どうにも数があわない話。
・百曲がりのカッパ(世界のむかし話⑫ 百曲がりのカッパ/松谷みよ子・作 梶山俊夫・画/学校図書/1984年初版)
百もくねくね曲がっている川。川の曲がりかどに、一匹ずつカッパがいるというので、一匹の子どものカッパが数をかぞえていましたが、どうしても数があわなくて泣いています。
じいさま、泣いているのをみかねて、一緒に数え始めます。
百曲がりをつぎつぎとかぞえていきますが、カッパの数は99です。
数えるのが好きなカッパが、また涙をこぼします。
ひまなじいさま、おれがついているのになんてことだとうでくんで、ひまにあかせてかんがえたら、数えるのが好きなカッパを勘定にいれると、百匹になると、ひざをたたきます。
・勘定のはなし(ジャックと豆のつる/ジェイコブズ・作 木下順二・訳 瀬川康男・絵/岩波書店/1967年初版)
ある村の12人が魚釣りに出かけ、誰かおぼれた者がいないか数え始めると、どうしても一人足りません。みんな自分を勘定にいれなかったからです。ある偉そうな人に数えてもらって、たしかに12人いたことを確認します。
感謝のことばがいい。
「あなたさまが消えた仲間をみつけてくださいまして」・・・・。
・アディ・ニハァスの英雄(山の上の火/クーランダー、レスロー・文 渡辺茂男・訳/岩波書店/1963年初版)
粉をひきに、町に出かけた12人の男が道をかえっていくとき、仲間が確かに12人いるか数えるが、自分を数にいれなかったため11人しかいないと思います。
そのほかの男も数えるが、やはり自分をかぞえなかったため11人しかいません。
道々、男たちはうしなった仲間をなげきかなしみ、勇敢なやつだったといなくなった仲間のうわさをしながら、村に帰っていきます。
だれかが道に迷ってヒョウにやられてしまったとなげくさまがなんとも本当らしく続いていきます。
女の子が、粉の袋の数をかぞえて、「いなくなったやつが、もどったぞ」とよろこぶのですが・・・。
・ロバは何頭?(ゴハおじさんのゆかいなお話/千葉茂樹・訳/徳間書店/2010年初版)
ゴハおじさんが市場でロバを12頭買って、一頭のロバに乗って家に向かいます。ロバの数を確かめるために数えはじめますが、自分ののっているロバを数えなかったので、11頭しかいない。そこでロバをおりて数えると確かに12頭います。
そこで安心してロバにまたがって、また数えはじめると11頭しかいません。
わけがわからなくなったゴハじいさん。どうやらわしがロバからおりると、一頭増えるようだ。それならロバに乗って一頭少なくなるより、ずっといいぞと家までロバのうしろをとことこ歩いてかえります。
すこしとぼけたお話。それにしても三つの話に共通しているのが12という数字。あまり少ない数でも、多すぎる数字でも話としては成立しにくいので、12という数字はよくできています。
「アディ・ニハァスの英雄」は語られている方も多いのですが、他の二つは聞いたことがありません。
そして「むらの英雄」という絵本になっていて、評判も上々です。
かたれやまんば/藤田浩子の語り 第五集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年
即効薬があれば便利ですが、なかなかうまくいかないようで
・薬種屋のおかみさん
ほれ薬を売っていた薬種屋のところに、一人の男。
ほんとにきくかと男がきいたので、効きやす効きやすと答えた薬種屋の亭主。
男が薬種屋のおかみさんにぱーっと薬かけると、おかみさんは、そのまま男の後をついて、帰ってきたのは、三日後。
おかみさんがいうことには「必ず効くといって売っているのに、おらがほれねえわけにはいかねえべ」
・つきそい婆
早くよめさまもらいたいとおもっていた若い男。
ほれ薬を買って、美しいあねさまにふりかけようとすると、風が吹いてきて薬は、隣にいた婆さまへ。
若い男は婆様に惚れられて、慌てて逃げ出し。
・薬種屋の亭主
若い男にほれ薬をみせていた薬種屋の亭主。そのほれ薬が自分にふりかかって、亭主は若い男に「おめえさが好きだわ」とすりよる。
あわてた若い男が逃げ出すと、亭主は男においつくと「ほれられたのをもとにもどす薬もあるから、おめえさま買ってみやすか?」
薬種屋というのもなじみがないのですが、藤田さんの語りは、自由自在。楽しませてくれます。
かたれやまんば/藤田浩子の語り 第五集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年
上には上が・・・力自慢が、力くらべをしようとして、とんでもない力持ちにあう話。
こうした話では、どれだけの大ぼらがでてくるか楽しい。
仁王さんという男が、唐の国の、どっこいさんという力持ちにあいにいくと、出てきたのは白髪のおばあさん。
「ホオーイ」という声が聞こえてきて、向こうの山から太い長い木が一本ヒューンと飛んでくると、おばあさんはヒョイと受けて置きます。
何度も繰り返すうちに、丸太ん棒の山ができてしまいます。
これをみた仁王さんは、婆さまでさえこんな力持ちだったら、息子のどっこいは、どんなに力持ちだろうと船で逃げ出します。
おとからおっかけてきたどっこいさんが、力比べしようと、長い鎖で船のへさきにかけ、船を引き寄せようとすると、仁王は懐に入れたヤスリで、その鎖を切ってしまいます。
やっとのことで、日本にかえって、このことを他の人に話すと、それから日本の人たちは、その人の力をかりるべと、なにかもちあげるときには「どっこい」「どっこい」ともちあげるようになります。
唐の国では、鉄の鎖さえ切ってしまう仁王という力持ちがいるというので、重たいものを荷物持ち上げるときには」「ニオツ」といってもちあげるようになります。
どれだけ力持ちか、いろいろでてくるなかで、この話では最小限なのが物足りないのですが、最後のオチが生きているようです。
天からおりてきた河 インド・ガンジス神話/文:寮 美千子 画:山田 博之/長崎出版/2013年
インドのガンジス河は北海道の北から九州の南の端までの距離をこえるといいます。このガンジス河にかかる神話ですが、壮大なスケールに圧倒されました。
絵をみるだけでも楽しい絵本ですが、神々が入り組んでいて全体像をつかむのに時間がかかるかもしれません。
ジョゴルという王には二人の妃。子どもをおさずけくださいと神々に祈ると、一人はかしこい男の子をうみ、もう一人の妃からはヒョウタンをうみおとします。ヒョウタンの種を、聖なる油を満たした壺にいれるとそこから六万!の赤ん坊が生まれ、みな兵士になります。
ある日、王は「馬祭り」を行うことにします。馬の歩いた土地は、すべて王の領土になり、最後に馬は神々の生贄として捧げられます。
馬の警備を任されたのは六万の王子。ところが馬はふいに姿を消します(生贄にされるぐらいならということか)。
王の命令で王子は、鉄のように固い爪で、干上がった海の底を素手でほり始めます。六万ヨージャナの深さ(途方もない深さでしょう)までほっても馬はみつかりません。
さらに「馬をみつけるまで、二度と帰ってくるな」という王の命令で、王子たちは地獄までほり、大地をささえる四頭の象まで(古代の人びとには、地上は象でささえられていると考えられていました)掘り進んでも、馬はまだみつかりません。
突然あらわれた草原には瞑想にふけるカビル牟尼がいて、これを知らない王子が「馬泥棒め!」「馬を返せ!」と、聖者に突進していくと、王子たちは火をふいて燃え上がり灰となってしまいます。
六万の王子の死を知った王は、もうひとりの息子オンシューマンに、馬をとりもどし、王子たちの魂の供養をするよういいます。
オンシューマンは、地の果てでいなくなった馬とカビル牟尼にあいます。
そこで王子の供養のためには、天を流れるガンガーの聖なる水が必要なことを知ります。
さらに馬を生贄として捧げたことにより、王は、神々の祝福により三万年地上を治めます。
王になった息子オンシューマンは、自分の息子に王位を継がせ、自分はヒマラヤで三万二千年の間修業を積みますが、ガンガーを地上に招けませんでした。
それから一千年後、ブラフマー神があらわれ、望みをかなえてやろうといわれますが、ガンガーは誰も受けとめられない、それができるのは、ただ一人青き喉をもつシヴァ神といわれます。
ここから実はクライマックスで、いよいよガンガーが天からおりてくることになるのですが・・・。
六万年があっという間にすぎるのは神話の世界です。
天女の里がえり/君島 久子・文 小野 かおる・絵/岩波書店/2007年
羽衣伝説では、男と結ばれた天女が、羽衣を見つけ天に帰っていくというのが多いのですが、中国のミャオ族につたわるというこの話では、後半部にスリリングな展開がまっています。
天女が夫と子どもを連れて里帰りすると,天女の親たちは、娘が地上からつれてきた人間の婿を好ましく思いません。天女の父親は、次々ときびしい難題を与えます。
しかし難題は、天女の助けでクリアしていきます。山中の木を一日で切り倒し、今度はそれをすべて焼き尽くすのを山の上で火の回り具合をみろと、若者を火のなかで焼き殺そうという計略は、何とカニが穴を掘り池を作ったので、火は池の上をとおりすぎていきます。
昔話の難題は三つですから、もうひとつの難題が。
これで終わるかと思うと、今度は山犬やおそろしい番人がみはっている”銅鼓”を奪ってこいというというのです。
ここからは「三枚のお札」よろしく、とげの種をまいて、いばらの垣根、竹の種をまいて、たけのこ、山水の種が大きなけわしい山と海となり、無事に帰りつきます。
ユーモラスなのは、カニが穴をほったり、たけのこがでてきて、番人や山犬が夢中でかぶりつくあたり。
ところが、まだまだ続きます。
銅鼓をもちかえったお祝いに飲んだ酒には毒が入っていて、若者が死んでしまうのです。
ああ!とおもっていると、ちゃんと若者が生き返る結末がまっています。
いろいろな要素が満載で楽しめます。
絵も昔話らしく素朴な感じがします。途中出てくる番人は、盗人のようで、思わず笑いました。
くいしんぼうシマウマ/ムウェニエ・ハディシ・文 アドリエンヌ・ケナウェイ・絵 草山万兎・訳/西村書店/1988年
ずっとずっと昔、サバンナで暮らす動物は、みんなうすぼけた なさけない色でした。
ある日、大きな音とともに現れたほら穴。そこには素敵な毛皮、角やしっぽ、何百もの針や糸の山。
ききつけた世界中の動物がほら穴目指してやってきます。
くいしんぼのシマウマそんなことには無頓着。きれいに着飾ることより食欲が一番のシマウマです。ところが やってきたのは着飾った動物たち。
くるわくるわ。
シマウマもヒョウのコートが仕上がるのをながめて、ほら穴に向かいますが、途中みたこともない緑の草をみつけ、食べ始めます。やっとほら穴にたどり着きますが、残っているのは黒い布切れだけ。
なんとか着たのはいいが、シマウマがまた草を食べようとすると、縫い目がぷちん。
ぷちっ! ぷちん! ぷちぷち ぷっちん! あらあら。
デフォルメされた動物、なんともいえない色使いが素敵なケニアの昔話です。
ねことおんどり/うちだ りさこ・文 小野 かおる・絵/福音館書店/1997年
おばあさんと暮らしていたねことおんどりでしたが、いたずらをして棒で畑からおいだされて森のなかへ小屋をたてて気楽に暮らすことに。
ねこが、たきぎを集めに行っている間に、やってきたのはきつね。
ねこからいわれていたにもかかわらず、きつねの挑発に乗ってまどから顔をのぞかせたおんどりは、きつねにさらわれてしまいます。
ちかくにいたねこは、おんどりの悲鳴をきいて、おんどりを助けます。次も同じようにねこに助けられますが、三回目はそううまくいきませんでした。
ねこが遠くにいたのです。
ねこは、上着と赤いながくつ、帽子、ふくろをもってグースリひきに扮装してねこの救出にむかいます。
おんどりときつね、ねこが歌う場面が出てきて、この歌が重要になるのですが、リズム感がなくて、よくわからないのが残念です。
気楽に暮らすことも大変。ねことおんどりは、おばあさんのところにもどって、大歓迎されます。
ここにでてくるグースリは絵でどんなものかわかるが、ロシアに伝わる弦楽器で、使用された時代と共鳴器の形によって、翼型、兜型、箱形の3つに分けられ、絵で描かれているのは兜型グースリのようである。
ぼくのぱん わたしのぱん/神沢 利子・ぶん 林 明子・え/福音館書店/1981年
お姉ちゃんと二人の弟が、パン屋さんのパンを見て、ぼくたちも作ろうと、小麦、塩、砂糖、水、ミルク、タマゴ、バター、さらにパン作りにかかせないイーストも用意して。
パン作りの工程が丁寧に描かれていて、ページの左上の小さな時計が、さりげなく必要な時間をしめしています。
とりかかりは10時頃。できあがったパンを食べるところは3時ですから、おやつの時間かな。
いろんな形にできあがるパン。この絵本を見たら、きっと自分もやってみようという気持ちになりそうです。
シンプルな絵本ですが1978年に「かがくのとも」として発行され、1981年かがくのとも傑作集、2015年にかがくのとも絵本として発行され、第33刷発行とあります。
最初の発行から40年近く、こどもに受け入れられる絵本はどんなものか考えさせられます。
チャマコとみつあみのうま/清水 たま子・文 竹田 鎭三郎・絵/福音館書店/1997年(初出1986年)
メキスコ・ミステカ族のお話とあり、ミステカ族を調べてみましたがよくわかりませんでした。
ミステカ村に住む男の子、チャマコは、自分の馬がほしかったのですが、らんぼうなチャマコには どんな馬もなついてくれませんでした。
ある日、村の辻で男たちがひそひそ話していた”ドエンデ”に興味を持ったチャマコがたずねると「みつあみのまもの」という答えがかえってきます。男たちは、ドエンデはこどもたちをつれていくといいます。
太陽が力をうしない、月と星が現れた夜、チャマコはドエンデにあいますが、ドエンデはおとなたちがいっていたまものではありませんでした。そしてみつあみというのも、おじいさんの肩にいる青い馬がみつあみだったのです。
ドエンデからミステカ族の歴史を教えてもらい、ミステカびとは 動物を兄弟として 一緒にいきていくのだとチャマコはさとされます。
すると黄色い馬がチャマコのくちぶえを聞くと、嬉しそうに首をさしのべ、チャマコをのせ、さっと駆け出します。
ミステカびとが、アルマジロ、シチメンチョウ、ウマ、イグアナ、ブタなどをかつぎながら、行進していますが、どんな意味が込められているのでしょうか。
人物は横顔で、動物も壁画のようでもあり、動植物の独特の色合いといい、オウムのくちばしがひもで縛られていたり、飲んだくれで居眠りしている人もあったりと、なんともいえない不思議な世界です。
トイレのおかげ/文:森枝 雄司:写真・絵 はらさんぺい・絵/福音館書店/2007年
たくさんのふしぎ傑作集は、切り口がさまざまでお気に入りの絵本です。1996年初版で2007年にたくさんのふしぎ傑作集として発行されています。
食べると必ずお世話になるトイレ。文化や歴史と密接にかかわるトイレをさまざまな切り口で紹介していて文句なしに必見の絵本です。
中世ヨーロッパのお城では、ウンコもオシッコも、下に落とす。ベルサイユ宮殿では274の穴あき椅子があって、廊下や部屋の隅で用を足す人もいて、ご婦人にとって便利だったのはスカート。スカートにはこんな便利な効用もあったなんて。
現存する古いトイレとして有名な京都東福寺の「東司」では、つかいかたも厳密にきめられていて、お尻をふくのは、三角の木でびっくり。武田信玄はトイレの中で書類に目を通して仕事していたなど。
また、最先端の飛行機や宇宙船のトイレの工夫も紹介されています。
昔のヨーロッパでは窓からウンコやオシッコを捨てていたといいますから、おちおち道もあるけません。
世界史に数次の全地球規模の流行が記録されている黒死病は、14世紀の大流行で、世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させたといいますが、この背景には、こうした公衆衛生の劣悪さが影響していたのかも知れません。
一方では再利用もされていて、ブタをかっている囲いの上で、ウンコをすると、それがブタの餌になったり、海の上につくったトイレで用を足すと、それが魚もエサになったり。江戸時代にはウンコやオシッコは「肥」とよばれ、肥料として買い取られています。
ページの下に一口メモがのっていますが、これまた面白く、人が70歳になるまでウンコの重さ、ハイヒールがウンコだらけの道をあるくのにうってつけだった、モーツアルトのエピソードなどなど興味深いことが満載です。
そういえば、昔の鉄道では、トイレの下に線路がみえたことを思い出しました。
ところで、表紙の不思議な格好の人形、なんだと思いますか?
外国の小学校/斎藤次郎・文 西山悦子・絵/福音館書店/1986年
世界を見ると学校にいけない子どもたちも多い。とりわけ難民になっている子どもたちはどうしているのでしょうか。
この絵本で紹介されているのは三か国。
インドネシア、ジャワ島にあるパサレアン小学校、イタリア、ローマにある二つの小学校、そしてアメリカ、カルフォルニアのサウスサンフランスコにあるポンテローサ小学校です。
1986年の出版なので、今は少し違っているところもあるかと思いますが、いろいろ教えられることも多い子どもの笑顔が素敵な写真絵本です。
インドネシアのパサレアン小学校の始業時間は6時半、午前中で授業が終わります。毎年国で決めたテストがあって、合格しないと落第。もう一年やりなおし。なまけるというより家の仕事で学校を休んで落第することが多いといいます。
子どもの一日をみるとお祈りの時間があって、イスラムらしいところ。
イタリアでは、こまかな時間割がきまっていなくて、先生が一年間の計画をたてて授業しているようです。
アメリカでは、一時間目90分、二時間目70分、三時間目、四時間目は30分授業。
午前中のほうが元気で、長い時間集中できるということ。
アメリカでは州によっていろいろありそうですから、全部がこうではないでしょうが。
アメリカではスチュワーデスから校長になった人も出てきます。
イタリアの通信簿?には、数字はなしで、先生がぜんぶ文章でその子の勉強のようすを書くとあるのがうらやましい。
日本昔話百選改訂新版/稲田和子・編/三省堂/2003年
大分限者のところに嘘ばかりつく男があって嘘つきこん平とよばれていた下男。
猪をみたというので、旦那が鉄砲をもってかけつけてみると、雪が降っているにもかかわらず、けだものの足跡が見えない。
旦那は、また嘘をつかれたと思ったが、おらんものはしょうがないと、回り道して帰ることに。
一足早く帰ったこん平は、旦那が猪に突かれて死んだとまた嘘。いかに嘘つきでもこんどは本当だろうと家のものが谷を探しまわったが見つからない。
ところが旦那がひょこっと帰ってきたからこん平の嘘がばれてしまう。
おこった旦那は、こん平を川へ行って流してしまえと下男二人に命じ、二人は俵にこん平を押し込んで、棒を通して、とんとことんとこ担いでいく。
こん平はここでも嘘をついて、何とか俵から抜け出してしまう。
それから4,5年たって旦那のところにきたこん平は、竜宮にいってきたと、ここでもおおぼら。
竜宮はいかに良いところだったか吹聴するこん平。話につられた旦那が石うすを負っていくが、こん平が、川で背中をおしたから、チャポーンと沈んでしまう。
旦那の家にもどったこん平は、旦那は竜宮が気に入って、ここで一生すごさせてもらう。こがいいところに連れてもろうた礼に、家屋敷も田畑も何もかもやろうぜい と話したといって、旦那におさまってしまう。
嘘をつくならうまくつけというのだが、騙される側からみると悲劇。
オレオレ詐欺や年10パーセントの利息になると、嘘をつく例が絶えない。ありえないと思う話を信じてしまうのが寂しい。
世界の昔ばなし3 オーストリア いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年
子だくさんの狩人。今日は多少取れとも、明日は何もとれなかったりと暮らしは思うようにならない。
ある日狩りに行くと細道に男が一人寝ころんでいて、犬を売ってくれないかと持ち掛けられる。
狩人が「うちにはもう一匹いるから、それならゆずってもいい」と、翌日取引することに。
次の日、13になる娘がどうしても一緒にいきたいというので、連れて行くと、前の細道に竜が寝ていて、娘にしっぽを巻き付けると山のなかにはいってしまいます。
何年も探し続けても何の手がかりもつかめなく、あっというまに7年。
ある日シカを追っているうちに、あたりが薄暗くなって、シカを追うのはあきらめるが、同行していた下男が木の上にのぼってみると、明かりをみつけます。
狩人は、このへんのことは、知りすぎるほどよく知っていて、このあたりには家がないはずといいますが、下男は、まずそこまでいって、泊らせてくれるかかけあってみましょうと、狩人とともに山の上に。
そこにはすばらしい城があり、すばらしく美しい娘が。
やがて城に泊まることになりますが、娘は恐ろしがったり、こわがったりしないようにねんをおします。
娘が大きなおけに水を入れると、そこにやってきたのは身の毛もよだつような竜。娘は竜のからだを洗いだします。
ここで竜がしゃべれるようになって、娘に向かって「おれと結婚したくないか?」といいだします。
ここで断った娘でしたが、竜が三度も同じことをいうので、娘はかわいそうになって、一緒になることを承知します。
すると竜の姿が消えて、りりしい若者があらわれます。
どうして呪いをかけられたのかは何もでてきません。普通は呪いをかけたあたりからお話が展開するのですが・・・。
若者は狩人に、あなたの娘ですよとつげます。
愛は魔法をとく力をもっているようですが・・・。
世界の昔ばなし3 オーストリア いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年
父親と三人の息子。末っ子はおろか者。
父親は、年をとって財産を分けるのに、一番金持ちのよめさんをつれてきた者に、財産をそっくりあげることにします。
こうした展開だと、まずは上の二人がでかけていくのがパターンですが、ここではすぐに末っ子の出番です。
大きな森の中で、赤いずきんに長い上着をきたこびととあって、食べものをわけてあげると、すぐに、あの道をいけば、いままでいちどもお目にかかったことのないような娘にあえると教えてくれます。
すぐに二人は結婚することに。結婚式の参加者には<死神><死神夫人>も。ただ死神の出番はここだけ。
ところが奥さんが一週間ごとに暗い部屋に閉じこもるのを不思議に思った若者が、けっして部屋を覗かないように言われていたにもかかわらず、かぎ穴から部屋をのぞくと、奥さんの足はひからびたヤギの足をしていて、ももからつま先までびっしり毛でおおわれています。
秘密を知られた奥さんの姿は一瞬に消えてしまいます。奥さんの居所は金の屋根のあるお城。
もういちど、こびとがあらわれ、太陽のところへ行けと教えてくれます。
太陽はすみずみを照らしますが金の屋根の城はみつかりません。
太陽は赤むらさき色の絹のスカートをはき、足には炭ような黒いくつをはいています。
若者は次には月のところへ。月は銀ボタンの灰色の上着を着て、とめがねが銀の灰色のくつをはいています。
月は風のところへいくようにいいます。
風はかかとまでとどく緑色のマントを着て、緑色の帽子をかぶっています。
風の仲間に助けられ、金の屋根の城をみつけた若者が城に行ってみると、たしかに人間の姿になっている奥さんがいました。
「あなたの愛としんぼうで、またよくなったの」という奥さん。
二人は父親から全財産をそっくりあげるといわれますが、これを断り、二人の兄にあげるようにいいます。
三人が出てくると上の二人はたいていが悪役ですが、この話では、特別に仲たがいするわけでなく、きわめてさっぱりしています。
昔話では兄弟がいがみあう展開が多く、ときには首をひねりますが、こうした展開は安心します。
語ってあげてよ!子どもたちに/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2002年
東シベリアのナナイの人びとのお話とあります。
「ねずみの嫁入り」は、ねずみの夫婦がむすめに世界一のむこをさがすことになり、お日さまに頼みますが、お日さまは、雲のほうがえらいといい、雲は風がつよいといい、風は蔵の壁が世界一えらいという。蔵はねずみがえらいといい、結局ねずみ同士が結婚することになるというおなじみの話で、これと同じ内容ですが、途中に
”世界で一番強いお方 世界で一番強いお方”
とはいる楽しいお話です。
でだしはスケートをしていた男の子の一人が転び、もう一人は転ばなかったというところからはじまります。
転ばなかった男の子が”ぼくは世界で一番強い者だから、みんなぼくに頭をさげなっくちゃ”というと、みんなは笑いながら”世界で一番強いお方 世界で一番強いお方”と頭をさげます。
その子が、すべって転んで頭を氷にぶっつけると、はじめに転んだ子が笑って”きみよりもっと強いものがいる。きみの頭をひっぱたいた氷がそうだ”といい、みんなは氷にむかって”世界で一番強いお方 世界で一番強いお方”と頭をさげます。
しかし、氷が太陽が照ると私は溶けてしまうというと、今度は太陽に向かって”世界で一番強いお方 世界で一番強いお方”と頭をさげます。
このあと雲、風、山。
山は木が根を張って、私の岩を砕いてしまうというと、木はそのとおり、そのとおりといいます。
ところが、子どもたちの父ちゃんは、木こり。
はじめて、そのとおりと答えた木を子どもたちは、小さな斧で切り倒します。
「ギーギードア」もそうですが、リズム感があって楽しめます。子どもたちが頭を下げるところも余裕があって楽しんでいるように思えました。