・小さい白いにわとり
保育園のおはなし会で「小さい白いにわとり」を聞く機会がありました。
昭和30年から51年の小学校教科書にのっていて、ずっと記憶に残っている方も多いようです。
小麦をめぐってブタ、ネコ、イヌは育てることに一切かかわらず、小さい白いメンドリが小麦を育て、いざパンができて誰が食べるかとなったときに、ブタ、ネコ、イヌは”食べる”と言いだします。
教科書版はここでおわっていて、いろいろ議論させるようになっているようです。
働かざるもの食うべからずというのもあれば、みんなにも食べさせてあげるという議論があったようです。
・小さな赤いメンドリ(語ってあげてよ!子どもたちに/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2002年)
マ-ガレット版では、「ちいさな赤いメンドリ」で、ネコ、イヌ、ネズミがでてきます。
”だれが小麦をうえるの”ちいさい赤いメンドリがきくと
”あたしじゃない”ネコが言いました。
”ぼくじゃない”イヌが言いました。
”おいらじゃない”ネズミが言いました。
”だれが小麦をかりとるの”ちいさい赤いメンドリがきくと
”あたしじゃない”ネコが言いました。
”ぼくじゃない”イヌが言いました。
”おいらじゃない”ネズミが言いました。
同じようなやりとりが続き、最後パンができると、ちいさな赤いメンドリは
”いいえ、あなたたちじゃないの! わたしがたべるの”と明快です。
繰り返しが楽しい話で、覚えやすく、いざというとき役立ちそうです。
会話の様子からいうと、ネコは女性、イヌとネズミは男性でしょうか。
・オンドリとネズミと小さい赤いメンドリ(愛蔵版おはなしのろうそく6 東京子ども図書館編)
イギリスの昔話です。上とおなじようなリズムでつづきますが、やや複雑な構成になっています。
ある丘にオンドリとネズミ、小さな赤いメンドリがすんでいる家があって、その丘の近くのひどいあばらやに、とてもわるい大きなキツネが一匹と、小さいキツネが四匹すんでいました。
腹ペコの子キツネからねだられて、オンドリとネズミ、メンドリがいる家にでかけた大きく悪いキツネ。
一方、オンドリとネズミは、朝からきげんがわるく、暑い寒いなど文句ばかり。
小さな赤いメンドリが「だれが、たきつけをとってきてくれる?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがとってくるわ」とメンドリ。
小さな赤いメンドリが「だれが、やかんに泉の水をくんできてくれる?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがくんでくるわ」とメンドリ。
小さな赤いメンドリが「だれが、朝ごはんのしたくする?」と、ききますが、オンドリもネズミも「いやだよ」。「それじゃ、わたしがやるわ」とメンドリ。
朝ご飯のかたずけ、ベッドをつくるのもやはりメンドリ。
なまけものオンドリとネズミが、火のそばでぐっすり寝込んでいるところにやってきた、大きなわるいキツネは、二匹とも袋の中に、ポイと放り込んでしまいます。そしてメンドリも袋のなかへ。ところが、その日は、お日さまがぎらぎらてっていて、キツネは、ほんの少し木の下で昼寝をしていこうと考え、眠りこんでしまいます。
食べられるのを覚悟したオンドリとネズミは、なまけたことを反省します。
ところが、メンドリは「心をいれかえるのに、おそいってことはないのよ」と、もっていた裁縫袋からはさみを取り出し、袋に穴をあけオンドリとネズミを外に出し、かわりに同じ重さの小石を袋につめます。それから針と糸を使って袋の穴をぬってしまうと、大急ぎで家に帰りドアをしめてしまいます。
一方目をさましたキツネはどうなったか?。キツネどんは、魚たちの魔法のほら穴にとじこめられしまい、それからは、キツネどんのすがたを見た人はいません。
ネズミとオンドリも不平をいうことはなくなり、どんな仕事もするようになったので小さい赤いメンドリは、ゆっくり休むことができました。
長めの話ですが、よく昔話を聞きなれた子にとっては、おなじみの場面が続きますので、時間は気にする必要はなさそうです。
ただ、「よろい戸」がでてきますが、子どもがイメージするのはむずかしいかも。
類似の絵本もでています。
めんどりとこむぎつぶ/小出正吾・文 安 泰・絵/フレーベル館/2006年
めんどり、ブタ、アヒル、ネズミですが、ひよこもでてきます。
繰り返しが楽しいのですが、それだけでなく小麦からパンをつくるまでが、丁寧に展開します。
めんどりかあさんが、懸命に働いているとき、ブタ、アヒル、ネズミが遊んでいる姿もあって、マーガレット版よりも想像が広がる感じです。
擬音語もリズミカルです。
おとなしいめんどり/ポール・ガルドン:文・絵 谷川 俊太郎・訳/童話館出版/1994年
メンドリ、イヌ、ネコ、ネズミが同じ家にすんでいるという設定です。