山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年
ちょっと、ほっこりする話。
あるところに、仲の悪い二人の長者がいて、東の長者が「右」といえば、西の長者は「左」というように、なんでも逆のことを言ったり、違ったことばかりしていた。
三月のひなの節句のとき、めんごいおなごがいた東の長者が、都から高いひなさまを買って、酒は飲ませるし、うまいごちそうを いっぱい食べさせてやると、村の衆に、ふれまわります。それを聞いた西の長者はくやしくてくやしくてしかたがないけど、西の長者には男のわらししかいない。そこで、たんごの節句をくりあげて、ひなの節句にぶつけて、これも、酒はいくらでもごちそうし、ご馳走の食放題だと、ふれあるきます。喜んだのは村の衆。飲んだりたらふく食べたり。
また、大雨のとき、西の長者が東の長者に、「一枚しかねえだいじな着物、ぐしゃぬれになったらこまんべな」というと、東の長者も、「西みたいに、着物一枚しかもってねえものは、蓑を着たり、傘かぶったり、気の毒なことだ」と、やりかえすと、二人とも、裸になって、ざあざあふる大雨の中をあるいていきます。
こんなことなら、かまわないけれど、こまったことがおきました。
東の長者が「村の氏神さまをりっぱに建てなおすから、村の者は、みんな手伝え」、西の長者が「お寺をりっぱにするから、村の者は、みんな手伝え」といいだし、お寺らを先にするか、氏神さまを先にするかで、村の人は、困ってしまいます。
東の長者は、「神さまのおかげで、コメとれるでねえか。そんな神さまをあとにするなんて、とんでもない」、西の長者は「おまえだの、ご先祖さまにもうしわけないと思わねえが。秋のお彼岸までまにあうように急げ。」と、どなりました。
しかたがないから、村の衆は、今日は とうちゃが神さまで、かあちゃはお寺、あしたは、かあちゃが神さまで、とうちゃがお寺というあんばいにした。こうなると田んぼの仕事は夜しかできないし、どこの田んぼのイネも、ぐったとしていた。
仕事を急がせようと、東と西の長者が急いでくると、狭い一本橋で鉢合わせ。どけっ、どけっ と、にらみ合いをしていると、東の長者の家の者が、「わらしこ、朝からいなくなった」と、大きな声で走ってきます。西の長者の家の者も走ってきて、「わらしこ、朝からいなくなった」。
村中で探し回ったが、わらしこは どこにもいない。そのうち夕方になって、「暗くなったら、夜タカにさらわれる」「暗くなったら、山んばにさらわれる」と、心配した二人の長者は、地蔵さまのところで、また出会いました。すると、ふたりのめんごちゃんが、ネムの木の枝をだいて、すやすやねむっていました。そして、そのネム枝には、今まで見たことのないような美しい花。二人の長者は、顔を見合わせて、にっこり笑い、わらしこの顔をいつまでも じいっと見ていたど。
それから、夏の夕方になると、村中のネムの花が美しく咲くようになったという。
ネムの花は、控えめな感じです。