しろいむすめマニ/再話:稲村 哲也 絵:アントニオ・ポテイロ/福音館書店/1992年
異色の組み合わせによる絵本です。
作者はラテンアメリカの先住民、ネパールの山岳民族、モンゴル遊牧民などの研究者。そして絵は、ポルトガル生まれで、16歳で陶工になり、創作陶芸や絵画をてがけている方。
アマゾンのいもマニオカの由来です。
昔、アマゾンのジャングルのなかに狩猟や採集で暮らしていた人々が住んでいました。
あるとき、村長の息子の家に、肌がまっ白な女の子が生まれ、マニと名づけられました。マニはみるみる大きくなり、二か月もするとお母さんの仕事をなんでも手伝い、織物を織ることも、土で水がめをつくることもできるようになります。しかし1年で死んでしまいます。
その後マニは母親の夢のなかにあらわれ、葬られている場所を次々変えさせます。
やがて日照りで木の実や果物もなくなり、狩りの獲物も少なくなって、他の土地に移ろうとしたとき、一羽の鳥がマニがよんでいると鳴きだします。
村の人が、いってみるとマニのお墓があったところに、見たこともない木がはえていて、その木の根っこからマニの顔があらわれ、根っこからパンの作りかたをおしえて、マニの顔は見えなくなります。
村人が根っこをほり、皮をむいてみるとなかみはマニのように真っ白ないもでした。
いもをまわりに植えると、たくさんのマニの木がはえてきます。このいもをこすって、粉にして水にさらさいたあとで、まるく練り合わせ、火で焼いてみるととてもおいしいパンができあがります。
こうしてパンが食べられるようになると、人々は定住できるようになります。
人々は、そのいもを「マニオカ」となずけます。
マニオカはキャッサバとも呼ばれ、トウダイグサ科イモノキ属の熱帯低木であるという。根が肥大しイモのようになり、食用、飼料用として利用される他、重要なでん粉原料にもなるそうで茎部分のイモから製造したでん粉は、タピオカ、あるいはマニオカでん粉などと称されるようである。
いもと木が結びつきませんでしたが、またひとつ教えられました。
このような作物の由来を説明する話を、ハイヌヴェレ型神話という説明がどこかにのっていました。
マニが母親の夢のなかにあらわれ、葬られている場所を次々変えさせる場面がかなりを占めています。すごく雰囲気がでている絵で、ブラジルの方でないと、これは難しそうです。