どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ふうたの雪まつり

2015年09月30日 | あまんきみこ

     ふうたの雪まつり/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 人間になって”かまくら”にいきたいというきつねのふうた。

 山のおじいさんからきいた人間にばける3つの方法の三つめがどうしても思い出せません。
 タクシー運転手の松井さんの車にあやうくぶつかりそうになったふうたですが、松井さんのアドバイスで何とか男の子になることができます。
 松井さんはふうたをかまくら通りでおろし、また走り始めます。

 松井さんは、何度か通りをとおりますが、そこにはふうたの後姿がみえます。かまくらを楽しんできたのかとおもっていたら・・・・。

 シャイなふうた、じつはかまくらにはいりたくてもはいれなかったことに気がついた松井さんは、一緒に入ろうと声をかけます。

 「おいしいね」と同じ言葉を八回も繰り返すふうた。かまくらのかで食べた重箱のごちそうが、よほどおいしかったようです。甘酒はおなかをあっためてくれます。


 かまくらは雪国ならではの光景。かまくらのなかって意外とあたたかいものです。
 かまくらのあたたかさが、そのまま話のなかのあたたかさです。

 あまんさんのお話は、善と悪、金持ちと貧乏、やさしいじいさんといじわるじいさんなど白黒をはっきりさせるえがきかたではありません。
 
 どのお話も、ほっこりするというのがぴったりです。

 ふうたくんは、春夏秋冬全ての季節のおはなしにでてきます。


ふしぎなふしぎなながぐつ

2015年09月29日 | 絵本(日本)
ふしぎなふしぎなながぐつ  

  ふしぎなふしぎなながぐつ/作:さとう さとる 絵:むらかみ つとむ/偕成社/1972年初版

 

 かおるが垣根の下で見つけた黄色の小さな長靴はかたっぽだけ。誰が置いていったのか忘れていったのかわからない長靴。

 次の日見ると長靴は少しずつ大きくなっていました。長靴に足を入れてみると、片足が消え、ひざが、ももが、おなかもむねも消え始めます。あわてて長靴をぬぐと、からだはもとどおりに。

 捨てるにはおしいと、戸棚のなかにいれると、次の日には戸棚からはみだしそうになります。
 あわてて物置小屋にいれると、まだまだ大きくなります。
 どこまで大きくなるか心配していると、今度は小さくなり始めます。

 小さくなった長靴を箱にいれ、開けてはだめと張り紙をしておきますが、この長靴どこまで小さくなったのでしょうか。

 何かのきっかけで、また大きくなることを想像させてくれます。

 文章が長いので、子どもが読み通すのは少し大変かもしれません。

 絵は、おもちゃや怪獣の絵がある子ども部屋やたまねぎ?やこわれた椅子をおいてある物置小屋に存在感がありました。


木の上に住む子どもたち・・タンガニーカ カンバ族 オオカミと七ひきの子ヤギ

2015年09月28日 | 昔話(アフリカ)

       木の上に住む子どもたち/オクスフォード 世界の民話と伝説10 アフリカ編/講談社/1978年改訂


 「木の上に住む子どもたち」はグリム「オオカミと七ひきの子ヤギ」と同じような話。

 男一人で子育てをしているお父さん。アフリカの話らしく、けだものや魔法使いを心配して、木の上に小屋をたてて、登りおりように縄梯子をつけます。

 ここに、自分のために働かせようと魔法使いがやってきます。

 子どもたちは、魔法使いにさらわれ、奴隷にされてしまいます。しかし、お父さんがやってきて無事に救われます。

 グリムでは、オオカミがチョークを食べて声をかえ、子ヤギのところにきますが、「木の上に住む子どもたち」では、魔法使いがアカアリ、クロアリ、サソリに舌をかませ、舌がおおきくはれあがって、一か月たつと、お父さんの声と同じになると大分手が込んでいます。

 「オオカミと七ひきの子ヤギ」を聞いた方が、チョークの効用はずっと続いたのか疑問をていしていましたが、「子どもたち」のほうは、しわがれ声で子どもと会話しますから、はれがおさまったら、もとにもどったようです。

 「子ヤギ」は、オオカミに飲み込まれてしまいますが、「子どもたち」のほうは、こき使われます。

 魔法使いは、お父さんの矢で心臓をうちぬかれますが、いまわのきわに「わしが死んだら、小指を切って、火にくべなさい。そうすれば、わしの殺したものがみんな生きかえってくる。」と言い残します。

 そのとおりにすると、ウシやらヤギやらヒツジやら、おまけに人間までもがつぎつぎとでてきます。

 この魔法使い、最後に素敵なものをプレゼントしてくれる、ずいぶんさばけた存在。

 かたや動物、かたや人間、かたやお父さんとかたやお母さんと対照的です。子どもは三人登場します。 


ケンムンとイッシャ

2015年09月27日 | 昔話(九州・沖縄)

       日本の民話7 妖怪と人間/瀬川拓男・松谷みよ子・編/角川書店/1982年初版


 昔話というより伝説の存在。

 まだまだ知らないキャラクターも多そうで、ケンムンというのは、かっぱに似た魔物。
 猫に化けたり子馬に化けたり、いじわるでいたずらもの。

 イッシャは破れがさをさして、短い蓑をつけ、とうもろこしのようなしっぽを振り振り、ピョンピョン飛び跳ねる小人。

 いずれも鹿児島。ケンムンは奄美大島、イッシャは徳之島。

 イッシャはおだてると、すぐいいきになる。お前に船をこがせたら、たいしたもんだとおだてると、イッシャは有頂天になって、懸命に船をこぐ。漁師がうまくおだてると、魚は山のようにとれるというから守り神みたいな存在か。


大工と鬼六

2015年09月26日 | 私家版
 「大工と鬼六」を語られる方は、松居直再話の絵本が定番のようですが、ネットに岩手版(語り 井上 瑤 再話 六渡 邦昭)がのっていて、こちらも印象に残りました。
 昔話には、その地域の言葉が生かされているのが味があって、聞いた時にリズムがでてくるようです。

 ほかのもの(大工と鬼/日本の民話7/妖怪と人間/瀬川拓男 松谷みよ子・編/角川書店/1983年)を参考にしてみました。

▼ むかし、あるところに、たいそう流れの速い川があったと。
何べんも橋を架けたことはあるのだが、架けるたんびに押し流されてしまう。「なじょしたら、この川に橋を架けられるべ」
村の人らは額を集めて相談したそうな。
「この近在で一番名高い大工どんに頼んだがよかんべ」
皆の考えがまとまって、その大工どんに頼みに行ったと。

 とびっきり腕のいい大工どんは、「よっし、おらにまかせてくれろ」と仕事を引き受けたものの、どうも心配でならん。
 そこで、橋架けをたのまれた川へ行って見たそうな。 川は、どっどっと波がおどり、ごーん、ごーんとうずがさかまいている。
 「なるほど、流れがきつい上に川の幅も広いと、きた。はてさて、これぁとんだ仕事を引き受けたわい」
流れの様子をみつめていると、川に大きなアブクがブクブク浮んで、ザバーと大きな鬼が現れた。
 「おぉい さっきから何を思案しとる」
 「うん、おれは今度ここへ橋架けを頼まれた大工だが、なじょしたらがんじょうな橋を架けられるかと思っていたところだ」
 「とんでもねぇ、お前がいくら上手な大工でも、ここさ橋は架けらんねぇ。けんど、お前がその目ん玉をよこすならば、俺が代って橋を架けてやってもよかんべ」
 「おれは、どうでもいいがの」
 大工どんは、目ん玉よこせとは、あんまりにも思案のそとの話なので、なま返事をして家に帰ったそうな。
 次の日、川へ行って見ておどろいた。何んと、もう橋が半分ほど架かっておる。
 また次の日、川へ見に行ったら、橋が立派に出来あがっとった。
 向こうからこっちまで、それは見事な橋だったと。
 大工どんがたまげてながめておると、川から鬼がザバ―と顔を出して、 「どうだ、こんな橋は人間には架けられんだろう。さあ、目ん玉 よこせ」というんだと。
 大工どんは、あわてて、「ちょ、ちょっと待ってくろ、今、目ん玉をやると、鬼の橋の架け方を見ることも出来ん。おれも大工だ、せめてもう一日、こんな見事な橋の架け方を見ておきたい」
「ほうか、んなら明日だぞ」 
鬼が川の中へ沈もうとしたら、「ちょ、ちょっと待ってくろ、お前は、鬼の世界でも、さぞかし名のある大工にちがいない。是非名前を教えてくろ」
 鬼は、名のある大工と言われて嬉しくなった。
 「俺の名前を当ててみろ、そしたら目ん玉は勘弁してやろう。明日までだぞ」
こう言って消えたと。
 大工どんは、「名前なんぞ分かる訳けねぇ、どうしたらよかんべ」と、独り言を言いながら当てもなく歩いとると、いつの間にやら山ん中に入っとったと。
山ん中を、あっちこっち歩いとると、遠くからわらしの唄う子守唄が聞こえてきた。
   
   おにろく おにろく おにろくどん
   はーやく 目ん玉ぁ もってこば えなあ
   おにろく おにろく おにろくどん
   はーやく 目ん玉ぁ もってこば えなあ

 大工どんは鬼の子どもたちが、輪になって、繰り返し繰り返し、うたっている歌を聞くと、「ほうか、そうだったのか」とうれしくなって家に戻ったと。
 さて、次の日、大工どんが川の橋のところへ行くと、すぐに鬼が浮いて出た。
「やい、早く目ん玉ぁよこせ。それとも、俺の名前を当てられっか?」 鬼は、そう言って、にかり、にかり笑ったと。
 「よし、大工が目ん玉を取られては仕事になんねぇ、お前の名前を当ててみるぞ」
 「いいか、お前の名前は橋仕掛けの名人、鬼太郎じゃ」
 大工は、口から出まかせを言ってやった。
 鬼は、子供のように喜こんで
 「うんにゃ、違う」
 「そんならお前は、鬼のおん吉」
 「やめとけ、やめとけ」
 「今度は当てるぞ いいかぁ」
 大工どんは息をいっぱい吸い込んでから、うんと大きい声で 「鬼六っ!」と叫んだ。 すると鬼は、ぽかっと消えて、それっきり姿を見せんようになったと。

 どんとはらい。

 子どもの唄。角川版では
   寝ろてばや 寝ろてばや 
   鬼にも 名はある
   涙をあるよ
   はよう寝た子にゃ 鬼六が
   目ン玉 おしゃぶり
   もってくる

 とあって、捨てがたいが、うまく歌えそうもない。ここでは宮川ひろさんの語りの歌にしてみました。 

 聞く人が多くない場合は、名前のところで、その人の名前を入れるのも楽しいと思うが・・・。



りんごが コロコロ コロリンコ

2015年09月24日 | 絵本(日本)
りんごが コロコロ コロリンコ  

    りんごが コロコロ コロリンコ/作・絵:三浦 太郎/講談社/2011年初版

 

 リンゴがコロコロするのは、ぞうさん、きりんさん、かばさん、ラクダさん、フラミンゴ、さる、やまあらし、わに、へびのからだ。

 つぎからつぎへと小さい子の興味をひく動物がでてきて、繰り返し読むと、次に何がでてくるか覚えてしまいます。

 動物にあわせた擬音語の楽しさ。
 コロコロ、コロリンコはぞう、きりん。
 らくだは、コブコブ コブリンコ
 フラミンゴは、フラフラ フラリンコ
 へびは、ニョロニョロ ニョロリンコ

 やまあらし、わにの擬音語は?

 とにかくリズミカルです。

 秋はおいしい果物の季節です。 


ハンカチの上の花畑

2015年09月23日 | 安房直子

    ハンカチの上の花畑/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年 1973年初出


 え!ハンカチに花畑が?
 ハンカチの上に蕾がひらきはじめると白、黄色、紫の菊の花が。
 花を壺の中にあけると、やがて菊酒が。

 こんな秘密のお酒を郵便配達の良夫さんに飲ましてくれたのは、誰も住んでいないような酒蔵の紺のかすりの着物を着たおばあさん。
 20年以上音信不通だった息子からの手紙をとどけてくれた郵便屋さんへのお礼でした。

 「あんた、びっくりしちゃいけないよ」とささやいて、レースのふちかざりのついたハンカチをとりだし
 「出ておいで 出ておいで 菊酒つくりの 小人さん」と歌をうたうと、壺の口からなわばしごが、するするとおりてきます。そしてゆっくり小人がでてきます。前掛、黒い長ぐつ、木綿の手袋、わらのほつれた麦わら帽子の夫婦と三人のこども。

 壺がからっぽになったとき呼ぶと、小人は一日に一回新しいお酒をつくってくれるというのです。

 おばあさんは息子の手紙をみて、遠い所に住む息子のところに行くから、壺を郵便屋さんにあずかってほしいと頼み、
 「小人がお酒をつくるところは、だれにもみせちゃいけない。菊酒で金もうけをしちゃいけない。約束をやぶるとたいへんなことがおきる」と言い残します。

 幸運のお酒はたしかに幸運をもたらしてくれます。遠いいなかの村からでてきて一人だった良夫さんが結婚することになります。

 ここからはらはらどきどきの展開が。

 はじめは嫁さんにも壺のことは秘密にしていますが、お酒を飲めなくなった良夫さんが奥さんをなんとかんとか理由をつけて、外出させ、その間に菊酒をつくっていましたが、やがて小人がお酒をつくるところを見られてしまいます。

 みられるとたいへんなことがおきるというおばあさんの言葉に何がおきるか心配?になるのですが、奥さんのえみ子さんに目にみえないものが入り込みます。

 えみ子さんも菊酒をつくり、知り合いの人びとにわけてあげると誰からもよろこばれ、みんなはお酒を届けてくれるのを待つようになります。菊酒をもらった人は時計や、手編みのセーターをなどお礼の品物をくれ、郵便屋さんのすまいは、品物でいっぱいになります。

 やがてうわさになったお酒のことを聞きつけた料理店の主人が、高いお金で買い取るとというのです。
 はじめは一日一瓶、次に一日二瓶。

 菊酒で金もうけをしちゃいけないというおばあさんの言葉がどこにいったのでしょうか。

 えみ子さんは、小人たちにビーズ、フェルトの帽子、奥さんの小人には長いスカート、だんなさんいはしまのズボンとチョッキ、子どもたちにはおそろいの青い上着をプレゼントします。

 しかし服装が立派になると小人の仕事はずっと手間取るようになります。せっかくの上着やズボンがよごれるのじゃないか気になり、帽子もいままでのものより小さくなって菊の花を壺に入れるのにとても時間がかかるようになります。
 良夫さんも、豆粒ぐらいのバイオリンをつくり、小人にプレゼントするのですが・・・・。

 大変なこととはなんだったのでしょうか。
 大変なことが頭の片隅にあって次にどうなるか、読み始めたらやめられません。

 おわりのほうで、郊外の赤い屋根を購入して、引っ越しをすると、隣の家には、菊酒をつくっていた小人がすんでいて、小人の国に迷い込んでしまうのですが・・・・。

 えみ子さんが、お金につられて小人たちを働かせ続けるあたりに、人間の欲望を感じさせるのですが、それが、ちいさくても庭付きの家がほしいというので、うーんとなります。

 めずらしく時代も感じさせてくれます。大きなつくり酒屋だったきく屋が戦争でほとんど酒蔵がまるやけになり、残ったのは一つの酒蔵。
 それが二十何年かむかしとありますから、昭和四十年代後半。高度成長がはじまるころでしょうか。

 菊酒を一生懸命つくっていた小人たちですが、プレゼントされた洋服をきて、バイオリンをひき、歌ったり踊ったりする陽気な暮らしで菊酒をつくることはなくなります。

 酒蔵のおばあさんが良夫さんをみても何も思い出しませんから、一つの時代がおわったかのようです。


リンゴのたび

2015年09月22日 | 絵本(外国)
リンゴのたび  

    リンゴのたび/作:デボラ・ホプキンソン 絵:ナンシー・カーペンター 訳:藤本 朝巳/小峰書店/2012年初版

 

 開拓時代にアイオワからオレゴンまでの3千キロの道を、リンゴ、モモ、ナシ、プラム、ブドウ、サクランボの苗木を運んだ夫婦と8人!のこども。
 実話をもとにしているというのですが・・・。

 (北海道から九州まで直線距離で2千キロ)

 大きな木箱をつくり苗木を積み四頭の牛とともに出発。
 オレゴンにつく前に枯れてしまうさと大笑いされながら、川で馬車がおぼれそうになり、嵐におそわれ、砂漠では木が枯れそうになり、次から次へと続く岩山をこえて。

 なんともスリムなお父さんが頼りない。
 でも、デリシャスという女の子の底抜けのあかるさ。 
 
 どのぐらい日数がかかったのかはわかりませんが、道中、宿屋はなかったようなので大変。とにかく一家が力をあわせて困難を乗り切るあたりがあかるい。

 余分ですが、砂漠や岩山で牛はどんなものを食べたかがきになる

 リンゴはアメリカにはなかったようなので、貴重なものだったんですね。お父さんは頼りなさそうですが、先見の明があったようです。


善人と悪人・・アメリカ

2015年09月21日 | 昔話(北アメリカ)

   善人と悪人/オクスフォード 世界の民話と伝説3 アメリカ編/渡辺 茂雄・訳/講談社/1978年改訂


 悪人と善人とわかりやすいタイトル。

 こんな話だと悪人が金持ちで、善人が貧乏というのが相場だが、この話では両者とも金持ち。

 二人のちがいは、どれいのあつかい。悪人はどれいたちをむちでたたいたり、たべものをろくにたべさせなかったりとひどいしうちをする。

 善人はそれと正反対。

 この二人がどれいのあつかいはどちらが正しいか、三者に聞いて、正しかったほうが、全部の財産をいただくことにする。はじめは若い男、次には中年の男、次に年寄りにあって、意見を聞くが、どちらも悪人の考えを支持する。このため善人の財産は全部悪人のものになる。

 このパターンの昔話では、三番目が善人の言い分をきいておわりになるのが普通だが、この話ではここまででまだ前半。

 じつは意見を聞いた男は、三人とも悪魔がばけていたもの。
 善人はばかばかしいかけで、全財産をなくしたので、仕事をさがすため歩き始める。
 途中、あばら家を見つけ、そこで寝ていると、悪魔がやってきて、おしゃべりをはじめる。

 一人の悪魔は、川のみなもとを石でふさぎ、そのため町の人はひいひいしているのを自慢する。
 もう一人の悪魔は、酋長の娘を病気にしたことの自慢。

 二人の悪魔は、その解決方法も話したので、それを聞いた善人がでかけていって、問題を解決し、たくさんの財産をもらうことに。

 最後は悪人も恩恵を得ようとするが、悪魔につかまってしまう。

 後半は、日本の聞耳頭巾ににている。

 奴隷や酋長の娘がでてきて、いかにもアメリカらしい話。

 しかし、悪人と善人というのは直接的であまり感心はできない。


こねこのハリー

2015年09月20日 | 絵本(外国)
こねこのハリー  

        こねこのハリー/作:メアリー・チャルマーズ 訳:おびか ゆうこ/福音館書店/2012年初版

 おおかあさんと散歩にでかけたこねこのハリー。

 立ち話に夢中になっているおかあさんにしびれをきらしたハリーが、木のてっぺんから家の屋根にのぼったのはいいが、降りれなくなって、消防自動車をよぶことに。

 助けてくれた消防士に、おかあさんはなげキッスをしたらといいますが、ハリーはもじもじ。
 おかあさんは先に立っていきますが、ちょっとはなれたところから、ハリーがなげキッス。

 立ち話に夢中のおかあさん。街角でみられる光景です。
 

 ハリーはちょっとはにかみやさんのようです。     


ライラック通りの帽子屋

2015年09月19日 | 安房直子

     ライラック通りの帽子屋/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年/1973年初出


 ライラック通りによく気をつけていないと見すごしてしまいそうな古い小さい帽子屋がありました。あまり売れるあてもなさそうな帽子が店にならんでいます。

 ところがある日、「こんばんは」と入ってきたのは、なんと羊。

 放し飼いの羊が、ジンギスカンにされそうになって牧場から逃げ出してきたのです。羊は自分の毛を刈り取って帽子をつくってほしいと頼みます。

 帽子屋の見立てでは小さいトルコ帽が30個ぐらいできそうでした。

 羊が帽子をかぶってもしょうがないだろうという帽子屋に、「ぼくの毛でつくった帽子には、もうすこしすると不思議な力がやどるんです。これからぼくは、いなくなった羊の国に行くつもりなんです。そしてぼくがその国にすっぽりはいって、姿がきえたら、帽子にふしぎな力がでてきくる。」といいます。そして帽子ができたら牧場の羊に、夜中にこっそりととどけてやってほしいとも。
 
 やがて帽子屋は、注文の30個と、こっそり自分のためにもうひとつこしらえます。

 帽子屋が自分のためにこしらえたトルコ帽をかぶったのは、おかみさんからお金や娘のことでガミガミいわれたのがきっかけでした。

 帽子屋は、帽子をかぶるだけでふしぎなことがおこるという羊のことばに半信半疑でした。

 しかし、トルコ帽をかぶると帽子屋がいつかの羊にあいます。そこですすめられたメニューの中から「にじのかけら」を選び、それを食べると帽子屋はちょっきり三十年若がえります。

 若者は、ライラックの花がみごとに咲いている木の下で、ライラックの帽子、世界一かるい雲の帽子、キラキラ輝いた虹の帽子新しい型の帽子をつくりはじめます。

 そして、やってきたのは、若くなったおくさん。

 紫色の帽子にひかれて、これまでかぶっていたトルコ帽をぬぐと、おくさんは、もとの年取ったすがたになって、自分の家にうずくまっていました。

 次に、きえた羊の国にやってきたのはトルコ帽をかぶった二人の娘。娘たちもアルバイトさせてもらい、ライラックの帽子をかぶろうと、トルコ帽をぬぐと。娘たちも自分たちの家のもどってしまいます。
帽子屋が羊の国にいってから、おくさんがトルコ帽をショウウインドウにかざると、さっそくスケッチブックをもった若者がトルコ帽をかっていきます。


 いろいろ想像してみると楽しそうな話である。

 帽子屋の店構。一階が店舗で、二階部分が住居。店舗は三坪ほどか。

 帽子屋は無口で、頑固な職人気質。(ある絵本では髭があるおじいさん風に描かれているのですが、自分としては、もう少し若いイメージ)

 帽子屋のおくさんは、いまどきそんな帽子ははやらない、もっと金になることを考えてくれと帽子屋のしりをたたきますが、帽子屋がいなくなってから、仕事場の掃除をし、ミシンに油をさし、帽子の型紙をそろえたり、ショーウインドウのガラスをみがいたりと、よくできたおくさんのようです。

 牧場の羊にとどけてほしいいわれたトルコ帽。最後のほうで帽子屋がいいます。「花の帽子がいかにもにあいそうな若い娘、白い雲の帽子をほしいという若者がおおぜいいたが、みんな消えてしまった。」と。
 かぶろうとトルコ帽をとると、みんなもとの世界にもどっていったのです。とすると羊のところではなく、人間にわたったようだ。

 帽子屋があった街は、絵本にするとどんな感じになるだろうか。多分大都市ではなく、しっとりとした古都がふさわしいようだ。両脇にはせいぜい二階建ての格子の家といった感じか。いや、帽子というから外国のレンガ造りの街並みがイメージされる。

 ライラック色と聞いてどんな色を想像するでしょうか。
 あまり見たことがないが、紫色。

 そして、ライラックの花言葉は「思い出」「友情」「謙虚」。

 この中では思い出がふさわしいようだ。時計屋の娘だったところに、帽子屋が何度もやってきて、自分のつくった帽子をかぶってみませんかといわれたときのあまずっぱい思い。

 ライラック通りといっても、木は大分昔に枯れて花を咲いたところはみたことがなかったのに、羊の国へいくときは、並木という並木にたおやかな花が咲きこぼれ、夜だというのに、通りいっぱいのうす紫のあかりをともしたように明るい風景。
 
 調べてみると、道路にライラック通りという愛称をつけているところが散見されます。

 ライラックということばから連想したのがハナミズキ。自分の住む街にはハナミズキ通りがある。この名称はライラックより多い。ハナミズキどおりの○○で、別の話もうかんできそうだ。

 「帽子屋は、自分のつくった帽子をかぶった人の顔を見てはじめて、ほんとうの帽子屋になれるんだ」という最後のセリフは、売れるあてのない品物をつくっていた帽子屋に、羊がやんわりとさとしたものだったのかもしれません。


でぶのおばあさん・・アメリカ

2015年09月17日 | 昔話(北アメリカ)

   でぶのおばあさん/オクスフォード 世界の民話と伝説3 アメリカ編/渡辺 茂雄・訳/講談社/1978年改訂


 インデイアンの昔話で、これまであまり見られないパターンです。しかしタイトルで損をしているようです。

 キリキという男の子と、お父さん、お母さん、お姉さん、赤ちゃん、おばあさんが地面の下に住んでいました。 
 石ばかりの地面からは何もそだたなく、食料といえば、大きな湖からとれる魚と海草だけ。

 おばあさんは食べるだけが生きがい。食べてばかりいるので、どんどんふとってまんまるくなってしまいます。
 キリキは湖のじいさんカメと大の仲良しで、いつも一緒に遊んでいましたが、ある日から姿をみせなくなります。

 しかしひょっこり姿をみせたじいさんカメは小さなかたいものをもってきます。
 カメから岩の下にまくようにいわれて、キリキはおじいさんカメのいうとおりに、種をまき、朝夕水をかけます。

 四日になるとみどりいろのものがでてきて、それがどんどん大きくなっていきます。それは野生のつるで、あっというまに先がみえないほどになります。

 カメから言われて、つるを登り始めたキリキは、青空と白い雲とみどりの草、美しい花をみます。

 地面の下にすんでいたキリキが、地上の様子を話すと、それを聞いたみんなは引っ越しをすることにします。

 ところがふとったおばあさんは、ふとりすぎて、つるをのぼることができません。
 ひとり残されたおばあさんは、たき火もきえて、つめたい生ものばかり食べて、おなかをこわし、どんどんやせていってしまいます。
 そこで、もう一度つるをのぼると、今度はつるの先までのぼり、みんなと会うことができます。
 
 子どもの頃、地下に空間があって、地上とつながっているのではないかと考えていた記憶がある。

 そんな記憶を思い出させるように、キリキにつるの種をもってきてくれたおじいさんカメは、つるを登らず、地下とつながっている川を何日もかけて泳いで地上にあらわれます。

 この家族、地下に一人残っているおばあさんのことは心配することはありません。
 食べるばかりだったおばあさんが、地上では働き始めて二度とふとることはなかったというオチもあります。


やさしい女の子とやさしいライオン

2015年09月16日 | 絵本(日本)
やさしい女の子とやさしいライオン  

    やさしい女の子とやさしいライオン/作:ふくだすぐる/アリス館/2010年初版

 

 表紙にみられる女の子とライオンが、森の中でおおきな卵をみつけ、取り合いになります。
 女の子は自分の名前をかき、ライオンはツメで きずをつけて、お互いに自分のものだとひと悶着。
 森の仲間は、ライオンの味方をしますが・・・。

 兄弟がいるとどこでもみられるような光景。

 しかし、おもちゃの取り合いなどがおきても、最後はこんな終わり方ができるといいなと思わせる最後になっています。

 泣き出した女の子にびっくりして、ライオンがよしよしよし、おまけに背中にのせてあげると、二人はすっかりなかよくなって、けんかのもとになった卵を、おたがいに譲り合うことになるのですが・・・。

 やはり気になるのは、この大きな卵。何の卵でしょうか。         


松井さんの冬

2015年09月14日 | あまんきみこ

    松井さんの冬/あまんきみこセレクション4 冬のおはなし/三省堂/2009年


 秋編に続いて、冬編。タクシー運転手の松井さんは、あいかわらず乗車拒否しません。

 イチョウの葉がまう深夜に乗せた客はクマに似ていました。会社に帰った松井さんは、タクシーの中に財布が忘れられていたのにきがつき、忘れ物を届けにいきます。
 ところが、しんしは、財布が届けられるのを予期していて、とわずがたりに、自分の身の上話をはじめます。このしんしはやはりクマで、人間と話をしたかったのです。
 ほろびるばかりのクマたちとお別れ会をして、人間界にやってきたクマ。二人の子にめぐまれますが、どうしても、住んでいた山が忘れられなかったのです。ふるさとを思う気持ちがでています。<くましんし>

 粉雪が銀色の羽虫のように舞う日にのせたのはきつね。キツネコンクールに迷い込んでしまいます。
 ばけかたが一番うまいというので、あぶらあげ十三びょうもらいます。
 キツネのばけかたが、いまひとつで、たんにキツネに勘違いされた松井さんなのですが・・
 でもコンクールがおわってから、キツネを何回も車に乗せることになって商売は大繁盛です。<本日は雪天なり>

 ネコを乗せてついたのは、ねこの市。そこであったのは昔松井さんのところにいたネコのチャタロウ。今では松井さんと同じタクシー運転手でした。祭りのような市で二人で食事。ねこの市には、すてねこ、病気ねこ、家でねこ、まよいねこが元気をもらってそれぞれのところにかえります。チャタロウが松井さんのところからなぜ姿をけしたのかは語られていません。<雪がふったら、ねこの市>

 のったのは、歯がいたくなって、歯医者に行く兄弟。お兄ちゃんはつきそいです。
 あらかじめ、ママが電話してあります。
 ついた歯医者は、「田沼歯科医院」の”田”の字がきえかかった「た」ぬき歯科医院でした。
 一緒に行くお兄ちゃんのほうの緊張がつたわってきます。<たぬき先生はじょうじです>


ふしぎなバイオリン

2015年09月13日 | 絵本(外国)
ふしぎなバイオリン  

    ふしぎなバイオリン/文・絵 クエンテン・ブレイク 訳・たにかわ しゅんたろう/岩波書店/1976年

 

 若者がバイオリンをひくと、あらあら不思議。
 池のほとりにすわってひくと、さまざま色をしたお魚が空をとびまわります。

 リンゴ園でバイオリンをひくと、木の葉の色がかわり、ナシや、バナナ、おかし、アイスクリームなどみのりはじめます。

 はとにも、きれいな羽根がはえはじめます。
 牛のからだにも、星の模様が。

 やどなしのパイプの煙は、花火になります。

 馬車に乗るやせてせきがでて、寒気がして、頭がいたむいかけや。
 しかし、若者がバイオリンをひきはじめると、”いかけや”はふとりだし、げんきになって踊りだします。

 カラフルになった馬車に、みんなものせてもらいます。

 たしかに不思議な不思議なバイオリンです。

 ”いかけや”というのはわかりにくそうです。