どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

侏儒どんのとんち・・鹿児島

2021年09月30日 | 昔話(九州・沖縄)

          鹿児島のむかし話/鹿児島のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

・村一番の茶のみばば

 島津の殿さまから、屋敷のまわりに木を植えようと思うが、何がいいか聞かれたとんちのきく侏儒どん。垣根になるばかりか茶もとれる、茶がいいだろうとこたえます。

 つね日ごろ、侏儒どんのとんちでやっつけられている殿さまは、さっそく茶の実を持ってくるよういいつけます。

 季節外れで茶の実がないのに気づいた負けず嫌いな侏儒どん。近所のばあさんのところへでかけ、ばあさんといっしょに殿さまのところへでかけます。そして茶のみをさっそくもってきたと殿さまに言上。だしてみよといわれ、「ここに」とこたえた侏儒どん。

 殿さまは、ばあさんをみて、怪訝な顔をしますが「このばばは、村一番の茶のみばばでございます。朝から夜まで、お茶がなければ、日が暮れませぬ。日当山一番の茶のみでございます」と答えた侏儒どん。

 殿さまも一本とられました。

 「茶の実」と「茶飲み」にかけたとんちですが、ほかの同音異義でも通用する話。

 

・はりのあなほどの土地
 
 たくさんのカラスが、あちこちでカアカアなくので、しゃくにさわった殿さまが、追い払うように申しつけます。
 そこにやってきた侏儒どんが、「あれはスミ鳥で、まことにおめでたい鳥です」と、まじめな顔をしていいます。いいことがいっぱいありますよといったあと、「良いとか悪いと言うのは、その人の考え方ひとつで、どうにでもなる」「カラスもよい方に考えてもらいました。お許しください」といいます。
 だまかし賃として、ほうびをあげるといわれ、侏儒どんは「縫い針の穴から見えるだけの桜島の土地をください」といいます。
 じつは、針の穴からみると、桜島がすっぽり入ることになります。殿さまは、欲がないと思っていたのですが、侏儒のねらいに、笑い出します。
 ここにでてくる侏儒どん、どんな経過で使われてきたのでしょうか。 
 芥川龍之介に「侏儒の言葉」という随筆・警句集があります。

昆虫たちの擬態

2021年09月29日 | 絵本(自然)

   昆虫たちの擬態/海野和男/誠文堂新光社/2008年

 

 いつのまにかセミのなきごえがきこえなくなり、夜には虫の鳴き声がきこえるようになりました。セミはともかく、夜の虫の生態は知らないことばかり。

 昆虫の擬態についてもよほど注意しないと素人にはわかりません。その点、写真家の視点にはいつもおどろかされます。よくよくみないと擬態かどうかはわからないのですが、よくもまあ、こんな写真がとれたものと感心させられるばかり。


 カテゴリをみるだけで、内容が伝わってきます。そえられたコメントも楽しい。

・威嚇(せっぱつまったらやるしかない)

・目玉模様(大きな目玉で睨みつける)

・糞にそっくり(糞になればたべられない)

・死んだふり(究極の技)

・ヘビに似る ハチに似る アリに似る

・幹にとけ込む

・苔に紛れる 苔を装う

・石にとけ込む

・葉に似る 枯葉に似る 枝に似る

 

 日本ばかりでなく、世界各地の昆虫も。眼玉模様を見るだけで楽しい。

 ただ、昆虫が擬態でピンチを切り抜けようとおもっても、最大の脅威は、自然を破壊する人間です。


ボルカ

2021年09月28日 | 絵本(外国)

     ボルカ/ジョン・バーニンガム・作 木島始・訳/ほるぷ出版/1993年

 

 ガチョウのポッテリピョン夫婦に、六羽のひなが かえりました。ただ、めすのボルカには羽がまるではえていませんでした。

 お母さんガチョウは、お医者さんガチョウからいわれて、灰色の毛のあみもので、羽をあんであげました。

 ほかのガチョウが飛んだり、泳いだりできるようになっても、ボルカは毛あみの羽をかわかすのがたいへんで、およぐことはできませんでした。

 やがて夏が過ぎると、ガチョウたちは あたたかい地へ旅立ちますが、ボルカだけは とりのこされてしまいました。

 しとしと雨がふる夜、かわいたところで過ごそうと、明かりがついていない船に乗り込んだボルカは、ファウラーという犬に、船倉に案内されます。

 ファウラーから話を聞いた船長は、ボルカをロンドンのキュー植物園につれていき、こんどまた きっとあいにくるからと 約束します。

 キュー植物園のガチョウたちは、ボルカに羽がないことなんか、まるできにしませんでした。いろんなかわった鳥たちが、いっしょに暮らしていたのです。

 そしてとくべつなかよしのガチョウから泳ぎもおしえてもらい、植物園で しあわせにくらします。

 

 家族から一匹だけ取り残されて、どうなるかと おもっていると いい出会いにめぐまれたボルカでした。すべてが同じである必要はない、それよりどう生きるかを 問いかけていました。
 初版は1963年ですが、時間を感じさせない色のタッチにひきこまれました。

 「訳者あとがき」で、しられない訳の裏側を知ることができました。


柿と蝶

2021年09月27日 | 日記

蝶の種類はわかりませんが、残り僅かになった柿の実に。

ヒヨドリやカラスはめずらしくありませんが、蝶というのははじめてでした。

花も少なくなっているのが原因でしょうか。くちばしもずいぶん長いんですね。


天のかみさま金んつなください・・山形、大分、福岡、鹿児島

2021年09月27日 | 昔話(日本)


    天のかみさま金んつなください/津谷タズ子・作 梶山 俊夫・絵/福音館書店/1988年こどものとも発行

 母親が買い物に行くので、留守番をたのまれた三人のわらし。
 いちろう、じろう、さぶろうと名前もわかりやすい。

 そこへやまんばがやってきますが、しわがれこえだったので、わらしたちは戸をあけません。

 やまんばは桑の実手あたり次第たべて声をかえてまたわらしたちのところへ。

 こんどは頭の毛を指摘され、河原で泥と水でばさばさ髪をなおし、その次は爪。

 ようやくわらしの家に入り込んだやまんば。

 ここまでは、グリムの「オオカミと七ひきの子ヤギ」の展開。

 いちろう、じろうは木の上ににげだし、一度はうまくやまんばが登れないようにしますが、やまんばもさるもの、とうとう二人をおいつめます。

 ふたりが必死で「てんのかみさま、てんのかみさま、かねんつなください」とがんをかけると、天からゆっくり、かねんつなが、おりてきます。

 タイトルの「金んつな」って、なにと思っていたら、金の綱だったんですね。やまんばも別の かねんつなをのぼって追いかけます。

 さぶろうは、やまんばにたべられたのですが、無事にやまんばのはらのなかからでてきます。

 ところで、兄弟がにげだしたえんじゅのきには、なじみがありませんでした。

 槐(えんじゅ)ともいうようです。


天とうさん金の鎖(日本の昔話百選/稲田浩二 稲田和子・編著/三省堂/2003年改訂新版)

 大分県の昔話です。

 子どもが5人、山姥が母親、子ども二人を食べてしまうとあります。
 あとの三人は星になるというものです。

 怖いのも少し考え物。天から金の鎖が下がってくるには同じ展開です。山姥が里芋で毛むくじゃらの手で、子どもらをだまします。

天とうさん金のくさり(子どもに語る日本の昔話②/稲田和子・筒井悦子/1995年)

 福岡の昔話です。

 ちょっと怖い展開です。母親と子ども三人。母親は、山の中で鬼ばばに食い殺されてしまいます。

 子ども三人が留守番している家にいった鬼ばばは、手に毛がいっぱいはえているといわれ、レンコン畑のはすの葉を手に巻き付けて、なんとか家にはいります。

 三人目は、まだ赤ん坊。鬼ばばは、赤ん坊もボリボリいわせてたべてしまいます。

 二人は家を抜け出し、井戸のそばのしゅろの木に登って隠れます。

 鬼ばばは井戸に映った二人を見て、井戸の中にはいろうとしますが、上からクスクス笑い声がするので、木の上の二人にきがつきます。

 ここで昔話のパターンでは、鬼ばばをうまくだますことになりますが、兄が斧を打ち込み打ち込みして登ったとこたえたことから、鬼ばばが、ふたりにせまります。

 ここで兄弟が、天とうさまに、金の鎖をおろしてくれるようにお願いし、天まで上がっていきます。

 鬼ばばも、天とうさまにお願いしますが、くされ縄が下がってきて、のぼり途中で縄が切れて下に落ちて死んでしまいます。

 兄弟は兄弟星。落ちた鬼ばばの血が そばの根元にかかって、そこが赤くなったといういわれまで。

 

・山姥と三人の子ども(鹿児島のむかし話/鹿児島のむかし話研究会編/日本標準/1975年)

 題名からはわかいにくいのですが、同じパターンの鹿児島の昔話。

 おっかさんが山姥に食べられ、花子、太郎、次郎のところへ。山姥は とくに声を変えることはありません。

 夜、山姥がもぎとった母親の腕をポリポリ食べているのにきがついた三人の子が、ゆずいの木にのぼりかくれます。

 山姥は井戸に映った二人を見て、井戸の中にはいろうとしますが、笑い出した太郎にきがつき、切り倒そうとします。そこへ天から金のくさりがおりてきます。そしてカランコロンといい音を立てながら天へのぼっていきます。

 山姥も天からおりてきた綱につかまって、三人をおいかけますが、綱が途中でプッツリ切れて、真っ逆さに落ちてしまいます。

 三人は星になり、山姥の血が白いそばのくきを、あかくそめてしまいます。

 

 同じような昔話でも、桑の実で声をかえたり、毛むくじゃらの手を里芋でかえたり、毛むくじゃらの手を はすの葉でおおうなど あの手この手。

 子どもたちが登る木も絵本では えんじゅの木、大分版では桜、福岡版ではしゅろの木、鹿児島版ではゆずいの木で、地域の特色がでているのでしょうか。


ダンデライオン

2021年09月26日 | 絵本(外国)

    ダンデライオン/ドン・フリーマン・作 アーサー・ビナード・訳/福音館書店/2005年

 

 キリンのジェニファーさんから、おしゃれなびんせんに 金のインクで書かれたティーパーティ招待状をもらったダンデライオン。嬉しくて、朝食もそこそこに床屋に出かけます。

 雑誌のモデルにまけないくらいの髪型にして、チェックのジャケット、帽子とステッキも みにつけて、ジェニファーさんがすきな たんぽぽの 花束も買い ジェニファーさんのところに。

 ところが、ドアを開けて出てきたジェニファーさんから、「きっと 住所を まちがえたんでしょうねえ。もういちど おしらべになったら。では、しつれい」と、パタンとドアを しめられてしまいます。

 ショックで しばらく たちすくんで いったりきたり。

 そのうち、風が強くなり雨も降ってきて・・。

 すこしすると雨がやみ、雲も切れて 太陽の光が ふりそそいできました。

 階段の下の タンポポを見つけ もういちど ベルを鳴らすと こんどは、ジェニファーさんから 歓迎されて・・。

 ジェニファーさんは、めかしこんだ だてライオンをみて、ダンデライオンと気がつかなかっただけでした。

 

 原著は1964年の出版。原題が「たんぽぽ」といいます。ダンディとたんぽぽという組み合わせは結びつきませんでした。

 「ありのままの ぼくが ほんとうの ぼくだからね」 そう、ありのままが一番。
 おしゃれすると 見間違えるほど 変わってしまうんですね!

 お店のポスターには、思わず笑ってしまいました。


みたら みられた

2021年09月25日 | 絵本(日本)

      みたら みられた/たけがみ たえ/アリス館/2021年

 

 いつからでしょうか。昼も夜も 何匹もの猫がうろついています。

 目が合うと、じっと見つめ、にらみ合いをしていると そのままの状態が続きます。

 ”みたら””みられた”感じ。どんな人間か観察されているよう。

 一方的に”みてる”と思っても、相手がいれば”みられ”ています。

 

 猫やチューリップ、牛、柿、ススキをみていると、どこからか みているものがいました。

 牛がベロンと舌を出し、モモンガがとび、フクロウが首をぐるんとする様子が迫力満点です。版画ならではの表現です。


ほらふきカールおじさん ロシアのたび

2021年09月24日 | 絵本(日本)

     ほらふきカールおじさん ロシアのたび/文・斉藤洋 絵・高畠純/講談社/2020年

 

 題名からして外国の方の絵本とおもってよくみたら、日本人コンビの絵本。「ロシアのたび」とあるのはシリーズになるのでしょうか。

 カールおじさんが冬のロシアを旅しているときのおかしな話。「ほんとかなぁ・・って?」って思っていると、実名カール・フリドリッヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン男爵から「ほんときまってる!」と怒られそう。

 雪がどんどん降り積もる中、雪の中で十字の杭が目につき、馬をつなぎ、毛布にくるまって馬の下で眠って、つぎの昼に目をさますと、そこは街の中。馬は教会の塔のてっぺんに ぶらさがって・・・。何十メートルもの降り積もった雪が、一夜にして溶けていたというわけ。

 カールおじさんが 馬ぞりで進んでいると、おなかをすかしたオオカミが、そりを飛び越えて、馬をパクリ。オオカミが 馬をかまずに 飲み込んでしまったので、馬はオオカミのからだの中で、走り続けます。町が見えたので、カールおじさんが、ピストルで オオカミに狙いを定めて、ズドン!。馬は いままで おおかみに 飲み込まれていたことに きづかず、そのままはしって 町の門を くぐったっていうんだけど・・。

 このほかに あまりに寒くて、コートやオーバーを 十枚くらい重ね着するので、どんなに瘦せている人でも、ものすごく太って見える話と、外に立ちながら冬眠する熊のエピソード。

 

 今のご時世、ばかばかしいといっていると足元をすくわれることもある。ほら話にちかいフェイクニュースも もっともらしく見えるからご注意。


おおきなかべがあったとさ

2021年09月23日 | 絵本(日本)

      おおきなかべがあったとさ/文・サトシン 絵・広瀬克也/文溪堂/2021年

 

 ねこが歩いていると、突然目の前に 大きくて高い壁!

 高くて とても のぼれない

 さあ、どうする どうする?

   はしごをかけて こえる

 ずんずんすすむと またまた 大きくて高い壁

 高くて とても のぼれない

 さあ、どうする どうする?

   棒高跳びで こえて

 次々にあらわれる高い壁

   鳥につかまって トンネルを掘って

 ついたさきには おおきな かわ

 

 問いかけながら 読んでいく 楽しさもあり、読み聞かせにぴったり。

 「おおきな かわ」で おわりますが 「さあ、どうする どうする?」と、問いかけもでき、いろんなバリエーションが考えられます。

 さらに「ちえと ゆうきで ぶつかれば どんな壁でも こえられる。」と なにかあったとき 背中を押してくれます。


姉と妹・・奈良

2021年09月22日 | 昔話(関西)

          奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 姉は長者のよめ、妹は貧乏な炭焼きの家のよめ。

 妹の方は、正月だといっても、もちつく金もないので、門松きってきて、姉のところにでかけました。

 姉は門松はもうこうて、正月の準備でいそがしいと、取り合いません。

 妹はしょうがないので、川の神さんに門松をあげようと川に放り込みます。すると、川の中から神さんのつかいというカメがのそのそでてきて、ネコをくれます。そのネコは金のくそをして、びんぼな妹は、だんだん金がたまってきました。

 その話を聞いた姉が、ネコをかりだし、飯ようけくわしたら、ようけ金のくそをするにちがいないと、ようけ飯食わせます。ところがネコは死んでしまいます。

 妹が死んだネコを裏山にほうむると、墓のところに木が一本はえてきて、だんだん大きくなると、その木に金の実がなり、妹は一生安楽に暮らし、姉の家はだんだんびんぼになってしもうたんやとい。

 

 昔話の定番です。願望が反映したものでしょうか。


まんまる だあれ

2021年09月22日 | 絵本(日本)

      まんまる だあれ/文・切り絵 いまもり みつひこ/アリス館/2018年

 

赤い丸からに、ななつの もよう でてきたのは てんとうむし

青い丸に、ぐるぐる うずまき かたつむり

茶色の丸から おだんごむし

緑の丸から あまがえる

紫色の丸から ろっかくもよう かめ

次の赤い丸から ちいさな てんてん まんまるあたまの あかいたこ

黄色の丸から?

黄色の正体は 裏表紙

シンプルですが、クイズ風なのが いいところ。おなじみの生き物というのもわかりやすい。


はげたかのオーランドー

2021年09月21日 | 絵本(外国)

     はげたかのオーランドー/トミー・ウンゲラー・作 こみやゆう・訳/好学社/2021年

 

 「はげたかオルランドはとぶ」というタイトルで、1975年今江祥智訳で文化出版局からされていました。ただ表紙のイメージはだいぶ違います。

 

 ある日、はげたかのオーランドーは、砂漠で倒れている男の人をみつけました。荷物の中から家族の写真をみつけたオーランドーは、どうにしてあげようと、もちものをバンダナに包んで、空へ飛び立ちました。親切な学校の先生に教えられて、アメリカのバーモント州まで、昼も夜も飛び続けます。

 パスポートから、砂漠で倒れていた男はネスター・ナッシュ。

 オーランドーが届けた荷物の中には金の小石。ママとフィンリーぼうやは、金の小石を金に換え、砂漠の旅に必要なものをすべて買い込み、ナッシュさんの地図を頼りに、冒険へでかけます。

 銃をもった強盗にさらわれたフィンリーをすくったのは、またもやオーランドー。わしづかみにして空に舞い上がったオーランドーは、強盗のライフルで、翼をケガしてしまいます。しかし、おりたった村では、フィンリーのパパが助けられていました。

 オーランドーは、翼がなおるとナッシュさんのところへ手紙をとどけにいきまた。

 家族の無事に喜んだナッシュさんたちは、村の人に金鉱の場所を教え、金をわけてやることにしました。

 メキシコ中で一番愛されることになったオーランドーへ提供されたのが鳥の丸焼きとは。トホホ。人間のえげつなさには、オーランドーも困惑。

 

 はげたかのイメージがまったくかわります。砂漠で倒れていた男の家族に写真や地図を届けるとは!。


ふしぎな月

2021年09月19日 | 絵本(日本)

     ふしぎな月/富安陽子 ・文 吉田尚・絵/理論社/2021年

 

 真っ暗な夜空に浮かぶつき。満ち欠けを繰り返しながら、いつの時代も 世の中を てらして きました。遠い国も、サバンナも、ジャングルも、戦場の夜空も。

 まあるい不思議な月のもとでの 幻想的な光景がひろがります、虫たちが妖精になり、野原の花は、ぐんぐんそだって花をさかせ、海と空がつながり、波の底から魚たちが夜空にのぼって、およぎまわり、そして、月の光でめをさましたあかちゃんが、ぷかりぷかり夜空をとびまわります。

 月は、これまで どれだけ 人のねがいをうけとめてきたのでしょう。

 子どもたちが月を見上げる光景は希望の象徴かも。

*八年ぶりという中秋の名月と満月がかさなった今日、当地では、残念ながら雲にかくれています。こんなこともあろうと昨日じっと眺めました。(2021.9.21)


おおかみのまゆげ

2021年09月18日 | 昔話(日本)

・おおかみのまゆげ(日本の民話6 土着の信仰/瀬川拓男・松谷みよ子・編/角川書店/1973年初版)

 貧乏人が、おおかみに食われて死んでしまったほうがいいと、おおかみのいる奥山へ。
 おおかみがやってきて、人の姿をしとっても、本性がそうでないものは食うが、お前のような真の人間は食えないという。

 おおかみは、自分のまゆげを一本引き抜いて、これをもっていれば ひもじいめにあうことはないといって、山の奥へ行ってしまう。

 食われるつもりで山に行って、おおかみから宝のまゆげをもらった貧乏人。
 帰る途中おおぜいの娘たちが田植えをしていたが、男がまゆげをかざしてみると、娘たちは蛇やむかで、猫やら鶏にみえる。

 真の人間とはめったにおるもんでないなあと思っていた男が、長者から家の跡継ぎになってくれといわれ、一生、ひもじい思いをしたことがなかった。

 おおかみのまゆげで、政治家をみるとどんな本性がみえるでしょうか。

 

・オオカミのまひげ(奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会編/日本標準/1977年)

 おおかみから まひげを一本もらった男がお遍路になって四国88か所めぐりにでかけ、とめてもらったおばあさん、おばあさんをみると、牛に見えます。男は、こんな人間が、おおかみに食われるやろなと思たんやと。

 ”まひげ”に””まゆげ”という注釈がついています。

・(子どもに語る日本の昔話➀/稲田和子・筒井悦子/三省堂)では、おおかみが北、東、西からと順番にでてきて、西のおおかみから眉毛をもらうあたりが、いかにも昔話です。


・おおかみの眉毛(絵本)(松谷みよ子/大日本図書/1979年)

 松谷みよ子さんの絵本は、木こりの娘が主人公のようですが、残念ながら絶版のようです。


パンケーキをたべるサイなんていない?

2021年09月18日 | 絵本(外国)

     パンケーキをたべるサイなんていない?/文・アンナ・ケンプ 絵・サラ・オギルヴィー 訳・角野英子/BL出版/2011年

 

 「朝ご飯を食べていると、バスみたいにおおきくて むらさきいろのサイが、パンケーキを食べて、階段をのぼっていったの」

 ディジーがママにいったら「パパに言いなさい。きっと マグカップになかにいれて、まどから ぽいいと すててくれるわ」と、ママ。パパにいっても、きいてくれません。ディジーそれはちょっと聞こえませんよ。いつも髪の毛が燃えているだとか、郵便屋さんがイヌに食べられちゃったといっていましたからね。

 でも、こんどは本当です。

 サイは いつのまにかディジーの家で、玄関や庭にくつろぎ、トイレまでつかっています。

 ママ、パパにいっても「ディジー、わからないの? わたしたち いそがしいのよ」

 サイとディジーは、すぐになかよしになって、おしゃべりしたり、ピザを作ったり、くすぐったり。それでもママ、パパはきがつきません。

 サイはこのまま、ディジーの家にいすわるのでしょうか?。

 

 サイのかわいらしさにみとれていると、サイの涙でどきり。家族のところにかえりたいのです。

 動物園にいって、「紫色でパンケーキが大好きなサイが行方不明」のポスターをみて、デイジーのはなしは本当だときがついたパパとママは、サイを飛行機に乗せます。

 サイの件から、ママとパパは、デイジーの話に、耳を傾けるようになりますが、夜、玄関の向こうに姿をあらわした、ピンクのシロクマの話は、信じるでしょうか。

 親しみやすい動物の味わいのある絵が特徴です。

 表紙の絵でサイがもっているのはテレビのリモコンかな?