どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

きょうはたんじょうび

2019年07月31日 | 絵本(日本)

    きょうはたんじょうび/中川ひろたか・文 村上康成・絵/童心社/2016年

 

今日は、あつこちゃんの誕生日。

きれいな桜の木の下で「お、おめでとう。あつこちゃんも ひとつとしをとったってことですね」と髭の園長先生。

みんなが「えんちょうせんせいも そう?」

「わたしは たんじょうび 2かいありますから」と園長先生は冗談をいいながらニコニコ。

一年ってどういうこと?  一年を一年をかけて観察することに。

4月から3月まで、桜の木の下でみんなの写真を撮ります。

桜の葉が緑から、冬には散って。

7月は七夕 8月は、みんなオバケの格好。

10月は運動会。「よーい、うどん!」と園長先生は”うどん”を食べてます。

12月は園長先生がサンタさんになって・・・。

「ひろみせんせいに なんかい おこられた?」「しゅうじくん なんかい ないた」「おねしょ なんかいした?」

写真を見ながら一年間をふりかえり、あつこちゃんの誕生会です。

大人になると一年はあっというま。でも子どもは、日々成長。

子ども、先生、園長の髪型もユニークです。

誕生日の描き方もいろいろです。 


もみの木

2019年07月30日 | 絵本(外国)

    もみの木/アンデルセン原作 石井睦美・文 瀬名恵子・絵/2019年

 

 アンデルセンとせなさんの絵というのに惹かれました。 

 せなけいこさんが、絵本作家デビュー前夜の原画を、この6月に復刻されたものです。

 石井睦美さん文となっていますが、ほぼアンデルセンの原作を踏襲していました。

 

 森の中に 小さなモミの木がいました

 早く大きくなって別の世界にいきたいと 思っていたもみの木。

 「うみで新しい船をたくさん見たよ。もみの木は、船のりっぱなマストになったんだと思う。もみの木の匂いがしたからね」とおしえてくれたのは、こうのとりでした。

 「わかいときこそ、すばらしいんだよ。ずんずんのびて、そだっているときこそ、たのしいんだよ」とお日さま。風はそっともみの木にキスをしてくれました。

 けれども、もみの木はみんなのやさしさが すこしも わかりませんでした。

 夏がすぎ、冬がきて、クリスマスがちかづくと、もみの木は切られ、ひろびろとした部屋に運び込まれました。

 召使がやってきて、もみの木に かざりつけを はじめました。くつしたの なかには お菓子がいっぱい。りんごやくるみはっまるで木になっているようです。可愛い人形も、百本もの いろとりどりのろうそくも。

 じぶんのうつくしさに、ぼうっとなるもみの木。子どもたちが、もみの木のまわりをおどりまわり、おもちゃやお菓子を持って、おじさんにお話をせがみます。

 おじさんは「ずんぐりむっくりさん」のお話をしてくれます。

 「あるところに、ころころふとって、ずんぐりむっくりさんと よばれている 男の子がいたんだよ。あるとき、ずんぐりむっくりさんは、とんとんと、階段を ころげおちてしまった。まったく ついていない。だけど、ずんぐりむっくりさん、こんどは とんとんと、えらくなって、ついにおうじょさまを およめさんにしたんだ」

 ぼくだって、そうなるかもしれないと思ったもみの木。あしたは また、きれいにかざられるのだと おもって、わくわくしました。

 しかし、次の日、もみの木は、暗い屋根裏部屋の運ばれてしまいます。何日たってもだれ一人やってきません。

 「春まで ぼくを ここにかくまっておく つもりなんだ」

 でも春がやってきて、中庭にはこびだされたもみの木は、ちいさくおられて、まきにされると、燃やされてしまいます。

 もみの木は、ネズミたちに昔の森の話をしているときに、じぶんがどんなに しあわせだったかに はじめて きづきます。 燃やされるときになって、森の夏の日や、星の輝く冬の夜や、わかかったじぶんを おもいだすもみの木の気持ちが切ない。

 木が語っていきますが、大地からきりはなされ自分ではなにもできない木。一瞬のきらめきと、そのあとのギャップは、木にとって悲しいことだけだったのでしょうか。

 この話を12月に聴いたことがあります。ツリーがでてくるのでクリスマスの時期にぴったりと思ったのですが、ラストを考えると、そのほかの時期に聴いても違和感はなさそうです。しかし、子どもはどう受けとめるでしょうか。


小さな赤いメンドリ、オンドリとネズミと小さい赤いメンドリ・・イギリス、類似の絵本

2019年07月29日 | 昔話(外国)

小さい白いにわとり

 保育園のおはなし会で「小さい白いにわとり」を聞く機会がありました。
 昭和30年から51年の小学校教科書にのっていて、ずっと記憶に残っている方も多いようです。
 
 小麦をめぐってブタ、ネコ、イヌは育てることに一切かかわらず、小さい白いメンドリが小麦を育て、いざパンができて誰が食べるかとなったときに、ブタ、ネコ、イヌは”食べる”と言いだします。

 教科書版はここでおわっていて、いろいろ議論させるようになっているようです。

 働かざるもの食うべからずというのもあれば、みんなにも食べさせてあげるという議論があったようです。

 

小さな赤いメンドリ(語ってあげてよ!子どもたちに/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2002年)

 マ-ガレット版では、「ちいさな赤いメンドリ」で、ネコ、イヌ、ネズミがでてきます。

 ”だれが小麦をうえるの”ちいさい赤いメンドリがきくと
 ”あたしじゃない”ネコが言いました。
 ”ぼくじゃない”イヌが言いました。
 ”おいらじゃない”ネズミが言いました。

 ”だれが小麦をかりとるの”ちいさい赤いメンドリがきくと
 ”あたしじゃない”ネコが言いました。
 ”ぼくじゃない”イヌが言いました。
 ”おいらじゃない”ネズミが言いました。

 同じようなやりとりが続き、最後パンができると、ちいさな赤いメンドリは
 ”いいえ、あなたたちじゃないの! わたしがたべるの”と明快です。

 繰り返しが楽しい話で、覚えやすく、いざというとき役立ちそうです。

 会話の様子からいうと、ネコは女性、イヌとネズミは男性でしょうか。

 

オンドリとネズミと小さい赤いメンドリ(愛蔵版おはなしのろうそく6 東京子ども図書館編)

 イギリスの昔話です。上とおなじようなリズムでつづきますが、やや複雑な構成になっています。

 ある丘にオンドリとネズミ、小さな赤いメンドリがすんでいる家があって、その丘の近くのひどいあばらやに、とてもわるい大きなキツネが一匹と、小さいキツネが四匹すんでいました。

 腹ペコの子キツネからねだられて、オンドリとネズミ、メンドリがいる家にでかけた大きく悪いキツネ。

 一方、オンドリとネズミは、朝からきげんがわるく、暑い寒いなど文句ばかり。

 小さな赤いメンドリが「だれが、たきつけをとってきてくれる?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがとってくるわ」とメンドリ。

 小さな赤いメンドリが「だれが、やかんに泉の水をくんできてくれる?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがくんでくるわ」とメンドリ。

 小さな赤いメンドリが「だれが、朝ごはんのしたくする?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがやるわ」とメンドリ。

 朝ご飯のかたずけ、ベッドをつくるのもやはりメンドリ。

 なまけものオンドリとネズミが、火のそばでぐっすり寝込んでいるところにやってきた、大きなわるいキツネは、二匹とも袋の中に、ポイと放り込んでしまいます。そしてメンドリも袋のなかへ。ところが、その日は、お日さまがぎらぎらてっていて、キツネは、ほんの少し木の下で昼寝をしていこうと考え、眠りこんでしまいます。

 食べられるのを覚悟したオンドリとネズミは、なまけたことを反省します。

 ところが、メンドリは「心をいれかえるのに、おそいってことはないのよ」と、もっていた裁縫袋からはさみを取り出し、袋に穴をあけオンドリとネズミを外に出し、かわりに同じ重さの小石を袋につめます。それから針と糸を使って袋の穴をぬってしまうと、大急ぎで家に帰りドアをしめてしまいます。

 一方目をさましたキツネはどうなったか?。キツネどんは、魚たちの魔法のほら穴にとじこめられしまい、それからは、キツネどんのすがたを見た人はいません。

 ネズミとオンドリも不平をいうことはなくなり、どんな仕事もするようになったので小さい赤いメンドリは、ゆっくり休むことができました。

 長めの話ですが、よく昔話を聞きなれた子にとっては、おなじみの場面が続きますので、時間は気にする必要はなさそうです。

 ただ、「よろい戸」がでてきますが、子どもがイメージするのはむずかしいかも。

  類似の絵本もでています。


    めんどりとこむぎつぶ/小出正吾・文 安 泰・絵/フレーベル館/2006年

 めんどり、ブタ、アヒル、ネズミですが、ひよこもでてきます。

 繰り返しが楽しいのですが、それだけでなく小麦からパンをつくるまでが、丁寧に展開します。

 めんどりかあさんが、懸命に働いているとき、ブタ、アヒル、ネズミが遊んでいる姿もあって、マーガレット版よりも想像が広がる感じです。

 擬音語もリズミカルです。



   おとなしいめんどり/ポール・ガルドン:文・絵 谷川 俊太郎・訳/童話館出版/1994年

 メンドリ、イヌ、ネコ、ネズミが同じ家にすんでいるという設定です。


プレゼント

2019年07月28日 | 絵本(外国)

    プレゼント/ボブ・ギル・作 アーサー・ビナード・訳/ほるぷ出版/2012年

 

 ある日、ちょっぴりヒマだったアーサーが見つけたのは、お父さんのクローゼットのおくにおかれている赤いリボンのついた箱。
 アーサーにはすぐに何の箱かわかります。
 なぜって、あと二週間後がアーサーの誕生日で、お母さんのプレゼントは、いつも赤いリボンがついているのです。

 それから、アーサーの想像がひろがります。
 ケーキ?輪投げのおもちゃ?トラクター、チョコレート?新しいリュック?それとも日本からやってきた提灯?絵具のセット?パズル?それからそれから・・・。

 二週間も想像しますから、でてくるのもさまざま。置き時計をイメージすると、時間をまもらなきゃ!

 考えているうちに、いよいよ明日が誕生日。

 そのとき、玄関のベルが「ピンポン」となって、やってきたのはボランティアの女の人。

 アーサーのとった行動に、思わずあっとしました。

 アーサーは女の人にプレゼントをわたしたのです。

 ボランティアや寄付があたりまえのように根付いている文化の懐の深さのようなものを垣間見させてくれました。

 最初に“たべたリンゴよりも、あたえたリンゴのほうが、あとあじがいい。”(ふるくからのいいつたえ)とあって、頭をへねりましたが、こういうことなんだと納得しました。

 主人公がアーサー少年。訳もアーサー・ビナードさん。原著でもアーサーとなっているのでしょうか。それともビナードさんの遊び心?。


かばくんとたね

2019年07月26日 | 絵本(日本)

          

    かばくんとたね/こどものとも年少版/福音館書店/2019年

 

 かばくんが土遊びをしていると、ことりがやってきてポトンとおとしたもの。

 どうやら、たねのよう。

 かばくんは 毎日たねにはなしかけて、めのでるのをまちます。

 水やりして・・・。

 めがでてきて、どんどんおおきくなって・・。

 どんな花が咲くのか まちどおしいワクワク感がいっぱい。

 植物が芽を出すのに、小鳥が一役かっているのを話し合えるのもうれしい。


確認

2019年07月25日 | 星 新一

      確認/星新一ちょっと長めのショートショート/七人の犯罪者/理論社/2007年

 

 確認は、本人かどうか確認するもの。身分証明書、クレジットカードの所持者が必ずしも名義人であるとはかぎらない。印鑑だって当人の承諾の上で押したものか、誰かが無断で押したのかもわからない。実印だって盗み出されたら万事休止。

 これらを解決してくれる画期的な装置が売り出された。声を出しながら片手をのせると、たちまち本人かどうか識別してくれる便利な装置。

 そのメーカーはたちまち大きく成長。しかしメーカーは、この装置を売るのではなく、貸し付けるという方法をとった。それも二台。一台は故障したときの予備。

そして絶対に偽造不可能なカードをつくることにも成功。

 装置があやまった判定を出し、被害を受けたら、いかに巨額であっても補償したので、需要はどんどんのびていって、やがて装置を使わないと本人の確認ができないという状況まで。

 企業秘密を守るため、分解して研究されるのを防ぐため、分解しようとすると小爆発する仕組みも備えたもの。装置の根本部分は、ごくごく一部のものだけ。

 ところがメーカーの十周年を祝う船上のパーテイで船が沈み、秘密を知るものが溺死してしまう。

 やがて、本人確認装置が故障し、予備機も使えない状況になると、本人確認ができなくなって、銀行からは引き出しが不可能になり、会社に入ろうにもはいれなくなり、結婚式での相手の確認も不可能になってしまいます。

 その上、本人かどうか確認できないため、死亡診断書もでません。

 おまけに、夫婦の間でも、相手が確認できないと断絶状態に。

 

 機械まかせの本人確認には、とんでもない未来がまっています。


超能力者

2019年07月24日 | 昔話(外国)

 昔話の面白さは、一つには登場するキャクター。日本の昔話にはあまりでてこないとてつもない力をもつ者たち。

 大人の感覚からすれば、少々なじみにくい。しかし、外国で超能力者がでてくる背景も知りたいところ。

 

六人男、世界をのし歩く(子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村宏訳/こぐま社/2000年)

   一人目の男(力持ち)・・木を引き抜くほどの力持ち
   二人目の男(狩人)・・・遠くのものを射抜く名人
   三人目の男(鼻ふき男)・遠くから鼻息で風車を回す男
   四人目の男(走りや)・・飛んでる鳥でも追いつけないほど早く走る男
   五人目の男(ぼうし男)・ぼうしをかぶるとあたりがおそろしく寒くなる男
 もうひとりは、兵隊に行って勇敢に働いたにもかかわらず、銅貨三枚でお払い箱になった男。
 
 この六人の出番がきちんとあって、王さまから宝物を分捕って、みんなで山分けして、死ぬまで何不足なく暮らすというお話。


美しいおとめ(おはなしのろうそく28/北米先住民の昔話/東京子ども図書館編/2011年)

 「美しいおとめ」を妻にしようと、おとめをさらっていった魔法使いが、おとめが自分のいうことをきかないため、国中におふれをだします。

 「勇気のある若者は、やってきて美しいおとめに結婚を申し込むがよい。もしわしが出す三つの問題をやりおおせたら、美しいおとめを妻にできる。だがもし失敗したら石にかえられる」。

 自分こそはとやってきた若者のだれもかれも失敗し、石になってしまいます。

 うわさがどんどんひろがり、ある森のはずれに住んでいる貧しい若者が魔法使いのもとへ。

 頭は決していいとはいえず、これまでに勇ましいことなど何一つしたことがなく「うすのろ」と呼ばれていた若者。

 この若者が途中であった者。

 一人目は力持ち。二人目は足がはやすぎる男。三人目は好きなだけ水を飲める男。四人目は遠くまで正確に矢を打つ男。五人目は敏感な耳をもつ男。

 美しいおとめは、若者にかえるよう いいますが、ここから魔法使いとの対決です。

 ラストは、力持ちが踊りながら開けた地面の大穴に、魔法使いが転がり落ちると、力持ちがドシドシと土を踏む固めたので、これが魔法使いの最期というもの。

 うすのろは、美しいおとめと、若者のお姉さんは、弓の名人と結婚します。

 「うすのろ」が何回もでてきて、ここまで言わなくてもよさそうなのですが・・・。 

 

北斗七星の話(子どもに語るモンゴルの昔話/蓮見治雄訳・再話 平田美恵子再話/こぐま社/2004年)
        
  一人目の男(山かかえ)・・・山をかかえるほどの力持ち
  二人目の男(長うで)・・・・天まで伸びる腕をもつ男
  三人目の男(聞き耳)・・・・どんな遠くの話でも聞こえる耳を持つ男
  四人目の男(はやあし)・・・とてつもなく早く走る
  五人目の男(のみつくし)・・海の水まで飲み干す男

 

王子の五人の援助者たち(ウズベキスタン)(シルクロードの民話3/小澤俊夫編 浅岡泰子訳/(株)ぎょうせい/2000年初版)


   一人目の男(力持ち)・・巨人のように太った男
   二人目の男(聞き耳)・・どんな遠くの話でも聞こえる耳を持つ男
   三人目の男(長うで)・・どこまでも伸びる腕をもつ男
   四人目の男(冷たい男)・世界中を凍らせてしまう男
   五人目の男(見える男)・どんなところでも見え、人間が何を考えているか読み取ることができる男

 主人公は王子で、ある姫君に求婚する話。難題をだすのは、王妃。

 

のっぽ、ふとっちょ、千里眼(金色の髪のお姫さま チェコの昔話/カレル・ヤロミール・エルベン文 アルトゥシ・シャイネル絵 木村有子訳/岩波書店/2012年初版)

 このチェコの昔話は登場人物がやや少なく三人。

 名前のとおりだが、のっぽは自由自在に伸び、ふとっちょも自在にふとれる。千里眼は普段目隠しをしているが、鋭い目でじっと見つめると、見つめられたものは燃えるか、木端微塵になってしまうというもの。

 花嫁を探しに行った王子は三人の力をかりて、魔法使いがだした課題をやりとげます。魔法使いが住む鉄の城には、大勢の人間が石にかえられていたが、魔法使いがカラスになって城をでていくと、みんな元の姿にもどります。

 三人は王子からぜひとも城に残ってほしいと頼まれるが、自由な生活をもとめて旅立つ。最後に三人が旅にでるというあたりが、昔の西部劇のラストシーンを思わせる。


グドーさんのおさんぽびより

2019年07月23日 | 創作(日本)

   グドーさんのおさんぽびより/文・たかどの ほうこ 絵・佐々木マキ/福音館書店/2018年

 

春夏秋冬おのおの5話づつ、春からはじまり春でおわる20話。

大事件がおこるわけではありませんが、日常生活ではちょっとした出来事が。

息の合った中年のグドーさん、イカサワさん、9歳のキーコちゃんが、お散歩したり喫茶店にいってだべったりします。

「とっさのひとこと」ってなに?

イカサワさんが、外国人の若者から道を聞かれとっさに出た英語。昔覚えた文がすらすらでてきて、「二つ目の角を曲がって、5,6分歩くと右手に駅が見えます」と答えます。でも本当は二つ目の角にあるバス停から駅生きのバスに乗ってください」といわなければならなかったのです。

言い間違えて青ざめたイトカワさんに、グドーさんは「そっちにいって偶然いいことがあるかもしれない」と無責任にいいます。

散歩をつづけていると、通りの反対側に、さっきの若者が。

若者は以前世話になったおばさんを訪ねるところでしたが、たまたまデパートに買い物に来たおばさんと出会ったのです。

イトカワさんの間違いで、若者はおばさんにあえたのです。ただしく行ったら、おばさんは留守でした。

「アマリリス」

キーコちゃんが、ゴドーさんに鉢植えのアマリリスをもっていくと、ちょうどイトカワさんと<アマリリス>を合奏するところ。

イトカワさんは、チェロ、グドーさんはフルート。キーコちゃんは体育すわりをすると合奏がはじまります。

ところが、なんともうるさい音、チェロもフルートも何とも言えない音。ところがアマリリスが音から遠ざかろうと身をかたむけ、そのうち上へ上へ伸びあがっていきます。

ところが合奏がおわったとたん、アマリリスが、とじていた花びらが、つめていた息をはきだすようにラッパの形に開きました。

音楽の偉大さに感激した三人でした。

 

どの話もオチがあって楽しめました。佐々木マキさんの絵もほのぼのしています。


ぶっかけろ、ジャネット・・フランス

2019年07月22日 | 昔話(ヨーロッパ)

         世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1988年


 ”ぶっかけろ、ジャネット”と叫んだのは、年とった木こり。ジャネットはおかみさん。

 スープなべの中身をかけられたのは、オオカミでした。

 冬、この土地に住んでいるのは、木こり夫婦だけ。ほかの人たちは冬になると山をおりていました。

 しばらくして、木こりが森の中で、時間をわすれて薪の束をつくっていると、遭遇したのは、いつかスープをかけられてやけどをしたオオカミ。

 においで、あのときの木こりとわかったオオカミは、モミの木に登った木こりに、いつかの仕返しをしようとします。

 オオカミたちが相談してとったのは、木の根元にはやけどをしたオオカミ、その上に仲間がのり、またその上に仲間がのって、木のてっぺんの木こりにせまります。

 あわや木こりがつかまろうとしたとき、木こりが”ぶっかけろ、ジャネット”とさけぶと、このことばをおぼえていたオオカミが、煮え立ったスープなべのことを思い出し、飛び上がってしまい、上に乗っていたオオカミはみんな下に落ちてしまいます。

 クリスマスがちかづいて、木こりは小さな樽をそりに乗せて、買い物にでかけます。ところが途中山賊にであって、樽のなかに詰められ、谷底に落とされてしまいます。

 運よく助かった木こりですが、またまたやってきたのがやけどをしたオオカミ。

 樽の穴からオオカミのしっぽをつかんだ木こりが、”ぶっかけろ、ジャネット”と叫ぶと、オオカミは樽を引っ張って必死になって走り出します。ついた先は、木こり夫婦の小屋の前。

 木こりが、樽の中から”ジャネット、ジャネット”とよぶと、声に気がついたおかみさんが、すぐにだしてやります。

 こうした昔話は、年齢をとわず、だれでも楽しめそうです。

 

  あとから気がつきましたが、村上豊さんの絵本がありました(ぶっかけろジャネット/:作・絵 村上豊/チャイルド本社/2009年)。オオカミが何匹もつながるさまは、たしかに絵になります。

   


いちばにいくファルガさん

2019年07月21日 | 絵本(外国)

   いちばにいくファルガさん/文・チトラ・サウンダー 絵・カニカ・ナイル 長谷川善史・訳/光村教育図書/2015年

 

 長谷川さんの訳は、はじめて。文字の大きさもいろいろ、擬音語はカラーだったりとデザインもカラフル。そして絵も落ち着いた色合いです。

 今日は市が立つ日。ファルガさんは荷車にトマト・タマネギ・トウガラシ・コリアンダー・しろいいたまごに あかいたまご・アヒルのたまごものせて出発です。

 荷車を引く牛の足並みはかろやかに「トロット トロット トロット」

 ところが「デコボコ」道に穴が・・。しろいたまごが われてしまいます。

 「トロット トロット トロット」。アヒルの親子が横切って「わーっ!」。牛が止まると荷車がぐらつき、かごがたおれ、ふくろが滑り落ち、コリアンダーとトウガラシはタマネギのしたじき。あかいたまごにもひびがはいってしまいます。

 市場までは、まだ遠い。でもトマトもタマネギも、アヒルのたまごも あるからと気を取り直し「さあ、ゆっくりいこう」。

 ところがブーブー、大きなトラックが横をおいこし、牛は道をそれ、アヒルのたまごがタマネギの上におちてわれてしまいます。

 とうとう 全部のたまごに ひびがはいり、コリアンダーもトウガラシも すっかりおしつぶされ「もうだめだ かえろうか」。

 「いやいや、いけば なんとかなるさ」

 やっと市場に着くと、キサンの店をみつけ、ファルガさんなにやら、はじめます・・。

 「禍を転じて福と為す」「転んでもただは起きぬ」存在感抜群のファルガさん、なかなかです。

 コンクリートの道ではイメージがわきませんが、ちょっと砂埃のする道を牛と市場にむかうインドの地方の風景も感じます。


かわうそモグ

2019年07月20日 | 長谷川善史

      かわうそモグ/文・小森香折 絵・長谷川善史/BL出版/2019年

 

 かわうそのモグが娘にばけて のりこんだのは、おいしそうなウナギのにおいがする「うまいウナギ屋」。

 というのも兄のアオメがとったまるまるふとったフナを食べようとすると「食べたかったら自分でとれよ。おまえにつかまるウナギは いないだろうけれどね」と馬鹿にされたこと。

 川に飛び込んでウナギをさがしますが、いくらさがしてもウナギはみつかりません。そのとき人間の声がして「いやあ、きょうの山越えはきつかったな。ウナギでも食べて せいを つけましょうか」と、話していました。

 「人間の町には、ぜったいに近ずくな」とアオメにいわれていたのですが、モグは、人間のやつがウナギをよこどりしてるんだと、娘にばけてウナギ屋にいきます。

 ところが、ウナギ屋の若旦那が、ウナギの入ったかめをひっくりかえしてしまったから、さあ大変。 

 ウナギがシュルシュルにげまわり、つかまえることができません。

 「まかしとけ」とモグは、調理場にとびこみ、はっしはっしとウナギをつかまえ、かめにほうりこみます。そしてモグの口にはたっぷりとつばがわいて、がまんできないとウナギをぼりぼり食べはじめます。

 ところが着物のすそからしっぽがぽろり。正体がばれて網でつかまえられてしまいます。

 かわうそを買っていったのは人相の悪い男。味噌鍋にされそうになりますが・・・・。

 男がにまりと笑って、鉈をふりあげるシーンは、ちょっと怖い。

 キツネがばけるのは、多々ありますが、かわうそもばけるんですね。けれど影はかわうそのまま。

 いじわるそうな兄ですが、危機のときは弟を救ってくれるやさしいお兄ちゃんです。


おカバさま

2019年07月19日 | 星 新一

    おカバさま/星新一ちょっと長めのショートショート/七人の犯罪者/理論社/2007年

 

 AIの進化で、人間がしていた仕事がロボットなどにおきかわるのが現実になりました。そして膨大なデータを分析したコンピューターの判断が重要視されるようにもなりました。

 星新一さんは1997年に亡くなられていますが、近未来をうつしだしたショートにどっきりします。

 コンピューターが「これからはカバを大切にせよ。呼び捨てにしてはいかん。おカバさまと呼ぶのだ。この指示に逆らうものがあれば、厳罰にせよ・・」と指示を出してからは、車に食料をつんでいたらカバの前にさしださなければならないし、カバが車にぶつかりけがをした場合は、たとえ停車中であっても非は人間にあるとされてしまいました。

 もちろんカバを尊敬し「おカバさま」とよぶのは、当たり前。

 おカバさまがプールに入ったら水の温度を調節するのは人間の仕事。水が冷たいと急いでお湯を加え、適当な温度にしなければなりません。

 <おカバさま省>という役所もつくられ、カバの繁殖をたかめるホルモン剤を製造したり、危害を加えようとする者を取り締まる警察機構でもありました。おカバさまを大事にしない者は逮捕され囚人部隊に編入されてしまいます。

 おカバさまがどんどんふえ、さすがに人々が、これは少しおかしいんじゃないか、コンピューターがくるっているんじゃないかと かすかに疑問をもちかけたとき、世界に異変がおこりました。家畜の伝染病が大流行し、家畜のほとんどが全滅してしまったのです。

 コンピューターの次の指示は、カバを食えという。おまけに、おカバさまをおいしく食べる料理法も指示。指示された料理法でカバを食べると、とてもおいしい。カバだけは伝染病にやられなかったので、栄養失調で大量の死者もでずにすみました。

 人類の危機を未然に防いでくれたコンピューターへの人々の信頼は、さらに高まりました。

 この事件の後、コンピューターの配線にかすかな狂いがでました。

 次の指示は<人間はこれからは、たってあるいてはいかん。よつんばいであるくべである>と。

 しかし、だれもが、この指示を無茶だとは思う人はいませんでした。

 

 この小説、別にカバでなくてもよさそうですが”カバ”を逆に読むと”バカ”。意味深です。物語の世界ですが、妙に現実的です。 


ごろりん たまねぎ

2019年07月18日 | 絵本(自然)

    ごろりんたまねぎ/作・絵 いわさ ゆうこ/童心社/2018年

 

 昨年さんざんだった我が家のたまねぎも、今年はまあまあのでき。四か月ぐらいは買わなくてもすみそうです。

 台所にかかせないたまねぎの生育や特徴、種類などが、丹念に描かれています。写真を利用するのもありますが、手書きの方がリアルというのも不思議です。

 「たまねぎは ぷくんと たまが できるよね」

 「はたけに いっぱい つんつく はっぱ つちの うえには ぽっこり たまねぎ ならんで すわっている」

 「ごろりん たまねぎ ぶらさがり かぜに ふかれて いいきもち」

 詩の表現もやさしい。

 身近な野菜のことを知ることが食育の第一歩でしょうか。


よいしょ よいしょ

2019年07月18日 | 紙芝居

         よいしょよいしょ/脚本・絵 まつい のりこ/童心社/2008年

 

 かわいらしいタコがひっぱっているのは、くつ。それも八つ。タコの足が八本と連想できれば、すぐに紙芝居の中へはいっていけそうです。

 うまがひっぱっているのはにんじんですが、二枚並べないとよくわかりません。紙芝居で二枚ならべるのは、工夫が必要です。

 こびと、ぞうがひっぱっているのは?

 えんじかたによっていろいろ応用できるつくりになって、おわりのほうででてくるものは、おひさま、ケーキ、サンタ、機関車、こびと、まほうつかいとありますから、季節に応じた利用もできます。

 こどもたちと一緒に”よいしょ””よいしょ”と声をかけながら、次になにがでてくるか想像するのも楽しそうです。

 会話しながらすすめられるのも紙芝居のよさです。


におい山脈

2019年07月17日 | 絵本(日本)

    におい山脈/椋鳩十・作 梶山俊夫・絵/復刊ドットコム/2019年

 

 1972年にあすなろ書房から発行されていますが、2019年に復刊ドットコムから発行されているものをみました。

 初版からほぼ50年。当時日本は高度経済成長の時代。一方公害やゴミ問題が深刻化していました。

 日本ではゴミ問題は収束したようにみえますが、いま海洋のプラスチックごみが、世界的に問題になっています。 日本のプラスチックゴミも全部がリサイクルされるわけではなく、中国が輸入をやめ、ベトナム、タイ、マレーシア、台湾などに輸出されていといいます。

 生活の利便性が、一方では環境問題をひきおこす図式は変わりません。

 

 動物たちはたいへんこまっていました。人間たちが、なんの相談もなく、山をきりくずし、団地や、工場を造り、ダムも作ったので、住むところも食べ物もなくなってきました。
 このままでは、死に絶えてしまかもしれないと、動物たちは地球会議を開くことにしました。
 三日三晩さけびあい、動物たちは人間の嫌いなゴミを集めて、山を作ることにしました。

 地球上の動物たちがゴミあつめにかかったので、街も海岸も、きれいになり、あっという間にゴミはひとつもなくなります。

 ところが思い切って捨てても、あっという間にきれいになるならと考えて、人間は前にもましてどんどんゴミを捨てます。それでも翌朝になるとゴミはきれいにかたずけられています。

 「こんな うまいはなしはない。すてろ!すてろ!、どんどんすてろ!」

 ある朝、人間がずっとむこうに空高くそびえているものを発見します。ゴミ山脈でした。

 ゴミ山脈は北海道から沖縄まで。インドからロシアまで。ヨーロッパ大陸にもいくつものゴミ山脈が。

 その山脈をめざして人間を悩ましていたゴキブリやネズミがうつっていきます。そのあとをおってトンビもキンバエも、カラスもクソバチも、はたけあらしのイノシシもタヌキもです。

 いいことだらけのようでしたが・・・。

 ところがゴミ山脈から、あたまがいたくなるようないやな、においが流れてくるのです。

 人間は、飛行機を飛ばし地球を取り巻く山脈に香水をまきちらしてしのぎますが、今度はゴミ山脈のなかからメタンガスが外にでようと暴れはじめます。

 はなもねじれるほどのくささに、動物たちもたまりません。

 人間は、おばけみたいな巨大なブルドーザーで山脈をけずりとり海の中に投げ込みます。

 日本海もゴミでうずめられ、ロシアと中国と陸続きになり、大西洋もなくなってヨーロッパとアメリカはどこでも自動車でいけるようなりました。

 いやなにおいもなくなって、また便利ですみよいところになったと思ったら、今度は海が出口を求めて、陸地めがけておしよせ、地球の陸地をみんなのみ込んでしまいました。

 こんななかでも地上に住むことの できた人たちがいました。それは、文明に追いまくられ 山の上へと上へと、のぼって ほんとに ひそやかに 自然と ともに住んでいたチベットの人々や アンデスのインディオのような人々だったのです。

 楽しく読めるという絵本ではありませんが、ゴミ山脈のにおいに、百万匹のイタチやスカンクが立ち向かうようすもコミカルにえがかれています。

 おしまいに、先住民によせる椋鳩十(1905-1987)のやさしい思いが、印象に残りました。