・家
昔話を聞いたり読んでいるとき、今の暮らしと差があるのをどう受け止めたらいいのかということ。
おばあさんが、川に洗たくにいくと桃がながれてくるのは「桃太郎」のでだし。
川で洗濯するというのが当たり前の生活と洗濯機に入れると自動的に洗たくしてくれる今の生活。
「牛方とやまんば」では、囲炉裏がでてきますが、今では囲炉裏がある家はどのくらいでしょうか。牛や馬が貴重な流通手段とされていた昔。
それに井戸。井戸に映った影がでてくる昔話も多いのですが、今の子に、その光景がイメージできるでしょうか。
この間、ケニアでかまどが活躍している絵本がありましたが、かまどをみることもほとんどありません。
かまどにかけた鍋のなかに、魔物や鬼を閉じ込めてしまう話は、ガス台ではうまくいいあらわせません。
「三枚のお札」のかわや。
便所が屋外にあったというのも、今の子には理解できないかもしれません。
夜は真っ黒といいますが、昔の夜は闇夜。それこそ何もみえない世界。月あかりだけというのを理解するのもむずかしそうです。
「古屋のもり」は、雨漏りが一番怖いと勘違いします。この話を聞いたとき、大分前のことになりますが、わが家では、洗面器やバケツで雨水をうけていたのを思い出しますが、雨漏りも今ではみられないかもしれません。
ただ一方では、世界には電気も水もないところで生活しているおおぜいの人々もいることにも思いを寄せる必要もあります。
さいわいなことに、保育園などで、絵本や紙芝居にふれる機会もおおいようですから、それほど心配する必要もないかもしれませんが、こんな暮らしもあったのを忘れないようにしたいものです。
・履物
テレビで、フィンランドで、トナカイの毛で作ったという暖かそうな”くつ”が紹介されていました。
お話をおぼえるとき、その場面をイメージしながら覚えなさいといわれるが、さすがに話に出てくる人物の衣装や はきものまではふくまれていないようです。最近読んだ昔話に、遠いところをしめすため、鉄の靴がでてきて、底がぼろぼろになるというのがありました。
昔話のなかの靴では、すぐにシンデレラのガラスの靴を思い起こしますが、グリムの「灰かぶり」では、金の靴で、ガラスというのは映画のイメージでしょうか。そのほかでは、どんなはきものだったでしょうか。
何冊かの昔話絵本をみてみました。
日本のもの(5冊)では、ほとんどがわらじとわかりやすくなっていました。鬼は高下駄というのも、前からのイメージがのこっていて、なるほどとうなずけました。
畑仕事を裸足でというのも。
たしかに畑仕事をわらじでするというのはむずかしそうです。
外国のものでは、グリム昔話の絵本(5冊)。
じつは、布靴をイメージしていたのですが、布ではなく、皮靴のようにみえるのがほとんどです。
グリムの「こびとのくつ屋」では、革をくつの形にきっておくと、翌日にはこびとが作ったくつができていますから、大分まえからくつは革でつくったものがでまわっていたのかもしれません。
しかし庶民まで広くいきわたっていたのかどうかは、疑問がのこるところです。
また、絵本では、男がはいている多くがブーツでえがかれています。実用性を考えると、ブーツのほうがということでしょうか。
・あかり
もし照明がなければ?。
今から300年もさかのぼれば、灯りは油をもやすか、ろうそく、かがり火の世界で、今よりは何倍もみえた星がなかったら、夜は漆黒の闇。
昔話を語る場合、絵をえがきなさいというが、今と異なる環境をどうイメージしていったらいいのか。もっとも、昔話は背景については何も語っていないので考えることもないだろうが・・・・。
今でいうライフラインのうち、昔話では、火力は木をもやすことで、水は川を利用することで代替のものが想像できますが、灯りについてはほとんど触れられていないのは、あまり重要な要素ではなかったのか・・・?
・子育て
昔話で三人兄弟、三人姉妹がでてくると、たいていは末っ子が活躍します。三人目となると子育てもそれほど細かなことに目がいかず、ほっとかれるか逆に過保護になりそうですが、昔話の中ではじつに巧みな存在。ぼーっとしているようにみえても力も知恵もあります。
それにしても兄弟がどのように育ってきたかがでてくる話にはであったことがありません。リアルな視点が徹底的にないのが昔話の特徴でしょうか。
また、おおぜいの兄と妹がでてくると、妹が兄たちを助けますが、その逆はあまりみられません。
もうひとつのパターンは、おじいさんおばあさんのところに、子どもができる話。
それも桃や豆から子どもが生まれ、あっというまに大きくなるので子育ての心配はありません。そして、いずれも親孝行で?最後はみんなハッピーになります。
親が働き、おじいさんがおばあさんが子育てというのはそれほどさかのぼらなくても見られた光景。保育園がなくても大家族の中で、役割分担をしてきた歴史があります。
親は、子どものため?として、何かと押しつけがましくなりますが、その点おじいさんおばあさんは客観的に子育てができるので、つい前までのありかたは合理的であったのかもしれません。大家族制度の功罪は別として大家族だと子育ての継承も自然です。
貧しいのが当たり前のおじいさんおばさんのところに、子どもが授かるのは象徴で、そこに希望を託していたのでしょう。そして希望がかなえられるのもお話の世界です。