どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ヤング・ケート

2022年01月14日 | ファージョン

     モモの木をたすけた女の子/ムギと王さま/エリナー・ファージョン 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年初版

 

 ヤング・ケートはドウさんの家の女中でした。仕事がすむと屋根裏部屋の窓から見える牧場にいっていいかドウさんさんにたずねると「<みどりの女>に会うといけないから」と、牧場にいく許可はでませんでした。

 窓をみがいていると、谷を流れる川が見え、おくさまに川にいってもいいかたずねると、「<川の王さま>に会うといけないからと許可は出ません。

 森にいってもいいかたずねると、「<おどる若衆>にあうといけない」と言われてしまいます。

 ドウさんが死ぬと、ケートは新しい奉公先を見つけ、そこまで歩いていきました。草原のところまで来ると、そこには<みどりの女>が花を植えていました。みどりの女が、人が花を植えないと、この牧場を通してやらないというので、ケートはヒナギクを植えました。すると<みどりの女>は、好きな花を五十だけつむようにいいます。

 川の流れる谷にでると、そこには<川の王さま女>が歌を歌っていました。<川の王さま>が、歌をうたわないと川のそばを通してやらないというので、ケートはうたいました。すると<川の王さま>は、五十の歌をきかせます。

 それから森に出ると<おどる若衆>がいて、森を通るためには おどるよういいます。ケートがおどると、<おどる若衆>は、五十おどってみせます。

 ケートの新しい奉公先の主人も、牧場や森や川へいくことはけっして認めませんでした。

 ときがたち、ケートが結婚し、自分の子どもができると、「おまえたち、そこで運よく、みどりの女か、川の王さまか、おどる若衆に会うともかぎらないからね」と、子どもたちを牧場や森、川へおくりだします。すると子どもたちは、まもなく手にいっぱいの花をもち、うたったり、おどったりしながら、帰ってくるのでした。

 

 きれいなもの、楽しいこととは縁がなかったつらい時代を、一回だけあった出会いを大事にしながら生き抜いたケートでした。


イラザーデひめのベール

2020年11月20日 | ファージョン

      年とったばあやのお話かご/ファージョン作品集/エリナ・ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波書店/1970年

 

 それはそれは美しかったイラザーデひめ。世界中の女王を全部一つにしたより、もっと美しかったのです。

 世界中のひとが、美しいといううわさをし、鳥はそのことを歌い、空の風はそのことをささやき、海の波は、そのことをつぶやきながら、津々浦々の岸に打ち寄せていたのです。

 ある日、さまざまな国の王や王子が、ひめを花嫁にほしいとやってきましたが、ひめの目が、ある一人の王の上にとまるやいなや、となりの王が、その人を殺しました。ひめがそのひとをすきになるようなことがあってはならないからです。やってきた全員が死んでしまいました。

 こころを悩ました王さまは、ひめの顔をベールでかくしておき、ひめの夫になるひとさえも、それは見ていけないことにきめました。

 こうして、王さまたちが、ひめを花嫁にほしいといってやってきても、だれも、ひめの顔をみることができませんでした。

 やってきた王たちは、ほんとうにひめであるか、わからないと思いはじめました。

 「うつくしいかどうかは、どうしたら、わかるか?」「魔女のようにみにくいかもしれんぞ」

 王さまたちは、次々に去っていきました。ペルシャ王の申し出が世間に知れわたると、だれもひめを妻にほしいといってくるひとはいなくなりました。

 ペルシャの王も女王もなくなり、新しい支配者ができても、イラザーデひめは、ごてんのひめの部屋に住んでいました。あまり美しかったので、ひめは死ぬことができなかったのです。

 ペルシャが滅ぼされたとき、征服者は、すべてのペルシャ人を国の外に追い出しました。この時、イラザーデ姫もでていきました。どこへいったのかは誰も知りません。

 

 美しさの形容詞はさまざま。しかしときには形容されない方が、想像をふくらませてくれるかもしれません。


手回しオルガン

2019年11月08日 | ファージョン

       ムギと王さま/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年

 

 道に迷った旅人が、先にすすむか、あとへもどうかと思案しているとき、森の中から音楽がきこえてくるのに気がつきました。

 であったのはオルガンひき。どこにいるかたずねると、「だんな、ちょっとおまちなせえ」「この曲を終えてしまいますからな。よかったら、おどりなせえ」

 いわれた旅人は、たいそすばやく陽気におどり、曲が終わると一ペニーをさしだします。

 オルガンひきは、一ペニーをもらうのは、ひさしぶり。「子どもたちが窓からのぞいている家がないと、きみはこまるんじゃないかね?きみがオルガンをならしても、だれがおどるんだね?」という旅人に、オルガンひきはこたえます。

 「むかしは、窓のある家の前でオルガンをならし、12ペンスとこもうけると、半分はためたもんだ。ところがかぜをひいてねむり、しばらくして外にでてみると、いつもの裏通りじゃオルガンがなっているし、もうひととこでは蓄音機、ハープとコルネットがなっていて、引退する時期がきたなとおもって、いまじゃすきなところでオルガンをならしている」といいます。

 「だれが、おどるんだねと?」と、旅人がもう一度聞くと、オルガンひきはひ「森の中でも、踊り手に不足はなしよ」と、こたえます。

 森の中の踊り手というのは、花や小川やガやホタルや葉などでした。

 やがて旅人は踊っているうちに、曲はかすかになり、いつのまにか道に出ていました。

 

 森のなかは、おどりでいっぱいというのは、幻想でしょうか。

 時代が変わると、捨てられるもの、忘れ去られるものさまざま。ここでは手回しオルガンですが、取り残されたものに対する愛着がこめられているようです。

 ところで手回しオルガンは、比較的小さめ。首や肩からベルトで吊るせる位の大きさの箱に収まっているもので、オルゴールのようにあらかじめ用意された旋律を奏でることが可能な自動演奏楽器といいます。


おくさまの部屋

2019年11月04日 | ファージョン

      ムギと王さま/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年

 

 壁も天井もカーテンも白、敷物は白いヒツジの皮でゾウゲでできた白いベッドにすむ女の人は、自分の部屋が世界中で一番美しいとおもい、それはそれは幸せに暮らしていました。

 ところが窓から外を眺め、庭で小鳥たちのなく声を聞いて、きゅうに大きなため息をつきます。

 すると窓じきいの上に手の指ほどの大きさの妖精がたっていました。「白一色の部屋にあきて、もしこの部屋がみどりだったら、ほんとにしあわせになれるのに!」というと、部屋は壁も天井もあっというまにみどりにかわってしまいます。

 ある日のこと庭の花のにおいをかぎ、きゅうにため息をつきます。するとまた妖精があらわれ、おくさまが「みどりの部屋にあきあきたしてしまったのです。ほんとにおねがいしたのはピンクの部屋なのよ」というと、こんどはピンクの部屋に。

 ピンクの次は金色の部屋、そして黒い部屋です。

 「おくさま、あなたは、ごじぶんが何をほしいのか、わからないのです!」と妖精はいいます。

 そして、黒い部屋に帰ると、壁はぬけ、天井はふきとび、床はおち、おくさまは家もなくやみのなかで星をいだいてたっていました。

 もっといいもの、もっといいものと求めていっても、本当に望むものを手に入れることができるかは疑問です。


エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする

2019年04月15日 | ファージョン


   エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする/エリナー・ファージョン・作 シャーロット・ヴォーク・絵 石井 桃子・訳/岩波書店/2004年


 三日月の晩、ケーバーン山でなわとびをするというしきたりをつくったのはだれかということが忘れられ何十年か経たちました。

 荘園に住む領主は、次々に入れかわり、村もかわっていきます。
 古い家族は死にたえ、新しい家族がやってきました。遠方にひっこししていくものたちもいました。

 新しい領主は、山道をふさぎ、村人たちの通行権を取り消し、あちこちの共有地を出入り禁止にします。

 そして、地代をあげ、村人ががまんできないほどの税をおしつけました。

 さらにケーバーン山の頂上全部を柵で囲い、だれも山の上を通さない計画をたて、工場を建てるといいだします。

 村人たちは、領主にひとつの提案をします。これまでに、そこでなわとびをしたものに、一人残らずもういちど三日月の晩、順番になわとびをさせるというのです。

 そのなわとびがおわったら、工場をたてさせるというのです。

 領主は「やつら、折れて出たな!」とあざわらい、なわとび大会を開くことに同意します。

 村中のよちよちあるきの子から、おとなになった娘も、若い母親も、中年のおっかさんもぞくぞくとケーバーン山にあつまります。

 村中のひとがとびおわったとき、領主は工場建設のためのレンガを据えようとします。

 そのとき一人の老女が進み出ます。109歳という老婆が、子どものころケーバーン山でなわとびをしたというのです。
 約束は”一人残らず”ということでした。

 「エルシー・ピドック! エルシー・ピドック!」人々のあいだに、ささやきが走ります。ケーバーン山でなわとびをするというしきたりをつくったのは伝説となったエルシー・ピドックでした。

 エルシー・ピドックがとびはじめます。一時間、二時間、三時間がたち、朝がやってきてもとんでいます。
 「時間ぎれだ!」とさけぶ領主に、「わたしが、とびおえたとき、レンガを据えなされ。」とエルシー・ピドックは、とびつづけます。

 この村の子はだれもがケーバーン山でなわとびをしてきたのです。その場所をまもるためとびつづけるエルシー・ピドック。

 前半部もながく、エルシー・ピドックのちいさいころのエピソード。なわとび上手の女の子だったエルシー・ピドックの評判が山の妖精にまで届き、なわとびの名手アンディ・スパンディから、数々のなわとびの技を教わります。


 ストーリーテリングがなにかよくわからないまま、2年ほどたって、この話にふれたときのことを思い出しました。たんたんと語られていましたが、気がつくと時間は50分ほどたっていました。
 109歳は印象に残っていませんでしたが、読み直してみると、なわとびが女の子だけのものというのがやや物足りません。

 なわとびの歌「アンディ、スパンディ、さとうのキャンディ、アマインド入りあめんぼう!おまえのおっかさんのつくってる晩ごはん パンとバターのそれっきり!」は、どんなメロディでしょうか。


しんせつな地主さん

2019年04月05日 | ファージョン

      天国を出てゆく/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年


 はじめは、子どもチイジェインの一言でした。
 「この子、一ペニーなくしたんだよ。」
 金というものは、人にやるためのものではないと思っていたチャードンでしたが、自分でも驚きながら、その子に一ペニーをやりました。

 浮浪人に食い物とほかのもの。学校の遠足に一シリング。
 そのあとはチイジェインのパーテイに村の子どもをよんで三ポンド。

 チイジェインは村中の家にすきなように出入りしていましたが、これが次のはじまりでした。

 雨漏りがする家は修理し、母親が病気でねていて食べるものがない人には、治療と食べ物を、ハゲタカにニワトリを二羽殺されたジェニングズにはニワトリを二羽。チャードンは人の苦しみをたすけてやります。

 村中でチャードンに何かしてもらわなかった者はひとりもいなくなり、チイジェインとおなじように、かわいた屋根の下にねむり、あたたかいベッドにねむり、十分な土地をもち、自分の種をもつようになりました。

 チャードンは、焼け落ちた子ども病院の再建のため、じっさいの値打ちよりもやすくたたかれ、製粉所を売り払います。
 ボーンマーケット町にある店を競売で売り、最後の持ち株を売り、宿屋も、ほかの男の手にわたってしまいます。

 すべてをなくしたチャードンは、チイジェインと山の小屋にすみはじめます。
 そして自分の体がまいりかけているとさとったチャードンは、残されるであろうチイジェインのために孤児院に残された財産を寄付し、畑の作男として、働きに出ます。

 そんなある日、人々の差し入れで暮らしていたチャードンは息を引き取ります。

 孤児となったチイジェインでしたが、村の人は孤児院にやるより、自分たちで育てることにします。

 強欲なチャードンがすべての財産を村の人のためにつかうのは、後半部分。

 前半は、チャードンという人物が描かれています。

 地所もちの百姓チャードンは、広い農地や多くの家畜を所有し、町の店や村の宿屋や製粉所を経営していて、村の人でひどい目にあわされなかったひとりもないというくらい。
  畑で働いた人間はいちばんやすい賃金でこきつかわれ、教会や日曜学校に寄付をしたこともありません。
 やすい賃金でつかえる作男がみつかると、いままでの作男は、いいがかりのような口実で追い出され、落ち穂を拾うものは畑よりおいだされ、こじきは戸口からおいたてられました。
 年々チャードンはたくさんのお金をためこみ、土地や家畜をふやしますが、村の野菜畑はちぢこまり、家の修理はなおざりにされ、子どもはおなかをすかして出歩くようになって、村はおとろえます。

 しかし、チャードンの心に焼き付いていたのは作男ウィルを追い出したときにいわれた一言。
「おめえやおめえの身内」

 一人者のチャードンはある日、父親の具合がわるくなって市場に牛を売りに来ていた貧しい娘ジェインに一目惚れし、彼女が他人に売った牛を買い戻して彼女の元にタダで返してやるという、今までしたことのないような行いをします。ジェインにとってチャードンは「しんせつなひと」だったのです。

 ジェインの父親が死ぬと、二人は結婚します。

 チャードンは家の外ではいつもの通りでしたが、ジェインに「なんてあなたはしんせつなの」と思わせるには、野イチゴをつむといったお金のかからないことでもジェインにそういわせることができました。

 ところがジェインはむすめをうんで死んでしまいます。ジェインは、チャードンをしんせつという言葉以外でよんだことはありませんでした。

 チャードンはむすめに母親にジェイン・フラワーと名前をつけます。けれどもよぶときは、いつも「小さいジェイン」とよんでいました。そして2,3年たつと、この子は「チイジェイン」で通用するようになります。

 赤ん坊は、チャードンを「おとう」とよぶようなり、新しいことばもとびだしてきます。
 「いいおとう!」というチイジェインの言葉を聞いて、チャードンの胸はドキンとおどります。

 チャードンは、「いいおとう!」ということばをいわせようと、おもちゃを買ったり、鳥の巣をみせるとかあれやこれやをするようになります。

 そんなある日、チャードンはモリーの子に一ペンスやることになったのです。

 はじめはジェインもお金で買えると思ったチャードンが、六月のバラのような笑顔をうかべるジェインにひかれたことが、すべての出発点でした。


 ファージョンの作品は、「小さいお嬢様のバラ」「ボタンインコ」など、語られることも多いのですが、この作品は一時間弱はかかりそうですから、語る方もいないと思ったら、あるグループのおはなしのリストのなかに、はいっていました。
 情報があれば、なにはともかく聞いてみたい話です。


モモの木をたすけた女の子

2016年11月08日 | ファージョン

    モモの木をたすけた女の子/ムギと王さま/エリナー・ファージョン 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年初版


 7歳になったマリエッタが溶岩流に飲み込まれそうになり、ルチアおばあちゃんとおにいちゃんのジャコモが探すに行くと、マリエッタは大事にしていたモモの木のそばで眠り込んでいました。
 溶岩流はマリエッタのそばで、流れをかえて横にそれていたのでした。

 「奇跡だ」とさけぶルチアおばあさんのセリフがいい。
 「そうかもしれないよ、そうかもしれないよ。どうしてそうでないとわかるね?」


 マリエッタが生まれたのはシシリー島。

 島にはモモやアンズ、赤いカキなどくだものの木がいっぱいあり、ピンクの花のアマンド、いつもみどりのオリーブ、ブドウ畑も。

 マリエッタが生まれた日に、植えられたモモの木。
 マリエッタはこのももの木を大事にしていたのです。そしてモモがなっているときは「きょうは、この子はとても元気よ」、モモがもがれてたべられてしまうと「あの子は。よそへいったの。だからでてきてあそばないの」といったりしていました。

 しかし、ある日、マリエッタは「やまの王さまは、なにかでおこっている」と思います。

 シシリー島では何年かごとに火山の噴火があり、マリエッタは、この噴火に巻き込まれます。

 逃げ込んだ協会の坊さん(と訳されています)が、「危険が大きく家と木をすてていきなさい」と避難を進めます。
 マリエッタが逃げる途中、木にキスしている人をみて、おばあちゃんに尋ねます。
 「木がたすかるようにだよ」とルチアおばあさん。
 マリエッタは、だいじにしていたモモの木に、キスしてこなかったのを思い出します。
 おばあちゃんは「あのモモの木は、一番先にやかれるだろうよ」といいます。

 人ごみのなかで、ルチアばあさんがきがつくと、マリエッタはいつのまにか、いなくなっていました。

 マリエッタはモモの木に、キスをしにいったのでした。

 何年かに一度は、火山の噴火があるシシリー島ですが、それでも島で暮らし続ける人々のたくましさがあります。

 奇跡を「そうかもしれないよ、そうかもしれないよ。どうしてそうでないとわかるね?」というフレーズで肯定しているのが印象にのこります。


貧しい島の奇跡

2016年10月27日 | ファージョン

      貧しい島の奇跡/ムギと王さま/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年初版


 あるおはなし会のプログラムに、この話があり読んでみました。

 そのあと続けてファージョンの他の話を聞く機会がありました。それまではほとんど聞く機会がなかったファージョンでしたが、続くときつづくのは不思議です。


 沖にある漁師たちの島。
 島の土地は岩だらけで、草や木もなく花は一つもありません。

 たった一つあるのは、ロイスのおとうさんが結婚の記念に植えたバラの木。およめさん、ロイスがよく世話をしていました。

 島と本土の間は、ひと月に一度、満月の時、潮がひいていききできました。

 この島に女王がやってくることになりました。

 教会への道には、大きな水たまりがあって、女王が通るには、足が水につかってしまいそうでした。

 そこでロイスは、みんなにだまって、水たまりにバラの葉と花を敷きつめます。

 島の人たちは、島のたったひとつの美しいもの、バラをみてほしいと女王を案内しますが、そこにはバラはありませんでした。

 貧しい島の人びとは、月に一度本土とつながる道をとおって、魚を商っていたのですが、あるとき、帰るとき急に空模様があやしくなって、潮に巻き込まれそうになります。

 このときロイスも潮に巻き込まれそうになるのですが、みどりの葉と白い花が島と島のあいだをうずめつくします。

 ロイスは、亡くなった女王が、微笑みを浮かべ、みどりの葉と九つの白い花をつけたバラの枝をもっているのを見たのでした。

 この女王は悲しみをもっていたとあるのですが、どんな悲しみかふれられていないので、よけいに想像がふくらみます。

 バラの花でみずたまりをカバーできるか疑問なのですが、それを感じさせない幻想的な物語です。


名のない花

2016年10月20日 | ファージョン

      名のない花/ムギと王さま/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年初版

 なにか考え込んでしまう短編です。

 ある日、クリステイという農夫の娘が牧場にいって花をつみます。
 ところがその名前がわかなくて、かあちゃん、とうちゃんに聞いてもわかりません。

 とのさまのご猟場管理人もわかりません。
 さらに若いが学がある記帳係にも尋ねますが、記帳係は調べてみると、その花をあずかります。
 記帳係は、外国のえらい人に聞いてみますが、やっぱりわかりません。

 一年後、記帳係がいったのは、神が天地をつくったとき、この花を忘れ、イエスキリストが、この花のことも思い出されてお創りになったものだろうということ。

 その花は世の中からなくなってしまいます。

 その日からそんな花があったのが一人もいなくなるのですが、クリステイは年とってからもときどき思い出しては人にもいいます。

 「神さまだけが、あなたに教えてくださるんです。名まえがなかったんですよ」

 新種というとすぐに名前をつけることを考えてしまうのですが、名のない花があってもいいのでしょう。


小さな仕立て屋さん

2016年10月18日 | ファージョン

       小さな仕立て屋さん/ムギと王さま/ファージョン・作 石井桃子・訳/岩波少年文庫/2001年初版


 大きな仕立て屋さんの年季奉公人のロタという19歳のお針子。

 彼女はデザイナーとしてもすぐれていましたが、自分ではまだそれに気づいていませんでした。

 若き王さまが花嫁を選ぶ仮装舞踏会が開催されることになり、ロタは花嫁候補のドレスをつくることになります。
 花嫁候補はヨーグルト侯爵令嬢、キャラメル伯爵令嬢、プリン嬢の三人。

 ロタがつくることになったのは、日の光と、月の光と、ニジをイメージした3つの夜会服。

 火曜日、光のように輝くドレスを作り、花嫁候補にようすをみせるために、ロタはできあがった夜会服を試着してご殿にでかけます。
 
 ご殿につくと、入り口で従僕からダンスを踊ってくれるようたのまれたロタは、踊り始めますが、舞踏会はじまる時間になって、大広間から喝采の音がおこるのを聞いてお店に帰ります。

 水曜日、真夜中に照る月のようなドレスをつくってご殿にでかけたロタは、前の若い従僕と同じように踊ります。
 
 木曜日、重なる黒い雲の間に出かかった小さいニジのようなドレスを試着したロタは、またしても若い従僕と踊りますが、プリン嬢がその服を着て、大広間にでかけ、驚嘆のため息がするのを聞きながらお店にかえります。

 やがて王さまの結婚式の花嫁衣装をたのまれ、つくったのは雪のように清いドレス。

 だれが花嫁にきまったのかわからないまま、ドレスを試着してでかけたロタでしたが、ここでまっていたのは、またもや若い従僕でした。

 仮面舞踏会ですから、王さまが若い従僕に変装しているかと思いきや・・・・?。

 三回の繰り返しは昔話のパターン。どこかのおはなし会で、話されていましたが、大分長く40分はかかりそうです。

 舞踏会、夜会服と華やかな世界ですが、どんな想像をしながら聞くでしょうか。想像するにもベースになる部分がありますから人によってさまざまでしょう。

 しかし映像や絵本であったら、くどくどいわなくても一瞬のうちに、華やかな世界を見させてくれます。

 情報量の違いをどんなふうにとらえたらよいか迷います。

 侯爵令嬢等の名前は作者が楽しんでつけたものでしょうか。