愛媛のむかし話/愛媛県教育研究協議会国語委員会編/日本標準/1975年
全国各地に同じような話がありますが、一番まとまっていると思わせる話でした。
収入の良かった千石船で働いていた婿どんがなくなり、子ども二人をかかえ、一文駄菓子の飴や金平糖を売ってはつつましく暮らしてた嫁はん。子どもをかわいがってちょいちょい飴をまけてやるのでよく売れていた。
ある夜中のこと、白い着物を着たおなごの人が、あかんぼうをだいてきて、「一文のあめ、つかわさい」という。駄菓子屋のかみさんは、「こんな夜中に一文ぐらいのあめどうするんじゃろう」と思ったが、気持ちよくあげたら、その人は、あかんぼうにピッチャクッチャ、ピッチャクッチャなめさせていたと思うと、しらん間に帰ってしまった。
つぎの晩も、つぎの晩も、「一文のあめ、つかわさい」とくる。五日目の晩になって、「今晩こそ、ように見よらんと気がもめる」と、やってきた女の人に、「あんた、ちちがでんのだろ。子どもにねぶらすなら一文では足らんだろ」と、あめをようけ包んであげたら、「ありがとう、ありがとう」というて、すーっといなくなった。
かみさんは、「かわいそうに、あの人はあかんぼうをつれたゆうれじゃ」と気をもみよった。六日目の真夜中に、また すーっとあらわれ、あめを包んであげたら、「もうこれでお金がなくなった」といって、すーっといなくなった。しっかりもののかみさんが、「こらついていってみなくちゃならん」と、ゆうれいの後をついていくと、お寺のおはかの中で、っぼーっと消えてしまった。すると、新しい墓石の盛り土の下から、「ホンガー、ホンガー、ホンガー」とあかんぼうの泣き声がきこえてきた。あわてて盛り土をのけて、棺桶のふたをとってみたら、白い着物をきた、いつものおなごのひとが、泣きよるあかんぼうをだいたままでいた。
かみさんは、「むごいことじゃ」思うて、死んでいるおなごの人に手を合わせ、「二人育てるも三人育てるのも同じじゃ。わたしがこの子を育てあげるから安心して成仏しなはれ」というて、あかんぼうを引き取った。
つれかえったあかんぼうをみて、子どもたちも、「おんぶしてやろう」という。二人兄弟が三人になって、それからっずーと仲良く暮らしたという。