どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ブタの世話をした男の子・・メキシコ

2018年03月31日 | 昔話(北アメリカ)

   ふしぎなサンダル/世界むかし話 中南米/福井恵樹・訳 竹田鎮三郎・絵/ポプラ社/1979年

 たいそうなお金持ちが飼っているブタの世話をしていたファニート。

 両親が貧しかったので6歳!から働いていましたが、お金持ちの主人が遠く離れた牧場にひっこししても、ブタの世話をしていました。

 いつも歩きづめに歩いていて、帰る頃にはもう外はまっくら。

 歩くときには、親が寒い思いをしないですむように、薪によさそうな木切れをひろって、持ち帰っていました。

 ある日、ブタが鼻をふんふんして地面を掘って、なにかひっぱりだしていました。見るといい薪になりそうなのでファニートはひろって持ち帰ります。

 お父さんは、これがなにかわかっていましたが、なにもいいません。ファニートは10年間ブタの世話をして、みょうな木切れも部屋のまわりを取り囲む壁のようになりました。

 やがて金持ちがブタを全部売り払ってしまったので、ファニートも仕事を失います。

 するとお父さんは、みょうな木切れを銀貨づくりの工場にもっていって、まるい銀貨に変えます。

 みょうな木切れというのは、じつは山賊たちが地面のなかにかくしておいた純銀でした。

 しばらくして、金持ちが、またブタを飼いだし、その世話を頼みにファニートのところへやってきますが、以前家があったところは、品のいい家が建っており、家じゅうがバラでおおわれていました。

 ここはファニートの家でした。ファニートは、町でいちばん貧しい人をまねいて、食事を提供していました。どうして、そんなことになったのかは、金持ちにはわかりませんでした。

 6歳から働くというのは、昔はめずらしくなかったかもしれませんが、お金持ちになって貧しい人へ食事を提供するというのは、なかなかできることではありません。

 純銀をかくしていた山賊はびっくりしたでしょうが、もとは盗んだもの。それが人を助けることになったのは、山賊にとってもよかったかも。

 神さまは、家計を助けていたファニートをだまって見過ごすことはありませんでした。


うめぼしさん

2018年03月30日 | 絵本(日本)


    うめぼしさん/かんざわ としこ・文 ましま せつこ・絵/こぐま社/2015年

 花が咲いて、実ができ、おもしで塩漬け。天日干しされ、お酒をふりかけられ、瓶の中。うめぼしができるまでが、わらべ歌風になっています。

 四行の文が3ページ。あとは全部五行です。

 こんな風です。

 うめぼしさん うめぼしさん
 あかい かおして しわ よって
 なかに あるのは たねばかり
 たねの ごてんで ねてござる
 天神さまが ねてござる

 むかし、おにぎりの定番といえばうめぼしでした。
 ちょっとすっぱい、うめぼし。そういえば種をずっとなめていたのを思い出しました。

 しわしわの感じは、こんな風

 そこで すだれに のせられて
 なつの どようの おひさんと
 ひゃくの こぼうず にらめっこ
 しわの よるさえ きが つかぬ
 しわの よるさえ きが つかぬ

 青い実がどんどんかわっていく様子が表情ゆたかです。


天国にいったファン・・コスタリカ

2018年03月29日 | 昔話(南アメリカ)

      ふしぎなサンダル/世界むかし話 中南米/福井恵樹・訳 竹田鎮三郎・絵/ポプラ社/1979年

 人間の寿命をあらわす石油ランプ。

 突然天国にいったファン。まずは待合室に案内され、そこで待つようにいわれます。

 ファンは自由に歩き回り、ある部屋に行くと部屋中に石油ランプが燃えていました。ランプは、どれも生きている人の命をあらわしているといわれます。自分のランプがどれかと聞くと、あまり明るくないランプ。

 ファンは、いったん部屋をでますが、聖ペテロが門のところにいるのをみると、すぐに部屋にもどり、自分のランプの灯心をきれいに掃除して、そこに新しい油をいれます。

 ここで、寿命がのびるのかと思ったら、聖ペテロにみつかって、禁じられたことをしたら、地上にもどることになるぞと注意されるだけで、その場はすみます。

 昔話では、地獄に寿命をかいた帳面があったり、ろうそくが寿命をしめしたりとあらかじめ予定されているという考え方が多い。

 そこで、なんとか寿命をのばそうとする人間と、閻魔さまや天国の聖ペテロなどの、やりとりがお話として成立しやすいのでしょう。


牛をかぶったカメラマン

2018年03月28日 | 絵本(外国)


   牛をかぶったカメラマン/作・絵:レベッカ・ボンド:作・絵 福本友美子・訳/光村教育図書/2010年

 19世紀のイギリス。望遠レンズなどない時代。

 かれ草のような毛布や干し草、かるい木の上に本物の牛の皮ををかぶせた牛の中、切り株をくりぬいた木の中などで、カメラをかまえ、鳥や鳥の巣に近づいて写真を撮ることに成功したキーアトン兄弟の日々を描いています。

 同じ出版社で働いていた兄弟は、時間をつくるため、毎朝3時か4時におきると、町を後にして写真をとりにでかけ、9時には仕事をはじめます。

 おなかがすいても、のどが渇いても、虫にさされても、あらしがふきあれても写真をとりつづけた兄弟。

 その成果は1895年に「イギリスの鳥の巣」として出版され、大反響をよびます。この本を見た人は、鳥のことを知り、名前をおぼえ、鳥を愛するようになったといいます。

 巻末にはヒツジのぬいぐるみ、高い高い木の上にのぼっている兄弟、そして鳥の卵の写真ものせられています。

 いつも写真家の絵本をみて、どうしてとったのだろうと思うような写真をみて驚きです。

 今は、海中の魚、小さな小さな昆虫、空を飛ぶ鳥、草原をはしる動物たちの生態を簡単に目にすることができます。しかしその裏には、写真家の並々ならぬ努力があります。

 望遠レンズはもちろん、赤外線カメラ、微小なカメラ、高速度撮影、スロー再生など技術が発展しても、最後は写真家の努力が必要なのでは・・・。


まじょのケーキ

2018年03月26日 | 絵本(日本)


    まじょのケーキ/作・絵:たむら しげる/あかね書房/2002年


 今日は、まじょのポルカちゃんのお誕生日。

 おかあさんからいわれて、ケーキを作るための木の実をとりに“はてなのもり”へ。
 ポルカちゃんとおなじくらいのおおきさの きのことあそび。
 木でできたオオカミさんに、つれていってもらったさきには”ほしのみ”が。

 ところが急に雪が降ってきて、おうちにかえれないと こまっていると 誰かの声。

 雪の道をのぼっていくと、なんとそこは、おかあさんが作っているケーキでした。

 森の友達と誕生日のお祝い、ポルカちゃん いくつになったのかな。ろうそくは五つです。

 おかあさんは魔女ですから、魔法をかけるのはお手のもの

 ねがいごとを ひとつして、ろうそくを消してね、とおかあさんにいわれて、二つもおねがいごとするポルカちゃんです。

 表紙のジャンボケーキがおいしそうです。

 魔女にかかせないクロネコも、いつもポルカちゃんのそばにいます。

 木でできたオオカミは裏表紙にもでてきて、枝には、これもおいしそうなサクランボ?も!


アラジンと魔法のランプ・・アラビアン・ナイト

2018年03月25日 | 絵本(昔話・外国)


    アラジンと魔法のランプ/アンドルー・ラング・再話 エロール・ル・カイン・絵 中川千尋・訳/ほるぷ出版/2000年


 「アラジンと魔法のランプ」は、「アラビアン・ナイト」のなかでもよく知られている物語のひとつですが「アリババと40人の盗賊」とおなじように、アラビア語原典には収録されていないといいます。

 絵本は、こぐま社、講談社、ポプラ社からも発行されていますが、思ったより少ないようです。

 原文から訳されたものは、とにかく長いのですが、絵本の場合は流れがおさえられコンパクトにまとめられているのでおおいに参考になります。

 とはいってもラングの再話も長く、この絵本では一ページごとに文と絵がつづいています。文章の活字もそれほど大きくありませんが、一ページの文字数が多いので、小さい子が読むのは大変そうです。


 物語は、ペルシャで母親と二人暮らしてアラジンが、叔父をかたるアフリカの魔法使いにそそのかされて、ほら穴の中にある魔法のランプを手にするところからはじまります。

 ほら穴に閉じこめられたアラジンでしたが、魔法使いがとりかえすことをわすれた指輪のおかげで地上にもどることができます。

 ランプを売ろうとして、おかあさんがよごれたランプをみがきはじめると、とたんに魔神があらわれ、アラジンの望みをかなえてくれます。

 やがてアラジンは魔神の力を使って大金持ちになり、皇帝のお姫さまと結婚します。

 しかし、魔法使いは魔法のランプを取り戻し、アラジンの御殿ごと皇帝のお姫さまをアフリカに連れて行ってしまいます。

 アラジンは再び魔法のランプを取り返しますが、粉薬で魔法使いを眠らせ、皇帝のところにもどるので、まだまだ波乱がありそうです。


 エロ-ル・ル・カインの絵が評判ですが、指輪とランプの魔神は、この物語のイメージにぴったりです。
 皇帝が結婚の条件に、「宝石を山と盛った金のお盆を四十そろえ、美しく着飾った四十人の黒いどれいと四十人の白いどれいにはこばせてまいれ」という、八十人が一ページにびっしり描かれた絵に圧倒されました。

 ところで、岩波少年文庫の中野好夫訳では、ラングの再話とはややちがっています。

 ラング版では、父親がいないということからはじまりますが、中野訳では、父親が仕立て屋です。
 アラジンは放蕩息子で、ランプのある場所まででかけるまで、魔法使いがお酒や果物をもってきたり、アラジンの仕事のことを世話するそぶりをしめすなどが長くつづきます。

 ランプのある場所には、世にも珍しい果物やあらゆる宝石もあります。

 魔法使いはアラジンをランプのある場所に閉じこめてアフリカにかえり、それ以降登場しません。

 パドロルブドル姫(名前がでてきます)と結婚するまでの後半部分も長く続きます。
 
 なにしろ、文庫本で100ページ弱あります。中野訳では魔法使いが再登場しませんが、原文には再登場するので、まだまだ長い物語です。


最後の一葉

2018年03月23日 | オー・ヘンリー

 「最後の一葉」は、オー・ヘンリーの短編のなかでも、知らない人がいないほど有名というのですが、はじめて読みました。

 以前、おはなし会で「心と手」を語られた方がいて、オチの巧みさに、ずっと心に残っていました。

 途中、保安官と護送される若者が手錠をかけられている手のところで、結末は予想できるのですが、そこにいたるまではどんな展開になるのか予想できませんでした。

 「最後の一葉」も余韻がのこる短編です。

 登場人物は、若い画家志望の二人、スーとジョンシー。落ちこぼれの老画家ベアマン。医者。

 スーとジョンシーはワシントン・スクエアの西側にある、芸術家が集まる古びたアパートの三階に住むルームメイト。

 11月、芸術家村には冷たい訪問者が忍び込み、ジョンシーは肺炎でベッドに横たわります。窓から見えるのは冬枯れのさびしい裏庭と5,6メートルはなれたとなりのレンガの壁。壁にはふるいツタのつるがのびています。

 スーは、医者から「このままでは彼女が助かる見込みは十分の一。それも本人に生きる意思があればの話だ」と告げられます。
 人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見えるレンガの壁を這う古いツタの葉を数え、「最後の一枚が落ちるとき、わたしは死ぬの」とスーに言い出します。

 彼女たちの階下に住む老画家のベアマンは、もうじき傑作を描くというのが口ぐせだが、実際に大作にいどんだことはありません。ジンを飲んで酔っ払うと、これから傑作を描くぞといきまき、他人のあまさをひどくばかにしています。
 一方では三階に住む、二人の若い画家をまもるたのもしい番犬だともいいはっていました。

 ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」とののしります。

 その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝にはツタの葉は最後の一枚になっていました。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけますが、翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見たジョンジーは自分の思いを改め、生きる気力を取り戻します。

 元気になったジョンシーにスーはいいます。

「ベアマンさんが、今日病院で亡くなったの。肺炎にかかって、たった二日だったって。おとといの朝、管理人さんが一階の部屋で苦しんでいるベアマンさんをみつけたの。靴も服もびしょ濡れで、凍りそうになっていたらしいわ。あんな嵐の晩にどこにいってたのか、だれにもわからなかったんだけど、そのうち明かりがついたままのランプと、倉庫から引っぱり出したはしごがみつかったの。それに、ちらばった筆と、緑と黄色の絵の具をまぜたパレットも。ねえ、窓の外をみて、ジョンシー。あの壁の、最後のツタの葉を。いくら風が吹いてもとっともゆれないでしょ。不思議に思わなかった?ああ、あれがベアマンさんの傑作なのよ。最後の一葉が落ちた晩、ベアマンさんがあそこを描いたのよ」


 ベアマンが二人をまもる番犬だというあたりに、若い画家によせる思いがあふれているようです。傑作を描く描くといいながら、画家としての将来を見切っていたベアマンが自分の命とひきかえに、生きる希望を残したといえば格好がいいのですが、あくまでもスーが間接的につたえるだけで、本人がどう思っていたのかがわからないのが、この小説のたくみさでしょうか。

 老画家と未来のある若い画家の対比。ツタの一枚の葉が老画家にとっての最高傑作だったのにちがいありません。

 「馬鹿げている」といいながら、若い画家の父親のようなベアマンは、口下手な昔気質の老人のようでした。


ふしぎなサンダル・・ペルー

2018年03月22日 | 昔話(南アメリカ)

     ふしぎなサンダル/世界むかし話 中南米/福井恵樹・訳 竹田鎮三郎・絵/ポプラ社/1979年



 ネットも電話もなかった時代の情報伝達手段としてインカ王国で使われていたのが飛脚。

 縄で結び目をつくった結縄で伝言をおくっていた時代。

 ウアラチという飛脚は、苦しんでいるものをみると、だまって見すごすことができない男でした。

 ある日、ウアラチは国境地帯で敵を食い止めているインカ軍の大将に、結縄をもっていくようにいわれ、全速力で走はじめますが、街道に沿った谷間の斜面にたおれているおばあさんをみつけ、足を折ったおばあさんを山小屋まで運んでから、もういちどはしりはじめます。

 ところが、むこうからはしってくる飛脚にであい、戦争が終わったことを知ります。
 さいわい、インカ軍は勝利していました。ウアラチがおばあさんを助けようとした姿をみた者が、王さまに知らせたので、王さまは、かわりのものを飛脚におくっていたのです。

 ウアラチは都から追放され、あてもなくさまよいあるき、創造主バチャカマックの神殿の前に身を投げ出して助けをこいました。

 すると一つの声がきこえ、都に戻るようにいわれます。そばには一足のサンダルがありました。
 神殿から聞こえる声は、「サンダルをはいて、自分の望む場所をねがいさえすれば、稲光のように一瞬のうちにはこんでもらえるだろう」といいます。

 やがて都に戻ったウアラチはまた王さまのところで飛脚の役目をはたします。

 どんな命令をうけても、あっというまに仕事をはたしたので、たっぷり時間があり、人や動物の苦しみをいやすことに時間をつかうことができるようになります。

 情報を伝えるのに、口頭や文書もありますが、口頭では秘密の保持が難しく、文書では文字と、文字を理解できることが前提になりますが、インカでは紙はあったのでしょうか。

 そもそもインカ帝国には文字がなかったといいますから、天空の遺跡マチュピチュや高度の農耕や金属文化がどのようなものであったが知ることができないのは残念です。


川はながれる

2018年03月21日 | 絵本(外国)


   川はながれる/アン・ランド・文 ロジャンコフスキー・絵 掛川 恭子・訳/岩波こどもの本/1978年



 「川はどんなふうに、どこへながれていくのか しりたいとおもっている 子どもたち みんなに」話すように、北国の雪や氷が解け、海までの道のりを、まわりと対話しながら川は流れていきます。

 出版年(原著は1959年)が関係しているのか、最近の絵本にはみられない自然の風景、動物、町などの淡い色使いがやさしい素敵な絵本です

 川は、いろんな動物たちとあいます。
 シカ、クマ、リス、フクロウ、ウサギ、ビーバー、キジ、アヒル、ガン、ウシ、カエルなどなど。
 魚がトンボをくわえている絵もあって、びっくり。

「きみたち しんまいの川って、ほうとうにばかだな。
 海をみつけることばかり いっしょうけんめいで、かんじんなこと わすれているんだから。
 川は、太陽や空気みたいなもの、おなじときに、どこにでも、いることができるのさ。あっちにも、こっちにも、とおくにも、ちかくにも」、カモメの言葉です。

 長い長い川の流れを想像した子どもたちと一緒にみたい絵本です。


新世界へ

2018年03月20日 | 絵本(日本)


    新世界へ/あべ 弘士/偕成社/2012年

 「新世界」と、なにかワクワク感がひろがるタイトル。

 北極で育ったカオジロガンのヒナたちは、9月にはこの地をはなれ、親たちと一緒に飛んで、南の越冬地へ旅立ちます。3000キロ以上も遠く、一か月も飛び続けます。

 高く低く、昼は太陽、夜は星にみちびかれ
 風をうけ、波をこえ
 来る日も来る日も、
 岬をまわって・・。

 星にうかぶカオジロガンのシルエットは幻想的で、カオジロガンをおいこしていった無数のウミガラスも迫力満点です。

 渡り鳥の羅針盤はなんでしょう。旅の目印は?

 ひろひろい海、切り立つ山をこえる、長い長い旅です。

 高い崖の上でヒナがかえると、親鳥は二度と崖の上にはもどらないので、ヒナは自力で飛び立つしかないといいます。旅の前にも試練があります。


ねえ とうさん

2018年03月19日 | 絵本(日本)


    ねえ とうさん/作・絵:佐野 洋子/小学館/2001年

 こぶしの花が咲いたら、おとうさんくまが、リュックサックに ずっしり おみやげをもって、かえってきました。

 ひとばんぐっすりねむったおとうさんに くまの子は、さっそく
 「ねえ とうさん、さんぽにいこう」
 「ねえ とうさん、てをつないでもいい?」
 「ねえ とうさん、かたぐるましてくれる?」
 「ねえ とうさん、およいでくれる?」

 おとうさんくまは、みんな やさしくこたえてくれます。

 くまの子も
 「ぼく、とうさんの子どもでうれしいよ。すごく、とうさんらしいもの」
と、とうさんもをとても信頼しています。

 なにか事件がおこるわけでもありませんが、おとうさんくまと、くまの子のほのぼのとした交流です。

 力持ちのお父さんと、やさしいお母さん、素直なくまの子。うーん できすぎかな?

 いま、子育て中のお父さんが ゆったりと子どもに接することができているか考えさせられました。


大どろぼうと王さま・・パキスタン

2018年03月18日 | 昔話(アジア)

       魔法のゆびわ/世界むかし話13 インド/光吉夏弥・訳 畠中光亨・絵/ほるぷ出版/1979年

 チャンドーという大どろぼうとチャコーラという王さまのかけあいが楽しい話です。

 チャンドラーは動物や鳥の言葉までわかるという大どろぼう。泥棒など一人もいないというチャコーラの国で腕試ししようとでかけます。

 途中ひとりの商人と道連れになります。チャンドーの正体を知った商人の背中の荷には金貨が一袋ありました。小鳥のさえずりで、そのことを知ったチャンドーでしたが、連れのものは盗まないといいます。それども心配になった商人は、金貨の袋を腰に巻き付けます。そのことも犬語でチャンドーはしりますが、友だちのものは盗まないといいます。

 正体をだれにも話さないように商人に、ねんをおしますが、商人はかくしておけません。都に入ると大どろぼうのチャンドーがやってきたのを、王さまへ報告します。

 王さまは自分で町に出て、見張りをすることにします。
 王さまはチャンドーとでくわしますが、しらんぷりして、チャンド-と一緒に仕事をしたいといいます。

 大どろぼうの手の内を拝見しようと、王さまはまず、町一番の金持ちの屋敷を案内します。

 チャンド-は金持ちの家から何も盗みませんでした。というのは、その金持ちがたった一枚の銅貨があわないとお金の勘定を、なんどもなんどもしているので、こんなけちの主人からたんまりちょうだいしようものなら、嘆き悲しんで死んでしまうことを心配したのです。

 次に御殿の御用をつとめる宝石商にしのびこみます。首尾よく宝石をいただいたチャンドーでしたが、帰りがけに壺につきあたり、手をつっこんでみると粉のようなもの。なめてみるとただの塩。
 ちっとは名を知られた大どろぼうのおれさまが、塩をなめるなんて、はずかしい話だと、もちだしたものを返してしまいます。

 次に王さまは、王さまのベッドの下には金の延べ棒が五本もかくしてあるからと、おうさまのご殿に。
 確かにベッドの下には金の延べ棒がありましたが、チャンドーは「かずかずの無礼をおゆるしください」と、王さまにおじぎをします。

 じつは最初の犬が、「大どろぼうのチャンドーがきたぞ。金の延べ棒にきをつけろ」、もう一匹が「だまれ! 王さまが案内してみえたのが、わからないのか!」といったので、すべてがわかったのでした。

 なんとも思いやりも、ほこりも高い大どろぼうです。

 矜持を失った役人や忖度ばかりするマスコミにみならってもらいたいものです。


教室はまちがうところだ

2018年03月17日 | 絵本(日本)


   教室はまちがうところだ/蒔田晋治・作 長谷川 知子・絵/子どもの未来社/2004年


 卒業式のシーズン。卒業式がおわると、入学式。

 新一年生になる子は、どんな先生、どんな友だちができるのか、期待とドキドキ感がいっぱいなのでは。

 そんなとき、先生から「教室はまちがうところだ」「おそれちゃいけない わらっちゃいけない 安心しててをあげろ 安心してまちがえや」「そんな教室つくろうや」といわれたらどうでしょう。

 「神様でさえまちがう世の中 ましてこれから人間になろうと しているぼくらがまちがったって なにがおかしいあたりまえじゃないか」と、よびかけられたらどうでしょう。

 素直に共感できる絵本です。

 ニコニコ顔の子どもたちと、先生にやさしい笑顔が印象的です。


なかよし・・インド

2018年03月17日 | 昔話(アジア)

   魔法のゆびわ/世界むかし話13 インド/光吉夏弥・訳 畠中光亨・絵/ほるぷ出版/1979年

 ラムとソムというふたりの友だち。住むのも、持ち物も半分づつ共同。

 毛布一枚 ラムが昼間、ソムは夜つかいます。
 牝牛は、ラムが頭のほう、ソムはしっぽ。
 木は、ラムが下、ソムが上。

 ラムは夜、毛布がないのでろくろくねむれず、牝牛にはエサをやったり、水をあげたり(頭がラムのもちものです)、木は下がラムのものなので、根っこに水をやったり、こやしをやったり。

 共同といってもこれでは不公平。

 旅人から知恵をつけられたラムがとった方法。

 ラムは昼間、毛布を水の中に毛布をつけ、びしょびしょに。ソムがびしょぬれの毛布じゃ、眠れないと文句を言うと、昼間は自分のものだから、何をしようとかまわないじゃないか、とこたえます。

 ソムが木の枝にまたがって、よく熟した実をとろうとすると、ラムは幹を斧でごしごしやりはじめます。木を切ったら実が取れなくなるじゃないかとソムは、どなりますが、ラムは、木の下は自分のものだからといいます。

 どうも公平ではないときづいたソムは、ラムと相談して、それからは・・・・。

 極端な例ですが、なかよしになるには、ちゃんと相手のことを思いやる必要がありますと教えてくれる昔話です。


魔法のかさ

2018年03月15日 | 創作(外国)

      おはなしのろうそく30/東京子ども図書館編/2014年

 イギリスの作家による話を、児童館職員が長年の語りを通して、子どもの反応をみながら再話したとあります。

 魔法使いが屋台におきわすれたかさ。それがひとりのおかみさんの手に。

 かさをさしたまま、三までかぞえると、どこにいっても次の瞬間家に帰り、五まで数えると、その時、一番行きたいと思っているところにいってしまい、七まで数えるとたちまち空中に舞い上がって、一番近くの教会の塔のまわりをグルグルまわってしまうというかさでした。

 はじめにどんなふうになるか状況がわかるので、こどもの気持ちをひきつけて、聞き入るさまが想像できる展開です。

 三までかぞえるのは市場でたまごをうっているとき。
 五まで数えるのは、表の道をいききする大好きな自動車をかぞえるとき。
 七つまで数えるのは、”なんたらかんたらびょう”になって、薬を飲むとき。

 「だれのものかわからないかさがあったら、魔法のかさかもしれないので、気をつけなさい」と結びにも余韻があります。こうした手法で日本を舞台にしても面白そうです。

 絵本もでています。

    まほうのかさ/原作:R.ファイルマン 再話:E.コルウェル 訳:松岡 享子 絵:浅木 尚実/福音館書店/1999年