どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

森の歌が聞こえる

2024年08月10日 | 田島征三

   森の歌が聞こえる/田島征三・作絵 L・インシシュンマイ・オブジェ/偕成社/2024年

 

 森の中の小さな村には、ときどき、どこからか風にのって、うつくしい歌がきこえてきた。その歌声をきくと、村人たちは、しあわせな気持ちになるのだった。その森にはピーという精霊たちがすんでいて、村人たちはピーをおそれ、うやまっていた。

 その村にノイという少年が、病気の母のために、毎日、森に薬草をとりにいき、食べられる草や木の芽をあつめ、弓矢で小さな動物をとってくらしていた。

 ある日、村に見知らぬ男があらわれ、お金や、めずらしい食べ物を村人たちにく、ばって村のまわりの木を全部切り倒し、(金もうけの木)をうえるんだと、大きな声でよばわった。ノイは反対しますが、つつましくくらしてきた村人たちは、お金や食べ物に心をうばわれ、男の命令にしたがった。

 男があらたにうえさせた木は、あっというまに大きくなり、その木をうりはらっては、おなじ木を植えさせました。精霊のピーはいなくなり、いつのまにか、あたりには動物たちもいなくなり、これまで食べていた草や木の芽もとれなくなりました。ノイは母のための薬草をさがしに、いつもよりずっと遠くまでいかなければならなくなりました。ある日ノイは、深い森のおくで、歌をうたいながら織物をおっているうつくしい女を目にしました。そして、その織物のすばらしさに目がくらみ、思わずそれを盗み岩山のほらあなに、しまっておきました。

 村には、うつくしい歌声が聞こえなくなり、村人との間では、いいあらそいがたえなくなりました。やがてノイの母親が亡くなり、人のものを盗んだからと、織物をかえそうとしました。ピーたちの怒りは、大雨と嵐になって、一晩中吹き荒れ、洪水が村を襲いました。そして岩山に織物をとりにいこうとしたノイも、激しい流れの中にまきこまれてしまいました。波にのまれながら、必死に泳いでいたノイは、舟にのっていた少女を助けました。

 ノイのおかげで元気になって少女は、ポンパイという名前でした。やがてノイは、ポンパイの協力を得て森をよみがえらさせるために木を植えていきました。朝早くから夜遅くまで。二人の努力は村人たちの心をうごかし、やがてすこしずつ、森には昔のように草木が茂るようになり、動物たちもかえってきました。

 大人になったノイは、ポンペオに結婚を申し込もうと、岩山にのぼって、あの織物をもちかえり、ポンペイに着せかけた。しかし、ポンペイは、悲しそうにいいました。・・・

 

 絵本で、オブジェというのをはじめてききましたが、このオブジェは、ラオスのルートマニー・インシシェンマイさん。森の動物たちのオブジェの発想に、まだまだしらないことばかりというのを実感しました。

 

 森の生態系の破壊や、うつくしいものに目を奪われ、盗んでしまう人間の弱さ、築き上げたはずの信頼関係が、あっというまにくずれていくようすなどが見事にえがきだされていました。

 それにしても、田島さんの活動の幅広さに頭が下がります。


たべるぞたべるぞ

2024年01月15日 | 田島征三

    たべるぞたべるぞ/田島征三/佼成出版社/2023年

 

 人も動物も、虫も、魚も 食べる食べる

 全ページ見開きで 食べる食べる

 春も夏も、秋も冬も 食べる食べる

 お花見では、誰も桜を見ないで 食べる食べる

 大きな魚が自分より小さい魚を食べ、その魚が小さい魚を食べ、その魚がまたちいさい肴を食べ 食べられた 食べられた と続き 最後の魚は 食べるな!

 柿の木に登った子どもたちが、「カラスには やらないぞ」と、食べる食べる(つい最近、柿の実が またたくまに 食べられた 実感 そのもの)

 

 とにかく迫力満点。食べることは 生きること。


2023年11月21日 | 田島征三

    た/田島征三/佼成出版社/2022年

 

 タイトルが”た”の一文字。

 「たがやす」 「たねまき」 「たちまち!! めがでた」

 ”た”のつく言葉遊びかとおもうと・・。

 稲作と人間とのかかわり。

 稲が実ったあと

 「たよる」 「たすける」 「たすけあう」

 「たくわえる」 「たてまつる」 「たたえあう」

 感謝して ”たべる” まで。

 

 ただ ただ たまげました。


とわちゃんとシナイモッゴのトトくん

2023年06月07日 | 田島征三

   とわちゃんとシナイモッゴのトトくん/田島征三/ひだまり舎/2021年

 

 とわちゃんが 誰もきづかないくらいの小さい池で見つけた魚は、「ぜつめつきぐしゅ」の珍しい魚シナイモツゴでした。

 ところが、その池も 埋め立てられることになって、シナイモツゴのトトちゃんは、とわちゃんとお母さんに助けられ、すてきな池に ひっこししました。そこには、大きいカエルに ちいさいカエル、ふとっちょカエル やせガエル。そのほか トンボやホタルの 子どもたち。イモリのおじさんは、みんなおとなになって 池の外へ ゆくのだと 教えてくれました。

 ある日、メダカたちが おいしい水が 流れこんでいる流れのほうへ のぼっていくのをみた トトは、流れを さかのぼっていくと、土橋の上に なとわちゃんが。「ぼくも おおきくなったら 水の外に でてゆけるの?」ときくと、とわちゃんが なにかいったけれど 流れの音に かきけされて 聞こえなかった。

 雪の降る夜、トトが うとうとしていると とわちゃんが ヤゴにのって 池の中までやってきて、「いっしょに とびだそう!」とさそいました。とわちゃんがのっていたヤゴは、トンボになって 水の外へ とびだした。トトは、むちゅうで おいかけた。

 トワちゃんはいつのまにか 田んぼの中にいた ホタルの子どもに のりかえ、くらい空へ とんでいってしまった。やみのなかに さびしくひかっている 小さな あかり。それは しんでいった さかなたちの タマシイ。

 とわちゃんが みたのは 夢でした。

 春になったら 冬の間に見た、夢を とわちゃんに 話してあげようとおもっていたら、とわちゃんも 「トトくん 空のおさんぽ たのしかったね!」と、話しかけてきました。

 ふたりとも、おなじ夢を見ていたのでした。

 

 いきものは、すきで「絶滅危惧種」になったわけではありません。人間のひとりよがりの開発行為が どこまで 許されるか 考えてしまいました。


つかまえた

2021年08月31日 | 田島征三

      つかまえた/田島 征三/偕成社/2020年

 

なにを”つかまえた”?

川の浅瀬で見つけた大きな魚。そうっと そうっと近づいていったら、足がすべり、まっさかさまに 水の中。

にがすもんか にがすもんか

手の中で ぬるぬる にぎると ぐりぐり いのちがあばれる。

せっかくつかまえた魚。草原に寝転んでいると 魚をだいて 魚にだかれる 夢を見た

目がさめると 魚はぐったり 草の上

しんじゃだめ しんじゃだめと、川のそばにくると 手からにげだして 川の中 そのまま・・。

魚だって 死ぬのはいや! 

 

川で魚を手づかみする光景は、だいぶ昔。今だと危険だからと すぐにストップがかかりそう。

田島さんの、いつもながらのダイナミックなタッチに圧倒されました。


おばけむら

2021年06月25日 | 田島征三

   おばけむら/文・南部和也 絵・田島征三/教育画劇/2004年


 山の奥深くのひなびた村に、遠い村からある相談が持ち込まれました。村でつかまえたおばけを こちらの山奥に はなしてもいいかというものでした。

 村長は「こまったときは おたがいさまじゃ、わしらの村は 広くやまぶかい。山奥で はなすなら なんの 問題も おきんじゃろう」と、受け入れました。このとき遠い村では、おれいに美しい反物や焼き物をおいていきました。

 しばらくすると、もっと 遠くの村から 一行がやってきて 金や銀でできた 置物を差し出し おばけを 棄てさせてくれるよう申し込みました。「うんと おくのほうなら」と、村長はおばけを はなすことをうけいれました。

 うわさをききつけ、毎日のように あちこちの村から おばけをつれたひとたちがやってきて、たくさんのお礼をおいていくので、村の人々は 豊かにくらせるように なりました。

 一方、山の奥では、おばけたちが どんどん こどもをうんでふえていきました。

 やがて、おばけは 村にもあらわれるように なりました。

 これに気づいた村長は、村人が おばけが ちかくに ひそんでいることに きづかないよう 毎日がお祭りと 酒をふるまいます。 

 しかし、ふえはじめた おばけたちは やがて村長や村人たちの 生活を脅かしていきます。

 

 田島さんが描くおばけがとってもユニーク。子どもたちは このおばけだけでも 楽しめます。意図したものではないでしょうが、中には新型コロナをおもわせるおばけも!

 ただ大人にとっては とっても耳の痛いことだらけ。お金を出すからやっかいなものをひきとってもらおう というのはきわめて身勝手。

 はじめは善意でおばけをうけいれた村長が、高価なお礼に目がくらんで 隠ぺいに走るのは 今でもみられる光景。

 「もう、むかしの ひなびたむらには もどれない。それなりのしあわせは もどらない」

 わたしたちは どの地点まで きているのでしょうか?


せきれい丸

2021年02月14日 | 田島征三

     せきれい丸/作・たじまゆきひこ きどうち よしみ/くもん出版/2020年初版

 

 冬の寒い朝、「明石のおばさんとこへ おいもと 魚を もっていってくれんか」と、お母さんにいわれ淡路島と明石をいききする「せきれい丸」に乗り込んだひろし。

 船長がとめるのも きかず むりやりのりこんでくる人たちと 船の中は ごっちゃになって、ひろしは デッキに あがりました。

 強い風と高い波。せきれい丸は 沖に出ると西風にあおられ、よこだおしになったまま 波に のみこまれてしまいました。

 ひろしの からだは ふかくふかく しずんでいきます。そのとき とおくで だれかが よんでいるようです。「おーい、りゅうた がんばれ!」

 いきなり ロープが 顔へ とんできました。「りゅうた! しっかりロープを つかめ。だいじょうぶや! 父ちゃんが きたから だいじょうぶや。しっかり つかまってとれよ」。むちゅうでロープをにぎったひろしは、たすけられましたが、りゅうたは みつかりませんでした。

 ひろしは、だまって 船を浜へ引き上げたり、網を干したり、魚を運んだりして、りゅうたのお父さんの手伝いをはじめました。

 ひろしは、りゅうたは、自分の代わりに しんでしまったという思いをもっていました。

 「ひろしくん、きみの せいで りゅうたは しんだんと違う。もう こんでもええよ」といわれながらも なんども、りゅうたくんの お父さんの手伝いに行く ひろしは お父さんに 漁にさそわれます。

 漁師の子どもらも のりこんだ 船は ひさしぶりの大漁に めぐまれました。 

 

 1945年12月9日、淡路島と明石をむすぶ連絡船「せきれい丸」が沈没し、304人が犠牲となった事故を題材にした絵本です。

 ひろしのお父さんがのった船は、アメリカ軍の攻撃でしずみ、りゅうたのおじさんは 戦争から戻っていない戦後の混乱がつづく時期。

 ひろしの「きみがなりたかった 漁師に ぼくはなるんや。淡路島の漁師に ぼくは きっと なってやる!」というさけびに、友だちの分も生きていこうという決意があふれていました。

 忘れ去られて行く過去には、まだまだ記憶に残すべきものがたくさんあります。


いもさいばん

2020年09月29日 | 田島征三

    いもさいばん/文・きむらゆういち 絵・たじまゆきひこ/講談社/2016年

 

 おじいさんが丹精込めてそだてた さつまいもが、夜の間にだれかがこっそり盗まれてしまいました。
 畑にこわい顔のかかしをたてても、次の朝、かかしはどろんこだらけ、わなをしかけても、かかったのは まごたち、落とし穴をつくっても落ちたのは おばあさん。

 おいもはどんどん減っていきます。

 じいさんが畑に穴を掘り、寝ずの番をしていて、いつのまにか うとうと。

 真夜中に 変な音で 目を覚ますと、びっくりぎょうてん イノシシとウリボウが おいももかかえて 走っています。

 じいさん穴から飛び出すと、イノシシは困った顔で「どろぼうなんて とんでもない。みつけた おいもを はこんでいるだけです」といいます。

 「みつけた いもだと? なにをいっている どろぼうめ! このいもは わしの 畑の わしのいもじゃ」

 すると、キツネ、ノネズミ、ウサギ、リスもいっせいにさけびます。

 「わしの 畑? そんなこと だれが きめたの?」「そうだ そうだ にんげんが かってに きめただけ」「この じめんも やまも かわも そらも にんげんだけのもんじゃ ねえ」

 じいさんが「わしが たんせい こめて つくった いもじゃ。だから わしの いもじゃ」と反論すると、サル キツネ モグラも

 「いもは つちの なかで じぶんで そだったんじゃ ないのけ」「そう、あめふって たいよう あびて そだったはずや」「それとも あめや たいようも にんげんが つくったって いうのけ?」

 動物たちとじいさんの論争はまだまだ続きます。

 タヌキが、じいさんの味方をしますが・・・。

 にんげんと どうぶつたち どろぼうは いったい どっちだろう?と、結論は読者にまかせます。

 長いスパンで見ると、動物たちは人間より先に地球に存在していました。あとからやってきた人間が、ここは人間のものだと囲いをして土地を広げていきました。その裏には、そこから追い払われた大勢の動物たちがいました。ですから泥棒はどっち?というなげかけには、すぐには答えはでません。

 泥臭い感じの絵は、とても迫力がありました。


うりのつるくるくる

2020年09月20日 | 田島征三

     うりのつるくるくる/田島征三/光村教育図書/2020年

 

 うりのつるが、つるつる つるりん と のびて くるくる くるりん るんるるりん とのびますが、虫がやってきて 悲鳴をあげています。

 つるで、くるくる くるりん りん! りん!りん!

 虫の大群で茎が食いちぎられますが まけないぞ。

 もう だめだ・・・と あきらめかけていると 小鳥がやってきて 虫をパクパク。

 おや実をつけてきましたよ。

 ところが こんどはヘビが小鳥の卵をねらっています。これは大変と つるは ヘビに巻きつき、鳥さんに おんがえしです。

 小鳥の卵がかえり、うりも いいかんじ。

 おじいさんとまご?がならんで ガブリ。

 裏表紙では おじいさんとまごが「ぺっ!」と出したうりの種が芽をだしています。

 茎が食いちぎられても ぐんぐんのびる うりの生命力です。


やぎのしずかの たいへんな たいへんな いちにち、やぎのしずかの しんみりした いちにち

2020年07月30日 | 田島征三

   やぎのしずかの たいへんなたいへんな いちにち/偕成社/2011年

 

 やぎのしずかが、ふたごのあかちゃんにミルクを飲ませるために パクパク ムシャムシャ ゴクン パクパク ムシャムシャ ゴクン と夢中になって草を食べていると、葉っぱの上で、ひるねをしていたバッタの 足をかんでしまいました。これが一日の大変な騒動のはじまり。

 ごめんなさいをいう間もなくバッタはしずかのかおにしがみついて、目も鼻もふさいでしまいました。

 きゅうにはしりだしたしずかは、こんどはひるねしていたアマガエルをふんずけて、おっぱいに はりつかれてしまいます。

 ふりおとそうと すごいいきおいではしりだしたしずかは、ナマズにヒゲにぶらさがれ、コジュケイたちに どなられて どこまでもどこまでも はしりました。

 とうとう しずかは土手のキャベツ畑の大きなキャベツに 頭をつっこんでしまいました。

 「これはきのどく きのどく」と、みんなでキャベツを かじったり、ひっぱがしたり、つっついたり。しずかも内側からムシャムシャ、キャベツを食べて、バッタのタクトで<よかったね よかったね>を 歌いました。

 いつもながら躍動感のある田島さんの絵ですが、しずかが キャベツに頭を突っ込んだときの大変なようすにビックリ。

 ふたごのあかちゃんやぎが 小屋でミルクをのんでいる様子は、しずかにゆったりです。

 表紙の見返しのコジュケイ親子の散歩も楽しそうです。

 ところで崖の上のポニョは大変な2か月半だったのか、それとも自由な日々のどちらだったでしょうか。

    やぎのしずかの しんみりした いちにち/偕成社/2015年

 

 やぎのしずかが、川の岸辺に水を飲みにいくと ともだちのナマズだでてきて<しんみりするうた>を歌ってくれます。

 ナマズの歌が、なにを 歌っているかよくわからないしずかでしたが、草を食べながら「しんみりするって どんなことだろう?」と考えます。

 セミが きゅうに 歌うのをやめると 木から落ちて動かなくなりました。すぐにアリたちがやってきて、アリがやってきてセミを運んでいきます。

 しずかがあとについて しげみに頭をつっこむと、そこには、きれいな朝露が綺麗な玉になってクモの巣の上にならんでいました。

 しずかが「あなたたちは、こんなにきれいなのに、どうして だれにも気づかれないでキラキラしているの?」と聞くと、朝露は黙ってキラキラするだけ。

 「ねえ、あさつゆたちが キラキラしているのを みた?」「ねえ、セミは死んだら、もううたわないの?」と、しずかがきいても、ガマガエルやコジュケイは、こたえてくれません。

 しずかは、やわらかな はなびらが蕾から はみだしているのをみて、 おもわず ぱくりと食べてしまいました。

 それをみていたバッタから「やーい、やい。しずかが たべちゃった! きれいな はなの つぼみを たべちゃった!」と、はやしたてられ、しずかは、咲くことができなかった花のことを 思いました。

 セミのこと、朝露のことを考えながら眠ってしまったしずかでしたが、目を覚ますと、何を考えていたのか思い出せませんでした。

 ガマガエルとコジュケイたちもやってきて、バッタがタクトをふって、みんなで<げんきに なるかも>という歌を歌うと、調子はずれの、元気な歌が、風に乗って 遠くまで流れていきました。

 セミの死や、誰にも知られずキラキラ輝いている朝露にであって、しみじみと泣いた しずかもまた、花の命を摘むようなことをしてしまったことを指摘されました。

 一時落ち込んだしずかですが、仲間が<げんきに なるかも>という歌で、はげましてくれました。

 つい先日、クモが網を張って、セミが絡まっていました。夜八時ごろでしたが、朝見ると地面に落下していて、今度はアリの大群が群がっているのをみたばかりですから、妙にリアルでした。セミは、5年も地中で過ごし、地上にあらわれても本当に短い命。クモにやられるというのも自然の営みです。


猫は生きている

2020年03月21日 | 田島征三

    猫は生きている/早乙女勝元・作 田島征三・絵/理論社

 

 75年前、10万人がなくなった3.10の東京大空襲。

 降り注ぐ焼夷弾のなかで、炎から必死で逃げ延びる人々。

 焼け野原の川にすきまもなくうかぶ死体。

 丸焼けになった消防自動車、鉄かぶとの男が運転台のハンドルにかがみこんで死んでいれば共同便所のなかにも立ったままの死体、馬や牛や犬の死骸も。

 子どもと離れ離れになり、せめて背中におぶった子だけでも助けようと、地面をほり、その上にわが子をすくおうと覆いかぶさり焼け死ぬ母親。

 

 小学生のころ先生が読んでくれて強烈な記憶がのこっている方も多いようです。

 東京大空襲を体験した方も高齢になって語りつぐ機会も少なくなっています。

 もしかすると若い世代にとっては、こんな事実があったことに、ほとんど興味を持たないかもしれません。しかし十万人が、どんな状況でなくなったか忘れることはできません。

 気楽に読めるという絵本ではありませんが、事実の一端に触れ過去のことだからと忘れず 後世に伝えていく責任があるように思いました。

 絵本にしては数少ない絵ですが、田島さんの炎の色が、悲しみや怒りを表現しているようでした。


ヒミツのかいだん

2019年09月03日 | 田島征三

    ヒミツのかいだん/田島征三/小学館/2019年

 

 四月になってもまだ雪の中の小さな学校の新入生は二人。

 新入生のひとり、ユカは学校の中を探検です。すると小さなせまいかいだんをみつけます。三年 生のユウタロウが、郵便屋さんがあがっていったよというので、ちょっとだけ のぼってみることに。

 どんどん 上がっていきます。小さな部屋がありましたが郵便屋さんは、どこにもいません。部屋の窓を開けると、空から ぶらさがったハンモックに オバケが のっていました。

 トペラトトは、みどりのはっぱの手紙を読んでいました。すぐになかよくなったユカとトペラトトでした・・・・。

 トペラトトは、おばけといっても、とっても可愛いおばけ。おまけに親切。

 郵便屋さんを町までおくっていったり、ユカを教室におくりとどけたり。

 そして南の島のトペラトトのおねええさんのトペラが春風をおくってくると、雪がとけはじめ、コゴミや フキノトウが 土の下から 元気よく あたまを だしました。

 緑色のトペラトトは、雪国に春をはこんでくれるオバケでしょうか。

 オバケを探すのは、ヒミツの階段をさがすのが先です。


わたしの森に

2018年10月31日 | 田島征三


    わたしの森に/アーサー・ビナード文 田島征三・絵/くもん出版/2018年

しんしん
 ししんしんしーん
ずしんしん
 ずしんずししーん
とゆきのふるさまが表現されています。
雪の風景が展開して、やがて春

春の様子は
 からだもしっぽもふるえて はなさきは むずむずする
 ふきのとうが ふくらんで 土をおしのけて
 まあんまあんまあん

むんむんの目は ひだりのほほにも みぎのほほにも。 おやおやトガリネズミみつけた。
「むんむん」ってなに?

 みんなに恐れられているマムシです。

 でも、マムシから見ると、はなれてくれれば、わるさはしません。

 ニンゲンの気配をかんじれば、マムシは小川を、すいすいわたっていきます。

 やがて こどもをうんで雪の下で・・・。

 マムシの気持ちって考えたこともなかったと思い知らされました。

 生態系の不思議にもう一度思いをめぐらせる絵本です。

 日本人より日本語をいかした表現をする詩人のビナードさんです。


まんげつのはなし

2018年08月20日 | 田島征三


    まんげつのはなし/住井すゑ・作 田島 征彦・絵/河出書房新社/1982年


 2006年に復刊ドットコムからも出版されていますので、絶版になっていたのでしょうか。

 見返しに巻物の絵があり、でてくる人物は古代風の衣装です。

 ただらの国に、ほだかの金丸という大金もちがいました。

 贅沢な暮らしにあきた金丸が、この世にふたつとない めずらしいものを みつけてまいれと召使に命令します。

 金丸が手に入れたのは、なんともみすぼらしい弓。しかし”まんげつ”というこの弓は、どんなつよいけものでも、どんな すばやいとりでもたったひと矢でしとめるすぐれたものでした。

 大石に矢を射ってみるとガラガラドシーンと岩をくだいてしまいます。

 ”まんげつ”をもっているかぎり、もはやだれも、あなたさまの めいれいに できませんといわれ、さっそくただら国の人びとをせめ、王さまになります。
 そしてこんどは別の国をせめ、やがて東西南北の国を征服し、金丸は金丸大王と名乗ります。

 ほとんどが両開きのページが一体となっていますが、圧巻は、悲惨さをふくめ、文は一切なく6ページにわたって描かれている戦いのシーン。田島さんの40代の作品です。

 ”まんげつ”に、三年三か月をかけ、大王にふさわしい彫りをほどこし、狩りにでかけた大王でしたが・・・。

 遠い海のむこうでは、たくさんの戦争がおこって、人びとは苦しみつづけましたが、ただらの国では金丸大王のあわれな 最後をつたえきいた人びとが、だれひとりとして とくべつに 金持ちになりたいともおもわなければ、まして 王さまなどに なりたいとおもわなかった と住井すゑさんのメッセージも明快です。


やまからにげてきた

2018年06月23日 | 田島征三


      やまからにげてきた・ゴミをぽいぽい/作・絵:田島 征三/童心社/1993年


 表面上は豊かな生活で、生活から出てくるゴミもさまざま。

 ゴミを減らすために、リフューズ(断る)、リデュース(減らす)、リユース(再利用)、リサイクル(資源の再利用)の重要性があげられていますが、それでも回収されたゴミは、燃やせるゴミは燃やされ、そのあとにできた灰は、埋め立てらます。

 ごみ焼却場まではなんとか理解できるのですが、その先にはもっと問題があり、ゴミ捨て場からは、有害の水が流れ出ることもあり、動物たちにも深刻な影響が。

 作者が東京三多摩地域広域処分場建設反対運動のためにかかれた絵本です。

 前からも後からも読むことができます。

 いろいろな動物たちが、逃げてくる「やまからにげてきた」から読み進めると原因が、あれもほしい、やすいから買っておこう、あまったからポイ、あきたからポイと「ゴミをぽいぽい」から読み進めると、結果がみえてきます。

 たすけて、たすけて、タスケテ、タスケテという動物たちの叫び声が聞こえてくるようです。

 大量消費社会の中で、消費者の工夫も限界がありますが、あらためてゴミをださないことが環境問題を考える第一歩でしょうか。