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ゴナンとかいぶつ モンゴルの昔話より/文:イチンノロブ・ガンバートル 絵:バーサンスレン・ボロルマー 訳:津田 紀子/偕成社/2013年初版
ちいさなゴナン少年が、あるとき、村じゅうをあばれまわり、たからものや牛や羊をうばっていったマンガスという怪物をやっつけにいきます。
ゴナンはとほうもない力持ち。
一歳で十人分の、二歳で二十人分の、三歳で三十人分のしごとをたったひとりで、らくらくとこなしてしまいます。
白い馬に乗って真っ赤な波がごうごうとうずをまき、荒れ狂っているじごく海をこえ、ほねの山でできたがいこつ山を越え、着いたさきには、頭が三つで、赤い目をぎらぎらさせたマンガスがいました。
勝負の一つ目は弓比べ。これはマンガスの勝ち。
二つ目は、駆け比べ。ゴナンが最後の山を飛び越え、ゴールに飛び込みます。
勝負がつかないので、こんどは相撲をすることに。
三日三晩取り続けて、白い馬からみみうちされて、ゴナンがマンガスの背中にある黒いあざを強くおすと、マンガスはひゅるひゅると力がぬけ、風船のように遠くにとんでいってしまいます。
モンゴルの子どもはだれでも知っている話というのですが、ゴナンは、日本の桃太郎のような存在でしょうか。
がいこつ山がでてきたり、すもうがでてくるところがモンゴルらしいところです。
イチンノロブ・ガンバートルさんとバーサンスレン・ボロルマーさんは夫婦で、2008年に来日。主な作品に『ぼくのうちはゲル』(石風社)、『おかあさんとわるいキツネ』(福音館)、『ゴナンとかいぶつ』(偕成社)などがあり、埼玉県在住とあります。
このマンガス「マンガスと七人のじいさん」では、十二の頭をもったしわくちゃの黒い化け物として登場します(子どもに語るモンゴルの昔話/蓮見治雄訳・再話 平田美恵子・再話/こぐま社/2004年初版)。
番号をどうぞ/星新一ショーショートセレクション/理論社/2002年
休暇で山の湖でボートで遊んでいたエヌ氏。ボートが転覆し何とか岸にたどりつき、びしょ濡れの服をかえようと離れた町で服を買おうとするが・・・。
店ではまずクレジットカードの番号といわれるが、カードは湖の底。
どうしてもカードがなければだめといわれ、今度は銀行へ。
銀行では通帳の番号といわれ。
次にはカードの再発行のカード・サービスセンターにいくため、レンタカー会社にいくが、ここでも免許証の番号といわれ
レンタカーの会社でも、自分に関する番号がもとめられ、
警察に行っても市民カードの番号をもとめられて
・・・・・
最近、マイナンバー通知カードなるものがきました。名前はソフトですが、一時期猛反対があった国民背番号制です。
これまで年金、免許証、保険証、銀行通帳など、いくつもの番号があり、住基ネットで、全国的な統一番号が附番されていたはずですが、これとマイナンバーとは連動しているのかどうか。
2013年に成立したマイナンバー法では、社会保障や税、災害に限定されていたはずなのに、今年になって銀行口座や健康診断情報も連携させることも盛り込まれ、さらに医療機関のカルテやレセプト、NHK受信料などにも使う案も浮上しているというから、どこまで拡大するのか。
もしかすると、名前より番号が優先する社会が到来しそうです。
星さんは1997年に亡くなられていますが、まさに、星さんがえがいた時代になりそうです。
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ぱんつくったよ。/作:平田 昌広 絵:平田 景/国土社/2013年初版
”ぱんつくったよ”とパンをかかえたうれしそうな笑顔の表紙。
てっきりパンのお話と思いきや、文の区切りで意味がかわるのを楽しめます。
ぽけっとから とりだします→ぽけっとから 鳥 だします
となりの おばちゃん からおけで おどるよ→となりの おばちゃんから 桶で おどるよ
あったかい ところに いきたいなあ。→あっ 高い ところに いきたいなあ。
少し苦しいところがありそうですが・・・・。それは絵がフォローしてくれています。
「ありが10ぴき ありがとう」
目立たないところにしゃれ。
これだから絵本はすみずみまで目をとおさないと見逃すところがあります。
松谷みよ子おはなし集5/松谷みよ子・作 梅田俊作・絵/ポプラ社/2010年
ある長者の屋敷に夜な夜な化け物がでて、下の娘をのぞいて、みな食い殺されてしまう。そこで長者は化け物を退治したものを娘の婿とし、長者の跡継ぎにするという立札をたてる。
この立札をみて、三人兄弟の一番上の太郎がでかけていくが帰ってこない。次に次男の次郎ももどってこない。
三男の三郎が化け物を退治するが、血は床下の穴のなかまで流れている。三郎が穴の中にもっこでおりていくと、立派な屋敷のなかに、大きなクモがうめきながらもたくれている。
クモをずんと切りさげると、クモの腹の中から食われた兄がふたり、よろめいてでてくる。
ここにいた長者の姉むすめと二人の兄を、もっこにのせて上にあげるが、二人の兄はおそろしい心をおこし、綱を切って、三郎を穴の中からでられないようにしてしまう。
このあとの話は、多分こうなるだろうという話になっている。
このおはなし集5にのっている話は、いずれも昔話の形式をとっているが、まったくのオリジナルではなく、どこかで読んだり聞いたりするもの。
しかし再話や翻案とも言い難い。
創作昔話というジャンルがあるかどうかわからないが、こうしたところに位置づけられるかもしれない。
重要な任務/星新一ショートショートセレクション/和田誠・絵/理論社/2003年
舞台は核戦争で人類が滅亡したか、はたまた地球温暖化で文明が失われたか、とにかくわずかばかり残った人類の物語。
狩猟を主とし、洞穴にすんでいた若者のボギが、毒蛇にかまれて死んでしまった父親からきいた、役に立つこと、何かを作る方法、危険や病気を防ぐ方法、さらに心をときみめかせ、想像をかきたてるというホンを探すに旅に出ます。
密林を抜け、野原を横ぎり、山をこえ、丸木舟で川をわたり、猛獣と闘いながら、一人の祈祷師の老人にであう。
その老人がいったこと。
「聞いたことはある。現物を見たことはないがね。だが映像とか幻覚とかーわしにはなんのことやらわからんがねーそれらが流行し、みなホンを捨て、使わなくなってしまったそうだ。なぜだかわからん。すばらしいものだったらしんだがね。」
何もかもデジタル化され、本の大切さが失われようとみえる現在の状況を痛烈に風刺しているショート。
ドキッとするところがあって、”あっぱれ”。
日本の民話3 神々の物語/瀬川拓男・松谷みよ子・編/角川書店/1973年初版
一人暮らしの貧しい兄さが、嫁さをもらい、ようまあ働いた。
くりくりとよく働くものでだんだん暮らしもよくなってきた。
こうなると、もともとこの家に住み着いていた貧乏神が、どうも居心地が悪い。挙句の果てに泣き出す始末。
これを聞いた若夫婦が、わけをたずねると、貧乏神は「お前たちがよくかせぐので、おらここにいられなくなった。もうじき、ここさ福の神がくる。おらはもう出ていかねんばなんね。ほんでも行きたくねえしや」
という。
若夫婦は、これまで一緒にくらしていたので、でていくことはないという。そして福の神が来たら、追い出していいとはげます。
若夫婦は、貧乏神に腹いっぱい食わせたと。やがて福の神がやってきて、貧乏神と相撲の勝負。若夫婦の応援をもらった貧乏神は、福の神を投げ飛ばしてしまう。
福の神はたまげて逃げ出すが、打ち出の小槌をわすれてしまう。
貧乏神が「米でろ」「味噌でろ」「金も出ろ」と次々に叫ぶ。兄さも嫁こも「家でろ」「べべでろ」「倉でろ」と叫ぶと、それもでてくる。
すると貧乏神がいつのまにか、福の神になっておったと。
今のご時世、一生懸命働いても、なかなか暮らしが楽になるという実感がないが、たまには夢をみてもいいのでは?
貧しいときは、よく働いたが、こんな福がまい込むと、そのあとはどうなったか気になるところ。
母親が亡くなるとき、頭に黒い木の鉢をかぶせたので、鉢かつぎ姫とよばれるようになった姫。
殿様が再婚した継母は、姫につらくあたり、悪口をいいたてるので、殿様は姫を外につきだしてしまいます。
鉢かつぎ姫が、このまま死んでしまおうと川にはいるが、頭の鉢がういて、体がしずみません。
別の国の殿様のところにいって、事情を聞かれても鉢かつぎ姫は、なにもしゃべりません。
しかし、かわいそうに思ったのか、殿様から火たきばんとしてつかわれることに。
この殿様には息子が七人いて、末の七男だけが未婚。
やがて、七男太郎は、お風呂で、鉢かつぎ姫から背中をながしてもらったときに、いつも真っ黒にすすけている鉢かつぎ姫の手が、すべすべと白くて美しいのにはっとします。
火たきばんのばんばとしかおもっていなかったのが、若い娘と気がついて、鉢かつぎ姫を忘れられなり、自分のよめは鉢かつぎときめます。
すると乳母がよめくらべの儀をすると、鉢を頭の上にのせた姿ででてこられないだろうと知恵をつけます。
よめくらべの一つは、三日のうちに衣装をひとそろい縫い上げること。
二つ目は、その衣装を着て、琴をひく。
三つめは、よめごのたからものくらべ。
鉢かつぎ姫は、衣装はうまくぬいあげます。
しかし、琴をひくところで、鉢をかついだ姿でよめくらべの席にはでられないと、書置きを残して、部屋をでるのですが、七男太郎はすぐに、鉢かつぎ姫を追いかけ、「おまえがでていくなら、おれも海こえても山こえても、どこまでも一緒にいく」といいはります。
鉢かつぎ姫がその気持ちがうれしくて泣き出し、わか殿も男泣きに涙をおとします。
その涙が、頭の鉢にかかると、鉢がおち、天女が雲のあいだからあらわれたような、まぶしいばかりの姫があらわれます。
方言がうまく取り入れられているのが特徴で、外国のものを訳したのとは、ちがった味がある話となっています。
この鉢かつぎ姫ですが、ぼたんもしゃくやくも追いつかね、天女か乙姫様か、五色の雲にのってまいおりたよう、へやんなかさ、ろうそく百本、どっとたいたようにあかるくなったと あります。
さらに、気立てはまっすぐだし心はやさしいし、声だってすずふるよう。
なにか比の打ちどころがない姫さまです。
われたたまご/小野かおる・再話・絵/福音館書店/1972年こどものとも
みふうずらの夫婦が、巣のなかに大切にしまってあった卵が全部割られてしまいます。
そばに馬の足跡があったことから、馬のところへでかけていきますが・・・。
馬はにわとりがぎゃあぎゃあさわいだのでといいます。
にわとりは、さるが木の上からヤシの実をおとしてびっくりしたから
さるは水牛が木の幹にぶつかったので
水牛は、へびが鼻の穴にもぐりこもうとしてので
・・・・
次々に言い訳があって、最後は?
みふうずらの夫婦にとっては卵を割られていますから、大事件なのですが、納得したような納得しないようなどちらかわからない最後です。
うがった見方だと、自分を正当化する身勝手さがつたわってきます。
絵でもそれなりに楽しめますが、語ったほうがリズムがでそうです。ただ、よびかけが
へびへび
かめかめ
ほたるほたる
からはじまるので、工夫が必要でしょうか。
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おおきくなったらなんになる?/作:寮 美千子 絵:はた こうしろう/鈴木出版/2001年初版
女の子や男の子が表紙にあるので、子どもの夢かなと思ったら、
たんぽぽ
めだか
クレヨン
たんぽぽはライオンに、めだかは、くじらになりたいといいますが、野原や小川はどうもすみにくいようです。
クレヨンの夢は、木がいっぱいの虹色の森や、青で塗ったおおきなおおきな海を描くこと。
クレヨンのぬった野原や海はとてもとても広く、ライオンもくじらも、ゆうゆうです。
クレヨンの森やクジラのおよぐ海の広さが印象に残ります。
夢はおおきくですが、現実はちょっときびしい。
でも、子どものころは、可能性を信じて、夢を育ててほしいと思います。
日本の民話3 神々の物語/瀬川拓男・松谷みよ子・編/角川書店/1973年初版
母と二人暮らしの息子。
息子が弁当をもって山にでかけますが、白髪のじいさんにその弁当を食べられてしまいます。
しかし、息子はおこらず、母親に山であったことを話すと、次の日には、母親は息子に弁当を二つもたせます。
ところがじいさんは、二つの弁当も食べてしまうことに。
翌日、息子が山に行くと、じいさんは、天竺という国に行くときっといいことがあるから、わき目もふらずに天竺をさしていくよう、告げると爺さんは樫の大木になってしまう。
この話を聞いた母親は、息子をこころよく送り出します。
途中、長者から娘の病気を治るよう祈願してくれとお願いされます。
次に、花を売って暮らしている家で、花が枯れないように祈願してくれるようたのまれ、さらに川のそばにたっていた女から、天にもどれるよう祈願してくれるよう頼まれます。
やがてついた天竺には、山であった白髪のじいさんがあらわれ、自分は山の神であるという。
息子は、この山の神から、力ある人間になるとは、生きる道々、わが欲のためにさまようことでなく、人のために生きるようさとされ、さらに、旅の途中で頼まれた三つの答えを聞く。
冒頭部はことなるが、このパターンは、木のまたアンティ(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱実 編訳/こぐま社/2001年)、三本の金の毛のある悪魔(グリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫/2007年)、太陽の王の三本の金髪(太陽の木の枝 ジプシーのむかしばなし/内田莉莎子・訳/福音館文庫/2002年)などと同じもの。
このパターンの昔話は、日本ではあまりみられない。
翻案のような気もするが、オリジナルなものであればうれしい。
松谷みよ子おはなし集5/松谷みよ子・作 梅田俊作・絵/ポプラ社/2010年
スロバキアの「12のつきのおくりもの」は、この時期になるとよく語られている昔話。
寒い冬の日、継母に森でスミレを摘んでくるようにと命じられたマルーシカは、雪に埋もれた深い森にはいっていくと、大きなたき火を囲んだ12の月の精に出会います。
この話が、日本版として翻案されているのが「六月のむすこ」。
継母と妹から、冬の時期に、いちごをとってくるようにいわれた姉が、森になかにはいっていくと、白髪のじさまがあらわれます。
じさまには十二人のむすこがいて、どのむすこも自分の月がよびだすことができます。
六月のむすこの力をかりて、いちごを持ち帰る姉でしたが・・・・・。
外国のものでは、名前はどうしてもなじみがうすい。お話の理解をさまたげるものではないが、日本版に翻案されるとよりはいりやすいようにも思います。
外国のものを、いくらでも翻案できそうにも思いますが、それなりの力量が必要になりますから、簡単にはいかないようです。
翻案が、どのような位置づけになるかふれているものをみたことがないのも不思議です。
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あさになったので まどをあけますよ/作・絵:荒井 良二/偕成社/2011年初版
絵がどれも絵画のようです。
たまたまEテレの日曜美術館でモネが紹介されていましたが、荒井さんがでて、モネによせる思いを語られていました。
モネの作品は、中学校の美術の時間にみていた程度。
たしかに、荒井さんの絵のタッチはモネ風のようでした。
「あさになったので まどをあけますよ」というフレーズで、山、街、海、部屋の風景がみえます。
どれも朝のすがすがしい風景です。
本が出版されたのが2011年12月。3.11の大震災後ですから、作者のメッセージがこめられているのかもしれません。
朝、希望と勇気をあたえてくれる時間です。
明けない夜はありません。そんな時間を表現しているようです。
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とうもろこしおばあさん/絵:秋野 亥左牟 再話:秋野 和子/福音館書店/1982年初版
子どもの頃、読まれた方も多いようです。
狩猟を主として来たインディアンたちが、どうして、とうもろこしを手にしたかを伝えています。
村に、宿を求めてやってきたおばあさん。何軒もことわられ、とうとうアリゲーターいう村でこころよくむかえられます。
次の日、太陽が高く昇ったころ、いいにおいがしてきます。
おばあさんはこれまで見たこともないパンをもってテントからでてきて、子どもたちに食べさせます。
子どもたちの話をきいた酋長は、大人たちにも食べさせてくれるようおばあさんに頼みます。
酋長は、どこで手に入れたものか聞きますが、おばあさんは笑うばかりでこたえてくれません。
おばあさんをとめた若者は、おいしいものの正体をしりたいと思い、みんなが狩りや畑にいったとき、おばあさんのテントをこっそりとのぞきます。
すると、おばあさんは、自分の腿をかいて、そこからとうもろこしの粒がぽろぽろおちます。
その夜、若者は、あんなにおいしかったとうもろこしを食べることができません。それをみたおばあさんは、みられたことにきづきます。
次の日、おばあさんは若者を平原に連れていき、
枯草に火をつけさせ
髪をつかんで、灰の上をひきづりまわさせ
もやさせます
若者が、丸い月が3ど空に上ったころ平原にいくと、緑の草がつづき、とうもろこしの粒がびっしりとならんでいるのを見つけます。
ここにでてくるおばあさんは、髪の毛がながく、まるでとうもろこしの精霊。表紙のとうもろしもおばあさんそっくりです。
とうもろこしは、毛に特徴がありますが、その雰囲気がよくでています。
腿からとうもろこし・・・若者でなくともしり込みです。
若者が灰の上で、おばあさんの髪の毛を持ってひきずり、燃やしてしまうのは強烈な印象で、子どもたちがどううけとめるか気になるところですが、意外とすんなりとうけとめられているようです。
お話の世界というのがよくわかっているんですね。
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おへんじください。/作:山脇 恭 絵:小田桐 昭/偕成社/2004年初版
ねこのくろくんが、引っ越したシャムちゃんにお手紙をかきますが、なかなか返事がきません。
おともだちのお節介な とらくんとけんかになったり
郵便局までいって、まだぐずぐずしてるのかとどなりますが・・・・。
でもやがて返事がとどきます。
シャムくんはおとまりにいっていました。
とらくんは、へんじより、さかなの一匹をもらったほうが いいなといいますが・・・。
あまり手紙をかくということがなくなってから、ひさしいような気がしますが、手紙をだして、返事をまっている間のわくわく感がつたわってきます。
ときどきハガキで絵手紙などをもらいますが、まめに手紙を書かれる方のあったかい人柄がつたわってきます。
大人のわたしたちも電話やメールですませがちですが、アナログの手紙は、うるおいをもたらせてくれるようです。
こどものときに、手紙のやりとりする楽しさをおぼえたら、携帯電話に過度にこだわるのもなくなりそうですが・・・・。
じつは最後のほうで、なんだかんだいっていたとらくんにも手紙がきて、とらくんは「ひゃあ。」と大喜び。くりかえしくりかえし読み返して返事をかきますから、手紙がだいすきになったようです。