どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

しろいむすめマニ・・アマゾンのいものはじまり

2015年12月30日 | 絵本(昔話・外国)

    しろいむすめマニ/再話:稲村 哲也 絵:アントニオ・ポテイロ/福音館書店/1992年


 異色の組み合わせによる絵本です。

 作者はラテンアメリカの先住民、ネパールの山岳民族、モンゴル遊牧民などの研究者。そして絵は、ポルトガル生まれで、16歳で陶工になり、創作陶芸や絵画をてがけている方。

 アマゾンのいもマニオカの由来です。

 昔、アマゾンのジャングルのなかに狩猟や採集で暮らしていた人々が住んでいました。

 あるとき、村長の息子の家に、肌がまっ白な女の子が生まれ、マニと名づけられました。マニはみるみる大きくなり、二か月もするとお母さんの仕事をなんでも手伝い、織物を織ることも、土で水がめをつくることもできるようになります。しかし1年で死んでしまいます。

 その後マニは母親の夢のなかにあらわれ、葬られている場所を次々変えさせます。

 やがて日照りで木の実や果物もなくなり、狩りの獲物も少なくなって、他の土地に移ろうとしたとき、一羽の鳥がマニがよんでいると鳴きだします。

 村の人が、いってみるとマニのお墓があったところに、見たこともない木がはえていて、その木の根っこからマニの顔があらわれ、根っこからパンの作りかたをおしえて、マニの顔は見えなくなります。
 村人が根っこをほり、皮をむいてみるとなかみはマニのように真っ白ないもでした。

 いもをまわりに植えると、たくさんのマニの木がはえてきます。このいもをこすって、粉にして水にさらさいたあとで、まるく練り合わせ、火で焼いてみるととてもおいしいパンができあがります。

 こうしてパンが食べられるようになると、人々は定住できるようになります。
 人々は、そのいもを「マニオカ」となずけます。
 
 マニオカはキャッサバとも呼ばれ、トウダイグサ科イモノキ属の熱帯低木であるという。根が肥大しイモのようになり、食用、飼料用として利用される他、重要なでん粉原料にもなるそうで茎部分のイモから製造したでん粉は、タピオカ、あるいはマニオカでん粉などと称されるようである。

 いもと木が結びつきませんでしたが、またひとつ教えられました。

 このような作物の由来を説明する話を、ハイヌヴェレ型神話という説明がどこかにのっていました。

 マニが母親の夢のなかにあらわれ、葬られている場所を次々変えさせる場面がかなりを占めています。すごく雰囲気がでている絵で、ブラジルの方でないと、これは難しそうです。 


羊飼いと噴水

2015年12月28日 | 創作(外国)

     兵士のハーモニカ/ロダーリ童話集/関口英子・訳/岩波少年文庫/2012年


 イタリアのラクイラ、九十九のふき出し口のある噴水が舞台になっています。

 とてもまずしく、世の中のことはなにも知らない一人暮らしの羊飼いが、ぶつぶつつぶやいていると、一人のおばあさんがとおりかかり、たのみを一つきいてくれたら、お金持ちになる方法を教えてあげようとはなします。
 ラクイラの噴水の口をかぞえて、いくつあったかおしえてくれたらお前さんの望みをかなえてあげようというのです。
 羊飼いは七頭の羊をもっていましたが、おばさんは六頭は世話できるが、あとの一頭はおまえがつれていくよういいます。
 羊飼いは、初めて見る町の活気ある様子に目を見張りますが、羊飼いがつれていた羊をみた商人が、売り物かどうかもちかけます。
 商人は相手の無知につけこもうとはせず、ふさわしい金額で羊を買い取ります。

 おもいがけないお金を手に入れた羊飼いは山小屋にかえろうとしますが、おばあさんとの約束を思い出し、噴水の口を数えようとしますが、この羊飼いは七より大きい数はかぞえられませんでした。

 山小屋にかえった羊飼いが、羊の世話をしていたおばあさんに、噴水の口は七つあったというと、一週間後にもういちど口の数をかぞえてくるよういわれます。

 町にでかけるとき、一度に五頭しか世話できないからと六頭目は羊飼いがつれていきます。
 羊飼いはこのあいだの商人にあい、前より高い値段で羊を取引します。
 そのあとで噴水のところにでかけ、七までかぞえたところでとまってしまいます。そこであった男の子の助けをかりようとしますが、その子は二十までしかかぞえられませんでした。

 さらにその一週間後、今度は三頭目の羊を売り、噴水の口をかぞえはじめると、様子をみていた一人の娘が親切に手助けしてくれます。

 噴水の口が九十九あったのを、おばあさんにいおうとしますが、山小屋にはおばあさんはいません。残った四頭の羊がのんびりと草を食んでいるだけでした。

 しかし羊飼いには三頭の羊を売って手に入れたお金と、九十九の数字、夢のような町の景色と新しいことがいっぱいつまっていました。

 噴水の口が九十九あるというのは、おばあさんははじめから知っていたのですが、何も言わず、羊飼いがその数を知るまでまちます。

 さらに羊を町の市場につれていくといい値段で売れることも自然にきずくよう羊をつれていくよう仕向けるあたりがおばあさんの知恵です。

 強制ではなく、さまざまなことを自然に習得させるようにしていくさまは、なにか教育の原点を考えさせてくれる物語です。

 もっともいまでは悠長すぎるかな?

            (イタリア政府観光局HPから)


「けんぽう」のはなし

2015年12月27日 | 絵本(社会)
「けんぽう」のおはなし  

    けんぽう」のおはなし/作:井上 ひさし 絵:武田 美穂/講談社/2011初版 

 

 井上さんが子どもたちに憲法をテーマにした話をもとに作られらた絵本。
 井上さんは2010年4月になくなられていますが、今日の事態を予想されていたのかもしれません。

 素直な気持ちで、憲法を読んでみるとあたりまえのことをのべているのですが、あたりまえのことがあたりまえでないのが異常ともいえます。

 99条で、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うとあるのですが、まったく義務を負おうとしないのが、今の政府のようです。

 昭和25年に文部省からだされた中学校社会科用「あたらしい憲法のはなし」で、戦争の放棄について
次のように説明していますが、当時の雰囲気がよく伝わってきます。
 なんでいまのようになってしまったのか暗澹たる思いがします。

 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう


 この本をよんだ子どもの感想に「お母さんによんでもらった。日本に生まれて良かったと思った。」とあるのですが、これからもそう思える社会を未来に残していくのが、大人の役割でしょう。


みるなのへや

2015年12月26日 | 絵本(昔話・日本)
いまむかしえほん(8) みるなのへや  

    いまむかしえほん(8) みるなのへや/作:広松 由希子 絵:片山 健出/岩崎書店/2011年初版

 

 旅人が山道にまよって、とめてもらうことになった家には、やさしげな女が一人。
 女は奥の部屋を見ないようにと念を押して町にでかけます。

 見るなと言われると見たくなるのが人間の常。
 ふすまをつぎつぎにあけていくと、四季の光景がひろがっていきます。

 語る場合は、聞く側の想像にゆだねますが、絵本では、文章がなくても一瞬で視覚に訴える力強さがあります。
 春の風景に青毛の馬がでてきますが、なんとも存在感があります。

 おなじダメよとでてくる昔話でも、外国の場合はおどろどろしたところがあります。
 イタリアの「三本のカーネーション」では、絶対にあけてはいけない部屋には、真っ赤な炎のなかで泣き叫ぶ娘たちがいます。 

 旅人は最初のページでは実体のないような線だけで表現され、最後の呆然とするさまも、あわい黒一色で、目の表情も印象にのこります。          


ほら、ぼく ペンギンだよ

2015年12月25日 | 絵本(外国)
ほら、ぼく ペンギンだよ  

   ほら、ぼく ペンギンだよ/作・絵:バレリー・ゴルバチョフ 訳:まえざわ あきえ/ひさかたチャイルド/2013年初版

 

 キツネ、ネズミ、カエル、ウサギ、ビーバーくんたちは、大騒ぎ。
 みんな頭から洋服をかぶってペンギンのまねです。
 ボールをあしではこんだり、おなかで滑り台をすべったり、ペンギンダンスとみんなペンギンになりきっています。
 
 おとうさんが読んでくれたペンギンの絵本の影響で、カメくんがペンギンになり切って、幼稚園にいったのがきっかけでした。

 おひるねの時間、みんなもペンギンの夢をみるのですが、このペンギン、頭はそのままです。

 次の日、おとうさんが読んでくれたのはサルの絵本。
 今度は、サルの夢を見て・・・・。

 自由な発想で、ごっこ遊びを楽しめるのは、こどもの特権でしょうか。

 カメがペンギンのまねをするという作者の発想も新鮮でした。


木の実のけんか

2015年12月24日 | 絵本(日本)
木の実のけんか  

    木の実のけんか/作:岩城範枝 絵:片山健/福音館書店/2008年初版

 

 早咲きの桜(早いといっても今の時期にははやすぎるかも)をみに、山一つ向こうからやってきたのは、タチバナ、ダイダイ、クネンボ、ユズ、ブシュカン、ブンタン、ミカン、キンカンの面々。
 満開の桜の下でにぎやかに酒や食べ物をたべているのを見た、地元のクリ。縄張りをおかされたようであいさつにいきます。
 柑橘類のタチバナは鷹揚なところをみせてお酒をすすめます。
 ところがその席で歌をめぐって言い争いになります。
 クリは多勢に無勢でごちんとやられてしまいます。

 おこったクリは、カキ、ナシ、ウメ、ザクロ、ナツメ、モモの仲間をつれてやってきます。
 壮絶なけんかがはじまりますが・・・・。

 桜がさとすように、大風に花びらを舞わせると木の実たちを吹き飛ばしてしまいます。


 狂言をもとにした絵本とありました。

 最後に、桜の木が、何事もなかったように淡く咲いているのが印象的です。

 満開の桜をみんなで楽しんだらいいと思うのですが、なかなかそうもならないのが世の常。けんかの原因はささいなようですが当事者にとっては大変なこと。

 柑橘類の集団が一つのクリを袋叩きにしますが、とめる人(木か)がなく、クリ集団もまあまあととめる人がいないところが、なにか考えさせられます。                 


トッケビがでてくる昔話、絵本

2015年12月23日 | 昔話(アジア)

 北欧のトロル、ロシアのバーバーヤガー、モンゴルのマンガスなど日本語訳では適切なものがなく、そのまま使われている昔話のキャクター、韓国のトッケビもこのひとつのようです。


        おばけのトッケビ/絵:鄭スクヒャン 再話:金森 襄作/福音館書店/1992年こどものとも

 天涯孤独の若者が働き場所を探しますが、なかなかみつかりません。
 お墓で野宿することになりますが・・・。
 
 そこへやってきたのはトッケビ。
 お墓の中のおじいさんをいきかえらせるために、村の娘のいのちをとろうとおじいさんのところへやってきたのでした。
 若者は、死んだふりをするために、ひょうたんと竹の杖を使います。

 ひょうたんと杖を骨と勘違いしたトッケビは、若者をつれて、むすめのところへ。

 トッケビはむすめの命を両手にもってかえってきますが、いのちが逃げてしまうからと、若者は自分のもっていた袋に、そのいのちをつつみます。
 トッケビが大喜びして踊っていましたが、東の空があかるくなって、あかるいところでは生きられないトッケビはあわててどこかへいってしまいます。

 やがて若者は、つつじの花のような娘の命をすくい、結ばれることに。

 家や結婚式の様子が当時の暮らしぶりをあらわしているようで興味深いところがあります。
 南無阿弥陀仏の旗があります。

 真夜中の若者が線だけで表現されていて、まるで幽霊のようです。


      
      だまされたトッケビ/韓国の昔話/神谷 丹路・編訳 チョン スンガク・画/福音館書店/1999年初版

こぶじいさんとトッケビ

 トッケビが、じいさんのこぶをとってしまいます。鬼ではなくトッケビです。

塩売りに食べられたトッケビ

 「三枚の札」では、最後、和尚さんがやまんばに化けてみてくれといって、豆に化けさせ、食べてしまうところがでてきますが、この後半部に類似しています。

トッケビの石うす

 世界各地にみられる海の水がしょっぱわけの話。石うすが海の底で回り続けています。
 トッケビは、豚肉がどうしても食べたくなり、お金をはずむので売ってくれというのですが、そこにある石うすがどうしてもほしいと泣いたりわめいたりしてねだられ、とうとう男に石うすをわたしてしまいます。
 この石うす、「お金よでてこい」というとお金が、「ご飯よでてこい」というと、ご飯がでてくるもの。

 トッケビさんどうもにくめない。唱えたものがでてくる石うすをもっていたら、「豚肉をどうしてださなかったの」と聞きたいところ。

トッケビのこん棒

 食べ物や金貨銀貨がでるテーブルやロバがでてきて、それがすり替えられるが、やがてこん棒で取り返すお話に類似しています。

トッケビと兄と弟

 村の人から食べ物をめぐんでもらいながら暮らしている二人兄弟。兄は弟につらくあたり、食べ物をもらってきてもひとり占め。
 弟が、ある日、落とし物を開けてみると、にぎりこぶし大の金の塊が入っていました。
 兄は、弟の両目をくりぬいて、この金をもってどこかに消えてしまいます。
 弟は、兄を探すため、旅に出かけようとします。近くの家の主人が、弟をかわいそうに思い、蒸し餅をもたせます。
 旅の途中で家にとまると、そこに大勢のトッケビが入ってきて、相撲したり、どたんばたんと大騒ぎ。そのうちトッケビたちが話をしはじめます。
 新しい目玉がはえる方法、水がない村で、水を手に入れる方法、寝たきりの美しい娘の病気を直す方法など。

 トッケビたちの話を聞いた弟は、まず自分の目玉をとりもどします。
 そして水不足に悩む村をすくい、さらに娘の病気をなおします。
 弟は娘と結婚し、幸せになりますが、そこに、ものごいしている兄があらわれます。

 さらに話は続きますが、この展開は、外国にみられるパターンでもある。

だまされたトッケビ

 酒が飲みたくなったトッケビが、キムさんからお金をかりて、次の日借りたお金を返すに行きます。
 ところが、お金を返したことをわすれたトッケビが、翌日もお金をかえすにいきます。
 なんとトッケビは、それから毎晩毎晩お金を返します。

 何十年にもわたってお金を返したトッケビのせいで、キムさんは大金持ちに。こどもや孫からわけをきかれ、得意げにわけを話しはじめたキムさん。ところがこの話を聞いていたトッケビは、地団駄ふんでくやしがり、いつか仕返しをしようと機会をうかがいます。

 キムさんが畑に出かけ、ころがっている石をほうりながら、「くそったれ石ころめ、うちの大事な畑にころがりこんで」と話すのを聞いたトッケビは、しめたとばかり石ころをはたけになげいれます。

 しかし、キムさんは誰が畑を石だらけにしたか見抜くと、わざと「畑に布団をかけてくれてありがたい。かわりに犬の糞でもまかれていたら、畑がだいなしになるところだった」と大きな声でいうと、それを聞いたトッケビが、今度は畑の石ころをすっかりのぞき、犬の糞やら牛の糞やらをまいたので、はたけのいいこやしになる。

トッケビの土地

 トッケビの土地と呼ばれるところがあって、この土地に家を建てた者は長者になるといううわさがありました。
 一人の男がこの土地を買い取り立派な家を建てますが、一晩のうちに、家があとかたもなくくずれてしまいます。
 そこにうわさを聞いてやってきたもうひとりの男が、この土地を買って家をたてますが、やはり翌日にはあとかたもなくなってしまいます。
 もうひとりやってきた男が、どうしてもと土地を買い取り家を建てます。ここでもせっかく建てた家があとかたもなくなります。しかし、男はあきらめることなく、大急ぎで家を建て直し、真夜中もおきていて、見張りをします。
 そこにトッケビがやってきて、自分たちの遊び場なので家を壊そうとします。話を聞いていた男はトッケビを問い詰め、なぞなぞをして負けたほうがでていくことに。
 男は、詩をよむから、それに合う句をつくるようトッケビにもちかけます。
 ここでトッケビはとなりの中国に出かけ、詩の名人、李白を墓の中からよびだして詩をつくってもらいます。
 男は、その詩がだれかにつくってもらったことを見抜き、土地を手に入れ、やがて長者になります。

 昔話によくでてくるなぞなぞですが、詩をつくるというのははじめてです。それも中国と陸続きの国の 話らしく、李白をお墓からよびだすというのですから、意表をつく展開です。


         おはなしサルマンさま/済州島の昔ばなし/元静美・文 玄順恵・画/新幹社/1996年

トッケビの道

 済州島を舞台とした創作昔話です。

 済州島の真ん中にあるハンラサン山は、韓国で一番高い山。

 暴れん坊の風がハンラサンにしょうとつしたとき、いつも落し物をしていきます。

 今日の落し物はトッケビ。トッケビは名前を聞いただけで目の玉が飛び出ます。

 キムおばさんがかついでいたアミ袋を担いであげようと、声をかけたトッケビは、アミごともっていってしまいます。アミにはいっていたアワビ、ウニ、タコミ。

 甘いミカンをかついでいた男は、ミカンをトッケビにもっていかれてしまいます。

 法事の帰り道だったボウじいさんは、あっちこっちにうかぶ月に驚いて地面へ へばりついてしまいます。トッケビのしわざでした。

 ハンラサンには黒い石がごろごろ。
 「なーんだ、石っころか」とあざけるトッケビに、黒い石は、「わしはお前のようなこざいくは使わん。じっとしているだけで人間どもは大こまり」と応酬。

 自分が一番と、トッケビは黒い石を飛ばそうとしますが、石はデンとつっ立っています。

 その日から、トッケビは術をかえて、黒い石にいどいかかりますが、石はびくりともしません。

 トッケビは一本の坂道をつくって、その下から石を転がそうとします。こんなことが何百年も続き、ある日黒い石が動きはじめますが、なんと石は坂の下ではなく、坂をのぼりはじめます。

 それから奇妙なことが起こります。
 坂道がグンラと揺れ、地の底からはあやしげなひびきのけはい。そのあやしげな声にあわせるように風もないのに、何かがチリチリと動いているけはいがしています。

 この道は「トッケビの道」と呼ばれ、誰も近づこうとしませんでした。 

 済州島の地図ものっていて、トッケビの道もあります。トッケビはさまざまに姿をかえてあらわれる存在のようです。


岩をたたくウサギ・・サバンナのむかしがたり

2015年12月21日 | 絵本(昔話・外国)
岩をたたくウサギ  

    岩をたたくウサギ/再話:よねやまひろこ 絵:シリグ村の女たち/新日本出版社/2012年初版

 

 サバンナの昔話で、絵はシリング村の女たちとあって、壁画や象形文字をおもわせる絵です。

 色の赤茶は危険、黒は力、白は清らかさを意味しているといいます。

「人の悪口をいうのはよくない」――サバンナの動物たちは、人の悪口をいったらその場で皮になってしまうと誓いあいます。でも、それはずるがしこいウサギのたくらみだったのです。
 ウサギは岩をカーンカーンカーンとたたきはじめます。
 ヘビがなにをやっているのかきくと、ウサギは、はたけを耕しているとこたえます。あまりのことにヘビが岩の上ではたけがつくれるわけがないだろうと馬鹿にするとヘビは皮になってしまいます。

 ワニもウシもトカゲも岩の上ではたけをつくっているというウサギを馬鹿にするとその場で皮になってしまいます。

 ウサギはヘビの皮で、きれいなかばん
     ワニの皮で、しゃれたくつ
     ウシの皮で、りっぱなたいこをつくります。

 しかし、ホロホロ鳥にあったときは・・・?


 「アナンシと5」を思わせるお話。
 最後はマンバースイヤ(おしまい)です。    


手なし娘

2015年12月17日 | 昔話(日本)

     子どもに語る日本の昔話3/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1996年初版


 継母から、なたで両手を切り落とされた娘。その原因はよその村の若旦那がぜひとも娘をよめにほしいといわれたこと。
 この娘が、ふとしたことからつれていかれたのは、結婚したいと申し込んだ若旦那のところ。

 この若旦那が江戸にいったときに、子どもがうまれる。
 若旦那の両親が、子どもの誕生を知らせる手紙を足の速い下男にもたせるが、この下男が立ち寄ったところが、酒屋の継母のところ。

 話をきいていた継母は、鬼のような子をうむ女は、子どもと一緒に追い出せと手紙をかきかえる。

 娘は泣き泣き家をでていくが、途中で出会った坊さんから、さきの小さい滝で水を飲むよういわれる。

 水を飲もうとすると帯がゆるんで背中のこどもが、今にも滝に落ちそうになる。娘が落とすまいとすると、両手がはえてくる。

 両手が切り落とされるというショッキングなところにびっくりしたことがある。しかし、”なた”は、いまではイメージがわくか心配なところもある。

 手紙のかきかえというあたりは、外国の昔話にもよくある。

 子どもを思う母親の気持ちがよくでている昔話です。


あの夏の日

2015年12月15日 | ちょっと遠出
 青年劇場の公演に新宿まででかけました。
 公演場所までは2時間弱。ちょっと遠出です。

 普段は稽古場としてつかわれている場所での公演で、観客席は100程度でしょうか。舞台は真ん中で、まわりを観客が取り巻く形でした。

 実際の高校での活動がモデルで、被爆証言者の話を聞いて当時の状況を絵にするというもの。
 はじめ、8月6日や8月15日を知らない高校生がでてくるのですが、テレビのインタビューで、知らないと答えている学生?もいたので笑えない場面でした。

 2時間、休憩時間もなく、いつもだったら尻が落ち着かなくなって、足を頻繁に組み替えたりしているのですが、集中していたのか、今回はそれは一度もありませんでした。


 芝居もそうですが、音楽、絵の表現から学ぶものはいろいろあるのではないでしょうか。

 語るのはほとんどがボランテイアですが、そうだからといってさまざまな工夫をしなくてもいいとは言えません。

 その工夫が何かはうまくいえないのですが、一つは色です。具体的に何色というのではなく、いろのイメージをつたえるということです。
 お話の夜の場面。真っ暗も明るい夜も、薄明りの夜もあります。
 朝、陽がのぼるだけでなく、靄につつまれた朝、どしゃ降りの朝といろいろありそうです。

 テキストに言葉がなくても、語り手が意識してみることも必要なのではないでしょうか。

 初心者がえらそうなことをいうようですが、今日は芝居に感動して、気持ちが高揚したこともあって、こんなことも浮かびました。

走れメロス・・紙芝居版

2015年12月13日 | 紙芝居

     走れメロス/原作・太宰治 脚本・西本鶏介 絵・宮本忠夫/鈴木出版/2012年

 中学国語教科書のなかに「走れメロス」があって、どうにか語れないかと思いながら何回か読んでいます。
 語るには、長すぎるのと、表現が難解なところあるのですが、いわんとするところがはっきりしているのが魅力です。
 題名はよく知っていても、これまで実際に読むことはなかった太宰作品。
 紙芝居のなかに、この「走れメロス」がありました。

 脚本は西本鶏介さんで、絵本でなじみがあったので、どんなふうに脚色されているのか興味がありました。
 原作がよく生かされていますが、それでもまだ長いので、覚えるには相当苦労しそうですが・・・。

 こんな内容です。

 メロスは、村の羊飼いで、だれよりも悪を憎む男であった。両親も 妻もなく、十六になる妹とふたりで暮らしていた。その妹が 婿を迎えることになったので、花嫁衣装や 結婚式のごちそうを買うため、野を越え、シラクスの市にやってきた。
 この市には 石工をしている竹馬の友、セリヌンティウスがいる。久しぶりに会うのが楽しみである。
ところが歩いているうちに メロスは、まちの様子を怪しく思った。夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。二年前にやってきたときには 夜でも みんなが歌をうたって、まちは賑やかであった。メロスは 若者をつかまえ、そのわけを聞いたが、若者は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老人に会い、今度は からだをゆすぶって 質問した。老人はあたりをはばかる低い声で答えた。
「王様は、人を殺します。はじめは 王さまの妹むこさまを。それから妹さまを。それから 皇后さまを。賢臣のアレキスさまを。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少し派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば殺されます。きょうは、六人殺されました。」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」
 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王の城にはいっていき、たちまち捕らえられた。ふところから、短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「お前などには、わしの孤独の心がわからぬ。」
王が、メロスを見て、あわれむように 笑った。
「言うな!」とメロスは、いきり立っていいかえした。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民のまごころさえ疑っておられる。」
「人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。わしだって 平和を望んでいるのだが。」
「なんのための平和だ。自分の地位を守るためか。罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ。」王は、さっと顔を挙げた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は りこうだ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」
と言いかけて、メロスは足もとに視線を落ししばらく ためらってから ことばをつづけた。
「処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。私は約束を守ります。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。」
 それを聞いて王は、そっと ほくそえんだ。
「どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りをするのも面白い。その身代りの男を、はりつけして、世の中の、正直者とかいうやからに見せつけてやりたい。」
「願いは、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目の日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「な、なにをおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
メロスは口惜しくて じだんだ踏んだ。
 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王の城に召された。佳き友と佳き友の二年ぶりで再会であった。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスはだまってうなずき、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。
メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、あくる日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの妹も、きょうは兄の代りに羊のむれの番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の姿を見つけて驚いた。メロスは無理に笑おうと努めた。
「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」
妹は頬をあからめた。
「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」
 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿は驚き、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、夜明けまで 説得をつづけ、やっと、どうにか婿をなだめすかして、説き伏せた。
結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ、華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。このよい人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。
メロスは花嫁に近よっていった。
「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、嘘をつく事だ。おまえも、亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
それから花婿の肩をたたいていった。
「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出した。
「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。」
幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。
「もはや故郷への未練は無い。まっすぐ、王の城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう」
持ちまえの呑気さを取り返し、好きな歌をうたいはじめた。
シラクスの市まで、あと半分の距離をすぎたとき、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地ははんらんし、濁流とうとうと下流に集り、どうどうと 響きをあげる激流が、こっぱみじんに橋げたを跳ね飛ばしていた。メロスは、川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。
「ああ、しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王の城に行き着くことが出来なかったら、あのよい友達が、私のために死ぬのです。」
濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。今は泳ぎ切るより他にない。
メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。
獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに情けをかけてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。
(ありがたい・・・・)
メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王の城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
山賊たちは、ものも言わず一斉にこん棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、そのこん棒を奪い取って、猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。
一気に駈け降りたが、流石に疲労し、幾度となくめまいを感じ、ついに、がくりと膝を折った。
「真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。まさしく王の思うつぼだぞ。」
メロスは、必死で自分をしかってみるのだが全身萎えて、もはや いもむしほどにも前進かなわぬ。路傍の草原に ごろりと ねころがって
(もうどうでもいい)
という、勇者に 不似合いな ふてくされた根性が、こころのかたすみに 巣くった。
「わたしは 精いっぱい 努めてきた。うごけなくなるまで 走ってきたのだ。ああ、できることなら わたしの胸をたち割って 愛と真実の血液だけで動いている この心臓を見せてやりたい。けれども わたしは 精も根も つきたのだ。わたしは 友をあざむいた。セリヌンティウスよ、許してくれ。きみは いつでも 私を信じた。今だって きみは わたしを 無心に まっているだろう。ありがとうセリヌンティウス。よくも わたしを信じてくれた。」
「君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。しかし、君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。」
四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまったメロスの耳に、ふと 水の流れる音が聞えた。
よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目からこんこんと、清水が湧き出ている。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手ですくって、ひとくち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
「歩ける。行こう。」
肉体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生れた。
斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
「私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。メロス、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。」
路行く人を押しのけ、はねとばし、メロスは黒い風のように走った。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。メロスは、いまは、ほとんど はだかであった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」
うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」
メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」
その若い石工は、走りながら叫んだ。
「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」
 最後の死力をつくして、メロスは走った。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。
間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」
大声で叫んだつもりであったが、のどがつぶれてしわがれた声がかすかに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかなかった。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスは群衆を掻きわけ、掻きわけ、
「私だ、殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にしたメロスは、ここにいる!」
と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、かじりついた。
群衆は、どよめき、口々にわめいた。
「あっぱれ。ゆるせ。」
セリヌンティウスの縄は、ほどかれた。メロスは眼に涙を浮べて言った。
「セリヌンティウス、私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱き合う資格さえ無いのだ。殴れ。」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、音高くメロスの右頬を殴った。
「メロス、私を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱き合うことができない。」
 メロスは腕にうなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」
二人同時に言い、ひしと抱き合い、それからおいおい声を放って泣いた。
王さまは 群衆のうしろから二人のさま、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づいていった。
「おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。」
「王さま ばんざい。」
群衆の間に、歓声が起った。
ひとりの少女が、ひのマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。よき友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。 


運命の王子・・エジプト

2015年12月12日 | 絵本(昔話・外国)
運命の王子  

    運命の王子/作・絵:リーセ・マニケ 訳:大塚 勇三/岩波書店/1984年初版

 

 古代エジプトのパピルス文書にかかれたものを、エジプト学者である作者が再話?したものという。
 もっとも、もとのパピルス文書は途中でやぶれていて、最後のほうは作者が、当時のエジプトを再現しているというのですが、とにかく今から3千年以上も前の話というので興味津々でした。

 絵は横向きの人物が特徴で、まるで古代エジプトの壁画をみているようです。             
 途中、あれっと思うところもあるのですが、昔話のおなじみの要素がでてきます。

 子どもがいない王さまがでてきて、神さまにおねがいして、子どもがさずり、七人の女神が運命をさだめるのですが、「この子は、ワニかヘビかイヌにころされることになっている」といいます。

 この出だしは、よく目にする昔話のパターン。

 息子の先行きを心配した王さまは、王子を石の家に閉じ込め、いつも召使に監視させますが・・・。

 しかし、運命がさだめられているなら、それまでは自分のやりたいようにさせてほしいと王子は、旅に出ます。

 昔話は、若者が必ずといってもいいほど、旅に出るのが特徴。

 やがて王子は、30メートルもの窓に飛びつき、王さまのむすめと結ばれます。
 反対する王さまをなんとかときふせたむすめですが、心配なのは王子の運命です。

 王子をころしたのは?

 ハスの花から王子が再生するという幻想的なラストです。


 数多くの昔話の一つとうけとめると新鮮味はないのですが、これが何より3千年前の話をもとにしているというので、昔話のルーツにつながっているかもしれないと思うと、大人にとっては興味がわくところです。 


ながねぎきょうだい

2015年12月11日 | 絵本(日本)
ながねぎきょうだい  

    ながねぎきょうだい/文:中川 ひろたか 絵:鈴木 真実/童心社/2014年初版

 

 ながねぎは七人兄弟。ドーくん、レーくん、ミーちゃん・・・というおとは?

 あさになると、「ポンッ!」といっせいに おきだします。
 起きたとたん「おはようおはよう」と兄弟は歌いだしましが、まだねているのは?

 末っ子のシーちゃんをおこそうと「おきなさい あさがきたよ」と歌ってもシーちゃんはおこません。
 ドーくんが、おおきなシンバルをバッシャーン!

 七人がむかったさきは神社でした。
 神社では文化祭にでる人?たちで いっぱい。

 七人兄弟ががやってきたのは、音楽室。
 アスパラガスのシャープさんとブッロコリーのフラットさんが先生です。
 でもシーちゃんがまたいなくなります。

 神社の境内は、白菜、かぼちゃ、トマト、ナス、じゃがいも、オクラ、きゅうり、にんじんさんたちが歌ったり、おどったりおおにぎわい。

 みとれていたシーちゃんでしたが、なすさんから「本番の日にもっとすごいの みせてあげるからね」といわれて、みんなのところに。

 やがてながねぎ兄弟の練習がはじまります。

 自然に音楽の世界に入っていけそうです。
 シーちゃんが、ロケットみたいにそらにあがっていくのがなんとも爽快。

 先生のところにかざってある絵は、どうやらブロッコリーのベートーベンです。


おおきいツリー ちいさいツリー

2015年12月10日 | 絵本(外国)
おおきいツリー ちいさいツリー  

       おおきいツリー ちいさいツリー/作・絵:ロバート・バリー 訳:光吉 夏弥/大日本図書/2000年初版

 

 ちいさなねずみがツリーのさきっぽを見つけて、えっちらおっちら雪の中をひきずって、氷った石の階段をのぼって、あたたかいわがやに運び込むと、チーズでつくったお星さまをつけました。

 このさきっちょは、うさぎさんが、ツリーが高すぎるからと捨てたものでした。

 うさぎさんのツリーは、きつねの一家が、ちょっぴり大きすぎるからと、さきをすてたものでした。

 くまさん、庭師のチムさん、こまづかいのアデレードさんとツリーのもとをたどっていくと、最初はウィロビーさんのところのみたこともないおおきなおおきなツリーにいきつきます。

 お話はウィロビーさんのところから始まるのですが、すてられたツリーを誰が拾うのか興味津々。
 
 最後の最後まで無駄なく利用されています。

 単純ですが絵も可愛く楽しめます。


まんてんべんとう

2015年12月09日 | 絵本(日本)
 

   まんてんべんとう/作:くすのき しげのり 絵:伊藤 秀男/フレーベル館/2015年初版 

 

 なおくんが遠足のときひろげたお弁当は、コンビニのハンバーグべんとうなのですが、世界一のやさしさがつまっているまんてんべんとうなのです。
 なぜって?
 こういうわけがありました。

 なおくんのおかあさんは、いつも、アニメのキャラクターや動物ですごいお弁当をつくってくれるので、毎日、お弁当のふたをあけるのがとても楽しみ。友だちもおどろきと感動です。

 ところが、あしたは遠足というとき、おかあさんが熱をだしてソファーに横になっています。おまけにおとうさんは出張中。
 おかあさんは大丈夫といいますが、夜になっても熱は高く、ばんごはんも食べられません。

 きっとおかあさんは熱でフラフラしていても、ぼくのためにきっと早起きしておべんとうをつくってくれるはずやけど、おかあさんに元気になってもらうにはどうしたらええんやろと考えたなおくんがとった行動がコンビニで弁当を買うとでした。

 コンビニからかえってきたなおくんを、ぎゅーと抱きしめるおかあさん、出張先からとんでかえってきたおとうさんが「おかあさん、ええんや。これは、なおが おかあさんを 思うきもちが いっぱい、つまった、せかいいちの、やさしい まんてんべんとうや」といって、遠足におくりだしてくれます。

 おかあさんをおもうなおくんの気持ちや、親子同士の強い絆がじっくりとつたわってきて、おもわずホロリ。おとうさんのはげましも満点です。

 関西弁がうまくいかされていて、コンビニで、お弁当を買う場面も、人とのふれあいのあたたかさを感じさせてくれます。 

 表紙はキャラ弁で、せきはん、ハム、うすやきたまご、のり、そぼろ、あずき、きんとき豆、レタスなどなど。