どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

なんでも ふたつ

2023年03月31日 | 絵本(昔話・外国)

   なんでも ふたつ/リリー・トイ・ホン・再話 絵・せき みふゆ・訳/評論社/2005年

 

 ある春の朝、ハクタクじいさんが、畑を耕していると、真鍮でできたふるい甕がでてきました。ばあさんが何かに使うだろうと、持ち帰ると、おばあさんが 甕をのぞきこんだ拍子に、髪飾りが落ちてしまいました。拾おうと 手探りしていると、髪飾りが二つみつかりました。その上、おじいさんが持っていた財布も二つ。

 大喜びしたおじいさんは、おばあさんが、あたたかく冬を過ごせるように、オーバーをいれてみると、オーバーも やっぱりふたつ。

 それからは、肉や果物、そして金貨を入れた財布まで甕に入れ、床は金貨でいっぱい。

 ところが、おじいさんが 村に買い物にいったとき、感謝の気持ちで甕を覗き込んだおばあさんが、甕の中に落ちてしまい、おばあさんが二人になってしまいました。あたらしいおばあさんを甕に戻すと、三人になってしまいます。喧嘩しているうちに、おじいさんも甕に落ち、二人になってしまいます。

 しかし、兄弟ができたようなものと、困ることはなく二組のハクタクさんたちは、二間の素敵な家を建てました。

 

 憎まれ役が一人もでてこなくて、村の人も 欲しがるわけでもない ほっこりする中国の民話。甕はその後も存在していたようですよ。

 貧乏といいながら貧乏くさくない丸顔のハクタク夫婦。おじいさんが籠いっぱいに金貨を入れて、買い物に行くところ(物騒!)は、びっくりでした。


なぞなぞ はじまるよ

2023年03月30日 | 絵本(日本)

    なぞなぞ はじまるよ/文・おおなり修司 絵・高畑純/絵本館/2016年

 

 おはなし会などで、なぞなぞで盛り上がることが多くあるので、どうかなと思ったのですが、個人的は すぐに答えが思い浮かばず、ギブアップ。頭が固くなっているのを実感。

 絵も親しみやすく、ちょっとしたヒントがあっても、答えが浮かびませんでした。子どものほうが楽しめるでしょうか。

 「じぶんのことを ちょっとえらそうにいう とり、なあに?」

 「ときたま そらから ふってくる どうぶつ、なあに?」

 こんななぞなぞが、32。一部だけの利用もできそうです。


ごんごろ じゃがいも

2023年03月29日 | 絵本(自然)

    ごんごろ じゃがいも/いわさ ゆうこ/童心社/2014年

 

 料理に活用が広いじゃがいも。

 種芋をうえ、花が咲き、収穫まで。土の中の ねっこのようすまで、ていねいにイラストで 描かれています。

 だんしゃくやメーククイン、きたあかりのほか、ちょっと目にしない いもの種類も紹介されています。

 そして、さといも、さつまいもも。

 ”ごろごろ”という表現がぴったりの じゃがいもです。

 土に親しむことも少なく、じゃがいもの花を見たこともない子どもと一緒に目をとおしてから、スーパーにいって じゃがいもを購入すると、話がはずみそうです。

 「食べ物は土から生まれるという実感をあたえてくれたのは、じゃがいもでした」という作者の言葉に共感です。


ちいさなふたりの いえさがし

2023年03月28日 | 絵本(日本)

   ちいさなふたりの いえさがし/たかお ゆうこ/福音館書店/2023年(初出2020年)

 

 クルミの家が おおきなヒョウで こわれてしまった ちいさなおじいさんと おばあさんが、あたらしい 家を探しにでかけました。

 綿毛につかまってとびあがり、ついたところがイチゴ畑。甘い香りのイチゴの中身を取り出し、ドアや窓を作り、中身はジャムに。毎日おいしいイチゴを食べて暮らしていましたが、夏になると イチゴの家は、べとべとしはじめ、ぐにゃりと ひしゃげて しまいました。

 「この家は やわだのう」と、また新しい家を 探すに でかけ ついたところは スイカ畑。スイカの家は三階建て。毎日 おいしいスイカを食べていましたが、夏真っ盛りになると、スイカの家は 割れてしまいます。

 次は木の上の眺めのよいリンゴの家。リンゴの家が 船になってしまうと またまた 新しい家探し。

 ついたところは、もとの場所。クルミがたくさん 落ちていて 二人は、そこへまた家をつくりました。

 

 絵のタッチは おもわず外国の方と思うほど。家探しに おともしているテントウムシが気になりました。”こびと”といわず、”ちいさなふたり”という表現に惹かれました。

 住む家が、イチゴ、スイカ、リンゴ、クルミと、みんなおいしそう。こんな家があったら 何はおいても 住みたい。季節がめぐって、クルミの家で冬を越します。


ゴリラのビックリばこ

2023年03月27日 | 絵本(日本)

    ゴリラのビックリばこ/長 新太/絵本館/1990年

 

 いたずらずきなゴリラが作ったのは、はこのうしろのボタンをおすと、メガネがとびだすビックリばこ。そのメガネは、顔からとれません。

 森じゅうの動物たちがメガネ顔になってしまいました。

 メガネブタ、メガネカエル、メガネサカナ、メガネライオン、メガネシマウマ・・・

 動物たちはメガネをかけると、みえなくなってしまって 大騒ぎ。片方のボタンを押すと、メガネがとれるようになっていたビックリばこを、おこったカバが、足でメチャメチャしてしまったから大変。

 スタコラゴリチャンと、にげていったゴリラが、みんなにつかまって、メガネをとるビックリばこをつくることに。

 これがなかなか できません。みんなが なんにちも まっていると、イモムシみたいに やせたゴリラがやってきて はこのボタンを押すと、メガネがピューと箱の中に すいこまれていきます。

 一件落着すると、みんな笑顔。ゴリラのことだから しょうがないねと思ったのかどうか。

 「メガネがとれるビックリばこ」がなかなかできず、ゴリラがだんだんやせて、からだの色も変わるのに大笑い。試作品にも大注目。

 それにしても、動物たちにあわせたメガネは、オーダーメイドですから、すぐれもののビックリばこです。


おとうさん

2023年03月26日 | 紙芝居(昔話)

    おとうさん/脚本・与田準一 画・田畑精一/童心社/1998年(12画面)

 

 ひとりぼっちのマンガラン・グリーン・ベクーという魔物が、川で遊んでいるぼうやをみて、お父さんになってみたいなと、ぼやのお父さんに変身し、本当のお父さんが、目を離したすきに、ぼうやを さらってしまいます。

 やがて、川からあがってきた本物のお父さんと魔物のお父さんがはちあわせ。顔も、声も同じ。

 二人の父さんは、島の王さまに、裁判できめてもらうことになりました。

 すると、王さまは、大太鼓をもちだし、太鼓の中に、ぼうやを入れて、山登りをするよう命じます。

 すぐにけわしい山道をのぼりはじめた二人のおとうさん。

 さあ、王さまの裁定は?

 

 インドネシア スマトラの民話。二人のお父さんが、坊やの手をひきあう絵があるので、よくあるパターンかと思うと、太鼓がでてきて、王さまがどういう裁定をくだすか先が読めません。

 はじめ 魔物の名前をよぶ呼びかけがあり、さらに 魔物がお父さんに変身する呪文の言葉 「イタリナ イタリナ ニンサ ウトオ  イタリナ イタリナ ニンサ ウトオ」 も一緒に繰り返すと楽しそうです。

 太鼓を担いで登った後の魔物のセリフ。「おとうさんに なるのって、くたびれるわ。」と、妙にリアル。


お月さまになりたい

2023年03月25日 | 創作(日本)

    お月さまになりたい/三木卓・作 及川賢治・絵/偕成社/2022年

 

 ぼくは、学校のかえりに、へんな犬にであいました。じぶんがなりたいと思えば、なりたいものになれる犬でした。

 「真っ白い犬なら、かってやるんだけど」というと、白と茶のぶちから、真っ白へ。

 犬は、「とてもすばらしいところへ、いきませんか」と、ぼくに話しかけました。ぼくがいってみようかとおもったとき、犬は二日も食べていないからと、まずはほねつきの肉をおねだりです。

 それから、風見犬になって、風向きを確認すると、気球になって、ぼくといっしょに空の旅。海に出て、崖の上に着陸すると、「もっといいところに いきましょう」といいだしました。

 なんにでもなれるといったが、まだうまくなれないものがお月さまという犬は、ぼくに いっしょにいくよう誘います。いけないというぼくを残し、犬は白い海鳥になると、空をのぼっていきます。

 うまくいけば、月が二つになっていたはずですが、まってもまっても犬のお月さまはできません。しばらくたってから、ゆっくりと落ちてくるものが見え、だんだん大きくなると、それは落下傘でした。犬が、お月さまになりそこない、はずかしくて落下傘になってかえってきたのです。

 「ぼくは、お月さまよりも、犬のきみのほうが好きなんだ。はやく犬にもどってよ。」というと、「くしゅん」と、かわいいくしゃみをすると、真っ白い犬にかわりました。

 「さ、ぼくんちへかえろうよ。」と、ぼくは、つよくだきしめてやりました。

 

 犬とぼくのやりとりが とてもいい感じ。

 「一万円札、グレープフルーツになってよ」というと、犬は、ぼくの下心を見抜きます。

 お互いに焼きもちを焼いたり、ちょっと意地悪したり、頑固に主張をかえない相手をおもいやったり、なんだかんだと、相手のことを思う気持ちが優しい。

 自分のためだけに使う「魔法」です。

 1972年にあかね書房から刊行された「おつきさまになりたい」の文章に修正を加え、新たに絵を描き下ろしたものと ありました。


スサノオとオオナムチ

2023年03月24日 | 絵本(昔話・日本)

    スサノオとオオナムチ/飯野和好/バイ インターナショナル/2022年

 

 兄弟に殺されかけたオオナムチは、死者の国を治めるスサノオの元を訪ね、スサノオの娘のスセリヒメにひと目で心ひかれ、夫婦になる約束をしました。

 オオナムチのくることを知っていたスサノオは、オオナムチをヘビの室屋やムカデとハチの室屋に寝かせ、さらには焼き殺そうとします。

 スセリヒメの協力もあって、無事危機を切り抜けたオオナムチは、スセリヒメを背負い、イクタチ・イクミヤという生命の宿る太刀と弓矢を手に取り、地上にむかいます。

 逃げていく二人に向かって、スサノオは、オオクニヌシと名前を改め、出雲に国を作れとと、叫びました。

 

 子どもはいずれ親の元から旅立ちます。スサノオが恋路を邪魔するように見えますが、試練を乗り越えられないなら、娘と一緒にさせないと思っていたのでしょう。

 飯野さんの迫力ある絵が、神話の世界に ぴったり。

 はじめに、「兄神たちに命をねらわれたオオナムチは・・」とはじまり、おわりは「国造りを始める」とあって、前後の神話の世界に浸ってみたいと思わせます。


わらしことネムの花・・山形

2023年03月23日 | 昔話(北海道・東北)

     山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 ちょっと、ほっこりする話。

 あるところに、仲の悪い二人の長者がいて、東の長者が「右」といえば、西の長者は「左」というように、なんでも逆のことを言ったり、違ったことばかりしていた。

 三月のひなの節句のとき、めんごいおなごがいた東の長者が、都から高いひなさまを買って、酒は飲ませるし、うまいごちそうを いっぱい食べさせてやると、村の衆に、ふれまわります。それを聞いた西の長者はくやしくてくやしくてしかたがないけど、西の長者には男のわらししかいない。そこで、たんごの節句をくりあげて、ひなの節句にぶつけて、これも、酒はいくらでもごちそうし、ご馳走の食放題だと、ふれあるきます。喜んだのは村の衆。飲んだりたらふく食べたり。

 また、大雨のとき、西の長者が東の長者に、「一枚しかねえだいじな着物、ぐしゃぬれになったらこまんべな」というと、東の長者も、「西みたいに、着物一枚しかもってねえものは、蓑を着たり、傘かぶったり、気の毒なことだ」と、やりかえすと、二人とも、裸になって、ざあざあふる大雨の中をあるいていきます。

 こんなことなら、かまわないけれど、こまったことがおきました。

 東の長者が「村の氏神さまをりっぱに建てなおすから、村の者は、みんな手伝え」、西の長者が「お寺をりっぱにするから、村の者は、みんな手伝え」といいだし、お寺らを先にするか、氏神さまを先にするかで、村の人は、困ってしまいます。

 東の長者は、「神さまのおかげで、コメとれるでねえか。そんな神さまをあとにするなんて、とんでもない」、西の長者は「おまえだの、ご先祖さまにもうしわけないと思わねえが。秋のお彼岸までまにあうように急げ。」と、どなりました。

 しかたがないから、村の衆は、今日は とうちゃが神さまで、かあちゃはお寺、あしたは、かあちゃが神さまで、とうちゃがお寺というあんばいにした。こうなると田んぼの仕事は夜しかできないし、どこの田んぼのイネも、ぐったとしていた。

 仕事を急がせようと、東と西の長者が急いでくると、狭い一本橋で鉢合わせ。どけっ、どけっ と、にらみ合いをしていると、東の長者の家の者が、「わらしこ、朝からいなくなった」と、大きな声で走ってきます。西の長者の家の者も走ってきて、「わらしこ、朝からいなくなった」。

 村中で探し回ったが、わらしこは どこにもいない。そのうち夕方になって、「暗くなったら、夜タカにさらわれる」「暗くなったら、山んばにさらわれる」と、心配した二人の長者は、地蔵さまのところで、また出会いました。すると、ふたりのめんごちゃんが、ネムの木の枝をだいて、すやすやねむっていました。そして、そのネム枝には、今まで見たことのないような美しい花。二人の長者は、顔を見合わせて、にっこり笑い、わらしこの顔をいつまでも じいっと見ていたど。

 それから、夏の夕方になると、村中のネムの花が美しく咲くようになったという。

 

 ネムの花は、控えめな感じです。


やまのおんがく

2023年03月22日 | 絵本(日本)

    やまのおんがく/室井 さと子/岩崎書店/2018年

 

 草笛をふいていた うさぎと ”ぼく”が 山へ行くと あっちからも、こっちからも いろんな音が。

 山道をのぼっていくと コルリ フクロウの声が 聞こえてきました。

 日陰に残っていた雪には、たくさんの足跡。

 日当たりのいいところでは、”ケキョ ケキョ カッコー”の音。

 水の音、いきものの声、風の音は、まるで 山が合唱しているよう。

 うさぎの家で 一休みして、山へ出かけると、突然のカミナリ。

 うさぎと はなれてしまいますが、すぐに 再会して やまの 音楽会へ。いろんな音が 音楽になって 山中に 響き渡ります。

 

 ページの下3㎝の幅に、”みつけてね”とあって、山の生き物が 図鑑風に紹介されています。何度も見ていると気がつきますが、初見では難しい。

 動物や鳥など、60種類ほどのいきものが 紹介されていますが、全部隠し絵になっているかは、発見できませんでした。

 音楽会に集まっている動物や鳥たちは、じつにさまざま。


麦畑のみはりばん

2023年03月21日 | 絵本(外国)

   麦畑のみはりばん/ベス・フェリ・文 テリ-・ファン&エリック・ファン・絵 よしい かずみ・訳/化学同人/2022年

 

 麦畑の見張り番をしている案山子。収穫が終わっても立ち続け、やがて冬。だれも ともだちはいません。

 季節が進み、麦の穂が緑色になったとき、目の前に なにかが ぽとんと おちてきました。かわいそうに カラスのひなでした。巣から落ちたか、翼が折れたのか?

 案山子は思わず、せなかの さおを ぼきりと おって ゆっくりかがむと、ひなを すくいあげました。案山子は、ひなを ほし草の むねに かかえ、ここでやすんでいいんだよと、すっかりひなに 夢中になり。子守唄もうたいます。ふたりは、とても気が合い、友達になると、カラスのひなは すくすくと そだっていきます。

 やがて夏のある日、カラスは案山子のもとから旅立ちます。秋になり、冬の寒さの中で、案山子は またひとりぼっち。

 どれぐらいたったでしょうか。麦の穂が緑に色づくころ、あのカラスがやってきて、おれた さおを なおし とびでたわらをととのえてくれました。

 「ずっと ここにいるよ」といったカラス。春には、カラスは、二羽になり、案山子に見守られ、子育てもするようになります。

 

 四季の移り変わり、ハチ、チョウ、トンボなどの生き物もさりげなく描かれ、やさしい絵が つづいています。

 ただ、つっこみどころも。キツネやシカ、カラスの見張り番しているはずなのに、最後のページでは、キツネもネズミ、シカとも なかよしになっています。


ライオンの ながい いちにち

2023年03月20日 | 絵本(日本)

    ライオンの ながい いちにち/あべ弘士/佼成出版社/2004年

 

 母さんライオンが、もうすぐヌーのむれが もどってくるからと狩りの打ち合わせを開いているとき、ライオンの父さんと子どもたちが散歩にでかけます。

 長かった雨もようやく おわりにちかづき、木の葉や草も緑が濃くなって、いちばん すごしやすい季節。

 空に浮かぶ雲を見て、ここで父さんライオン一句。

  雲の子の 生まれそだちは 地平線

  うでがあがっていると自画自賛。

 峠の上から見ると、ピンクの花畑がひろがっている湖。岸辺につくと、何十万羽のピンクのフラミンゴが、いっせいに飛び立ちました。ここでまた 一句。

  みあげれば ゆうやけこやけの フラミンゴ

 そろそろ 帰る時間。大地を ふるわせる 声、足あとが 林の中をぬける。

 と、目の前を 夕日を 背に、ヌーの大群が、みちをよこぎっていて、とおせんぼ。

 ライオンは おもう。

  (うーむ くいきれん)

 

 あべさん、(くいきれん)のところで、もう一句ほしかったなあ。

 お父さんライオン、一日 子どものお世話、お疲れさまでした。俳句をたしなむなど どことなく愛嬌のあるお父さんでした。

 絵の中には、キリン、シマウマ、チーター、ゾウ、サイの姿も。空に浮かぶ雲が消えると、夕方の風景が ひろがっていました。フラミンゴ、ハゲタカ、ヌーの大群と、アフリカ?の大草原の雄大さが せまってきます。

 ついでに短歌で一首

 ゆうぐれに ゆくてをはばむ ヌーのむれ くいきれんと なげくおすライオン


ワニのクロッカス なにができる?

2023年03月19日 | 絵本(外国)

   ワニのクロッカス なにができる?/ロジャー・デュボアザン・作 こみやゆう・訳/好学社/2023年

 

 スイートピー夫妻の農場は、動物たちの楽園。ワニのクロッカスは、ひがな いちにち、しあわせな きもちで くさむらの やわらかいベッドに ねむっていました。

 そこへ、いぬのココがやってきて、「ぼくは、どろぼうたちが ちかよれないように ほえながら はしりまわっているよ」

 ひつじのウーリィは、「わたしの毛が、セーターやマフラーになるのよ」

 うしのモーリーは、「わたしたち うしは ぎゅうにゅうをあげているわ。ぎゅうにゅうは、のむだけじゃなく、チーズやバターにもなる」

 うまのファニーは、「わたしは、スイートピーさんの 馬車を ひっぱっているし、さくだって とびこえられるんだから」

 あひるのパーサも、めんどりのキャックルも、ねこのキャロットも・・・・。

 でも、ワニのクロッカスは、走ったり、吠えたりできないし、歌も 歌えません。

 「ぼくが できることと いったら、のっそのっそと あるきまわるか、草の中で ねてるだけ」と、落ち込んだクロッカス。

 ところが、スイートピー夫妻が、小川の途中に、大きな池をつくると、クロッカスの出番がやってきました。池の中を泳ぎ回り、そこに水を飲むに来た動物たちを、きつねたちから守ってあげることでした。

 クロッカスは、この農場で もっとも自慢できる、最も大事な動物たちの一員に なることができました。

 

 農場になぜワニがいるのか疑問をもっていると、最後 ちゃんと居場所が 示されます。


レレコさんと かおかきこぞう

2023年03月18日 | 紙芝居

    レレコさんと かおかきこぞう/脚本・新沢としひこ 絵・市居みか/童心社/2020年

 

 妖怪が住んでいるという森ですが、まだ妖怪にあったことのないレレコさんが、ドアに「ようかいさん、どうぞ おはいりください レレコ」と張り紙し、お茶の準備をして待っていると、やってきたのは「かおかきこぞう」。

 「かおかきこぞう」は、お茶のあと、ゆのみに 顔を描きたいといいました。面白そうと レレコさんがこたえると、かおかきこぞうが、ゆのみに顔を描きました。そのとたん、ゆのみが、「洗い方が雑で、よく洗ってから戸棚にしまってよ」と注文をつけました。

 かおかきこぞうが、顔を描いたソファーは、「おやつをたべて こぼしたら すぐに ふいてくれ」、食器棚は、「お茶碗の詰めすぎ」といい、かおかきこぞうが顔を描いたものたちが、つぎつぎに いいたいことを しゃべりはじめました。

 すると、困惑するレレコさんのところに「ふきふきじいさん」がやってきて、かおかきこぞうが描いたた顔を つぎつぎに ふきふき していきました。おやおや、かおかきこぞうもレレコさんも ふきふき。

 部屋がぴっかぴかになると、かおかきこぞうが描いた顔がなくなって、おしゃべりがとまりました。でもきれいになって みんなうれしそう。

 ただ、レレコさんが、たったひとつ、顔をふかずにのこしていました?

 

 思い当たることがおおい。我が家のテーブルや洋服ダンスも、言いたいことがありそう。こんな妖怪なら大歓迎。ちょっと反省して整理整頓を頑張ってみようかな。


ひたいにトチの木・・山形

2023年03月17日 | 昔話(北海道・東北)

         山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 頭に柿の木がなる昔話があるなら、目に木が生えてもおかしくありません。タイトルは「ひたい」ですが、目に木が生える話。

 

 カモ取りのじいさまが、沼でカモをいっぱいとり、腰の帯にはさんでいると、足を滑らせたひょうしに、バタバタとカモが羽ばたいて、空中高くとんでしまった。そうしているうちに、元気なカモの一羽が、帯を抜けてとんでしまったもんだから、そのうち一羽ぬけ、三羽ぬけて帯がゆるみ、沼めがけてまっさかさに落ちてしまった。ピシャっと落ちたひょうしに、二つの目ん玉、ぺろりと飛び出してしまった。あちこちさがし、目を入れると、一つは見えたが、もう一つはトチの実。

 翌朝、目さましてみると、目から大きなトチの木が生えていた。そのトチの木に実がなり、カモとりに行くには、トチの木がじゃま。そこで町へトチの実を売りに行くと、これがみんな売れてしまった。次の年にも 「トチの実はいらねが トチ トチ」とふれまわると、じゃまだから、トチの木切らなければ、町へ来るなといわれ、トチの木を切るが、こんどは 薪にして売り歩いた。

 売るものがなくなったと思っていると、木の切り株にナメコが生えてきた。ナメコもよく売れ、村にもどる途中、雨が降ってきた。家で、ばさまのだしたお茶を飲んでいると、頭の上でゴチャゴチャ音がする。ばさまが見ると、頭のくぼんだところに雨水がたまって、そこにフナが 泳いでいた。「こりゃ、ええ。町さいって、フナを売ってくるべ」と、こんどは、フナを売りに町へ。

 このあと、どうなったかは?

 となりのじさまも、おなじように、空中から落ちて、ようやく探した目を、ひとつさかさに入れてしまった。そしたら、さかさにいれた目ん玉で、体の中みな見える。「なるほど、頭が痛いというのは、ここがわるいからだべ。はらいたいというのは、これがわるいからだべ」と、体の中のわるいところが、みな見えるもんだから、「はらいたには、ドクダミを湯に入れて、それを飲めば治るし、けがしたらここがはれるから、この薬をはりつければいい。」と、体のわるい人に教えたもんだから、この一番の名医になったんだと。

 

 現代医学では、体の状態を検査するというのは治療の出発点。昔の人も、体の中を見てみたいと思ったかどうか。