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どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

わたしのかさは そらのいろ

2023年05月18日 | あまんきみこ

   わたしのかさは そらのいろ/あまんきみこ・作 垂石眞子・絵/福音館書店/2015年(2006年初出)

 

なくした傘のかわりに お母さんにかってもらったのは そらいろのかさ。

「あおが すきなの。だって、はれた ひの そらの いろよ」

雨の日、「わたしの かさは そらのいろ あめの なかでも いいてんき」と、うたいながらいくと、くさむらから こねずみたちが やってきて、「いーれて」「いーれて」「いーれて」

きのかげや くさのあいだから とびだしてきたのは こうさぎや。こぎつね。

むしや すずめや はとたちまで、「いーれて」「いーれて」「いーれて」

おともだちも 傘の中に はいってきました。

見上げて、びっくり。青い傘は、ずんずん ずんずん ひろがっていたのです。傘は あおぞら。

傘をまわし、「わたしの かさは そらのいろ あめの なかでも いいてんき」と、歌っていると・・・。

 

これから梅雨。雨にも楽しさを見つけてしまう子ども。みんなで歌を歌ったら、雨の日も楽しくなりそう。

傘の下で、踊ったり、手をつないでぐるぐるまわったり 笑顔がはじけています。 


あるひ あるとき

2022年05月11日 | あまんきみこ

    あるひ あるとき/あまんきみこ・文 ささめやゆき・絵/のら書店/2020年

 

 近所の子、ユリちゃんが、遊んでいたこけしを ずらりねかせ ねむっている姿をみながら、おさないころ かわいがっていた こけしの「ハッコちゃん」のことを 思いだした”わたし”。

 ”わたし”は、あまんさんのことでしょうか。

 遊ぶのも、眠るのも一緒、防空壕にも こけしのハッコちゃんと いっしょ。

 終戦をむかえたのは大連の地。大連の冬は、零下10度まで下がる日も。

 敗戦の日からニ度目の冬。両親は家のものを 毎日のように、売りにいって、売れ残ったものを整理しながら、ダルマストーブで、燃やしていました。机、いす、たんす、たな 琴などが、たきぎになり、本とともに 燃やしていました。

 ”わたし”の市松さんや セイヨー人形は、おひなさまは 売れましたが、泣き顔の ハッコちゃんは いつまでも いっしょでした。

 しかし、引き揚げの三日前、「ハッコちゃんは、つれていけない」と、母からいわれ、明日出発という日、ハッコちゃんは、とうとう ストーブのなかへ。

 

 戦争の悲惨さは でてきませんが 幼いころ大事にしていた こけしの記憶です。

 最後のページには、さまざまな表情の こけしが30個。これは、子どもと生きていた こけしです。

 ささめやさんの素朴な感じの絵が、子どもの気持ちを代弁しているようでした。

 

 いまのウクライナの子どもたちと重なります。戦争は弱いもの、子どもたちが最大の被害者です。子どもたちが なにがあっても 生きのびることを祈りたい。


鉢かづき

2021年11月22日 | あまんきみこ

    鉢かづき/あまんきみこ・文 狩野富貴子・絵/ポプラ社/2004年

 

 備中の守、さねたかの娘の母君は、死期をさとり娘の頭に、肩が隠れるほどの大きな鉢をかぶせてなくなります。姫が十三のときでした。

 新しくきた奥方は、鉢をかぶっている姫を嫌がり、お子ができると、なおさら嫌やがり、告げ口をして、姫を追い出してしまいます。

 川で入水して死のうと思った姫は、鉢が浮いて漁師に救われます。

 姫は山陰の三位の中将から救われ湯殿の湯をわかす仕事をするようになります。つらいひびのなか、中将の四人目の宰相が、いつもおそく湯殿にはいる世話をしているうち、宰相から、かならず一緒になりましょうと思いを打ち明けられます。

 宰相が鉢かづきのもとに、毎晩あいにいくことが、ひとの噂になり、父ぎみ、母ぎみは、鉢かづきに近づかぬよう命じます。それでも宰相は、「たとえ 父上におてうちになろうとも、は鉢かづきのためならば、いのちもおしくない」と、朝夕 鉢かづきと あいます。

 宰相と鉢かづきを別れさせるため、鉢かづきが、おのれの姿を恥じて、でていくよう上の兄三人の奥方とよめくらべをすることに。それをしった鉢かづきは、宰相に恥をかかせてはいけないと、でていくことにしますが、宰相はともにでていくとゆずりません。

 よめくらべの日の朝、二人は歩き出します。そのとき これまでとることができなかった姫がかぶっていた大きな鉢が まえに ぽろりと おちると・・・。

 

 古典の世界らしい言葉遣い、要所要所におりこまれた和歌が 心情を表しているようでした。衣装、おみやげ、芸比べと、よめくらべも優雅そのもの。

 そして、二度目の母もかばう鉢かづきの度量の深さ、おいだした父との再会に、やさしさがあふれています。

 この物語は、一寸法師や浦島太郎等が収められている「御伽草子」の一つ。はちかづきは、寝屋川市のマスコットキャラクターになっているようで、言い伝えと同時に紹介されていました。


海の小学校

2021年10月07日 | あまんきみこ

    海の小学校/あまん きみこ・文 いとう えみ・絵/本願寺出版社/2015年

 

 「ピアノのいしゃ」と自称するおじさんの助手として海の小学校にでかけたヒロシ君。

 お母さんが、ひとりぼっちで留守番することになったヒロシくんを心配して、おじさんに頼んでいたのです。

 町を抜け、林を通り、トンネルのなかを 走っていると、車の両側には ちいさな 青い あかりの列。

 「海の小学校」とかかれた門の中に入ると、そこは海の小学校。体育館の中には まんなかに 大きなピアノが一台だけ。おじさんが調律をはじめると、たくさんの さかなや いかや くらげ たこが ぴらぴら およぎながら 入ってきました。さかなたちは ピアノをまんなかにして、まわりだし きれいな歌声が、いっぱい。

 うちにかえると かあさんと 妹は もうかえって いました。どこにいってきたの?ときかれても、おじさんとの体験は 秘密です。

 魚たちも歌いたくなる素敵な光景が広がっていました。

 

 出版社は京都の本願寺。ただ仏教臭さはありません。しかし、海の小学校は極楽だったのかも。


だんだんやまのそりすべり

2018年02月05日 | あまんきみこ


   だんだんやまのそりすべり/あまん きみこ・作 西村 繁男・絵/福音館書店/2002年


 みんなと、だんだんやまへそり滑りにいったいっちゃんですが、そり滑りは苦手。
 はじめがなかなか踏み出せなくて、他の子が声をあげて、すべりおりていったのをみて、はなのおくが つーんとして、めもとがあつくなったいっちゃん。

 こきつねのいっちゃんも、みんなからとりのこされて、はなをすすり上げる音。

 こんなとき仲間がいれば心強い。

 「いずみ」の「いっちゃん」、こぎつねの「いちろう」の「いっちゃん」は一緒に稽古をしようと、そりですべりはじめ、途中でそりがひっくりかえりゆきまみれ。ゆきまみれの顔をみて笑い出し、楽しくなって雪の中をころころ。

 ところが、こぎつねのそりがからのまま すべりだします。

 そのあとを、いっちゃんのそりに二人がのって、すべりおりると、ひゅうひゅう ぴゅうぴゅう すべるすべる そのままふもとまで。

 やってしまえばなんとかなるもの。

 特別おおきなできごとがおこるわけでもないのですが、はじめの一歩がなかなか踏み出せなくて一人取り残されて、さびしさを思える子どもの心情がよくでています。

 はじめの一歩が踏み出せないでいる子どもの背中をおしてくれくれそうです。

 マフラーをして、着こんでいる動物の表情や、だんだん山のゲレンデにいるいっちゃんたちを探す楽しみもあります。


ゆうひのしずく

2017年01月04日 | あまんきみこ
 小学校一年生の国語教科書にものっている作品です。


 ありはきりんの頭に登って、これまでに見たことのない世界をみます。

 一方、きりんもそっとありを地面におろしてあげて、地面にさく赤いちいさな花をみつけます。

 いつも狭いところしかみえなかったありさん。どんな光景がみえたのでしょう。一方きりんさんも長い首で小さな小さな花にはきがつかなかったことも。

 視点をかえてみれば、いままで見えなかったことがみえてくるのかもしれません。

 とことこ、ちこちこ
 とことこ、ちこちこ

 ありがキリンにのぼるさまが、なんともほほえましい光景です。

 きりんは、ずっとはなれた海のむこうのふるさとをみつめていました。そこではおかあさんもなかまもいたのですが、いまはたった一人でした。

よもぎがはらのおともだち

2016年07月18日 | あまんきみこ

 

  よもぎがはらのおともだち/あまんきみこ・さく やまわきゆりこ・え/PHP研究所/1985年

 あまんきみこさんのやさしさと、なつかしさを覚えるやまわきさんの絵です。

 よもぎがはらで、ともちゃんの風船を飛ばしてしまったたあちゃん。
 わざとではなかったのですが、二人はケンカわかれ。

 次の朝、たあちゃんが目を覚ますと外は雪。窓の下からてんてんもようが続いています。
 ことりでもねこでもいぬでもないとあとをついていくと・・・。
 てんてんはだんだんおおきくなり、一軒の家へ。

 そこは8人兄弟のねずみの家。


 そこにはともちゃんもきていて、ケンカ別れをした二人をみていた、ねずみの一家が、二人を仲直りさせるために、てんてんの足跡をつけていたのです。

 ちょっとしたすれ違いで、なかなか素直にあやまれないのはよくあること。
 でも、ちゃーんと救い主があらわれるんですね。

 表紙は、よもぎがはらで遊ぶ二人を見ている小さな小さな8匹のねずみ。

 ねずみの家にいくときは、ちゃんと小さくなる様子を、足跡が大きくなる様子と対比させています。

 ケンカの原因になった風船は、ねずみがひろってくれています。


うぬぼれ鏡

2015年10月06日 | あまんきみこ

    うぬぼれ鏡/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 中学三年生の節子は、しんせきの叔母が「この家にくると、自分の顔がきたなく見えてこまるわ。うぬぼれ鏡を、ひとつぐらい、おいてらっしゃいよ。」といったのをききとがめます。うぬぼれ鏡ってなにと聞くと「見る人をきれいにうつす鏡のことよ。くもっているような鏡で顔をみると、年とった女でもわかく見えるからね」というこたえがかえってきます。節子の母親は、家じゅうの鏡という鏡は、いつもしみひとつないように、鏡をたいせつにしていたのです。叔母のことばは、それっきり忘れてしまうのですが・・・。

 ところが一年後、母親が胃癌で入院しますが、もう手をつけようもなくひろがっていて、そのまま傷口をふさいだだけでした。自宅で療養をはじめますが、母親は流動物しかとおらなくなり、細く細くやせ細ってしまいます。

 母親は、もう鏡はいらない、自分の顔をみるのがこわいといいます。
 節子は、もういちど母に鏡をみせてやりたい、それも真実をうつす鏡でなく、叔母の言葉にあったうぬぼれ鏡を思い出し、あちこちの店でことわられながらも、小さな店で鏡を見つけますが・・・。

 老いを感じるとそれだけで鏡と向き合うことがこわくなりますが、節子の母親は余命が長くないというのを感じていますから、どんな気持ちだったでしょう。

 鏡はみたでしょうか?


 死がテーマになっているだけに、複雑な感情におそわれます。ほかのテーマだったら別のうけとめかたができそうですが。

 聞いてみたい、そのあとでどんな感想があるのか知りたい話です。

 ためしに、話をするとしたらどうかと何回も読み直してみましたが、男性には到底無理なようでした。


ふうたの雪まつり

2015年09月30日 | あまんきみこ

     ふうたの雪まつり/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 人間になって”かまくら”にいきたいというきつねのふうた。

 山のおじいさんからきいた人間にばける3つの方法の三つめがどうしても思い出せません。
 タクシー運転手の松井さんの車にあやうくぶつかりそうになったふうたですが、松井さんのアドバイスで何とか男の子になることができます。
 松井さんはふうたをかまくら通りでおろし、また走り始めます。

 松井さんは、何度か通りをとおりますが、そこにはふうたの後姿がみえます。かまくらを楽しんできたのかとおもっていたら・・・・。

 シャイなふうた、じつはかまくらにはいりたくてもはいれなかったことに気がついた松井さんは、一緒に入ろうと声をかけます。

 「おいしいね」と同じ言葉を八回も繰り返すふうた。かまくらのかで食べた重箱のごちそうが、よほどおいしかったようです。甘酒はおなかをあっためてくれます。


 かまくらは雪国ならではの光景。かまくらのなかって意外とあたたかいものです。
 かまくらのあたたかさが、そのまま話のなかのあたたかさです。

 あまんさんのお話は、善と悪、金持ちと貧乏、やさしいじいさんといじわるじいさんなど白黒をはっきりさせるえがきかたではありません。
 
 どのお話も、ほっこりするというのがぴったりです。

 ふうたくんは、春夏秋冬全ての季節のおはなしにでてきます。


松井さんの冬

2015年09月14日 | あまんきみこ

    松井さんの冬/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 秋編に続いて、冬編。タクシー運転手の松井さんは、あいかわらず乗車拒否しません。

 イチョウの葉がまう深夜に乗せた客はクマに似ていました。会社に帰った松井さんは、タクシーの中に財布が忘れられていたのにきがつき、忘れ物を届けにいきます。
 ところが、しんしは、財布が届けられるのを予期していて、とわずがたりに、自分の身の上話をはじめます。このしんしはやはりクマで、人間と話をしたかったのです。
 ほろびるばかりのクマたちとお別れ会をして、人間界にやってきたクマ。二人の子にめぐまれますが、どうしても、住んでいた山が忘れられなかったのです。ふるさとを思う気持ちがでています。<くましんし>

 粉雪が銀色の羽虫のように舞う日にのせたのはきつね。キツネコンクールに迷い込んでしまいます。
 ばけかたが一番うまいというので、あぶらあげ十三びょうもらいます。
 キツネのばけかたが、いまひとつで、たんにキツネに勘違いされた松井さんなのですが・・
 でもコンクールがおわってから、キツネを何回も車に乗せることになって商売は大繁盛です。<本日は雪天なり>

 ネコを乗せてついたのは、ねこの市。そこであったのは昔松井さんのところにいたネコのチャタロウ。今では松井さんと同じタクシー運転手でした。祭りのような市で二人で食事。ねこの市には、すてねこ、病気ねこ、家でねこ、まよいねこが元気をもらってそれぞれのところにかえります。チャタロウが松井さんのところからなぜ姿をけしたのかは語られていません。<雪がふったら、ねこの市>

 のったのは、歯がいたくなって、歯医者に行く兄弟。お兄ちゃんはつきそいです。
 あらかじめ、ママが電話してあります。
 ついた歯医者は、「田沼歯科医院」の”田”の字がきえかかった「た」ぬき歯科医院でした。
 一緒に行くお兄ちゃんのほうの緊張がつたわってきます。<たぬき先生はじょうじです>


花と最終電車

2015年09月12日 | あまんきみこ

     花と最終電車/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 小学校の国語教科書にのっているというので、あまんきみこさんの童話を読み始めました。

 どれも優しさがあふれていますが、このお話も優しい。

 多くの花が土の中にねむっているのに、一つだけ咲いていた青い花。
 冷たい雨に打たれてふるえている花をみて、みっこちゃんは花のそばに穴をほり、そこに傘をさしてあげます。

 雨の音が強くなって、心配になったみっこちゃんは花をみにでかけます。
 すると青い短い服をきた女の子とあいます。
 青い花の精です。
 素敵な家で二人で遊んでいると、遠くから電車が走ってくるようなひびきがおこります。

 みっこちゃんがたずねると、女の子は、「あれが今年の最終電車なのよと」とこたえます。
 女の子が電車にのって電車が走り始めると、レールは氷のとけるように、みるみるうちにきえていきます。

 線路がみるみるうちに消えていくところで、不思議な世界に入っていくようです。

 花が電車にのって、きえていくというイメージは、作者の感性なのでしょう。


野のピアノ

2015年09月07日 | あまんきみこ

       野のピアノ/あまんきみこセレクション3 秋のおはなし/三省堂/2009年


 調律師のおじさんのところに、トランプの箱二つぐらい重ねたぐらいの小さな小包がとどきます。
 草野保育園の園長さんからです。

 おじさんはおととい草野保育園のピアノ調律にいって、そのお礼だったのです。

 草野保育園はねずみの保育園。
 ちいさなちいさなねずみのピアノの調律をどうするのかなと思っていたら、カゼクサの野原をジグザグして行くとおじさんがねずみとおなじくらいになってしまうというので納得しました。

 草野保育園の子どもたちはピクニックの日で、子どもたちがいないときにピアノの調律をするのですが、調律しているときに子どもたちがかえってきて、窓からのぞいて大騒ぎ。おじさんが手をあげると、子ねずみの目がみんな細い糸になります。

 とりたてて大きな事件がおきるわけでもなく、悪役もでてきません。

 なにかほっとする優しさがあふれている世界です。

 小包の中身は、赤い秋グミの実で、秋の風情を感じさせてくれます。


松井さんの秋

2015年09月06日 | あまんきみこ

     松井さんの秋/あまんきみこセレクション3 秋のおはなし/三省堂/2009年


 テレビドラマや小説では珍しくないが、主人公が同じ連作で4話が収録されている。
 ひとつひとつのお話が独立しているが、同一の主人公がでてくるのでスムースにはいっていける。

 タクシー運転手の松井さんは結婚式の式場にむかう途中、どうしてもおじいさんにあいさつしたいというネズミのカップルをのせることに。<ねずみの魔法>

 若い男のいうとおりに車を走らせていると、男はいつのまにかは山ねこに姿をかえていました。母親が病気になって、見舞いに行くという医者のたまご。”山ねこ、おことわり”のねこ語の張り紙を残していってくれるのですが。<山ねこ、おことわり>

 白い服を着た娘さん二人をのせて、虹の林の入り口まではしらせます。二人は飼われていたいた白鳥ですが、自分の家族のもとにかえるところでした。<虹の林のむこうまで>

 道路の真ん中でシャボン玉で遊んでいた女の子が道をふさいでいたので、注意しようとすると、女の子は大泣き。こまってながめていると、松井さんは小さくなっているような気がします。
 今度は小指くらいの男の子が「なんてこった。なんてこった」と松井さんの口つきをまねます。
 自分の車が怪物のように大きく見え、かなしくなった松井さんが大泣きすると、今度は松井さんがどんどんのびてもとにもどります。
 あわてて車にのった松井さんが車をとめてふりかえると、たくさんのシャボン玉がきらきらつぶつぶかがやいているのがみえます。<シャボン玉の森>

 乗車拒否をしない松井さん。いずれも松井さんの優しさがつたわってきます。
 松井さんは、いくつぐらいの人でしょうか。子どもがいたのでしょうか。そもそも結婚していたのでしょうか。


2015年08月10日 | あまんきみこ
          雲/あまんきみこセレクション2 夏のおはなし/三省堂/2009年


 8月は終戦前後のことがテレビドラマや記録映像で取り上げられ、あらためて戦争を考える機会が多い。

 「玉音放送」をめぐって、反対する陸軍との切迫した状況がNHKで放送されていたが、この当時の陸軍(一部だろうが)が、まだ戦争を継続しようとしていたことに驚かされる。
 全体的な情報を共有していたら戦争継続というのは考えられる状況ではなかったはずであるが。

 ところで、「雲」は、満州開拓村で仲良くなったユキと中国人のアイレンが火のなかでいのちを失うという悲しいものがたりであるが、当時の情勢がわかっていないとわかりにくいかもしれない。
 「雲」という題は、怒りやいたみを象徴しているようだ。 

 当時の開拓村の人々は銃や刀をもち、何かあると非常訓練のとおりきめられた配置につき、襲撃にそなえていた。村が襲われ銃撃戦に。
 切迫した状況のもとに第三中隊がやってきて、「集団」の人間を囲い込み、まわりに石油をまいて、火をつけ銃をうつ。

 誰が武装組織の人間であるかわからないなかで、当時の軍人は無差別な殺傷をすることにあまり抵抗がなかったようだ。

 火のなかにいたアイレンにむかって、ユキが叫びます。
 「アイレン、にげてえ。」
 「とんで、とんで! みんな、とんで!」

 二人の墓は、いつもふたりが遊んでいた丘の上にたてられます。
 墓の前の人びとの頭の上をひとむれのカササギがゆるやかにとんでいきます。

 このカササギは、夕焼けで朱色にそまった空を、むれをなしてとんでいくのを見つめるユキとアイレンの冒頭部と重なっています。

(ウイキペデア抜粋)
 満蒙開拓移民団の入植地の確保にあたっては、まず「匪情悪化」を理由に既存の地元農民が開墾している農村や土地を「無人地帯」に指定し、地元農民を新たに設定した「集団」へ強制移住させるとともに、満州拓殖公社がこれらの無人地帯を安価で強制的に買い上げ日本人開拓移民を入植させる政策が行われた。
 当時の「満州国」国土総面積の14.3%にあたる2000万ヘクタールが当時の時価より相当安く買収されたようだ。低価格で強権的な土地買収は、満州各地で恒常的に行われた。そのうえ土地買収代金はなかなか支払われなかった。このように開拓民が入植した土地の6割は、地元中国人や朝鮮人が耕作していた土地を強制的に買収したものであり、開拓地とは名ばかりのものであった。そのため日本人開拓団は土地侵略の先兵とみなされ、初期には反満抗日ゲリラの襲撃にあった。満州国の治安が確保されると襲撃は沈静化したが、土地の強制買収への反感は根強く残った。
 現地の農民の殆どはもともと小作人であったため開拓団員の農地で小作をする者が多かったが、地主などの地元農民は自らの耕作地を取り上げられる強制移住に抵抗したため、関東軍が出動することもあった。 「集団」は反日武装組織との接触を断つ為に、地元住民を囲い込む形で建設された。

ちいちゃんのかげおくり

2015年08月03日 | あまんきみこ

     ちいちゃんのかげおくり/あまんきみこセレクション2 夏のおはなし/三省堂/2009年


 空襲警報のサイレンで、おかあさんとおにいちゃん、ちいちゃんが一緒ににげているうちに、ちいちゃんはいつの間にか一人になってしまいます。
 しらないおじいさんがだいて走ってくれ、おかあさんらしい人をみつけますが、じつは、おかあさんではなく一人ぼっちになります。
 はすむかいのおばさんと家に向かいますが、家は、焼け落ちていました。
 ちいちゃんがこわれかかった防空壕のなかで、二晩過ごします。
 明るい光が顔にあたって、目がさめたとき、出征していったおとうさんの声。
「かげおくりができそうな空だなあ。」
「いま、みんなでやってみましょうよ。」というおかあさんの声もふってきます。
 ちいちゃんはふらふらする足を踏みしめると、たった一人で、四人でやったかげおくりをします。
 かげぼうしをじっとみつめ、とお数え、空を見あげると、かげぼうしがそっくり空にうつってみえます。
 そのとき、ちいちゃんのからだが、空にすいこまれ、花畑にたっていました。
 そこには、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんのすがたも。

 夏のはじめのある朝。小さな女の子のいのちが、空にきえました。

 一家四人がなくなっていたのです。

 空襲というと3.10東京大空襲を思い出しますが、ちいちゃんが亡くなったのは、夏のはじめとありますから、どこかの都市であったのかもしれません。
 そういえば、この埼玉では、8月14日熊谷の空襲で200人をこえる死者がでていることを忘れることはできません。
 原爆や沖縄戦など多くの民間人も命をおとした戦争から70年。あらためて平和のとおとさを考え直す今です。

 おさえた表現に、多分もう一度四人でかげおくりをしてみたかったというにちいちゃんの思いがこめられているようです。

 あまんさんのエッセイのなかに、この話はもともと三代のかげおくりを書くつもりであったのが、書いていくとどうしても、ちいちゃんは死んでしまった。主人公が作者の思いを裏切って動きだしたとありました。

ちいちゃんのかげおくり