どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

お日さまとお月さま・・朝鮮

2025年01月09日 | 昔話(東南アジア)

   アジアの昔話6/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・訳/福音館書店/1981年

 日本やグリムの昔話の要素がつまった昔話。タイトルからはちょっと想像できません。

 たったひとりで、子どもたちを育てていたお母さんが、留守中、知らない人がきても戸を開けないようにと言い残して、金持ちの家の手伝いにでかけました。仕事をおえ、やさしい金持ちのおくさんがくれた大きなお餅九つをもって大急ぎで家に向かいました。

 最初の丘にさしかかったとき、トラがあらわれ、お母さんを食べようとしました。子どもたちのことを考え食べないように懇願しますが、トラは、いうことをきかず、餅を一つよこすようにいいました。お母さんは餅を一つ投げ、トラがそれを食べているうちに、逃げ出しますが、二番目の丘にさしかかったとき、また目の前にトラがあらわれたので、二つ目の餅をなげてやりました。これだけではおわりませんでした。三つ、四つ・・九個目で餅がすっかりなくなると、十番目の丘に、トラがまたあらわれてお母さんを食べてしまいます。

 これでも満足できないトラは、こんどは留守番をしている子どものところへ出かけました。兄と妹は、声や手をださせ、母親でないことが分かったので戸をあけませんでした。しかし着ている着物ををみるようにいわれ、戸をあけてしまった兄妹。着物の裾から ながいトラのしっぽを見て井戸のわきに生えている高い木にのぼって枝にかくれました。ところが井戸の中の水に、子どもの影を見つけ、トラは木の上にのぼろうとします。
 足の裏に油を塗ってのぼったという兄のことばをまにうけたトラは、足の爪に油をぬってのぼりますが、なんどやってもツルツルおちてしまいます。妹はこの様子を見ておかしくなり、「斧で、木にだんだんをつけたら、すぐのぼってこられのに。」と、いってしまいます。

 トラが斧をつかんでのぼってくると、兄妹は上へ上へ。木のてっぺんに来ると、天の神さまに、丈夫な綱をおろしてくださいとお願いすると、すぐに真新しい綱がおりてきました。トラも天の神さまにお願いすると、おりてきたのは、古い、くさった綱でしたから、途中でぶっつりきれて、トラは地上へまっさかさま。地面にからだをうちつけて、血を流して死んでしまいました。

 子どもたちが天につくと、神さまは、男の子を太陽に、妹は月になるようにいいます。一日たつと、妹は、みんながじぶんのことをじっと見るので、恥ずかしいといいだしました。やさしい兄は、妹が太陽になるようにして、じろじろ見られないようにします。そして、今でも女の子はお日さま、男の子はお月さまでいます。

 トラが血を流してたおれた場所には、ひろいコウリャン畑ができました。コウリャンの穂のさきが、まっかなのは、そのときのトラの血がついたからだといわれています。

 

 朝鮮半島は、二つの国に分断していますが、松岡さんはあえて、朝鮮の昔話としたのでしょうか。


りこうな子ども・・インドネシア

2025年01月08日 | 昔話(東南アジア)

  アジアの昔話6/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・訳/福音館書店/1981年

 

 人さらいにつれさられた男の子が、腹が痛くて痛くて動けないと人さらいに訴え、おんぶされて森の中を歩いていきました。男の子は、お話ししてくれたら腹が痛いのが忘れられるからと頼みました。人さらいが話したのは

 ・わしのでかい木は、世界中の木という木を全部合わせたより まだでかい

 ・ばかでかい斧があり、一方のはしは、東のおてんとうさまののぼるところ、もう一方は西のおひさまがしずむところ

 ・ばかでかい水牛がいて、世界中全部合わせたより大きい。こいつがピックとでも動こうもんなら、地面はガタガタ、大揺れさ。地震ってのは、このことよ

 ・ながいシュロがあった。七つの島と、七つの海をぐるっと ひとまきにできるぐらいの長さ

 ・大きな家があって、その家の屋根の上から卵を落としたら、途中でそれがえってヒヨコになって、それがまた地面につく頃には、メンドリになってしまう

 

 お腹が少し良くなったといって、こんどは、男の子が話しはじめました。それは、大きな大きな太鼓の話でした。

 「もしそれをたたいたら、世界中の人間じゃなくて、天にいる神さまの耳にも、音が聞こえたんだよ。」
 人さらいが、そんな太鼓をつくれるほどの木はないだろうというと、人さらいがいう木を使ったと、かえします。どうやって木を切り倒すかとわれると、人さらいのいう斧を使ったといいます。
 皮はでかい水牛、皮をはるシュロ、置く場所は、大きな家につるしたと、かえした男の子。

 

 人さらいが、急に話をかえ、「おまえには兄弟がいるのか?」ときくと、男の子はこたえました。

 「ぼくの兄さんには弟がふたりいるし、弟には兄さんがふたりいるんだ。ってことは、ぼくたちは何人兄弟で、ぼくが何人目か、わかる?」

 この問いに、人さらいはこたえることができませんでした。人さらいは、知恵にかけてはこの子の方がうわてだとさとりました。この子をつれていっては、どんな難題をふきかけられるかもしれない、こんな子は、親のところにかえすにかぎると思った人さらいは、おおいそぎで、今来た道をもどって、この子を家まで連れて帰りました。

 

 ほら話がおおい昔話ですが、ほら話にほら話でかえすという楽しさがあります。


ファンと空飛ぶ三頭の馬・・フィリピン

2024年10月25日 | 昔話(東南アジア)

  フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年

 
 日本の昔話には、馬が出てきても空を飛ぶという発想はなさそうです。

 この話では、白、黒、赤い馬が空を飛びます。
 この馬が、お城の庭の木の葉を食べると、きまって王さまが病気になっていました。

 誰のせいかようすを見に行ったのは、三人の王子。
 上の二人は12時を過ぎると、眠気がおそってきて、誰が、木の葉が食いちぎったのかわかりません。

 末の王子ファンはナイフとレモンをもっていき、眠気におそわれると、ナイフで指を切り、その上にレモンをたらし、一晩中起きていることができたのです。
 13時には白馬、14時には黒馬、15時には赤馬がやってきて、木の葉を食いちぎろうとしますが、ファン王子は、そのたびに馬をみごとに乗りこなします。馬はへたばって、「ご用のあるときは、いつでもお呼びください。すぐにとんでまいります」といって、天空のかなたにとんでいきます。
 そして、王さまの病気は、すっかりとよくなります。

 それから何年かたち、「良い嫁をみつけて、わしを安心させてくれ」という王さまの言葉で、三人の王子は妃を探すたびにでます。
 上の二人が馬小屋の立派な馬で駆け出し、馬小屋に残されたのはやせた老馬だけ。それでも白馬、赤馬、黒馬のおかげで、ファン王子は兄たちにおいつきます。

 ある一軒家で宿を頼むと、おばあさんから、「婿を探しているという美しいお姫さまが、城の塔を馬で飛び越えた者のおよめになる」ということを聞きますが、これまで誰も成功したものはいないというのです。

 上の二人の王子が挑戦しますが無駄でした。ファン王子は、白、黒、赤の馬のおかげで城の塔を一気に飛び越えたのはいうまでもありません。

 三人の王子が出てくると、上の二人に残酷ともいえる結末がおおいのですが、どこか遠くの国にかくれてすんでいるうわさがきこえてきたというおわりかたです。


カラオの洞窟・・フィリピン

2024年10月20日 | 昔話(東南アジア)

   フイリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之・編訳 三谷靭彦・絵/小峰書店/1989年

 

 天地創造の昔話(神話に近いのかも!)。

 ずっとむかし三人の神さまがいました。いちばんえらい神さまが、バタラ神といって天空を支配していました。そして大地をキャプタン神が、海をマグアエン神がおさめていたのです。ある日、バタラ神が、キャプタン神に人間を創るように命じました。

 キャプタン神は山の中腹にかまどをつくりました。それから河岸から両手に一つかみづつの粘土をとってきて、人間の形にこねあげ、それをかまどにいれて焼きあげました。かまどからだしてみると、それは焼けすぎて黒くなっていました。この人たちが黒人の祖先になったのです。

 つぎに、キャプタン神は、最初のように男と女の姿をつくり、それをかまどに入れて焼きました。今度は焼けすぎないように、はやくかまどからだしたので、色が白っぽくなりました。この男と女の人が、白人の祖先になったのです。

 つぎに、キャプテンは、山のてっぺんから粘土をとってきて、男女の姿をつくりかまどにいれました。今度は、薪に生の木を使ったので、でてきた人間は黄色い色をしていました。この男女が黄色人種の祖先になったのです。

 キャプタンがバタラ神に相談し、畑と海の底からとってきた粘土ををまぜ、焼き上げると、男も女もちょうどよい具合に焼きあがっていました。褐色かがったちょうどよい色に。この人たちがフィリピン人の祖先になったのです。

 そしてこのカラオのかまどでつくられた人たちが世界中にひろまっていったのです。

 マグアエンは、人間と違う生き物をつくろうとして、雄と雌の二ひきの猿をつくってしまい、猿を追い払ったので、猿は木の上に住むようになったのです。

 それからマグアエンは粘土からいろいろの大きさや形の生き物をつくりあげました。それをかまどで焼いてとりだすと、海の中になげてやりました。海になげこまれたのは、魚やほかの生き物になりましたが、沼地に落ちた生き物は、森の動物になり、河岸に落ちたものは、ワニやカバや蛙のように陸でも海でも生活できる動物になりました。

 ふたりの神が使ったかまどは、カラオの洞窟とよばれています。

 

 生き物の誕生は、古来からの疑問であったでしょうから、世界各地におなじような話があってもおかしくありませんが、神話の領域でしょうか。


イニーゴ・・フィリピン

2024年10月16日 | 昔話(東南アジア)

   フイリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之・編訳 三谷靭彦・絵/小峰書店/1989年

 

 家に帰るまで同行させてほしいと老人にたのんで、いっしょに歩きはじめたイニーゴ。

 家は遠いかとたずねると、四十キロいったところだと老人がいうと、イニーゴは、「なんとかその道をみじかくできんもんですか」といいました。

 こんなやりとりがつづいていきます。
 

 イニーゴは傘を持っていましたが、涼しい木陰につくと、わざわざ傘を頭の上にさしかけ休みました。
 またイニーゴは、靴を肩にかけ道中はだしで歩いていましたが、川をわたるとき、その靴をはきました。
 イニーゴは、死んだ人を担架にのせてやってくる一行にあうと、「おじいさん、あの人は生きているんですかい?」とたずねました。
 田植えをしているひとにあうと、「米を食べちまって、それでも米をうえているんだね」

 老人はイニーゴの言っていることが意味不明で、なんでおかしな男だろうと思いながら家にたどり着きました。イニーゴは、「お宅へ、よってもいいですか」といい、昼ご飯をテーブルに並べる手伝いをしました。イニーゴは、にわとりの蒸し焼きを四つの皿に切ってわけました。頭と脚を人一つ目の皿にのせ老人に、胸肉をのせた皿はおくさんに、羽をのせた皿は、娘のシリアカに、そして四つ目のモモ肉ののせた皿は、自分の前に置きました。

 老人は、イニーゴのやったにわとりの分け方が気に入らず、シリアカが皿を洗っている台所へいって文句を言いました。イニーゴを気に入っていたシリアスは、イニーゴの行動をあざやかに解明します。

 まずは、老人が気に入らないというにわとりの分け方。
 頭と脚を老人にあげたのは、一家の頭だから。胸肉をおくさんにあげたのは、一家の母だから。羽をわたしにくれたのは、あたしが一家の使い走りであちこち走り回るから。イニーゴがもも肉を残しておいたのは、お客さん用と映っているから。

 「遠すぎるから道を短くできないか」というのは、「面白い話をしてくれませんか」という意味で、そうすれば長い道のりでも短く感じられるから」

 「木陰で傘をさしたのは、枯れた木の枝が落ちてきて、頭にけがでもしないように」

 「川をわたるとき、その靴をはいたのは、とがった石などがあるから、けがをしないように」
 死んでいる人をみて、「あの人は生きているんですかい?」とたずねたのは、「その人の魂が生きているかって聞いたのよ」


 「米を食べちまって、それでも米をうえているんだね」というのは、この頃の田植えの仕方を皮肉ったもので、「人をやとって金を払うでしょう。稼ぐまえからお金を使ってるっていうことなの」

 

 日本の昔話にでてくる馬鹿息子は、さいごまでパッとしないのですが、このような解明だと、あとあじもすっきりです。


蛙にされた坊さま・・ベトナム

2024年09月25日 | 昔話(東南アジア)

      ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版

 色っぽい場面が出てきて、大人向けでしょうか。

 厳しい修業を積んで、国中の噂になった僧が、ある寺院を訪れることにしました。若い僧の名声を聞いた観世音菩薩が、僧が旅に出る機会に、いかなる人物かを試してみようと、美しい娘船頭に姿をかえ、船を河岸につけて客を待っていました。
 僧が船に乗ると、娘船頭はすぐに船を漕いで、河の中州までくると、船をとめてしまいました。船にはふたりだけ。娘は、「こんな美男のお坊さまにお目にかかったのははじめててございます。だから、ここでお坊さまと情を交わしとうございます。」と、恥ずかしげもなく言いました。この地方の娘たちは、よくこんな悪さをすることを知っていた僧は、厳しい顔をしていいました。「阿弥陀仏、この修行者から娘を引き離してください」。けれども、娘は離れるどころか、綿々と僧を口説きました。いくら口説いても僧の心を動かすことができないとみて、娘は着ているものを全部脱ぎ僧にせまりました。僧は脱ぎ捨てられた衣服に目をやり、それをそっと娘の肩にかけてやり、経文を唱え続けました。

 観世音菩薩は感服され、仏弟子がみなこのようであったら、涅槃に達することにふさわしいものになるだろうと、思われました。ここまでためしたのであるから、もうすこしためしてみようと思われた観世音菩薩。
 九度目の誘惑もはねのけた僧でしたが、十度目の誘惑で、さしも堅固な城も思いもよらずれてしまいました。観世音菩薩はたいへん不満で、もはや目をかける必要はないと、僧を川に放り込み、ちっぽけな蛙にしてしまいました。

 

 欲と色に翻弄される人間。欲の話は数多くありますが、色にまつわる話は少ない感じです。


欲張りな人・・カンボジア

2024年09月24日 | 昔話(東南アジア)

      カンボジアの民話世界/高橋宏明・編訳/めこん/2003年初版

 

 母親にいわれて、芋を掘りにいった少女が、森の深い穴の近くに小さな丘を見つけ ほっていると、もっていた鍬を穴の中に落としてしまいました。
 女の子が「鍬の刃をとっていただければ、ご恩返しします。」と叫ぶや否や、一匹の年老いたトラがあらわれました。トラは、「わたしが鍬の刃をとってきてあげよう。でもそうしたら、私の頭にいるウジをさがしてくれないかい。私は、感謝されなくてもよいからね」と話しかけました。トラが穴の中から鍬の刃を取ってきてくれると、少女はトラの頭にいるウジをさがし、鋭い針で、トラの傷口にわいたウジをほじくりだして捨てました。

 トラはなんども少女に尋ねました。「私の傷のはれは臭いかね、それともいい匂いかね?」
 少女が、「とてもいい匂いよ。おじいさん」とこたえると、トラはまだ尋ねました。少女は何度でも、いい匂いだと答えました。少女が頭についていたウジをすべてとると、トラは、痛みとかゆみが止みました。トラは、籠に芋を入れ、さらに金と銀を詰め込み、家に着いたら、戸をしっかりしめて、そのあとで、籠を開けるようにいいました。

 昔話のパターンで、もうひとりの少女がでかけます。この少女は、傷の腫れの匂いをとわれ、「とても臭い」といってしまいます。トラが籠にいれたのはコブラでしたから、籠を開けるとコブラが出てきて、みんなに噛みつき、全員死んでしまいました。

 

 話はパターン化されていますから、ふたりめの少女が出てきたところで、結末が予想できます。ただ、二人目の少女のいう、「傷の腫れは臭い」というのが 本心で当然なのですが・・・。


石を裁く・・ベトナム

2024年09月21日 | 昔話(東南アジア)

・石を裁く(ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版)

 貧しい夫婦が、やっとのことで三日分の工賃を前借し、大晦日に正月の品々を買いにでかけました。買い物は妻が行きましたが、とちゅう、小さな川をわたるとき、ぬるぬるした石に足を滑らし、たったいま市場でかってきたばかりのコメ、肉、線香などの品々が川にのみこまれてしまいました。あまりの出来事に、彼女は、ぺたんとすわりこみ大声で泣いていました。

 県内を見回っている県知事が、泣き崩れていた彼女を見ると、駕篭をとめさせて、そのわけをたずねました。わけを聞いた知事は、「犯人は、川の中の石に違いない。たとえ、石でろうと法をまげることは許されない。やつをとらえて弁償させるべきである。それっ! 犯人を役所に引き立てい!」と命令します。命令を受けた供のものはとまどいましたが、川から石を掘りおこし、縄でぐるぐる巻きにして、役所に運びました。

 知事が石を裁判にかけるという噂は、たちまち広がり、好奇心にかられた人が、役所の門前に集まってきました。知事は、門前に大きな桶を備えさせ、白銅三十文をいれたものに裁判の傍聴を許すと掲示しました。役所の中から、ビシッ、ビシッと石を打ちすえる音が門の外まで聞こえてくると、人びとは樽に三十文を投げ入れると、先を争って門の中にかけこみました。大きな樽には、たちまちお金がいっぱいあふれました。

 はじめから知事が見込んだものでした。「被告に原告への損害賠償を命じる。だが思うに,被告 川石には、判決を履行する能力がない。ここにあつまった傍聴者は、多少とも原告に同情して集まったものと思う。本官は、桶の金全部を原告への賠償にあてることに決定する。」

 知事の機知にとんだ裁きで、彼女はお金をいただき、たいへんよい正月を迎えることができました。

 

・石の裁判(象のふろおけ/世界むかし話11東南アジア/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年
 

 ミャンマーに同じようなのがあります。昔話の中では、裁判の結果は明快です。

 男の子がポケットのお金が盗まれたら大変と、石の下にかくします。それをみていた悪い男が、そっととりだしてしまいます。男の子はおいおい、泣きだします。大勢の人が寄ってきて、男の子を慰めますが、お金はでてきません。

 わけを聞いた村長が、裁判長になって、石を裁判にかけることにします。
 「この子のお金をぬすんだそうだな」「そちは、ゆうべなにをした?どこかへいきはしなかったか?」と、いっても、もちろん石はなにもいいません。まわりの人はおかしくなって下を向いたり、顔に手をやったりしはじめます。

 かまわず、裁判長は裁判をつづけ、法廷をばかにした罪で、むち30をもうしつけ、かかりの者は石のムチでピチピチたたきはじめます。おもわず、みんなは笑い出してしまいます。

 すると、裁判長は「石にくだした判決に対して、笑いだすとは何事だ!裁判を侮辱した罪で、めいめいに罰金一チャットをもうしつける」と、きっぱりいいます。

 みんなはあっけにとられたものの、笑ったのは確かなので、一人一人が一チャット払います。すると裁判長が、「この村でうえた損害の償いだ」と、そのお金を男の子にわたしました。

 あまり大きな罰金ではなかったのでしょう。でも集まれば大金です。村人も名裁判に納得し、にこにこしながら帰っていきます。


村のカラスが森のカラスに教える・・カンボジア

2024年09月17日 | 昔話(東南アジア)

     カンボジアの民話世界/高橋宏明・編訳/めこん/2003年初版

 

 村の白いカラスが、森の黒いカラスに、食べ物をどうして探しているか尋ねると、森のカラスは、「いろいろなやりかたで食べ物を探しているか、他人の物は盗むことはしない。」と、こたえました。もっと簡単に見つけることができるという村のカラス。

 村のカラスは、食べ物を盗む方法を教えようとしますが、森のカラスは、「ほしがるのは自由だが。もしつかまったらひどい目にあう」と乗り気ではありません。しかし一回だけやってみようという村のカラスについて、人のいる村の方へとんでいきました。

 村のカラスは、荷車をとめて飯をたいている男を見つけました。男はおいしそうな魚を串にさして焼いていました。男の頭には一本のクロマー(*)が巻きつけられていました。村のカラスは、男のクロマーをくわえてとるから、男がおってきたら森のカラスが素早く焼き魚をくわるようにいいました。この目論見はうまくいきました。男が村のカラスをおいかけているうちに、森のカラスが焼き魚をくわえ、木にとまり、やがて、やってきた村のカラスと、幸せそうに魚をたべました。男はとてもくやしがりましたが、もはやどうすることもできませんでした。

 その日から、森のカラスも、村のカラスのようにして食べ物をさがすことができるようになったのです。

 

 昔から、人間とカラスのたたかいはあって、カラスの知恵を侮るなかれという教訓かも。

 *クロマーは、綿あるいは絹でおられた長方形の万能布


亀と猿・・フィリピン

2024年06月12日 | 昔話(東南アジア)

      比島民譚集/火野葦平・著 川上澄生・絵/国書刊行会/2024年

 

 類似といっても ところかわれば・・

 川を一本のバナナの茎が流れているのを見た亀が、木はふたりで、葉は亀がとるという約束で、岸にあげると、猿が葉のついている方を自分でとり、亀には根元しか残らなかった。内気な亀は、猿と喧嘩することは思いもよらなかったので、それを森に植えた。亀の方には、やがてふさふさしたバナナの実がなった。

 バナナが熟れたことを知った猿は、友だちの亀をおとずれた。亀が、「君が木にのぼって、バナナのみをもいできてくれるなら、君にバナナを半分やろう。」というと、猿は、またたくまに木のてっぺんにのぼり、がつがつと食べてしまうと、皮は下にいる友人に向かって投げつけた。

 「ただではおかぬ」と亀はひとりごとをいい、さきの尖った枝を拾い集め、バナナの木のまわりにさすと、大声で「猟師がきた。漁師がきた」と叫んだ。驚いた猿は逃げようとして飛び降りたが、、鋭い枝につきさされて、まもなく死んだ。

 猿が死ぬと、亀は猿の皮をはぎ、肉を干して、近所にいる猿たちにそれを売った。ところが皮をはぐときに、亀が不注意であったため、肉のあちこちに毛がくっついていた。このことから、肉を買った猿たちは自分の仲間を殺したのが亀であることを知り、亀をつかまえ、裁判することに。

 猿の親方が、かれを焼いてしまえというと、亀は、「火は僕を焼くことはできないよ。親父がたびたび僕を焼こうとしたんだ」
 猿の親方が、「火がだめならこなごなに切り裂いてしまえ」というと、亀は、「僕の背中は切傷だらけだ。親父がなんどもなんども僕を切り裂こうとしたんだ」
 猿の仲間のうちでもすこし頭のよいのが、「湖につれていっておぼれさせてやろう」というと、亀はよろこんで、こわそうなふりをして、湖に投げ込むのはやめてくれと哀願した。
 猿たちはすぐに亀を湖につれていって、投げ込んだ。いったんしずんだ亀は、やがて水面に顔を出して、大声で猿たちを笑った。


サラゴサ物語・・フィリピン

2024年06月11日 | 昔話(東南アジア)

      比島民譚集/火野葦平・著 川上澄生・絵/国書刊行会/2024年

 

 三人の子どもを、洗礼も受けないうちに失ったマリアは、まもなく生まれた子には、はやく洗礼をうけさせようと、夫のルイスに赤ん坊を抱かせ、教会へ急がせた。ところがあわてたルイスは、誰が名付け親になるかを、おかみさんにきくのをわすれた。どうしたものか思案しているとひとりの見知らぬ男がそばを通りかかったので、名付け親になってくれるよう頼むと、その男は名付け親になることを承知し、教会へ入ると、子どもは父の名をついで、ルイスと名づけられた。

 ルイスは、名付け親になったサラサゴを家に招待し、数日一緒に暮らすと、仲の良い友だちになり、大切なことはいつでも相談しあうようになった。

 ふたりで話し合っているとき、たまたまこの王国の王さまが、国民のすべての財産に重い税金をかけ金持ちになったことを知ったサラサゴは、ひとびとの苦しみの仇を討ってやろうと決心した。

 サラサゴは、宮殿の地下室にかくされている宝を盗み出すことにし、ルイスとともに宮殿の地下室への壁の根のところを掘り返し、やがて、内部へ通じるひとつの穴をさがすと、二人で運べるだけの金を袋へ詰めこんだ。夜の間に、地下室へ往復しできるだけおおくの金を家に運んだ。サラサゴは、ルイスに惜しげもなく、どっさり分け前をやったが、ルイスはわがままで、絶えず文句をいった。

 しばらくして、ルイスは、もっと金の袋を増やそうと、とめるサラサゴを説き伏せ、二人で秘密の通路へ忍び込んだ。ところが王さまは宝の量がすこぶる減ったことに気づいて、対策をとっており、ルイスは矢に射られてしまう。サラサゴはルイスの死体が発見されたときの結果をおもんばかって、首だけを切り、身体ををあとにしたまま家に帰った。

 一方、王さまは共犯者をさがすために、死体を町や村の目抜き通りに運び、死人に対して同情を示す者があったら、ひっとらえて来いと兵士にいい含めた。

 マリアが夫の死体におもわずはんのうし、捕らえられそうになるが、サラサゴの機転で救われ、さらにサラサゴは牧師に変装し、睡眠薬をいれた酒で、兵士を眠らせるとルイスの身体をもちかえり頭を埋めたのとおなじ場所に葬った。

 王さまは別の計画をめぐらした。高価な金でおおわれた一匹の羊を街に放ち、少し離れたところから、これを見張り、これを手に入れようとした者があったら、家と人間をつきとめ、宮殿に報告するよう命令しました。誰もこの羊に気をとめませんでしたが、サラサゴは、さっさと羊を家の庭ひきこんだ。見張りの男は、サラサゴの家の扉に十字の印をつけて、宮殿にかえり、多くの兵士たちと十字の印のある家をさがしはじめると、どの家にも全く同じ十字の印がつけられていました。

 三度も失敗した王さまは、泥棒を捕まえることをあきらめ、自分の面前に姿を現したなら、窃盗の罪を許すという布告をだしました。サラサゴが宮廷を騒がせた窃盗の罪を白状すうると、街のいちばんの大金持ちであるドン・ジュアンをだまして、かれの最も価値のあるものを引き出してくることができたなら、貴族の称号をあたえようと約束しました。サラサゴは、高価な品物をもってかえります。

 もういちど、サラサゴの才能をためしてみようとおもった王さまは、近くの山中の洞穴にこもっている一人の年老いた隠者をチュバルを宮殿に連れてくるよういいつけました。説得に失敗したサラサゴは、天使の格好をしてチュバルを王さまの前につれてきます。サラサゴの才能に満足した王さまは、チュバルを放免し、サラサゴを顧問官にしました。

 サラサゴは、高位にのぼってから、マリアと彼の名付け子をそばに呼び寄せた。親子は、最も高潔で、才幹あるある者となったサラサゴの保護のもとに、一生を安楽に暮らした。

 

 民を収奪していた王さまが、いつのまにかサラサゴの才能を試し、高位に取り立てるという思いがけない展開です。
 扉に十字の印をつけるというのは、アラビアンナイトだけではなさそうです。


悪魔と風来坊・・フィリピンの島々に伝わる話

2024年06月06日 | 昔話(東南アジア)

     比島民譚集/火野葦平・著 川上澄生・絵/国書刊行会/2024年

 

 戦争中、報道班員であった火野葦平の翻訳が中心のフィリピンの民話集。

 ビリアンという うつくしい娘をもった信仰深い老寡婦は、よめに欲しいといわれてもいつも貧乏人より金持ちの方を好んだ。貧乏人によめにいくくらいなら悪魔を亭主に持った方がましだと答えた。

 ある日、そう返事していると聞いた悪魔が、気高い家柄の若者のように姿を変えて、彼女の家にやってきた。彼の衣装はどの競争相手よりも立派であった。数週間たって老寡婦は、つぎの火曜日に婚礼の準備をするためきてくれるように彼に告げた。結婚式の前の日に、悪魔はビリアンが顎にまいている十字架をはずしてもらいたいというが、ビリアンは子どものときからつけているものなので、それを拒んだ。母親が教会にいくと、牧師は、その男は悪魔だという。そして聖母マリヤの小さな像をあたえ、花婿が像を見て背を向けるようなら、数珠で彼の顎を縛り、大甕の中にいれて、すくなくとも21フィートの深さの地に埋めるようにとおしえた。盛装した花婿が マリアの像をみると背を向けたので、ビリアンと母親は力を合わせて悪魔を大甕のなかにいれた。

 つぎの日、ひとりの風来坊が老寡婦の家のそばをとおりかかると、老寡婦は、大甕を21フイート以上深く埋めてくれるなら、十ペソをあげようと約束した。

 風来坊が甕をはこんでいるとき、甕のなかから、3フィートの深さに埋めてくれたら、お前に五百ペソやろうという悪魔の声が聞こえてきた。風来坊は悪魔が言った場所で金をみつけると、賭博にふけり、金がなくなると、「おれは、おまえのくれた金をすっかりなくした。どれ、お前を21フイートの深さに埋めてやろう」と脅かすと、悪魔は「前の二倍の金をやろう」という。この金も賭博ですっからりんとなった風来坊はもういちど悪魔を脅かした。

 悪魔は、「甕の中からだしてくれれば、王さまの娘と結婚する方法をおしえよう」ともちかけます。「王女の脳の中に入りこみ、ひどい頭痛をおこさせる。王さまはきっと娘の病気をなおしてくれた者には娘をやるというおふれをだすにちがいない。王女のところへいったら、君がきたことをしらせてくれれば、俺はすぐにでてゆく。すると王女は元通りになって、君は彼女と結婚することができる。」

 悪魔の言う通り、宮殿に乗り込んだ風来坊でしたが、悪魔は仇討をしてやろうと思ったので、王女からでていこうとしません。風来坊は、王女の病気を治すことが出ないと、命をうばわれると告げられていました。

 だんだん望みを失った風来坊でしたが、三日目の朝になって、うまい考えがうかびます。ちかくの教会にある鐘を全部うち鳴らし、宮殿中の人たちに、「あの女が来た」と大声で叫ばせます。これを聞いた悪魔は、びっくり仰天し、王女の中から去り、消えてしまいます。

 つぎの日に、風来坊と王女の婚礼が行われた。

 

 悪魔と風来坊の知恵比べで類似の話も多い。昔話で いつも強いのは女。ゆめゆめ おろそかにすべからず。


大きな卵・・ミャンマー

2023年01月18日 | 昔話(東南アジア)

         ビルマのむかしばなし/中村祐子他再話/新読書社/1999年

 

 王さまと大臣たちが、生まれてくる子どもが、男か女かを知らせる合図を待っていると,突然二本の糸が同時にひかれました。「双子だ!」と、そこにいた人々がみな叫びました。

 ところが王妃が産んだのは大きな卵でした。産婆が驚きのあまり糸を二本引いてしまったのです。王さまは恥ずかしさのあまり気が動転して、卵を川に投げ捨て、王妃は庭師の手伝いをするように命じました。

 卵は川下で、老婆に拾い上げられ、老婆が食べようとすると、卵の中からひとりの男の子がでてきました。男の子は、「私は、お前のお母さんだよ」といわれて、いっしょに暮らしました。

 ある日、老婆がジャングルにでかけるとき、見張り塔、地下室、台所にはいかないように言い残しでかけていきました..

 「行くな」といわれると、たいていというか かならずというか、それを無視するのが昔話。少年は、まず見張り塔にはいって、そこに鎖につながれている老人をみつけました。老人は、鬼婆にとらわれていて、もうすぐ食べられること、時期が来れば少年も食べられてしまうことを告げます。地下室で人の骨を見つけ、老人の言うことが本当だったことを知り、台所にあった壺のなかの三つの玉をもって、鬼婆のところから逃げ出しました。

 少年が玉を投げると、おいかけてくる鬼婆のあいだに、深い森、七つの山、火の山があらわれ、鬼婆は火の山で燃えてしまいます。

 少年は、羊かいと賭けをし、米を手にしますが、半分は返して旅を続けました。まもなく「ナットの精」の寺院につくと、少年は米の半分をあげ、「かわいそうなナット、かわいそうなナット」と叫びました。すると「ナットの精」は巡礼の姿で現れました。巡礼は、少年を、父親である王さまのところへつれていき、逆上して川に捨てた王さまの息子であるといいます。巡礼がナットの精だと知った王さまは、自分の後継者であると宣言し、少年の母も、王妃の座にもどしました。

 

 あまりこだわりはないのですが、「ナットの精」が何なのか、気になりました。


ひな鳥とねこ・・ミャンマー

2021年03月25日 | 昔話(東南アジア)

            こども世界の民話(下)/実業之日本社/1995年

 大きな壺に隠れた、おかあさん鳥とひな鳥、それを狙うねことの、緊迫しながらも ユーモアのやりとりが楽しい話。

 隠れていたひな鳥がくしゃみがしたくなって、「おかあさん、くしゃみしたい」といいますが、おかあさんは隠れていることがばれるからと、おこっていいきかせます。

 しばらくたつと、ひな鳥は「一回きりでいいから、くしゃみさせて」といいますが、おかあさんは、「だめよ。 ぜったい、だめ」

 しばらくたつと、またまた、ひな鳥は、おかあさんの耳元でささやきます。「ちいちゃなくしゃみを、一回きりでいいから、させて」といいますが、おかあさんは、「だめよ」

 しばらくたつと、また、ひな鳥は、おかあさんの耳元でささやきました。「ちいちゃなくしゃみを、一回の半分きりでいいから、させて」。

 もう、めんどうくさくなった、おかあさんは、「いいわ。」といってしまいます。

 「ハッハッハックション」

 みつかりそうになったおかあさん鳥とひな鳥の運命は?

 

 ところでなぜ、ねこが やってきたのか?は、前段です。

 ひな鳥が、おかあさんにケーキを食べたいとおねだりすると、おかあさんは、人間が捨てた薪の端っこをひろってくるようにいいます。

 ひな鳥が 薪のはしっこを、二つ三つ見つけてもってかえろうとすると、年老いたねこがひな鳥を見つけ、こっちにやってきました。
 ねこは、ひな鳥をたべようとしますが、ひな鳥が、「あたしを、にがしてちょうだい。そうすれば、ケーキをすこしわけてあげるわ」と頼むと、そのままどこかへいってしまいました。

 おかあさんは、「今すぐ、大きなケーキをやいてあげるからね。そうすれば、お前が食べても、まだ、そのねこにあげるぶんが、のこるでしょ」

 やがて、大きな大きなケーキが焼けました。おかあさん鳥は、ねこにやるぶんを、のこすように、念を押しますが、ケーキがとてもとても、おいしかったので、ひな鳥はみんなたべてしまいました。

 やがて、ねこがやってきて、おかあさん鳥とひな鳥は、大きな壺にかくれ、息をひそめます。

 

 ところで、いまミャンマーは大変な状況。国を守るべき軍隊が民衆を弾圧するとは!

 イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族に対する虐殺など現象面だけを見ると わからないことばかり。


水牛とべこ・・フィリピン

2021年02月17日 | 昔話(東南アジア)

     フィリピンの民話/山形のおかあさん須藤オリーブ語さんの語り/野村敬子・編 三栗沙緒子・絵/星の環会/1993年

 

 仲良しの水牛とべこ(牛)の話。

 楽しいのは、人間が服を脱いで、お風呂に入るように、水牛とべこも、自分たちの皮を脱いで川に入るということ。

 のんびり川で体を洗っていると、ざわざわ音がして、水牛とべこは、あわてて木の陰に隠していた自分たちの皮をだし着替え?ました。

 家に帰ってみると、水牛は自分の入った皮が、窮屈でたまりません。一方べこの皮は、がぼがぼ。慌てて着替えたので、皮が入れ替わったのでした。

 そのため、べこの首から胸にかけて、びろびろして皮があまってつき、水牛の方は、首から胸のところはぴちぴちに皮が張って、びっしり少しのゆるみもないように皮がはりついてしまったという。

 

 動物昔話もいろいろですが、皮をぬぐというのはなかったはず。