どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

お月さまのさんぽ

2020年06月30日 | 絵本(外国)

       お月さまのさんぽ/ブライアン・ワイルドスミス:作・絵 わたなべひさよ・訳/らくだ出版/1999年

 

 まだ一度も下の世界を見たことがないというお月さまに 太陽が「それじゃあ きみに したのせかいを あんないしてあげよう」と、案内していきます。

 町や村、家の外、内 そして続くのはイヌ、ぞう、ことり、ひょう、ライオン・・・。

 カラフルな生き物が次々にでてきて、その数17種類。生き物の毛一本一本までが丁寧にかかれていて、作者は、これを見てほしかったよう。

 「ぼくは なんて しあわせものだ。ぼくには みえないものなんて ひとつもありゃしない」と自慢する太陽に、お月さまがひとこと。「いいえ、あるは。あなたがいちど見たことがなくて、これからも ぜったいみられないもの わたしが毎晩見ているもの」。

 さて、それは?

 コラージュ、パッチワーク、抽象画風のさまざまな色合いも素敵です。


おひめさまのカレーライス

2020年06月29日 | 紙芝居

       おひめさまのカレーライス/山本和子・作 伊東美貴・画/教育画劇/2009年

 

 ピーマンランドのおひめさまが、いちばんだいすきなものはカレーライス。でもたったひとつきらいなものが。それはピーマンでした。

 お姫さまは、ピーマンを食べようとすると おなかが かなしくなるのです。

 ある日、森に迷い込んで、そこにあったお城に入るとドアが閉まって、あらわれたのドラゴン。おやつに食べられそうになりますが、カレーライスを持ったコックさんが現れ、ピーマンカレーをたべると、ドラゴンが、あなたをたべることができなくなると、言います。

 でもおひめさまは、ピーマンが嫌いで食べられません。

 さあ、ピーマンカレーを食べるか、ドラゴンに食べられるか!

 

 怖いドラゴン? いえいえ 結構チャーミングですよ。

 おなかが にっこりしたり かなしくなる というのも新鮮です。


2020年06月28日 | 創作(外国)

    続 月あかりのおはなし集/アリソン・アトリー・作 いたやさとし・絵 こだまともこ・訳/小学館/2008年

 

 トムが小川で釣ったのは七色の虹でした。虹はまだ小さくて、魚のようにはねたり、おどったりしたので、つかまえるのが本当に大変でした。

 庭に持っていくと、虹はどんどん大きくなりました。トムが手を伸ばしてとろうとすると、虹は手のあいだから朝つゆのように落ちてしまいます。

 トムはその日は一日中虹をながめていました。ホオジロが虹を通り抜けたり、シジュウカラが虹の上で小さなからだをゆらしたり、小鳥たちが集まってきてあそぼうとよびかけているのです。

 トムのお母さんが、あらった洗濯物を干しはじめましたが、洗濯物は虹をするりとぬけて、地面におちてしまいました。

 日がとっぷりと暮れると、目のいいトムがいくら目をこらしてみようとしても見えません。しかし、次の朝、庭には虹がふんわりとかかっていました。

 村中の人たちに、知らせてあげなければとトムは思いました。学校に行って自慢すると「庭に虹がかかるもんか」といわれてしまいます。みんなはトムの家にきてみますが虹はみえません。トムはしょんぼりして家のなかに入ります。

 不思議なことに、虹が見えるのはトムとお母さんと、雑貨屋のむすめのちっちゃなジマイカだけでした。

 虹はトムがあるとおもっているだけかもしれないと、もういちど庭に見てみると、虹はぐんぐん小さくなり、そのうちまるまって小さな玉になり、それからいろとりどりの小さな輪になって地面に落ちて、どこかへいってしまいました。

 トムはあちこちさがしてまわりましたが見つかりません。しょんぼりと家に帰ることにしました。その時、ごみをつんだ山の上で何かがキラッと光りました。手に取ってみると、それは小さなガラスのかけらでした。お日さまにガラスをかざすと、いろとりどりの光のリボンがガラスからこぼれます。そこには虹の色がみんなはいっていました。

 学校でガラスを見せると、虹がたしかに見えるとみんないってくれました。

 いっぽうトムのおかあさんが、いつものように桶で洗濯していると、せっけんのあわの上に、かぞえきれないほどの小さな虹が光っていました。

 お母さんが言います。

 「わたしも、ちっちゃな虹のかけらをもっているんだ! 虹は、空にあるとばかり思っていたけど、わたしの古い洗濯桶のなかにもあるとはねえ。そんなこと、思ってもみなかったよ!」

 

 あると思えば何かがみえてくるかも!

 虹を釣る、そしてその虹が大きくなったり小さくなるという作者の想像力に圧倒されました。

 せっけんのあわに虹が光るというのも桶だからこそ。電気洗濯機では、こうはいきません。

 創作は想像する力なのかも知れません。


うるさく、しずかに、ひそひそと

2020年06月27日 | 絵本(外国)


       うるさく、しずかに、ひそひそと/ロマナ・ロマニーシン アンドリー・レシブ 広松由希子・訳/河出書房新社/2019年

 

 うるさい音、しずかな音、高い音、低い音、おなじみの音。

 気持ちのいい音楽。楽器もいろいろ。

 自然の音は、ひいおじいちゃんや、ひいおばあちゃんから、きいてきた音と同じ。

 人間の耳には、聞こえてない音も、聞くことができる動物たち。

 それぞれの言語でちがう音。

 時には、しずかにすごす時間も必要。

 おわりは「それから、わたしたちは、じぶんだけの音を、さがす。そうして、耳をすまし、聞くことをおぼえ、世界をうけとめる」

 「音がきこえてくる絵本」という副題がありました。

 科学絵本ですが、聞こえるのがあたりと思っていると、そうでない人がいることも忘れてはいけません。

 声をださない人のことばも、きくことができると、手話にもふれられています。

 カラフルな色づかいで、音の世界がひろがっていきます。

 地球最強の「うるさい動物コンテスト」、「音の強さの単位」、「ラテン語の”オーディオ”は、”わたしはききます”という意味」などなどがコラム風にのっているのも楽しい。


鬼といりまめ

2020年06月26日 | 絵本(昔話・日本)

      鬼といりまめ/作・谷真介 絵・赤坂三好/佼成出版社/1991年

 

 「節分」の由来の話です。

 日照りが続き、田んぼの稲は枯れはじめていました。

 「誰でもいいよ 雨を降らせてくれたら、可愛い 一人娘を嫁にやってもいい」と何気なく母親が言った一言を聞きつけたオニに 「村中のどこの 田んぼの稲も みのってな。豊年万作に なるほど たくさん ふって くれたらな」と、母親は答えます。

 しばらくして雨がふってきて お百姓さんたちは大喜び。秋になると どこの田んぼの稲も 豊かに実りました。

 するとオニが山奥からやってきて、娘をつれていきます。母親はいつか会いに行くときの道しるべになるようにと 菜の花の種を娘にもたせます。娘は、オニにみつからないように菜の花の種を 足元に 落としていきます。

 冬になって雪が降ると、オニは朝からお酒ばかり飲んで よっぱらっているばかり。

 やがて春になって菜の花が咲くころ、娘はオニのすきを見て母親に会いに逃げ出します。

 娘は、道しるべの菜の花をたよりに、暴れ牛のように後を追ってきたオニから逃れ、母親の家にたどりつきます。

 母親が戸を閉め切り「酒ばかり飲んでよっぱらっているものに 可愛い娘はやれぬ」というと、オニは「もう、飲まぬ。約束するから 娘を くれろ」と頭を地面にこすりつけながら いいます。

 すると、母親は 戸の隙間から煎り豆をなげ、豆を植えて花を咲かせてみろと いいます。

 一年たっても 芽は出ません。オニはもう一度 豆をもらいに 娘の家にやってきました。

 母親は、また戸の隙間から 煎り豆をなげます。けれども豆は目が出ません。それを繰り返しているうちにオニは 豆を見るのが嫌になり、娘の家にも来なくなりました。

 

 娘の名前は「おふく」。節分に「福」は欠かせません。

 煎った豆を一生懸命育てるオニは なにかあわれです。改心して、約束の実行をもとめただけなのに。

 

 東京の絵原村や伊豆につたわるものからの再話とありました。


アーサー王のひひひひひまご

2020年06月25日 | 絵本(外国)

    アーサー王のひひひひひまご/作・ケネス・グレーグル 訳・津森優子/瑞雲舎/2019年

 

 伝説の英雄アーサー王のひひひひひまごのヘンリーは、誕生日の朝、ろばのナックルに またがり 冒険の旅に出かけました。
 目指すは、火を噴くドラゴン、一つ目大男のキュクロプス、鳥の怪物グリフィン、海の怪獣リバイアサン。

 「われは アーサー王の ひひひひひまごの ゆうしゃなり。おまえをたおしにきた!さあ、かくごを きめるがいい。たたかいの はじまりだ!」

 叫び声は勇ましいのですが、怪物達は遊び相手にしか思ってくれません。

 火を噴くドラゴンは けむりの わっか

 一つ目大男のキュクロプスとは にらめっこ

 鳥の怪物グリフィンはチェスのセットをとりだし

 海の怪獣リバイアサンは、きげんようううううううううううう!と大声


 ヘンリーはだれとも たたかえませんでした。けれども ともだちという おもいがけないものを みつけたのでした。

 ヘンリーは六歳の誕生日に、冒険の旅にでていたのです。ここにでてくる怪物は、とってもチャーミングです。

 アーサー王は伝説の英雄として映画などにもでてきますが、じつは実在の人物であったかどうかはっきりしていないといいます。


1わのおんどり コケコッコー

2020年06月24日 | 絵本(外国)

       1わのおんどり コケコッコー/イリーナ・ザトゥロフスカヤ・作 こじまひろ子・訳/福音館書店/2014年

 

リューカくんが おさんぽで あったのは?

1わのおんどり

2わの がちょうさん

3びきの くまさん

そして 最後は 9わの みみずくさんまで

無理なく自然におぼえられる数の絵本でしょうか。

落ち着いた色合いで、バックは はじめから おわりまで黒

くまさんのおやこ オロロロローと 鳴いていますが くまの鳴き声というのもはじめてでした。

朝から夜まで時間が経過しますが、昼も くろっぽくて 時間感覚がやや中途半端かな?


カボチャばたけのはたねずみ

2020年06月23日 | 絵本(日本)

        カボチャばたけのはたねずみ/木村晃彦/福音館書店/2011年

 

 おじいさんの畑で実ったずっしりとおもたそうなカボチャ。もう収穫間近です。
 そこに、子ども三人の はたねずみの家族がやってきました。

 とうさんがカボチャの実を切り取り、子どもたちが種を運び、小さな部屋になりました。

 次の日、とうさんは またカボチャの実を切り取り あかりとりの 穴にしました。

 次の日、とうさんは、あかりとりの あなを もうひとつ あけ 屋根に煙突をつけました。

 それからもとうさんは、ベッドを作ったり、ドアを取り付けたりしました。

 そうです。カボチャが はたねずみのお家になりました。

 毎日つくられるカボチャのスープ、コロッケ、ホクホクに、ケーキがとってもおいしそう。

 ところが いいにおいに ちかづいてきたのは 収穫にやってきたおじいさん。さあ、はたねずみのお家はどうなる?

 家の内部も住み心地よさそうです。

 カボチャの種も大切な食べ物というかあさんのいいつけをまもって、子どもたちは種をおひさまに ほしています。


かぜのかみとこども

2020年06月22日 | 絵本(昔話・日本)

   かぜのかみとこども/文・山中恒 絵・瀬川康男/フレーベル館/2012年

 

 むかし むかし 大人がみんな稲刈りの最中、残った子どもたちがお堂のところで遊んでいると、見たことのない男がふらりとやってきて、「梨や柿がうーんとなってるところへ行ってみたくないかな?」といいました。

 子どもたちが、そこへつれていってほしいというと、男は子どもたちを しっぽのようなものにのせ、ごうっと 風を起こして空高く舞い上がり、どこかの山の中へ。そこにはどの木にも柿や梨や栗がたくさんなっていて、子どもたちは とびあがって大喜び。

 ところが夕方になってあたりが薄暗くなると「これから ほかへいく ようじがあるから おまえたちだけで かえれ」と、男は ふいっと どこかへ とんでいってしまいます。


 あたりが だんだんくらくなり さびしくなってきます。子どもたちがからだをくっつけあうようにして山道を一生懸命歩いていくと あかりがみえました。「こんばんわ、こんばんわ!」と、声をかけると 大きなおばあさんが でてきました。緊張感が走りますが、ずいぶんやさしいおばあさんで、子どもたちは、ごはんをごちそうになります。

 子どもたちが知らない男についてきて、まいごになったと話すと、おばあさんは、男は二番目の息子の南風といいました。そして、おばあさんは風の神の親だから、北風の息子におくらせるといい、子どもたちは村にもどります。


 新潟の話を再話したもので初出は1972年。2012年に復刊されたものです。

 柿や梨、栗がでてきて、さらに北風と季節感があふれ11月ごろによく語られる話です。南風は無責任のようですが、季節の変わり目で出番はおわりました。

 でてくるキャラクターの表情や着物の柄が印象に残りました。


あかいかさ

2020年06月21日 | 絵本(外国)

    あかいかさ/ロバート・ブライト・作 しみずまさこ・訳/ほるぷ出版/2020年

 

女の子が、お日様が出ていても わからないと赤い傘をもっておでかけ。

あらあら 雲が出てきて ふってきた。

こいぬが 1ぴき いれてってー

こねこも 2ひき

にわとり 3ば

こうさぎ 4ひき

こひつじも

2ひきの やぎ

こぶたも 3びき

こぎつね 4ひき

びしょぬれの おおきなくまも

みんな みんな 赤い傘の中

雨の歌を歌っていると 雨がやんで

くまさん、きつねさん こぶたくん やぎさん・・・

みんな おうちにかえって・・

こんなにおおぜい傘に はいって 大丈夫?

しんぱいありません 傘が どんどん 大きくなりました。

 

傘だけが赤く、ほかはモノクロ。原著は1959年。小型の絵本で、ほほえましい内容です。

キノコの下では 虫たちが演奏していました。

梅雨の季節、傘はもってって よかった となりそう。


かっぱどっくり

2020年06月20日 | 絵本(昔話・日本)

        かっぱっどくり/文・萩坂昇 絵・村上豊/童心社/2000年

 

 いたずらで、いばりんぼうで、キュウリ畑を あらして たべたくせに「にがいのもある。こやしがたらん」と文句を言い、あたまの サラを、水で濡らして 力をつけ どーんと お地蔵さんをひっくりかえすなどやりたい放題のカッパ。

 働き者のごろべえが 川で 馬のあおを あらって 一服していると あおの尻尾にしがみついて 川の中へひきずりこもうとしていたのはカッパ。

 ごろべえのさけびをきいて 村の衆がかけつけますが、あおは かっぱをひきずって、かけだしました。

 ごろべえと 村の衆が、走って走って馬小屋にきてみたら あおはいるが カッパはみえません。あおが飼葉桶にくびをふって とんとんたたいたので、桶をのぞくと、カッパが ちぢこまって 手をあわせていました。

 高い木にさかさづりにされたカッパは、夜になるとヒョー ヒョー ヒョー ヒョーとなきつづけ、その煩いこと 気味の悪いこと。

 眠れなかったごろべえは、宝物をくれる、もう悪さはしないというカッパの約束で 縄を解いてやります。

 次の夜、そおーっとやってきたカッパは「宝物のとっくり」をもってきました。

 このとっくりは つげどもつげども酒が出てくるとっくり。

 これはカッパの恩返しと思いきや・・。

 カッパは「とっくりの そこを 三つ たたくと さけは でなくなりますが、そんなことは わすれてやってくだせえ」と、気になることを言い残していきます。

 いくらでも酒が飲めるとっくりをかかえ、働き者のごろべえは あさっぱから のんだくれ。そんな毎日が ずうーと ずっと つづくと 田んぼは草ぼうぼう。

 これこそカッパのたくらみ。

 あおも すっかり やせこけてしまった。

 ある日、ごろべえが水を飲むついでに馬小屋をのぞくと、あおがいない。あちこちさがすが、みつからず、そのうち草むらで 眠りこけていると、あおのいななきで目を覚まします。

 そこはごろべえの田んぼで、あおは 草ぼうぼうの たんぼにむかって しきりに くびをふっています。

 ごろべえは とっくりを ひっつかんで すっくと たちあがり 田んぼを見ていたが、とっくりの そこを三つたたくと 田んぼに とびこみます。

 このあと、しっかり仕事をしたごろべえは、秋にはちゃーんと収穫がありました。

 かっぱ、ごろべえ 川に引きずり込まれそうになるあお、村の衆、案山子の表情も見逃せません。

 いい相棒がいて、酒ずけにならなかったごろべえさん。酒もほどほどかな。

 神奈川県川崎の昔話がもとになっているといいます。


かわいい・・チェーホフ

2020年06月19日 | 創作(外国)

           新訳チェーホフ短編集/沼野充義・訳/集英社/2010年

 

 いつだって誰かのことが好きで、好きな人なしにはいられないオーレンカ。

 町はずれのジプシー村にある家の名義は、遺言状でもすでに彼女の名義になっていて、最初の結婚は同じ屋敷の離れを間借りしていたクーキンという男。

 遊園地を経営する興行師で、愚痴ばかりこぼしている男に心を動かされ彼を好きになったオーレンカは、プロポーズを受け入れ結婚。

 彼女は知り会いに、この世で一番素晴らしく、一番大切で、一番必要なものは芝居であって、本物の楽しみを味わい、教養ある人情豊かな人間になることができる場所は劇場だけだとまで、いうようになっていました。クーキンが俳優について言うことを、彼女もそっくりそのまま繰り返すのでした。

 ところがクーキンは、劇団員を募集するためにいったモスクワで死んでしまう。

 三か月後、あまりよく知らない年配のご婦人からすすめられ、プストワーロフと二度目の結婚。

 彼は材木商。彼女は材木倉庫に昼時までいて、夕方は事務所で請求書を書いたり商品を引き渡したり。夫の考えがそのまま、彼女の考えに。「もう芝居なんて見に行くヒマ、ありませんわ。お芝居なんて、どこがいいんでしょうね?」

 楽しく暮らしていた彼女に、六年後またもや別れが訪れます。プストワーロフは風邪で寝込み、四か月患ってあっけなく亡くなってしまいます。

 彼女がまるで修道女のように家に閉じこもった六か月後、今度は家畜の健康について、人間と同じように心を配らなければと言い出します。プストワーロフが生存中、彼女の家の別翼に下宿したスミルニンという連隊付きの獣医の影響でした。スミルニンは結婚して息子も一人いましたが、妻の不倫のせいで、彼女と別れ、今では元妻を憎みながらも、息子の養育費を毎月送っていました。

 ところがスミルニンは連隊とともに、どこかとおいところへいってしまい、オーレンカはまたひとりに。

 心が空っぽになり、何のために生きているのかわからない日がつづきます。町は四方八方に拡大し、ジプシー村は、いまではジプシー通りと呼ばれるようになっていました。オーレンカの家は黒ずみ、屋根はさびつき、物置は傾き、中庭には雑草が生えていました。

 ある暑い七月の夕方、スミルニンが数え年十歳になった息子のワーシャと、よりをもどした妻とあらわれます。

 オーレンカの借家に住むことになったスミルニン。スミルニンの妻は姉のところにいったきるで、スミルニンも毎日どこかに肉牛の検疫に出かけ、三日続けて家をあけることも珍しくなかったので、オーレンカはワーシャがまったくほったらしにされているようで、自分の住む離れにひきとり、そこで小さな部屋に住まわせることにしました。

 ワーシャを息子であるかのような気がしたオーレンカは、こんどは自分の意見を持ち始めます。中学校の勉強がどんなに大変か!。

 学校にもついていったオーレンカ。「あとはもうひとりでいけるからさ」といわれても、サーシャが中学校の玄関口のなかに消えるまで後姿を見送ります。

 彼女の内側では母性の感覚が激しく燃え上がり、赤の他人というのに、この子のためなら、そのえくぼ、その学帽のためなら、彼女は自分の命だって喜んで、感動の涙さえ流しながら差し出すことだろう。どうして?それにしても、いったいどうしてなのか?

 けれども、サーシャは、ときおりこんな寝言をいっています。

 「覚えてろ!お前なんかあっちに行け!ぶつなってば!」

 

 1899年に発表された当時女性の読者から強い憤慨や批判の声があがったといいます。

 夫の言うことをそのまま受け入れするオーレンカをみると、歯がゆい感じがするのも、もっとも。

 男にとって自己主張せず、自分のいいなりになり従順な女性というのは「可愛い女」となりそう。

 ところでオーレンカが、心の底まで男性に一体化していたのかには疑問が残ります。それは結婚にいたる過程がいかにも場当たり。誰でもよかったようにみえます。その背景には、父親は病気でいつの間にか死亡し、母親の姿ははじめからなく、まったく見えないし独りぼっちだったことが影響しているかもしれません。

 晩年?はサーシャにも裏切られる予感の終わり方も残酷。


おとなりさん

2020年06月18日 | 絵本(日本)

       おとなりさん/文・木坂涼 絵・大塚いちお/講談社/2020

 

 美味しそうな赤いリンゴの表紙をめくると、人形のくまさん、次のページにはうさぎさん。

 次のページにはリンゴ。

 おとなりさん、おとなりさんと なににいきつくかな?

 フォーク、プリンがでてきて  これは?

 さらに みかん メロン アイスクリーム さくらんぼ  

 そう プリン・ア・ラ・モード!

 ページをめくっていくワクワク感が続いていきます。


運命の衝撃

2020年06月17日 | オー・ヘンリー

    魔女のパン/オー・ヘンリー ショトストーリーセレクション 千葉茂樹・訳/理論社/2008年

 

 伯父の命令にさからって、ある女性とつきあったことから、あととりにすることを取り消され月々の背活費もすっぱり切り上げられ、にっちもさっちもいかなくなったバランス。

 ポケットにはペニー硬貨のひとつもなく、アパートも引き払る羽目になったバランスがむかったのはマジソン・スクウエアの公園。

 この公園であったのが、若いようにも、老けているようにもみえ、かび臭いにおいを身にまとい、ひげも髪も伸び放題の男。

 あいさつがわりに、マッチを借りたいといってきた男が誰かと話さずにはいられないと調子で話し出します。

 明日の十時にダウンタウンのどでかい弁護士事務所にいくという。そこで伯父貴のあとがまにすわって、三百万ドルを引き継ぎ、その上毎年一万ドルもらえることになって、おそろしくておそろしくてたまらないという。朝までに、木が倒れてきたり、馬車にはねられるかもしれない、屋根から石が落ちてきて頭にあたるかもしれない。

 金とは縁がないってわかっているときは、噴水の水がはねる音を聞いたり、馬車がいったりきたりしているのをみているだけで幸せだった。もうちょっとで金に手がかかると考えただけで、十二時間も待つなんてとてもじゃないけど耐えられない。

 目が見えなくなってしまうんじゃないか、心臓発作をおこすんじゃないか、金を手にするまえに、この世界がおわってしまうかも・・。

 ベンチで一晩過ごした男が弁護士事務所にむかうと・・・。

 オー・ヘンリーの結末がハッピーエンドでおわるはずがないと考えているとまさしく、そのとおりになります。

 この浮浪者はアイドといいましたが、伯父のボールディングが今回の件を考え直し、相続権を移すという話はなかったことにしてほしいといわれるはめに。でもバランス氏は、伯父さんからすぐもどってきてほしい、例の娘さんの件も考え直すといわれ、気を失ったようですよ。

 一万ドルは少なそうにもみえますが、20世紀初頭のストーリーというのを考慮すると大金になりそうです。ただバランスもアイドも相続財産で楽しようとはいただけません。

 お金がない生活の方が幸せといえる心境になりたいものです。


ロスチャイルドのバイオリン・・チェーホフ

2020年06月15日 | 創作(外国)

          新訳チェーホフ短編集/沼野充義・訳/集英社/2010年

 

 1894年に新聞に掲載されたチェーホフの短編。

 ロシアの民族主義者の多くが反ユダヤ的な姿勢をしめすようになった時期。何か特別の理由がなく、ユダヤ人を毛嫌いする棺桶職人のヤーコフが主人公です。

          

 病院からも、監獄からも棺桶の注文がめったになかった棺桶職人のヤーコフは、婚礼の日に楽団でバイオリンをひいてちょっとした副収入をえていました。

 楽団員はほとんどがユダヤ人。フルートを吹いているのは苗字が有名な富豪と同じロスチャイルド。

 ヤーコフは、これといった理由もないのに少しずつユダヤ人、特にロスチャイルドを憎み、軽蔑するようになりました。あれこれ言いがかりをつけ、汚い言葉で罵り、一度などは、ぶんなぐりそうになったくらい。そんなわけでヤーコフはめったに楽団に招かれなくなっていました。

 ある警官が二年も病気で衰弱して、その死をまっていると、この警察官は治療で都会に出かけ、そこでぽっくり死んだので、高価な棺桶を作る機会を逃しひどい損害をこむったと考えるヤーコフ。

 ある日、妻マルファがだしぬけに「わたしは死ぬわ!」と叫びます。マルファの顔は熱のせいでバラ色に染まり、異様に明るく、ヤーコフにも棺桶にも永遠の別れを告げることになったのを喜んでいるよう。

 老いた妻の姿を眺めていると、ヤーコフはふとこれまで、一度も優しくしたことも同情したことまなく、ただ怒鳴りつけ、損を出したといっては罵り、拳骨をあげてとびかかるだけだったんじゃないかと思い当たります。

 病院に連れて行くと、妻はもう間もなく死ぬだろうというのが明らかでした。

 自分で取り仕切り、立派に上品に、安上がりに行われた妻の葬儀。しかし墓地からの帰り道、ひどく気がふさぎ、体の具合もわるくなったみたいで、呼吸は熱っぽく重苦しく、やけに喉が渇いたヤーコフが思い出したのはやっぱり妻のこと。

 一つ屋根の下で暮らすこと52年、長い長い歳月がゆっくり過ぎていったが、どうしたものか、その間彼は一度も妻について考えたことも、特別目をむけたこともありませんでした。

 そのヤーコフもやがて、この世に別れを告げることに。医者の態度で、容態が生易しくないことを察し、どうしてこの世は、たった一回しか生きられない人生が利益をあげないで終わってしまうという奇妙な仕組みをなげき、家に帰ってバイオリンを見たとたん、胸がしめつけられ残念な気分におそわれます。

 失われてもう取り戻せない、損ばかりの人生のことを思いながら、彼はバイオリンを弾き始めた。そのとき木戸にロスチャイルドがあらわれ、どうしてもきてほしいと頼まれます。婚礼のためでした。しかしヤーコフは「病気になっちまってね、兄弟」と断ります。

 臨終の間際、司祭から、なにか特別な罪を犯した覚えがないか、とたずねられたヤーコフは、薄れいていく記憶の最後の力をふりしぼり、マルファの不幸な顔と、犬にかまれたユダヤ人の絶望的な悲鳴を思い出し、ほとんど聞き取れないような声で「バイオリンはロスチャイルドにやってください」といいます。

 ロスチャイルドはフルートをやめ、いまではバイオリンしか弾かなくなりました。それを聞く者は涙を流し、町で大変な人気になりロスチャイルドは、引っ張りだこになります。

 妻が亡くなってから、あれこれ回想するヤーコフ。身につまされます。