どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おとなのなかのこども

2021年02月28日 | 絵本(外国)

   おとなのなかのこども/ヘンリー・ブラックショー・作 いのうえ まい・訳/化学同人/2020年

 

 大人のどの絵にも子どもの絵が寄り添っていて、まるで一心同体。

 子どもでいるってことは、大人になっても ぜったいにわすれないことを 学ぶ時間なんだ、と いつのまにか子どものころを忘れてしまった大人に、やんわりと語りかけています。
 子どものころ、話しかけても 大人が ちゃんと 答えなかったことが なかったでしょうか。

 子どもにとって、大人は大きな大きな存在。ただ、大人だって、怖いものは怖いし、つらい気分になって、なきだしたりすることもある。

 いつか忘れてしまったころを、思い出させてくれます。子どもころの気持ちを 話あってみるきっかけになりそうです。

 ”おとなになるって どんなことなのかを しりたい こどものみなさんへ”と、子どもにむけていますが、大人の目線から見てしまいました。


トラ女・・中国

2021年02月26日 | 昔話(アジア)

       子どもに語る中国の昔話/松瀬七織・訳 湯沢朱美・再話/こぐま社/2009年

 

 昔、あるところに、母親と三人の娘がいました。母親が、おばあちゃんの誕生日を祝うため上等な小麦粉でつくった”桃まんじゅう”をつくってでかけると、三人の娘が留守番することになりました。

 母親は、途中であった若い女に食べられてしまいます。この若い女はトラ女でした。

 次に、トラ女は三人の娘が留守番する家にやってきて、戸を開けさせようとします。ここからグリムの「オオカミと七ひきの子ヤギ」の舞台。

 家の中に入り込んだトラ女は、いやがる娘たちをだまし、みんなを眠らせます。みんなが寝静まると、トラ女は、末娘をカリコリと食べてしまいます。その音を食べ物を食べる音とかんちがいした上のふたりが、何を食べたか聞きますが、だされたものが小さな指なのでびっくり仰天。逃げ出そうとしますが、トラ女は、離してくれません。ここからは「三枚のお札」の舞台。

 おしっこがしたいと外に出ると、二人は木の上によじのぼります。

 二人は、縄を引っ張り上げるからとトラ女にいい、もうちょっというところで手を放したのでトラ女は地面に落ちてしまいます。

 怒ったトラ女は、「このがきども、東山で牙を研いできたら、食ってやる!」とさけんで、行ってしまいます。

 木からおりた二人があまりの恐ろしさから、道ばたで泣いていると、小間物売りの女が、オンドルの上に、針をまいておくようにいいました。

 次にやってきた爆竹売りは、爆竹の一つは火鉢に、もうひとつは、竈の焚口にうめておくようにいい、さらに石臼売りは、石臼を戸口に、ぼろ縄でしばるよういいます。

 ここからは「さるかに合戦」の舞台です。

 ふたりは、石臼にぺしゃんこに押しつぶされたトラ女を、鍋でグツグツ煮て食べてしまい、骨を外のたい肥のなかにうめておきました。しばらくして、そのたい肥を使った白菜がみごとなのをみて、行商人がお針道具とひきかえに白菜を箱に入れて、天秤棒でかついでいきました。

 ところが、すこしいくと、荷物が重くなりはじめ、歩けば歩くほど重くなります。どうしたことだろうと、荷を下ろし、箱を開けてみると、一つの箱からは母親が、もう一つの箱からは末娘が出てきました。行商人は、二人を家まで送っていきました。

 上の二人は、大喜びで二人を迎え、みんなそろって幸せに暮らしました。

 

 オオカミだったり山姥だったり、国によってキャラクターはちがいますが、どこかできいたことのあるような展開をするのが昔話です。母親、末娘が白菜から生き返るのは、おなかをきりひらいてでてくよりは、しっくりします。


トケビと乞食兄弟

2021年02月25日 | 昔話(アジア)

       キムさんの韓国民話/野村敬子・編 藤田のりとし・絵/星の環会/2001年

 

 「トッケビ」は「トケビ」ともいうのでしょうか。この話のイラストでは、日本の鬼を思わせます。

 この韓国民話では、「むかし むかし 虎が煙草をすっていたころ」と、はじまります。

 

 親を早くになくして、住む家もなく、あっちこっちと放浪して乞食をしながら暮らしていた兄弟がいました。

 このお兄さんは、ものすごく性格が悪く、いじわるで、弟をいつもなぐるは、けるはしていました。

 ある日、お兄さんはキアジブ(財産のある家)、弟はチョガジプ(藁ぶきの家)のところに、物乞いにいきました。ところがキワジブの村では、伝染病が流行っていて、家々は戸をびっしり閉めて、だれも入れませんでした。チョガジプの村に行った弟は、めでたいことがあったので、ごちそうをもらって、腹いっぱい食べることができました。それだけでなく、弟は自分の食べる分だけでなく、兄の分も持ち帰ることができました。

 次の日、兄弟は物乞いにいく村を交代することにしました。ところが兄がいったチョガジプの村では、お祭りが終わって、みんな働きにいって村はからっぽでした。弟がいったキアジブの村では、伝染病が全部通り過ぎて、お餅を腹いっぱいごちそうになりました。弟はお餅をいっぱいもらって帰りましたが、それをみた兄は、腹を立てて、自分の食べていた箸で、弟の目を刺してしまいました。

 追い出された弟が山の奥へはいっていくと、何か声がしました。かくれて話を聞いていると、そこで話しているのはトケビたちでした。

 トケビの一人は、弟の目が見えるようになる方法、お金持ちの家の一人娘の病気の治る方法、日照りで困って村に、水をもたらす方法を話していました。

 これをきいた弟が、トケビの言うとおりすると、それはすべて本当のことでした。

 金持ちのむすめの病気を治したら結婚するというのが多い昔話ですが、この話ではお金もをもらいます。そして、兄がでてこないのも特徴でしょうか。


鬼ぞろぞろ

2021年02月24日 | 絵本(昔話・日本)

      鬼ぞろぞろ/舟崎克彦・文 赤羽末吉・絵/偕成社/1978年

 
 
 おおみそかの夜おそく、堀川橋をわたってくる鬼の行列にでくわした身分の低い侍。
 食われれてしまうと観念した男。しかし、鬼の頭の一言で、命だけは助かったのはよかったのだが、鬼から、つばをはきかけられ姿がみえなくなってしまいました。
 いくらなげいても、元の姿にもどれない。そこで神仏の力にすがろうと、元日の朝から、三条の六角堂にいって、いっしんにいのりつづけます。
 腹が減ると、おまいりの客の弁当を盗み食いしてしのいでいたが、どうせのことなら、人の目に見えぬのを幸いに、一儲けしようと、夜になると、お堂にこもっている客たちの荷物を、そろりそろりとくすねる。日の高いうちは、いっしんにお祈りし、夜になれば盗みを働き、すぐ近くのあばらやへ、隠します。そのうち、男は町に出て金持ちの屋敷を狙い始めます。
 
 あばらやは、またたくまに 宝物でいっぱいになり、あとは観音さまが、すがたを、もとどおりにしてくだされば、働かずとも、楽に暮らせると思っていた男。
 
 ある日、夢のなかで、観音さまの「ここをでて、はじめにあったものの、いうことを聞くがよい。それから先は、幸福になるもならぬのも、お前次第じゃ」というおつげを聞きます。
 
 お堂を出て、男が、はじめにあったのは、おそろしげな牛飼いの男。仕事を手伝えといわれ、牛飼いの後をついていくと、そこは大きな屋敷。
 座敷には、病気の姫君がふせっていて、牛飼いは、槌で女の体を打つことをせまります。 おそろしさから、男はいわれた通り、姫のからだを打ちはじめますが、姫の哀れな声を聞くと、自分のやっていることががまんできなくなります。
「なぜ、おれが こんなうらみもない人を いためつけなければならないんだ。こんなにして、盗みをはたらいたり、人をいたいめにあわせたりしているうちに、おれは人間の心をなくしてしまうぞ。それどころか、もう二度と 人減の姿にもどれなくなってしまうんだ。」
 男はとっさに手にした槌を牛飼いに、投げつけます。槌が牛飼いに命中すると、姿はみえなくなり、同時に男の体が、はげしく火をふいてもえあがり、そのなかから、それまできえていた姿があらわれました。
 牛飼いが消えたとたん、姫ぎみは、みるからに、すこやかなようすで、床からおきあがっていました。牛飼いは、鬼の手下で、長いこと姫にとりつき、苦しめていたようでした。
 
 姫を救った男は、まもなくその屋敷の跡取りにむかえられ、幸福に暮らしたという。
 
 
 
 今昔物語がもとになっているといいます。
 
 観音さまにお祈りしながら、一方では盗みを働く男。
 良心がとがめ、観音さまのお告げをきこうとせず姫を助ける男。どちらも同一人物です。
 
 ”あぶく銭身につかず”という格言通り、盗んだお宝が、あとかたもなくなる結末はすっきりしています。
 
 鬼の行列は恐ろしそうで迫力満点です。
 

つばきレストラン

2021年02月23日 | 絵本(日本)

      つばきレストラン/おおたぐろ/まり・作/福音館書店/2020年(2014年初出)

 

冬に真っ赤な花が咲く椿。

食べるものがなくなった小鳥たちが蜜を吸いにやってきます。

メジロ?かな。

メジロの次は?

赤い花びらが鮮やか。

あれあれ、とってもおおきなおきゃくさんが やってきました。

指で、蜜を舐めています。小さな女の子でした。

寒々とした風景に花を開く椿をみると、ほっとします。

 

わがやの椿には、蕾がいっぱいです。


ルー・パンの大工修業・・中国

2021年02月22日 | 昔話(アジア)

      子どもに語る中国の昔話/松瀬七織・訳 湯沢朱美・再話/こぐま社/2009年

 

 中国で、大工の神さまといわれるルーパンの修業時代の話です。

 腕のいい大工の父親のもとで、大工仕事を習っていたルー・パン。

 息子が腕を上げ、もう教えることはないと思った父親は、「家を出て、修業に行くのだ。ルー・パンよ、上には上があるものだ。名人といわれる親方に弟子入りして、二つとない技を身につけるまでは、帰ってきてはならない。」と、息子を修行の旅に送り出します。

 ルー・パンは、道みち大工仕事でお金を稼ぎながら、いい親方がいると聞けば、どんなに遠くても、どんなにけわしい山の中でも、教えを請いにいきました。けれども、父親より腕のいい親方はいませんでした。

 家に帰ろうと思ったルー・パンでしたが、「二つとない技を身につけるまでは、帰ってきてはならない。」という父親の言葉を思い出し、修行の旅をつづけました。

 ある日、両側から橋を作り、真ん中でぴったりあわせるという工事の最後の仕上げをしたおじいさんに感嘆したルー・パンは、その場にいた親方からきいた黄石山にいるという棟梁を訪ねることにしました。

 三つの川をわたり、三つの山を越え、大蛇を退治し、やがて深い谷にたどりつきますが、谷は渡れそうもありません。しかしそこにあった見上げるような木を切り倒し、谷にわたしました。

 ようやく黄石山についたルー・パンに、棟梁から、いくつかの質問がだされます。答えられたら弟子にしてやるというのです。

 だされた質問にこたえたルー・パンは、やがておおきな橋をかけるため、黄石山をおりていきます。

 ここでだされた質問は、現代にも通用しそうです。

 ・同じ一つの技を教えたら、一人は三年、もう一人は三月でものにし、三人目は三日でものにした。誰が一番みこみがあるか?

 ・ある大工に二人の弟子がいた。兄弟子は、よそで三年働き、親方に金一袋もちかえり、弟弟子は、人々のこころに親方の名前をきざみつけた。おまえが親方だったら、どっちの弟子がいいか?。

 ・鉄の塊から、大工が使う道具をつくること。

 主人公が、とくに大きな事件に巻き込まれることもなく、ひたすら大工の技を極めようとする姿は、今にも通用します。


吉田家住宅

2021年02月21日 | ちょっと遠出

JR八高線竹沢駅の近くにある吉田家住宅。

柱に貼りつけてあった棟札から建築年が判明。今年で三百年になります。

実年代のわかる県内最古の民家で、1988年に国の重要文化財建造物に指定されています。
小川駅から車だとすぐいけますが、足が自転車だけなので、えっちらこっちら。40分。

まあ、遠出とは言えない時間ですが・・・。

囲炉裏で、薪の火が出迎えてくれました。

イベントも実施されていて、こんな古民家で、昔話を聞くのは、ぴったりしますが、気軽に行けないのがもったいない感じ。

 

 


雲をつかむはなし

2021年02月20日 | 絵本(日本)

      雲をつかむはなし/あべ弘士/パイプライン/2017年

 

 カワセミは、なかよしのカモシカに、みつけた魚の話をします。

 「キツネよりも おおきなやつで、しかも、背中の模様が空の雲そっくりなんです」

 「カワセミ、そいちは おおものだ。で つかまえたのかね」

 「きのうも ねらいをつけて、とぼこもうとしました。でも・・」

 「あ、あいつの目が ギロッと ぼくをみるんです」

 カモシカも、ぜひ みてみたいと、カワセミと、川へ むかいます。

 カモシカはじっと 川を見ています。

 「カワセミ、よし、いけ!」

 どれくらい たっただろうか。

 きた!

 カワセミは、まっすぐらに 川へ とびこみます。

 空に雲が かけのぼっていきます。

 

 もう一歩、躊躇するカワセミが、カモシカに背中をおされて、巨大な魚に挑むといえば、格好いいのですが、巨大な巨大な魚が、山の上で笑っている姿は、まさに「雲をつかむはなし」という、信じがたい話でした。


しょうてんがいはふしぎどおり

2021年02月19日 | 絵本(日本)

   しょうてんがいはふしぎどおり/内田麟太郎・作 村田エミコ・絵/佼成出版社/2014年

 

 「あけぼの商店街」には、パン屋、八百屋、そば屋、時計店、古書店、お茶屋、床屋、喫茶店など小さなお店がいっぱい。

 おばあちゃんとあるく商店街は、ふしぎなとおりになります。

 時計屋さんの砂時計では、ラクダに乗った王子さまとお姫さまが ろろん ろろん ろろん ろろん と砂漠を歩いています。

 本屋さんでは、てんとうむし、かまきりなど 本の虫?が読書中。

 本の虫だったゆうくんは 大工さんに、あやちゃんは 先生にタイムスリップ。

 豆腐屋さんでは、人間に姿を変えたきつねが 買い物していますが、影には しっぽと ばればれ。

 お茶屋さんの狸の置物は、夜になると、きつね、ねこたちと、お酒を飲みながら月見です。

 

 版画で描かれた商店街は、大勢の人が行きかう活気のある街です。

 まだまだ頑張っている商店街がある一方、いろいろなお店が軒を並べ、昔の遊び仲間がお店をやっているというのは、だんだんみられなくなりました。町を散歩していると、お店はやっていないが、八百屋、金物店、洋品店、テーラーなどの看板だけが残っていて、昔の商店の名残がのこっています。

 子どもが多かったときには、商店街の人が子どもたちを見守っていたのもありますが、こんな人情味もなくなったのはいつごろからでしょうか。


もりのおふとん

2021年02月18日 | 絵本(日本)

      もりのおふとん/西村敏雄:作/福音館書店/2020年(初出2018年)

 

 おやおや 森の奥におおきな布団がありました。

 ライオンがやってきて、「あれ? こんなところに ふとんがある。だれのかな・・?」。ライオンは布団にはいってみました。「ふかふか おふとん いいきもち!」。

 そこへワニ、ブタの兄弟、サル、カバ、ウマ、ヒツジたちが次々やってきて、布団に入ります。

 「 いいきもち!」と、みんなが寝ていると、ずる、ずるずる ずるずるずるずる ずる~っ! と誰かが布団を引っ張りました。

 たくさんの動物がはいれる布団の持ち主は?

 動物も可愛くて ほんわかします。


水牛とべこ・・フィリピン

2021年02月17日 | 昔話(東南アジア)

     フィリピンの民話/山形のおかあさん須藤オリーブ語さんの語り/野村敬子・編 三栗沙緒子・絵/星の環会/1993年

 

 仲良しの水牛とべこ(牛)の話。

 楽しいのは、人間が服を脱いで、お風呂に入るように、水牛とべこも、自分たちの皮を脱いで川に入るということ。

 のんびり川で体を洗っていると、ざわざわ音がして、水牛とべこは、あわてて木の陰に隠していた自分たちの皮をだし着替え?ました。

 家に帰ってみると、水牛は自分の入った皮が、窮屈でたまりません。一方べこの皮は、がぼがぼ。慌てて着替えたので、皮が入れ替わったのでした。

 そのため、べこの首から胸にかけて、びろびろして皮があまってつき、水牛の方は、首から胸のところはぴちぴちに皮が張って、びっしり少しのゆるみもないように皮がはりついてしまったという。

 

 動物昔話もいろいろですが、皮をぬぐというのはなかったはず。


でんでんむしの かなしみ

2021年02月16日 | 絵本(日本)

     でんでんむしの かなしみ/新美南吉・作 かみやしん・絵/大日本図書/1999年初版

 

 「一年詩集の序」という詩と「でんでんむしのかなしみ」「里の春、山の春」「木の祭り」「でんでんむし」の四つの作品。

・でんでんむしの かなしみ

 一匹のでんでんむしが、ふと背中の殻には悲しみがいっぱいつまっているのではないかと気づきます。
 おともだちの でんでんむしに 背中の殻の悲しみのことをきくと、ともだちも、「あなたばかりでは ありません。わたしのせなかにも かなしみはいっぱいです。」というこたえがかえってきました。

 つぎつぎと 違うともだちのところへ訪ねていきますが、どのともだちの答えも同じでした。

 「悲しみは、だれでも もっているのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの 悲しみを こらえて いかなきゃ ならない」と、きがついた でんでんむしは もうなげくのを やめます。

 でんでんむしの悲しみは、どんなだったでしょう。

 一人ぼっちでないことにきがついた先には、希望があるのかも。

・里の春、山の春

 仔鹿、春とはどんなものか知りませんでした。お父ちゃんが「春には花が咲くのさ」とこたえると、「花ってどんなもの?」ときくと、「きれいなもの」と、おかあちゃんのこたえ。

 仔鹿が、音にひかれて、ひとりで山をおりていくと、野原には桜の花。仔鹿を見るとおじいさんが桜を一枝折って、小さい角に結びつけてくれました。

 しばらくすると、山の奥へも春がやってきて、いろんな花はさきはじめました。

 何度も春を経験すると、新鮮さが失われますが、一番はじめの春の訪れを感じたわくわく感があります。

・木の祭り

 野原の真ん中にぽつんとたつ木に白い美しい花がいっぱい咲きました。けれどもだれひとり「美しいなあ」と褒めてくれません。

 ところが木の花の匂いが小川を渡り、崖っぶちをすべりおりて、じゃがいも畑まで流れていくと、そこにいたちょうちょうたちは、木のところへいって、みんなで祭りをしてあげようということになりました。

 羽根がいちばん小さなシジミチョウが小川のふちで休んでいると蛍に気がつきました。遠慮する蛍を誘って、木にいくと、ちょうちょうたちは、木のまわりを大きなぼたん雪のようにとびまわり、疲れると白い花の蜜をすいました。夕方になると、蛍が自分の仲間をつれてきて木の一つ一つの花の中に泊まり、ちょうちょうたちは夜遅くまで遊びました。

 蛍と蝶が舞う幻想的な世界です。

・でんでんむし

 うまれたばかりのでんでんむしの子が、おかあさんに 聞いています。

 「あめは ふって いないの?」「ふって いないよ」

 「かぜは ふいて いないの?」「ふって いないよ」

 「みどりの はっぱよ」

 「はっぱの さきに たまが ひかっている」「あさつゆって もの きれいでしょ」

  見るもの、何もかもがふしぎなことばかり。

 でも、おかあさんにも、こたえられないものも。

 空のなかに だれかいるの?

 空の向こうに なにが あるの?


 おかあさんでも わからない ふしぎな とおい 空を、いつまでも みていた、でんでん虫の赤ちゃんに見えていたものはなんだったのでしょうか。
 

 かみやしんさんの淡い水彩画が、新美南吉の優しい世界を彩っています。 


木のまたアンティ・・フィンランド、三本の金の毛のある悪魔・・グリム、ほか

2021年02月15日 | 昔話(外国)

木のまたアンティ(フィンランド)(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱実 編訳/こぐま社/2001年初版)

 同じ話型の話も多いが、人間の幸せとは何かをさぐるために旅するというのに魅かれるフィンランドの話。

 同じ家に泊まることになった、予言者と金持ちの毛皮商人。
 この家に生まれた赤ん坊が、金持ちの毛皮商人の跡取りになると予言者がいっているのを聞いた毛皮商人が、お金をわたして赤ん坊をもらいうけます。
(貧しい暮らしのため、子どもの幸せのため、商人の申し出をうけるというあたりに、当時の暮らしの様子がしのばれます)

 商人は森の木のまたに子どもにおきざりにしますが、狩人に助けられた子どもは、アンティという名前をつけられ、すくすく育つます。
 この狩人のところに一夜の宿をもとめてきたのが、毛皮商人。名前の由来を聞いた毛皮商人は、家族に大切な連絡をするため、アンティに手紙を届けてくれるよう狩人に話します。
(昔の旅というのは、泊まるところをさがすのに苦労したようだが、このことが逆に昔話の舞台の設定の上では好都合か)

 アンティがあずかった手紙は、「手紙を届けた者を殺してしまえ」とあったが、いたずら好きな二人組が、眠っているアンティの手紙を読んで、「手紙を届けた者を、娘と結婚させるように」と新しい手紙をアンティの手に持たせる。

 旅から帰ってきた毛皮商人は、娘と結婚したアンティをみて、驚きをかくせないが、「お前がわたしの跡取りとしてふさわしい人間だということを見せておくれ。わたしは、人間にとって幸せとは何か、知りたいのだ」といい、ポホヨラの北の館の女主人、かしこいロウヒのところいかせる。

 旅の途中、アンティは4つのことをお願いされることに。
 一つ目は、果物がならなくなったわけ
 二つ目は、城をあけるカギのありか
 三つ目は、ずっと木の上で暮らさなければならないわけ
 四つ目は、川の渡し守を、いつまでつづけるのか

 アンティは、ロウヒの娘の力をかりて、この答えを知ることに。

 ところで、人間にとって幸せとは何かとの問いかけに、ロウヒはこう答えます。
「人間の一番の幸せは、大地とともに働くこと。木を切りたおし、根を掘りおこし、石を集めて、水路をつくり、地面をたがやすこと」

 この話が、岩波おはなしの本では「アンチの運命」(かぎのない箱/瀬田貞二 訳/岩波書店/1963年初版)としてのっている。予言者が魔法使いとなっており、商人の娘がアリという名前ででてきます。
 また、こぐま社版では、ロウヒの娘とあるのが、岩波版では「虹むすめ」とされています。
 
        
三本の金の毛のある悪魔(グリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫/2007年初版)

 この話型と同じなのが、グリムの「三本の金の毛のある悪魔」であるが、このなかでは、ロウヒが悪魔、毛皮商人が王さまとしてあらわれる。
 書き換えられた手紙で、王さまの娘と結婚した若者が、王さまから、娘といっしょになりたかったら、地獄の悪魔の頭にはえている金の髪の毛を三本とってこいといわれてでかけていくが、途中で三つのお願いをされる。

 一つ目は、泉からワインが干上がったわけ
 二つ目は、リンゴの実がならないわけ
 三つ目は、川の渡し守を、いつまでつづけるのか
と、三つ目は同じ課題。

 主人公が若者となっていて、名前がとくにつけられていない。
 
 グリムの話よりは、個人的には、フィンランド版がすとんと入ると思うがどうだろうか。
 ただ、四つも課題があるのは整理してもおかしくはなさそう。



三本の金の髪の毛(チェコ)(松岡享子・訳/のら書店/2013年初版)

 グリムの話に近いが、渡し守が前の2つでは、何百年も同じことをし続けてきたとあるのに、チェコ版では、20年と短い(昔話の20年はあまり長さを感じさせません)。
 子どもの未来を予言するのが、「運命」だったり、ロウヒが太陽としてでてくる。



物知りじいやの三本の金色の髪(命の水/チェコの民話集/阿部賢一・訳/西村書店/2017年)    

 タイトルが松岡訳と異なります。

 子どもの運命を予言するには、三人のおばあさん、じつは女神。

 主人公は川をすいすいながれてきたのでスイスイという名前。

 太陽は 朝子ども、昼間は大人、夜にはじいやです。

 

太陽の王の三本の金の髪(太陽の木の枝 ジプシーのむかしばなし/内田莉莎子・訳/福音館文庫/2002年初版)

 主人公が太陽の王の金髪を三本を手にいれることに成功するが、ここで面白いのが、太陽の王。
 朝は小さい赤ん坊で、お昼は立派な大人、夕方は、よぼよぼのおじいさんというもの。
 また、王さまが臆病にえがかれているのも楽しい。鉄砲の音が怖いからとつかわず、狩りに出ても、きばやつめがが恐ろしく野獣や猛獣には手をだしません。


悪魔からぬいた黄金の毛(世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1988年)

 グリムがドイツならフランスにも同様の話があります。
 出だしはほかのものよりシンプルで、王さまが小さな男の子を川に流すところからはじまります。
 王さまが出した手紙を書き換えるのは、三人の娘です。
 この話では問答はなく、悪魔のおばあさんが若者に黄金の毛をとってくれます。

 渡し守がでてきて、王さまが渡し守と入れかわり、最後はおぼれてしまいます。

・悪魔の三本の毛(ラテンアメリカ民話集/三原幸久:編・訳/岩波文庫/2019年)

 ドミニカ共和国の話とされていますが、若者が最後にはスペインの国王になるので、スペインの昔話の影響がありそうです。

 予言の部分はなく、王女との結婚を許してもらうため、若者が悪魔のところにでかけるところからはじまります。 

 一つ目は、薬の泉からお酒がかれてしまったのはなぜか
 二つ目は、木に金のリンゴがならないのはなぜか
 三つ目は、川の渡し守を、いつまでつづけるのか
と、グリム版と同じ課題で旅を続けます。

 この若者は、悪魔のおかみさんの協力で、一匹のアリに姿を変え、悪魔の髪の毛三本を手に入れます。ほかの話では、王さまが渡し守になりますが、この話にはでてきません。

  

ふしぎなこじきたち(ラング世界童話集1 みどりいろの童話集/編訳 川端康成・野上彰/偕成社文庫/1977年初版)

 ラングの再話。
 三人のおとしよりが話す子どもの運命を聞いた、お金持ちの商人。
 子どもが大きくなって、この商人の娘と結婚し、へびの王さまのところに、12年間の地代をもらい、12艙の船の行方を聞くために、でかけることに。途中に、宿題をあたえられることも同じ展開。
 一つ目は、かしの木
 二つ目は、川の渡し船をいつまでやっていなくてはならないのか(ここでは30年とみじかい)
 三つ目は、クジラの背中を、人間や馬が歩いているが、いつまでつづけるのか

 ラングの再話はわかりやすくなっているが、長すぎるのが難点か。ただクジラがでてくるというのも珍しい。

 

 類話のどの話にも、苦労してでかけるわりには、髪の毛にどんな力があるのか不明というのも共通しています。


せきれい丸

2021年02月14日 | 田島征三

     せきれい丸/作・たじまゆきひこ きどうち よしみ/くもん出版/2020年初版

 

 冬の寒い朝、「明石のおばさんとこへ おいもと 魚を もっていってくれんか」と、お母さんにいわれ淡路島と明石をいききする「せきれい丸」に乗り込んだひろし。

 船長がとめるのも きかず むりやりのりこんでくる人たちと 船の中は ごっちゃになって、ひろしは デッキに あがりました。

 強い風と高い波。せきれい丸は 沖に出ると西風にあおられ、よこだおしになったまま 波に のみこまれてしまいました。

 ひろしの からだは ふかくふかく しずんでいきます。そのとき とおくで だれかが よんでいるようです。「おーい、りゅうた がんばれ!」

 いきなり ロープが 顔へ とんできました。「りゅうた! しっかりロープを つかめ。だいじょうぶや! 父ちゃんが きたから だいじょうぶや。しっかり つかまってとれよ」。むちゅうでロープをにぎったひろしは、たすけられましたが、りゅうたは みつかりませんでした。

 ひろしは、だまって 船を浜へ引き上げたり、網を干したり、魚を運んだりして、りゅうたのお父さんの手伝いをはじめました。

 ひろしは、りゅうたは、自分の代わりに しんでしまったという思いをもっていました。

 「ひろしくん、きみの せいで りゅうたは しんだんと違う。もう こんでもええよ」といわれながらも なんども、りゅうたくんの お父さんの手伝いに行く ひろしは お父さんに 漁にさそわれます。

 漁師の子どもらも のりこんだ 船は ひさしぶりの大漁に めぐまれました。 

 

 1945年12月9日、淡路島と明石をむすぶ連絡船「せきれい丸」が沈没し、304人が犠牲となった事故を題材にした絵本です。

 ひろしのお父さんがのった船は、アメリカ軍の攻撃でしずみ、りゅうたのおじさんは 戦争から戻っていない戦後の混乱がつづく時期。

 ひろしの「きみがなりたかった 漁師に ぼくはなるんや。淡路島の漁師に ぼくは きっと なってやる!」というさけびに、友だちの分も生きていこうという決意があふれていました。

 忘れ去られて行く過去には、まだまだ記憶に残すべきものがたくさんあります。


夜明けまえから、暗くなるまで

2021年02月13日 | 絵本(外国)

   夜明けまえから、暗くなるまで/文・ナタリー・キンジー・ワーノック 絵・メアリ・アゼアリアン 訳・千葉茂樹/BL出版/2006年

 

 アメリカ北部のバーモントにある丘の上の農場のまわりには、メープルやリンゴの木。

 牛を飼い。畑にはジャガイモ、トウモロコシ、ニンジン、トマト、レタス、キュウリ、カボチャなどの野菜。

 夏には、野イチゴ、ラズベリー、グースベリー、カランツなどが実ります。

 厳しい冬が7か月も続き、ときにはマイナス45度以下にまでさがる農場の一年の暮らしが、綿密な版画で色あざやにえがかれています。

 農作業や牛の世話は家族総出で、「夜明けまえから、暗くなるまで」続きます。

 遅い春には砂糖作りがはじまります。メープルの木に穴をあけ、その穴に金属でできた注ぎ口を打ち込み、バケツをつるします。バケツに樹液がたまると、タンクにうつし砂糖小屋へ。何千本という木にバケツをつるすのは、手足がこごえるほどの時期。

 四月はぬかるみの季節。泥がかわき草が生えはじめると、牛が逃げ出さないための柵作り。

 春の野菜作りの前には、霜柱がおしあげた畑のたくさんの石を拾い集めます。

 夏は干し草づくり。たくさんの雑草の草むしり。

 九月には学校。秋には木々の紅葉。そしてリンゴを収穫し、木を切り倒して冬の準備です。

 一年は、学校と家と教会、そして祖母の家での四つのクリスマスでおわります。

 そんななかでも、ぬかるんだ道に、泥をはねあげ、魚釣り、夏の夜は蛍の光で野球、冬には雪合戦、木の上から、サイロから、干し草用の荷車から飛び降りるスキーなどの楽しみもあります。

 「どこで暮らしても、きっと、ここがなつかしくなるんじゃない?」という、少女の問いに、兄たちの答えは?

 巻末には作者の幼いころの60年ほど前の家族写真がのっていて、実体験から描かれたようです。決して恵まれた環境ではありませんが、大地に根を下ろし逞しく暮らす家族。ここではゆっくりと時間が流れ、テレビもネットもありませんでした。