どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

あるく人形の家

2023年12月01日 | 昔話(オセアニア)

     大人と子どものための世界むかし話5/ポリネシア・メラネシアのむかし話/ダイクストラ好子・編訳/偕成社/1989年

 

 ある朝早く、イースター島の首長のトウコイフは、高い崖の上にある<ゴキブリのやかた>といわれるなかまの家にでかけていきました。そのとちゅうトウコイフは、崖の下でふたりのゆうれいがねむっているのを見かけました。トウコイフはそれをみると、ゆうれいをおこさないように、そーっとそのそばをとおりぬけていきました。

 トウコイフがしばらくいくと、またしてもハウリウリという幽霊に出会ってしまいました。

 ハウリウリは、トウコイフをみると、みんなを起こし あとをおいかけました。はじめに目を覚ましたゆうれいが、けわしい崖道をあがってきたトウコイフにたちふさがり、「おまえは何か知っているかね?」とたずねました。トウコイフが、「いやなにもしらない」と答えると、ゆうれいは姿をけしてしまいます。

 しばらくいくと、こんどはうしろからおいかけてきたゆうれいが、「おまえはわれわれについて、なにか知っていることがあるだろう」と聞いたので、またトウコイフが、何も知らないと答えて、崖をのぼっていきます。

 トウコイフは、ゆうれいたちについて知っていることを話すと、かならずころされてしまうことをしっていたのです。

 崖の上につくと、またゆうれいたちが、三度目に、何を知っているんだと聞くので、トウコイフが、「何も知らない」と、こたえると、ゆうれいたちはまたしても姿をけしました。

 やっと崖の上の<ゴキブリのやかた>についたトウコイフは、友だちが、かまどからトロミロとよばれている木のもえさしをとりのぞいていたのをみて、二本もらうと、ナイフで、さいしょにみたゆうれいとそっくりの人の形をほりあげました。それはトウコイフが、最初に見た男のゆうれいにそっくりでした。トウコイフは、自分が見たことを一言も口にしなかったので、ゆうれいはどうすることもできませんでした。

 夜が明けると、トウコイフは、夢に出てきた女の人のゆうれいの人形をつくり、さきにほった男のゆうれいの人形といっしょに、<ゴキブリのやかた>の前に立てかけ、じぶんの家へとかえっていきました。しばらくすると対の人形をみたひとたちがやってきて、じぶんたちにもおなじような人形をつくってほしいというのです。

 トウコイフは、人形の材料になるトロミロの木やおくりものをもってきた人にはすぐに人形をほってあげましたが、そうでない人びとからは、トロミロの木だけうけとって、人形はなかなかつくってやりませんでした。

 ある日、トロミロの木だけとられた人びとが、はやく人形を作ってほしいと催促しました。するとトウコイフは、「ちょっとまっているように。」というと、ほりあげて家の中にならべておいた人形全部にむかって、「さあ、おまえたち、あるくんだ」と よびかけました。すると、人形たちは、カラリ、カラリと音を立てながら歩きだし、家の中をぐるぐるまわりだしました。人形が動き出したのをみた人びとは、このような不思議な人形は、トウコイフの家にのこしておくのがふさわしいといって、めいめいの家にかえっていきました。

 こうしてトウコイフは、人形をてばなすこともなく、いつまでもじぶんの家においておきました。それから人びとは、トウコイフの家のことを<あるく人形の家>とよんだということです。

 

 ちょっとかわったイースター島の昔話です。これに類した昔話をみたことがありません。

 さっぱりイメージがわかないのが<ゴキブリのやかた>です。まあなくても成り立ちますが・・・。


ワニの穴

2023年11月24日 | 昔話(オセアニア)

        新編世界むかし話集10/山室静・編著/文元社/2004年

 

 舞台はサモア島。

 ある夫婦に、十人の息子と、ジーナという女の子がいました。十人の一番上の息子は十、二番目は九、そして末っ子は一という名前。ところが ある出来事から、夫婦は、子どもたちを一から数えることにしました。それは・・。

 子どもたち全員でやり投げをして遊んでいるときに、一の投げた槍がいちばん遠くまでとんで、ワニの穴に落ちました。ジーナが槍をとりもどそうとすると、ジーナはワニの穴に閉じ込められてしまいます。ジーナは、十の兄さんに、家に戻ったら、穴から出られないでいることを両親には話してくれるようお願いします。十は両親からジーナはどうしたかきかれると、「あの子は、九のボ-トに乗って、じきかえってくるだろ。」と、答えます。

 九がワニのところへいって、「ジーナ、どうしたんだ?でておいでよ、ぼくは家へ帰るんだから」というと、ジーナは答えました。「ああ、九兄さん、家に帰ったら、両親にいってよ。わたしがワニにつかまって、穴からでられないでいるって!」。九は両親から妹のことを聞かれると、「じきに、八のボ-トに乗って、かえってくるよ。と、答えます。

 ほかの兄さんも同じことでしたが、最後の一は、すぐに決心して、穴の前にはえていたアダンの木に登ると、空飛ぶ犬のような声を出しました。そして、アダンの実をどっさりちぎると、ワニの穴の入り口に投げ落とします。ジーナはその実がパラパラ落ちる音を聞くと、暑くてたまらないから、穴をちょっとだけあけてくれるようワニに言いました。つぎに、ジーナはアダンの実で、首飾りをこしらえてあげるから外へ出してくれるようワニに言います。ワニは、ジーナが逃げることを警戒し、足を縄で縛りました。実を集めるため、ジーナが外へ出ると、すぐに一がやってきて縄をほどくと、それをアダンの木に結びつけ、逃げ出しました。

 ジーナが帰ってこないのを見て、ワニが縄を引っ張ると、アダンの葉が、みんなで「おお、おお、オホホ!」と叫びました。どうも外には大勢の人がいるらしいぞと、さらにワニが力いっぱい縄を引っ張ると、アダンの木はたおれてしまい、たおれたひょうしに枝が穴につきさって、ワニを殺してしまったのです。

 一が、家に帰って子細を話すと、両親は、「わかった。おまえたちは妹のジーナを愛していないんだ。どうもおれたちが、子どもたちを十から数えはじめたのはまずかったぞ。これからは、一から数えはじめることにする」と、ほかの子どもたちに言い渡したのでした。

 

 アダンの木のことを、はじめて知りました。一から十というのは、名前でなく、数え方だったようです。


タマヒロとヘレコウア

2023年09月09日 | 昔話(オセアニア)

     おはなし島/南太平洋クック諸島から/文・カウラカ・カウラカ 版画 田主 誠ほか訳/保育社/1996年

 

 舞台は、マニヒキ島。

 ヘレコウアは殺し屋。(昔話に”殺し屋というのは? ほかにうまい訳がなかったのか”

 タマロの息子たちが井戸で水を汲んでいると、ヘレコウワが、ココナツジュースを飲みに来ないかとさそいます。息子はたちは欲しくないと断ります。つぎの日も、ヘレコウアがまた、さそいました。

 三日目は、父親のタマロも一緒で、ココナツジュースの誘いをうけ、ヘレコウワの家に行きます。タマロは敷物のしたに、こん棒が隠されていることにきがつき、その上にすわって、こん棒がとれないようにします。

 ヘレコウワが、ココナツに穴をあけ、タマロにすすめますが、お互いに譲り合い、ヘレコウワが先に飲むことになりました。ヘレコウワが飲んでいる最中、タマロは敷物の下からこん棒を取り出し、ヘレコウワの頭を殴りつけます。ヘレコウワは、「タマロのバカヤロウー、バカヤロウー。」とさけび、さいごを迎えます。

 

 あらっ!と思うほど短い話。ヘレコウワがどんなに悪い奴か 全く出てきません。


カヌーをなくした少年・・クック諸島

2021年03月04日 | 昔話(オセアニア)

      おはなし島/南太平洋クック諸島から/文・カウラカ・カウラカ 版画・田主誠訳・生田節子 熊谷俊美/保育社/1996年

 

 南太平洋にあるクック諸島の昔話。ほとんどなじみのない地名も、昔話をとおしてふれる機会をもてるのも、不思議な縁。

 北クック諸島にあるマニヒキ島の話です。

 

 二人の兄弟が、カヌーで遊んでいると、強い風でカヌーがあっという間に波にさらわれてしまいました。

 兄がカヌーを探して、小さな島にやってくると、島の人たちは、隣の島に行くようおしえてくれます。その島に行くと、隣の島に行くよういわれ、三番目の島にいくと、そこには、少年のおばあさんがいて、カヌーを探すのはやめて帰りなさいといわれます。

 少年がカヌーをあきらめきれずにいると、おばあさんが、人食いの化け物が、カヌーをさらっていったので、カヌーをとりもどしたら、けっして声を出さずにかえってきなさいと、教えてくれます。

 少年は、化け物が波乗りを楽しんでいるうちに、カヌーを取り戻しますが、あまりのうれしさに、林を走っているとき、おばあさんの忠告をわすれて、声をあげてしまいました。

 声を聞いた化け物たちは、少年をとらえて殺し、こんがりやいて食べてしまいます。

 しかし父親が、息子を探して化け物がいる島にいき、こん棒をふりまわして、おおぜいの化け物をやっつけてしまいます。

 父親が、かまどのまわりにちらばっていた骨を拾い集めてココナツの殻に入れ、息子の命をよみがえらせてくださいと神さまに祈ると、生き返った息子が姿を現します。

 

 クック諸島は、北クック諸島と南クック諸島からなり、ニュージーランドと自由連合形態をとっています。


ハマグリにつかまった男の子・・フィジー

2019年10月04日 | 昔話(オセアニア)

        世界むかし話/太平洋諸島/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年

 

 島の全部のニワトリの監督をまかされていたタウタバヤオーという男のが、潮のひけどきに、サンゴ礁に、ニワトリがすきそうな虫やエサをみつけ、ニワトリたちに食べさせます。

 潮の向きが変わって水がおしよせ、ニワトリをかえそうとしたとき、ハマグリを踏みつけて、足がはさまれてしまいます。

 タウタバヤオーは、足をぬこうとしますが、なかなかぬけません。さいわいなことに水はニワトリのところまではまだきていません。

 ハマグリは、ニワトリたちに、食べるものをぬすまれて怒っていました。そのうち潮はだんだんと高くなってきました。

 タウタバヤオーは、まずニワトリを陸にかえし、ハマグリに「ぼくはハマグリのとりこになったと思っていたんだが、どうもそうじゃないらしい。ハマグリが貝がらの中に真珠を持っているなんて聞いたことがないものな」といいます。

 おどろいたハマグリが、なぜときくと、タウタバヤオーは「足の先にまるいかたい珠があるからさ」とこたえます。

 ハマグリが真珠がないことをみせようと、ぱっくと口を開くと、タウタバヤオーは、いそいで足をひきぬいて、浜へむかって泳いでいきます。

 知恵でなんとかおぼれずにすんだタウタバヤオーでした。

 これもほかの国ではみられない昔話でしょうか。

 浜へ向かっておよいでいたタウタバヤオーに、ニワトリたちが「タ・ウ・タ・バ・ヤ・オー!」タ・ウ・タ・バ・ヤ・オー!」と、鳴きます。それからニワトリたちは、潮がたかくなってきたとき、こう鳴くといいます。

 フィジー共和国は、イギリス連邦加盟国で、300余の火山島とサンゴ礁があります。


くすぐったがりやのキジー・・サモア

2019年09月30日 | 昔話(オセアニア)

          世界むかし話/太平洋諸島/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年

 

 サモアは、南太平洋に位置し、ウポル島、サバイイ島および7つの小島からなる国家。

 太平洋諸島の昔話は、島の特徴をあらわし、ほかの国にはみられないものがあります。

 この話は、水をめぐる二つの島がでてきます。

 アポリマの島は、きれいな真水が出るのにマノノにはぜんぜんでませんでした。どちらの島も果物やヤシの実はふんだんにとれていましたが、マノノの人たちが、真水をてにいれるのは雨水をためておくか、真水のある島へ、カヌーで出かけて行って、大きな葉や貝殻にいれてもってかえるよりありませんでした。

 マノノの酋長の十一歳の息子、キジーは、アポリマにいって、真水をどうにかしてきますよと、カヌーにのって、ほら貝をもってでかけます。

 お父さんは、こっちの半分だけをもらって、あとは、のこしてくるようにいいました。

 アポリマの真ん中の丘には泉が。アポリマの真水は、その中腹から湧き出ていたのです。

 キジーはさっそく、ほら貝に水をすくいはじめます。このほら貝は魔法のほら貝で、泉の水も、泉から流れ出ている小川の水も飲みほしてしまいました。

 ところがアポリマの酋長の息子テリーが、泉の水も小川の水もなくなっていることにきづきます。泉には小さなほら貝のかけら。テリーは、キジーが、真水が手に入るなら、なんでもかんでもでもするといっていたのを思い出します。

 テリーはキジーのところへでかけ、「きみがとったんだろう?」と、問います。ばれたのかとキジーは魔法のほら貝をもって、一目散に にげだします。まもなくキジーにおいついたテリーは、ほら貝を取り戻そうとします。しかしキジーは、また逃げ出しますが、おいついたテリーがキジーのわき腹をくすぐりはじめます。くすがったりやのキジーは、からだをよじらせながら、またにげだし、おいついたテリが、また腹をくすぐります。三度目に、ほら貝をうばいとったテリが、島に引き上げ、ほら貝の水を泉に戻すと、たちまち泉は水でいっぱいになり、小川にも水が流れ出しました。

 一方、マノノの島でも不思議なことが、おこります。テリがくすぐったせいで、あちこち、ほら貝の水が、こぼれおちたところに、小さな泉ができて、真水がわきだしたのです。

 マノノの島で真水にこまらなくなったのは、くすぐったりやのキジーのおかげだと、島の人たちはいっています。

 いじめとか、死、殺し殺されたというのが一切出てこないので、安心?して楽しめる話でしょうか。

 生活するうえで水はなくてはならないもの。しかし世界には、アフリカを筆頭に、まだまだ水不足になやんでいるところも多い。世界をみても、約12億人が安全な水を飲むことができないというレポートもあります。


三人のどろぼうと王・・マレーシア

2019年03月19日 | 昔話(オセアニア)

       子どもに語るアジアの昔話5/アジア地域共同出版計画会議企画 ユネスコ・アジア文化センタ・編 松岡享子・訳/福音館書店/180年初版


 先の王さまが亡くなり、若い王子が新しく王位につきますが、父王の死を悲しんで、政務をおろそかにするので、大臣たちが相談して総理大臣を王さまにすべく策略します。

 一方総理大臣のたくらみなど何一つ知らなかった王は、宮殿の外で、「知恵を買う者ものはいらんかね」とさけぶ物売りの女の声を聞きます。

 女は杖にすがって、髪の毛が白い、ひどく年とった女でした。
 老婆が言うには「ねているよりは、さめているがよし。 よこになっているよりは、すわっているがよし。 すわっているよりは、立っているがよし。 立っているよりは、歩くがよし。」というのでした。

 銅貨一枚で知恵を買った王さまは、じっとしていられず、古い着物を身に着けると、こっそり宮殿をぬけだし、夜のやみのなかへでていきました。ここで三人のどろぼうにであい、仲間にはいります。

 王さまに、総理大臣のとこには金目のものがどっさりあるだろうといわれた三人のどろぼうは、総理大臣の家に。
 総理大臣は、王さまになるべくほかの大臣たちと会合していましたが、一番目のどろぼうが特技で。みんなを眠らせてしまいます。
 二番目のどろぼうは、鍵をあけるのが特技、三番目のどろぼうは、犬をだまらせるのが特技。

 どろぼうたちは金目のものをあつめますが、王さまがみつけたのが、何やら重要そうにみえる紙切れ。そこには「王は、位を放棄せねばならぬ!」とありました。王さまは、総理大臣が王位を覆そうと、はかっていたのを知ります。

 王さまは三人のどろぼうに、羽根を一枚づつわたし、頭巾にさしておくようといいます。そして自分の頭巾にも同じ羽根をさします。

 次の日、謁見の間に姿をあらわした王さまをみて、大臣たちはおどろきます。これまでは一度も謁見の間に姿をあらわしていなかったのです。

 ぬすみを職にしているものが三人いるからと、国中の人々を宮殿に集め、頭巾に羽根をさした三人を牢へ放りこもうとします。
 しかし、どろぼうは、もうひとりどろぼうがいると申し立てます。王さまは一枚の羽を自分の頭巾にさして、総理大臣に紙切れを見せて、断罪しようとします。

 けれども、王が政務をおこなおうとしなかったので、なんとかしようと考えたという、総理大臣の理由をきいて、これまでの態度を反省します。

 自己本位では、立派な王さまになれません。政治家も見習うべきでしょう。政治家が自分を見つめなおすきっかけは、なんでしょうか。


ふしぎなマンゴー・・パプア・ニューギニア

2018年07月14日 | 昔話(オセアニア)

       アジア・太平洋の楽しいお話 ライオンとやぎ/ユネスコ・アジア文化センター・編 駒田和・訳/こぐま社/1994年

 「ホットケーキ」「パンはころころ」「しょうがパンぼうや」などなどとおなじように、逃げ出すのが楽しい話。
 お話に共通しているのは、ラスト食べられてしまうこと。

 終わり良ければ総て良しでは、ありませんが、この「ふしぎなマンゴー」のラストは余韻があります。

 他の話と同様、マンゴーが強い風に吹かれ、地面におちてころがりはじめます。

 途中あったのは、ぶた、小さな男の子、ふたりの女、はらぺこ狩人。

 ぼくはふしぎなマンゴーさ
 どっこい、あんたにゃ つかまらない
 木からはなれてころころと
 広い世界を 見物に! 

 と、歌いながらにげていきます。

 マンゴーはなんとか、草むらにげこみ、みんなからにげだすことに。

 マンゴーは何日も何日もねむり、じっとしています。それからまた何日もたつと、ふしぎなマンゴーから小さな緑の芽が。
 そうです。ふしぎなマンゴーは、大きなマンゴーの木になる準備をはじめたのでした。
 
 食べられそうになりながら、歌いながらにげだす繰り返しのリズムは、他の似たような話と同様ですが、ラストはなにか希望を感じさせてくれキラリ光るものがあります。食べられておわりになるのは、あららという感じ。

 ホットケーキやパンではこうはいきません。


いちばん美しい花嫁・・オーストリア

2017年11月15日 | 昔話(オセアニア)

       世界の昔ばなし3 オーストリア いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年

 父親と三人の息子。末っ子はおろか者。

 父親は、年をとって財産を分けるのに、一番金持ちのよめさんをつれてきた者に、財産をそっくりあげることにします。

 こうした展開だと、まずは上の二人がでかけていくのがパターンですが、ここではすぐに末っ子の出番です。

 大きな森の中で、赤いずきんに長い上着をきたこびととあって、食べものをわけてあげると、すぐに、あの道をいけば、いままでいちどもお目にかかったことのないような娘にあえると教えてくれます。

 すぐに二人は結婚することに。結婚式の参加者には<死神><死神夫人>も。ただ死神の出番はここだけ。

 ところが奥さんが一週間ごとに暗い部屋に閉じこもるのを不思議に思った若者が、けっして部屋を覗かないように言われていたにもかかわらず、かぎ穴から部屋をのぞくと、奥さんの足はひからびたヤギの足をしていて、ももからつま先までびっしり毛でおおわれています。

 秘密を知られた奥さんの姿は一瞬に消えてしまいます。奥さんの居所は金の屋根のあるお城。

 もういちど、こびとがあらわれ、太陽のところへ行けと教えてくれます。

 太陽はすみずみを照らしますが金の屋根の城はみつかりません。
 太陽は赤むらさき色の絹のスカートをはき、足には炭ような黒いくつをはいています。

 若者は次には月のところへ。月は銀ボタンの灰色の上着を着て、とめがねが銀の灰色のくつをはいています。
 月は風のところへいくようにいいます。
 
 風はかかとまでとどく緑色のマントを着て、緑色の帽子をかぶっています。

 風の仲間に助けられ、金の屋根の城をみつけた若者が城に行ってみると、たしかに人間の姿になっている奥さんがいました。

 「あなたの愛としんぼうで、またよくなったの」という奥さん。

 二人は父親から全財産をそっくりあげるといわれますが、これを断り、二人の兄にあげるようにいいます。

 三人が出てくると上の二人はたいていが悪役ですが、この話では、特別に仲たがいするわけでなく、きわめてさっぱりしています。
 昔話では兄弟がいがみあう展開が多く、ときには首をひねりますが、こうした展開は安心します。


海のはじまり・・ヴァヌア・ラヴァ島

2016年05月23日 | 昔話(オセアニア)

        大人と子どものための世界のむかし話5 ポリネシア・メラネシアのむかし話/ダイクストラ好子・編訳/偕成社/1989年初版


 すごくシンプルに海のはじまりを教えてくれる昔話です。

 二人の孫と暮らすおばあさん。
 おばあさんが畑に行く前に、孫に囲いに入ってはいけないと言い残してでかけます。
 みるなといわれて、何があるだろうと囲いをのぞいた二人。

 なかにはサトイモの葉があるだけです。

 二人はトカゲがサトイモの葉にとまっているのをみると、矢をはなちます。

 矢はサトイモの葉に穴をあけてしまいます。すると葉の中から水がこぼれだし、ゴウゴウと天地をゆりがすほどの音で、囲いの中に水がたまっていきます。

 おばあさんが、この音を聞いて「あまねく、そそげ、世界中に」と叫ぶと、囲いの水がおばあさんの家といわず、畑といわずのみこんでしまいます。

 それでも水はとまらず、あふれつづけ全世界にひろがっていったというのですが・・・。

 サトイモを育てるときは、水やりが大切といわれていますが、逆に水をつくるというのも、どこからきているのでしょうか。
 このおばあさんも不思議な存在です。


大ザメと少年・・ハワイ諸島

2016年05月19日 | 昔話(オセアニア)

        大人と子どものための世界のむかし話5 ポリネシア・メラネシアのむかし話/ダイクストラ好子・編訳/偕成社/1989年初版


 一人の少年が、海の底にある大エビをつかまえたいと思っていましたが、人食いザメのため、手をだしかねていました。
 一計を案じ、大声で「ほかのサメたちをだます方法を、いちばんしっぽの短いサメがおしえてくれた」といい、岩のかけらを海に投げ込むと、サメたちは少年が海の中へ飛び込んだとおもい、水音のしたほうへおよいでいきます。そのすきに、少年は海に飛び込んで大エビを二匹もちかえります。

 一回だけでなく、9回も繰り返す少年。サメは十頭いる計算です。

 エビをとる前に、○○のサメから教えてもらったと大声でいうので、怒った一番大きなサメが、仲間を食べてしまったので、サメはどんどん減っていきます。
 残ったのは大ザメだけ。

 こわいサメと少年の組み合わせ。
 少年の知恵がまさっていました。

 最後は大ザメにまるごと飲み込まれるよう独り言をいい、大ザメが少年を飲み込むと、少年は両端のとがった棒をサメの口に突き立てたので、サメは口を閉じることができなくなります。
 そして、大ザメのはらのなかで、サメの肉を切り取り、料理までしてしまいます。

 少年が大ザメのはらのなかからでてきてみると、せまいサメのはらの中で頭をさんざんこすられたので、かみの毛が全部ぬけてしまい、にどと髪ははえてこなかったというオチです。

 だまされるサメがいないと話ははじまりません。このサメ、釣り糸を食いきったり、せっかくつれた魚をよこどりしたり、海にもぐった人を食い殺す存在でした。        


ディリジェリーズに気をつけろ!・・アボリジニ

2016年03月01日 | 昔話(オセアニア)

     ディリジェリーズに気をつけろ!/オーストリア・アポリジニの伝説/ジーン・A・エリス著 森 秀樹・監修 国分寺翻訳研究会・訳/大修館書店/1998年初版


 しゃれたタイトル。ディリジェリーズは小鳥のこと。
 アボリジニの伝説といいます。

 女のほうがつよいという話です。

 男だけの集会で妻たちが小言をいいすぎると、男たちは、何日か女たちのもとを離れて、はねをのばそうとします。
 しかしそれを聞いたディリジェリーズが、女たちに男のたくらみを教えます。
 すると女たちも秘密の集会をひらき、一人の若い女を男たちのもとへおくりだします。

 若い女は宣言します。
 「狩りや獲物集めの手伝いはしないし、草の実を臼でひき粉にしてホットケーキを焼いたりもしないし、狩りから帰ったあなたたちに、温かい料理や飲み物の用意もしません。あたたかな毛皮やマントも二度と作らないし、治療用の薬やハーブオイルも使いません。話しかけることもなく、一緒に歌うこともなくしない。これからずっと私たちは自分たちで生きていきます。皆さん、どうぞいつでも私たちから遠く離れて暮らしてください。」

 男たちは、見捨てないでくれと懇願するのですが・・・・。

 少しはねをのばしたかっただけなのですが、女たちはチャンスとばかり、徹底的におどして、その後も主導権をにぎることに成功したようです。

 男たちはどうやって女房たちにばれてしまったか不思議に思いますが誰にもわかりませんでした。

 女たちに男のたくらみを教えたディリジェリーズは、食糧と巣にする材料を手に入れます。    


鳥と魚の大戦争・・ミクロネシア

2013年11月30日 | 昔話(オセアニア)

    鳥と魚の大戦争/世界むかし話 太平洋諸島/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1989年初版


 あまり昔話のパターンに見られないミクロネシアの話です。

 むかし魚と鳥のあいだに大戦争が起こりました。年よりの鳥が言うには、どうやら争いの原因は割れたヤシの実を鳥がつっついていると、ヤシの実が流され、それを飢えた魚たちが、それをさらっていったというもの。

 しかし、小さい魚はどうして争わなければならないか原因がわかりません。

 大きな魚は「原因などどうでもいい。ただ、戦えばいいんだ」といいます。

 争っている相手がよくわからなくて、魚同士、鳥同士が殺しあうことも。

 クジラとオオダコの争いも、なんで争っているかわからず、何時間も争う始末。やっと、味方同士であることがわかると、ばかばかしくなって、どこかへ、行ってしまいます。

 「戦争」には、サメやヒラメ、カニ、ウニ、エイ、ウミガメ、ワシ、トリ貝などが戦う場面もでてきます。

 やがて争いはやみますが、今度は、戦争をしなかった者をせめます。争いの間中、何もしなかったマスやオオコウモリを卑怯者と呼びます。

 どっちが勝ったのかだれにもわからず、たくさんの命が失われたということだけが残ります。
 「この戦争は、戦うだけのねうちがあったのだろうか」と無理にたたかわされた小さい鳥がいいます。

 このお話、戦争がはじまると、戦うことだけが目的で、それに疑問をもつことがゆるされなかったり、身内の「卑怯者」をせめるところなど現実の世界を風刺しているようで、身につまされます。
 
 昔話にこのような話があると、あらためて昔話の魅力に引き込まれます。ただ「戦争」というのが、あまりにもリアルすぎて、語るには少し工夫が必要なのかもしれません。   


オーストラリアの先住民アボリジナルの昔話「大きな大きなカエル」&絵本「おおきなカエル ティダリク」

2012年10月14日 | 昔話(オセアニア)

         オーストラリア先住民アポリジニの昔話/池田まき子/新読書社

 

 2004年のシドニーオリンピック開会式のとき、オーストラリアの先住民アポリジニのことをはじめて知りました。この話はアポリジニの昔話で大きなカエルが地上の水という水を飲みほしてしまい、それを返してほしい動物があの手この手を使うという話。

 登場するのはすべて動物。テレビや動物園でさまざまな動物に接する機会もあってか、日本にいない動物が話にでてきても違和感がありません。

 カンガルー、大とかげ、ダチョウ、エリマキトカゲ、笑いカワセミ、ウォンバット(コアラと近い親戚関係にあるが、その習性となるとかなり違っている。30Kg程度)などオーストラリアの動物が登場して楽しませてくれます。
                  
 大分あとから絵本が福音館書店から出ているのを知りました。題が似ているなと思って手に取ってみたら、アボリジニ・ガナイ族のお話、加藤チャコ再話 絵とありました。

 この絵本は、話のリズムと昔話のことばづかいが心地よく響いてきます。部分的にぬきだしてみると
  「みず どこじゃあ みずどこじゃあ、もっと みず どこじゃあ」
  「それいけ! ゴロゴロ とつげき! ゴロゴロ」
  「そりゃあ そりゃあ おこっていた」
  「はあっはっはっはっ ほおっほっほっほほおおお」
など繰り返しが効果的。
 さらに、方言をうまく使っているのもこの本の特長でしょうか。

 たとえば、動物たちから水をわけてくれと言われてティダリクは
 「やんだ」
 どうしたら水をわけてくれるか動物が相談する場面で、ウォンバットが
 「わらわせたら どうだべ、きっと みずが はらからふきだすんでねえかの」
 しめくくりには
 「そんなら いつも わらっていれば いいんだべな」

 など、木下順二風のリズムと「民話」の方言がうまくかみあって、楽しい絵本になっています。

 絵では、動物がとっておきの芸をひろうする場面が秀逸。多分語るだけでは、この楽しさをつたえることが難しいのでは・・・。

 語ることと絵本の違いを考えさせてくれます。
          
 アポリジニの人々は、砂漠地帯で水がすくなく、家はつくらず、岩穴などを利用していたようです。さらに編みかごの形は2万年前!から同じ作り方という。(2015.5.30テレビ・・どこのテレビ局か忘れました)

おおきなカエル ティダリク  

       おおきなカエル ティダリク/加藤チャコ再話 絵/福音館書店/2000年初版

 アポリジニの人々が市民権をみとめられたのは1967年で、今から50年前。それまでは立法の対象としない、国勢調査の対象にしないなどの憲法だったといいます。

 ところで「アボリジニ」という表現ですが、これには差別的な響きが強いうえ、言語集団が分かれていたオーストラリア先住民の多様性への配慮から、近年のオーストラリアでは呼称としてほとんど使われなくなったといいます。代わりに現在ではアボリジナル、アボリジナル・ピープル、アボリジナル・オーストラリアンまたはオーストラリア先住民という表現が一般化しつつあるということです。