ともだち できたよ/内田麟太郎・文 こみねゆら・絵/文研出版/2012年初版
ひとりぼっちのうさぎさん。だれでもいいからともだちになってくれないかなと池に向かって話していると
「おれとともだちにならないか。」という手紙をもらいます。しかし、手紙の送り主は、「・・・っぱより」と、文字が消えています。
「・・っぱ」って、はじめに浮かんだのは、はっぱがにあうりすさん。
でも、りすはしかと遊ぶんだといって、いってしまいます。
ぎんいろきつねが、らっぱをならしてやってきますが、これからお城にいくんだといいのこしていってしまいます。
雨がふってきたときに、傘をさしかけてくれたのは??
うさぎと、かっぱがならんで、池に咲いたいっぱいの水連をみつめるところがやさしい感じです。ここに初めにもらった手紙がさりげなくおかれてあります。
二人の会話は多くないのですが、それでも気持ちが通い合っているのが、じんときます。
・たまごからうまれた王女(アンドルー・ラング世界童話集7 むらさきいろの童話集/西村 醇子 監修/東京創元社/2008年初版)
子どもがいなかったお妃のまえに、おばあさんがあらわれ、小鳥のたまごをわたし、このなかから子どもがうまれ、そしてお妃自身にも男の子が生まれると予言を残します。
たまごからうまれたのは、女の子で、おばあさんは子どもの名付け親になると言い残します。
王女と王子の命名式に、このおばあさんがあらわれ、王女にたまごの黄身からうまれたので、ドットリンと名付けます。
じつは、このおばあさん、ときには貴婦人としてあらわれるなど正体不明の存在。普通は、魔女か妖精だろうが、はっきりいっていないところが気になる存在。
この話(エストニアの昔話がベース)では、王女の援助者としてあらわれます。
・死神の名付け親(グリム)
グリムの「死神の名付け親」では、死神が名付け親になる。名付け親を誰にお願いするのかの理由が面白い。
神さまは「金持ちには恵んでいて、貧乏人にひもじがらせる」のでおことわり。
悪魔はひとをだましたり、悪事をそそのかす」のでおことわり。
死神は「金持ちでも貧乏人でもわけへだてない」ので、名付け親になってもらうことに。
・まことのフエレナンドとよこしまなフエレナンド(ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ/L・シーガル M・センダック選 矢川 澄子 訳/福音館書店/1986年初版)
おなじく、グリムの物語で、名付け親になるのは、乞食。
貧乏人は名付け親を探すにも苦労するとあります。
乞食は、「子どもが14になったら、野原にいって、お城を開けられる鍵」を産婆さんにたくすので、本当は乞食ではなかったようです。
この物語もあまり聞く機会はないが、王さまと結婚した娘が、”まことのフエレナンド”の首をちょんぎって、その首を元通りにのせるとたちまち傷はいえてしまいます。
王さまに「どこでこんなことをおぼえたのか」ときかれて、妃は「このわざならお手のもの」とこたえ、王さまの首をちょんぎりますが、元通りに胴に乗せなかったので王さまがなくなり、まことのフエレナンドと結婚するという、どこか人をくった結末。
グリムのラプンツェルにでてくる魔女も名付け親だが、名付け親は、日本の昔話にはあまりでてこない。
サナのあかいセーター/なりた まさこ 作・絵/ポプラ社/2002年初版
寒くなる時期にぴったりの絵本です。
サナちゃんに、おばあちゃんから手編みのセーターが届きましたが、ちょっと小さくて、
みんなで引っ張って伸ばすと、今度は、大きくなりすぎてしまいます。
洗濯するとちぢんでよくなるよとネコのルルちゃん。
セーターをかわかすと今度は、小さくなりすぎます。
どうしてもセーターを着たいサナちゃん。
セーターをほどいて編みなおすことに。
でも、ネコくん、ウサギくん、犬くん、くまくんの誰も編めません。
毛糸にのって、おばあちゃんのところで編みなおしてもらいます。
今は、セーターを編んだり、洋服を手づくりする人があまりいなくなっているのではないでしょうか。
目の前で、お母さんやおばあちゃんが手編しているセーターをみたら、ほかのどんなものより大事にしたくなりそうです、
なんだか、心があたたかくなる絵本です。
原典版おとぎばなし/保科輝勝/なあぷる/1999年初版
おなじみの浦島太郎もあまり語る人がいないようだ。
たしかに、玉手箱をあけるとおじいさんになってしまうところで終わるので、なにか物足りないところ。
今知られている物語は、明治43年の国定教科書にのっているという。
713年の丹後風土記のなかでは、釣りをしていた島子というものが、亀をつりあげると、その亀が女になるとうところからはじまる。
竜宮城ではなく、島子がいくのは、不老不死の霊場の蓬莱山。
ここですばらしい歓迎をうけるが、どうしても、両親の顔をみたいとかえってみると、300年後。「玉手箱」をあけると、紫の雲が蓬莱山にむかって飛び去り、老いがおとずれる。
しかし仙人の修業をし、地仙と呼ばれるようになる。
今ある浦島太郎は、いじめられた亀を助けるところからはじまり、乙姫さまから歓迎されるが、原型には、乙姫という名前ではでてこないようだ。
原型では、不老不死の修業をしていた浦島が開けてはいけない箱を開けたために、今までの鍛錬の成果をすべて失う。しかしその後も仙人の修業をし地仙(3段階の中)というレベルの仙人になったという、少しは納得いく結末。
ぐるんぱのようちえん/西内みなえ・さく 堀内誠一・え/福音館書店/1965年初版
手元にあるのは、1965年初版ですから、もう50年ほど前に発行されています。
ですから、親が昔見たものを子どもに読み聞かせる機会も多いのではないでしょうか。
ぐるんぱはとっても大きなぞう。ずっとひとりぼっちだったので、汚くて、くさい臭いもします。ひとりぼっちで寂しくて、ときどき涙も流がしています。
このままではいけないと、象の会議でぐるんぱを働きに出すことが決まります。
川につれられていったぐるんぱは、たわしでごしごしあらわれ、鼻のシャワーをかけられ、きれいになって、町にでかけていきます。
ぐるんぱは働くさきざきでおおきなものをつくってしまい、仕事が長続きしません。
ビスケット屋では、あまりにも大きなビスケットを作り、お皿を作りでも大きなお皿をつくり、くつ屋でも、ピアノ工場でも、自動車工場でも大きなものをつくってしまい、追い出されてしまいます。
本当は昔のように一人ぼっちになって、さびしくなるのですが、大きな車に乗ったぐるんぱが、ピアノ、くつ、お皿、ビスケットをのせていく場面が印象にのこります。
しかし、12人の子だくさんのお母さんに出会い、子どもたちと遊んでくれと頼まれます。ぐるんぱが大きなピアノをひいて歌をうたうと子供たちは大喜び。歌をきいてあっちからも、こっちからも子どもたちが集まってきます。
そしてぐるんぱは幼稚園を開きます。
ぐるんぱの幼稚園では、くつでかくれんぼ、皿がプールになります。
ぐるんぱはもう寂しくありません。
ぐるんぱが働くところに登場するのが
ビスケット屋さんは、ぴーさん
お皿やは、さーさん
くつやは、くーさん
ピアノ工場では、ぴーさん
自動車工場は、じーさん
とリズミカルです。
自分のつくったものが、最後にいきてきて、ぐるんぱの鼻のすべり台、お皿のプールサイドでのおやつは楽しそうです。
スタン・ボロバン/アンドルー・ラング世界童話集7 むらさきいろの童話集/西村 醇子 監修/東京創元社/2008年初版
スタン・ボロバンは、主人公の名前。恐ろしい怪物ドラゴンと知恵でわたりあいます。
石からバターミルクをしぼれるか。
巨大なこん棒をふりまわせるか。
巨大なバケツ12杯分の水を運べるか。
森でどちらが多く、薪をあつめられるか。
知恵でドラゴンをやりこめるスタン・ボロバンは、とてつもない金貨を手に入れます。
面白いのはでだしの部分。
スタン・ボロバンには、子どもがいなかったので、賢者のところにお願いに行くと、「子どもさずかったら、それがお前の重荷にならないか」といわれて、「何人でもいいですから、さずけてください」といいながら、家にかえってみると、子どもがそこらじゅうにあふれていて、その数百人。
でだしに「これはほんとうにおきた話」とあります。
なんとも、奇想天外なでだしが楽しい。
二人の兄弟/アーサー・ランサムのロシア昔話/神宮輝夫 訳/白水社/2009年初版
「アーサー・ランサムのロシア昔話」は、英語によるロシアの昔話の再話とあります。かなり作者の独自の視点も盛り込まれているようです。
この「二人の兄弟」も、子どもにとっては少し入っていきにくい話かもしれません。
なかよくくらしていた兄弟。暮らしと言えば、地主のために働くばかりで、自分の畑などはのぞむべきもない生活(農奴ということばはでてこないが、封建制度のもとで、土地にしばりつけられて、地主のために働き続けた農民がいたという事実を反映しています)。
父親がなくなったあと、兄もなくなってしまう。一人残された弟は、一人暮らしにけりをつけようと、結婚することになる。
この結婚式を兄の墓に報告にいくが、突然、目の前の地面が口をあけ、地下におりていくと、兄がイスに腰掛けてほほえんでいます。
兄は、地下の部屋で、人が仲よく暮らし、貧富の差も、強いものも弱いものもいないそんな世界がかかれた重い本を弟に読んで聞かせる。
結婚式のことを思い出し、地上にもどるが、そこは浦島太郎の世界で、三百年たっていました。
弟は、あの世の人々の真のしあわせを、道いく人にはなすが、誰にも相手にされません。
そこでまた地下の世界に。
そして不幸と悪に満ちたこの世のありさまをにがにがしい気持ちで思い、人々が正しく楽しく暮らしていける本を読み続ける。
ここでは、ろうそくが一本燃え尽きるごとに、百歳年をとるが、何百年たっても、真の世界に気がつかない人間の愚かさを示しているかのようだ。
兵隊と死神/アーサー・ランサムのロシア昔話/神宮輝夫・訳/白水社/2009年初版
25年間でお役御免になった兵隊がもらったのは、かさかさのパン3つ。故郷へかえる旅で、三人のこじきにパンをあげることに。
しかし、三人目のこじきからもらったものは、誰が相手でもかならず勝つというトランプと、”入れ”というとなんでもはいる袋。
やがて、悪魔が住んでいて、誰も住む人がいない立派な宮殿に一晩とまっていいか王さまにたずねる。これまでも無鉄砲なものどもが誰も生きて戻らなかったという宮殿。
真夜中に悪魔があらわれ、トランプで勝負することに。
何度やっても兵隊の勝ちで、悪魔の金貨銀貨は兵隊のものになってしまう(金遣いのあらい男が千年つかってもつかいきれないほどの金!)。
悪魔が兵隊を食べてしまおうととびかかろうとするが、兵隊が袋に入れというと、悪魔は袋の中へ。そしてこの袋を鍛冶屋にたたかせると悪魔は悲鳴をあげ、たすけてくれるよう兵隊に頼み込みます。
抜け目のない兵隊は、悪魔に、用事があれば忠実につかえるという約束を、血で書いて署名させます。
やがて兵隊は結婚して息子がうまれるが、この息子が病気になって日に日に悪くなる。ここで血で約束をしていった悪魔を呼び出し、息子の病気のことを尋ねると、死神が足元に立っていると病気はなおるが、頭のところにたっていると手のほどこしようがないと答えあす。
息子は死神が足元にたっていたので病気はなおってしまうことに。
その後、兵隊はグラスをのぞいて、死神が足元にたっていると、病人に水をかけ、それをなおし、頭にたっていると”寿命です”という。
王さまが病になって、グラスをのぞくと頭に死神がたっていたので、4,5分のお命ですというと、王さまがなぜ直せないかと問うので、兵隊は自分の命とひきかえに、王さまをたすけてくれるよう死神にたのみ、王さまは元気になります。
兵隊が迎えに来た死神に、妻と息子に別れをいいたいので、1時間だけまってくれるようたのみ、袋をつかって、死神を閉じ込め、その袋を高いポプラの木の枝にかけます。
このあと死神が役割をはたせなくなったので、死ぬ人間がいなくなります。
あるおばあさんが、兵隊に大変な罪を犯したと諭す。
反省した兵隊は、死神を袋からだし、命をとってくれと頼むが、死神はこわくて”悪魔にたのむんだね”といっていなくなる。
やがて兵隊は地獄に行き、煮てもらうためにきたというが、悪魔は前に散々な目に合っているので、地獄には入れてやらないと門前払い。
天国にいっても、門前払い。
結局、兵隊は地獄にも天国にもいけず、生き続けることに。
何ともいえない結末。子どもにとっては少し意表をつかれるかもしれない。
昔話の兵隊は、お役御免のところからはじまるが、この話のように、25年もたっている少なくとも40代ということになりそう。兵隊としてつかわれても無報酬というのは、残酷か。
この話のように金はあっても死ねないというのも残酷。
もったいないことしてないかい?/真珠まりこ/講談社/2007年初版
小学生新聞に連載されたものを、絵本にしたものとあります。
「もったいないばあさん」は、シリーズもの。
各ページが独立しているので、どこからでもはいっていけます。
もったいないばあさん、ゆたんぽのお湯は、寒い朝、顔をあらうのにつかっとるよといいます。
今は給湯器で温水がでてくるので、今の人はなかなかイメージできないかも。
おそうじのまきでは、油汚れは、のみのこしのビールや、大根のヒタ、でがらしのテーバックでみがく。窓はぬらした新聞でみがく。レンジについたよごれは、卵のカラでやさしくこするなどなど。合成洗剤などをつかうよりはるかに環境によさそうだ。
おちばのまきでは、どんぐりなどで人形をつくります。
どのページにも先人の知恵が盛り込まれていて、もったいないという視点で、いまの生活を見直すきっかけにもなりそうです。
(もったいないばさんHP)
鳥の巣いろいろ/鈴木 まもる/偕成社/2006年初版
以前、しじゅうからの巣箱をつくってみたことがあります(大分昔の話)。
鳥の巣というとツバメの巣が身近ですが、さまざまな鳥の巣があって、まさに職人技の世界。
カワセミが川のそばの土のなかに巣をつくっているというのは知っていたのですが、この絵本にでてくる鳥はほとんど知らない鳥で、すこし残念です。
巣の形、大きさ、材料もさまざま。
枯葉、コケ、土、木の枝、動物の毛、面白いのはヘビのぬけがら。
ヘビのぬけがらで巣をつくるのは北アメリカにすむルリイカル
形も、ボールだったり、縦や横にながいかたち、横に広がって、なかが巣になっているものも。
9メートルもある大きな巣をつくるのはシャカイハタオリ。
たまごが、他の天敵から食べられないように、屋根がついてるもの、にせの入り口がついている巣、高いところに巣を作ったりとさまざまな工夫が見られます。
葉っぱを、くもの糸で縫い合わせたつくったのは、オナガサイホウチョウの巣。
自然界の巧みさが垣間見れます。
マーシャとくま/E・ラチョフ・絵 M・ブラトフ・再話 うちだ りさこ・訳/福音館書店/1963年初版
初版が1963年ですから、あれこれ50年以上もたっていますが、それだけ人気があるということでしょうね。50年というと、子どものころ読んだものを自分の子どもに読んであげるという時間。
ある日、きのこやいちごを森にとりにいったマーシャが、いつのまにか友達とはぐれてしまい、クマに(熊というよりクマというのがイメージがあいそう)つかまって、そこから逃げ出す方法を考えますが?。
“こわい”と題したお話し会に、こわいから聞かないという子がいましたが、この話に出てくるクマはそれほどこわくない存在。賢い女の子の引き立て役ですから、安心してきけるところがあるようです。
昔話には、3回の繰り返しがよくでてきますが、この話では2回の繰り返しで、くどくならない程度で楽しめます。
ざぼんじいさんのかきのき/すとうあさえ・文 織茂恭子・絵/岩崎書店/2000年初版
桃栗三年柿八年というのは確かなようで、種から植えた8年目のわが家の柿の木、今年初めて実がなりました。
しかし残念なことに、20個以上あった実が途中ですべて落下。
ところでこの絵本では、柿はたわわになっています。
ほしそうな顔をしている子どもたちを目の前にして、ひとりでは食べきれないほど実っていても、みせびらかして食べるだけのざぼんじいさん。
意地悪おじいさん風のざぼんじいさん
そしてなんとも軽妙なまあばさん
まあばさんは、なんでも楽しんでしまう人
ざぼんじいさんのところへ、引っ越しのあいさつにいったまあばさんは、おじいさんから柿のへたをもらいます
ありがたくへたをもらったおばあさん。へたで独楽を作って子どもたちと遊びます
子どもたちがへたをもらいにきては大変と、おじいさんは柿を全部とってしまいます
まあおばさん、今度は、柿の葉をもちかえって、はっぱあそび
葉っぱをもらいにきたら大変と、おじいさんは葉っぱを全部落としてしまいます
そして、やってきた子どもとまあばさんに、葉っぱを落としたときに折れた枝をあげます
まあばあさん、今度は?
まあばさん、実は、おじいさんのすることを見破っていたのかも
最後はみんなで仲よくおいしい柿をたべる場面に、おじいさんの笑顔。
なんともいえない二人の名前です。