どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ハイエナの夢

2018年11月30日 | 昔話(アフリカ)

    西アフリカおはなし村/文・江口一久 画・アキノイサム 編集・国立民族学博物館/梨の木舎/2003年


 西アフリカとありますが、どこの国のものかはわかりませんでした。

 夢が現実になるものもあれば、そうでないものも。

 ハイエナが肉を食べている夢をみましたが、目を覚ますと、もちろん肉はありません。

 イスラム教の先生のところにいってみると、先生は「あしかたから、おまえさんのみる夢は、本当になる」と、いわれうれしくなったハイエナでしたが、次の日見た夢は、ハイエナは追いかけられ、つかまり、縄で縛られ、殺されかけます。

 ハイエナが先生のところへいって、「夢はほんとうにならなくていいです」と、いいます。

 自分勝手なのをいましめる話でしょうか?


ダイダラボッチ

2018年11月29日 | 絵本(昔話・日本)

      
    ダイダラボッチ/野村昌司・作 阿部公洋・絵/ぬぷん児童図書出版/1996年


 東京都大田区の地名にかかる巨人伝説です。

 小便すると人間が困るので、海に向かって小便していたダイダラボッチ。

 ある日、奥多摩のすんでいるダイタラボーと力比べ。
 相撲はきりがなくつづき、なかなか勝負がつきませんでした。
 二人の汗は、山を削り、谷川をつくって流れていきました。

 ところが小便したくなったダイタラボッチでしたが、山のふもとの小さな家が飲み込まれては大変と、海辺をめざします。
 海がすぐそこに見えるところまでやってきて我慢できない。

 踏ん張った右足のところがへこんで、貉窪、左の足で踏ん張ったほうがすり鉢山に。

 我慢できなくなったダイタラボッチが小便すると、虹になって、小便がたまったところは、洗足池になったんだと。

 人間に迷惑をかけないよう海に向かって小便するという楽しい話です。ダイタラボッチが、雲を思わせるように描かれ、とてもやさしい感じです。


イードのおくりもの

2018年11月28日 | 絵本(外国)


    イードのおくりもの/作:ファウズィア・ギラニ・ウィリアムズ・文 プロイティ・ロイ・絵 前田君江・訳/光村教育図書/2017年


 一か月にわたる断食がおわって、あしたはイードというおまつりです。

 くつやのイスマトは、お客が次々にやってきて品物は完売。

 今度はかみさんにはスカーフつきのうわぎ、おかあさんにドウバッタ、むすめにはうでわのおくりものを選びます。

 自分のものはなにも買わないので、お店で進められたのは売れ残ったズボン。でもゆび四本分ほど丈が長く、お店に人にたけをつめてくれるようお願いしますが、いそがしくて断られてしまいます。

 おかみさんは、贈り物に大喜び。しかしズボンのたけをつめてくれるよう頼むと、ビリヤニをつくるからと断られます。
 おかあさんにたのむとシール・コルマを煮なくちゃとことわられ、むすめにはサモサをつくらないと断られます。

 しかたがないので、イスマトは、自分でズボンをなおしてから喜捨にでかけます。

 イスマトがでかけると、おかみさんがズボンをゆび四本分切り落とし、ぬいつけておきます。おかあさんも親孝行のイスマトのために、ズボンをゆび四本分切り落とし、ぬいつけておきます。むすめのマフジャビンもズボンをゆび四本分切り落とし、ぬいつけておきます。

 帰ってきたイスマトがズボンをはいてみると、つんつるてん。
 四人がズボンをゆび四本分切り落としてしまったのがわかって、みんな大笑い。

 でもあわてず騒がず、切れ端をつなぎあわせて、ぴったりの長さに。

 食べ物がでてきますが、可愛い小鳥の注釈がついています。


 以前テレビで、エジプト出身の大砂嵐(2018年3月に現役を引退)がラマダン中に本場所を迎えたことが報道されていました。

 ラマダンは、イスラム教徒(ムスリム)が行う約1ヶ月間の断食のことですが、断食は期間中の日の出から日没までの時間に限られているといいます。

 飲み水も飲むことができないといいますから、真夏には厳しそうです。喫煙、性行為も日の出から日没の間は禁止。
 
 また、善人であれという教えが強く、人への親切心を重んじたり、他人へ物を施したりなど、おごる行為も盛んになります。イスマトが貧しい人や病気の人のための寄付をするというのが理解できます。

 ラマダンに参加できる年齢、ラマダンの期間、免除される場合、期間中の仕事などまだまだ知りたいことがたくさんあります。


漁夫の利、トラの威をかりるキツネ

2018年11月27日 | 絵本(昔話・外国)

    ほんとのほんとのむかしばなし―中国の寓言集 (6)/ヂョン マー再話 イエ・フエイ・絵 君島久子・訳/ほるぷ出版/1985年

 おなじみの故事成語ですが、学校ではいつごろでてくるのでしょう。
 歴史それとも国語?

 寓言集は全六冊とありました。高校以上にでてくるとすれば、小学校の中学年以上だったらすんなりとはいっていける絵本仕立てです。
 色彩があざやかで、背景も絶妙です。物語としても面白く語ってみてもよさそうです。

・漁夫の利

 どぶ貝としぎとの争い。しぎが貝の肉をついばむと、貝はふたをとじて応戦。
 しぎは、「はなさないと一日、二日したら、ひぼしになってしぬぞ」
 どぶ貝も「くちばしがとれなければ、一日、二日で飢え死にさ」
 どちらもいいあらそって、ゆずろうとはしなかったが、そこへやってきた漁夫が、しぎと貝の両方を  いっしょにつかまえてしまいます。

・トラの威をかりるキツネ

 トラがある日、一匹のキツネをつかまえました。食べようとすると、キツネは、「わしは かみさまからつかわされたもの、この森の 大王になるためじゃ。たべたら えらいことになるぞ」といいます。

 トラは信じません。

 するとキツネは「信じないなら、わしといっしょに くるがよい。わしが 前を歩くから、おまえは うしろからついてこい。けものたちが、わしを こわがるかどうか よくみるんだ」
と言い、トラと歩いていきます。するとウサギ、サル、シカも次々に逃げ去っていきます。しかしトラはそれらが自分を恐れて逃げていくことに気づかず、キツネを恐れて逃げていくのだと思ったのでした。


ふしぎなおみせ

2018年11月26日 | 絵本(日本)


    ふしぎなおみせ/井上 洋介/福音館書店/2000年


 半端ないお店がぞくぞく

 こんなお店があったらなあ~と夢がひろがるお店ばかり。

・かいだんやさん 階段があったら、うえに登って、夕焼け空をながめます

・あなやさん 穴をプールにするか、池にするか思案中

・かぜやさん 春風のなか、ハンモックでお昼寝です

・ひとだまやさん 人魂があったら、おにわのあかりにします

・わやさん 輪が一つあったらはつかねずみと一緒に遊びます

・みのむしやさん 蓑虫洋服が手に入ったら、風が吹いても暖かい

・たけとんぼやさん 竹とんぼで空をとびます。ドラえもんとあえるかな? 

 まだまだありますよ!

 男の子?女の子? どっちかな。横顔だけなのは何故?

 ここに「うそつきや」があったらどうなる?


ふゆめがっしょうだん

2018年11月25日 | 絵本(自然)


    ふゆめがっしょうだん/冨成 忠夫 茂木 透・写真 長 新太・作/福音館書店/1990年


 木の芽の冬姿を写真で紹介しています。

 まるで顔のよう。思わずうなってしまいました。

 時期的には春をむかえるあたりでしょうか。
 まさに、自然の不思議です。

 写真家は科学者でもあるんですね。

 ただ、えのき、さんごじゅ、ふじ、くわ、さんしょうなどはかろうじてわかりますが、あまり身近ではみられない木が多いのは、残念です。


ばかな狼・・モンゴル

2018年11月23日 | 絵本(昔話・外国)


       ばかな狼 モンゴルの民話/野中 惠子・文 トゥルブラム・サンダグドルジ・モンゴル切り絵/彩流社/2014年

 
 版画を思わせる切り絵が特徴的な四話の動物寓話。モンゴルという注釈がないと、どこの国の昔話といってもおかしないものばかりです。


ばかな狼

 このうえない利口者と思っていた狼。
 狼が羊の肉で作ったプデングが落ちているのを見て、食べようとすると、南の方にぬかるみでうごけなくなっている馬がいるというので、探すに行くと、本当に馬がぬかるみで、動けなくなっていました。

 馬が言うには、ぬかるみからだして、ごゆるりと召し上がったらどうですかといいます。苦労してひきだすと、今度は泥のままでいいですかといわれ、狼は泥をぺろぺろなめて、きれいにします。

 冥途の土産に足の蹄に書いてある字を読んでくれといわれ、狼が馬の後ろから蹄をみようとすると・・・。

 自虐的な狼の反省ですが、昔話によくあるパターン。利口者がじつはなんとも人の言うことを信用するお人よしだったという、おしまい。

 狼はいつも損な役割です。
 プデングと馬しかでてきませんが、さらに羊とかウサギがでてくると昔話の世界です。


狐とはりねずみと烏の話
 「烏矢の、はりねずみ撃ち」という諺。日本の諺で同じ意味の諺を思い浮かべましたが、浮かびませんでした。

 狐とはりねずみと烏が仲良く兄弟のように暮らしていましたが、ある日狐が夜になってももどってきません。 
 はりねずみが探しに行くと狐が罠にかかっていました。はりねずみは狐に巻きついている縄を、ちょっとだけ歯をあて、「おれの歯ではかみきれん.烏の嘴なら大丈夫だろうと」といいながら、烏をよびにいくどころか、近くの藪でぐうぐう寝てしまいます。

 いつまでもかえってこないはりねずみに、業を煮やした烏が、狐の縄を嘴で、突っついていると、そこにやってのは猟師。
 死んだふりをした狐を猟師が肩に担いで家に帰りかけると、烏が飛んできて、猟師の頭、腕、背中、いたるところ突っつくと猟師は思わず、狐を腕からはなしてしまい、狐は逃げてしまいます。

 猟師が烏に弓矢をはなつと、烏は草むらに隠れます。

 ところが矢があたったのは、草むらに寝込んでいたはりねずみでした。

 国を問わず、諺があるのは、端的に真実を言いえているからでしょうか。


利口な子うさぎ
 母ウサギがライオンに食べられてしまった子ウサギ。

 一番小さな子ウサギが大きな木に、縄ブランコをとりつけ、ブランコのてっぺんには大きな輪、脇の小さな木にも小さな縄でブランコをつくります。

 子ウサギがブランコをこいでいると、そこへやってきたのはライオン。「ブランコをこいでいると肉がついて味がよくなる」という子ウサギ。

 「わしも思い切り肉をつけるぞ!」というライオンに、熊が予約済と乗るのをことわると、無理やりブランコに乗ったライオン。首のまわりに縄が絞まり、ライオンは、その場に、宙づりになってしまいます。


馬と親切なうさぎ
 馬が、人間に袋に閉じ込められた狼を助けると、狼に食べられそうになりますが、そこへ通りかかったうさぎが、ことばたくみに狼をもとの袋に入るよう誘導し、再び袋に閉じ込めてしまうという、よくある昔話のパターンです。

 これには前段があって、遠くの土地に売られた兄弟馬が、故郷が恋しく逃げ出すところからはじまります。
 途中、兄は「小さな道はいくな」「得体の知れんものには近づくな」「縛ってあるものを、ほどいてはならん」と言い残して動けなくなります。
 弟馬は兄の忠告を無視して災難にあったのでした。
 弟馬は、自分の子どもにもこの忠告をいいきかせます。
 ただ、うさぎに感謝したかどうかは不明です。

 寓話は、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。 名無しの登場者は、動物、静物、自然現象など様々だが、必ず擬人化されている。
 主人公もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を表現する本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって読者の興味をひき、解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ。民話によく見られるように、物語の語り末には、寓意的な解釈を付け加えることが習慣的に行われてきた。(ウイキペデアから)


木のすきなケイトさん

2018年11月22日 | 絵本(外国)


    木のすきなケイトさん/文:H.ジョゼフ・ホプキンズ 絵:ジル・マケルマリー 訳:池本 佐恵子/BL出版/2015年


 副題に「砂漠を緑の町にかえた ある女のひとのおはなし」とあって、「バルボア公園の母」とよばれたケイトさんの伝記です。

 1881年、茶色の砂に覆われた砂漠の町、サンディエゴで学校の先生として働くことになったケイトでしたが、町の公園(のちのバルボア公園)を見て、どうにか木を育てたいと考えました。

 サンデイゴのほとんどの人が「あんな所に木なんか育つはずがない」と思っていましたが、ケイトは「木は、あの公園にもきっと育つ」「サンディエゴにも、木や森がほしいと」と、先生をやめて園芸家になります。

 ケイトは、森で遊ぶのが好きな女の子で、葉っぱを集めたり、花といっしょに編んでネックレスやブレスレットを作ったりしました。ケイトが木や森がほしいと思ったのは、幼いころすごした森の中での体験が出発点でした。

 ケイトはサンディエゴにぴったりの木をさがすことからはじめます。世界中の木について、ずっと勉強し、世界中の園芸家に手紙を書いて砂漠でも育つタネさがします。
 こうしたことをささえたのは「はじめての女性の科学者」とカリフォルニア大学を卒業したことでした。

 やがてケイトの畑で育った小さな木が、公園や広場、通り、学校、家の庭に植えられます。

 もうひとつ転機になったのが1915年に予定された「パナマーカリフォルニア博覧会」でした。

 博覧会の会場は学校からみえた公園でした。公園に木がもっと増えれば、公園は美しくなり、博覧会に来た人も、木陰ですずしくすごせます。
 ケイトは親しい人に「木をたくさん植えますから、友達をつれてきてください」と頼み、集まった人の輪で博覧会が始まったときは、数えきれないほどの木や植物が「バルボア公園」いっぱいに、しげっていました。

 サンディエゴに、こんな庭園があるのはケイトのおかげでした。

 絵本ではえがかれていませんが、植物の苗畑に使うため、毎年100本の木を公園に植えること、ほかに300本の木を市にゆずる約束して、町の公園を借りたりする努力もしています。

 先駆者としてあきらめない努力が茶色の町の風景を変えたのはありますが、まわりの多くの人の理解がないと緑化も広がりません。もう少し他の人々とのかかわりもえがいてほしかったと思いました。

 時代は1800年代後半から1900年代はじめが中心で、この当時のアメリカでは、女の子は手を汚すことをしてはいけないと言われ、女の子が科学を学びたがるなんてとんでもないと思われた時代でした。しかしケイトは平気でどろんこになり、周りにどう思われても、熱心に科学の勉強をしつづけています。

 ところでサンディエゴは、アメリカのカリフォルニア州にあり、州内ではロサンゼルスに次いで人口が多い。
 基地の街として軍関係の企業が発展していたところへ、現在では情報通信関連の企業や、バイオ、製薬、医療機器の企業などが集結しはじめているといいます。

 ついでにいうと、カリフォルニア州は、アメリカとメキシコ戦争の結果、1850年にアメリカの州になっており、この当時のサンディエゴ郡の人口はおよそ3,500人で、2,700人ほどの原住アメリカ人という構成であったといいますから開拓者は800人ほどと隔世の感があります。


ドラゴン伝説

2018年11月21日 | 絵本(外国)


    ドラゴン伝説―異国の竜の物語/デイヴィッド・パーシィズ・作 ウエイン・アンダースン・絵 岡田淳・訳/BL出版/2000年


 龍は、ヘビ、ワニ、はたまたトカゲの見間違いか?

 西洋ではドラゴンとよばれるが、いずれも想像上の生き物。

 でてくるのは、バビロンのティアマト、インドのブリトラ、ギリシャ神話のヒドラ、北欧神話のファーヴィニル、イギリスの火の竜・ワーム・ワイバンそして中国の竜と名前もさまざま。単に竜とされているものなど。

 もちろん細部には違いはあるが、世界各地で同様に想像されたものとして龍ほど似通っている生き物は不思議。

 中国の竜がみじかでしょうか。成長するのに1500年、角が伸びるのに500年、翼が完全になるにはさらに1000年。天の竜は神々の宮殿を支え、神の竜は風と雨を支配します。地の竜は河川を治め、地下の竜は財宝と貴金属を守る存在。

 北アメリカのピアサとよばれる竜は、人間の顔をしていて、尾が背から頭をぐるりとまわり、さらに足の間をくぐりぬけるほど長い尾をもっています。

 とてつもなく大きいのが、北欧神話に出てくるミドガルド。胴が世界をひとまわりしています。

 この絵本には、日本のものがでてきませんが、訳者が紹介しているのは、古事記に登場するヤマタノオロチ。そのほか、古墳などには四神の青竜がでてくるといいます。


みんなでつくる1本の辞書

2018年11月20日 | 絵本(日本)


    みんなでつくる1本の辞書/飯田 朝子・文 寄藤 文平・絵/2015年(初出2013年)


 まさしく「1本」とかぞえるものの辞書です。

 日本語には助数詞が約五百種類ありますが、そのなかでも「本」にしぼっています。

 「1本」と数えたものの絵が、350以上出てきますから結構な種類です。

 面白いのは業界用語でしょうか。

 家具屋さんでは、家具すべてを「一本」と数えているということ。それには職人さんがつくり、店にならべ、買ってもらったお客さんの家に届ける一連の流れを表現しているということです。

 鉄道はダイヤグラムで発車順がきまっていて「1本」とアナウンスしますが、直後には「無理をせず、1台おまち下さい。電車はつづいてまいります」とアナウンスするということ。ダイヤ上の運行数は「1本」で、乗り物としてかぞえているのは1台。

 個人的には助数詞の方に興味がありました。例をあげてみると、日本語がなんと難しいかわかりました。

(食べ物)
ご飯 - 1膳(ぜん)、1杯(はい)
食パン - 1斤(きん)あ行
イカ - 食品の場合は1杯(はい)、生物の場合は1匹(ひき)
うどん - 麺を指す場合は1玉(たま)。1杯(はい)
握り寿司 - 1貫(かん/二個で1貫説、1個で1貫説あり)、1個(こ)
タコ - 食品の場合は1杯(はい))
料理 - 1品(しな、ひん)、1人前(にんまえ)
果物 - 1果(か)、1菓(か)、果実は1顆(か)
エビ - 1頭(かしら)、1尾(び)
乾麺 - 1把(わ)、
魚 - 1匹(ひき)、1尾(び)、1喉(こん)
酒 - 1献(こん)
砂糖 - 1斤(きん)、1叺(かます)、1貫(ぬき)
海苔 - 1帖(じょう)10枚
箸 - 1膳(ぜん)
はららご(たらこ、筋子など、魚の卵塊) - 1腹(はら)
羊羹 - 1棹(さお)、1本(ほん)、1切れ(きれ)
米俵 - 1俵(ひょう)、1輿(こし)
豆腐 - 1丁(ちょう)

(住宅関連)
家 - 1戸(こ)、1軒(けん)、1棟(むね、とう)
灯り - 1灯(とう)
行燈 - 1張(はり)
椅子 - 1脚(きゃく)
鏡 - 1面(めん)
掛け軸 - 1幅(ふく)、双幅の場合には1対(つい)
井戸 - 1本(ほん)、1基(き)
畳 - 1畳(じょう)
蚊帳 - 1張(はり、ちょう)
箪笥 - 1棹(さお)
提灯 - 1張(はり、ちょう)、1帳(ちょう)
机 - 1脚(きゃく)、1台(だい)、1卓(たく)

(日常生活)
衣類 - 1着(ちゃく)
傘 - 1本(ほん)、和傘は1張(はり)
こて(アイロン) - 1丁(ちょう)
はさみ - 1挺(ちょう)
半紙 - 1帖(じょう)20枚
宝石 - 1粒(つぶ)、1顆(か)
新聞 - 1部(ぶ)
薬 - 1錠(じょう)、1カプセル、1服(ふく)、1包(ほう)、薬に包んだ散薬は1貼(ちょう)
靴 - 1足(そく/左右1組で)
墨 - 1挺(ちょう)
算盤 - 1面(めん)、1挺(ちょう)
お年玉 - 1封(ふう)
テープ(音響用、データ用) - 1巻(かん)
手紙(書簡) - 1通(つう)、1封(ふう)、1本(ほん)
株式 - 1株(かぶ)
銀行 - 1行(こう)

(着るものつけるもの)
烏帽子 - 1頭(かしら)
襟 - 1掛(かけ)
帯 - 1筋(すじ)、1条(じょう)
反物 - 1反(たん)、1匹・疋(ひき、むら)

(動植物、昆虫、鳥類、植物など)
アリ - 1頭(とう)
蝶 - 1頭(とう)
鳥類 - 1羽(わ)
虫 - 1匹(ひき)
ウサギ - 1羽(わ)
牛 - 1頭(とう)
花 - 1輪(りん)
花びら - 1片(ひら、へん)、1枚(まい)
枝 - 1枝(えだ)

(動くもの)
航空機 - 1機(き)
船 - 1隻(せき/船舶、艦船、艦艇など)、1艘(そう/帆掛舟等)、1艇(てい/ヨット、競漕ボート、艦艇など)、1杯(はい/伝馬船、艦艇など)
車両 - 1台(だい/自動車)、1両(りょう/鉄道車両など)
原動機 - 1発(はつ)、1基(き)

(娯楽・ゲームなど)
映画 - 1巻(かん)、1齣(こま/シーン)、1本(ほん)
囲碁の対局 - 1局(きょく)、1番(ばん)
将棋の対局 - 1局(きょく)、1番(ばん)

(スポーツ)
安打 - 1本(ほん)
相撲 - 1番(ばん/取組)、1枚(まい/番付の地位)

(武器等)
矢 - 1手(て)(矢二本で1手)、1条(じょう)、1本(ほん)
槍 - 1本(ほん)、1筋(すじ)、1条(じょう)、
弓 - 1張(はり、ちょう)
騎馬・騎兵 - 1騎(き)
銃 - 1挺(ちょう)
弾丸 - 1発(はつ、ぱつ)
戦車 - 1両(りょう)
大砲 - 1門(もん)
戦い - 1戦(せん)
刀剣 - 1振(ふり)、1腰(こし)、1口(くち)、1剣(けん)、1刀(とう)

(文芸など)
俳句 - 1句(く)
本 - 1冊(さつ)、1部(ぶ)
巻物 - 1巻(かん)
和歌 - 1首(しゅ)
川柳 - 1句(く)
演能 - 1番(ばん)
詩 - 1篇(へん)
鼓 - 1張(はり、ちょう)、1丁(ちょう)
三味線 - 1棹(さお)、1挺(ちょう)
琴 - 1面(めん)、1張(はり、ちょう)

(宗教関係など)
霊 - 1柱(はしら)、1位(い)
仏像 - 1躯(く)、1体(たい)
墓所 - 1区画(くかく)
墓石 - 1基(き)
塔婆 - 1基(き)
神 - 1柱(はしら)
地蔵 - 1尊(そん)
袈裟 - 1領(りょう)
遺骨 - 1体(たい)、1柱(はしら)
灯籠 - 1基(き)
魂 - 1柱(はしら)
数珠 - 1連(れん)


すうじの絵本

2018年11月20日 | 絵本(日本)


    すうじの絵本/作・絵:五味 太郎/岩崎書店/1985年


 家の中を見ると、時計、カレンダー、電話、テレビのチャンネル、体重計などなど、あまりにも当たり前になっているので、ありがたみが忘れられている数字。
 そのほかにもスポーツ、距離、速さなどの表示がでてきます。

 この便利さは、数字がなかったらどうなる?と疑問をだすことで理解できそうですが、この絵本の先は、大人の出番かも。

 江戸時代の時間表示は、子(午後11時~午前1時)、午(午前11時~午後1時)、丑(午前1時~午前3時)など。昔の人は漢数字が当たり前のことが、今ではやや戸惑う。

 プロ野球選手の通算安打数は、選手のすごさをふりかえるに指標。気圧や風速は台風の強さの予測にも便利。過去を見るのも予測するのも数字があれば一目瞭然です。

 数字の歴史を調べてみると興味深いことがあります。アラビア数字に感謝です。


花仙人

2018年11月19日 | 絵本(昔話・外国)


    花仙人/松岡 享子・文 蔡皋・画/福音館書店/1998年


 今から千年前、皇帝仁宗(北宋)が中国を治めていたころの中国の昔話の再話。

 早くに妻を亡くして独り暮らしの秋先は、若いころから花が大好きで、人から”花きちがい”とよばれるほど。

 花屋で気に入った花を見つけると、手元に金があるかないかを考えるより花を買います。

 時がたち、秋先の庭は、みごとな花園になり、とりわけボタンは、五色の雲が舞いおりたようでした。
 秋先は、花の命を大切にし、人が花を折るのをおそれるあまり、めったに自分の庭に人をいれませんでした。

 ところが、秋先がすむ長楽村に別荘をもっていた張委が秋先の庭を見て、むりやり中にはいろうとします。さからえばよけいひどいことをするとしっていた秋先は、じっと我慢していました。
 張委とごろつきのような手下は酒もりをしようといいだし、大騒ぎ。そのうち張委が、庭を売ってくれるよういいだしますが、秋先はもちろんことわります。張委がよっぱらって、立ち上がると足元がふらついて、たまたま手にふれた花を折ろうとします。「折ってはならない」という秋先でしたが、手下が花を一本もぎとると、ほかの手下もおもしろがって手あたり次第、花を折りはじめます。

 無残になった花園で、秋先がなげいていると、年のころ16,7の美しい娘が声をかけてきました。なげく秋先に、娘は、「落花返枝の術」をつかい、もういちど花を枝にもどして姿をけします。

 「天の帝がつかわしてくださった仙人にちがいない!」と、秋先は天をあおいでお礼をいいます。

 それから、自分の心が狭かったと、花を見たいと人をこばまず、庭の門をひらいて、花をみんなに見てくださいと村人にすすめます。

 ところがうわさをきいた張委によって、妖術つかいとして訴えられます。娘の名前もこたえられない秋先は、妖術をつかったと、きめつけられてしまいます。

 けれども、再びむすめがあらわれて・・・。

 前段はゆったりすすみますが、ここからのテンポがダイナミックに展開します。

 娘というのは仙人でした。西洋だと妖精や魔法使いがでてきもおかしくありませんが、仙人というのがアジアらしい話です。

 絵は、色がついた山水画風で、この物語にぴったりです。

 巻末に、松岡さんのあとがきがあって、一つの作品が出来上がるまでのいろいろな思いが伝わってきます。


そっといいことおしえてあげる

2018年11月18日 | 絵本(日本)


         そっといいことおしえてあげる/おのりえん・作 垂石 眞子・絵/福音館書店/1998年


 「そっといいことおしえてあげる」といわれたら、なあに?と聞きたくなります。

 「あなたが うまれた そのときに、あなたの ともだちも そして あなたに あいたいと、ずうっと ずうっと まっている。おおきな おおきな ちきゅうの どこかで、あなたをまっているんだよ。」

 そして、「もしも あなたの ともだちが ○○ならば」」とはじまり、キリン、カバ、タンポポ、トナカイ、コンドル、テントウムシ、ウサギがでてきます。

 キリンは あたまにのせて、つきのはじっこをかじらせてくれる
 タンポポは、わたげにのせて あなたを おそらに とばしてくれる
 トナカイは、はるのおどりを おどってくれる
 ウサギは、つめたい朝にむねにとびこんで あなたは ぽかぽか あったまる

 こんなことおしえてくれたら、とっても幸せになりそう。

 「ひとりじゃないんだよ」といっているよう!


くだもの だいすき!

2018年11月18日 | 絵本(外国)


    くだもの だいすき!/文・絵:マレーク・ベロニカ 訳:マンディ・ハシモト・レナ/風濤社/2011年


 もしちかくに果樹が実る木がなく、畑もなかったら、スーパーに並ぶ果物がどこになっているのかわからないかもしれません。

 作者がハンガリーの方で、個人的にはなじみのない果物もでてきますが、果物がメロン、スイカのように土の上で育つか、ツルに実るブドウをのぞけば、ほとんどが木に実のを身の回りにある果物を総動員して説明しています。

 スーパーでは、いつでも季節をとわず果物がならんでいますが、旬の時期がわからなくなっているのでは?

 こうした絵本が必要だというのも、少し寂しい限りです。


よっぱらったゆうれい

2018年11月17日 | 絵本(昔話・日本)


        よっぱらったゆうれい/岩崎京子・文 村上豊・絵/教育画劇/2003年初版


 でだしは落語風。

 番頭のちゅうべいさんが留守番している骨董屋にやってきたのはおさむらい。
 これはだめと番頭さんからことわられた刀。だめといわれるとほしくなるのはつね。名刀とかんちがいし、刀をぬこうとすると、これが木の刀。番頭さんのいうとおりです。

 次にやってきたのは掛け軸がほしいという横町の隠居さん。黒いモミジの山水の絵と何が書いてあるわからない書は敬遠です。
 これならおきにいるかと番頭さんが、もったいぶったてつきであけた箱には、なんと丸山応挙が描いたというゆうれいの掛け軸。
 骨董屋の主人が、古物市で一両で買ったのを百両とふっかけますが、隠居さん、応挙なら百両するとお買い上げ。
 もちあわせがなかったのでしょう、明日の朝にやってくることに。

 前祝いとばかり、とっくりと盃をもってくると、急にあたりが暗くなって「ひゅ~~っ どろどろ どろ」「あたしよん」とでてきたのは、女のゆうれい。
 掛け軸を見るとからっぽ。どうやら掛け軸からおでまし。

 まめなゆうれい、番頭さんに酒をすすめ、つまみも自分で準備。それから、さしつさされつのどんちゃんさわぎ。酒が入るとゆうれいの ほおが ぽおうっと さくらいろ。

 「あーら、ばんとうさん いいこえねえ」と、おだてもうまいゆうれい。
 「うたもうたうわよ」とゆうれいも踊りながら歌。

 番頭さん、よいつぶれて座敷で大の字。

 翌朝、番頭さんが目を覚まし、掛け軸を見てみると、掛け軸のゆうれいも居眠り中。

 番頭さん、百両がふいになると「おきて おきて おきておきてださいよ」とおねがいしますが?

 どうも大人がにやりする絵本。絵は昔話風で、ねこもねずみも酒盛り、踊って彩をそえています。

 応挙さん、にせものも多いようですから、どうだったのでしょう。ゆうれいが抜け出すほどですから本物かな。