りこうな子ども/アジアの昔話/松岡享子:編訳/こぐまのどんどんぶんこ/2016年
ゆうれいが 木の上に住んでいるというのは!
年老いた母親から「はやくよめを もらうよう」いわれていた、ひとりの若者が、おもいきって町へ行くことにしました。というのは、この家には、小さな小屋が一つと、ネコの額ほどの畑があるきりで、結婚式を挙げるお金もなかったのです。
母親は、お金より、息子が いっしょにいてくれるほうがいいと、話しましたが、息子は、よめをもらうためと、母親に別れを告げました。
ふたりがすんでいる小屋のすぐわきのボダイジュの木に、ゆうれいがひとり、すみついていて、母親と息子の話を.聞いていました。ゆうれいは、「若者が出かけたら、若者にばけてみがわりになってやろう。そうすりゃ、あの小屋でぬくぬくとくらせるし、あいつの母親が料理したものが、くえるってわけだ。木の上でさむいおもいをしてくらすのは、もうあきあきした。ゆうれいでいるのも、もうたくさんって気分だ。」
夜、ゆうれいが、若者にそっくりの姿で小屋の戸を叩くと母親が出てきて、不審がりますが、「貧乏でも、やっぱり、かあさんを一人にしておくことはできない」というので、母親は喜びました。こういうわけで、ゆうれいは、母親の息子として、小屋でくらすようになりました。
さて、一年が過ぎて、バラモンの若者が村に帰ってきました。ところが小屋には、自分とそっくりの若者がいて、口論になりました。母親もバラモンの若者より、ゆうれいの若者が じぶんの息子だといいはり、息子を、うちから おいだしてしまいました。
悩んだバラモンの息子は、王さまに訴えますが、ふたりがそっくりだったため王さまも判断できませんでした。
助け舟を出したのは、とある原っぱであそんでいた子どもたちでした。子どもたちは、少し土の盛り上がったところにすわっている、かしこそうな顔をした少年のところにつれていきました。バラモンの若者は、自分がからかわれているのかと思い、不機嫌になりましたが、はなしても むだかもしれないが、すくなくとも悪いことにはなるまい。若者はそう考えて、これまでのことをのこらず話しました。
土の上に座っている少年は、「おまえのもんだいを かいけつできる」が、それには、さばきの場に、王さまも大臣も、村びとも、一人残らず たちあわねばならんと、条件を付けました。
バラモンの若者は、そうするよりほかに道はないだろうと、勇気をしぼって、王さまのところへ行くと、なんと、王さまは、でかけることを約束してくれました。王さまは、自分が解決できなかったことを、解決してみせるというから わざわざ でむいてきたといい、うまくいかなかったら おもい罰をうけるぞ ともうしわたしました。
土の上にすわっていた少年は、首のところがほそいビンをだすと、こういいました。「このビンの中に入ることのできるものが、この女の息子であり、小屋の正当なもちぬしである。」
バラモンの若者は、そのような奇妙なやりかたでことをきめるとは、と抗議しようとしました。ところがゆうれいの若者は、かちほこったように、ニヤリとわらって、たちまち 小さな虫ほどになって、ビンの中にとびこんでしまいました。少年は、ビンを海へ投げ捨てるようにめいじ、母親もダマされていたことを王さまに言いました。
王さまは、そのような若さで、どうして、それほどの知恵を身につけたか尋ねました。少年は、「力は、すべて、ふしぎな土まんじゅうの中から でてくる」とこたえました。王さまが、そこをほらせると、土の中から世にも美しい玉座がでてきました。玉座は、たくさんの宝石でかざられた台座の上にのっていて、台座には三十二人の天女のぞうがささえていました。天女は、玉座のいわれを話すと、玉座を空中に持ち上げ、そのまま どこか遠くへ 運び去っていきました。
”バラモン”は、子どもにはわかりにくいので、ほかの表現か、つかわないようにしたほうがよさそう。