋和枝/偕成社文庫


 春から夏への時期の、蝶の世界へ引き込まれそうになった”ぼく”の話。

 風もなく鳥もなかかず、物音ひとつしない夕暮れ、いつも気になっていた緑の蝶を捕まえようと、そっと近寄って白い網が蝶の上にかぶさったとおもったとき、蝶はまいあがっていました。

 木陰から木陰へ、植え込みからつぎの植え込みまで蝶の後をおいかけると、いつのまにか走れば走るほど庭はひろがり、見たこともないバラのアーチをくぐり、ひまわりの花畑をなんかかを走っていました。

 波だつ緑のおくで、蝶はときどき、ほほっとわらいました。その声は一ぴきだけでなく二ひき三びきも。

 とうとうつかまえたとおもったとき、手にはかしわの葉がいちまいだけ。

 うす暗い森のなかで、たき火がパチパチ燃えていました。そのまわりには緑の服を着た女の人が五・六人。女の人の手のグラスには、あわだつ緑色の飲みものが、なみなみとつがれていました。

 女の人がグラスを持った手を、ぼくのほうにのばして、飲む?と、目でききました。

 ぼくは、きゅうに、のどがかわいてきて、おもわず手をのばしました。ぼくの手が、その人のすきとおった緑のそでにふれたとき、ぱらぱらと花粉のような粉が、こぼれおちました。

 ぼくは「いらない!」とさけびました。この飲みもをのんだ者は、たぶん、もう帰れなくなるのです。そう、このふしぎな夏の森で、ちょうのおばさんのとりこになってしまうのです・・・。

 女の人たちがわらいはじめると、いつまでもわらっているのでした。そしてたき火が大きくもえあがり、森全体をめらめらと燃やします。美しさにみとれて気がつくと、火は赤くしずかに燃えているようでした。が、あつく、あたたかくもありませんでした。それは花ざかり、つつじでしたから。

 

 緑の蝶、花ざかりのつつじ、たき火の赤と、色彩と不思議な世界の物語です。そして夕暮れの静寂と夏の匂いも感じられます。


エプロンをかけためんどり

2020年04月29日 | 安房直子

          遠い野ばらの村/作・安房直子 絵・味戸ケイコ/偕成社文庫


 ちょとした病気でおかみさんをなくしたお百姓の三十郎さんは、五歳の初美、三歳の志津、まだ赤んぼうの政吉をかかえ、畑仕事、子どもの世話、ご飯の支度、掃除、洗濯を全部ひとりでしました。だれがもこのことを知りません。隣の家とはだいぶはなれ、したしい親戚もなかったのでした。

 おくさんをなくしてひと月もすると、三十郎さんも病気で寝込んでしまいました。

 こんなとき、小さな紫のふろしきつづみをしょって、真っ白いエプロンをかけためんどりが三十郎さんの家にやってきました。それは何年も前に庭のとり小屋からにげだして、それっきりどこへいったのかわからないにわとりでした。

 めんどりは「おてんとさまの国に行ってました。」と、すずしい顔。

 それから家の仕事はぜんぶめんどりが。おかゆを作り、土間のすみっこのわらたばのところでたまごを一つ生むと四人前の卵焼きをつくり、畑からねぎを一本一とってくると味噌汁をつくりました。

 みんながたべているあいだには洗濯です。もちろん縫い物も。

 めんどりは、眠れない初美に、おてんとさまの国のことを話してくれました。そして押入れのなかにはいると、星もみせてくれます。

 めんどりがやってきてからは家の中は、きちんと整頓され、汚れ物は真っ白にあらわれ三十郎さんも元気になって畑仕事をするようになりました。

 ところが半年を過ぎた頃、三十郎さんは苦しかったことをわすれ不満をもつようになります。ごはんのおかずが、たまごと漬物ばかりなのが気にいらなくなり、初美がめんどりと楽しそうにしていることが心配になりました。

 そんなある日のこと、村のよろずやのおばさんがやってきて、「子どもたちには、どうしても母親が必要さ。」と、三十郎に再婚をすすめます。

 婚礼の日、めんどりを殺して料理することを思いついたのは、このおばさんでした。

 めんどりは、婚礼の前の日、すべての料理を用意しました。

 婚礼のその日、めんどりの姿はありませんでした。

 新しいおかみさんが、三羽のひよこをかうと、どんどん大きくなり、十一月のある日、三羽のにわとりはふわりと空へとびあがあがっていきます。初美は「おてんとさまの国にいくんだよ」といい、「また来ておくれよ。エプロンかけて、魔法の道具持って、いつかきっと、来ておくれよう。」と大声で叫びます。

 

 三十郎は苦しい時期を助けてもらったのにもかかわらず、喉元を過ぎれば感謝の気持ちがなくなるのはずいぶん身勝手。

 めんどりと初美の楽し気なようすが続きますが、多分初美にとって、めんどりは母親そのものだったのでしょう。

 世話好きのおばさん、ちょっと前にはよくみられました。

 めんどりが縫物をする姿、ちょっと想像できません。          


あつまるアニマル

2020年04月27日 | 絵本(外国)

         あつまるアニマル/ブライアン・ワイルドスミス:作・絵 アーサー・ビナード・訳/講談社 2008年

 

 ときどきCG風の絵本があり、なにか違和感をおぼえますが、この絵本は細かなところまで色彩豊かに描かれ、写真とはちがう楽しみがあります。

 動物、鳥、魚が2ページにわたっているところと、1ページに一種類描かれているところがあって計27種類。

 絵にそえられている文も

  カバたちは ぶくりぶくり あーんぐりと あつまる

  サギたちが ぬっくり のっぽりと あつまる

  クマたちは のしのし のそっと あつまる

  ハリネズミたちは いがいが くんくんと あつまる

  ゾウたちは どっしゃどっしゃ どんどんと あつまる

 と、表現豊かです。

 特に魅かれたのは、サギ、カワウソ、ペンギンの密集した状態。

 それぞれが親子で描かれているのも奥行きがあります。


四又の百合

2020年04月26日 | 宮沢賢治

      四又の百合/宮沢賢治 たなかよしかず・絵/未知谷/2005年

 

 「正遍知はあしたの朝の七時ごろヒ-ムキャの河をお渡りになってこの町にいらしゃるそうだ」 という噂が流れます。
 町の人たちは、どれだけ正遍知が町に来ることを待ち望んでいたことか。

 みんなは正遍知の姿をあれこれ想像し、家も通りも綺麗に掃除します。

 この噂は王宮にもつたわり、王は町の掃除、千人分の食事の支度、精舎の準備も命じますが、人々は、お触れを待たずに掃除していました。

 次の朝五時王さまはみんなを従えてヒームキャの川岸にたたれます。そして正遍知に百合の花を捧げるため、花を見つけてくるよう大臣に命じます。

 大臣は林の陰に一軒の家をみつけ、百合の十の花のついた茎をもっている一人の裸足の子にあいます。

 大臣は子どもに百合の花を売るようもちかけ、値段を交渉して手に入れますが、子どもから「何にするんだい。その花を」ときかれます。大臣が正遍知と答えると、「僕がやろうと思ったんだ」と、子どもはいったんは売ることをやめますが、大臣が返そうというと、やっぱり売ることにします。

 王さまが大臣のもってきた百合を受け取ってまっていると、川の向こうの青い林のこっちにかすかな黄金いろがぽっと虹のようにのぼるのがみえ、王さまは砂にひざまづき、みんなは地にひれふしました。

 もっと続くかと思うと、「二億年ばかり前どこかであったような気がします。」と、突き放すように終わります。

 正遍知は仏陀の呼ばれ方の一つ。仏陀をお迎えする人々の思いがえがかれていますが、仏教を意識するのは儀式の葬儀ぐらいで、不信心の自分にとってはなかなか理解できない世界。

 四又というのは、東西南北、つまり全世界というのをあらわしているのでしょうか。

 百合の花言葉は、赤が「虚栄心」、橙が「華麗、愉快、軽率」、オニユリは「荘厳、富と誇り」、ササユリは「清浄と上品」、カサブランカは「純潔、威厳、無垢、壮大な美」、ヤマユリ・テッポウユリは「純潔、荘厳、無垢」、そして白は「純潔、荘厳」といいますから、白百合が何を示しているかがイメージできます。

 ところで、人々は仏陀になにを期待?していたのでしょうか。


あかいくつ・・アンデルセン

2020年04月24日 | 絵本(外国)

   あかいくつ/アンデルセン・作 神沢利子・文 いわさきちひろ・絵/偕成社/1968年

 

 絵本用にやや短くなっていますが原作にほぼ忠実です。

 あるところに母親と2人きりで暮らしていたカーレンという少女がいました。家は貧しく、カーレンは夏は裸足、冬は かたい きぐちを はいていました。そのため、ちいさな足は、まっかになって、とてもいたそうでした。しんせつな靴屋のおかみさんが、カーレンのために、古いきれで あかいくつを ぬってくれました。


わがままな巨人・・オスカー・ワイルド

2020年04月23日 | 創作(外国)

      オスカー・ワイルド童話集/幸福の王子/井村君江・訳/偕成社文庫/1989年

 

 友だちのところで七年暮らし、自分の城にもどってきた巨人でしたが、庭では子どもたちがとびまわっていました。

 自分の庭だ、わしにほかはだれもこの庭で遊ばせないと高い塀をめぐらし、「はいったものは罰せらるべし」という立て札もたてました。

 まもなく春がやってきて、どこもかしこも花や小鳥たちであふれていましたが、巨人の庭だけは、いぜんとして冬のままでした。雪と霜、北風が庭をおおいました。夏がやってきても庭は冬でした。

 ところがあるとき、なんともいえないよいかおりが流れ込んできました。見ると塀の小さな穴からはいりこんできた子どもたちが、木々の枝に腰をかけていたのです。

 子どもたちがかえってきたのを喜んで、木々は花を咲かせ、小鳥たちはあたりを飛びまわり楽し気にさえずっていました。

 けれども、かたすみに、ほんのわずかまだ冬がのこっていました。そこには小さな子がぽつんとたっていました。小枝によじ登ることができず、木のまわりをぐるぐるまわっては、おいおい泣いていました。木は「さあ、坊や、おのぼり!」というようにできるだけ身を低くかがめてやりましたが、その子はちいさすぎて、とどきません。

 これをみた巨人は、庭に春がやってこなかったにきがつきます。

 巨人が庭にでてみると、巨人を見た子どもたちは恐ろしがって逃げて行ってしまいます。 ただ小さな子だけは逃げませんでした。目に涙をいっぱいたまっていたので、巨人がやってくるのが見えなかったのです。

 巨人が、その子をそっと木の上にのせてやると、木はすぐに花を咲かせ、鳥は飛んできて木の枝で歌いました。小さな子は両腕を伸ばし、巨人の首にだきついて口づけをしました。

 巨人がもういじわるでなくなったのを見て、逃げた子どもも、またもどってきました。

 巨人は塀を壊したので、巨人の庭では、いつも子どもの遊ぶ姿がみえました。

 ただ巨人が最初に木の枝にのせてやった小さな子の姿はみえませんでした。

 やがて、巨人もとても年をとり、子どもたちと一緒に遊ぶこともできなくなって、庭を眺めて楽しむだけになりました。

 ところがある冬の朝、小さな子が、金色の枝に銀色の果実がたわわになっている木の下に たっていました。

 小さな子の両方の手のひらには二本のくぎのあと、小さな足にも二本のくぎのあとがありました。

 巨人は「だれが、おまえにこんな傷をつけたんだ?」「いってごらん。わしがそいつを、大きな刀で殺してやるから」と、怒りますが・・・。

 小さな子はキリストですが、説教臭くありません。


黒葡萄

2020年04月22日 | 宮沢賢治
 
      黒葡萄/宮沢賢治 たなかよしかず・絵/未知谷/2003年
 
 
 すばしっこい赤狐が、丘の仔牛を誘って忍びこんだのはペチュラ公爵の別荘。

 誰もいない部屋を次々にみていくと、ある部屋の円卓に立派な二房の黒葡萄をみつけます。

 蜂蜜、そばの花の匂いをがする葡萄をたべはじめる赤狐。仔牛はコツコツと葡萄のたねをかみくだいていると、二三人がはしご段をのぼってくる音がしました。

 赤狐は残りの葡萄の房をいっぺんにぺろりとなめて、いちはやく外にでてしまいます。

 残された仔牛をみた伯爵の二番目の女の子が、仔牛が迷ってきたと思い黄色いリボンをむすんでくれました。

 仔牛は、「こわいなあ」「僕は一向に家中へなんどはいりたくないんだが」「支那の地理のことを書いた本なら見たいなあ」「公爵の子どもがきていた赤い上着なら見たいな」などマイペース。

 一方、赤狐はずる賢しそうにみえますが、自分一人だけでは行動できず、臆病なところもありそう。

 あれ?という感じの結末ですが、もう一度赤狐と仔牛の再会はありそうですから、そのときどんな会話になるのやら。

 版画で色のついているのは、表紙の淡い黄色いリボンだけです。


気のいい火山弾

2020年04月20日 | 宮沢賢治

     気のいい火山弾/宮沢賢治 たなかよしかず・絵/未知谷/2003年

 

 ある死火山のすそ野の柏の木のかげに「ベゴ」というあだ名の大きな黒い石が、ながいことじいっとすわっていました。

 ベゴは̚稜がなく、「卵の両はじを、少しひらたくのばしたやうな形で、ななめに二本の石の帯のようなものが、体を巻いていました。

 稜のある石たちは、ことあるごとに彼を馬鹿にしてはからかい、笑いものにしていましたが、ベゴは一切気にせず、受け流していました。

 柏の木や、おみなえし、苔、蚊までが馬鹿にしますが、ベゴは一切気にしません。

 ある日、ベゴがいる野原に火山弾を探しに来た立派な紳士がやって、ベゴを荷馬車にのせます。行き先は「東京帝国大学校地質学教室」でした。


 ベゴは、「私の行くところは、ここのやうに明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん」とあいさつして、去っていきます。

 

 草や木が話すというのは珍しいものではありませんが、石が話すというのにはあまりあったことがありません。

 火山が爆発してできた火山岩。この火山弾にとっては大学教授がやってくまでは、何千万年とたっています。まわりから何を言われようと、ずっと坐っているだけの存在。火山弾は明るい楽しいところではないといいますが、行った先では何かの役にたつ存在ですから、ある意味本望だったのかもしれません。

 雨のお酒、雪の団子、苔が赤頭巾をかぶるなど、宮沢賢治ならではの表現です。

 貴重な石を発見して、教授の一人の帽子が飛び上がって驚いている様子の版画も印象に残ります。


ネズミの御殿・・ロシア

2020年04月19日 | 昔話(ヨーロッパ)

     子どもに語るロシアの昔話/伊東一郎:訳・再話 茨木啓子・再話/こぐま社/2007年

 

 野原の真ん中に転がっていた馬の頭の骨の中に、ネズミ、カエル、ウサギ、キツネが次々にはいりこんでいるところに、熊がやってきて、御殿をぺしゃんとつぶしてしまうだけのお話ですが、動物のネーミングが楽しい。

 ネズミ・・チューチューねずみ

 カエル・・クワックワッカエル

 ウサギ・・すっとびウサギ

 キツネ・・はねっかえりギツネ

 熊・・・・ぶっつぶしの熊どん

 原文はどうなっているかわかりませんが、訳者の工夫でしょうか。何度も繰り返しますから後半は一緒に合唱できます。


うそつきやぎ・・ロシア

2020年04月18日 | 昔話(ヨーロッパ)

          ロシアの昔話/内田莉莎子:編・訳/福音館書店/2002年

 

 嘘をつくことはいけない? それでも嘘つくことにも言い分はありそう。

 おじいさん、おばあさん、むすめの三人暮らし。

 むすめがやぎのむれをつれて、草を食べさせに行きました。

 かえってきたやぎに、おじいさんがたずねました。

 ”おなかいっぱいたべたかい 水をたっぷり のんだかい”

 やぎたちは、食べて、飲んで、木陰で昼寝もしましたと、答えますが、いっぴきのやぎだけは ”おなかぺこぺこ のどもからから 昼寝なんぞ とんでもない”と、答えました。おこったおじいさんは、腹をたてて、娘を追い出してしまいました。

 次の日、おばあさんが、やぎをつれていきましたが、一匹のやぎだけは”おなかぺこぺこ のどもからから 昼寝なんぞ とんでもない”と答えると、おじいさんは、おばあさんも家から追い出してしまいます。

 三日目はおじいさんが、やぎをつれていきますが、あのやぎだけはあいかわらず、同じ答え。怒ったおじいさんは、よこっぱらがやぶけるほどぶちのめして、縄でしばると、包丁をとぎにいきました。

 これはたいへんと、やぎは縄をちぎってにげだし、うさぎの小屋に逃げ込みました。そしてかえってきたうさぎを脅かします。

 ”わたしゃ おてんばやぎ

 買われた値段は たったの 三えん

 よこっぱら なぐられて おんだされた

 どんどこ おまえを ふみつぶすよ

 つので ずぶっと つき殺すよ

 しっぽの ほうきで はきだすよ”

 ないていたうさぎをみたおんどりが、逆に やぎをおどかしてしまいます。

 むすめさん、おばあさん、おじいさんはいつのまにかフェードアウト。同情するひまもありません。昔話って不思議です。


エミットとかあさんの歌

2020年04月17日 | 絵本(外国)

    エミットとかあさんの歌/ラッセル・ホーバン・作 リリアン・ホーバン・絵 谷口由美子・訳/文研出版/1977年

 
 
 カワウソのエミットのお父さんは、もう死んでしまい、お母さんと二人暮らし。
 お母さんは美しい声の持ち主。子どものころはピアノをひいていました。
 
 二人の暮らしはぎりぎり、お母さんは洗濯板とたらいで洗濯をしていました。
 エミットはあちこちの船着き場においてあるお得意さんの洗濯物をあつめ、洗いあがったものを、また運んでいました。また、毎日魚をつり、お父さんが残してくれた道具箱をもって隣近所をまわり、たのまれたちょっとした仕事をしていました。
 
 ところが、今年は小麦の出来が悪く製材所での仕事も減ってしまい、こまっているものがたくさんいました。いつもお母さんに洗濯物を頼んでいたおかみさんたちも自分でやるようになりました。
 エミットのちょっとした仕事も製材所を首になったビーバーのジェイクやジャコウネズミのグローバーが、やるようになりました。
 
 そんななか、クリスマスまであとわずかというとき、耳寄りな話を聞きました。
 母さんはジャコウネズミのヘティから、エミットは、ヘティの息子のハービーから聞いたのです。
 ”水の町”の商店会がタレント・ショーをひらき、優勝者には五十ドルがでるというのです。
 
 ハービーからさそわれて、エミットは母さんのたらいの真ん中に穴をあけ、糸を張ったベースでカエル村がらくたバンドでショーに参加することに。
 
 一方、お母さんは歌でショーに参加するため、エミットの道具箱を質に入れたお金で生地をかい、ドレスを用意しました。
 
 一度でいいから目を見張るようなクリスマス・プレゼントをしたいと エミットはお母さんのために中古のピアノを、お母さんはエミットのため貝細工のきれいなギターを買ってやりたいと考えていたのです。
 
 クリマスプレゼントはお互いにだまって準備されました。このあたりはオー・ヘンリー「賢者の贈り物」そのもの。
 
 お母さんのたらいもエミットの道具箱も大事な大事な商売道具です。優勝できなければ商売道具はなくなり生活が立ちいかなくなります。
 
 いよいよはじまったショーでしたが、あくまバンドの圧倒的なあとに登場した母さんの歌声は、とおくから かすかにひびいてくるような かぼそい声で、誰にもきこえませんでした。がらくたバンドはせいぜい、コオロギか夜のカエルの声にしか きこえませんでした。タレント・ショーで優勝したのはあくまバンドでした。
 
 ここからどうなるのか心配していると、心温まる最高の結末がまっているのですが・・・。
 
 貧しい中でも明るさを失わない母さんと、エミットの親子関係はとても素敵です。
 
 クリスマス時期に読んでみたい物語です。

祭りの晩

2020年04月15日 | 宮沢賢治

        祭りの晩/宮沢賢治 たなかよしかず・絵/未知谷/2004年初版


 山の神の秋の祭りの晩、亮二は十五銭もらってお旅屋(というのはなにかよくわかりませんでした)にでかけました。 

 銭は戻りでいいからという客引きの声でおもわず見世物小屋に入った亮二でしたが、空気獣にうさんくささをかんじ、外に出ると顔の骨ばって赤い男にであいます。

 二人とも十銭を払って外に出ますが、その男の姿はすぐにみえなくなってしまいます。

 次に男にあったのは掛茶屋でした。見世物小屋で銭をつかってしまい「銭なしで何して団子食った」と どなられていたのです。

 男は薪百把もってくるからというのですが、掛茶屋の主人は二串と勘違いし、ますます怒ります。

 みるに見かねた亮二が、ぶん殴られそうになった男の草履をはいた大きい足の上に、たった一枚残った白銅を 黙っておきました。

 銭を主人の前にぱちっとおくと、男は風のように逃げ出してしまいました。

 亮二が、祭りであった男のことをお爺さんに話すと、「そいつは山男だ」と話してくれました。お爺さんも霧の深いとき、山であったといいます。

 急にどしんがらがらという大きな音がして、急いでラムプをもって外に出てみると、家の前には太い薪が山のようになげだされ、おまけに栗の実もありました。

 お爺さんは、こんなにもらうわけにはいかない、こんど山に行ったら何かおいて来ようといいました。

 挿絵は鉛筆画のようで白黒。この物語にはぴったりしています。

 亮二のやさしさと、お爺さんの蕭々とした雰囲気も伝わってきます。


すばらしい打ち上げ花火

2020年04月14日 | 創作(外国)

       オスカー・ワイルド童話集/幸福の王子/井村君江・訳/偕成社文庫/1989年

 

 打ち上げ花火が主人公。

 王子の結婚式を祝うため、王室付き花火師が集めた爆竹花火、筒形花火、回転花火、打ち上げ花火。

 爆竹花火は「偏見をみんなふっとばしちゃうからね」、筒型花火は「世界なんてものは、とっても大きいんだぞ。すっかり見ちまうには三日もかかるんだぜ」、回転花火は「恋物語は死んだよ、恋物語はしんだのよ」とつぶやいています。

 打ち上げ花火は「わたしが打ち上げられるその日に、王子が結婚される」と、豪語。

 血統のゆたかさも誇る打ち上げ花火。ところが涙を流して湿った打ち上げ花火は、不発になって、溝の中に投げ込まれてしまいます。

 泥の中でカエルとであいますが、カエルは一方的にしゃべるだけ。

 アヒルには「雄牛のように畑をたがやせたり、馬のように荷車がひけたり、牧羊犬のように羊の番ができたりするのだったら、そりゃ、ひとかどのものでしょうけど」と、相手にされません。

 「骨のおれる仕事というものは、なんであれ、なにもしない人間たちの避難所にすぎないとね」「わたしは世の中に大評判をまきおこすように運命づけられている」「わたしたちが姿をあらわすと、いつでも大変な注意をひきおこすのだ」といっていた打ち上げ花火でしたが、小さい男の子にひろわれ、たきぎにされてしまいます。

 打ち上げ花火は、たしかに爆発しました。けれども誰も音を聞いていませんでした。男の子たちもぐっすり眠っていたのです。

 ここまで極端ではないでしょうか、自己中心でまわりが見えないうぬぼれ屋さんの末路は滑稽です。


どんぶらこっこ すっこっこ

2020年04月13日 | 絵本(日本)

     どんぶらこっこ すっこっこ/村上ひさ子・文 丸木俊・絵/流々/2007年

 

 こどものとも1999年9月号として発行されたもの(福音館書店)が再発行されたものです。

 川のそばのがけの上に大きな根っこがあり、その根っこの小さな穴には小さなネズミが住んでいました。大雨が降り続いたある日、根っこはネズミを乗せたまま川に落ちて流れだし、あっちの岩、こっちの岩にぶつかりながら川をくだっていきました。

 滝つぼに落ち、とちゅうでウサギをのせたりしながら

 どんぶらこっこ すっこっこ どんぶらこっこ すっこっこ と流れていきます。

 二つの川の合流点をすぎると タカが襲ってきましたが 川に飛び込んで 根っこにつかまり さらに どんどん 流れて ようやく 中洲にぶつかって止まりました。

 するとそこへ カモの親子、きつね、山のカラス、きじや しらさぎ、たぬきもヘビも 根っこのまわりにあつまってきました。

 根っこは、動物たちの大きなテーブルになったのでした。

 「どんぶらこっこ すっこっこ どんぶらこっこ すっこっこ」が、なんども繰り返され、なんともリズムカルです。

 根っこが、月の明かりの下をながれ、竹林、栗林、柿の木、さつまいもの畑、白菜の畑、大根の畑をとおりすぎる様子が印象に残りました。 


金、銀、銅がでてくる昔話

2020年04月12日 | 昔話(外国)

 ツタンカーメンを持ち出すまでもなく、古くから装飾品として使われてきた金。
 金、銀、銅は紀元前何千年前からもまえから精錬技術が確立していたようで、その歴史は古い。

・「ベニスの商人」のなかで、ポーシャが求婚者をためすのにつかうのが、金、銀、銅の箱。


漁師とウルマとチャラーナ(太陽の木の枝/J・フィツオフスキ 再話 内田莉彩子 訳/福音館文庫/2002年初版)

 金、銀、木の笛がでてくるが、木の笛をふくと風の王が、銀の笛をふくと月の王が、金の笛をふくと太陽の王があらわれるというもの。


鳥とけものの戦争(アーサー・ランサムのロシア昔話/神宮輝夫 訳/白水社/2009年初版)

 金の王女、銀の王女、銅の王女がでてきます。

暁、夕べ、真夜中(子どもに語るロシアの昔話/伊東一郎・再話 茨木啓子・再話/こぐま社/2007年)

 つむじ風につれさられた三人の王女を、三人の若者が探し出しに。地下の銅の御殿には末の王女、銀の御殿には二番目の王女、金の御殿には一番上の王女が。それぞれに複数の頭を持つ竜がいて、それを退治したのは明け方早くに生まれた暁という若者でした。

 一番上の息子は夕方に生まれたので夕べ、二番目は真夜中に生まれたので真夜中と名づけられたのでした。

 

イボンとフィネット(フランス)(子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎・編/実業之日本社/1964年初版)

 はじめにででてくる金、銀、銅は、はじめは大きな鍋で煮えています。

 後半では、これから玉をつくり、巨人から追いかけられたとき、銅の玉をなげると、深い谷間ができ、銀の玉をなげると海が、金の玉をなげるとさかなの怪物があらわれ、追ってきた巨人を飲み込んでしまうというもの。


ロホラン王の三人むすめ(世界むかし話8 イギリス おやゆびトム/三宅忠明・訳/ほるぷ出版/1979年初版)

 王さまの三人のむすめが、大男にさらわれ、それを助ける末息子の話。

 大男から王さまのむすめを助け出すだけでは終わらない。かじ屋に助手として働いていた末息子が、一番目のお姫さまからは金の王冠、二番目のお姫さまからは銀の王冠、三番目のお姫さまからは銅の王冠をつくってほしいとたのまれます。


かぎのない箱(フィンランドのたのしいお話/ボウマン、ビアンコ・文 瀬田貞二・訳/岩波書店/1963年初版)

 狩人が雷鳥を矢で射ろうとするが、雷鳥のことばを聞いて、一年間えさをやり続けると、銅の羽を、二年目には銀の羽、三年目には金の尾羽をくれる。
 雷鳥とかぎのない箱を探すに行くが、雷鳥の妹がすんでいるという銅の塔、次に銀の塔、最後に金の塔につき、かぎのない箱を手に入れる。
 話はここまできてもまだ前半。これから狩人の冒険が続く。
 このなかでは、金、銀、銅が2回。単に三つのものを区別するためにつかわれているようだ。


赤いめ牛(デンマーク)(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱美 編訳/こぐま社/2001年初版)

 銅、銀、金の森というのがでてくるが、ここでは葉を表している。


 金、銀、銅の三点セットがでてくると、みかけにだまされないため、銅が主役になりそうだが、昔話のなかでは、かならずしもそうではない。